ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

7月の庭  PART Ⅶ

2009-07-30 11:41:06 | Weblog
 この題名で記事を書くのもこれが最後でしょう。今日は7月30日、7月も明日で終わります。

 この月に咲く庭の花は、むくげの開花を持ってほとんど咲きつくしました。そうそう昨日茗荷(みょうが)も初収穫しました。あれも花の部類でしょう。
 それに、溝のセリにも花芽がついています。三つ葉も少し前まで花をつけていました。

 庭に2本ある百日紅は、まだすべて咲き切っていませんが、枝を長く伸ばして先端が陽にあたるように花をつけているものは、心なしか毎日降る強めの雨に、うなだれているように見受けられます。

 梨木香歩著「家守綺譚」には、嫉妬深い女性の精霊が宿った百日紅の木が登場しますが、我が家の庭の百日紅はどうなんでしょう? そのような気配は感じられませんが、何か語りかけてくるものがあるとすれば「とにかく窮屈よ、ここ」といったところでしょうか。

恩師に捧げる哀悼の意

2009-07-29 14:33:23 | Weblog
 私が俳優養成所時代に指導を受けた、俳優西沢由郎先生が22日に亡くなられました。
 私はそれを新聞の死亡記事で知り、指導を受けた28年前の思い出が、様々によみがえって来ました。

 西沢先生には朗読を指導していただいたのですが、江戸っ子気質(かたぎ)の歯切れのいい言葉と渋い声で
「俺は詩というものがどうもわかれねえ。だいいち余白が多くて無駄だろう」
 などという言葉が懐かしく思い出されます。

 戦時中勤労動員をサボって捕まった話や、いろいろと昔話もうかがいました。

 先生はまどろっこしいのはお嫌いだから、「外郎売」も歯切れよく言いかえて、気持ちよく舌に乗るように教えてくださいました。

 私は中央で芝居する事を早々とやめて故郷に帰り、それでも細々ながら演劇活動を続け、時には朗読の指導などもすることのある時は、いつも先生の事を思い起こし、教えていただいたテキストを使いながら今もやっております。

 出来の悪い生徒ではありましたが、本当にありがとうございました。
 同期の仲間たちとは全くやり取りがないので、現在の消息はわかりませんが、きっと同じように先生の事を懐かしく思い起こしているものもいることだと思います。
  
 ブログ上で大変失礼とは存じますが、安らかにお眠りください。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

7月28日、今日も雨・・・。

2009-07-28 13:18:24 | Weblog
 雨の日が続きます。心にカビは生やさないように、気分は晴れやかにと思いつつ、今日もひとり台本に向かい、パソコンに向かい、これからの時間は明日の口演に向けての稽古に移行しようかと考えています。

 明日の演目は久しぶりに、宮川ひろさんの作品「おはじき」です。昭和20年4月の学童疎開にまつわる実話をもとにした小品です(詳しくはレパートリー詳細解説PART3をご照覧ください。2007年の記事にあります)。

 私も今月49歳の誕生日を向かえ、40代も残すところあと1年となりました。
 前にもこの40代の10年について記事に書いたと思いますが、出来なかったこと出来たことをくらべると、やはりできなかったことのほうが多く、積み残した事がいっぱいあります。
 
 さあ、ここからまた何か新しくスタートを切るべきではないか。
 その手始めにまずこれまでの語りのレパートリー全てを語り直す必要があるのではないかと、思いはじめています。

 たかだか14年なのですが、それでもその間に語り口はマンネリ化したり(当然本番としては毎回違うのですが)手垢がついたりということは発生してきます。
 もちろん、いつでもそれがそのときのベストではあるんですが、だからといって満足行くものであるはずがなく、上を見れば切りがありません。
 それでも下を向かずに、私なりのスタンスで前へ前へと歩みを進めたい。

 49歳という年齢の今の私が、ナチュラルに無理なく表現できるそんな語り方があるはずです。
 もう、勢いや力任せに突っ走るような、そんな表現からは脱却して、実のある語りができたらなあ、と思うのです。難しいことです。私はやっぱり生き方が甘いから、その人生に対する甘さがどうしても、語り、表現にあらわれてしまうのかも知れません。ここが最大の反省点です。

 本当に真剣に仕切りなおして、50代をスタートさせなければ・・・こんなこと言葉にしてるよりまず実践ですよね。

 では稽古、あ、いやその前に野暮用済ませておかなくちゃ・・・。

久方ぶりの名古屋。

2009-07-26 20:08:44 | Weblog
 今日は名古屋で活動する演劇ユニット「右脳中島オーボラの本妻」vol,2
「ヨシカワさん御免なさい」―自己制御追尾システム男と偏屈白色愛好家娘―
 というお芝居を、池下のtheater MOON で観て来ました。

