ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

NHK朝の連続テレビ小説擁護論

2010-03-31 13:47:52 | Weblog
 3月27日(土)で、NHKの朝ドラ「ウェルかめ」が終わり、月曜から新しいドラマ「ゲゲゲの女房」が始まったのですが・・・・・・。

「ウェルかめ」は全編を通しての視聴率が最低だったそうで、そのことだけが話題として上っています。また「ゲゲゲの女房」の方も、これまでの初回最低視聴率の記録を持つ「どんと晴れ」の記録を塗り替えての低視聴率だったそうです。
 今時の人の動向を考慮して、総合テレビでの放送を午前8時からに変更しても、それはかえって裏目だったということでしょうか?

 視聴率の高低は取りざたされても、内容の良し悪しはあまり話題には上らないようで残念です。
 先週で終了した「ウェルかめ」も全編通して観ましたが、悪い内容ではなかったと思います。時々作者がなにがいいたいのか、創り手の思いがぜんぜん伝わらないで、内容的にも破綻して、観られたものでないドラマも時にありますが、そういうこともなく一本筋の通った展開を観せてくれたドラマだったと思います。

 今回始まった「ゲゲゲ・・・・・・」にしても、オーソドックスながらいい滑り出しなのではないかと思えますし、私たちの世代の、水木しげるマンガで育ってきた世代にとっては、時折登場する妖怪のアニメーションに、儲けたような気持ちにさせられるのですが・・・・・・。

「おしん」(バブル期前の放送でしたか?)という、朝ドラ至上最高の視聴率? を稼ぐようなお化けドラマはもう登場しないと思いますが、視聴率でどうのこうのいうのは、殊にNHKの番組ではあまり意味のないことに思えるのですが。

 視聴率という物差しで何かを計るよりも、朝のあの時間にドラマを観るという習慣も余裕も薄れて、朝ドラを観て1日がスタートするようなひとつの文化が崩れかけているということの本質をどう捉えるかのほうが大事なのかなと思います。

 いいもの、質の良いものを創っても、観られなければ仕方がないという意見がありますが、それならば中味がどうであれ視聴率のよいものを創ればいいというのでしょうか? ほんとうにそれでいいのでしょうか? 

 民放のドラマは高視聴率を上げるとその作品は映画化され、大きな商業ベースに乗っていくということが半ばパターかされつつあります。
 それを悪いというつもりはありませんが、しかし、それが内容の伴った質の良い作品かといえば、必ずしもそうはいえないのが現状です。
 では、いいもの質のよいものとは何かということになると思いますが、創世記にテレビに携わり、そうして映画でも演劇でもないテレビドラマというものを創り上げてきた先駆者の方々は、少なくともいいものを視聴者に提供しようと汗を流された人たちがたくさんおられたのではないでしょうか? 今現場で活躍しておられる現役の方々は、はたしてその先輩たちに胸の晴れるようなドラマを、創られているか疑問です。

 もちろん、その思いを引き継いだものがまったくないわけではありません。が、残念ながら長年テレビドラマというものを観てきたいち視聴者としては、嘆息を漏らさざるを得ないのが正直なところです。
 
 だからこそ、視聴率に左右されずに、いいものを創って世に送り出そうとされているスタッフ関係者、俳優のみなさんにはエールを送りたいのです。
 テレビも文化であり、ドラマも文化なのではないですか? 当然商業ベースに乗っからなければいけないのですが、だからといって安き低くきに流れてもいいとはいえないと思えるのですが、どうでしょうか?

 私はあくまでいち視聴者に過ぎませんが、40年近くテレビというものをちゃんと見てきたものだと思いますし、何よりドラマというものが好きな1人だと自負しているので、こんな記事を書いてしまったわけです。

春の雪

2010-03-30 21:24:31 | Weblog
 昨日は午後から、恵那市岩村町、明智町(大正村)を歩いて、雛人形を見て歩いたのですが、いやぁ~寒い寒い! 山には雪があり、冷たい風が吹き降ろしてきます。
 岩村町ではまだ陽射しがあり、何とか歩きも出来ましたが、明智町では公民館でおこなわれている土雛まつりを見ている間に雪が降り出し、もうアウトでした。

 土雛はなかなかのもので、中央には吊るし雛も飾られ、観覧無料でもって甘酒まで頂いて一時身体は暖まったのですが、外は雪降りとなり、強い風に煽られて一時吹雪状態でした。

