ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

決意の夏、始まりの秋 PART 2

2008-07-09 15:51:00 | Weblog
 今から13年前の1995年平成7年という年は、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件といった、大きな災害や事件がおき、内面的にも外面的にも、揺らぎを感じ、いろいろと考えさせられることの多い年の幕開けでした。
 世紀末を迎えて人々の心は、一抹の不安を抱えながら時代の変化、うねりというものを予感し始めていました。
 そんな時代の中にあって、僕も例外にもれず、新しい自分を模索し始めていたのです。
 とにかく経済的なことは二の次にして、今やれること、できることをやって、それを形にし、自分自身を見つめていく、そんな生き方をしていくしかないと思ったのです。
 前回も書いた通り、ひとり語りなんていう芸能の分野があることも知らず、ただことばだけでも表現できる芝居風のスタイルを、と考えて始めたのがひとり語りというものでした(ひとり語りについてはこのブログの最初の方をご参照ください)。
 1995年の夏、あれは8月のことだったでしょうか。仕事に行けなくなって、数日たったある日の午後のことだったと思います。川べりの公園の芝生の上で、妻とふたり、川の流れを見つめながら、僕はこの何日かずっと頭の中で思い巡らしていたことを口に出していました。
 「もし少しよくなって仕事に復帰したとしても、また同じことを繰り返すことになると思う。身体をだましだましそうやって働くか、それとも身体を本気で治すための仕事を始めるか・・・」というようなことから切り出したような。
 そしてまるで突拍子もない、ひとりで口演してまわるということを妻に語ったのです。
 何の根拠もありませんでしたが、必ず仕事になると思っていました。一人当たりの口演料をコーヒー代くらいに設定して、10人くらい集めて始めて、徐々に規模を大きくしていく。まったく単純にそんな風に考えていました。
 それに対して妻は反対はしなかったと思います。どう答えてくれたのか詳細は忘れましたが、いざやることを決定すると、まず会社への辞職願いを出しに出かけ、社長にことの詳細を説明して承諾をもらいました。健康を取り戻したらまた来い、といってもらいました。それはそうでしょう、そんな語りか何ぞでやっていけるなど、誰も思わないでしょうから・・・。
 話はとんとん拍子に進み、10月に友人のお店のスペースを借りて、旗揚げ口演を催すことに決まりました。逆算して口演当日まで、2ヶ月ちょうどくらいでした。