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くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

桂昌院ゆかりの寺

2013年04月24日 21時50分28秒 | ソウダKyotoへ

一日中雨の一日でした。
量的にはそんなに激しいと言うことも無く、ずっと降りしきると言うのでもありませんが
霧のような時もありサァーッと降ることもありました。

京都市西京区大原野小塩町というと「えっ?ここも京都市?」と思うくらいの位置、
長岡京市から西へ山を登ったところ、山を越えれば大阪府高槻市となる場所。

竹の林をグングン登って行ったところに西国三十三観音霊場 第二十番 札所
西山宮門跡 善峯寺(善峰寺)がある。

山門をくぐるとこの時期はまず石楠花(しゃくなげ)が迎えてくれる。
             

春先は枝垂れ桜から始まって石楠花・牡丹・躑躅(ツツジ)・芍薬(芍薬)と順番に咲く。
躑躅を除けば美人の立ち姿・座姿・歩く姿と例えられる花が咲く。
夏もサツキ・紫陽花(アジサイ)・百日紅(サルスベリ)・高砂百合(タカサゴユリ)と続き
秋は秋明菊と紅葉、冬は南天と山茶花(サザンカ)に雪景色と一年中楽しめる花の寺。

ちょうど今は桜が終わり紅葉の若葉や花しかなく訪れる人も少ないので、境内の改修を
されています。
   

日本一の松があると聞いてどんなに立派な物かと高さ・大きさを想像して見ると・・・

           

なんとなんと横に長~~~い!  遊龍の松 と言うらしい。

ここは江戸時代の五代将軍綱吉の母であられた桂昌院ゆかりの寺。
幼少のころから母と共に善峯寺にご奉仕され、将軍の母となられてからは
数々の美・芸術価値の高い品をご寄進された。

春と秋に観音堂(本堂)の南横に建つ「寺宝館・文殊堂」にて特別展を
開催している。

五代将軍綱吉やその母・桂昌院は「生類憐れみの令」を代表として
悪政の代表のように言われているが、お寺の説明によると全く違うという。

晴れ渡った日なら京都盆地も一望できるのであろうが、小雨に煙る空模様では
視界が白く遮られて眺めと言うような景色ではありませんでした。

               


「平成25年度 京都春季非公開文化財特別公開」

2013年04月11日 23時03分21秒 | ソウダKyotoへ

今年の春季は4月26日(金)より5月6日(月・休)まで(社寺により異る)19社寺の開催で、
文化財愛護の普及啓発事業として昭和40年から春・秋の年2回として始まったイベントだそうです。

   

文化財を公開することにより、市民あるいは広く国民的な活用に資し、且つそれに基づいて
文化財愛護の関心を高めるという趣旨なのだそうですが、地元市民の方々は我々奈良県民が
「いつでも行ける」感覚でなかなか近場のことを知らないのと同じようなもので、逆にタマにしか
行けない距離に居る人の方が興味を持っていることの方が多いのだろうと思います。

去年11月2日~11日に開催された【秋季非公開文化財特別公開】にはなんとか滑りこんで
21カ寺中8ヵ所を拝観させて頂きました。
今回はちょうど世間様のゴールデンウィークとぴったり同じ期間になるので、前半と後半の休祝日に
拝観するのはよほど3ヵ所ぐらいに絞らないと、拝観するにも交通機関の混雑にも無理そうです。

主催は公益財団法人 京都古文化保存協会と公開社寺で、協会に登録した京都の同志社や
立命館、京都女子などと言った大学の学生がボランティアガイドとして説明や案内をして、
観光や拝観に来られたお客様に対応してくれます。

後援として京都市、特別協力として朝日新聞社がバックアップされていて
右のアクセスマップはクリックするとPDFページに飛びます。

また今回の19社寺は下の画像をクリックすると朝日新聞デジタルの
              
各社寺と特別公開の紹介ページが新たなページで表示されます。

遠方で「そんなもん、行けまっかいな!(何で大阪弁?)」と思う方でも
「ふ~~~ん」ぐらいには思っていただけるかも?  かなぁ。

出来れば30日~2日までの平日に1日、行ってみたいと目論んで
いるのですけどね。

 

学生時代の友人とメールで連絡を取っていたら・・・
いつもメールに一つ楽しい画像を付けて来るのが居て今回も付いてました。

     

たぶん 彦にゃんカレー やね?


丸 竹 夷 二 押 御池

2012年11月19日 22時38分08秒 | ソウダKyotoへ

京都市内の通りは本当によく出来た統治国家やと思います。

 
 丸 竹 夷 二 押 御池
  (まる たけ えべす に おし おいけ)
 姉 三 六角 蛸 錦
  (あね さん ろっかく たこ にしき)
 四 綾 仏 高 松 万 五条
  (し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう)

 雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
  (せきだ ちゃらちゃら うおのたな)
 六条 三哲 とおりすぎ
  (ろくじょう さんてつ とおりすぎ)
 七条 こえれば 八 九条
  (ひっちょう こえれば はつ くじょう)
 十条 東寺で とどめさす
  (じゅうじょう とうじで とどめさす)

 

