ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

暮れ行く2011年。

2011-12-31 15:40:30 | Weblog
 あと8時間ほどで今年も終わりとなります。
 いろいろなことがたくさんあって、慌ただしく大変な1年でした。

 良くも悪くもこの1年を起点にして、来年はいい年にしたいものです。
 喜びも悲しみもすべてを受け止め、新しい年を迎えましょう。

 今年もブログお読みいただきありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。
 皆さん良いお年をお迎えください。

                       いちかわあつき

クリスマスも終わって・・・・・。

2011-12-26 11:09:10 | Weblog
 今年は各地でホワイト・クリスマスになったようですが、この辺りは今朝方の方が積雪がありました。
 クリスマスも終わって本格的な寒さに覆われ、今年も残すところあと6日となりました。

 さて、ニュース・新聞記事などをにぎわしているのは世界的に有名な人の死亡記事ですが、私にとっては身近な親しい人の死が心に沁みます。

 夏には義母義父を相次いで亡くし、寄る年波と時代の移り変わりを痛感したのですが、先日は生涯を人のために尽くした立派な知人を見送りました。
 有名無名に限らず人ひとりがこの世に生き、人生を終焉することは偉大なことです。そしてどのような死も平等に悼まれなけらばならない。そう思います。
 いや、これは村上春樹著「1Q84」の中にあった文章の受け売りになりますか? でも私自身も日ごろからそう考えていたことなので、いっそうの感銘を受けた部分です。
 と書くと、先の身近な人の死の方が、という文章と矛盾しているようですが、その矛盾は矛盾としてとどめて、あえてそう書きました。それは人間の感情量の問題であって、悼む思いに格差をつけるものではありません。

 3月11日の東日本大震災、大津波等によって多くの生命が奪われてしまいましたが、その方々おひとりおひとりに人生があり、そのおひとりおひとりを平等に悼まなければいけない。決して死者数という数の中に埋もれさせてはいけないのだと思います。

 昨日最終回を終えたドラマ「坂の上の雲」。病床の正岡子規と秋山真之が交わす言葉、戦場の兵隊さんの死も病に倒れて逝く一介の俳人の死も同じ死、同じ大事なひとつの命というようなセリフがありました。
 そのことにも通ずる哀悼の意の平等性を深く考えるこの年の暮れです。
 世界の人のあらゆる死を平等に悼む精神を、私は言葉面だけでなく培っていかなければと思います。

 それにしても、世界に争いは絶えません。憎しみ・遺恨の連鎖が綿々と継続されているのです。
 少なくとも身近な環境において争いごとのない2012年にしたいと思いますが、許しあうこと理解し合うことは難しいようです。しかし本当の民主主義を確立したいのであれば、許し合い理解し合うということを基本に置くしか手立てはないのではないでしょうか? 
 ここのところ争いごとを好む人が多くなっているような世界の空気が身近にも感じられてなりません。今は冷静さ、寛容さが人一倍求められる時だと思います。
 

次へ向けて、いまだ定まらないというか・・・・・・。

2011-12-22 17:36:16 | Weblog
 今年はいろんなことをやらせてもらった一年でしたが、最後にやった落語が案外長く尾を引いていて、それからだっていろんなことをやったり、やらなければならないことを控えているのですが、なぜか身体が定まりません。

 何といえばいいのか、落語に取り組む前の状態になかなか戻りません。
 
 来年に向けて芝居2作品が待ち構えていて、もう待ったなしでセリフを覚えてポイントを切り替えなければならないのですが、何かきっかけがいるみたいです。

12月の窓。

2011-12-20 18:10:34 | Weblog
 12月の窓に踊る
 ダンシング・フラワー
 頼りない陽射しに
 緩やかにくねる 
 にこやかな顔

 閑散と冬枯れていく庭を流れる
 冷たく澄んだ午後の風か
 紅い実をつける南天の木は
 名も知らぬ小鳥と揺れる

 見え透いた嘘で
 塗りつぶしたような
 やるせない一日が空を覆う
 遠いむかしに忘れた哀しみの色を
 想い出させる12月の窓

 

玄関にクリスマス飾りを・・・・・・。

2011-12-16 09:58:58 | Weblog
 何年ぶりでしょうか? クリスマスツリーとかを飾るのは・・・・・・。
 息子が大きくなってからはもうずいぶんやっていませんでした。

