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くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

からふろ

2014年06月21日 22時52分02秒 | 奈良学

奈良・東大寺の転害門から西へ西へ、奈良市立一条高校の正門前を通り越し平城宮跡のすぐ手前に
大和三門跡に数えられる品格ある尼寺、法華寺があります。

 

もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。
光明皇后様は、藤原不比等(ふひら)公の三女で、皇族以外からの、初めての皇后様でした。
東大寺・正倉院の献物も大部分が光明皇后様によるものです。

光明皇后は、社会福祉の先駆者としても有名なお方で、施薬院(せやくいん=今の病院) 
悲田院(ひでいん=貧窮者や孤児のための施設)などを設置されました。

千二百年以上昔の天平時代には疫病の天然痘が大流行して多くの人が亡くなったり不安に陥ったりと
大変な世の中だったようで、藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が相次いで死去したのもこれが
原因だとされていますし、こうして政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った
こともあって東大寺造営のきっかけの一つがこの天然痘流行であるとも言われています。

そんなこともあってこの法華寺には浴室(からふろ=スチームサウナ形式)が建てられ、千人の衆生の
垢を流されたというお話が伝わっています。

明日6月22日にはこのからふろの施浴体験会 が開かれることになっています。

上の写真、左側が正式な門南大門であるのですが門跡寺院(皇族・貴族が住職を務める特定の寺院)
であるが故に普段は鐘楼堂横の通用門(勝手口)からの出入りとなっています。

                                  

通用門を入ってすぐ左に見えるのが鐘楼堂。    その先池の奥に護摩堂

 

と続き本堂へ。



本尊様は、白檀の一本木から作られた国宝の十一面観音様(撮影禁止)です。
光明皇后様が蓮池を歩かれた姿を写したと言い伝えられ、蓮の花と葉を交互にされた光背や、右足の
少し浮いた遊び足は、他の仏様には、あまり見られない、特徴と言われています。
手(腕)も長く、単に下にさげている右手は膝よりまだ下まで伸びていて、少しでも多くの人の心を助け
られるようにと表現されて居ます。

説明のCDが15分25秒流れるので仏像や厨子などの説明がバッチリ聞けます。

本堂を出て左隣に名勝庭園へと向かえる門があります。
奥には客殿があって、その周りは京都御所から移された杜若(カキツバタ)や松、石などが美しく配置
されているそうです。  が、一般には入れません。

次の建物が扁額にも『浴室』(右書き)と書かれたがからふろあります。

 

明日にはこのすぐ右横(東側)にある井戸から水が汲まれ沸かされ(スチーム)浴室になります。