 
おっと今回はその東の端の寺町通りよりもう一本東の通り、北は三条通から南は四条通までの
どちらも行き止まりの短い通り、新京極通りの話でした。
中京区新京極六角下る中筋町まで上がって来て、距離から
言えば終点の三条の通りが見えても可笑しくないのに建物に
阻まれて見えない。
実は思いっきりずれているのだ。 北東向きに。

その右角で左向けー左する場所にこの通りの最後の寺

 浄土宗西山深草派総本山誓願寺だ。
 天智天皇6年(667年)、天皇の勅願に
 より奈良に創建。
 平安遷都後、円空が深草(伏見区)に
 建てて布教した。

説教から発達した講談、落語、漫才などの芸人の成就を祈願する寺として知られている。また、落語発祥の寺とも言われている。
今でも関西地方の芸人たちがこの寺で練習会を営んでいるそうだ。

           

新西国十五番札所のこの寺の前まで来ると三条通りまでが見渡せます。

見渡せると言えば今朝

国際宇宙ステーションで四ヵ月もの長きを暮らし、数々の成果を上げた星出彰彦さんが無事に
ロシアのソユーズ宇宙船で帰還して来られました。

   

右端の画像クリックで ●11月19日(月) 10時00分頃~第2部 『ソユーズ宇宙船』着陸
見れます。(無料視聴登録が必要です。 有料会員になる必要はありません。)

ずぅ~~~っと一番下の方に画面があって右のような画像から始まります。
画面下の音量の右のSWをクリックしてコメントを非表示にして見ることを
お薦めします。

 

   日曜の朝の我が家は 宇宙兄弟で始まります。


新京極散歩

2012年11月18日 21時22分58秒 | ソウダKyotoへ

昨日、ちょっと寄り道をしましたが    また京都に戻ります。


一昨日は四条から上がって東側町にある善長寺まで行きました。

そこからほどなく行ったところに浄土宗西山禅林寺派 八葉山 安養寺があります。

本尊は阿弥陀如来立像で、八枚の蓮華を逆さに置いた上に立っているのが特徴で、
このことから倒蓮華寺(さかれんげじ)と呼ばれ無病息災、家運隆盛、祈願成就など
の信仰があります。 洛陽六阿弥陀めぐり第5番で実は昨日音楽会が開かれた
すぐ傍の大和国・當麻(たいま)に恵心僧都が建立した華台院を始まりとすると
いわれています。
1110年頃、証空法弟・隆暹(りゅうせん)が京都樋口(下京区)に移し東山流念仏義を唱えた。
後に、四条西洞院に移ったものの1580年頃、豊臣秀吉の都市改造に伴い現在地に移された。

平安時代後期、旅の老僧が一夜の宿に安養寺を訪れて僧は夜を通して造仏した。
翌朝、僧の姿はなく阿弥陀如来像が置かれていたので安養尼は仏師に蓮華の台座を作らせた。だが、仏像を置く度に台座にひびが入ったそうです。 安養尼が春日権現に祈ると件の老僧が現れた。僧は、仏が女人往生の証拠仏であり、八葉の「さかれんげ」を台座にするように告げた。その通りの台座を作り直すと仏像を安置することができたという。

京都の多くのお寺は豊臣秀吉によって元在った地からかなり違う場所に移転させられたようですね。

それからまた上がって行くと蛸薬師があります。京都十二薬師の第18番
正式な名前を「浄瑠璃山 林秀院 永福寺」と言い、こちらも元は二条室町にありました。
寺院と生ものの生物である蛸がどう関係しているか?
建長(1249~1256年)の初めの頃にこの寺に住んでいた善光と言う僧。
その母が病にかかり「子供の頃よく食べていた蛸を食べると治るかも知れない」と言うので
僧侶の身ながら買い求め、それを咎めようとした民に「見せろ!」と迫られて箱を開けると
蛸はたちまち薬師如来さまのご加護により八足を変じて八軸の経巻となり霊光を四方に
照らしたという話が伝わっています。

まあ、不思議な話があるものだと感心しながらまたちょいと上がったら、これまたすぐに
浄土宗西山深草派 北亀山 西光寺(寅薬師)が三軒先の細く狭い路地に。
こんなに間口の狭いお寺?と疑いながらずーっと奥に入って行くと、左側に普通の建物。
四枚引きのガラス障子を開けると正面にご本尊の阿弥陀如来さま。
ん?寅薬師って? と思うと入って右側に弘法大師が一刀三礼し刻んだものと言われる
薬師如来が鎮座し、寅の日の寅の刻に完成した事から、その名がついたという。

寅薬師は京都十二薬師の第11番で、近世の名薬師の一つに数えられた。
寅年生まれの守護佛としてだけでなく、広く開運繁栄、無病息災などの諸願成就の霊験あらたかである。堂内には別に安産守護の腹帯地蔵尊像も安置されており、腹帯を授与している。この地蔵尊も近世の京都名地蔵二十一地蔵(?)の一つに数えられ、洛陽四十八願所の第34番でもある。

