ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

「僕の東京俳優修行」PART6

2008-05-30 17:21:32 | Weblog
 ちょっと間が開いちゃいましたが、今日は養成所時代の仲間についてお話します。
 実は卒業公演のパンフレットがあったわけなので、それを先日から捜しているんですが、見つかりません。確か14期生か15期生くらいじゃなかったかと思うんですが、定かではありません。
 パンフレットが出てくれば、正確な名前等わかるんですが、今の段階では僕のうる憶えの記憶の範疇の話になってしまいます。
 僕の出身地は岐阜県ですが、その年の、つまり1982年度の同期養成所生は実に様々な出身地の集まりでした(まあ、当然のことですが)。
 埼玉県出身のTさん。群馬県出身のTくん。神奈川県出身のMさん。愛知県出身のSくん。大阪府出身のKくんだったかな? それから愛媛県出身のIさん。兵庫県出身のMくん。あと女性2人、一人は最初からのメンバーだったけど、途中で辞めたR・Iさん。彼女は関西の人だったと思う。個性のある人で、女優としての可能性を秘めた人だと感じていましたが、どうしているかな・・・。もう一人は少し遅れて入ってきた女の子がいて、この子は知らないうちにいなくなっていた。感じとして、関東より北の出の子だったような印象です。今ひとり、長野県出身の男の子がいましたが、彼は家の事情で、養成所生を1年遅らすことになったと思います。
 確かこれだけだったと思うんだけど、もし漏れていた人がいたならごめんなさい。今一度卒業パンフ捜して見つかったら、訂正します。

「僕の東京俳優修行」 PART5

2008-05-23 19:58:05 | Weblog
 2日ほど更新できませんでした。また続きを書いていきます。
 千駄ヶ谷5丁目の安アパートに寝起きしながら、おなじ町内にある劇団稽古場へ通って、養成所の授業に励み、夕方からは中野のバイト先でひたすら皿洗いに専念すると言う毎日の繰り返しでした。そして日曜日には映画に芝居。時間とお金のある限りは、観ていました。それも養成所の生徒に義務づけられていたもので、東京のありとあらゆる劇場に足を運びました。
 ちょうど下北沢に本多劇場ができた年で、杮落とし三部作を観に行きました。唐十郎・作「秘密の花園」。別役実・作「そして誰もいなくなった」斉藤憐・作「イカルガの祭り」の3本だったと思います。
 その他にも劇作家競作の一人芝居「母たち」で、井上ひさし・作渡辺美佐子主演の「化粧」初演を観ています。
 あと、どんな劇場に行ったかなぁ・・・。池袋サンシャイン劇場、ここでは文学座、江守徹演出主演の「シラノ・ドベルジュラック」江守徹さんの声がガラガラに枯れていて、苦しそうな舞台でした。風邪でも引かれていたのかな。
 紀伊国屋ホールではいろんな作品を観ていますが、つかこうへいの「蒲田行進曲」が印象に残ってます。
 俳優座劇場では何を観たっけか。前進座劇場も僕の東京にいた年に出来たと思います。それにいろんな劇団のアトリエ公演にも、ちょくちょく足を運びました。
 文学座のアトリエでは別役の「太郎の屋根に雪降り積む」などを観ましたが、僕の真横で観ていらしたのが、黒いセーター姿の北村和夫さんでした。あの舞台では角野卓造さんにまだフサフサとした髪の毛がありましたね(ごめんなさい、余談です)。
 劇団「銅鑼」のアトリエ公演を観に行った時には、隣に座った青年に話しかけると、同い年でまたすぐ近くの新宿御苑の塀づたいにある古いアパートに住んでいることがわかり、友達になったということもありました。もう十数年音信不通ですが、彼は元気でしょうか? 山梨に住んでいるはずです。
 今はなき渋谷のジャンジャンにも行きました。別役の「天神様のほそみち」、僕が入らなかった木山事務所のプロデュース公演を観ました。この時はすぐ近くに別役実氏が座っておられて、「オオッー」と思いました。憧れの別役実氏を間近に見られたことが、芝居よりも心に残っています。けれどこのジャンジャンでは、中村伸郎のイヨネスコの「授業」が観られなかったのが、つくづく残念です。
 今日はこんなところにしておきます。次回は、養成所の仲間のことについて話しましょうかね。
 

