ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

2008年の読書、その後。

2009-01-29 10:12:04 | Weblog
 昨年末、「後10日の駆け込み読書」という記事を載せましたが、その後についてお話していませんでした。
 結局去年は、49冊。50冊の目標には後1冊及びませんでした。
 大晦日の忙しいさなかに、何とか時間をやり繰りして、最後の1冊G・ガルシア・マルケス著「コレラの時代の愛」を読み終えて、そこで終了でした。後の読み残しは、年明けにクリアしています。
 
 さて、この「コレラの時代の愛」ですが、いやぁ~読み応えありました。500ページに及ぶ1冊を、すべて音読しました。少し間が空いたときは、ちょっと前に戻って読み直しましたから、ページ以上の読書量になったと思います。が、本当にこの作品を楽しむためには再読するのがいいのでしょうが、僕は遅読なのでその勇気は中々沸き起こってきません。それに「百年の孤独」ももう一度と考えているので、いつのこととなるのやら・・・。

 さて、今年の読書ですがとにかく量と質を増やしたいです。まだ読んでいない古典や、名作物にも触手を伸ばしたいと思っています。


元気な子どもたちの笑顔

2009-01-27 13:35:23 | Weblog
 仕事で幼稚園や保育園に伺うことが多いのですが、いつの間にか触れ合う子供たちとの年齢差が、おじいちゃんと孫というのに近くなってしまいました。
 そんなこともあってか、小さな子供たちがあどけなく、手遊びや歌を唄ってくれるのを観ると、思わずグッとこみ上げるものを覚えてしまうことがあります。

「おいおい、オレはまだそんな年じゃないぞ!」と思いつつも、もう涙腺が弱くなっているのでしょうか。
 我が子も他所様の子も、みんな大事な宝物。何とかこの子達がスクスク伸び伸び育って、明るい未来を築いていってほしい。そう思わずには入られません。

 人はもっと単純に他愛もないことに幸せを感じて、日々を平穏に暮らしていけないものでしょうか? 
 この幼い子供たちの笑顔が、小学校に入っても、中学生になっても、ずっとずっと失われないでいられます様に・・・。大人である私たちは、本気でこの子供たちの幸福を考えなければいけません。
 なに不自由なく、安全にというだけでは、心も身体も元気に逞しくは育ちません。本当の幸福とは何かを、今真剣に考えるべきです。

舞台模型の作成

2009-01-23 15:03:05 | Weblog
 5月9日(土)10日(日)まなびパークたじみで催す、マーシュマロウ第4回公演「調べは、アマリリス」の舞台セット模型を作っています。
 
 この演劇ユニットでは劇作家兼役者を担当する私ですが、これまでの流れから舞台美術も担当しています。といって、専門分野ではないので、どうしてもデホルメの効いた簡潔なセットが作れません。どうしてもしっかりと作ってしまいます。
 演出さんに苦い顔をされるだろうと思いながら、やはりかっちりした舞台を作ってます。

アメリカ大統領就任式をLIVEで観ました。

2009-01-22 12:30:08 | Weblog
 アメリカ第44代大統領バラク・F・オバマ新大統領の就任式を、深夜BS1で観ました。
 初めての黒人大統領の誕生という、歴史的瞬間を茶の間の炬燵に入りながら、家族で観ることの出来る時代なんだなぁと、今さらに考えながら・・・。
 零下6度という気温の下にもかかわらず、あの熱気、あのたくさんの聴衆を集めた就任式。
 ただ新大統領への期待や希望だけでなく、歴史的感慨の深さというものが伝わってきました。
 あの熱気を肌で感じようと、日本からもマスコミ以外にワシントン・D・Cまで出かけた人もかなりいたようです。

 他国の大統領の就任式ながら、世界中であの中継を観た人たちはどのくらいいたのでしょう? 僕なんかおかげで次の日は少々眠かったですが・・・。

 さて、様々なセレモニーに続いていよいよオバマ新大統領の演説が始まりました。大統領選や勝利宣言の時のような派手さはない就任演説でした。
 今のこの状況を現実的に捉え、トォーンを抑えた、自国民に協力を求めるような内容だったかと思います。

 僕は僕なりに自国を愛し(偏ったナショナリズムでなく)、誇りを持ちたいと常々思っていますが、一国のリーダーが、しっかりとした言葉で語ることの出来るそのことに、羨望の念は否めません。
 噛み合わない一方通行の議論や討議ばかりが繰り返される国会中継には辟易します。
 同じ日本語を有するのだから、もっと噛み合った議論討論が聞きたい。自分の言葉で語ることの出来る新しい政治家の登場を期待したいものです。
 若い人たちに関心が向けてもらえるような魅力的な政治の場を創り出す事は不可能なのでしょうか?