長くなりますが冒頭の地図にもう一カ寺あるので今しばらくおつきあいを。

ここも入り口は3mほどの狭い処、真言宗泉涌寺派 華岳山 誠心院
今は”せいしんいん”と呼ばれますが、 かつては”じょうしんいん”と呼ばれて
いました。(昭和37年までの資料では”じょうしんいん”)
寺伝によれば、関白藤原道長が、女(むすめ)の上東門院(藤原彰子(しょうし))に
仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の
起こりといわれていて通称和泉式部(いずみしきぶ)の名で知られています。

         

和泉式部は、平安時代の代表的な女流歌人で、才色兼備で知られ、代々の勅撰集におさめられている
和歌は247首に及んでいるんですねぇ。
本堂は小御堂(こみどう)と呼ばれ、道内には、本尊阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置している。  境内には、式部の墓と伝える宝篋印塔及び式部の歌碑が建てられている。また、傍らの梅の木は、式部が生前愛木した「軒端(のきば)の梅」に因んで、後に植えられたものである。

さあてここまてで中京区新京極六角下る中筋町までやってきました。
新京極の南、四条通から約2/3のあたりとなりました。

もう1/3ほどまたおつきあいください。


ライブに乗じて

2012年11月16日 23時44分57秒 | ソウダKyotoへ

昨日は京都・下京区寺町通四条下るで、高島屋と藤井大丸の間のビルの地下にある、17年を迎える
ライブハウスの老舗と言われる『都雅都雅』でのライブに照準を合わせて、仕事は午前中で帳尻合わせ
昼から上洛しました。

気分は新京極 お 散策。  
通りは寺町京極の方が好きなんだけれど(広いから)今日は狭い方
似合う気がして。
大阪で言うと寺町は心斎橋、新京極は戎橋商店街って感じかなぁ。
寺町京極も新京極も北は三条通りから南は四条まで。
寺町通りは無理やり斜めに北に進めば繋がってはいるけれど、他の御幸通り・麩屋町通り・富小路などは
御池通りから五条通までまっすぐなのに新京極は南北とも行き止まり
なんか自分の人生と似合ってるような気がするのかも知れない。

平日と言うことで観光客よりは修学旅行生が多く、制服姿で数人が連れだって歩いて
いる姿も微笑ましい。
それでも男は男・女は女の集団で、自分達の修学旅行は九州で京都ではなかったけれど
男も女も入り混じって複数のカップルで和気藹々と回ったのになぁーと懐かしむ。
そりゃそうだ、彼女彼氏とは言わなくても気の合った者たちが居なかったりした人は
やっぱり男は男・女は女の集団だったのだろうなと今頃になって気付く。

京都駅から地下鉄で四条烏丸まで行って三井ビルのエスカレーターで地上へ。
空は薄曇りだったが小雨が舞っていたので錦小路から錦市場へ抜ける予定を
断念してアーケードの下を立売中之町・立売東町・奈良物町と東へ進み
新京極交番を左に曲がるルートを進む。
この新京極通りは商店街だけでなくお寺が数多く有るのも京都らしいところだ。

マップ上にマークはお寺(一つは神社)で、どうでもいいことだけど京土産の代表である生八つ橋を
置いている店にが、こんなに沢山あることを示す意味で勝手につけてみた。

交番から北へ上がるとすぐに染殿院がある。
地元では「そめどのさん」と、親しまれている「安産祈願」のお地蔵さんがいらっしゃいます。
細い細い路地(京言葉ではロォージと言う)をずっと奥へ行くと本堂があるのだが
中へ入って行かないと全く気付かないお寺だ。
この辺り一帯は当時の権力者、藤原良房の屋敷地であったため、世間では良房の邸宅を
「染殿」と称していたことから、その名が付いたと言われています。

また新京極通りら戻ってきて北へ上がると京の台所・錦商店街を左手に見て右側に
錦天満宮があります。
こちらは以前にもブログで紹介したこともあるので今回は割愛させてもらって と。

そこからまた上がって(京では北進=上がる、南進=下る と言う)すぐのところに
徳川家康上洛の折りの定宿であったと言われる善長寺があります。
子供の痘瘡(天然痘)・湿疹の平癒のご利益があるとされ、「瘡神さん(くさがみさん)」と
称されて信仰を集めています。

ちょうど地図が途切れたので続きはまた明日にでも


後白河法皇と言えば

2012年11月13日 14時16分53秒 | ソウダKyotoへ

NHKの今年の大河『平清盛』では松田翔太が演じていて、とうとう鳥羽離宮に幽閉されてしまいましたね。
次は正式には「法華長講彌陀三昧堂」と称し、後白河法皇の持仏堂として開基された寺院で
長講堂(ちょうこうどう)と言うところ。

廣誠院を出て京都市役所前から三条、四条、五条と河原町を下り5つ目の河原町正面と言う六条に
相当するバス停で降りてマップを見ながら歩いたものの、4時の受付終了時刻が刻々と迫るのに
なかなか目的の長講堂に着かない。 どうもマップの表現がおかしい。

