ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

ひとり語りレパートリー詳細解説PART 3

2007-07-25 11:50:39 | Weblog
    宮川ひろ作「おはじき」
 1995年の10月から、ひとり語り劇車「銀河鐵道」の活動を始めたのですが、その年の12月に「せんせいのつうしんぼ」などのつうしんぼシリーズや、「四年三組の旗」などの作者宮川ひろさんにお会いする機会を得ました。それは本当に不思議なめぐりあわせで、僕はその1ヶ月前ほどに宮川さんの初期の作品「おはじき」を読んでこれを語りのレパートリーに入れたいと思っていたところでした。
 そんな中、中津川の地で宮川さんの講演会があると聞いたのです。
 主催された方々にお頼みして、講演後お会いできるようお願いをし会場に赴きました。
 果たしてその講演内容は宮川さんが戦争中小学校の教師として体験された学童疎開のこと、それは「おはじき」という作品そのものの実話でした。
「おはじき」は、昭和20年4月静岡県沼津に疎開していた東京蒲田区の学童が秋田県に疎開しなおすことになり、その途中品川駅で列車を停車させて親たちと学童がつかの間の再会をするという実話をもとにしたお話です。
 僕はこの作品をはじめて読んだ時、そのリアリティーに圧倒されました。その場の臨場感がひしひしと伝わってきて、一つも無駄のない文章だと思いました。
 講演後、この作品を語らせて欲しいと宮川さんにお頼みすると、快く許してくださいました。たいへん優しそうな方でした。
 僕の語りは基本的にドラマティック・リィーディングの方法で語っていますので、6年生のマサコと3年生のヤスコが主要な人物として登場するこの作品は、少女をどう演ずるかということで、年々難しくなっています。このままでは無理になって来るのではないかと思いながら、今も語り続けています。
 さて、かつては戦争ものとして学校の夏休みの全校登校日などにも語らせてもらってきましたが、そういった中で作品としてはちょっと弱いというご意見もあったようです。それは悲惨さや痛ましさというものを描写していないからでしょう。が、僕はこの作品を反戦という思いでは語りたくはないと思っているのです。どんな状況下においても強く結ばれている親と子の絆、人と人との繋がりという事をテーマにおいて語りたいと思っています。
 戦前戦中戦後という区切りをつけたものの見方をしないで、常にその延長線上にある今を捉えていくことで、明日というものを見つめていきたいと思うのです。
「おはじき」は昔話ではない。例えばタイムスリップして、あの昭和20年の疎開列車にいっしょに乗り込んで、その空気を、このお話の登場人物たちと共に味わうことが、今を生きる子供たち、わたしたちには大事なのではないでしょうか。

中津図書館おはなし会が終わりました。

2007-07-24 18:41:17 | Weblog
 中津図書館の絵本コーナーで、絵本の読み語りをさせてもらうようになって、もう何年になるでしょうか? 最初の頃に来てくれていた子供たちはかなり大きくなっていると思います。その頃のお母さんたちは同級生くらいの人が主だったのが、今ではかなり若いお母さんたちになり、いつの間にか孫のような子供たちに絵本を読んでいる自分に気付いてしまった私です。
 さて、7月22日(日)も何時ものようにpm2時より絵本の読み語りをしました。
 「オレ・ダレ」「おしゃぶりだいすきニーナちゃん」「かわいそうなぞう」「すみれ島」「ちゃいますちゃいます」「すてきな三にんぐみ」「ハンタイおばけ」の7冊、計45分程でした。
「かわいそうなぞう」と「すてきな三にんぐみ」は大型絵本を使いました。「かわいそうなぞう」は予想以上に聴いてくれて驚きでした。言葉遣いなど、文章の古い絵本の部類なのですが、読み継がれてきたポピュラーな絵本の力というものを感じました。