 百歩譲って、ボキャブラリーは少なくともリーダーシップ、公約(マニュフェスト)実現への実行力があれば、そんなに過大な要求はしないんですが・・・。

 アメリカ新大統領も、実行力。これからはそこが問われていくことになると思います。

 もちろん僕たちも有権者としての正しいあり方を、保っていかなければいけません。秩序ある民主主義社会は、手放しで傍観しているだけでは出来ていかないのです。


ひとり語りレパートリー詳細解説PART 11

2009-01-19 20:59:37 | Weblog
     さねとうあきら・作「なんばんきつねつき」

 久しぶりに詳細解説を載せます。さねとうあきらの創作民話「なんばんきつねつき」は、「おこんじょうるり」も収録する創作民話集「地べたっこさま」の中の第六話として書かれています。
 このお話は江戸時代末期でしょうか、日本近海でアメリカの捕鯨船が難破し、その船に乗っていた黒人奴隷だけがひとり生き残って、日本のとある海岸の村に流れ着きます。命からがら流れ着いた黒人奴隷でしたが、しかしその見たことのない異人を村の人々は、こん棒もって追い払おうと押しかけてきます。
 黒人奴隷は必死になって山に逃げ込み、山奥の村の小さな崖っぷちの洞穴に隠れ住みました。
 この山間の村には、三太という八つばかりのぶきっちょな男の子が住んでいました。何をやっても失敗ばかりの少年は、山でひとり過ごすのが一番の安らぎ。それもヤマメがうようよ泳ぐ龍神岩の淵が一番のお気に入りだったのですが、その淵で三太は魚を取っているこの大男の黒人と出会ってしまうのでした。
 最初は恐怖に怯える三太でしたが、やがて二人は友情に結ばれて、三太は彼をゴッホと名付けるのですが・・・。そしてこの物語にはやがて悲しい結末が待っているのでした。

 この1冊は1972年の初版ですので、もう今から37年前の作品になります。
 僕のひとり語りレパートリー第1作「おこんじょうるり」」同様、その話のモチーフを作者さねとう氏は柳田國男著「遠野物語」によっているそうです。山で出くわした黒い男というエピソードだけに、この話は端を発しているそうで、それが山男なのか、この「なんばん・・・」のように漂流者の黒人だったかは不明です。
 さねとう氏がこのお話を書いたその根本にあるのは、戦後まもなく学校でやらされた教科書の墨塗りにあったそうです。
 昭和10年生まれのさねとう氏は戦時中、軍国少年だったそうですが、軍事教練のために学校に派遣された軍人に、運動が苦手で身体の小さかったさねとう少年は、必要以上にこっぴどくしごかれて、神経を病み、学校へ通えなくなってしまったそうです。やがて、心の痛みを癒し学校に通えるようになるさねとう少年でしたが、軍国主義を唱え教えてきた教師たちが、1945年8月15日を境に、民主主義教育へと手のひらかえて豹変したのです。
 もちろん、そこには先生たちの当時の大人としての言い分はあったかもしれません。しかし、多感な少年には、大人への深い不審の念ばかりが深く根付いてしまったのでした。
 さねとう氏は言われます。「なんばんきつねつき」は私の魂の自叙伝だと。そして、この世の多くの三太少年への応援メッセージではないかと私は思っています。
そして私もぶきっちょな三太のひとりです。
「なんばんきつねつき」は悲しい物語ではありますが、真実を見つめようとする美しい心の軌跡と許しの物語でもあるのだと、語り手としての私は考えています。

 先ほども少し触れたようにこの物語は「遠野物語」によったもので、全くのフィクションです。しかし、アメリカの捕鯨船もその船に乗せられて労役を強いられた黒人奴隷も実際にあった事であり、ペリーの黒船が日本に開国を迫った理由も、この捕鯨船の燃料や食料補給が目的だったともいいます。
 また、この物語に登場する村人たちや役人たちはゴッホを迫害しますが、和歌山県のほうには、漂流者の黒人を助けてその村里に住み着いたというような話も残されているようです。が、詳しいことはわかりません。
 

日々に思うこと。

2009-01-18 11:34:30 | Weblog
 近頃の我が家は、朝パン食です。それも最初は朝のメニューを軽くしようと、カロリーの軽減を目的に始めたのですが、それによって味噌汁を食べる回数というのがめっきり少なくなってしまいました。夕ご飯のメニューに合わせてなるべく作ろうとはしていますが・・・。