鞄からタブレットを取り出してグーグルマップを開いてみると やっぱり位置が違う
ダメ元で慌てて来過ぎた道を引き返して斜めに行くと  あった。

受付のお姉さんに「間に合います?」と尋ねたら笑顔で通してくれました。
ほぼ同時にもう一組、カップルが入って来られて、たぶん僕らが滑り込み
セーフの観光客だろう。

門の正面奥に見えるのが本堂で、法皇が常に礼拝していたという「阿弥陀三尊像」が祀られています。
ここも左右に脇侍いらっしゃる観音菩薩・勢至菩薩がすぐに衆生救済に立てるような姿勢で鎮座されています。

その左側に在るのが書院で「後白河法皇御真影」の複写が掲げられていました。
それが何となく松田翔太演じる後白河法皇に似ているように見えました。

実物の御真影は50年に一度、宮内庁の勅使立ち会いのものに開扉されるそうです。
前回は平成3年だったので、次回は53年です。

御影殿と呼ばれる建物には、後白河法皇の像が祀られています。
右の画像の門の奥にあります。
この像は、後白河法皇御真影をもとに明暦4年(1658年)に仏師の康智が
作ったものだそうです。

ボランティアガイドさん達皆さんが、最後になった僕達3人に丁寧に説明して
受付のテーブルも片付け終わっていたのに「ようお参りぃ~」と送り出して
くれました。 

これで8カ所を巡って時間切れ。 入場料も800円×8か所で 6400円 これは効きますねぇ。
バス乗車7回で 1540円と地下鉄250円は「京都観光1日乗車券」で、昼のおにぎりとお茶を
差し引いてもオツリがあったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ココ

 

 

京都駅から奈良へ向かう近鉄特急に乗りこんでゲームオーバー。
今日京都に到着してから歩いた歩数は平日の約倍の一万六千歩越え
とっても充実した一日を(お客様の変更のお蔭で)送ることが出来ました。

 

 

暦に載りにくい面白こよみ 十一月十四日 (普通の暦は すーサンのブログの文末にてご覧ください)

いい樹脂の日
中部日本プラスチック製品工業会が制定。
「いい(11)じゅし(14)」の語呂合せ。

アンチエイジングの日
NPO法人アンチエイジングネットワークが制定。
「いい(11)とし(14)」の語呂合せ。


幕末・長州藩邸跡地の贅

2012年11月12日 21時09分31秒 | ソウダKyotoへ

廬山寺を出た頃には時刻も14時半を過ぎ、京都府立医大病院前バス停から河原町通りを3つ
京都市役所前の停留所はこの方面からだと市役所の真東。
そこから鴨川に向いて行くと鴨川から江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、
京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河高瀬川がある。

幕末・長州藩邸跡地の一部、その二条木屋町の高瀬川の基点、一之船入の南側で水を取り入れて
庭園の池とする雄大な伊集院兼常の邸宅が建てられたとするのは明治25年頃だと言う。
その後持ち主が何回か変わり昭和29年に満正の院号をとって宗教法人廣誠院(山号は保水山)に
改組、臨済宗の単立寺院として現在にいたっている。

今回の京都非公開文化財特別公開の中で元来は寺院でなかった場所は、
残念ながら5日で公開を打ち切った冷泉家とここ廣誠院ではないかと思います。
あ、北野天満宮もありました。

数寄屋造りの書院や茶室、素材や組み合わせなど随所に意匠を凝らした
様々な仕掛けが見てとれる。

滅多に公開されることの無い秘仏や秘宝を見て回るのも主催者側の今回のテーマであり、
目的のひとつであったと思う。
もちろんそれは理解してここまで見てきた6件で目を皿にして、老眼初期の目を細めれるだけ
細めてきた。

社寺仏閣という枠にこだわらなければ僕はここが一番のお気に入りの場所となった。

自分チの家の庭を横っちょの川から水を引き込み、その造形の一部として利用し、汚すことなく
元の川へ返す。
その造形に沿って庭の通路を作り橋を架け、茶室をその池の上に建てて居間とつなげる。
池の中に沈めた石を礎に細い束を建て・・・  もう たまりまセヴン

ここのこの時の説明担当の女学生はもう唾液も切れたようなヘタなしゃべり方だったけれど゜
言わなきゃイカンことはシッカリ告げてくれました。

とても気分よくここでリタイヤして帰ろうかと思った3時35分。
受付終了までまだ25分あるやんか・・・   
もう京都市役所前の停留所から京都駅行きのバスに乗っていました。

それが駅へ戻る為でなく、次の目的地へ向かおうとしていたことは言うまでもありません。

まだまだ引っ張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暦に載りにくい面白こよみ 十一月十三日 (普通の暦は すーサンのブログの文末にてご覧ください)
いいひざの日
ゼリア新薬が制定。
「いい(11)ひざ(13)」の語呂合せ。



北大路を一気に東(第4弾!5・6ヵ所目)

2012年11月11日 21時35分22秒 | ソウダKyotoへ

またまた京都非公開文化財特別公開 2012 秋季 の続きです。
今日ははりきって午前中に第3弾をUPする異例の日記。
(2日前の9日にも2題/日UPしたところだが・・・)

お昼前に第3弾!3・4ヵ所目の真珠庵聚光院を済ませたら、4時の受け付け終了まで幾つ
周れるかが自分への挑戦のような気がして来て、昼飯なんぞ悠長に喰らっている場合では
無い気になるから、この腹減らしの大喰らいが如何に真剣だったかが窺がえますやろ? 


