ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

カメは結構足が速いのです。

2010-07-31 16:09:31 | Weblog
 このところ夜明けの森の公園の東屋で台本を読んでおりまして、今日も午前中からそこへ赴きましたのですが、その東屋の前の草むらでカメが甲羅干しをしておられました。

 このカメはその近くのコウホネの咲く沼に棲んでおられるカメで、先日も行き合わせたといいますか、橋の上からと水の中で目を合わせたのですが、今日は間近で触れ合いまして、甲羅を撫で、至近距離で写メも撮らせていただいたのです。
 が、残念! それをPCに取り込むUSBケーブルがありませんで、ここに載せることが出来ません。

 カメは、石亀だと見受けられましてかなりの大きさです。年齢も高いのでありましょう。
見るからに物知りでありそうな、亀の甲より年の功のようでありまして、ついおられるなどと敬意を払ったりしてしまうのであります。

 さて、そうはいうもののこのカメ氏ばかりに取り合ってもおれませんので、台本を開いて読んでは書き込み、読んでは書き込みしておりますうちに、カメ氏はのそのそとその場から移動され始め、ああ、お帰りになられるかと、ほんのちょっと眼を離して本に眼を落としているうちに、あれま! もうどこにもおられませんで、思わずその辺り、沼の中を探したりしたのでありますが、もうどこにも姿は見受けられませんでした。

 のろまの代名詞のようにいわれますカメでありますが、結構足が速いようであります。
 決してイメージや噂だけで判断するなかれ。わが眼で確かめてより口に上すべし。そのようにカメ氏に云われた気がいたしました。

久しぶりに雨の日です。 (つげ義春その2)

2010-07-29 10:39:25 | Weblog
 梅雨明けからこっちこの辺りは夕立もなく、今日は久しぶりの雨です。気温もさほど上がらず、やっと猛暑日から逃れられそうです。

 昨日は、幻の漫画家といわれる、つげ義春のことを書いたところ、つげ義春のお父さんは、恵那地方出身の人では・・・・・・というコメントを頂きました。
 手元に詳しい資料がないのではっきりしたことはわかりませんが、お母さんの柘植ますさんの方の出身地は千葉県大原の海辺の村だそうで、こちらははっきりとわかるんですが。

 おそらくそのお母さんの故郷を舞台にしたと思われる、マンガがあります。
 それは「海辺の叙景」という作品です。
 東京でひとりアパート暮らしする青年が、母に連れられて伯母のいる実家の海辺にやって来て、その海辺で東京からひとり海水浴に来ている女性と知り合います。
 そして次の日また海岸で会う約束をするのですが、その日はあいにくの雨。
 もう来ないのかとあきらめかけた時、彼女はやって来て二人は雨の中海で泳ぎます。
 二人はあまり深くは語り合いませんが、その断片的な会話の中から垣間見られる普段の生活と、その微妙な心の動きが実に文学的で味わいがあります。

 今日は雨が降っているので、思わずこんな作品を紹介してみようかと・・・・・・。

久しぶりに つげ義春 をひらく

2010-07-28 10:42:11 | Weblog
 水木しげる関連の話題です。朝ドラを観ていて、現在水木のアシスタントという存在が登場してきているので、そのことについて。

 水木しげるのアシスタントといえば、この人つげ義春の名前が真っ先に浮かんできます。
 ドラマは実際とはちょっと違っていて(当然です、フィクションをうたってますから)、水木とつげ義春は、すでに貸本漫画家の集まりで面識がありました。そして、「ガロ」にも娯楽ものではない作品を発表していましたが鳴かず飛ばず。昭和41年食い詰めて調布に転居し水木しげるのアシスタントになったのです。

 私が一番最初に雑誌で読んだ彼の作品は「チーコ」というものでした。小学生の頃のことで、もちろん、つげ義春という認識も何もなく、大人の漫画雑誌を盗み読みしてたまたま眼にし、忘れられない印象を植え付けられて、ずっと覚えている作品です。