ひとり語りレパートリー詳細解説PART 2

2007-07-23 00:49:10 | Weblog
   斉藤隆介・作「花さき山」「モチモチの木」
 さて、さねとう作品「おこんじょうるり」の次にレパートリーとして選んだのは、斉藤隆介作「花さき山」「モチモチの木」でした。
 前回PART1でご紹介した、創作民話の系譜の話からいけばなさそうなセレクトなんですが、それがそうでもないのです。
 まぁ、やるキッカケとなったのは、旗揚げ当初お世話になった知人のリクエストもあったからなんですが、斉藤作品は語り物文学としての魅力に満ちていて、語り芸においての捨てがたい素材なんです。
 例えば昔、前進座の名優中村翫右衛門さん、現在活躍しておられる梅之助さんのお父様、梅雀さんのおじい様にあたる人ですが、この方の「八郎」の朗読は、講談調に畳み込む語り口で、それは名調子だったそうです。残念ながら僕は拝聴したことはないのですが、この仕事をし始めてから、しばしば情報として伝わりってきました。そう、情報といえばよく学校の先生方に、生前の斉藤隆介氏本人の朗読を聞いた、というお話も伺いました。淡々としながらも味わい深いものだったようです。
 僕の語りはどちらかと言えば、というより全くのところ、ドラマチック・リーディング(感情を入れた語り口)なので、暗にそれとは違うよと言われていたのかもしれません。
 それはそうと僕の語りも、「モチモチの木」の語り口において、マメ太が腹痛をおこしたじさまを助けようと、霜で真っ白に覆われた峠の下り道を走るところは講談調のたたみ掛けを試みています。登場人物一人一人に対しての感情移入をどう表現していくかが、僕の語りの鍵となります。
 さて、斉藤作品のうち上記の2作を選んだ理由について少し触れます。
「ベロ出しチョンマ」と題された作品集は、プロローグの「花さき山」のほか、大きな大きな話6編と、小さな小さな話11篇、それと空に書いた童話9編、そしてエピローグ「トキ」の、計28篇のお話が収められた作品集です。この他にも長編作品「ゆき」や、たくさんの作品がありますが、まず「ベロ出しチョンマ」をして斉藤隆介の代表作といっていいでしょう。
 この中のプロローグ「花さき山」、それに続いてなぜ「八郎」「三コ」を語らなかったのか? それは、大きな大きな話と題された一群はあまりにも作者の意図するところが見えすぎ、テーマがはっきりし過ぎているからでした。それは、前に述べたリアリズムの問題(PART1参照)に低通するのです。また、思想心情的なことも含まれているかもわかりません。それで、小さな小さな話「モチモチの木」に止まったのです(後に「死神どんぶら」も加わりましたが)。それも、ラストのじさまのセリフを、多少変更するというかたちにして・・・。
 作者になんの断りもなしに、手を加えるのははなはだ遺憾なことですが、教科書に載っている「モチモチの木」も作者の死後、適当でない部分を変更していますので(もちろんご遺族の方の許可を得てでしょうが)、時代と共に作品は作者の手を離れて、多少の一人歩きはするもののようです。が、飽くまでも作品の根幹を揺るがさない範囲です(まぁ基本的に変えるのは駄目でしょうが・・・)。しかし、ともかくも語りとしては脚色する形で変えています。それは、宮澤賢治の自己犠牲の精神に共感しながら、宗教的部分をシャットアウトした斉藤氏の内側のリアリズムを補うという、いわばおこがましいといわれるような行為なんです。が、鬼籍に入られた現在の斉藤氏には解って頂けるんではないかという、勝手な言い訳を付けおきます。
 僕は実際のところ安易な意味での自己犠牲という言葉を好みません。仏教的な要素から離れたところでこの言葉を使うのには強い抵抗感を感じます。
 ひとり語り劇車銀河鐵道のモットーは、手垢のつかない本当の賢治精神に相通ずるものを追求していくことですので、それも詮無い事かと思います。
 よくわからない詳細解説になったようですが、これ以上続けると、もっと解り難くなりそうなのでこの辺りで終わります。次回は宮川ひろ作「おはじき」についてお話します。

ひとり語りレパートリー詳細解説PART 1

2007-07-13 23:13:33 | Weblog
    「おこんじょうるり」 さねとうあきらの世界
 ひとり語り劇車銀河鐵道12年前の旗揚げ口演第1作目の演目は、さねとうあきら原作の創作民話「おこんじょうるり」でした。
 宮沢賢治に因んで名付けた名称銀河鐵道だったのに、なぜ第1作目が賢治作品ではなかったのか、これは僕にしても大いなる謎なのですが、果たして「おこんじょうるり」を選んでしまったのでした。
 選んだ第1の理由は、どうしてもやりたかったからなのですが・・・。
 もともと「おこんじょうるり」という作品に出会ったのは、僕が22歳の時まだ東京である劇団の俳優養成所に通っていた頃、新宿の東急スクエアで観たアニメ映画が最初でした。
 どなたが監督されどう創られたかは憶えていないのですが、ばばさまの声を演じておられたのが長岡輝子さんだったことは憶えていました。きっとその東北弁(正確には岩手南部弁かな)のセリフに痛く感動したのだと思います。何しろ少年の頃から東北弁というものが好きでしたから。
 しかし、近年原作者さねとうあきらさんにお会いして、お話を伺ったら、あの映画は好きではないとおっしゃいました。何故ならお話の結末が、勝手にかえられていたそうです。それも、全く意図しない形に・・・。僕はそこのところを全々憶えてはいませんんでした。とにかくそのアニメを観て以来、いつかこの作品を演りたいと思っていたのです。
 さて、ここで創作民話のルーツといいますか、そこのところをかいつまんで説明しますが、創作民話とはその字の通り、古くからあった昔話にヒントを得たりして、新しく作られた民話、つまり新昔話です。
 正確ではないかもしれませんが、そのルーツを辿れば、木下順二氏という作家に突き当たるのではないかと思います。「夕鶴」「赤い陣羽織」「三年寝太郎」と、まあ戯曲として書かれているのですが・・・。それから、その木下文学を否定したところから始まる、斉藤隆介氏が創作民話の系譜に登場します。彼は宮澤賢治の自己犠牲の精神に共感し、「八郎」や「三コ」「ベロ出しチョンマ」などの作品を生み出していきます。しかし、頑なに社会主義リアリズムに徹し、賢治の持つ、その核ともいえる宗教性を理解しようとはしませんでした。
 その斉藤隆介氏を否定する形で、1970年代初めにさねとう氏が登場するのです。さねとう氏は、斉藤隆介氏のその自己犠牲の精神に疑問符を投げかけます。あの時代、児童文学の世界にあって、あの物語群はどう子供たちに伝わっていったのかに首を傾げたのです。
 さねとう氏の創作民話は、弱者の立場に立った徹底したリアリズムでした。それは、民衆はすべて善人であるとする木下文学を否定した斉藤文学をも、もう一歩深め、また現実社会における自己犠牲の精神の謳歌をも踏み越えて、さねとう民話は魂の領域に物語を深めていったのだと、僕は理解しています。
 さねとう氏の第一創作集「じべたっこさま」は、遠野物語などに題材を得ながら、名もなく生きた人々の魂の救済の物語が語られています。どの話もハッピーエンドなど一つもなく、重く悲しい結末で終わるのですが、僕にはどの御話にも何らかの救いの道が見えてくるのです。
「おこんじょうるり」も一見悲しい結末に話は終わりますが、実はそうでなく、人間の再生の物語であり、自然との共生の物語なのです。
 その意味においては、斉藤文学の比ではなくさねとう文学は賢治童話の系譜に通ずる物語であるように僕は思います。が、その点はさねとう氏の相容れないところかもしれません。
 それは児童文学者さねとうあきら氏のポリシーの根幹に関わることなので、これ以上は触れません。
 ただいえることは、僕のひとり語りの精神は、そのさねとう氏の物語の持つ内面のリアリズムに、強く共感を覚えながら、この12年語り続けてきたということです。

