ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

晴れたり曇ったり・・・・・・。

2011-02-27 11:52:29 | Weblog
 3日ぶりの更新になってしまいました。

 天候は晴れたり曇ったり、雨が降ったり。また寒かったり暖かかったりと、日々の変化が慌ただしいこのごろです。

 インフルエンザもピークを過ぎたようですが、油断はいけません。鳥インフルの方もまだまだ終息しきったとはいえないようです。

 ニュージーランドの大地震で犠牲になられた方に心からご冥福をお祈りいたします。また被災された方に心からのお見舞いを申し上げます。

 今日未明から、飛騨地方でも地震が頻発しています。私の住むところでも明け方、しっかりとした揺れを感じる地震がありました。

 日ごろの危機管理、備えをしっかりして、万一の時に対応したいと思いますが、そのときにならないと解からないことも多々あると思います。
 とにかくパニックに陥らないように冷静な対応を心がけたいものです。

 

バックボーンの話

2011-02-24 14:51:19 | Weblog
 バックボーンとは、直訳すれば背骨のことですね。辞書を調べると、ほかには気骨とか、確固たる信念という意味にも使われると出ています。
 また、後ろ盾を得るというような時にもバックボーンは使われます。

 私は高校時代の恩師に「お前にはバックボーンがない」といわれ、ずっとそのことを胸にやってきたのですが・・・・・・。

 今半世紀を生きて、少しその意味合いについて解かりかけてきたかなと思っています。
 30数年前にそういわれたときは芝居について、お前の演技はその場その場でつながっていないという意味合いかと受け取っていました。または格好ばかりで気持ちが入っていないということかと考えたこともありました。

 ただ単純に、脊椎動物としての体をなしていない、つまり身体が出来ていないということも当てはまるんじゃないかとも考えました。

 そのほかにも様々な意味合いのことを考え、「バックボーン」を鍛えるためにはどうすればいいのかと試行錯誤(ちょっとオーバーかな?)をしてきました。

 今に至ってのひとつの答えは、「バックボーン」とは知識や経験値の積み重ねの中でしか築かれないものである、ということでしょうか。

 若くして不勉強だった私は、ただただ感覚的なものに頼ってしか行動が出来ていませんでした。まあ、今に至っても五十歩百歩の部分は否めませんが、それでも仮にも半世紀は生きてきたわけですから、読書量も人並み程度には重ね、凡庸ながら多少の経験値は積んできたわけです。

 幼少期、柔らかい骨を固めるために、栄養を補給し運動で身体を鍛えて、丈夫なバックボーンをつくろうとします。それと同時に、心にも栄養補給が行われて精神構造的バックボーンも養われていかなければいけないのです。
 今、硬く揺るぎないバックボーンがつくられたなら、そこに今度は柔軟な精神を重ねて、人生の仕上げの段階へ向かわなければいけません。が、そんなに一長一短には上手くいきません。

私のスター名鑑 ③ アラン・ドロン

2011-02-23 14:35:01 | Weblog
 私の手元に「MY ALAINDELON」―私のアラン・ドロン―(ホーチキ出版)という、昭和48年に発行されたアラン・ドロンの本があります。
 中学生のときに買った本です。

 この当時の私は本気で映画評論家になりたいと思っていて、映画雑誌「スクリーン」は毎月購読し、尊敬する映画評論家淀川長治さんのラジオ番組は毎週拝聴し、テレビで放映される洋画劇場や日本映画の番組は、ジャンルを問わずほとんどといっていいほど観ていました。

 アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」も、映画館ではなくゴールデン洋画劇場での放映で観たのが、最初だったと思います。
 最初はファンだからとかというよりも、むしろ評論家になるためにはしっかり作品を観て、その俳優さんなり作品のことをいっぱい知っていなきゃと、本気で思っていたみたいで、いろいろと情報を集め、ドロンの初期の作品が深夜放送で放映されると知ると、こっそり夜中に起きて、イヤホンを付けて観たものでした。
 その映画というのはアラン・ドロン映画出演3作目にして主演となる「お嬢さんお手やわらかに!」(ドロンの日本初公開作品)。

 それからいろいろな作品を観ました。イタリア映画の巨匠ルキノ・ビスコンティー監督も「若者のすべて」という映画でドロンがロッコを演じたのがきっかけで知ったのだと思います。ビスコンティーの映画には「山猫」にも出ていますね。

 アラン・ドロンという人は甘いマスクの二枚目スターとしてデビューしますが、なかなかに屈折した不遇の少年期を過ごしており、苦労人でもあります。
 翳りのあるいい男として日本でも大人気を博していくのすが、私も彼が演じる犯罪者ものは好きですね。
 名優ジャン・ギャバンと競演を果たす「シシリアン」の殺し屋など、目の奥に秘められた冷たさがいい。

 近年では「SMAPSMAP」のビストロスマップにゲスト出演するなどしているアラン・ドロン。今年の11月8日に76歳の誕生日を迎えます。

 女性関係も華やかだったドロンですが、今でもお盛んなんでしょうか? おじいさんになってもかっこいいですからね。あやかりたい! 