 大徳寺前から北大路を一気に東へ鴨川を渡り
 洛北高校から下鴨神社、もう一度鴨川を渡り
 河原町通りを南下して今出川を越えて
 京都御所の東、
府立医大まで。

 バス停にすると13個目までひた走り。
 (走ったのはバスだけど)
 の冷泉家にも寄りたかったのが5日まででした。

 北大路バスターミナルは5路線往復の10方面に
 向かうバスとバス車庫の入り乱れるところ。
 暗いビルの下、格納庫みたいなところをすり抜ける
 のは鉄ちゃんなのにワクワクする。

 糺の森 なんて読める人どのくらい居るのだろう?と
 クイズ番組を思い浮かべたり(Tadasunomori)

そんなうちに府立医大の建物が河原町通りの両側に見えたところでバスを降り、マップでは徒歩
5分で御所の塀まで行って北に沿って上がる経路になっているが東側の東門薬医門)から
大殿裏の長い壁巻くように西へ回って清浄華院(しょうじょうけいん)に入る。

東門(薬医門)  表玄関 総門  

浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所という願いを込めて名付けられた
浄土宗八総大本山の1つ、京都四箇本山の一つで法然上人25霊場の23番霊場。

法然上人をお祀りする大殿(御影堂)で寺の縁起や今回の非公開文化財などの説明があり
平安時代の阿弥陀さん大方丈阿弥陀三尊像を拝みます。
両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩像は、「大和座り」と呼ばれる珍しい座り方をしています。
正座のように足を曲げる様子は、実は踵(かかと)を立てた座り方で、いつでもサッと立てるように
われわれ衆生をお迎えに来てくれている様子を表しています。
大殿と大方丈で重要文化財『泣不動縁起』絵巻の展示やレプリカでの説明がありました。

西の表玄関 総門を出て少し南へ行ったところが 天台圓浄宗 大本山廬山寺(ろざんじ)
正式には盧山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)という。

    

比叡山延暦寺の中興の祖として名高い元三大師、その深い学識や政治的手腕、人並み外れた
霊感などから鬼大師・角大師といった異名で知られ、大師堂本尊である良源像の御前立として
祀られる。

紫式部は、廬山寺の境内に住んでおり、「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などは、ほとんど
この地で執筆されたものと伝わる。
庭だけは撮影を許されて何枚も撮りましたが、源氏物語絵巻風に植栽が施され、右端の画像の
右奥隅の門を開けてみる景色は苔の部分が雲のようで一段と美しいそうです。

寺を出て河原町通りに出た頃にはさすがに腹減りもピーク 京都府立医大病院の一階にある
コンビニに飛び込んでおにぎりとお茶を買って小腹を満たしました。

もう少しこの文化財観光におつきあい願います。

 

暦に載りにくい面白こよみ 十一月十二日
この日は普通の暦 パンの日 洋服記念日 皮膚の日 以外に特にありません。


大徳寺塔頭の2件(第3弾!3・4ヵ所目)

2012年11月11日 11時57分58秒 | ソウダKyotoへ

京都非公開文化財特別公開 2012 秋季 の続き
 
報恩寺を出てバス停に戻り、金閣寺方面に5つ行くと大徳寺前のバス停。
大徳寺(臨済宗大徳寺派大本山 龍寶山)の境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、
それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残されています。

   

いくつかの塔頭(たっちゅう)は普段から公開していたり、精進料理を出していたりするところあり
全く公開されていないところあります。

今回は数々のすぐれた襖絵が伝わる真珠庵(しんじゅあん)と
三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の菩提寺として今日に至る聚光院(じゅこういん)
が公開の対象だった。

真珠庵一休宗純禅師が庵とした、大徳寺山内の名刹。
一休さんの像のほか、一休和尚にまつわる紙本墨画 真山水図8面・花鳥図
16面他、曾我蛇足筆襖絵、室町時代、重要文化財…一休和尚に教えを受け、
雪舟と同時代に活躍した画家・曽我蛇足によって描かれた襖絵(1491年
延徳3年頃作)は、現存最古の水墨画襖絵と伝わります。

お庭も史跡名勝庭園「七五三の庭」とい言い岩を7つ5つ3つと組み合わせた
趣のあるものでした。

聚光院は豊臣秀吉に命じられて千利休が自害した場所とも言われ
茶室「閑隠席」(重文)を含む水屋を挟んで2つの茶室がある。

当時の粋を終結した内露地の一部を庇屋根で覆い内部空間化した巧みな
意匠の茶室。

中世と近世を結ぶ位置にある建造物として高く評価されています。
入母屋檜皮葺の方丈も重要文化財。


    


各お寺では公益財団法人 京都古文化保存協会のボランティアガイドさん達が

訪れる観光客に部屋や文化財ごとに何回も何回も繰り返して説明をしてくれるよう
配置されています。
他にもチケット(拝観券)の販売やパンフレットの配布、お寺の住職などに代わって
案内したり傷つけや撮影禁止など注意喚起する役目など。