 お雛様もおちおち見られず、とうとう帰りの道についてしまった次第でした。

 今日もまだ寒いですが、さっき(午後9時少し前)本町公園の桜並木前を車で通過すると、ライトアップされた桜の下で、宴会をやっている一団がひと組見えました。凄い!
 いや、それが若さか・・・・・・う~ん、どんな年代の人たちだったかは不明です。

晴耕雨読

2010-03-29 08:21:02 | Weblog
 いつもは晴読雨読に近いような日々? なのですが、昨日は一日野良仕事して、終日土にまみれました。

 といっても、この前も書いたように畑の中に埋まっていたおおきなU字溝を掘り起こしかけていたのを、昨日やっと掘り出し、その穴に堆肥、腐葉土などを埋めてようやっと土つくりをし、それから畑の中央部分を耕して、おそまきながらジャガイモの種芋を植え付けました。
 昨日は朝から一斉清掃で草むしりもしたので、一日中外仕事に勤しみ、今日はちょっと筋肉痛かな? けれどこのような普通の疲れというものはとても心地の良いものです。

 外仕事は、暖かくなるとあれもこれもとやりたくなるものですが、ディスクワークとバランスを捕りながら、やっていかなくては・・・・・・。

 そう芝居、語り、読み語りと、進行中のもの、また新年度に向けての準備、稽古もぬかりなくです、ハイ!

クリスマスローズの咲く庭

2010-03-27 12:26:51 | Weblog
 今朝は、町の郊外の高台にある知人宅を訪問しました。
 その東向きの日当りのいい庭には、クリスマスローズの花が今を盛りに咲いています。

 今朝はいちだんと冷え込み、氷の張るような氷点下の朝でしたが、そんな中でも花は可憐に咲きほこり、春の陽射しを嬉しげに浴びているように見える花々・・・・・・。

 そのかたわらにはショウジョウバカマ、スミレ、沈丁花も香っていました。
 そんな庭を眺められる縁側の部屋でお茶をいただき、しばしの時間の茶飲み話。
 安穏とながれていく、土曜の朝のひと時でした。

桜、咲きはじめましたよ。

2010-03-26 14:02:21 | Weblog
 今朝、4日ぶりに歩いて、本町公園のほうへ行きましたら、もう桜の花が開きだしているのです。
 それでも風は冷たくて、天気予報では冬型の気圧配置。やっぱり恵那山にはうっすら雪がかかっていて、花冷えです。
 それでも、これからお花見の人たちがだんだん公園に集まって、夜の寒さに震えながらも、宴会をするのでしょう。風邪を引かないように、しっかり防寒していってくださいね。

 去年はろくに花見もしないうちに、花の時期は終わってしまいましたが、今年は何処かへ素敵な一本桜を観に行きたいな。

 そうそう、去年も一度、花の終わりにとある場所へ一本桜を観に行きました。その時一緒にいた人はまだ伴侶に恵まれないでいたのですが、きっといい人が見つかるからって話していたんでしたっけ。
 それからトントン拍子に良縁を結び、秋には晴れて結婚して、もうすぐお母さんになろうとしています。
 この一年の早いこと。けれど、なんだかいろんなことがぎっしり詰まった一年でもあったような・・・・・・。
 
 桜咲く そのひとくぎり 年毎に 人も実りて花も咲きたり
                                   (青蜩庵) 

春の長雨

2010-03-26 00:21:22 | Weblog
 もくれんが咲いて、こぶしが咲いて、雨は今日で3日目、散りいそぐ梅の花びらを、小川の速い流れがさらって行きます。

 雲が途切れて、山の頂きが見えた午後、かすかにお山は白いような・・・・・・。
 ああ、傘をさしてのお出掛けは憂鬱です。ですが、行かねばなりません。止むのを待っていたのでは、いつのことやらわかりません。おうちの中でこそこそするのも飽きました。

 春分の日の日曜日、畑の土を起こしていたら、となりの家の小学生が軍手までして手伝いました。オクラの好きな少年です。きっとオクラの種を蒔くよと約束しました。
 そしたら大きな石が出てきて、掘っても掘っても大きいので、ずいぶん掘り進みましたが、そのうち疲れてやめまして、そしたらそれから雨に降られて、おそらく今はあの穴は、水溜りになっていることでしょう。見に行くずくもありません。

