小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

キーワードで読み解く、<デジタル・ファシズム(堤 未果著)>:(NHK出版新書655)

2022年02月15日 | 書評・絵本

キーワードで読み解く、<デジタル・ファシズム(堤 未果著)>:(NHK出版新書655)

もう50年以上も前の事となると、今の私の脳内細胞では、全く記憶が曖昧になり、当時読んでいた著作の名前も著者の漢字も性格に想い出せないとは、全く焼きが回り始めたモノである。

当時のファシズム研究のやはり主流は、王道をゆく、丸山真男であって、どうしても、ここを入り口にして、手探りで、進んでいったことを想い出す。そのうちに、(順不同であるが)、吉本隆明、橋川文三、(日本浪曼派序説)村上一郎、磯田光一、桶谷秀昭、(思想の科学)、三島由起夫、保田輿重郎、蓮田善明、埴生雄高、司馬遼太郎、柳田国男、竹内好、神島二郎、谷川雁、谷口健一、鶴見俊輔、松本健一、猪瀬直樹、大川周明、北一輝、等の著作を片っ端から、左から右まで、読み進めるうちに、私は、どうやら、正統派よりも、野戦攻城派の考え方、とりわけ、橋川文三・松本健一らの、昭和初期の恐慌と相俟って台頭してくる農本主義(橘孝三郎、権藤成卿)や家の光運動、、アジア主義、反近代土着主義、これらに内包する体制変革志向と相反する矛盾するような逆方向の力学が、産・軍複合体と共に、大陸進出の原動力になったという考え方に、傾きつつあり、当時のメディアによる言論統制・世論情報操作は、どちらかと言えば、従属的な側面であろうと考えていました。

戦後の農地解放や、工業国家へと変貌してゆく中で、農村という地域共同体の文化的・産業的な崩壊とも相俟って、今日的には、戦後の農村から労働者として出ざるをえなかった都市労働者層の意識変化の方に、重きを置かれた研究の中で、過去の分析よりも、それでは、どのように、戦後の政治・経済・精神構造の中で、日本は変容しつつあるのか、とりわけ、戦後の経済成長期を経過した後の、失われた20年以降の、或いは、東南アジア、グローバルな位置づけの中で、、、、、、という内容が、十分解明されないうちに、テクノロジーだけは、待ったなしの状態で、どんどん進み、韓国や中国の経済的な発展、ドル通貨支配に対する日本円による国債基軸通貨たらんとした試行錯誤と蹉跌の中で、気がつけば、グローバリズムの大波に呑み込まれながら、技術大国、(嘗てのソニー、ホンダ、家電業界、半導体、ロボティックス技術、太陽光パネル、等も、今や金型の輸出だけではなしに、中堅技術者・研究者すらも国を捨てて、報酬の働く環境の良い方へとなびいていく現状)も、1stランナーのメリットも享受出来ずに、ズルズルと、世界規模の競争から脱落し初め、Japan as No. 1ともてはやされたRising Sun 陽が昇る国から、少子高齢化の波の中で、凋落し初め、実効賃金が上昇する代わりに、内部留保だけが上積み増され、国際競争力の低下、世界のGDPに対する比率も低落し、貧富の格差が拡がり、事大主義と事なかれ主義が跋扈跳梁し、訳の分からぬ忖度と不作為のなかで、一個も独立することなく、虐めと育児放棄、弱者へのSafety Netも、嘗ての福祉国家の理想も、あっけなく、コロナ禍の中で、消失し、説明責任もなされないまま、組織にひたすら従属しながら、自己保身に明け暮れしながら、戦前の下には下がいるというカーストの最下層民並の被害者意識の他者転嫁やヘイト・スピーチにみられる不遜な民族排外主義的内なる差別の壁を、トランプのアメリカ・ファーストを批判する一方で、戦後50年代の米国のよき黄金時代復活を夢想しているプアー・ホワイトや、いつかきた道の黄禍主義や大中華思想に、心の底では、無意識に、同調してしまう自分達の心とは、体力の衰えをカバーしてくれるITやAIテクノロジーの利便性や便利な無料アプリの中で、植木等の<分かっちゃいるけど、やめられない!>と言う呪文とともに、日常生活の中に、茹でがえる同然、埋没させられているという現実的自己矛盾!一体全体、何処が、昭和初期の農村荒廃と、当時の状況と、今日、異なっているのであろうか?

当時の青年将校達に匹敵する勢力など、何処を眺めても、今の日本には、右も左も、ましてや、政党支持のない無党派層も、安保法制に反対した老人左翼達も、気持ちだけは元気なものの、もはや、口番長を自覚していて、基礎疾患だらけの明日をも知れぬ、人工透析未満、車椅子、特養老人ホーム以前といった、存在と化しつつあるのが現実で、既存宗教界、戦後の新興宗教界もどっぷり、既得権享受者に、陥ってしまっているというていたらくである。

 

 そうした状況の中で、二つの著作を読み比べてみました。

年末から年初にかけて、<(ハラリ著)、21 Lessons for the 21st Century>(英語版電子書籍)と、<デジタル・ファシズム(堤 未果著)>を、同時並行しながら、読み比べながら、読み進めてきた。久しぶりに、英和辞書を引きながら、言葉の意味を反芻しながら、読み込んできたところ、様々なこれまで、漠然と感じつつあったある種の肌で実感してきた危機意識が、まんざら、間違ってはいないのではないかと、やや未だ、確信に至らずとも、そうなる可能性が、徐々に、増しつつあるのかもしれないと思い始めました。

そこで、#ハッシュタグでは、ありませんが、#キーワードを、なるべく使いながら、読み解いてみたいと考えました。

副題は、<日本の資産と主権が消える>です。ここでは、ネタバレではないので、必ず、著書を読まれることを是非とも、お願い致します。

 

プロローグ:

#技術(テクノロジー)、一般大衆が理解出来ていないことを理解している少数の人々が、大衆に対して支配的な力を手にしてしまうと言うこと、ある時点から、専門家以外には、魔法と区別がつかなくなる。既に、日常の隅々に入り込み、必要なときに、必要な情報が差し出される環境は、便利で快適である。#自動運転 #ゲノム編集 #ビッグデータ #人工知能AI #キャシュレス #バーチャルリアリティVR など、

 