 2階の押入れのふすまを張り替えようとはずして作業をしていたら、押入れの中からRyouくんと名づけた大きなウサギのぬいぐるみが久しぶりに出てきて、彼にサンタさんの格好をさせて玄関に飾ろうと思い立ったのです。
 それでそのかたわらにクリスマスツリーも引っ張り出してきておいたのですが、どうしてもツリーの飾りが見つからず、仕方ないので100円ショップへ行き飾りのモールだけ買ってきてつけました。
 今日もう一度捜してみようと思っていますが、でも物置を引っ掻き回したりしているとそのまま大掃除バージョンになりかねませんので、そこはほどほどにしておかないとまだまだ掃除は先のことです。

 といっても今年もあと2週間そこそこです。出来ることやるべきことをどれだけ片付けて新年を迎えられますことやら・・・・・・。

もう12月も半分おわりました・・・・・・。

2011-12-15 13:19:32 | Weblog
 このところ週1ペースの更新になっています。
 ほんとにパソコンの前に座れてません。

 というのも、先月の間に出来なかった外回り(庭、屋グロ)の仕事に時間を費やしています。
 先日は庭木の植え替えをして、多少庭を作り変えようと試みています。
 それから、襖・障子の張替えなど細々したことをかた付けようとやっていますが、時間がすぐ過ぎていってしまって、気が付くと日が暮れています。

 そんなわけでなかなかブログに書き込めていません。
 
 そうそう、読書量も増えません。今年は目標の冊数を大きく割り込んでフィニッシュしてしまいそうです。

そこまで雪が・・・・・・。

2011-12-09 11:59:56 | Weblog
 今朝は恵那山から前山の麓までうっすらと白く雪におおわれていました。
 もう里に舞い降りてくるのも時間の問題でしょうか?

 例年にくらべれば遅い降雪ですが、寒い冬の到来を身にしみて感じられる雪化粧の山々は清々しく綺麗です。

 世相の慌ただしさや多少の汚濁も、雪は真白に覆い隠して清潔で無垢な朝を感じさせてくれます。
 やがて日が射し、溶けて消えてもその純潔さの残像を、心のどこかにとどめて1日を送れたらいいのですが・・・・・・。

 それもつかの間に、日常の暮らしの中に呑みこまれ、悠長に景色を眺めている時間すらも忘れてしまうというのが現実かもしれません。

 日々の暮らしの中で違うリズム、違う流れの中にある時間を少しでも作り出すことができれば、そこにゆとりや潤いというものがうまれてくるものではないでしょうか?

 好きな音楽を聴く、本を読む、自分の趣味のものに5分10分でも没頭するだけで違ってくるのではないかと思います。

 もちろん私は読書ですが、この頃はなかなかまとまって読めていません。
 ああ、そのぶん映画観てるかな?

名作はやっぱりいいですねえ・・・・・・。

2011-12-01 15:55:36 | Weblog
 BSプレミアムで放映していた「モロッコ」「真昼の決闘」と、ゲーリー・クーパー主演の2本の作品をついつい観てしまったのですが、やっぱりいいですねえ。

 といって、今回ずいぶん久しぶりに見直して思ったことは、若い頃にはゲーリー・クーパーのカッコ良さばかりに眼が行っていたということです。
「モロッコ」のマレーネ・ディトリッヒ、そして「真昼の決闘」のグレース・ケリーとこの二人の女優さんに、今回私は泣きました。

 命を懸けて恋する男のあとを追うディトリッヒ演ずるアミー、あの表情に今更ながらにやられました。
 やっと心の中で葛藤するおんなごころを読めるようになったのでしょうか? 演技を超えた、いや彼女がたどって来た人生そのものをまで一瞬に表現して見せたディトリッヒの役作りは見事なものです。

 また、グレース・ケリーも同様です。これまでただ美しい女優さんというイメージでしか捉えていなかった自分の観る眼の浅さを思い知りました。
 決闘に赴く夫を一度は見限るものの、銃声を聞くやいなや、とっさに列車から降りて夫の安否を確かめに走る新妻。
 この心のゆれは、「モロッコ」のディトリッヒともダブって見えます。

 それにしてもゲーリー・クーパーという人は、共演する女優さんの魅力を引き出す人ですね。
「昼下がりの情事」のオードリー・ヘップバーンしかり・・・・・・。

「真昼の決闘」の新婚夫婦なんてどう見ても年違いすぎですけど、そんなことどうでもよくなりますもん。
 ゲーリー・クーパーは確か64歳くらいで亡くなってますから、もっと長生きしていろんな女優さんともっともっと共演させてみたかったですよね。

 ちなみにゲーリー・クーパー主演の一押し作品は「ヨーク軍曹」。彼を国民的大スターにしたともいえるオスカー受賞作品です。
 レンタル屋さんにDVDってあるのかな??