小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

喫茶店主との会話に学ぶ:

2016年04月28日 | 日記

喫茶店主との会話に学ぶ:

客商売というものは、実に、見かけだけは、自由奔放のようであっても、それが、20数年にも、亘って、生業として、人生を生き抜いてくるとなると、女性週刊誌で、面白、可笑しく、謳われるような気軽な結婚しない独身女性が、簡単に、お手軽に、小資本で、開業独立できるような代物でないことが、判る。その意味からすれば、所詮、仕事などと云うものは、いつの時代でも、隣の庭の芝生は、碧いと同じで、結局、自分でやってみて初めて、そんなものでなかったということが、実感されるのかもしれない。成る程、人生というものは、ひょっとして、或いは、仕事というものは、そんなものなのかも知れない。『私は、選択制難聴何ですよ!』という物言いにも、大変、興味深いものである。確かに、客商売などと云うものは、喫茶代金というカネを支払うのであるから、客の側にすれば、何時間でも、自分の愚痴や憂さを晴らしてくれる聴き手上手であるのかもしれないが、考えてみれば、そんなことを、毎日、毎日、365日、毎年毎年、やっていたら、まるで、こちらの『魂までも抜かれかねない』し、又、『生気がなくなってしまう』ことにもなろうか、昔の人々は、実に、今日で云う所謂、科学的な分析的な表現ではなくても、ある種の症状や現象に対して、実に、当を得た、的確な表現をしたことに、感心してしまう。そして、そうした言葉が、今日にまで、伝承されていると云う事は、如何に、多くの人が、それに、納得していたことかを考えると、実に、面白いではないか?私などは、女房殿の話を、右の耳から、左の耳へと、しょっちゅう、聞き流しているから、ストレスが、溜まらないのであろうか?今日、情報の氾濫ということが、叫ばれて久しいが、これでもか、これでもかと、毎日、毎日、情報の洪水の中で、埋没してしまいそうである。まるで、βアミロイドが、脳の中に、ドロドロになって、蓄積していくように、PCのように、古いデータの定期的な処理や、リセット・消去が、一瞬にして出来れば宜しいが、自分の脳というものは、そういうわけにはゆかないものである以上、どうしたものであろうか?店主には、一言だけ、お願いしておいた。『何度も、私が、同じことを言うようになったときには、必ず、その旨、仰って下さいね!宜しく!』と伝えておいて、店を後にした。

 

 


四国遍路は、一寸、延期かな?:

2015年09月29日 | 日記

四国遍路は、一寸、延期かな?:

人生には、時間ができて、カネが適当にあって、健康であると云う保証は、何処にもない。そういうことが判ったときは、既に、時遅しということなのであろうか?四国遍路も、この7月に1番から17番までを、自転車で、廻ったので、残りを、如何にして、攻略するかと思案していたところであるが、散々、7月には、雨にたたられたので、今度は、天気の良い10月か、11月頃を予定して、計画を練っていたところ、生憎、所要が重なったり、今度は、健康不安という課題が、急浮上してきた。それも、穏やかではない症状である。少々、これまでも、手先の痺れや、胸の辺りの痛みや、左肩甲骨の裏辺りに筋肉のハリを感じることはあっても、それが、深刻な事態を招来するまでのことはなかったのであるが、今回は、そのような楽観視もどうやら、出来そうにない様相である。突然、左手の握力が急激に低下してしまい、ボタンを掛けるのも、リンゴを包丁で剥くのも、左手が、どうも、自分の云うことを聞かないのである。おまけに、単なる筋肉痛や肩こりではなくて、どうやら、ここが、心臓という臓器があることが認識されるようにもなってきた。ということで、ホームドクターに相談したら、即、血液検査と大きな病院での脳と心臓のチェックをできる限り、速やかに、しなさいと言うことで、神経内科と循環器内科で、それぞれ、心臓のCT検査と脳のMRを紹介状を基にして、受診することに相成ってしまった。しかも、放射線科でのCT造影剤の注入に際して、アレルギー反応が翌朝にでてしまい、大きく、瞼が垂れ下がり、顔がむくれてしまい、散々な目に遭い、結局、皮膚科のアレルギー診察をも受診する羽目になってしまった。それにしても、これらの検査結果の末に、動脈硬化を伴った心臓冠動脈石灰化により、カテーテル・バルーン処置が、どうやら、必要になろうとの残念な結果になってしまった。脳の検査の方は、新たな脳梗塞は発見されなかったものの、昔の小さなラクナ・脳梗塞の痕跡が、2箇所発見されて、当分は、こちらは、要観察という診断結果で、これ又、自分の健康に対する自信が見事に、すっかり、打ち砕かれてしまった。健康寿命などと云う言葉を改めて、実感される結果に愕然とした。従って、今年の残り、3ヶ月程度は、これらの治療に専心しなければならず、命にも関わるので、単独行動は、当面、禁止の上、四国巡礼も延期せざるを得ない可能性が大となってしまった。まあ、来年の春にでも、実施することにしようかな!まずは、身体をメインテナンスしてから、それにしても、7月の旅先で、発症しなくて良かった。不幸中の幸いであった。折角覚えた般若心経を忘れないようにしないと、、、、、、。


