ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

読了ゼロで、8月は終わる。

2012-08-31 13:01:58 | Weblog
 今日は8月31日です。前回7月24日に本を1冊読了してよりとうとう今月は1冊も読了できないまま終わりそうです。
 これから午前12時までに頑張って読めばとも思いますが、無理でしょうねぇ。ページ数と、読書できる時間を照らし合わせて考えてみても、やはり無理です。

 先日もお話したように何も読んでいないわけではなくて、4冊読んでいるんですが、そのどれもが終わりそうにないのです。内訳は小説3冊に新書が1冊。2冊の小説は中味が濃く、もう1冊はまだ読み始めて28ページのところです。

 なぜ1冊づつ読まないのか、そうすれば集中して読み終えられるだろう。と、思われるかもしれませんが、それが出来ないのです。

 今年になって5月にも1冊しか読めないで終わッた月があり、その反動で6月にグンッと読了数が増えたことがありましたので、今回も9月にドッと冊数が増えることでしょう。

 まだまだ残暑が厳しいですが、涼しくなれば読書の秋です。
 
 生涯にどれだけの本が読めるかわかりませんが、読めずに終わってしまってはもったいない本がまだまだいっぱいありますから、何とか頑張って読みたいものです。


約10年ぶりとなる歯医者。

2012-08-29 09:24:59 | Weblog
 私が若い頃より行き着けとする、その歯科医院を受診するのは約10年ぶりのことであった。前にも8年、今回も10年の周期を経たので、よって先生以外のスタッフの若い女性は、行く度に顔ぶれがかわっている。私と同年代の先生はだんだん恰幅よくなっておられ、時の経過は否応なくそこにあった。だが、その雰囲気は10年一日の如くかわっていなかった。

 デンタル・ケアというものは、もちろん定期的に行っていたほうがいいに決まっている。
 他の病院に行くのとはやや性質が違って、毎日の生活の基礎を担う食事に、フルな活動を要する歯というものは、大いに大切にしなければならないからだ。

 がしかし、なかなかに足が向かない。痛くてどうしようもならなくなってはじめて、予約の電話を入れるという始末だ。

 なぜ歯医者というものは、あのように緊張をする場所なのだろうか。
 痛くてたまらなかったのだが、あの治療用の椅子に座って、
「今日はどうされましたか?」
 と尋ねられ、ああも言おうこうも言おうと思っていた説明が上手くいえないのである。
確かに痛む箇所は説明した。が、そこがメインのはずなのに、
「それもありますが、前に被せてもらったところがみんな取れてしまいまして」
 と、穴は開いているが痛みも何もないところへ治療の範囲を広げ、いかに患部が腫れて痛いのだということを薄めてしまい、結局痛み止めももらわないで次の治療日を決めて帰って来てしまった。

 もちろん、奥歯の横の歯茎が盛り上がってきたのは親知らずなどではなく、単なる歯肉炎か何かで、消毒はしてもらったのであるが、どうにも受診の場合に的確な説明というものが、受診前の無言のシュミレーション通りに行かないのである。

 幸いにも息子がその同じ歯科医院を受診していて、春にもらったまま、まだ残っていた痛み止めの薬を飲んで、この記事を書いている次第である。

え、まさかぁ~!?

2012-08-27 20:08:40 | Weblog
 この2日、ほんとうに久しぶりに歯痛に悩まされています。
 左下奥歯のあたりが疼いているのです。

 今朝まで様子を見ていたのですが、痛みが引かないので10数年ぶりかに掛かり付けの歯科医院に電話をして予約を取りました。
 強い痛みがありますといったのですが、今日の今日に割り込む隙がないようで、明日の午後のキャンセルのところに入れてもらいました。

 お芝居の稽古があるので、今日は午後から痛み止めを飲んでいつも通りに稽古を済まして来たのですが・・・・・・その帰りの車の中でふと気付いたのですが、どうもただの歯痛じゃないようで、切れ目のない鈍痛と歯茎に触る隆起? え、これはまさか30年ほども前にも経験した痛みか? いやあ、そんな馬鹿な!