「僕の東京俳優修行」 PART4

2008-05-20 23:07:33 | Weblog
 その頃僕が漠然と抱いていた思いというのは、将来故郷で劇団を作ろうというものでした。それは高校時代の恩師松木仲治先生と共に見た夢でもありました。
 残念ながら先生は僕の20歳となる時に、49歳の若さで亡くなられました。その後地元にて劇団「風」なるものを旗揚げし、公演にこぎつけようとしますが、経験も力もなかった僕は挫折し、東京行きを決意するのでした。
 しっかりと勉強しなければならないという思いからのものでしたが、しっかりとした意志に貫かれた思いとして、僕の中にあったかというと、そこが問題でした。
 プロになる?いやアマチュアとしてやって行く? 僕の気持ちは定まらぬままフラフラとこの1年をさ迷っていました。
 そんな僕の気持ちとは違うところで、ひとつの動きがありました。
 青年劇場は、僕の故郷中津川の地元劇団「夜明け」と親密な関係にあって、青年劇場は僕をその劇団「夜明け」からの留学生的なかたちで入所して来たのだと勘違いしていたらしいのです。
 中津川の親交深い劇団のために僕を育て上げて、故郷に返そうと考えたようでした(しっかりと否定しなかった僕も悪かったのですが)。
 それはまったくの誤解でした。その時点では僕と劇団「夜明け」とは何の関係もなく、僕の演劇の方向性は、定まらぬまま東京の空の下で迷子になっていたのです。

「僕の東京俳優修行」 PART3

2008-05-19 22:44:25 | Weblog
 もう今日からは、題名を変えながら、PART3とします。
 さて、今日は俳優養成所の授業内容について少し触れていきましょうか。もう正確には覚えていませんけど、確か「演技指導」や「演劇史・演劇論」「朗読」「発声」「声楽」「ダンス」「体操」そして「日舞」という教科があって、それぞれの講師による指導を受けました。
 「声楽」と「体操」と「ダンス」は外部講師で、「声楽」は声楽家の壇上さわえ先生。「体操」は劇団銅鑼の千田先生、「ダンス」はジャズダンスとバレエ、そしてタップダンスでしたが、イエキ・ダンスカンパニーの山引先生という方だったと思います。
 「演技」は劇団の演出部の鳥飼先生。「朗読」は劇団の俳優西沢由郎先生。「発声」の先生のお名前はすみません、忘れてしまいました。「演劇史・演劇論」は内外の講師の先生方にその都度教えていただいたと思います。その他にも「戯曲論」というのもあったような・・・。
「日舞」は3学期だけ、劇団のトップ女優小竹伊津子先生に教えてもらったと思います。先生は篠塚流の名取で、松づくしを教わりました。
 というわけで、新劇の勉強を1年間したわけでしたが、実はこの1年は誤解や思い込み、また僕の演劇に対する無知さから、様々なことの起る幕開けでもありました。

芝居公演を終えて1週間が経ちました。PART2

2008-05-18 17:40:55 | Weblog
 行き当たりばったりなので、なんか題と少しずれてきてるようですが。
 最初は「ゆうすげ・・・」公演が終わって、1週間経っての心境など語ろうかと思っていたので、まあそれがかなり昔のことに飛んだといいますか・・・。とにかく昨日の続きのPART2です。
 さて、東京でのねぐらを定めた僕は、実家から送ってくる布団一式を待って、3日ほど、衣類や新聞紙などに包まって寝ました。4月とはいえ、まだまだ寒かったと思います。気が張っていたのか、風邪は引きませんでした。
 通う学校と住居は決まりましたが、生活していくための糧を稼がなければなりません。
 当時はまだ週間アルバイトニュースだったと思います。それを買って、アルバイト先を探しました。
 俳優養成所は一応普通の学校と同じで、朝から夕方までのカリキュラムでしたから、それを終えてからのバイトということになります。当然のことながら、大方は飲食店(水商売)での仕事となります。あの当時時給680円というのが、東京での相場でした。
 賄の夕食がついているというのと、5時から10時という基本的に1日5時間のバイト時間というのに目をつけて、中央線中野駅近くのブロードウェイ街の地下にあった、活け魚割烹「一紅」という店に行きました。
 昔今正組(映画監督今井正)の照明をやっていたという、九州大分出身の大将と九州佐賀出身の板前さん、それに秋田出身のお運びのおばさん、の三人だけの小さな店で、カウンターに10人、奥の座敷に6人、洗い場横のテーブル席に4人、それで満員というお店でした。
 けれど、客筋がとてもよくて、そして何より出される料理が美味しくて、バラエティーに富んだ常連さんで、繁盛していました。僕はその店の洗い場担当として働くことになったのです。