叔母を見舞う:

2014年12月09日 | 日記
叔母を見舞う:
もう、私くらいの年齢になると、叔母や叔父達も、それぞれ、もう、二人づつになってしまった。しかも、皆、80代、90代である。ある喪中葉書から、従兄弟の筋から、辿っていったところ、脳出血を三回繰り返して、右半身不随に陥り、幸運にも、自宅近くのナーシング・ホームに入居出来たそうである。早速、叔父に電話して、一緒に、お見舞いに伺う段取りとしたものである。二ヶ月ほどの短い期間であったが、関西での新入社員研修の時には、唯一、親戚の中で、枚方に、たまたま、住んでいた関係から、休日には、よく、自宅を訪問したものである。その時、ヤマガラをどういう訳か、自宅の居間の中で、自由に飛ばしていたのを今でも、小諸の野鳥の餌台に、ヤマガラが来る度に、懐かしく想い出す。山歩きが大好きであった叔母は、糖尿病を気遣って、食事や健康には、人一倍、注意をしていたのに、、、、、、皮肉にも、叔父より先に、倒れてしまった。叔父の言では、「冗談で、先に、倒れるなよ!」と散歩の度毎に、云っていたらしいが、思うようにならないのが、世の常のようである。楽しみにしていた孫達の結婚式にも、残念乍ら、出席叶わなかったものの、次の目標としては、曾孫を観なければならないという大きな目標が出来たようである。ニコニコ笑いながら、孫が買ってくれたおしゃべり人形に、言語障害が出ているにも拘わらず、一生懸命に、話しかけている姿をみていると、私の顔を認識しているものの、言葉に出して、発音しにくい名前らしく、最後まで、名前を呼ぶことは叶わなかった。まぁ、それでも、子供や妻からのメッセージを読み聞かせることが出来たし、元気そうな顔をみれたし、何よりも、残された叔父を励ますことが出来たことは、良かったのではないだろうか。ナーシング・ホームに、入居できたのも、良かったが、病院見舞いというものは、患者へのお見舞いもさることながら、ヘルパーさんや、その残された連れ合いや家族への労りとひょっとすると、見舞う側、こちら側の心の在り方も、同時に、問われているのかも知れない。胃ろう手術で、やっと、一命を取り留めた叔母も、次の目標である、曾孫の顔を見たいと思う心情、叔父によれば、自分も、罪滅ぼしのつもりで、毎日、様子を見に来ることくらいはしないといけないという責任感で、毎日、一日一日を過ごしているという。そういう思いも、年齢を考えれば、それ相応で、宜しいのではないだろうか?いずれ、人間だから、万人に、同じ途はやってくるわけだから、今から、しっかりと、その心情を準備しておいたほうが、良いのかも知れない。孫から貰ったというお喋り人形に向かって、一生懸命に口をモグモグさせながら、話しかけている姿を観ながら、ニコニコして、バイ・バイを残された不自由な左手でしてくれた。頑張って、療養に、励んで貰いたいものである。叔父と久しぶりに、夕食を共にして、車で、自宅まで送り届けたが、やはり、夜、一人になると、一緒に過ごした昔を想い出し、淋しくなるそうである。