 明日はきっと晴れるので、そしたらその穴を、覗いてみようと思います。
 小学生は春休み、私は仕事に出かけます。ほんの少し遠いところへ出かけていって、話をしたり語ったり、言ったり聴いたりするのです。

 それにしても長い雨でした。冷たい春の雨でした。

春分の日を過ぎて・・・・・・。

2010-03-23 09:48:53 | Weblog
 強風に見舞われた先週末は、歓迎されない黄砂の渡来もうけ、春の嵐を感じさせる荒れ模様の土日でしたが、昨日の振り替え休日の一日は、やや穏やかな陽のそそぐ休日となりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」ということばがありますが、この頃においては「・・・・・・まで」なのか「・・・・・・から」なのか、それともそのどちらでもない単なる通過点となって、どうも春分秋分を基準点とした季節の変わり目が、かなり揺らいでいるようです。

 季節が揺らぐくらいですから、人の心も揺らぐ今日この頃。様々な情報、出来事に一喜一憂し、右往左往の毎日です。

 だからこそ敢て、泰然自若とおおように構えて、日々安穏な風体を自らに課して行きたいものと、へそ曲がりな私は思っているわけですが・・・・・・。

 なあに、とりたてて際立つもののない現代のデクノボーに過ぎないのかもしれません。

鈍才牛歩

2010-03-20 11:41:46 | Weblog
 今中津川駅前の正面展示スペースに、安江静二画伯の絵のミニレプリカが展示されてあります。

 私は安江静二画伯の絵が大好きです。いや、好きとかなんていう表現はぴったりきませんね。
 畏敬、尊崇をもって拝見するとでもいいましょうか。なんていうと、ちょっと宗教がかってきますでしょうか? とにかく画伯の作品、存在はすばらしい郷土の財産のひとつだと思っています。

「鈍才牛歩」は安江静二画集のタイトルにもなっている言葉。画伯ご自身の人生そのものを表された言葉ですが、とても共感させられる言葉です。
 私は画伯の晩年に、一度だけお目にかかっただけなのですが、その徳の高が、すぐさま私の心に伝わってくるような感覚をおぼえたことを、昨日のことのように思い出します。

 画伯の作品の多くは個人で所有されているものが多く、常に本物を拝見する機会はありません(中には公共施設に展示されてある作品もありますが)。

 ああ、美術館ほしいなぁ!! と、思ってしまう私です。そんな時は、画集を開きます。
 その絵の中には、今はもう感じられないふるさとの匂いや空気がたしかにあって、永劫の時を刻んでいるのです。

鳥の声が柔らかく響く朝

2010-03-19 10:23:33 | Weblog
 春の色を深めていく朝の時間を彩るのは、木々のみどりや花々だけではなくて、鳥たちの伸びやかな声もそのひとつに数えられるのではないでしょうか。

 裏の藪や繁みの中から、ウグイスの声も聞こえはじめてきましたが、まだ正確にホーホケキョッとは鳴いていません。
 それから今年は、こころなしかヒヨドリの数が多いように見受けられます。

 まだまだ朝方は寒いので、なかなか早起きして外へ出るということが出来ませんが、早朝の空に喧しく飛び交う鳥たちの声を聞くと、それはまさしく賢治の詩にあるような鳥たちの時間、鳥たちの世界がそこにあります。

 どうしたのだこの鳥の声は
 なんというたくさんの鳥だ
 鳥の学校へきたようだ
 雨のようだし湧いてるようだ
 居る居る鳥がいっぱいにいる
 なんという数だ鳴く鳴く鳴く・・・・・・

          (宮澤賢治)

朴の木が・・・・・・。

2010-03-18 10:28:32 | Weblog
 昨年我が家の屋ぐろに自生して、おおきな葉っぱを5枚ほども付けた朴の木の新芽が、何ものかによってもぎ取られているのを発見しました。実に悲しいです。

 おそらくタヌキとか、野生動物の類いが新芽を食べたのではないかな? とは思うのですが、その痕跡は無残にももぎ取られたというに、いちばん相応しい状態をあらわしていました。

 接木とか移植を試みてみても、なかなか根付かない朴葉です。自生してくれたことにとても喜んでいたのですが、もうダメなんでしょうか?