くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

上巳の節供

2014年03月03日 23時07分00秒 | ひとりごと

今日は雛祭りで桃の節句とも言われる日で、ブログなどを巡ってみても雛飾りやちらしずしなど
関連の話題や映像を見ました。

JR京都駅ビルの中でも階段を利用して大きな雛壇が表れていたようです。

雛人形の歴史を見ると、雛祭りは、もともと古代中国において三月の最初の日に、災いを祓う
行事が起源と考えられていたようです。

日本にはには七世紀頃に伝わり、平安時代にはお祝いとして宮廷の年中行事となり、定着され
たのですが、600年ほど前の室町時代や安土桃山時代までは祝い事と言うよりも中国伝来の
無病息災を願う御祓いスタイルとして伝えられ、江戸時代になって寛永6年(1629年)、京都
御所で盛大な雛祭が催されたのが今に伝わる形となり、大奥・上流階級・庶民へと降りて来た
ようです。

陰陽師(おんみょうじ、占師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食べ物を供え、 また人形
(ひとがた)に自分の災厄を託して海や川に流すという形式が紫式部の『源氏物語』や、清少納
言の『枕草紙』にも見られたとか。

江戸時代中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃんの誕生を祝う初節句の風習も生れ
て、 ひな祭はますます盛んとなって広まったようです。

それでも幕府がたびたび奢侈の禁令を出し、雛道具 も寸法を厳しく制限すると、それを逆手に
とり芥子粒に例えられるほど小さな「芥子雛」や極小の雛道具類が生まれたという記述もあり
ます。
それでも名古屋市にある徳川美術館で毎年飾られるものなどは細かい細工が施され、高価な
生地や装飾品と嫁入り道具のミニチュアなど見るとかなり豪華なものでした。

上巳の節句が三月三日に定まったのは、我国では室町時代(約600年前)頃のこととと思わ
れ、明治に入って新政府が従来の節句行事を廃止して新しい祝祭日を定たものの長い間
人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、やがてまた復活したようです。

平安時代始まった寛永雛・元禄雛・享保雛・芥子雛・古今雛・明治雛・大正雛.昭和雛・平成雛
と流れを経て受け継がれていますね。

大きくは関東雛(向かって左にお殿様が座っているもの)と京雛(右にお殿様が座っているもの)
との違いがありますが、大正天皇からは関東雛の配置が一般的になっているようです。

各地で2万3万というように何万体もの雛人形を集めたイベントが開催されたり、町屋で飾りを
展示したりと地区ごとに開放したりして振興の一端を担っているところも多いですね。

でも男で食い意地だけの楽しみとしては

 

どうしてもコッチに目が行ってしまいました。