いよいよ、飲み会の季節が始まりそうである:

2014年11月05日 | 日記
いよいよ、飲み会の季節が始まりそうである:
年配の先輩諸氏によれば、齢を重ねるにつれて、世間や人付き合いが、徐々に、面倒くさくなってきて、余程、無理矢理、日程を入れておかないと、おいそれとは、出掛けてゆくことが、少なくなるそうである。確かに、世間とか人付き合いは、面倒なことであり、きっぱりと、絶ってしまえば、何ら、煩わしいことはないのであるが、何とも、それも、味気ないものである。なるべく、時間が合えば、様々な会合に、幼なじみから、学生時代の同級生やら、友人やら、昔の会社の同僚やら、等…、晩秋から正月明けくらいまでは、その種の忘年会やら新年会やらが、続くものである。今年は、秋のリーグ戦の野球観戦も兼ねて、参加を予定したところ、生憎の雨模様で、残念乍ら、観戦は中止となり、やむなく、友人の誘いもあって、雨の降る中を、夜の部に参加することにした。いやはや、それでも、20数年、いや、30数年ぶりであろうか?相変わらず、昔と変わっていない、もっとも、先方に云わせると、こちらも、昔と全く変わっていないということであったが、、、、、、。結局、二次会後、今度は、別に、同期の飲み会を設けることにして、分かれてきたが、昔は、こういったことは、面倒くさがっていたが、もっとも、現役の頃は、忙しかったから、やむを得なかったのかも知れないが、、、、、、、、もう年次も、名簿の半ばから上になりつつあり、時間の経過を改めて、思い知らされた。いずれ、ところてん式に、押し上げられて行くのであろうから、これも、仕方の無いことであろうが、人生、永く生きていると、人との付き合いも、健康な内は、一種の潤滑油みたいなものと思って、時間が許す限りは、面倒なお付き合いでもしてゆきたいものである。暫くは、今年も又、少々、お付き合いすることとしようか?まぁ、酒の方も、程々にしつつ、、、、、、、、。煩わしい付き合いも、脳に刺激になって宜しいのではないだろうか?

主婦学・家政学なるものを考える:

2014年10月22日 | 日記
主婦学・家政学なるものを考える:
小学校の頃、学んだ「家庭科」というものは、果たして、実生活の上で、どのくらい、役に立っているのであろうか?たまたま、朝のテレビ等で「収納・整理学」の講師が秘伝の術を教えてくれるのを観ていると、何とも、こういうノウハウが、小学生の頃に、歳をとってからでも遅くはないと思われるが、早く、若い頃に、教えて貰いたかったものであるとも、思ってしまう。たまたま、電車の中吊り広告を見ていたら、「夫が挫ける妻の一言」というものがあった。「念の為に、食器を洗っておくからね!」というものがあって、要するに、夫が、せっかく、お手伝いで洗った食器を、もう一度、自分の手で、しっかりと、再度、洗い直すという行為が、夫のやる気をおおいに、挫けさせる一言のベスト10入りをしているらしい。まぁ、妻の一言も、困ったものであるが、成る程、食事を終わった後の食器の洗い方とか、調理を終わった後の調理器具の洗い方、或いは、シンク掃除のポイントなど、更には、洗濯を終わってから、衣類を、畳むときの畳み方、クローゼットへのしまい方とか、専門的な主婦学を、詳しく、専門家の手によって、掃除・洗濯・料理、(裁縫になると一寸、厄介であるが、、、、)ここら辺りまでを、網羅したノウハウ本でも出版されれば、面白いのではないだろうか?こういう教育講座を、これから、結婚する若者から、退職後の老人まで含めて、実施したら、大変、実用的、且つ、有益ではないかとも、思われるが、如何なものであろうか?何でも、家事をこなしていると、呆けないそうであるが、本当だろうか?専門的な「主婦学・家政学」なるものも、一寸、学んでみたいものである。別の世界が、きっと、男性には、見えてくるかも知れない。そんな期待さえ、されそうである。