 実際はどうなのかは、明日の午後の受診で明らかになるのですが・・・・・・。

映画の魅力。

2012-08-26 22:34:58 | Weblog
 今私はショート・ムービーの作製に参加して、一応脚本・監督を担当させてもらい、主に週末を撮影にあてて、映画つくりの真似事を味合わさせてもらっています。
 何しろ完成作品の所要時間が5分という制約があるため、それほど多彩なカットをはさめないし、長回しも不可能です。それでも結構映画撮影の醍醐味を堪能しています。

 さて、今最も好きな映画監督といえば、イランが生んだ巨匠アッバス・キアロスタミ監督なんですが、この監督のシナリオにはセリフはなく、その場で付けられていくんでしたよね。日本にも是定監督という人がそういう手法でしたっけ?
 私も、ストーリー展開を追いながらその手法でセリフを言ってもらいながらやっていますが、さてどれくらいのシーンが生かせるか・・・・・・。プロの映画監督のような粘りも無理のようです。
 まだ全部は撮り終えていませんが、今から編集作業のことを考えながらどこをどう活かせるかと、頭を悩ませています。

 キアロスタミ監督作品はどれも好きですが、殊にお気に入りの作品をひとつ上げろといわれれば、「オリーブの林をぬけて」という作品でしょうか。
 これは究極の恋愛映画といえるものです。いや、これぞ映画といえるものではないか。

 現在上映中の映画をどうこう言う気持ちは毛頭ありませんし、映画には基本、すべてに愛情を感じているのですが、キアロスタミ作品を前にすると「ハリウッドよ、これが映画だ」といいたくなる衝動を、抑えられません。

 映画には国境はありません。政治も宗教も思想も易々と越えられるものです。それが映画であり文化というものだと私は思います。
 何にも組せず、利用されないものが、本当の芸術だと信じて疑いません。

「私は世界市民だ」といったチャップリンの精神を忘れないようにしたいものです。

グリーン・カーテンには・・・・・・。

2012-08-24 11:14:22 | Weblog
 我が家もゴーヤを植えたんですが、グリーン・カーテンにはならないで、隙間だらけのすだれのようになってしまいました。
 それでも小さなゴーヤの実が2つ生りました。

 貧弱な葉には貧弱な実しかならないようです。
 だから、どのくらいの大きさになればとり時なのかを、思案しています。日々わずかなりとも成長しているようにも映り、もうここまでとも思えてなかなか収穫できません。

 スカスカのゴーヤの合間には朝顔も植えたのですが、隙間の埋まるだけの勢いはなく、ぽつりぽつりと花を咲かしているに止まっています。


わかり合うことの難しさ。

2012-08-22 09:28:42 | Weblog
 私は正直いって会議や会合というものに長時間身を置くことが苦手です。

 言葉のやり取りがスムーズに行われていれば、さ程ではないのでしょうが、明らかに意が通じずかみ合わなかったり、一方的に自分の意見を押し通し、相手の意見を傾聴しない人に出くわすと、ちょうど車酔いか船酔いのように気分が悪くなり、さもなくば頭痛に見舞われることさえあります。

 まあ、その空気に慣れ、そこを上手く乗り切り収めていくのが大人なのだといわれれば、それまでですが・・・・・・。

 会話を楽しみ、議論を培って、自らのボキャブラリーや表現能力を高めていくという教育がどうもこの国には欠如しているのではないのかとさえ思えてしまいます。

 いっそ小学校の国語の授業に「日本語会話」というものをあらためて導入し、コミュニケーション能力の向上を図らないと、本当に危機的状況を迎えるのではないか・・・・・・と危惧します。

 いや、教育というものを学校というものだけに限定して考えることこそが、そもそも間違っている。教育力というものは個人・家庭・地域、生活を取り巻く社会全体に委ねられなければいけない問題で、学校という機関に一極集中させて依存するものではありません。
 それはさておき、私はこの頃そのかみ合わない会話というものに出くわして、辟易してしまう機会が増えているのです。