ほとんどが学生さんのボランティアで尋ねてみると意外に佛教大や龍谷大の学生さんでなく
同志社・立命館・京都女子の各大学からが主要メンバーだと聴きました。

少しこだわった観光客がイロイロと質問をしたりするのにも的確に応対しているのが気持ちよく
歴史や古美術が本当に好きな人達の集まりなんだと感心させられました。

ここまでの4カ所で午前中。 マップの上賀茂神社は去年、別のイベントで行ったのでパス。
午後からは御所周辺~河原町通り沿いを周ります。

とぅ びぃ こんてぃにゅーど


貴重な歴史遺産(第2弾!2ヵ所目)

2012年11月10日 22時41分38秒 | ソウダKyotoへ

昨日に引き続いて
           のお話。
と言っても本人の記憶に基づく記録ですんで 気にせんといてください。

バスで今出川浄福寺へ行き、停留所の名前通りの浄土宗 恵照山 浄福寺へいったところから。
この日は11時から檀家さんの法要があると言うので「とにかく先に本堂を見てください。」とのこと。
ご本尊の阿弥陀如来像を拝みながら寺の縁起などの説明を聞かせてもらいました。
そのあと方丈へ移り 鎌倉時代の木版画、「阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図」2幅(重文)を拝見
しながらご住職のありがたいお話とDVDや講演のPRを聞かせていただきました。
 
  

  このマップには載っていませんが
  地図をクリックして拡大した左下の
  今出川通りと書いてある辺りの
  『今』の字のすぐ下ぐらいの位置に
  なります。

  それからバスで2つ戻って堀川今出川
  上賀茂神社方面行のバスに乗り換えて
  2つ目 堀川寺の内で下車して東南へ
  約3分ほどに
  浄土宗 尭天山 報恩寺 があります。

 

マップのイラストにあるように中国の画人四明陶佾(しめいとういつ)が描く猛虎の絵を豊臣秀吉の
所望により聚楽第の床へ飾ったところ,夜中に虎の鳴き声が聞こえ,秀吉は一晩中安眠できなか
ったという逸話で鳴虎(なきとら)と言われています。

この鳴虎図は平時は十二年に一度(寅年)の正月三が日にしか公開されない
大掛軸。

高さ13・5センチの木製の岩山に、950体以上の地蔵菩薩の小像が刻まれている
厨子入千体地蔵菩薩像(重文)や、毎日朝夕つかれていたのに悲しい事件から
今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」と言われている梵鐘(重文)の
公開もありました。

   

また明日に続きます。

 

暦に載りにくい面白こよみ 十一月十一日 (普通の暦は すーサンのブログの文末にてご覧ください)
介護の日
厚生労働省が2008(平成20)年に制定。
日附は前年に実施されたパブリックコメントに基づいて決定したもので、「いい日いい日」の語呂合せ

公共建築の日
2003年より実施。
国民生活に一層密着した、より良い公共建築を目指すための日。
建築の基本的構造を象徴する4本の柱のイメージと、国会議事堂の完成年月である昭和11年11月に因む。

恋人たちの日
静岡県土肥町(現 伊豆市)の土肥観光協会が、同町にある恋人岬に因んで制定。

下駄の日
伊豆長岡観光協会(現 伊豆の国市観光協会)が制定。
下駄の足跡が「11 11」に見えることから。
伊豆長岡温泉に「カランコロン」と心地良い音を奏でる下駄に一年の感謝の気持ちを込めて、
下駄供養祭が行われる。

鏡の日
全日本鏡連合会が2006(平成18)年に制定。
「11 11」や縦書きにした「十一 十一」が左右対称であることから。

箸の日
「1111」が箸が2膳並んでいるように見えることから。

長野県きのこの日
JA全農長野県本部が制定。
長野県が生産量日本一のしめじ・なめこ・えのきだけを「1111」に見立てて。

コピーライターの日
株式会社宣伝会議がコピーライター養成講座開講50周年を記念して2007(平成19)年に制定。
「1111」が鉛筆やペンが並んだように見えることから。

立ち呑みの日
立ち呑みや居酒屋に関するブログを開設している藤原法仁氏、浜田信郎氏らが2011年に制定。
「1111」が人が集って立ち呑みをしているように見えることから。

豚まんの日
神戸・南京町の豚饅専門店「老祥記」などが2011年に制定。
「11」を豚の鼻の穴に見立てて。


掻き立てられた思い

2012年11月09日 23時26分28秒 | ソウダKyotoへ

1年に1回、それも正月三が日だけ とか 50年に一度 とか それを越えて
次は何時の事だか分からない なんて言われてごらんなさい なんとか覗いてみたくなる。
これ僕のどうしようもない性格。

朝日新聞の中に記事を見つけたのは10月27日(土)のことだった。


もっと前に掲載があったのかも知れないが、この時点で6日後から始まり10日間のイベント。
そのうち人で混み合う土日が4日あって・・・
となると2日と5日~9日の6日しかまともに見れる日が無い  と考えた。

見に行きたい気持ちは募るもののかなりの確率で諦めてました。

ところがです。  別のメディアでその記事を見た行動力ある友人が自分のブログに
こともあろうに4日も連続してアップしはったんです。  
もちろん僕が諦めていたことなど微塵も知らずに。

そらねぇ、もともと行きたい虫がウズウズしてるのにマタタビ馬の鼻先人参バナナ

偶然、平日のラスト9日(金)に予定していた仕事がお客様の都合で朝一に延期になった。
もうね、そのまま京都行の特急に飛び乗るしかあれへんやないですか?