猫のサカリと、春の色めき。

2011-02-22 11:20:17 | Weblog
 スギ花粉の飛散の量の増え方が、春の訪れを感じさせるバロメーターでは、あまりにも趣がありませんよね。

 我が家の飼い猫テトですら、妙な鳴き声を発して鼻息を荒くしていいる今日この頃。春は着々と近づいています。
 しかし、最近ではなんでしょうか、メス猫の方が猫の世界でも積極的なんですかねえ。野良のメス猫なのか一匹我が家の庭へ入ってきて、誘っているようです。

 動物たちの発情期を、サカリがつくというようになったのは古いことなんでしょうか。
春の代名詞のようにも使われるサカリの時季なんですが、今や去勢・避妊手術が当たり前になって、並みの飼い猫では子孫が残せないようで、今に毛並みの良い血統証付のやつと、飼い猫を逃れた野良だけが子供を残すという極端なことになるんじゃないかな? これは考えすぎでしょうか?

 でも人間に当て嵌めて考えると怖いですよ。優生学的に子孫を残す方向が知らず知らずに進行されていくと、私なんかの部類は抹殺されてしまいそうです。
 まあ、そんなことにはならないでしょうがね。

 さて、水仙が咲き蝋梅が咲き、そうして梅桜と咲いてだんだん春も色めき立ちつつ、若葉の頃へと向かっていきます。

「色めく」とは、華やかに美しく色づくこと。また活気付くという意味合いがあります。
 そして艶めかしいということも・・・・・・。

 人もどんどん色づいて、恋の花を咲かせてください。ことに若い人。
 恋愛はどこからでも始まります。お見合いでも合同コンパでも何でもかまいません。出会いの場を広げて果敢にアタックして、失恋・失敗を恐れないで、その若さを謳歌してもらいたいと思います。

 少子化対策の一環として、「結婚」はいいものだといえる大人を増やすべきですね。
 触れ合う、愛し合う。これは人間の生きる原点です。

司馬遼太郎著「二十一世紀に生きる君たちへ」

2011-02-21 11:20:38 | Weblog
「菜の花忌」の2日後の2月14日に、ある学校でこの表題の司馬さんの文章を読まさせてもらいました。

 1989年に小学校の教科書用に書かれたものが、2001年に絵本となり、それを紹介させてもらったのですが、この文章を読みながら思うこと考えることがいっぱいありました。

 司馬遼太郎という人が考え望んだ21世紀というものとは、まだまだ程遠い21世紀をどうも私たちは生きているみたいです。
 確かに日々時代は変化し、すべてが悪い方向に向かっているとは必ずしも言いませんが・・・・・・。

 争いごとは身近にも、また世界的にも絶えないようです。身近にも世界的にも問題は山積みで、ひとつひとつ解決の方向を探っていかなければなりません。しかし、その優先順位というものが問題ではないのかと・・・・・・。

 何においても環境問題が優先されるべきではないでしょうか。地球という私たち人類、すべての生物の基盤が失われたら元もこうもないのですから。
 自然に寄り添うかたちでものごとが論じられれば、様々な問題の解決の糸口は見えてくるのではないのでしょうか?

 しかし、やっぱり人間は私利私欲がどうしても頭ひとつ出て、そこから抜け出せないのでしょうか?

 農業以外の業に対して、「虚業」という言い方をすることがあります。
 亡くなられた数学者の森毅先生は、農業従事者以外は寄生虫なのだとおっしゃられていました。
 それは決して生産者以外を貶めたり蔑んだりした表現ではありません。しかし、私をも含めて寄生虫であることの戒めを持って生きる。そして、大いなる自然に対して謙虚でなければならないということを、常に肝に銘じていなければいけないと思うのです。

衝動的読書と計画的読書。

2011-02-19 15:33:32 | Weblog
 これを読んだら次はあれを読もうと、あらかじめ計画的に決めて積んで置く本を読む計画的読書。その合間に、何かやっている拍子に何気なく手にとって読み始め、そのまま最後まで読み終えてしまうという、衝動的読書。

 私の読書にはこのふたつの読書の仕方が見受けられます。

 昨日衝動的読書の方で読み終えた本がありました。吉本ばなな著「体は全部知っている」(文芸春秋社刊)という、10年ほど前に刊行された短編小説集の単行本です。

 もしかして「キッチン」以来の彼女の本だったかもしれません。
 様々な女性が様々な出来事に遭遇し、そして彼女なりにポジティブな方向性を見出して終わるお話です。
 いっけんさらっとライトに読めますが、でも案外深いところがあります。そう、表題にあるように、「体は全部知っている」なんです。自然に身をゆだねた瞬間、問題に光が差し、解決の方向性が見えてくる。そんんことがどのお話からも読み取れて、ことに同性であるなら余計に共感できる短編集じゃないでしょうか。

