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スターフォックスの一ファンのブログ

心の共生者

2016年02月08日 22時13分25秒 | 日々のつぶやき
 われわれの祖先が、まだサルから枝分かれしたばかりの、名前のない生き物だったとき。

 かれらにはするどいきばが無く、俊足がなく、相手を押しつぶす巨躯がなく、かたい皮膚もうろこも無かった。
 こん棒や、うち欠いた石器の刃を手にすることで、どうにか闘うことができたが……ヒトになるには、まだ不十分だった。

 おそらくかれらが、絵やことばを用いだした頃に、それは生まれた。
 後の世では物語と呼ばれるもの。
 か弱き心に寄り添い、支えてくれるもの。
 英雄の物語に触れて己を奮い立たせ、悲運の物語に触れれば、己が哀しみと重ねて涙する。

 「自分のための物語」がこの世に用意されていたことを喜び、晴れてヒトは世界の主人公となる。

 物語は、ヒトを救ったり、ヒトに力を与えたり、また悲しませたり傷つけたりする。
 影響を与えることでヒトの心に棲みつき、ヒトの一部になる。

 影響力の弱い物語はヒトの心に残ることができず、淘汰されて消える。

 物語は肉体をもたず生殖もできない。ヒトの口から語られるか、かきうつされた文字や絵から伝播してゆくしかなかった。

 時は進んだ。ヒトは星の支配者のような顔をして、世界のすみずみまではびこっている。
 物語もまた、以前とは比べ物にならない伝搬速度を手に入れた。製本されて出版されたり、映像化されて上映されたりすることで、爆発的に多くの人間の心に入り込むことができる。

 いちど文字や映像となって形をなすことができれば、一度は忘れ去られても、年月を経てよみがえることもできる。ちょうど一部の細菌が、増殖に適さない環境下では芽胞となり、目覚めを夢見ながら眠りにつくように。

 はるかな古の時代から、ヒトの心に宿りながら生き続けてきた生命体。

 きっと物語は、ヒト以前の弱き存在だったわれわれの祖先が、誇り高きヒトとして生きるために創り出した共生者だったのだろう。

 絵を描く者や、ことばを紡ぐ者は、目に見えぬ共生者たちと交信し、共生者たちがこの世で形をなすための依坐(よりまし)なのかもしれない。

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