9時49分には京都駅に降り立っていました。
何度も何度も ボクやったらこのルートでこう行くなぁと、行けたつもりで
シュミレーションしていましたからねぇ。

一目散に京都市営地下鉄の乗り場に向かって。
自動券売機で『京都観光1日乗車券(カード)』1200円を購入。
バス専用だともっと安いけれど全てバスで移動するには時間がかかる。
すぐに地下鉄に乗り込んで烏丸今出川まで行ってからバスに乗り換えた。

先ずはしょっばつ、バスで4つ西へ今出川浄福寺へ。
バス停の名前そのままの浄土宗 恵照山 浄福寺

   

  残念ながら受付を入ると一切撮影禁止なので
 中の文化財はもちろんのこと庭に至るまで
 ここにUPすることはできない。
 東山の知恩院と密接な関係のある寺だ。
 本堂(市指定文化財)、本尊阿弥陀如来像、
 「二十五菩薩来迎図」(重文)、大方丈(市指定文化財)

明日に続く。

 

暦に載りにくい面白こよみ 十一月十日 (普通の暦は すーサンのブログの文末にてご覧ください)

井戸の日
全国さく井協会が2006(平成18)年より実施。
「いー(1)井(1)戸(10)」の語呂合せ。
その前の2001(平成13)年より、富山県鑿井協会が1月10日を「井戸の日」としていたが、2006年より全国さく井協会の井戸の日に移行している。

断酒宣言の日
全日本断酒連盟が制定。
1963(昭和38)年のこの日、全日本断酒連盟の結成記念大会が開かれた。また、11月のNovemberを「もう飲めんばー」、10日を「酒止(十)まる」とした語呂合せでもある。

 


京に似合わん旅連れ

2012年06月20日 22時44分50秒 | ソウダKyotoへ

妙心寺を後にして「お腹も空いたがどうします?」と尋ねたら
『直指庵は遠いか?』と聞く。

「北嵯峨だから15分とかからずに行ける」と答えると
『交通の便の都合で行ってみたくとも行ったことがなかった場所が直指庵化野の念仏寺』だと
言う。

「なぁーんだ、そんなところならお互いに近いから2カ所共周れる」というと
『それはありがたい  』
「最初からそう言えば先に連れ行ってあげたのに・・・」
『いや、ここのお奨めもとても良かった』 なのだそうだ。

普通、観光で直指庵と化野の念仏寺を訪れる場合は大覚寺をメインに持ってきて
北へ上れば直指庵、西へ行けば化野の念仏寺でほぼ1日コースとなる。

歩くことを考えると京都バスで72系統(京都駅・阪急四条大宮から)か
62系統(京阪三条から)清滝か西山高雄方面へ向かい鳥居本で降りると
化野(あだしの)の念仏寺まで近い。

まあ、お金持ちの読者の方はタクシーで行きはるんでしょうね。

かなり山手になるので、ここからスタートしてまっすぐ東へ降りて直指庵
南へ下って大覚寺から各駅に戻るのが一番楽だ。

そんなことを説明しているうちに直指庵の門前に着いた。
先ずは腹ごしらえからだ。


北嵯峨弁当門前に普通の家風のレストラン北嵯峨が一つポツンとある。
和風で座敷で食べる場合は2000円を超えるメニューで、
テーブル席だともっとリーズナブルなものや単品メニューが食べれる。

北嵯峨弁当1380円が お手頃のような気がした。
色気のないことにどちらもアルコールは特に飲まない。
僕は運転しているから当然のことながら、特にそれを気遣ってと言う訳でもないのだが。

 まあ土日祝や長期休暇の頃には途切れることなく若い女性が来ては帰り
 旅のノートに恋の文字ぃ~  どれも私に よく似てる  「嵯峨野さやさや」 たんぽぽ
の歌のように浸って行くと言うのに・・・
誰ぁれも居らん平日の昼過ぎ。 やっぱり京都は静かでなきゃあきませんなぁ。

ようこんだけ空いてるとこ選んで周れるもんやと 自分を褒めてやりたい気持ちどす。

直指庵の庭


蜂のお伴

2012年06月17日 23時28分29秒 | ソウダKyotoへ

沙羅の花 妙心寺塔頭 東林院を後にして46塔頭寺院の中心となる
妙心寺 大方丈の方へ戻る。

たくさん寺院があっても一般に拝観できる場所は通年公開の4寺院と
特別公開 が2院、 限定公開 2院で、そのほかは関係者以外には
門が閉ざされています。

東林院を出たすぐの涅槃堂も「観光拝観者はお断りします」と立札がある。
それでも門だけは開けてくださっていたのでスケベ根性はお庭を覗いて見る。

         

門番なのだろうか、丸々とした蜂がブンブンと牽制をしてくる。
「堂内には入っちゃいけないよ」と言っているようだった。

   くちなし      法堂(はっとう)

