ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

決意の夏、始まりの秋 PART 1

2008-07-07 15:14:08 | Weblog
 今日から題名が変わります。思いつくままに書き進めて、時間の経過や内容もわかりづらいかもしれません、ごめんなさい。一応、年齢とこれまでの経過をおさらいすると、20歳で上京し21歳の1年を東京の俳優養成所で過ごし、22歳となる年帰郷。25歳で、演劇活動再会、そして結婚。様々な仕事をしながら劇団活動をつづけ、体調不良により31歳で正式に劇団退団。その後1年余のリタイヤ(療養)時代を経て33歳から35歳までを酒蔵での仕事に従事。ここまでが、ざっとした経歴のおさらいです。ではまた続きを・・・。

 仕事に対する熱意ややる気はあっても、身体がついてこないというのはもどかしいものです。今の自分の状態で、今の自分にできること。それはなんだろうかと考えました。
 会社に勤めるということは、その就業時間内はしっかりと仕事をしなければなりません。当然です。体調が優れないのでちょっと待ってくれ、少し休ませてくれ、なんて到底いえません。だったら、自分で仕事をはじめなければなりません。
 といって、僕に何ができるでしょうか。自動車の免許くらいしかライセンスはないし、手に職なんて全くないのです。できることは少々芝居をかじって来たから、それに関すること・・・。演劇関連? しかもそんなに身体を動かさないでも出来ること・・・。あれこれと思いをめぐらしました。とにかく、出来ない動けないからと、また前のように腐っているわけには行かないのです。生きていかなければなりません。そう、生きていかなければならないのです。それも、家族と一緒に!

 その年1995年は、息子も小学1年生になっていました。その前年の何時だったかに、子供の通う保育園に絵本を読みにいくということをしていました。子供の絵本読みは毎晩のようにして、その半分は僕がやっていました。母親の本読みは寝かしつける担当、しかし父親の本読みは逆に子供の目を冴えさせることの多いものでした。
 ある時、北彰介・作大田大八・絵による「なんげぇはなしっこしかへがな」という絵本を読みました。東北弁の昔話絵本でした。これが大いに気に入られ、保育園の友達にも呼んでほしいということで、息子が保育園の先生に言ったらしいのです。それで、保育園へ行って、息子たちの年長さんのクラスで、絵本を読んだのでした。それがことのほか受けて、とても楽しんでくれたので、その後も1,2度行ったように覚えています。
 でもそのときにはこれを仕事にしようなどと、考えもしませんでした。が、その1年後、何かしなくてはと切羽詰った僕は、ああいうことが仕事にならないかと本気で考え出しました。
 その時点で、ひとり語りというものがあって、そういう活動を世の中でしている人がいるなんてことも、全く知らなかったのです。