#デジタル庁 #スーパーシティ #オンライン教育 #デジタル技術 #少子高齢化 #地方の過疎化 #貧富の格差 今日本が抱えているいくつもの課題が、解決されてゆくと言う事への疑問と、それを読み解く、<3つの要素:おカネの流れ・人事・歴史>から、全体像と、個別事象を取り上げてゆく、

#コロナ禍 #パンデミックス #東京オリンピック #新自由主義 #新しい資本主義政策 #米中デジタル戦争 (中国ファーウェイ問題に象徴される)、<誰一人取り残さない社会を作る>という虚構、

 

<今だけ、カネだけ、自分だけ>の強欲資本主義が、デジタル化によって、いよいよ、最終ステージに入り、ファシズムと組み合わされたときに、もっともその獰猛さを発揮することになる。そして、今問題なのは、そのことを良く理解しないままに、急かされていることであると、どんどん、便利な暮らしと引き換えにいつの間にか選択肢を狭められてゆく方がずっとずっと恐ろしいと、#テクノロジーのスピード #迫り来る危機 冒頭に掲げたSF作家のクラークの法則は、現代にも、今まさに、生きていて、その法則とは、いつも、後からきた誰かによって破られるためにあるから、だからこそ、著者は、この書籍を発行したのであると、、、、、、。

 

第Ⅰ部:政府が狙われる:

第1章: 最高権力と利権の舘、<デジタル庁>:

#3.11 #日本全国デジタル化計画(Society 5.0) #オンライン会議ツール #ZOOM #生体識別情報(顔・指紋・静脈識別) #TikTok生体識別情報自動収集 #GAFA #GOOGLE Amazon #Face Book (Mega) #Apple #惨事便乗型資本主義 #ショックドクトリン #アクセンチュア #データセキュリティ #無料通信アプリ #LINE #個人データ流出 #情報漏洩 #回転ドア #日米デジタル貿易協定 #クラウド法 #BATH(バイドウ・アリババ・テンセント・ファーウェイ) 

 

個人情報と言う形での資産が、海外へ、流出・漏洩、無断で使用されている現実的な事態に無自覚

グローバル企業と政府の間を理外か傾斜が頻繁に往き来するアメリカでは、#回転ドアとは、利益相反と同異義語であるインサイダー的な情報漏洩の危険性よりも、むしろ、合法的利益相反システムであると、官民人事交流という形での非常勤公務員(臨時雇用職員という身分)である。

 

第2章:スーパーシティーの主権は、誰に?

#デジタルシティー #スーパーシティの3つの落とし穴 #デジタル版国家戦略特区

#公共という名が消えた自治体 #公務員が要らなくなる事態 #福祉の不正受給者あぶり出し

#ケースワーカーのロボット化 #AIによる信用スコア化の現実味

 

無人行政、無人スーパー、無人銀行、無人ホテル、自動運転などによる究極のデジタル都市計画の推進、逆に、デジタル化が進めば進むほど、人間同士が分断化されてしまうと言う現実を、どのように防止できるのか? 違いを超えた他者の姿がよく見えなくなってしまうという現実、社会から存在を消された人達が団結したり理不尽な扱いを受けている人々が互いの苦しみや怒りを共有し、共に立ち上がり行動を起こす可能性はあるのか? 明日は我が身の自分にもなり得るという想像力とお互い様という公共精神こそがデジタル行政化には不可欠であると言われているが、機能不全に陥りつつある労働組合や政党に、果たして、何処まで期待できるのだろうか?

 

第3章:デジタル政府に必要なたった一つのこと:

#フィリピンの失敗例 #危険なRCEP #エストニアの秘策 #ブロックチェーン #グレートリセット #デジタル新世界 #ID2020計画(難民デジタル管理) #個人情報は性悪説で守秘せよ #街からGoogleを追い出した市民 #ネット検索されない権利 #一帯一路 #エストニアの事例 #デジタル・セキュリティ #第4次産業革命(4th Industrial Revolution ) #肉体とデジタルの融合 #デジタルとIdentityの融合 #忘れられる権利 #個人による個人データを消去する権利

#ネット検索されない権利

 

#RCEP(地域的包括的な経済連携協定)と#中国版TPPの陥穽とは?サーバーを制するモノが、デジタルを支配するという過酷な現実とは?最大の戦略的なツールである他国のデジタルデータへの介入を中国に譲歩してしまったという事実への無自覚さ、サーバーが北京におかれても文句を言えない現実、(GAFA vs BATH(バイドウ・アリババ・テンセント・ファーウェイ))基本的に、中国企業(中国内の外国企業も)は、中国共産党からの情報開示要求を拒むことが禁じられていると言う現実、

 

#デジタルセキュリティを国家の最優先課題とし、国家の役割を変えることと、信用を電子化すること、ハッキングを想定して、国民の個人情報や国家データの安全確保のために、海外にも、バックアップ体制を構築する必要があろうと、個人データの所有権は本人に属し、厳格な透明性と、いつ誰が、どのような目的でアクセスしたかを自由にオンラインで確認出来る担保と厳しい規制措置が保証されなければならない。又、いつでも、削除できる権利を有していなければならない。この観点からすると、大手銀行による個人情報の販売などは、交通系カードの利用データとも絡んで、一体、何処まで個人情報の守秘義務と機密性が担保されているのであろうか?甚だ、心寒い思いが否めないが、、、。#ブロックチェーン技術は、本当に、どこまで、そうした観点から、有効なツールになりうるのであろうか?東芝の事業部門の切り売りなどは、海外へ流出しないのであろうか?年寄りは、老婆心ながら、心配してしまうが、、、、、、。

 

一体、5Gで繋がったスマートシティーの世界や肉体やIdentityが、デジタルと融合したり、私達の思考方式・嗜好や行動パターンまでも巨大プラットフォームの中に組み込まれ、読み取られてしまう先にある世界は、一体どんな世界なのか? #Post Great-Reset の世界とは?

