小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

洗濯物のたたみ方に想う=「日常の中での常識と非常識」

2011年09月25日 | 社会戯評
洗濯物のたたみ方に想う=「日常の中での常識と非常識」
二人の未だ幼い子供達を抱え、共働き夫婦だった頃、テレビをボーッと見ていた私は、我が女房殿に、「見ながらでもいいから、洗濯物をたたんでも、罰は、当たらないわよ、、、、」というような意味のことを言われたことがある。むろん、直ちに、畳んだのであるが、そのたたみ方たるや、どうやら、お気に召せず、結局、再度、洗濯物を、たたみ直されてしまった。その後、ノウ・ハウの開示をお願いして、何とか、曲がりなりにも、見た目が良く、たためるようになったが、どうも、今ひとつ、未だに、しっくりと来ない。家庭科では、裁縫などは、学習したので、今でも、問題はないが、洗濯物のたたみ方のノウ・ハウは、家庭でのしつけの一環なのだろうか?たまに、一人で、洗濯ものを干して、たたむときに、いつも、このことが、想い出される。「私の日常の中の常識」は、あの時、女房殿にとっては、とんでもない、「非常識であった」ことが、改めて、認識されたのである。洗濯物をたたむときは、心して、することを、肝に銘じておかなければならない。