 面白いとかそういうんじゃなくて、「切ない」という感覚をはじめて教えられたものだったかもしれません。
 リアルタイムの「ガロ」での掲載物を読んだのでは多分ないと思います。後に世間から高い評価を受けてからのことだったろうと思います。そこのところの事情ははっきりとわかりません。

 私がつげ義春をつげ義春と認識して、彼のマンガを知るきっかけになったのは、NHKドラマ「紅い花」でした。
 この作品は、「紅い花」「古本と少女」「もっきり屋の少女」がオムニバスとして描かれた作品でした。
 この作品世界に圧倒されて、すかさず本屋でつげ義春を探しました。そうして買い求めたはじめてのつげ義春本は、小学館文庫から出ていた ―異色傑作選 2―「紅い花」でした。
 それからつげ義春の作品を集めるようになり、今は計8冊ほどを数えます。が、まだ読んでいない彼の作品はいっぱいあって、またいつか腰を入れて探してみようかと思っていますが、今は余裕がありません。

 今私は久しぶりに、中央公論社から出ている 愛憎版つげ義春作品集「夏の思いで」を手にしています。

あらためまして暑中お見舞い申し上げます。

2010-07-26 21:07:09 | Weblog
 猛暑日が続きます。私の住む辺り、全国でも順位の高い高気温の地域のようですが、なにせ全国一位の多治見市が、この地方にはありまして、そこよりは2℃は涼しいという感覚があるだけに、なんか意識としてはまだマシという気持ちが勝ちます。

 また多治見市は、この全国一暑いということをポジティブにとらえ、町おこしの一環としているところが凄いです。
 一昨年でしたか、あの40,9℃の最高気温の日、多治見におりましたが、いやぁサウナのようでした。

 でも、私は昔東京で暮らしていたときのことを思い出すと、やっぱり東京が一番暑かったように思えます。
 ヒートアイランド現象というものでしょうか? 建物の中はエアコンでガンガンに冷え、外は排気ガスとエアコンの室外機等、胸苦しいあつさにおおわれ、殊に扇風機もない三畳一間の安下宿におりましたので、それは地獄の暑さでした。人の多さというものも関係していたんでしょか?

 でも、その頃は若かったので、身の危険を感じることはありませんでしたが、この頃では無理や無茶は禁物です。

 しっかりとした水分補給と塩分をとって、睡眠不足はしないようにしています。また、炎天下に外出するときは、必ず帽子を被るようにしています。

 今日は土用の丑、スタミナのつくもの(うなぎなど)を食べ、まだまだ続きそうな猛暑の夏を、元気に乗り切って行きたいものです。

 温暖化に嘆いてばかりいても仕方ありません。もちろん、できるだけの対策をはかり、適応しながらその時代を乗り切るしかありません。

 とにかく、あらためましてこのブログを読んでいただいている皆様へ、暑中お見舞い申し上げます。どうぞ、海山での事故にお気を付けくださいませ。

朝のドラマを観るうちに・・・・・・。

2010-07-24 14:43:38 | Weblog
「ゲゲゲの女房」を観ていて、ああ「ゲゲゲの鬼太郎」が読みたいという思いが募り、昨日とうとう買ってきました。

 角川文庫から出ている、水木しげるコレクションⅡ「ねずみ男とゲゲゲの鬼太郎」という一冊です。
 何しろ某古書店なので、目的のものがおいそれとあるわけでなく、たまたまこの1冊にめぐり合ったわけで・・・・・・。

 私の幼少のみぎり、まだ貸本屋というものはあって、そこに出入りもしてたんですが、残念ながら貸本漫画というものはもうほとんど終わっていて、今で言うコミック本とかを1週間10円で借りてくるというものでした。

 しかし、水木マンガは「墓場の鬼太郎」からの読者で、マガジンの初期の連載から読んでいました。
 私はもっぱら水木しげるか赤塚不二夫。「天才バカボン」も最初からの読者です。
 それに懐かしいところでは「サブマリン707」。これは今すぐに作者の名前が出てきません。もちろんプラモデルでも作って、銭湯へ行って進水式です。
 ゴム動力で動く潜水艦のプラモありました。マブチモーターのもありましたけど。

 話がそれました。とにかく水木マンガの妖怪にははまりました。水木しげる妖怪図鑑の類いは何冊も出ていると思いますが、一番初めに出たものを買ったんじゃないかな?