 作家の堀田善衛氏が「バルセローナにて」で? でしたかスペイン暮らしが長く続いても、日本人としてのアイディンティティーを失わないために、毎朝ご飯と味噌汁を食べている。というようなことを書いておられたと記憶していますが、食べ物によってつくられるモノということも、大事にしていかなきゃ、と思います。

 たんに「食育」という言葉が盛んにいわれはしていますが、これは子供たちに限ったことではなく、誰にとっても食はまず命を繫ぐものです。そして精神や文化を培ってきたものでもあります。
 食べること、そしてその食べ物を作る料理、その基本を大切にしていきたいものです。
 忙しさにかまけてつい手軽なもので済ましてしまう。それもありですけど、1日に1回、いや3日に1回でも、手間隙かけた料理をテーブルの上に載せたいものです。

1月16日の午後。

2009-01-16 13:15:01 | Weblog
 2009年1月ももう半分終わりました。早いといえば早いし、それでもやるべき事は着実にやってきている15日ではないかと・・・。

 今年の抱負といいますか、ひとつの指針としては、心も身体も柔軟に、柔らかな感覚で1年を生きて行こうと思っているのですが、この寒い季節、ついつい身体を動かせず、硬くなりがちになってしまうのがいけません。
 僕は本当に肩凝りがひどくて、常にほぐしていないと体調までも崩しかねないので、運動は不可欠なんです。殊に柔軟をしっかりこなして、筋の張りをゆるめておかなければいけません。
 それに加えて今年は、もっと持久力を強くしなければと考えています。正直現在のところ有酸素運動が苦手です。これは、さっき言いました凝りにも関連して、きっと血行が悪いために、回復力が遅い所為かと素人判断をしています。
 そんなわけで、とにかく柔軟な身体を創りだそうと思っています。

 さてもうひとつの、心の柔らかさについてです。まあ、頭の柔らかさということもプラスしておきましょう。
 年とともに人はどうしても、何事においても硬化しがちです。ひとつの考えや思いに凝り固まらないで、大いに人の意見を聞き、学ぶ姿勢を保ちたいものです。
 偉人、先人、先輩方はもちろんのこと、若い人たち、子供たちにももっと目を向け、耳を傾けていきたい。
 そうして自然に、より身近に寄り添うことの出来る時間を大切にしていきたいものです。

 今日のタイトルは「1月16日の午後」となっていますが、午前には佼成出版社というところから刊行されている「ことばの花束」シリーズ全6巻のなかから、「宮沢賢治のこころ」という1冊を読みました。その1冊を読み終えて、ウォーキングに出掛け、歩きながら、2月の口演に語る賢治作品の暗記をしました。まだ全編の半分にも至っていませんが、何とか本番に間に合わせようと頑張っています。

 今僕の頭のなかには、この口演と、芝居の稽古と、同人誌のもうすぐ完成間近の原稿と、毎週1本ずつ書き上げているラジオ番組の原稿、それにこれからの創作作品のモチーフが、ほんの少し、並列で並んでいます。
 柔軟にその一つ一つをうまく処理して、何一つおろそかにならないように、こなしていくことが大事だと考えています。

 ああ、もう午後2時を過ぎました。家庭の用事もこなさなければ・・・、僕は半分主夫でもあります。半分は妻が主婦です。一応2人に主がつきます。

はじめての雪掻き

2009-01-13 08:54:59 | Weblog
 昨日はこの冬はじめての雪掻きをしました。といっても、朝方早くに玄関の坂の雪を掻いたのは妻でしたが、その後また積もった分を僕が掻いたのです。

 昨冬は2度ほど掻いただけで、それも正月前のことで、年が明けてからはとうとう積雪に見舞われなかったのですが、この冬は今年に入ってからが、どうも本格的な雪となりそうです。
 といって、この冬型の気圧配置が長続きするのかどうかわかりませんし、その後も寒波がやって来るかは、定かではないですが・・・。

 僕の兄は岐阜県でも指折りの積雪地帯に住んでいます。この季節雪掻き雪下ろしは日常の仕事で、昨年もこの辺りとは違って大雪に見舞われたので、連日の雪下ろしにさすがに泣きたくなったといっていました。
 今年もそんなことになっているのではないかと、ちょっと心配ですが、すぐに駆けつけられる距離ではないので、応援に行けないのは申し訳ないことです。

