『スターフォックス コマンド』のストーリーって、考え抜かれた設計のもとに作られたんじゃないか?って思えてきた。
・クリスタルのセリフ。
「危険分子と判断された上 ベノムに追放されて 孤独の極致に陥ったのよ」
「純粋だっただけだわ! ただ研究を続けたかった 彼は何も見返りを求めていなかったわ」
・ベノムの硝酸の海を浄化する装置を発明した、という設定の追加。
・『タイタニア/アッシュ』のボス戦にアッシュで出撃すると聞ける、「やめろ! 私の孫だ 攻撃するな!」というセリフ。
『コマンド』で新たに追加された設定は、アンドルフの善の側面を感じさせるものばかりだ。
それまでは「悪のマッドサイエンティスト」でしかなかったアンドルフに、『コマンド』が善の側面を与え、彼は両面性を獲得する。(私はそれを「トリックスター」と呼んでも差し支えないと思っているけど、まあそれはどっちでも良いことだ)
『アッシュの選択』で突然にジェームズが参戦することも、物語が『64』の冒頭へと巻き戻るのだと考えれば、腑に落ちるところもある……。
『64』のプロローグと、まったく逆のことが起きているんだよ。
善と悪の両面を兼ね備えていたアンドルフ。
彼の悪の部分は、ジェームズを罠にはめて殺す。そして暴走し、ライラット系を混乱に陥れる。それが『64』の物語の発端。
『アッシュの選択』では、アンドルフの善の側面の化身であるアッシュが、悪の側面の化身であるアングラー皇帝を倒す。かつて悪の側面が殺した、ジェームズと共闘して……。
アンドルフによって動き出した物語が、やはりアンドルフによって幕を引かれるんだ。
そして、善の側面の化身のはずだったアッシュも、数十年後には悪の化身へと変貌する。物語は永遠にめぐる輪廻へと突入する。
巻き戻されるテープのように。表が裏になり、裏が表につながる、メビウスの輪のように!
……きっと、『コマンド』を作った今村さんたちの頭の中には、こういう物語の設計図が描かれていたはずだ。
こうして考えてみると、物語を動かしているのは最初から最後までアンドルフ。主人公であるはずのフォックス達は、彼が動かす物語の中で、必死で闘い、生き抜こうとしているだけ……。
緻密に計算された物語も、大っぴらに明かされることがないのは、ゲームにとっては物語は背景に過ぎないからだろう。
演劇でいえば舞台裏。家でいえば土台。お客さんであるプレイヤーには見えてはいけない部分。
けれど、クリスタルのセリフや、アッシュだけが聞けるセリフ、それらは「気づけるものなら気づいてみよ」という、製作者からのヒントであり、挑戦状だった――と言ったら、想像を飛躍させすぎかな。
エラリー・クイーンが、自らの推理小説中で、読者に突きつける挑戦状のように――
――さあ。賢明なるプレイヤー諸君。必要な手掛かりはすべて与えた。
9つあるエンディングのなかに、たった一つだけ、特別な意味をもつものがある。
我々がこの作品に埋め込んだ謎を、解き明かせるものなら見事、解き明かしてみよ。
気づくものが現れる日を、我々は楽しみに待つ。
…………9年かかった。気づくのに。
私が気づくくらいだ。もっと早く、気づいた人もいるに違いない。
しかも私は、バカをやらかして落ち込んで、「自分はいったい、何なんだ?」と考え込んだそのついででないと、気づくことができなかった。
やっぱり私は、気づくのがいつも遅い。
・クリスタルのセリフ。
「危険分子と判断された上 ベノムに追放されて 孤独の極致に陥ったのよ」
「純粋だっただけだわ! ただ研究を続けたかった 彼は何も見返りを求めていなかったわ」
・ベノムの硝酸の海を浄化する装置を発明した、という設定の追加。
・『タイタニア/アッシュ』のボス戦にアッシュで出撃すると聞ける、「やめろ! 私の孫だ 攻撃するな!」というセリフ。
『コマンド』で新たに追加された設定は、アンドルフの善の側面を感じさせるものばかりだ。
それまでは「悪のマッドサイエンティスト」でしかなかったアンドルフに、『コマンド』が善の側面を与え、彼は両面性を獲得する。(私はそれを「トリックスター」と呼んでも差し支えないと思っているけど、まあそれはどっちでも良いことだ)
『アッシュの選択』で突然にジェームズが参戦することも、物語が『64』の冒頭へと巻き戻るのだと考えれば、腑に落ちるところもある……。
『64』のプロローグと、まったく逆のことが起きているんだよ。
善と悪の両面を兼ね備えていたアンドルフ。
彼の悪の部分は、ジェームズを罠にはめて殺す。そして暴走し、ライラット系を混乱に陥れる。それが『64』の物語の発端。
『アッシュの選択』では、アンドルフの善の側面の化身であるアッシュが、悪の側面の化身であるアングラー皇帝を倒す。かつて悪の側面が殺した、ジェームズと共闘して……。
アンドルフによって動き出した物語が、やはりアンドルフによって幕を引かれるんだ。
そして、善の側面の化身のはずだったアッシュも、数十年後には悪の化身へと変貌する。物語は永遠にめぐる輪廻へと突入する。
巻き戻されるテープのように。表が裏になり、裏が表につながる、メビウスの輪のように!
……きっと、『コマンド』を作った今村さんたちの頭の中には、こういう物語の設計図が描かれていたはずだ。
こうして考えてみると、物語を動かしているのは最初から最後までアンドルフ。主人公であるはずのフォックス達は、彼が動かす物語の中で、必死で闘い、生き抜こうとしているだけ……。
緻密に計算された物語も、大っぴらに明かされることがないのは、ゲームにとっては物語は背景に過ぎないからだろう。
演劇でいえば舞台裏。家でいえば土台。お客さんであるプレイヤーには見えてはいけない部分。
けれど、クリスタルのセリフや、アッシュだけが聞けるセリフ、それらは「気づけるものなら気づいてみよ」という、製作者からのヒントであり、挑戦状だった――と言ったら、想像を飛躍させすぎかな。
エラリー・クイーンが、自らの推理小説中で、読者に突きつける挑戦状のように――
――さあ。賢明なるプレイヤー諸君。必要な手掛かりはすべて与えた。
9つあるエンディングのなかに、たった一つだけ、特別な意味をもつものがある。
我々がこの作品に埋め込んだ謎を、解き明かせるものなら見事、解き明かしてみよ。
気づくものが現れる日を、我々は楽しみに待つ。
…………9年かかった。気づくのに。
私が気づくくらいだ。もっと早く、気づいた人もいるに違いない。
しかも私は、バカをやらかして落ち込んで、「自分はいったい、何なんだ?」と考え込んだそのついででないと、気づくことができなかった。
やっぱり私は、気づくのがいつも遅い。
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