 

#忘れられる権利 #個人による個人データを消去する権利 #ネット検索されない権利 という<譲れない核心的な大切な価値観である>3大権利は、どのように担保されるのであろうか? #透明性・信頼性・協力・双方向性という要素のルール化、欧州での個人情報保護法案、#GDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則) vs GAFA 規制 (欧州でのヤフーメールのサービス停止問題)、

 

第二部:マネーが狙われる:

第4章:本当は怖いスマホ決済:

#現金大国日本 #QRコード決済 #電子マネー5大分類 #サービスデザイン推進協議会 #電通 #パソナグループ #デジタルイノベーション実現会議2018 #キャッシュレス決済第一位の韓国のカード地獄 #私生活まるごと国家管理の中国 #AIによるスピード融資審査 #改正資金決済法の改定 (Apple Pay) #全国銀行データ通信システム(全銀システム) #銀行間資金移動システム手数料 #フィンテック #ノンバンク(キャッシュレス)決済事業者 #NTTデータ利権が崩された訳 #政権関係者はペイペイ関係者 #デジタル給与 #預金者保護法は担保されるのか #地方銀行淘汰 #危険な竹中平蔵式のベーシックインカム #スマートファイナンス #AIによる信用スコア化 #SaaS(Surveillance as a Service:監視によるサービス)

 

1997年のアジア通貨危機と2008年の世界金融危機により打撃を被むり、外資金融業界の格好のターゲット(餌食)になってしまった韓国に於ける禁断の規制緩和である、#キャッシング貸出金額の上限規制の撤廃に端を発したクレジットカードの増刷とカード・ローンによる#キャッシング返済という#自転車操業キャッシングという仕組みと終わりなき#カード地獄の始まりという図式、#カード支払い遅延率の増加と#多重債務者の増加という現実 

 

コロナ禍での#非接触のツールという追い風から、#電子マネーや#モバイル決済が急速に普及し始めた現実、圧倒的に自国通貨への信頼性が低い中国での皮肉な#デジタル人民元や#デジタル通貨への移行、 しかしながら、そうした便利さとの引き換えに、国民は、知らず知らずに、デジタル社会での最大の資産を、国家へと無条件に、(私生活の情報が丸ごと監視され)、差し出しかねない自体に気がついていない。オレオレ詐欺やアポ電強盗による現金詐取被害は、外国では考えられないくらいに、日本では多いという驚くべき現実と現金への信頼、

 

学歴・勤務先・資産・人脈・行動パターン(買い物履歴・交通違反・各種トラブルなど)返済履歴(負債・支払い遅延)など、個人情報を商品化した一種の信用格付け情報サービスで、これが、今や、個人生体認証や顔認証ともバイオメトリックスとして融合すると、不愉快そうな、おどおどした状態で、スーパーに入店しただけで、いきなり、万引Gメンがピッタリとマーク監視したり、無人コンビニでは、何度入店を試みても、自動的に入り口で、入店お断りになる可能性が、現実味を帯びてきますね。ヒトは、見かけで判断されるどころか、乞食のコスプレでも大金持ちは、裸の王様でも、入店OKになるかも知れません。

 

#フィンテックの進展に伴う、ノンバンク決済業者と全銀オンラインシステムの関係、或いは、これらと政界・海外コンサル会社・銀行金融界の人脈間での利害相反が見え隠れ中で、#マイナンバーカードと#保険証や#eタックス申告による税額控除増額というインセンティブなど、年金・税金・保険・給与・ポイントカード・GoToトラベル、他のありとあらゆる生活の分野で、今や、デジタル化の統合と包括化を謳った<便利さ>と引き換えに、<撒き餌>が、公然と現在進行中であることも事実である。

これから先の世の中では、一体、誰が、蛇口の水(自分のカネと資産)を開け閉めするのであろうか

お行儀良く、よい子にならないと、蛇口は突然、締められてしまう恐れはないのであろうか?

 

第5章:熾烈なデジタルマネー戦争:

#デジタル通貨構想 #仮想通貨:リブラ、 #ビットコイン #基軸通貨 #世界金融システム #米ドルの支配 #デジタル人民元 #CIPS(人民元クロスボーダー決済システム) #世界統一デジタル通貨 #国家による通貨発行権の消滅 #高額紙幣の消滅 #体内マイクロチップによる秒速決済完了

 

どうやら、ことは、個人の生活上では、済まされずに、今や、国家間でのレベルになりつつあるようである。国家権力と通貨発行権の主体という根源的な問題に迄至りつつある。#基軸通貨という考え方と、#SWIFT(国際銀行間通信協会)も含めたドル決済による国際的な銀行間取り引きシステムとも絡んでくるし、ウクライナ危機に対する非軍事的な制裁措置としてのSWIFTからの排除とも絡んできそうである。

 

果たして、嘗て、日本がドルの支配から脱却を目論んだ、日本円の第3通貨構想を、果たして、人民元が、全く異なる視点であるデジタル通貨の普及で、一帯一路と相俟って、果たして、本当に近い将来、実現出来るのであろうか?虎の尾を踏んでしまったリブラは、あえなく頓挫してしまったが、習金平は、果たして、ゼロ・コロナや恒大グループの不動産不良債権問題」を克服して、ドル基軸通貨に風穴を開けられるのであろうか?

 

キャッシュレスに始まった現金・コイン廃止の動きは、銀行にとっても、都市部のATMの廃止やオンライン通帳による経費の削減と効率化に向かい、更には犯罪の撲滅と税収の増大という二つの目標をも、その延長線上に、近い将来、同時に実現出来るのだろうか?

 

第6章:おカネの主権を手放すな

#匿名性と個人のプライバシー #違法資金洗浄 #マネーロンダリング #脱税 #犯罪対策 #サイバー犯罪 #現金がなくなることで犯罪は減るのか #預金封鎖 #タンス預金の行方 #デジタル財産税 #デジタル訪問販売サギ #改正特定商取引法改定 #18歳成人制度への移行 #改正銀行法 #韓国と連携した郵貯による信用スコア 

 

テロとの戦いの中で浮上してきた資金洗浄の対抗策としての現金との戦い、現金を悪者にする、本当の真の意図はどこにあるのであろうか?自国政府は、いつも、善い正しい行動をとる等という保証は何処にもないのであり、政府は必ず嘘をつくという名言を、どのように読み解いたら良いのだろうか?

 

昔の歴史を読み解くときに、#徳政令 #モラトリアム 等という言葉を単に、借り得だとか、支払い猶予だとか理解していたら、戦後間もない悪政インフレ退治や財政の破綻防止にとられた旧貨幣価値の更新や#預金封鎖の強行は、決して、インドの高額ルピー紙幣の廃止ではないが、まんざら、忘れやすい日本人でも、他人ごとでもなさそうであろう。これらの政策の真の狙いは、実質的な#財産税の徴収と将来的な#個々人の資産把握を可能にさせるための予備準備であろうか?

