◆書くという癒し
またレポートを続ける合間に、その日その日の思いなど、書きたいことがあったら(今日の日記)として綴っていくつもりだ。今回のレポートは、余計な描写は抜きにしてあまり長くしないつもりではある。レポートを書いていると体験の、合宿中には充分把握し切れなかった意味が明らかになってくる感じだ。今回は、とくにそれが多いと感じる。こんな風にじっくり書くことが自分自身にとって大切な「自己カウンセリング」になっているようだ。
書くときにいちばん注意するのは、言葉がそのときの自分の実感をどれだけ正確に言い当てているかどうかだ。これは、ある意味でサティに似ている。一方で、詩や文学表現にも似ている。表現が、しばしば癒しにつながるという意味がよく分かる。
もちろん書く上では、削ったり、編集したり、構成したりの作業は避けられない。しかし、それと自分の体験の真実をどれだけ表現しえたかというのは別問題だ。真実に可能なかぎり近い表現をしえたとき、自分のなかにエネルギーが流れ、何かと何かがつながっていくのを感じる。
◆夏の合宿のレポート完成
なお、夏の合宿のレポートの前半部分は、すでにアップしていたが、後半部分もようやく今日アップすることができた。
☆瞑想世界の旅(→こちら)から入ってご覧いただける。
またレポートを続ける合間に、その日その日の思いなど、書きたいことがあったら(今日の日記)として綴っていくつもりだ。今回のレポートは、余計な描写は抜きにしてあまり長くしないつもりではある。レポートを書いていると体験の、合宿中には充分把握し切れなかった意味が明らかになってくる感じだ。今回は、とくにそれが多いと感じる。こんな風にじっくり書くことが自分自身にとって大切な「自己カウンセリング」になっているようだ。
書くときにいちばん注意するのは、言葉がそのときの自分の実感をどれだけ正確に言い当てているかどうかだ。これは、ある意味でサティに似ている。一方で、詩や文学表現にも似ている。表現が、しばしば癒しにつながるという意味がよく分かる。
もちろん書く上では、削ったり、編集したり、構成したりの作業は避けられない。しかし、それと自分の体験の真実をどれだけ表現しえたかというのは別問題だ。真実に可能なかぎり近い表現をしえたとき、自分のなかにエネルギーが流れ、何かと何かがつながっていくのを感じる。
◆夏の合宿のレポート完成
なお、夏の合宿のレポートの前半部分は、すでにアップしていたが、後半部分もようやく今日アップすることができた。
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