ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

芝居と仕事と家庭 PART 5

2008-07-05 12:02:12 | Weblog
 造り酒屋での労働は、今考えてみると、病み上がりの自分にとっては、かなりハードなものでした。
 腰にしっかりとコルセットを装着して、冬は杜氏さんや蔵人さんたちと一緒に酒造りの手伝いをし、また日頃の酒タンクの管理、瓶詰めパック詰めの仕事、出荷や配送の仕事も時にはしました。
 水20ℓの入るアルミの桶を両手に提げて、ホーロータンクに入れるために梯子を上るというような仕事は、日常茶飯事。冬は氷点下、夏は30度を有に越す蔵の中で、こまねずみのように動き回りました。それでも冬はまだいいんです。寒さは何とか凌げるんです。冬はやることがいっぱいあって、動いていられるから・・・。
 しかし、夏は大変です。酒蔵の夏は、製品の出荷以外には比較的暇になります。まあ、冬にタンクいっぱいに詰めた酒粕を夏粕として取り出して袋詰めにするとか、何もやることがない時は、蔵周辺の草むしりや掃除。といっても、酒蔵は母屋も入れて二千坪の敷地でしたから、かなりの面積を要します。確かにきつくて、帰宅するとヘトヘトになって寝るという毎日でしたが、仕事がつらくて行くのが嫌だということはありませんでした。日々の仕事の段取りを付けて、今日は何をやろうかと考えることが僕には楽しかったのです。ただ体力、持久力のないことだけが残念でした。
 そんな日々を送っていた夏の日、あれはお中元の頃でもありましたか、営業の人について外回りに行き、小売店の倉庫に1升ビン10本入りの木箱のケースを下ろして回っているときでした。猛暑の中、熱中症になって倒れてしまったのです。
 意識はあったんですが、身体がピクリとも動かせません。このまま死ぬのかなと思いました。でも、もし病院に運ばれたら逆に気持ちで負けてダメになると考え、必死に休めば動けるようになるからと、頭と首を冷やしてもらい、何時間か耐えていました。ただ妻と子供のことだけを考えていました。こんなところでさよならなんてできるものかと・・・。ちょっと大袈裟のようにも思われますが、その時は真剣にそう思いました。
 元々メンタルな面までもを病んでいたので、ネガティブな部分が顔を出すと、必要以上な症状が襲ってきます。
 その時は3日ほど休んで、また復帰しましたが、1日も休まないことを目標にしていただけに、休んでしまったことがそのときの僕の一番のショックでした。
 そして、それをキッカケにまたちょこちょこと不定愁訴というものにも、悩まされるようになって行きます。