くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

ならまちテクテク 4

2013年10月03日 21時46分20秒 | 奈良学

台風の影響ですかねぇ?  ドンヨリ証拠 (?)って空でした。
式年遷宮、無事厳かに執り行われましたね。

いつまで散歩しとんねん!! なぁーんて言う人は決して見に来ないロクでもないブログですよってに
もーチョイ引っ張ったろと思うてます。

ならまち格子の家
昨日の砂糖傳増尾商店さんから南へ40歩も歩くかどうかのところに公益社団法人 奈良市観光協会
サンが「昔の奈良の町家の生活様式に直接ふれていただき、町民の暮らしぶりをうかがえる施設」
として無料で公開されているスポットです。

月日の彫刻 かまど 箱階段 火鉢

竃(かまど)箱階段関西火鉢(縁付き火鉢)箱箪笥(箱組箪笥)などは町屋の保存地域でしか
見られなくなった日本の文化ですよね。

格子の灯りが書院風 2階(厨子二階〈つしにかい〉) 吹き抜け 丁稚部屋

町屋の二階は厨子(つし)と呼ばれる部屋が多い。
大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として
造り、使うことが許可されていた部屋です。
虫籠窓(むしこまど) 漆喰で仕上げた虫籠のような格子の窓が二階には一般的です。
竃(かまど)の煙が屋内に籠り難いようにたいていは大屋根まで吹き抜け状になっていて
屋根の上に小屋根(換気用)が設けられている家もあります。

床の間 中庭(通り庭) 蔵 お松明(お水取り=二月堂)

床の間があって庭があってとなると簡単な書院のような作りです。
ような と言うのは他に違い棚とかが無いと書院造りとは言えないからです。

蔵があって竃の前の通り庭(通風路)には東大寺二月堂での修二会(お水取り)のお松明
(たいまつ)となると、並みの町人の家ではなく商人さんの本宅かお役人ぐらい(?)、
ひょっとしたら大手の部長クラス以上の高所得者の住まいを復元したのでしょうね。

もう少し北へ戻って元興寺郵便局を越えると古本屋さんがありました。

格子越しに覗き見すると中庭までずぅーっと拝見できました。ここも立派なお宅です。
所詮、僕のような庶民の住まえる場所ではありません。
僕なんぞはボロ長屋住まいがピッタリだし、「かえって落ち着くかもなぁ」なんて思っていたら

そうそう! こんな感じ。 土壁が崩れそうになって大家さんに文句を言ったら板塀を打ち付けて
家賃を上げられて奥さんに「余計なことを・・・」と睨まれて。
それも数年を経たらボロボロで、「お前さん、建築の仕事をしてるんだろ? なんとかおし!!」
なんて言われてるんだろなぁ。  でもなんで空想の世界の嫁さん 関東弁なんだろ?

そんなバカげた空想をしていると、道が斜めに三叉路になっていたのでやや左へとる。
狭い路地の突き当りにこれまた鮮やかな紫色の暖簾(のれん)にぶつかる。

おスギスイーツカフェ ですと。
うーん、カフェモカを飲んでいなければ入りたいところなんだけど、また次の機会にと
涙を呑む

右方向を見てみたけれど暖簾も看板も特に見当たらないのでUターンしてもう少し北、
なんせ元興寺近くにを止めてあるのでボチボチそちらへ戻るつもりで。
右の写真をクリックして拡大していただくと 西新屋町の町名の下のコマーシャル
あの森下仁丹サンが歯磨きを出しておられたとはこの歳になるまで知りませんでした。
今じゃ乳酸菌健康食品シェアNo.1の企業ですもんね。

元興寺は現在はかなり小さくなっていますが平城京に都が移されて、当時の飛鳥寺がこちらへ
移設されて名称が変わったころ、いわゆる奈良時代にはかなり大きなお寺だったようです。

どこの史跡もそうですが、石碑だけ立っていると ホント? と思ってしまいますよね?


はい、今日はここまで。
もう一日だけ引っ張り込みます。

元フジテレビアナウンサーで現在フリーの高島彩サン、元TBSアナウンサーでフリーアナウンサーの
青木裕子サン ご懐妊おめでとうございます。