ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

芝居と仕事と家庭 PART 4

2008-07-03 14:18:49 | Weblog
 昨日はなんか、解りにくいことを長々書いてしまいました。それでも今日はその続きです。またお付き合い願います。

 だったら今僕がしていることはやらなければならないことか、あるいはやりたいことか・・・。と、問われるとそこのところがどうも難しい。
 よく人に「やりたいこと、好きなことができていいですねえ」といわれることがあります。でも、なかなか素直に「はい」とは返事できず、「ええ、まあ」と濁して答えます。そんな自覚を持ってやっていないからです。
 たしかに、僕はお芝居が好きでその道に進もうと思ったことのある人間です。しかし、挫折も味わっている人間です。もちろん、このブログでご紹介して来た通り、とことんチャレンジしてダメだったというのでなく、途中で投げ出したという形だったんですけれど・・・。
 そうなんです。そこなんです。自分が納得の行くまでそのことに取り組めたか、挑めたかということ。何事も結果ではなく、その過程が大事なのではないでしょうか。
 いくら好きなことでも、その道で生きていこうとすれば並大抵なことでは持続はできません。むしろ大変なことの方が多い。
 僕の30代までの人生は、何をやっても長続きのしないことばかりでした。
 どんな仕事をしても、すぐにわかったような気になり、何をやっても底が知れているように思っていました。
 30そこそこで身体が思うように動かせなくなり、当たり前にできていたことが出来なくなったとき、もがき苦しみ、ようやくその中で、自分としてこの社会とどう関わっていくべきかを、真剣に考え出したといえます。
 若い頃の僕は、ただ食べていくためだけの労働など、卑しいもの。なんてとんでもないことを本気で思っていたんです。
 でも、1年余の働けない時間を経て、再び仕事に着いた時、普通に働けることの喜びを、初めて痛感しました。
 僕は33歳から35歳の誕生日の頃まで、約2年ある造り酒屋さんで働かせてもらいましたが、本当に充実した働くことの喜びをかみ締められる2年でした。
 働くということは、無心になること。無心になると、楽しくなります。またいろいろのことが見えてくるようにもなります。
 禅のことばで、「成り切る」ということばがあります。よくお芝居で、あの人は役に成り切っているといったように使いますが、実は無心にそのことに取り組んでいる状態のことです。
 例えば、トイレ掃除をしている時は、「ああ、やだなぁ、何で俺がこんなことしなきゃならないの? 」なんて考えず、ただただ便器を磨くことだけに専念する。料理を作るときは料理に専念し、遊ぶ時は遊ぶ事だけに一心になる。これが「成り切る」という事です。
 僕は働くという行為において、少しこのことが解りかけてきました。けれど、心がそうわかりかけてきても、身体がなかなか付いて来なかったと言うのが、その頃の僕の現状だったのです。