 戦前の空気や状況をご存知の著名な方々が、今の社会は戦前に似ていると表現されることがあります。
 私は戦後生まれなのでそこのところは上手く掴み取れないのですが、もし本当にそうなら重々慎重に、冷静に、物事を見極めていかなければなりません。
 オリンピックという、本来融和の精神に基いて行われる世界の祭典で、ナショナリズムを刺激され短絡的な行動に走ってしまうようではいけないのです。

「話せば分かる」社会を築き上げるための戦後67年ではなかったんでしょうか?
「話しても分からない」社会を肥大化させてしまうことは、不幸なことだといわざるを得ません。

覚悟ということ。

2012-08-20 20:32:01 | Weblog
 52歳になった私が常常考えることは、「覚悟」して生きるということです。

「覚悟」というと、一番にあきらめるという意味を連想するかもしれませんが、そういう意味合いはあるにしても、まずは仏教用語で「迷いを去り、道理をさとる」ということです。
 この世の摂理に抗わず、自然の一部である生命としての自分をどう全うするかなのです。

 これは「武士道」というものにも通ずることで、「葉隠」にもあるように、・・・・・・武士道とは、死ぬ事と見つけたり・・・・・・なのです。

 といって、この「武士道」というものは有事の際に生み出された心得ではなく、あくまで平時の際につくられた精神美学であり、いかなる場合に際しても武士たるものはうろたえず、美しく潔く死に挑めるかというもので、このことを常に念頭において一日一日を心平穏に過ごすということなのだと、私は解釈しています。

 そのための「覚悟」が、日日更新されていかなければなりません。
 夭折の覚悟が過ぎ去り、老醜の覚悟へと向かう何丁目に自分は今差し掛かっているのか・・・・・・。
 実際にその時を迎えて、本当にうろたえないでいられるか。未練も執着も惜しみなく捨て去れるか、そのシュミレーションを繰り返しながら、かつ安寧で穏当な心を保てることを望んでいるのです。

 2011年3月11日以降、私はより強くこの「覚悟」というものを、自分にもそしてこの国にも必要なものだと思うようになりました。

 しかし、これは決して勇ましいものだと誤解するなかれ。穏やかな心の凪の中にこそあるものだと、知らなければいけません。

戦後67年目の夏。

2012-08-16 13:29:38 | Weblog
 昨日2012年8月15日を迎えて、終戦より67年目となりました。

 戦争体験者の平均年齢がどんどん上がっていく中、またその人口が減っていく中で、太平洋戦争における新たな事実もわかってきているようです。
 本当の意味での歴史的検証は、実は生き証人のいなくなった後に行われる部分も少なくないものと思われます。

 しかし、経験された人たちの生の証言を聞くことも大切なことで、それの出来るのも後僅かとなっています。
 NHKが制作している証言者の記録を残す仕事は、とても優れた仕事だと思います。
 善悪を超えたところで、事実をどう語ってもらい、それを残すかが大事なのだと思います。

 私の父は戦時中、陸軍兵士として北支(中国北部)の戦線に出征していました。
 しかし、生前父はその戦争体験をあまり多くは語りたがりませんでした。左程に恐ろしい目にもひどい事もしなかったのだといっていましたが、仮にも戦争に赴き、戦場近くに身を置いたのですから、何もなかったということは、なかったと思います。
 けれど父からは直接に、とうとう話を聞けずじまいで、父は20年前に他界しました。

 後年父の戦友であったYさんにお会いして、少しだけお話を聞く機会があったのですが、Yさんもかなりのご高齢になっていて、詳しいお話は無理でした。

 そのYさんも今年の春、92歳で亡くなられました。
「あなたのお父さんは、勇敢な兵隊だった」と仰られたYさんの言葉が、今も私の記憶にしっかりと刻まれています。
 それまでは父の話だけで、本部付きの通信兵として、要領よく立ち回ってきたので、何の危ない目にもあわなかったのだという話しか聞けず、そんな父しか想像出来ていませんでした。
 がYさんは、父は戦場にも一人勇敢に赴き、任務を遂行したのだと聴かされ、また違った姿を想像してみる切っ掛けとなったのでした。