新装なったコンビニを、一寸、覗く:

2014年03月28日 | 日記
新装なったコンビニを、一寸、覗く:
東京では、銀行ATMでの現金の引き出しが、我が家では原則であるものの、地方では支店がないので、コンビニのATMでの引き出しが、もっぱらである。もっとも、4月からの消費増税もあるのであろうか、普段専ら、利用していたコンビニが、新装工事中であったので、これが終了してから、ゆくことにした。その昔、結婚し立ての頃は、よく、女房殿にお付き合いと称して、繊維製品やら、食品のマーケティングという名目で、「濡れ落ち葉」の如く、買い物に、付き合ったものである。もっとも、女性の下着を海外生産し、輸入する仕事の担当者の時には、マーケティングも、痴漢に間違えられそうになったこともあってからは、必ず、女房殿をダシにして、行なうことにしたが、それでも、商品というものは、何でも、変わらないと云うことをこの時に学んだものである。それにしても、コンビニは、スーパーに較べると、余程のことがない限り、最近では、買い物に行かなくなった。現役の頃は、口寂しいときや、時間が無いときに、昼食に、アイス・クリームやサンドイッチやお握りを購入したものであるが、今や、何とも、商品構成が、年寄りの一人暮らしにも、ターゲットを絞ったようなものが、幅をきかせ始めているようである。驚いたことに、氷が売っているから何事かと覗き込むと、これを持参して、アイス・コーヒーをその場で、作ってくれるらしいことが、POPに書かれている。しかも、おおいに、安い価格であることに、驚いてしまう。「金の食パン」なるものも、2切れ入りで、人気が高いとも云われているが、流石に、まだ、試しに、購入しようとは思わない。包装紙も、何やら、普段のものとは、異なって、品格がありそうである。自分は、「銅の食パン」、或いは、賞味期限間近の割安シールの貼ってあるパンで結構であるが、、、、、(流石に、このコンビニには、見当たらない)、マーケティングの観点からは、やはり、消費者の心理を一寸くすぐるネーミングの「金の食パン」なのであろうか?スイーツにしても、すべて、女房殿からは、禁止薬物に均しい「食べてはいけない食品」で、昔は、何かの講習会で、自分で、システム手帳に、リストアップしなさいと云われたことを想い起こす。これを、時々眺めることで、購入をまずは回避し、結果として、「食さない」ことを目指したものである。それにしても、コンビニは、今や、付加価値商品販売、そして、サービス・情報の拠点になっているものである。にもかかわらず、厳しい競争の下、オーバー・ストア気味の中で、どのように、商品の差別化とサービスの特化を図ってゆくのであろうか?都心では、地域密着型のミニ・スーパーとの競争激化があり、地方では、オーバー・ストアとホーム・センターやドラッグ・ストアーや営業時間を延長している既存スーパーとの競合など、消費増税後を見据えて、どのように、生き残りを懸けて、闘ってゆくのであろうか?流石に、このコンビニでは、賞味期限間近の値引きのステッカーが貼ってある商品は、見かけませんでしたネ!。それにしても、今日、人口少子化のせいか、コンビニも、年寄りにターゲットを絞らないと生き残れなくなってきたのであろうか?チラッと、スイーツに目をやりながら、何も買わずに、店舗を後にしました。