 

実際、ピケティ等が、提唱する国境を越えた富裕税の徴収や、#デジタル財産税の創設導入も含めて、1%の一部の人間のために、99%の難民も含めた全てのデジタルID総背番号管理に至る序章なのであろうか? 匿名性と個人のプライバシーとの国境を越えた両者のせめぎ合いは永遠に続きそうで、イタチごっこなのだろうか? 本当は、デジタル化で利便性が向上するのは、消費者・利用者ではなく、実のところ、サービスを提供する側とそれを統括するひと握りの組織だけなのであろうか?

 

成る程、#報道しない自由とメディアによる#報道の自由への自主規制(ある種の政治的な忖度)などは、改正特定商取引法の内包する問題、老人(かんぽ生命他で契約上の問題になったデジタル契約書を認知症の老人が告知認識せずに一方的に締結された問題)や若年層(18歳成人年齢の引き下げ問題)への具体的・潜在的な危険性は、何も、#ジャパンライフ詐欺訴訟や#マルチ商法、等を取り上げるまでもなく、十分、報道されていないことは、まことに遺憾ではなかろうか?

 

<おカネとは、思想そのものである>、<少しでも違和感を抱いたら、躊躇せずにノーと言うことだ!><まだ、声を上げられるうちに、>という著者の一言は、誠に、傾聴に十分値するモノである

確かに、言論・行動・思考・嗜好・表情、など、あらゆる分野でアルゴリズムとAIとバイオメトリックスが、複合的に融合して、瞬時にして、信用スコアが、デジタル化で判定され、みえない手で監視されてしまう未来が来る前に、、、、、、<なぜ、私達は、おカネの為に、一所(生)懸命に、働いているのか?>、又、物心がついてから、長年、働いてきたのか? 自問する必要があろう。

 

第Ⅲ部: 狙われる教育

第7章: Googleが教室に来る

#GIGAスクール構想 #生徒の個人データの収集 #デジタル改革関連法の大幅改定 #個人情報保護条例 #緩められた自治体の個人情報保護ルール #公立学校内の5G基地局設置 #電磁波健康被害と通信機器との相関関係 #デジタル教科書 #教師採用の変容 #電波規制緩和 #パンデミックスと邪魔な規制撤廃 #プログラミング教育の導入 #加速するオンライン教育 #世銀とGAFAとアフリカの子ども

 

電波通信事業という分野は、これまで、NTT電電公社の民営化で、電信電話であると理解していたが、土光民調や中曽根内閣による、事業の民営化による移管だというように、国鉄も電電公社も、更には、その後の小泉による郵政民営化も含めて、官から民への衣替えくらいにしか、当時は、感じていなかったが、上記の歴史的な一連の流れの中で、改めて検証してみると、間違いなく、ある種の<利権構造>そのものであり、しかも、とりわけ、(通信)電話・電信とは、電波であり、まさしく、今日的な広い意味での<宇宙的なサイバー空間・ネット領域>・<通信分野の国際的な自由化>を意味していることに、改めて、気づかされる。それは、もはや、単に、一世を風靡したあの<i・モード方式やPHS方式携帯電話の隆盛と衰退>と言う問題だけでなく、或いは、何故、ソフトバンクが真っ先にiphoneに飛びつき、最期まで、NTTドコモは、導入を躊躇っていたかという疑問も自然と解かれてしまう。

 

嘗て、田原総一郎が、<デジタル教科書はいらない>と言う著書の中で、デジタル教科書もデジタル黒板も不要だと主張したのを記憶しているが、当時私は、国際貿易の最前線で現役ビジネスマンの真っ只中で、しかも劇的な為替変動相場の中で、必死に、日々刻々進化する黎明期のPCデジタル技術の習得に、日夜励んで、それというのも、Faxから、ワープロに、そしてNEC98から、Windows95へ、そして、テレックスから、E-Mailへ、国際電話代が高額だったから、SKYPEで、やりとりしたりしながら、海外の取引先から、花火が綺麗だからと貰ったPCのファイルが、後日、コンピューター・ウィルスだと知ったときは、もう、後の祭りだった、そんな時代背景を想い出す。

 

私は、ほとんど、運動神経は、文武両道で、負けてはいないが、それでも、左脳中心だから、最近目にした、ダンス科目の導入やヒップホップ・ダンスの履修など、流石に、右脳が化石化している自分などは、今の小学生でなくて良かったと思いました。更に追い打ちをかけるように、#プログラミングの履修必修化に至ると、もうココまで来ると、流石に、英語や貿易用語・金融用語・PCの扱い方などは、マシな方で、こちらは、飯の種だから、嫌が応にも、ツールを習得しなければ、生き残れず、<喰うための不可欠な武器・ツール>と割り切って、マスターするために自己流の勉強をせざるをえませんでした。美術や技術工芸や家庭科の裁縫や音楽のリコーダーなどはまだしも、ヒップホップやプログラミングなどは、生徒も大変だが、教える側の教師自体が、専門的な知識を持ち合わせておらず、更には、日進月歩の技術を教えるとなると採用試験自体が、教員免許制度自体が、採用自体が変容を迫られることになろう。

 

第8章:オンライン教育というドル箱:

#米国発の教育ビジネス #学校に投資する意味 #チャータースクールの陥穽 (費用は税金、運営は民間) #ベンチャー型チャリティー(寄付金控除)事業 #教育の投資商品化 #民主党オバマ大統領の功罪 #教育ビジネス #オンライン教育市場 #教育(学校運営)の外部委託 #子どもを仮想空間へ移せ #公教育解体と教育のデジタル化 #立ち上がる親と教師

 

#ヘルス産業と同じような将来まさに金の卵を産むガチョウが、#教育ビジネスで良いのであろうか?それは、もはや、昔の塾の経営とか、予備校とか、#公文式学習法とかいう範疇では、済まされないレベルになりつうあるのが、現実であろう。恐ろしいことに、公共教育という共有財産分野に、正々堂々と寄付金控除が可能な民間資金に、公金が投入され高い配当性向が還元されるというビジネス・モデルが確立されている。

 