何が気に入ったのか、この蜂がずっとお伴をしてくれました。チト怖かった。

以前にここで特別講座が開かれて案内してもらったこともあるのだが、普段は
法堂・天井の雲龍図、国宝の梵鐘、浴室(明智風呂)を拝観受付でお願いすると
説明付きで案内してもらえます。(拝観料500円)

   仏殿   三門   南総門より大方丈

南門前へ出てきたら正面の精進料理屋の下屋で鐘馗様が見下ろしてました。

                     

 

 

一日飛んで
明後日につづく ・・・  (この ソウダKyotoへ のカテゴリーはもう一つ続編があります。)

明日はちょっと京都から離れます。

 

 


祇園精舎の鐘の声

2012年06月16日 21時51分38秒 | ソウダKyotoへ

よくあるパターンで また知り合いが東海道で京都へ と言うことで案内役。

一番困る「どこでもいいのでお任せ」タイプ。
さてどこがいいか? とにかく人がそんなに多く無くてソコソコ楽しめるというとぉー

先ず候補に挙げたのが
 東福寺塔頭 天得院 桔梗を愛でる特別拝観  6/15(金)~7/17(火)
        
 妙心寺塔頭 東林院 沙羅の花を愛でる会   6/15(金)~7/1(日)
        の二つのコース

どちらにしても始まったばかりで、今年は花が遅れるのが当たり前のようになっているので
たぶんまだ早いだろうと思ったのだが、「のコースがいい」とのことで決定!

ここは妙心寺 46塔頭寺院の内でも一番東の南側にあたる所で、
1996年初夏のJR東海[そうだ京都へ行こう]キャンペーンのポスター
になったところ。
この時期以外普段は滅多に庭を開放したりしないところのひとつです。


平家物語の冒頭の沙羅双樹の花が咲き乱れる寺。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。





   門     門前の紫陽花     門前の紫陽花の一つ

料金は  お抹茶付…1,580円  お抹茶精進料理付…5,570円(予約不要)のふたつ。
いくらなんでも昼間っから5千円超は庶民には むり ムリ 無理 と 抹茶付きで。

門を潜るとそこに普通の庭が広がって迎えてくれる。

 山田無文住職の歌碑、「仏さへ 身まかりませし花の色 見ていま沙羅に 思え諸人」  

本堂に上がらせていただいて ご本尊の阿弥陀如来様に手を合わせ心を鎮めると
間もなく緋毛氈の敷かれたところでお茶のお点前が振る舞われる。
茶菓子は鼓月さんの製品だが、お店に行っても売っていない実のお寺だけの物。
一服頂いた後はお庭を拝見する。

           

やはりまだ早かったようで、申し訳なさそうにフライング気味の花がポツポツと。

          

見頃は月末頃のようでした。
その分、空いていたのでまあまあ・・・かな? (^^ゞ

つづく  ・・・

 

 





 


上洛の日 ②

2012年06月04日 21時25分22秒 | ソウダKyotoへ

一昨日の京都の続話です。

お昼には半時ほど早かったけれど、美術館と御廟の上り下りに三年坂(産寧坂)ともなると
お腹が空きます ヤン!
ほんで僕の日記に食べモンの話があれへんかったら寂しいです ヤン!
   て、 誰に言うてる? (^^ゞ

この頃の気候のせいでか胃の調子もそんなに良くないので、お腹に優しいもの・・・と
周りを見渡したら 湯葉・とうふ の文字がアチコチに。
せやん! 京都の名物の一つやもんね。
と言う訳で二階のお座敷に案内してもらって

                 
雰囲気もエエし眺めもイイ。 ちょっと幕末の密談みたいな気分にもなって(^^ゞ

         
あ、部屋とお前はどうでもエエ  でしたか。

ゆば とうふ御膳(ランチ会席)をいただきました。
  

先ずは左から 生麩田楽 生湯葉(わさび醤油) 卵豆腐(木の実添え)
次いで左から ご飯(小女子のせ) 野菜天麩羅(茄子・椎茸・獅子唐・筍 抹茶塩で)
   香の物  右上端は豆乳+にがりを土鍋で15分ほど湯煎して完成する豆腐。
豆腐はそのまま食べてよし、抹茶塩もダシ醤油もそれなりに風味を増しました。

それだけでやめときゃいいのに
清水産寧坂 仁々木(Ninigi;かりんとう・最中)はんの店頭での
揚げたてコロッケについつい絆(ホダ)されて、
最中コロッケ(最中の皮でコロッケと丹波黒豆をサンドイッチに)を
食べ歩き。 (持ち帰りには湿気の関係で適さない)

それでパワーを付けて二年坂への階段を登って左側
京都産寧坂 おちゃのこさいさい(一味・七味・ラー油)サンで見つけたのが



お茶を出してくれて試食をドンドン勧められます。
この商品は要するに右はカレーせんべい、左はポテトチップスなんですが
この舞妓はんひぃ~ひぃ~という京都産ハバネロ唐辛子 国産本鷹唐辛子を
振り掛けてあるのです。
口に入れてもすぐには辛くないのですが、しばらくして遅れて辛さがやってきます。
その度合いが超でも激でもなく 狂辛なんだとか。    納得の辛さどした。