芝居公演を終えて1週間が経ちました。

2008-05-18 00:04:33 | Weblog
 演劇ユニット マーシュマロウ 第3回公演「ゆうすげ綺譚」は、僕が手掛けた書き下ろしの戯曲として上演に至った、4本目の芝居となりました。
 まったくゼロからの芝居作りで、もう4本も演ったんだなぁ、という思いです。
 今日はちょっと、これまでの僕の演劇人生を振り返ってみようと思います。演劇人生なんてそんな大袈裟なもんじゃなく、ただひとりの男の紆余曲折に過ぎないのですが・・・。
 高校演劇からおよそ30年、僕は舞台に携わってきました。その頃から、僕には芝居しかないとボンヤリ考えながらも、将来に明確な道筋を描ききれず、どう演劇と関わるべきかが、漠然としていました。
 そんな中で高校卒業後どうしても就職する気にはなれず、演劇の本格的な勉強をしなくてはと、上京したのは21歳の時でした。東京では2つの劇団の試験を受けました。大好きだった別役実の芝居をよく上演していた、木山事務所というところと、僕が卒業後2年ほどアルバイトしていた、地元の文化会館で知り合いになった青年劇場という劇団でした。
 どちらも合格しましたが、僕には一年間の月謝を一括で払うだけの蓄えがなく、親に支援してもらうにも無理はできない現状で、結局分割での支払いを認めてくれた青年劇場の俳優養成所に入所することになりました。
 その当時秋田雨雀・土方与志記念青年劇場という、築地小劇場の流れをくむ老舗の新劇劇団は、本拠地を千駄ヶ谷の5丁目に置いていて、入所式に合わせて上京した僕はまだ住むところも決めていず、旅館やホテルでは経費がかさむと、入所式の日の昼休みに、代々木駅横にあった不動産屋に飛び込んで、この近くにある一番安いアパートはないかと尋ねたのでした。
 まったくあの頃から計画性のない、出たとこ勝負のようなことばかりをやっています。
 千駄ヶ谷5丁目は明治通り沿いの、中央線の駅では代々木駅と新宿駅の中間にあって、近くに新宿御苑、明治神宮、代々木公園と環境としてはいい場所でした。  その代々木駅裏の線路沿いの路地に面した三畳一間のアパートを借りて、僕の東京での生活がスタートするのですが、今日はこのぐらいにしておこうと思います。
  

マーシュマロウ公演「ゆうすげ綺譚」終わりました。

2008-05-12 15:07:08 | Weblog
 5月10日11日両日に渡っての演劇ユニット マーシュマロウ 第3回公演「ゆうすげ綺譚」は多くのお客様に観劇していただき、無事終了することができました。本当にありがとうございました。
 次回に向けてまた今日より、始動いたします。
 ささやかながら、地域文化に灯を点し続けられるよう、また多くの方々に愛される芝居作りがしていけるように、精進していきたいと考えています。これからもよろしくお願いいたします。

5月4日(日)の夕暮れ時です。

2008-05-04 17:51:35 | Weblog
 連休も残すところ後2日ですね。日中暑い日が続きます。昨日はこの辺りでも30℃近い気温があったんではないでしょうか。
 初夏どころか真夏日です。
 昨日はそんな中、芝居の舞台装置作りに汗を流しました。セットができ、いよいよお芝居も本番へと大詰めを迎え、ラストウィークのカウントダウンが始まります。
 明日は午後より本番会場のまなびパークホールにてのゲネプロ。つまり最終リハーサルという事になります。
 私たちの演劇ユニット マーシュマロウ は本番間近でも、連日の詰めた稽古ができません。より集中力を高めて、5月10日、11日へと自分たちを持っていきます。
 ああ、今午後5:45。陽が翳って、涼しい風が窓から入り始めました。その風が、丈高く伸びた草草を撫でて、吹き渡っていきます。