昨晩はブログを書いていて眠くなってしまい、伊良子清白の「漂白」の詩を書き留めたところで終わってしまいました。
さて、なぜ私が清白にこだわるのか、その問いに答えをということなんですが、さあその答えについては、読了した今の時点ではまだ薄ぼんやりとしています。
私はこの秋、「安寧坂の家」という二人芝居を上演する予定で、今稽古に入っているのですが、この作品の主人公神崎歴彦は、地方に暮らす不遇の文士(作家)です。
一応若い頃は中央で名だたる小説家の弟子になり、修行を積んでいたのがひょんなことから破門になって各地を転々としながら、それでも筆を折ることが出来ず細々と文筆に励みながら、怪しげな小説を書いているという設定の人物。
伊良子清白の方は怪しくはありません。彼は医業を生業として、保険の診査医やさまざまな医業種に就き、生活のため、また父親の負債の肩代わりとくろうしました。
また持病の胃アトニーに悩まされ、癇癪持ちで至るところでトラブルも引き起こしていた様子の人物。
まあその他いろいろの理由によって詩作を捨て、中央の詩壇から遠ざかった人のようです。
日本の近代詩の黎明期に確固とした存在感を示しながら、正確な評価を得られず、「孔雀船」というたった1冊の詩集を残して地方に去り、後に再評価され今に名を残す稀有な詩人なのです。
平出氏はこの著作で、その伊良子清白に新たな光をあて、現代に再び蘇らせました。
三重県鳥羽小浜の村医として、清白は68年の生涯を閉じますが、その人生はいかばかりか生きづらいものだったと推察されます。
彼は生まれながらの詩人だったのでしょうね。もっと穏やかに、楽しく明るい一生というものもあるいは選択できたかもしれないのでしょうけれど、それもそれ、その人生は宿世よりさだめられたものだったのかもしれません。
しかし、そのような業を払い落とすのも、この世の生き方、在りようではないのか?
そんなことを考えながら、やはり大きな意味で次回の公演のテキストのひとつとして、私はこの本を読んだのです。
生きづらき この世を円く生くる瀬もあり 春ははるなり秋はあきなり(青蜩庵)
さて、なぜ私が清白にこだわるのか、その問いに答えをということなんですが、さあその答えについては、読了した今の時点ではまだ薄ぼんやりとしています。
私はこの秋、「安寧坂の家」という二人芝居を上演する予定で、今稽古に入っているのですが、この作品の主人公神崎歴彦は、地方に暮らす不遇の文士(作家)です。
一応若い頃は中央で名だたる小説家の弟子になり、修行を積んでいたのがひょんなことから破門になって各地を転々としながら、それでも筆を折ることが出来ず細々と文筆に励みながら、怪しげな小説を書いているという設定の人物。
伊良子清白の方は怪しくはありません。彼は医業を生業として、保険の診査医やさまざまな医業種に就き、生活のため、また父親の負債の肩代わりとくろうしました。
また持病の胃アトニーに悩まされ、癇癪持ちで至るところでトラブルも引き起こしていた様子の人物。
まあその他いろいろの理由によって詩作を捨て、中央の詩壇から遠ざかった人のようです。
日本の近代詩の黎明期に確固とした存在感を示しながら、正確な評価を得られず、「孔雀船」というたった1冊の詩集を残して地方に去り、後に再評価され今に名を残す稀有な詩人なのです。
平出氏はこの著作で、その伊良子清白に新たな光をあて、現代に再び蘇らせました。
三重県鳥羽小浜の村医として、清白は68年の生涯を閉じますが、その人生はいかばかりか生きづらいものだったと推察されます。
彼は生まれながらの詩人だったのでしょうね。もっと穏やかに、楽しく明るい一生というものもあるいは選択できたかもしれないのでしょうけれど、それもそれ、その人生は宿世よりさだめられたものだったのかもしれません。
しかし、そのような業を払い落とすのも、この世の生き方、在りようではないのか?
そんなことを考えながら、やはり大きな意味で次回の公演のテキストのひとつとして、私はこの本を読んだのです。
生きづらき この世を円く生くる瀬もあり 春ははるなり秋はあきなり(青蜩庵)