米国に於ける公共教育の場への私的な資本が、公的資金の利用という名目で、事実上、投入されていったビジネスモデルの陥穽があるとしても、私立の教育機関では、なかなか、この流れは、流石に、<学の独立>と言う歴史的な<倫理上のリテラシー>から、飽くまでも<個人による善意での母校への寄付金>と言う形で、行われていて、あからさまな形でのリターンを求める迄には、今のところ、いっていないようであるが、私学の独自の伝統と尊厳と会計報告公開義務だけに委ねるのは、問題かも知れない。返還義務を免除された奨学金制度上の募金や運用改革など、コロナ禍で問題になった喫緊の課題でもあろう。

 

 

第9章:教科書のない学校:

#生身の教師は不要になる #タブレットなしには自分の頭で考えられない子ども #自分の子どもにスマホを持たせない #荒川区学校図書館活性化計画 #待つことの価値 #早くしないとおいていかれるという考え方#スピードこそが価値を持つという価値観 #教育改革は急いではならない #ミラーニューロン脳内細胞 #手書きと脳の関係性 #倫理を持たないAI vs 未来を選ぶ私達

 

国家公務員法には、公共のために働く条項や、憲法99条で、公務員は憲法を尊重し擁護する義務を応という一文があるが、非正規の臨時職員採用などにより、実質的な形骸化と空洞化が進む中で、単に、知識の伝達や検索する方法、ツールの使い方を教えるインストラクターさえいれば善しとする現状は、真の教育とは、教師の本当の役割とは、何かを改めて、考えさせられる。

 

幕末の松下村塾吉田松陰による教育とは、デジタル・オンライン教育と何処が違い、或いは、明治期の札幌農学校のクラーク先生や、お雇い外国人教員の教えは、一体、何処が違っていたのであろうか? 実に、興味深いところである。

 

二つの特徴ある授業とは、①すぐに答えをおしえてくれないこと。自分とは異なる考え方に傾聴する事を学び、活発に議論する。②教師が決して、生徒の答えに○×をつけないこと。正しいかどうかではなくて、その答えに辿り着いたプロセスに興味を持って貰うことに重点を置き、思ったことを自由にありのままの自分でいられるようにすること。 

生身の存在として、教師の一番重要な役割とは、違う考えのあるひとの存在を同じ空間の中で受け入れることや、想像力を駆使して、他社に共感する訓練をせざる終えないこと、又、答えの出ないことを考える道のりに何よりも価値が置かれている。(結果よりもプロセスの重視)ヒトとしての繋がりや生徒を褒め、励まし、上達を共に喜ぶことこそではないか!、

 

子どもの健康な身体、創造性と芸術性と感受性、規律と自制の習慣や 柔らかい頭と機微な精神を十分に発展させる能力が妨げられないためには、デジタル機器を13歳未満の子どもに利用させないことであるそうである。

 

#共感力を育むためには、実際に、人と対面で会う事が必要で、#ミラーニューロンと言う脳内神経細胞が機能して、他者の行動やその意図を理解出来ると、モニターやスクリーンを通じて会っても、画面を見ているだけで、生物学的なメカニズムが作動しないと、

 

子ども達の自身による<情報分析・収集能力>と<批判的な思考>を育むためにも、又、<情報の多様性を身体で感じる>ことを学ぶには、図書館活性化計画が必要であろう。 多様なヒトが集まれる場所が次々に消えていっているという現実が、コロナ禍で進行中、地域コミュニティも機能せず、子どもだけでなく大人にとっても、公共的なプラットフォームまで失いつつある。

 

SNSとは、思想を蛸壺化して囲い込むことができ、創業者のザッカーバーグ自身が20世紀最大の大衆操作ツールであるとまで、まるで、ゲッベルツもビックリするくらいの認識で語っていると、そして、その情報とはビッグテックによって意図的に操作され、作られた情報格差で、決して平等ではなく、また、万能ではない。全て、便利な機器やネット回線のインフラの提供も私企業であるという構造を、しっかりと、子ども達に、しっかり教えておく必要があろうと、実際、現実の世界は、GAFAやBATHの外にも、存在していて、そこでは何ら評価されないような人達が同じように生活しているという事実を、、、、、。

 

確かに、生まれたときからテレビがあり、スマホがあり、パソコンもタブレットある世代には、国家権力をも超える眼に見えない影響力と支配力を有する得体の知れない、利便さを提供してくれる様々なツールやアプリやサービスを、自分たちで選択しているようで、実は、思考を形成されながら生きているという現実的矛盾を、デジタル世代は、気がつくことが出来るのか?また、気がついたとしても、抵抗できうるのであろうか?そんな<心の眼と気付き(覚醒)>を、どのようにしたら、育むことが出来るのであろうか?

 

テクノロジーと人間の考える力、忘れない事、問いかける力、まつことを厭わない忍耐力、想像力、等の教育との関係性をもう一度、じっくりと考え直してみる必要がありそうである。#透明性 #説明責任 #公平性 #倫理性 #未来を選択する権利 #基本的人権 #個人情報保護 #憲法の順守 を改めて、考え直し、同時に、AIが、人間の頭脳に限りなく近づくよりも、もっと、危険なことは、どうやら、人間が知らぬ間に、茹で蛙の如く、無感覚になってしまい、AIに忖度して、コンピュータのような思考方式に、気がつかないうちに、感情も、表情も、行動も、思想も、判断も、委ねることで、考え始めたときにこそ、真の<デジタル・ファシズム>に陥り、その時には、既に手遅れになるということであろうと、そのツールを動かすのはだれなのであろうか?

 

エピローグ:

#ステークホルダー資本主義 #情報の非対称性 #個人情報保護=基本的人権 #一般データ保護規制(GDPR) #アルゴリズム #プライバシー保護 #デジタル権利法 #未来を選ぶ自由 #深く考える力 

 

#無法なネット空間で荒稼ぎをしてきた勢力に対して、企業が収集したユーザーの個人データにアクセスする権利、不正確な情報を修正したり削除したりする権利、そして、アルゴリズムが下した決定を制限する権利を手に入れること、個人情報=基本的人権であるということ

 