 前に新潟のある地域のことがニュースになっていた記憶がありますが、積雪の多い地域の高齢化で、雪下ろしが大変な問題になっていると・・・。
 過疎化によって力仕事の出来る若い人が居なくなると、そういった作業にも難儀して、生活が維持できなくなり、やがてはふるさとが消滅していく。
 交通網の整備で都市と地方が短時間で繋がり、便利さはより増して行きましたが、その一方では大変な過疎化が進み、毎年小さな集落が消えていっているようです。
 
 僕は前に「帰りなむ、いざ」という戯曲で、何十年ぶりに故郷を目指して帰ろうとした老夫婦が、すでに廃村となっていることを知り愕然とする話を書きました。

 この頃の不況の話、派遣社員の切捨ての問題を見て、ふっと頭によぎった言葉は、何故か「帰りなんいざ、田園将に蕪せんとす」というものでした。
 日本の農政の問題、様々な難しい問題は山済みでしょうが、この先の50年、100年を視野に入れて考えた時、何か見えてくるものがあるのではないでしょうか。
 地方の時代と謳われて久しいですが、経済も文化も依然都市集中型のまま。若者たちが自分らしく生々と暮らせる時間を創り出していけるのは、最早都市ではなく農村部ではないのか? もちろんそれには多様な価値意識の転換が図られなければなりませんが・・・。

 ああ、今日も雪掻きの話から、かなり脱線していきました。

十日恵比寿

2009-01-10 18:01:31 | Weblog
 今日は僕の住む町の十日ゑびす、十日市の日。明け方まで降った雨も上がり、寒くはありましたが、良い天気の一日となりました。
 
 午前中より徒歩で出かけて行き、西宮神社へ参詣しました。はっきりとはわかりませんが、去年より人出は多かったように見受けられました。
 やはり不景気な時ほど、神頼みは熱心になるということでしょうか。

 さて、十日市の風景も、僕の子供の頃とはかなり様変わりしています。香具師さんたちの出す屋台も、おおよそは食べ物で、啖呵売とかの実演販売というものは、見受けられなくなりました。
 そう、映画の寅さんのような人たちが、子供の頃にはまだ少しは見ることが出来たんです。ノコギリを売るおじいさんの口上なんて面白かったものでした。
 それに地球ゴマとか、ポンポン蒸気のブリキの船とか、とにかくブリキのおもちゃの類いを単品で売っている人がいましたよねえ。
 中にはなんとも怪しいというかいかがわしそうなものも・・・。でも、それもなかばインチキ臭いとわかっていて買うんですよ。だからってインチキだなんて怒ったり訴えたりなんてしない。おおらかなもんです。
 
 生活も外見も上品になったかわかりませんが、なんか世知辛くて情の薄い世の中です。
 物が豊かになって、何不自由ない生活が出来るようになると、人はお行儀も良くなるものかと思いきや、そうでもなさそうです。

 むかしに戻ればいいなんて、ゆめゆめ思いはしませんが、僕らがといいますか、貧しかった頃の大人たちが、豊かになったらこうなるだろうと考えた世の中に、今なったんでしょうか?
 別に何も思わずにやって来たんでしょうか。食えなかったから、食えるようになりたいと、ただそれだけでの繁栄だったのなら、ちょっと淋しいですね。

 人間性ってなんでしょう? 昨今の出来事や世の流れを見ていて、心をよぎる言葉です。
 ああ、また十日ゑびすから話がだいぶそれていきました。すみません。
 それから、縁日などの政治活動やビラ配りは、止めた方がいいと思いますよ。なんだか逆効果のように思います。気持ちはわかりますけど、ああいった雰囲気の中でビラ押し付けられても、ねえ。TPO考えられた方が・・・KYということになるんじゃないかな? 余計なこといいました。

稽古始め

2009-01-09 13:14:59 | Weblog
 語りも芝居も、実質今日が稽古始です。語りは来週14日の口演に向けて、今日から本格的な稽古に入り、5月のマーシュマロウ第4回目のお芝居「調べは、アマリリス」も今夜第1回目の読み合わせ稽古です。

 ひとり語りは、僕の場合基本的に「お越し」と呼んで、自分の頭の中にお眠っている作品を起こして、立ち上がらせ、後は本番に向けて日々創り上げていくという、やり方をします。
 表現することの面白さは、この眠っている間に作品が変化していることです。熟成した物語に、自分の生の肉体がどう反応し対応するか、これが語りの妙です。

 また芝居の稽古始めは、演出さんや役者さんたちとの顔合わせであり、馴染みの顔もまた本当に初めての人も等しく、その芝居での新たな出会いとなります。
 どの役柄の人がどういう声でどんな風にせりふを発するか、期待に胸が弾むところです。