 ちなみに私はタイトルと装丁に引かれてBOOKOFFで購入して、本棚に入れておいたのをストレッチをしているときに目にとまって、それでほぼいっきに読んだのでした。

鴎外を読む。

2011-02-17 09:07:53 | Weblog
 私が講師を務めている朗読の会の勉強会で、テキストとして森鴎外の「寒山拾得」を取り上げました。

 森鴎外の作品は結構国語の教科書に取り上げられていて、「高瀬舟」などはその定番でしょうか? 古くは「舞姫」などもあったとか・・・・・・。

 しかし、その文体から遠ざかってしまうと、たちまち読みづらいものになってしまうようです。

 日本近代文学の黎明期、文語体と口語体の両方の作品を持っている鴎外の口語体作品は私の持っている感覚では簡潔でとても読みやすい、あるいはわかりやすい文章だと考えていたのですが、どうもそうではなかったようです。
 無理もないことかもしれませんが、やや私の中の現実とのずれを思います。

 日常会話としての日本語と文章日本語、その中にも文学的文章とそうでないもの、多々ある中で日本語は成り立っていて、音読・朗読という行為は、話し言葉と書き言葉を繋ぐ架け橋だとすると、まだまだこの分野は確立されているとはいいがたい分野なのだと、あらためて思い知らされました。

 

重たい雪がふりましたね。

2011-02-15 16:51:11 | Weblog
 昨日の夕方から降り出した雪は、そのひとひらひとひらが大きかったこと。
 見る間に積もって、それがシャーベット状になって、道をぬかるませていきました。

 かわいそうなのは木々や植物で、葉を落とした裸木はいいのですが、竹や常緑樹は重たい雪にのしかかられてヘナヘナと傾き、今にも折れそうになってしまいました。

 我が家の庭の金木犀も左右に折れ曲がって、雪の重みにたえていました。

 今日は気温も上がって雪はかなりのペースで溶けましたが、我が家の勝手口は日陰なので、屋根から大量に落ちてきた雪がそのまま積もっています。

 家のやぐろに出るふきのとうはもう少し先になりそうです。

同人誌「おおきな木」12号

2011-02-12 14:44:26 | Weblog
 創刊から参加している地元の同人誌「おおきな木」の編集作業が、先週の日曜日にありました。

 20代から70代の同人のバラエティーに富んだ作品を楽しんでもらえるユニークな雑誌です。
 地元在住の作家吉村登先生の下、秋期に何度かの例会を設け、年明け早々を締め切りに年1回3月に刊行となります。

 古い作品ならホームページでもご覧になれます(最近は更新されていませんんが)。
 また中津川の図書館の郷土資料室に行けば、創刊からのバックナンバーが借りられます。

 どうぞご興味のある方はご一読ください。また、随時同人を募集いたしておりますのでお気軽にご連絡ください。

 同人誌「大きな木」事務局<市川>℡0573-66-6564迄

私のスター名鑑 ② アリダ・ヴァリ

2011-02-11 10:35:08 | Weblog
 前回は、アンソニー・クインを取り上げましたが、2回目となる今日はアリダ・ヴァリというイタリアの女優さんを取り上げたいと思います。一応日本語記ア行、アルファベットのAからというように始まっていますが、それはこれ以降保障されませんのであしからず。

 さて、イタリアを代表する女優といえばソフィア・ローレン。前に映画「ひまわり」でもちょっとふれましたが、世界的な女優として日本でも人気があり、私も大好きな女優さんです。
 が、イタリア女優で誰を№1にするかと問われれば、やはりアリダ・ヴァリと答えたくなってしまうのです。

 1921年に現在はクロアチア領になっているイタリアの地に生まれ、1935年にローマへ出て女優の勉強を始めます。が、ムッソリーニのファシスト政権下での映画出演を拒んで、戦前戦中には日の目を見ませんでした。

 彼女の映画出演暦の最初を飾るのはヒッチコック作品「パラダイン婦人の恋」。
 そしてあの名作「第三の男」に出演します。一応ハリウッドに進出して活躍するかに見えたんですが、彼女の英語はかなり訛りがひどかったようで、まあそれで、ソフィア・ローレンのようにオスカーを受賞するような華々しさはなかったのですが、その後ルキノ・ビスコンティー監督の「夏の嵐」に出演しその存在感を示します。

 そして私の一番のお勧め作品「かくも長き不在」に主演します。
 この作品は1961年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した作品で、戦争シーンのひとつもない反戦映画として評価の高い作品です。
 監督のアンリ・コルピはスイス出身のフランス映画の監督ですが多才な人で、もともとはアラン・レネ監督作品の編集技師としてヌーベルヴァーグを支えて人でした。その後も編集や音楽脚本の仕事に携わり、自らの長編映画は「かくも・・・・・・」を入れてたった2本だけ。あとはテレビでの仕事があるようですが、あの「かくも長き不在」という映画の素晴らしい出来からすれば、あまり映画を撮らなかったことはなんとも残念なことです。まあ、いろんな事情から撮れなかったかも解かりませんが・・・・・・。

 女優アリダ・ヴァリ、もし観たことがないという方がおありでしたら、ぜひ一度ご鑑賞ください。
 彼女は2006年の4月に84年の生涯を閉じています。
 ちなみに「かくも長き・・・・・・」の監督アンリ・コルピは、アリダ・ヴァリと生年没年がまったく一緒です。