 小学校の担任の先生だった男の先生も兵隊経験のあった人で、小さかった私たちに銃剣で敵兵を刺し殺した体験を語ってくれました。そのときの緊張を、私は今でも覚えています。

 その先生も今年のはじめに亡くなられ、故人となられてしまいました。

 私の周りの戦争体験者が、ひとりまたひとりと姿を消していく夏、戦後生まれの、戦争を知らない世代である私たちが出来ること、やらなければならないことは何なのか? 

 ナショナリズムを煽る傾向にある近頃のアジア。これからの日本のあり方。
 とにかく正しい歴史事実を正しく学び、偏らない冷静さでこれからの世界を創造していく方向を探るほかに手立てはないと思うのに、どうにも世界は、過去の過ちに学ばない、歴史をしっかり顧みない、そんな傾向にあるようで残念です。

夏祭りが雨で流れて・・・・・・。

2012-08-15 13:06:59 | Weblog
 夏祭りが雨で流れてしまった、8月13日の夜。この辺りもかなりの雨量を記録して、遅くまで雷鳴も轟いていました。

 祭りの主役たちの熱狂に埋め尽くせなかった町中で、ひっそりとはためく祭り旗の残る通りを、1日置いた今日の早朝、私はひとりで歩いてみました。

 いつまた雨が降ってくるやも知れない空模様の下、傘を片手に歩いていきました。

 随分前になりますが、同人雑誌に「町名散歩」と題したエッセイを書いたことがあります。
 子供の頃に慣れ親しんだ町中の通りをあちこち巡って、その今と昔を建物や人の思い出にまつわるエピソードで綴った作品でした。

 それからまた時を経て、あのころ書いた文章とも違った風景が、目の前に広がることも珍しくなくなってきました。

 西太田町通りにあった老舗旅館十一屋旅館の建物も取り壊されて、更地になっていました。
 子供のころの掛かり付けのお医者だった「小木曽小児科医院」の建物もいつの間にか消えて、駐車場になっていました。

「ああ、ちょっと歩かなかったうちに、また景色が変わってしまった・・・・・・」

 老朽化・維持管理の大変さ。当事者の方にすればそれは仕方のないことで、ただ片々と歩き回るだけの散歩者のために景観は維持などされないのです。

 祭りの後、その熱い高鳴りと人いきれの中で響き渡る鐘の音や笛の音、御輿を担ぐ人たちの掛け声が、残響としてあり続けるように、私は瞼の裏にこの町のむかしの風景を残像にして、留め続けようと試みるのですが、それも少しずつ危ういものになりつつある、今日このごろです。

 


花火の夜に思うこと。

2012-08-13 09:43:46 | Weblog
 花火の夜に思うこと

 時は移ろいやすいということ
 とどまる事のない時代の流れのなかで
 踏みとどまって思考せよ 人よ

 人の波 人の渦の只中に立ち
 流れても流されることのない賢明さを保ち
 空に咲く火の粉の花の消えてゆく
 間際におとずれる一瞬の静寂(しじま)に 
 百年を思え 永遠を見よ

 花火の夜に思うこと

 毅然として突き進む魂は 
 決して孤独ではないと教えてくれる風
 心落ち着けて瞑想せよ 人よ

 世界は常に困難と危機を孕みながら
 有史に時を刻んで来たのだ 
 だから今を嘆く必要など 何もないのだ
 幾たびか生まれ変わり 歩んできた命の記憶を
 思い出せばいいだけだ

 夜空に鳴り轟く音の響きが
 次なる千年の扉を叩く

 欲すれば開き 必要を感じなければ失われる
 宇宙の営みというものの どこに生命の繋がりを創造し得るかを
 今ここに踏みとどまって 思考せよ 人よ