もう、若い頃に読んだ著者達も、数名を除いて、鬼籍に入ってしまいましたが、改めて考えてみると、今日的な課題は、エネルギー問題も、基軸通貨の問題も、貧富格差の問題も、排外主義思想も、領土・国境の問題も、違法なテロリズム・暗殺も、ナチズムや軍国主義のくびきから、多大な犠牲と生命財産を失われた上に、解放されたにもかかわらず、高邁な理想と普遍的な人権・言論の自由、安心・安全を享受しうる正当な権利すらも、70有余年の後の世には、いまや、風前の灯火であり、形を変えた新たな専制権威主義と価値観を異にした闘いの火種を、宿していることが、何とはなしに、感じられる。それは、あるときには、剥き出しの暴力であったり、また、あるときは形を変えた、眼に見えない空間で自覚することなく自身に迫り来る暗闇のような精神的な恐怖やトラウマのような未知への将来への漠然とした恐怖なのかも知れない、そんな不確実性は、新型コロナ禍の拡大と共に、一層、ヒトとヒトとの非接触と一定のSocial Distance という距離を置くという、人類がこれまで育んできた生物学的な細胞学的なメカニズムまでも、ライフ・スタイルのみならず、明らかに、年齢世代や性別・貧富の差にかかわらず、間違いなく、影響を及ぼそうとしていることは、どうやら、カミューのペストの時代のスペイン風邪やインフルエンザとは、異なる様相を呈し始めていることが、この著書を通じて、考えさせられる。とりわけ、若い世代、これからの時代を牽引するであろう、子ども達は、一体、どのような世界を過ごすことになるのであろうか?

今日では、あからさまな軍事的な謀略だけではなくて、準軍事的な、内戦型・謀略騒乱型の情報騒乱や情報・交通・基幹産業インフラを狙った事前的ななし崩し的なサイバー空間での衝突を前提にしたシナリオが、常套手段とされ、昔の中野学校的なインテリジェンス活動が、事前に、緻密に、プログラミングされていて、気がついたときには、既に、敵の術中に嵌まってしまって、身動きが取れなくなってしまう状況に陥ることも、珍しくない。

少なくとも、それ程もう、残された時間もない50年前の元若者達には、何が出来るのであろうか?少なくとも、子ども達の未来をしっかりと選べる権利を残すためにも、何をしたら良いのか、自問自答しながら、本を閉じることとしたい。


米澤穂信著、「黒牢城」を読み較べる

2021年09月19日 | 書評・絵本

米澤穂信著、「黒牢城」を読み較べる:(7年前の遠藤周作著、「反逆」上・下巻と)

 

今から、もう50年くらいの前の元怒れる若者(イカレタ若者)は、司馬遼太郎の「播磨灘物語」から、黒田官兵衛という戦国武将のイメージを歴史小説の中から、膨らませてきたのが、始まりだろうか、コロナ禍の中で、NHK大河ドラマも、ご多分に漏れず、途切れ途切れのまるで、オムニバス映画のような形で、2020年の「麒麟が来る」も、光秀の生い立ちから、本能寺の変に至るまでの様々な人間関係、とりわけ、未だ、古文書には、発見されていない歴史的な史実とは異なる、所謂、風評も含めた、立証されていない事や、恐らく、そういう人間関係もあったことは、あり得べかりし可能性があるような人間関係も、含まれていて、確かに、2014年に放映された同じ大河ドラマの「黒田官兵衛」で、描かれていた人物像に、興味を抱き、先ず、7年前に、下記するような遠藤周作の「反逆」上・下巻を読んでみた事を想い出した。(もうそんなに時間が経過したことにも驚く)

更に、昨年、途切れ途切れに放映された上述の「麒麟が来る」も、伏線になっていることも、事実であろうが、何よりも、古文書を通じた実証主義的な見立ても確かに、正統的、教科書的ではあるものの、やはり、作家の独自の創造ととりわけ、ミステリー作家による推理というか、古文書の解釈をする上で、独特のユニークなミステリアスな解釈を著すことは、誠に、作家冥利に尽きるものがあろうかと思われる。とりわけ、1年もの長きに亘って、暗い湿った土牢の中で、一体、どんな会話、密談が、交わされたのか、それとも、されなかったのか、ということよりも、読者としては、やはり、そこには、何らかの古文書や史書には残されることがない、限りなく、フィクションには違いないが、事実ではないとは言い切れない何かが、描かれても構わないのではないだろうかと、その真偽の程は、ひとえに、その読者の判断と評価に、委ねられて然るべきではないだろうか?

社会に出た頃、上司が、「両親と上司は、自分には選ぶことが出来ないものだから、諦めるほかないね!」と言われたが、後年、自分が部下を持つ身になったときに、「自分よりも優れた部下が来たときには、どのように、育てるべきなのか?」、確かに、木村村重は、官兵衛を、或いは、光秀を、或いは、秀吉を、信長すらも、自らの器量とを較べるときに、言い知れぬ未来への不安と、自らの過去の成り上がりとしての歴史を振り返るとき、実際、(主君の追放・乗っ取りという)下克上で逆転してしまった主君と家来の関係の中に、常に、裏切られるのではないかという疑心暗鬼と、益々募ってくるその蓋然性を、自らが、否定しきれなくなったのではないだろうか?だからこそ、家来も、一族郎党・女子供も含めた部下を残して、毛利への直接的な援軍の直談判を行うことを最優先させて、実行したのであろうか?それとも、嫡男の嫁は、光秀の娘であり、実家に、離縁され戻されたとは言うものの、ミステリー作家の推理としては、本願寺や長島の一向一揆勢や、雑賀衆鉄砲隊や、佐久間信盛 ・松永久秀・筒井順慶、宇喜多の離反、或いは、高山右近などのキリシタン大名・南蛮寺宗派との水面下での連携・呼応が画策されても決して、おかしくない状況ではなかろうか?更に、読み進めると、(本のあらすじにも関係するので、詳しくは書けぬが、、、、兜首の実地検分の仕方も、興味深いものがあり、討ち取られた首の形相にも、様々な吉凶があるものであることを知る。又、死化粧を施す女房達の役割、検分に関する透明性と正当性の判定)、そこには、寸分の隙があれば、それが禍根となって、分裂や反目から、派閥対立や、内ゲバ、離反へと繋がり兼ねないというそういうリスク、どれ一つをとっても、リーダーたるものは、枕を高くして寝ることは許されないのであることが分かる。今のサラリーマンにも、組織・運動体、或いは、政党の争いにも、共通するものであるのかもしれない。