おはなし会のお知らせ。

2007-07-09 23:38:22 | Weblog
 7月22日(日)PM2時より、中津市民図書館にて、おはなし会をします。隔月に催されている私の絵本の読み語りの会です。
 今月は、「かわいそうなぞう」「すてきな三にんぐみ」「はんたいおばけ」等、6~7冊程を予定しています。
 小さなお子さんから大人の方まで、どうぞお越しください。入場無料です。
 楽しい絵本、悲しい絵本、素敵な絵本との出会いの場を作って行きたいと思っています。

淡々と日々は・・・・・・。

2007-07-08 17:53:52 | Weblog
 何をやっても、何もやらなくても、日々は淡々と過ぎて行ってしまい、やらなければならないことは何時もあるはずで、けれど誰かに言われてやるわけでなく、すべては自らの意思でなされていかなければならないことで、だからやろうとこころがけ、それでもついつい怠けていて、気が付けば歳ばかりを重ねている。
 元来が怠け者なのは薄々気が付いていることだけれど、それでも何時かはやる気になって、どんどん意欲的に事を運んでいくのだろうと、若いときには思っていたが、若いときに出来なかったことが、歳をとって早々出来るようになるわけもなく、日々は淡々と過ぎて行く。
 けれどその間にも、世界は確かに動いていて、人の思いは様々に入り乱れ、交錯し、それぞれの世界観を戦わせている。
 しかし、私の世界は何事もなく空を見つめ、風に吹かれて山を見つめている。
 ファナティックな人々の叫びも、株価に一喜一憂する人も、国々の要人の動向も、一見ニュース映像の中の絵空事のようにも思えるけれど、やはり確実に繋がっている世界の出来事で、それでも日々は淡々と・・・。
 時のあわいに落ち込んで、眠っているような私は寝言のように呟く。
「やらなければ、なにかをしなければ・・・」と。
 

ひとり語りが、実は・・・。

2007-07-01 18:45:43 | Weblog
 早いもので、もう今日から7月です。後二十日もすればまた一つ歳を取ることになります。
 さて、最近ひとり語り口演として活動をしていて、ひとつ思うことがあります。
それは、ひとり語りが純粋に、語りというものからはみ出して、ひとり芝居的傾向を強めているのです。
 これは、芝居公演をするようになってから顕著になって来ていて、前のように座ったきりで語るということが、すこぶる少なくなって来ているのです。
 当初、「言葉を動かす」をもっとうに、立体紙芝居的要素に重点を置いて、やって来たのですが、身体を動かすことが徐々に出来てくるようになると、じっとしていられなくなってしまったのです。これはひとり語りとして由々しきことでしょうか。
 しかし、生理的な事なので、無理に押し止めるということも不自然で、成り行きに任せているのですが、そんなところも考慮して、これからの活動を考えなければならない・・・岐路に来ている時かなと、思うこの頃なのです。
 静の中に動を表現するとか、まぁ理屈ではとやかく述べて、これまでひとりかたりについてと、シリーズで好き勝手を言ってきましたが、理屈ではどうこうし難いところで、物事は運んで行きそうなのです。