 若い人たちの創る舞台はとても刺激になります。といって、なかなかたくさんは観られないのですが、私はこのユニットの作・演出を手がける丸蟲御膳末吉氏のファンなので、彼の将来性に大いに期待しています。
 もちろんこのユニットの看板女優高橋佳菜さんにも期待を寄せています。

 残念ながら今回の公演は今日の2回公演を持って終了してしまったので、観に行ってくださいとはお誘いできませんが? 次回に機会があれば、上記のユニット名をご記憶ください。

 HP:http://unounohonsai.xxxxxxxx.jp/
 を検索してもらえれば早いかな?

 今日観た芝居の感想はここにはしたためません。それはこれから彼らに書いて送ろうと思っています。

 実は今日名古屋ではもうひとつ、私の大好きな画家さんの展覧会が行われていたのですが、どうしても立ち寄る時間がなく帰ってきてしまいましたが、とても残念でした。 

 「K・Hさん御免なさい」。 

今年は梅雨が明けないの?

2009-07-25 11:18:43 | Weblog
 太平洋高気圧の勢いが悪いようです。このまま梅雨明け宣言なく、8月に入りそうですねえ。
 今年は例年ほどの猛暑にはならないのでは? という単なる感が当たりそうな気配です。

 私がまだ東京にいた頃、昭和57年という年も、そんなような年で、ずつと梅雨明けなしのままの夏でした。
 8月のはじめの夜、終電に近い時刻に中野駅のプラットホームで聞いたコオロギの鳴き声は、私に郷愁の思いをつのらせた事を思い出します。

 それでも千駄ヶ谷5丁目の3畳ひと間のアパートは扇風機もなく暑くて暑くて、近くのマルエースーパーや、銀行に涼みに行きました。といって、何の用もないのに銀行に坐っているのはこれはもう決定的に不審人物ですから長居はできません。今のようにATMも普及していませんから、通帳で残高調べたり、記帳したりなんて事もできません。そこで一瞬涼しい冷房の店内を味わって、すぐさまおもてに出て、なるべく日陰を選んで歩きながら、新宿東口へと歩きました。
 ルミネとか、デパートをひやかし、紀伊国屋書店で立ち読みして時間をつぶし、日のかげる頃どこかで安い夕食を食べてアパートへ帰る。これが夏の休日、何もすることのない時の1日でした。

 ひっさしぶりに東京話しちゃいました。梅雨の明けない夏っていうと、どうしても思い出してしまいます。
 あまり暑いのはきついですが、それでも暑くない夏も淋しいものです。
 ムシムシするよりカラッと晴れて、何処かへ行きたいなと思えるような夏がいいですねえ。
 あなたはヤマ派ですか? それともウミ派? 海もいいけどやっぱり私は、山育ちなのに山がいい。高原の避暑地なんて最高じゃありません? まあ行けそうにないですけど・・・トホホ。

8月の口演に向けて・・・。

2009-07-24 16:33:51 | Weblog
 太宰治原作「お伽草紙」から、「カチカチ山」を語ろうと考え、その脚色に取り掛かり、先週末くらいに上げて、2日前ぐらいから稽古に取り掛かっているのですが、やり始めてまだまだ手直しが要るなあと、今思っています。

 本来僕の語りは、極力原作通りというのが基本ですが、この作品はなんといっても原作者が読者に向けて饒舌に語っているわけですし、それは一応文章という平面のなかで、作者と読者というマン・ツー・マンのかたちで成立してるわけです。

 語りはそれを語り手から聞き手へというかたちに変換し、パソコン用語で言うところの立ち上げというような行為をしなくてはなりません。
 すなわち語りとは、立体文学なのです。

 もちろん定義的に言えば、それが原作ものを脚本化したり脚色したりするのと何が違うのかということも、様々にあるのですが、語りはひとり芸ですので、それが一人称で語られようが三人称で語られようが、地の文としての語りは全て語り手としての私なのです。

 私を消すか、私が出るか、これも微妙なところなのですが、この「カチカチ山」においては、私を出そうと考えています(だいたいのレパに出てると思いますが)。

 そうなると私と太宰という関係はどうするか? そしてウサギとタヌキ。まだまだ尽きぬ課題が山積みです。

7月の庭  PARTⅥ & 「 日蝕 」

2009-07-22 14:35:20 | Weblog
 激しい雨の降ったあとの庭には、おそまきながら百日紅の花と、ききょうの花が咲きはじめました。
 日照時間のやや少ない場所にある植物たちなので、どうしてもまわりより一足遅れの開花となります。