黒田官兵衛は、後年、関ヶ原の戦い後も、ひたすら、九州の地で、領土拡張をしっかりと隠居の身を蓑傘のようにカモフラージュとして、家康から、詰問された際にも、平然と堂々と自説で応えたり、竹中半兵衛は、信長の命令に背いて、官兵衛の嫡男の松寿丸(後の黒田長政、有岡城の土牢に幽閉されていた間の人質を匿って、命を救ったが)、後年、長政が家康と会談したときに、「おぬしの左手は、その時、何をしていたのか?」(何故、脇差しで刺殺しなかったのか?と示唆したと言われているが、、、、)そういう一介の秀吉の軍師、小寺官兵衛から、後に、独立創業する形になる黒田家へと勇躍する事実を示唆しているような時期の話である。村重の謀反から1年で落城、その3年後の1582年には、本能寺の変が起き、村重自身も、1586年に、52歳で、没している。

戦国武将の倣いに背いて、部下を捨て、妻子を捨て置いて、出奔したことからなのか、初めは、「道糞」(道端に転がっているくそったれの糞)という名前から、茶人として、秀吉の「御伽衆」への参画後には、「道薫」と改称した所以までは、明かされていないが、、、、、、。その改名理由も、興味深いところである。松永久秀の自害と共に、打ち壊されたと言われている、茶器の平蜘蛛に対して、村重は、一方、高麗茶器を、光秀への支援・和睦のための道具として、有効活用しようとしたことは、後の茶人としての意地を感じられないこともないが、、、、、。その対照的な選択の違いは、一体、どこから来るのであろうか?

 昔、若い頃、ある友人が、物事から、徹底的に、逃げることを繰り返して、結局、逃げ切れたら、そのことは、結局、大したことは無いのだと思うことにすると言っていたが、借金でも難でも逃げ切れるのならば、それも良いかも知れないが、松陰ではないが、今、死すべき時と判断したら、直ちに死すべきだが、そうすべきでないと思えば、逃げることを厭わないことであると、まるで、逃げの小五郎と久坂玄瑞の生き方と死に方を示唆したような、或いは、榎本武揚と土方歳三との対比をも思い起こさせるものがある。しかしながら、籠城や、或いは、ガダルカナルや沖縄の洞窟で、火炎放射器の攻撃を受けざるを得ないときには、自分は、どんな選択を行うであろうか?莫大な債務を背負ったときに、1円でも、毎月支払いますと言った途端に、自分も、家族も、一族郎党共に、磔になることは、ないだろう。それにしても、碓氷峠の横川の駅の河原には、磔川原という名前がついていて、夜通過する度に、ハンドルを握りながら、往時を偲ぶと、心寒いものがあったことを想い出す。

 

 

 

(7年程前の)2014.07.01 ブログより

 

=遠藤周作著、「反逆」上・下巻を読む:

大河ドラマに出演している田中哲司(後に、仲間由紀恵の旦那になるが、その時は、私にとっては、未だ名も知らぬ存在であった)という俳優が、荒木村重役をなかなか、うまく演じていたので、改めて、荒木村重を考察する過程でこの作品を知ったので、読むことにした。戦国大名というものは、全く、主君を選ぶことも命懸けであること、又、その一族郎党ともども、ひとつ間違えば、謂われのない、或いは理不尽な理由で、磔にもなってしまう。まるで、今日のサラリーマンの人事抗争さながら、もっとも、自己破産しようが、今日では、少なくとも、磔にはならずに済むから、まだましなことであろうか?
小説というものは、ある種、作られたものであるとはいえ、当時の勝者の歴史、敗者の歴史をどれ程、反映しているかは、著者の歴史観にも関わって、おおいに、異なるところである。又、歴史上の古文書やら、後世に作成された伝聞書も、想像力と読み方次第では、不名誉な部分は、余り触れられず、おおいに面目を施した部分のみが、今日、歴史学上は、語られることが、おおいものである。それらの歴史学上の課題を見据えても、尚、今日的にも、なかなか、このタイトルの有する「反逆」なる言葉は、歴史上の人間関係の相関図を改めて、眺めても、面白いものがある。