 ごく範囲の狭いブームだったかもしれませんが、連載マンガの表紙絵をトレーシングペーパーでトレースするのが流行って、フリーハンドではうまくかけなくても、それで漫画化気分を味わっていた小学校低学年当時が懐かしく思い出されます。

細久手宿大黒屋さんでの口演。

2010-07-23 13:36:01 | Weblog
 来月の終わりに久々のひとり語りの一般口演を行います。
 ときは、8月29日(日)午後7時開演。
 場所は、瑞浪市日吉町7905-1
     中山道 細久手宿 大黒屋旅館さんです。

 演目は、宮澤賢治・作 「座敷童子(ざしきぼっこ)のはなし」
     さねとうあきら・作 「おこんじょうるり」     
     
 以上の2作品です。ひとり語りをスタートさせて15年目の今年初心に帰って、また新たな気持ちで、この初期から語ってきた2作品に挑もうと思っています。

 木戸銭は、 おとな 1500円 こども 500円 となっています。

 夏休みの終わりに、旧本陣の古いお屋敷だったところで、ひとり語りをご堪能ください。

{問い合わせ) 0572-69-2518 (大黒屋)又は、090-2687-9040 (向)まで。  

今朝私を目覚めさせてくれたものは・・・・・・

2010-07-22 09:31:45 | Weblog
 熱帯夜に寝苦しさを覚えた人も少なくないと思いますが、私は昨夜はじめて網戸を開けたまま眠りました。
 エアコンなどない我が家ですが、夜に庭から入ってくる風はエアコン並みです。どこもかしこもコンクリートにアスファルトという都会とは違うところです。

 それでも快適に眠れ、朝までぐっすりとはいきません。明け方近くに眼を覚まして、思わず冷蔵庫を開け冷たい水をひと口飲みました。が、それがいけなかった。かえって汗がドッと噴出し、ふたたび眠りにつくのにかなりの時間を要しました。
 そうしてようやく眠りについて一時間ほど経ったころ、枕元に何か迫り来る気配を感じて跳ね起きました。

 大きなムカデの襲来かと思いましたが、違いました。その突進してくる物体、色はすこぶるムカデに似ていなくもありませんが、横歩きで速度も速い。
 なんと私を今朝目覚めさせてくれたのは、一匹の沢蟹でした。

 いったいどこから入ってきたのか? そう、何年か前にも部屋の中に入ってきたことはありましたが、まさか寝床にまで現れて起こしてくれるとは思いませんでした。

 蟹を捕まえて庭に逃がし、そのついでに新聞を取りに行ってじっくり一面から読んで。
 それでもまだ7時前です。
 蟹のお陰で早起きできました。さあ、また今日も暑い1日になりそうです。熱中症に気をつけて頑張りましょう。

猛暑の日が続きます。

2010-07-21 21:35:23 | Weblog
 昨日は気温37度5分を記録した多治見市にいました。ああ、私の平熱より2度高い。
今日はさらに暑かったようですが、今日は一番暑い日中は御嵩町にいました。

 私が生まれた昭和35年の夏も、何十年ぶりの猛暑といわれた年だったそうで、云わば夏の申し子のような私なのですが、それにしても暑いです。

 おそらくその50年前にしても、37度代の日が連日続くということはなかったと思います。
 ああ、もう50年前ですか。私は今日でちょうど半世紀を生きたことになります。
 明日からの1日1日を反省期として大切にしていこうと思います。

 なんてね、3日坊主で終わらないように気を付けよっと!