 今日は午前中、沖縄から鹿児島辺りにかけて皆既日蝕が観察されたようです。
 私も我が家のこの庭から、雲の切れ間に時々姿をあらわす太陽を見上げて、おおよそ8割方欠けてゆく部分日蝕を見ました。

 といっても肉眼はもちろん無理。愛用のサングラスでも色が薄すぎます。そこで、演劇照明用のプラステートの78(青色)を幾重にも折りたたんで見たのです。

 46年前の皆既日蝕は、さすがに3歳だったので記憶がありません。しかし、小学生の頃にたしか部分日蝕があって、黒い下敷きで観察した覚えがあります。

 ニュースをその後見ていないので詳しい情報はわからないのですが、金環蝕は観察されたのでしょうか? そしてダイヤモンドリングも・・・。


猫の一日。

2009-07-20 13:18:13 | Weblog
 我が家の猫テトは、その時々や季節によって昼寝の場所を変えます。寒かった頃は台所のキッチンテーブルのところにある椅子で寝ていましたが、今はお風呂の前の、タオル生地のバスマットの上で寝ています。

 そんなに冷んやりしているようにも思えないのですが、それでもいいようです。
5月くらいまでは縁側に置いてある椅子の上が定番だった時もあり、二階の窓際も、寒い頃には暖かで良かったようで、もう一匹の猫ルドルフとの争奪戦を繰り広げた事もありました。

 あとは居間の座椅子の上も好きなようですが、もうこの季節になると、夜寝室の布団の上に現れる事はなくなりました。
 夜中に掛け布団の上にのられて寝苦しい夜を過ごした事もありました。

 この写真は、テトがカーペットに寝そべって毛づくろいしているところです。
 何もすることなく一日を過ごす私と、猫の一日が妙にリンクし、似通っているように思うことがあります。
 猫は読書をしませんが、そのかわり深い眠りの中で、永遠の真理を悟っているのではないかと思うような気がします。

 猫の目には永遠が宿っている?・・・。

チェンジ!

2009-07-19 12:41:04 | Weblog
 世界的にも、「チェンジ」という言葉が、沸き上がって来ているようです。古いものから新しいものへ生まれ変わろうとする時、不安や少なからぬ痛みが生じるかもわかりませんが、私たちはそれを乗り越えて、未来を切り開いていかなければなりません。 

 司馬遼太郎はその著作の中で、どんな組織や、どんなものでも、だいたい50年単位で精度疲労を起こすのだと述べていました。
 どの分野に限らず、それは必然的に起こり得るものであって、私たちはその事に真摯に向き合い、また対峙していかなければなりません。そして、時代に流されるのではなく、時代を創り上げていかなけらばいけないのです。

 私はその根本を、常に自らに問いかけてきました。自らが変わろうとしなければ、まわりは変わりません。
 では、何をどう変化させるのか? それを真剣に考える事が必要なのです。
 現状に甘んぜず、常により良い道を歩む事を念頭に、これからの方向性をしっかりと見極めて行きたいと考えます。

 つらつらとそんなことを考えながら、これからいよいよ、本格的な真夏がやってきます。


7月の庭  PARTⅤ

2009-07-18 20:46:14 | Weblog
 雨の止んだ庭に、久しぶりにクロスズメバチが一匹飛来しました。今年になって3度目の目撃になります。
 頻繁には見ないので、そんなに近くに巣はないと思いますが、どうも定期的にやって来ては、執拗に木々をめぐっているようです。

 昨年はアシナガバチが軒に巣を作っていましたが、今年は見かけません。もしかすると大屋根か2階の天井裏に何かが巣を作っているかもわかりませんが、確認はしていません(そんな気配は今のところないですが)。

 この家に越してきた当初、その天井裏であまりにボトン、ボトンと何かが落下する音が聞こえてくるので、押入れから天井板を上げてのぼったことがありました。
 
 その音の正体は、トックリバチの巣でした。土でできたトックリ型の巣が無数にぶら下がっていて、それが下に落ちていたのです。トックリバチ自体はいませんでした。

 クロスズメバチは獲物をさがしてやってくるのでしょうが、その斥候兵のようなハチがそれぞれに担当の地域に分かれて、偵察機のように飛んでくるんでしょうか? なんだか不気味です。黒っぽいだけになお更です。」