8月8日は瑞浪へ

2010-07-19 11:25:54 | Weblog
 8月8日は、その前日とともに瑞浪市の七夕まつり。その2日目の日曜日の午後から、瑞浪の地域交流センターときわさんで、「いちかわあつき語りの世界」として、絵本・紙芝居・語りの講演を行います。
 詳しくは、ときわさんか瑞浪市の最寄の施設にチラシがあると思います。ああ、残念私の手元に今ありません。

 どんなことになるのかな? 多くの人と楽しいお話の時間を過ごせたらと思っています。
どうぞ、お越しになってくださいね。

取材ドライブ。

2010-07-17 14:44:10 | Weblog
 梅雨は明けたんでしょうか? 今日は途端に夏本番を思わせる暑さになりました。
 そんななか、今日は午前から午後にかけて、長野県木曽郡上松町にある、名勝寝覚ノ床へ行ってきました。

 先日記事に載せた、まつきなかじ・作「石の記憶」初演当時の部員の方を探していますというもの、やはりなかなかご連絡や情報頂けないのですが、とにかく来年の上演に向けて書かなければなりませんので、芝居の舞台となる寝覚ノ床の岩場近くの、その取材のためのドライブなんです。

 今日は夏休み直前(あるいはもう入ったのかな)の3連休の初日ということで、観光客の姿もちらりほらりと目にした寝覚ノ床でしたが(昔はもっとにぎわっていたのかな?)、私としてはこれまでに何回も来ているのに、下の岩場まで下りて行ったのは今日がはじめてでした。
 
 町営の無料駐車場に車を止めて、遊歩道を歩いて寝覚ノ床美術公園を通って岩場へいくコースをたどりました。11~2分くらい歩いたでしょうか? なだらかな坂を下りだんだんと岩場が目の前に近づいてくると、う~ん、なかなかの絶景です。

 私は本来あまり景勝地とかを観て、感嘆するとかいうタイプじゃないんですが(ひねくれてるのかな?)、芝居についての思い入れがある所為か、少しだけグッと来るものがありました。

 しばらくその岩場で鑑賞に耽り、こんどは坂を真上に上がって、浦島伝説の、浦島太郎の釣竿の遺品が保管してあるという臨川寺へ上がり、その竹製の釣竿を観ました。
 いや~どうなんでしょう。それが本物かどうかということより、この伝説がどうやってこの地に生まれたのかを知りたくなります。

 竜宮城から帰った浦島太郎は、変わり果てた海辺の故郷の村で玉手箱を開けたのではなくて、その後各地を放浪してから、この寝覚ノ床で玉手箱を開いたというのです。
 浦島堂というお堂も残っています。また一説には、この寝覚ノ床のある木曽川の深い淵も竜宮城へ繋がっているとか・・・・・・まあ、別次元であれば海でも川でも同じでしょうが、鯛やヒラメはいなくて、鮎やウグイの舞い踊りなんでしょうか(スイマセン無駄口叩きました)?

 一時間余その辺りを歩き回り、最後に創業三百余年という越前屋さんの、名物手打ちそば「寿命そば」というのを食べてきました。美味しかったです。そばとしては更科そばでしょうか、あまり黒くありませんでした。いやぁ、盛りそばの2枚というのは、結構な量でもありましたが、すっかりいただき、蕎麦湯も2杯飲んじゃいました(ダイエット中なのにね)。
 さてその「寿命そば」。長寿を全うした浦島太郎に因んでというのですが、なぜ長寿そばでも長命そばでもなくて、寿命そばなんでしょう? この地
で玉手箱を開いて寿命が尽きたからでしょうか。ちょっと考えてしまいました。

 とにかく、少し出費はしましたが、いい取材ドライブが出来て、いよいよ戯曲執筆のスタートラインに立てました。

 後は45年前の、お芝居に携わった方を探すことが残っています。今回は見切り発車せずに、なるべく出来る事はやりたいと思っています。