物語は、天正6年(1578年)の荒木村重の叛乱に始まり、本能寺の変(1582年)、山崎の戦いを経て、天正11年(1583年)までを大筋として、北の庄で、柴田勝家が秀吉により滅ぼされるところまでを、様々な人間関係の中で、その各人の心理状態を解きながら進められる。とりわけ、主君、織田信長を中心として、明智光秀・羽柴秀吉・丹羽長秀・柴田勝家・佐久間信盛・松永久秀・滝川一益・細川藤高・徳川家康・荒木村重・中川清秀・高山右近・足利義昭・朝廷、そして、武田信玄・上杉謙信・一向宗徒・顕如・毛利輝元・長曾我部元親・安国寺恵瓊・千利休ら茶人人脈・紀州雑賀衆、等、これらのきら星の如く居並ぶ人物達の中を、その友人関係・縁故関係・政治関係を、細かく、心理描写することで、何故、「反逆」を起こさざるを得なかったのかを小説風に書くものである。
 荒木村重は、何故に、叛乱を起こしたのであろうか?何故に、一族を見殺しにして、自らを、(まるで、道端に転がる犬の糞のような存在であると揶揄し)「道糞」と称して、茶の湯の世界に、埋没し、再三の秀吉からの取りなしを拒否し、息子、村次に、譲り、後に、秀吉のお伽衆として、利休の弟子7人衆の1人としてはやされるようになって「道薫」と、称して、茶の湯の世界、一方で言えば、非政治的な世界という対局であるものの、逆説的には、実は、光と影のような同じ世界で生き抜いていたのであったかも知れない。密室で、二人きりで、茶を立て、密談を凝らすと言うこともまた、当時は、生臭い政治闘争の裏舞台では、当たり前のことだったのであろう。それにしても、崇高な、自分には成し遂げられないようなカリスマ性を有する主人へのコンプレックス、嫉妬、強い執着心、おののきとおびえ・恐れ・不安、そして、未来に対する確信の代わりに芽生える捨て去られるであろうひとつの単なる道具への恐怖、やれどもやれども、報われぬ感情と成功報酬への不安、何よりにも勝るところの政治戦略的な合理性、血も涙も許さない合理的な冷徹さ、闘いの果てにみた人間の心の弱み、悲哀、寂寞感、無常観、それは、この時代を生き抜いた家臣団には、古参であれ、外様であれ、多かれ少なかれ、似たような心理的な葛藤と苦渋が、見られたはずである。それは、息子、元康を切腹に処さねばならなかった家康にも、北陸の陣中で、勝家と口論の挙げ句、戦陣から許可無く帰還した秀吉も、叔母を殺された光秀も、松永久秀も、誰もが、一様に、程度の差こそあれ、同じような複雑な感情、理不尽な感情を有して、仕えながら、結局、或る者は、謀反という形で、反逆へと収斂していったわけである。
 遠藤周作は、同じキリスト者として、荒木村重との関係の中で、敢えて、片山右近を、その友人関係の中で、詳しく、その心理描写で取り上げている。このキリシタン大名として名高い人物は、心理的な葛藤の中で、如何にして、自分の行為を正当化してゆけたのであろうか?それとも、それが、秀吉によるキリシタン禁教以降、やはり、武士の身分を最終的に棄てて、最後には、国も棄てることで、自己完結したのであろうか?キリスト教による異教徒との闘いへの疑問、この場合には、本願寺一向宗門との闘いであるが、これ即ち、信長側に味方することになったわけであるが、、、、、、、、。その意味からしても、村重同様に、秀吉からも、誘いの手がその後まで、及び、結局、武士を棄てることを決断させたのは、ある種、村重の生き方にも共通するところがあろう。当時、一体、どれ程の武士が、身分を棄て、茶人や商人になったのであろうか?恐らく、主君を理不尽に失い、一所懸命に、守ってきた先祖伝来の土地を失い、やむなく、土地を離れたり、身分を変えた人々は、歴史書の中には、決して、表には、出てくることはなかろう。村重と関係で、妻のだし、さと、(村次に明智より嫁ぎ)、その明智の娘、たま(後の細川ガルシャ)など、当時は、親戚・一族、様々な形で、養子・縁組み・血縁関係による同盟関係が、当たり前だったことを考えると、何とも、歴史の選択、情勢判断、決断の行く末とは、恐ろしいものである。
それにしても、多かれ少なかれ、当時は、誰もが、ある種、少なからず、主君には、知られずに、ひたすら、忠義を尽くす一方で、心底、己が取って代わるという野望(下克上の正当性)を抱いていたのかも知れない。この物語の中で、主亡き後の時代に際して、実に、秀吉と言う男は、変わり身の早い行動をひたすら、主君家を立てながらも、役に立てられるものは、すべて、理にかなうのであれば、友人関係、ありとあらゆる関係を駆使して、(人垂らしの本領で)調略してゆく、この人垂らしの才能は、やはり、槍一本で名をなした武硬派の行く末と比較しても、余すところなく、示唆している。(後の柴田勝家・佐久間信盛・加藤清正・福島正則等)、とりわけ、後に、加賀100万石となる前田利家などは、勝家との関係性の中で、必ずしも、賤ヶ岳の戦いで、非難されども、その後の歴史の中では、うまく、秀吉・家康の世の流れの中を無事、乗り切り、北陸に、今日、金沢・加賀100万石という国を建てられたのも、単なる「処世術」とは言い切れぬ何ものかがあるのかも知れない。賤ヶ岳の戦いの中で、討ち死にした中川清秀にしても、生き延びていたら、ひょっとしたら、村重・清秀・秀吉・光秀、等と一緒に、時代の頂点に立てた可能性もあったかも知れないと想像すると、なかなか、歴史というものは、面白い。家康は、そんな秀吉の才能と天運を誰よりも、横目で、学習していたのかも知れない。
 この時代は、後の江戸時代のような道義的な忠節はなかったのかも知れない。換言すれば、主君が、凡庸と思えば、別の主君に平気で仕え、主君も、主君で、役に立たないと思えば、部下を見限る「飴と鞭」の統治手法だったのかも知れないのである。そして、その中の最たる者が、信長だったのかも知れない。村重や光秀にしても、主君との関係は、征服者と外様家臣の関係ではなく、憎しみと恐れ、コンプレックスと嫉妬複雑な感情を抱かせる、そんな複雑な重層的な関係だったのかもしれない。そうした中でも、せめぎ合いの狭間に当たった地域の地侍、在郷の豪族達は、先祖伝来の土地と墓を守り抜く「一所懸命」と言う地侍の信念を有して、謂わば、「寄らば大樹」という地侍独特の考え方が主要で、武士道や士の忠節の考えは、ずっと、後の世の話である。
 秀吉の生き方というものは、誰よりも、率先して、主君、信長の良い道具になることこそ、何よりの奉公であると考えたのに対して、日本人特有の新参者を見下す古参家臣団による蔑視・嫉妬・悪口・辛酸に、ひたすら、当時は、耐えるという秀吉の性格は、インテリには、真似できないものがありそうである(今太閤と称された田中角栄を懐かしく想い出されるが、、、、、、)。生き抜く知恵が足りない、耐えることを知らない、又、人生を駆ける術を知らないと村重の謀反を聞いたときに、秀吉に作者が言わしめたものは、こういうことだったのであろう。人生での出来(しゅうたい)に失敗する人間、時の熟する迄を待たずに軽挙妄動してしまうそういう人間の性(さが)も、村重の中に描かれてしまう。
 光秀も又、朝廷・義昭陰謀説、怨恨説、老齢説、長宗我部元親陰謀説、等、現代でも、未だ、新しい資料が発見されても、実際の動機は、謎の又、謎であるが、少なくとも、秀吉とは異なり、教養が邪魔をしてしまったのか?歯の浮くような世辞が駄目で、お追従もできない。洒脱の振りも出来ない、猥談をすることで自分を売ったり、相手の自尊心を傷つけぬように細心の注意を払い、勘気を被ることを避けるようにした秀吉とは、何処かで、心理的な対応が、限界であったのかも知れない。カリスマの魔神力にとりつかれ、褒められれば、褒められるほどに、喜びが増すタイプ(そう振る舞っていたのかも知れないが、、、、)とは、別人格だったのかも知れない。神才信長・豪才勝家・奇才秀吉・秀才藤孝と、遠藤は、細川藤孝に言わしめる。
 人生というものは、とりわけ、生存権が権利として確立されている現代と、全く確立されていない当時の背景では、万事、一生、筋を通すということは出来ないのかも知れない。その意味で、物語の中で、村重を通じて、中川清秀や片山右近、松永久秀、そして、前田利家なども、その心の矛盾と葛藤の具体例として、茶道を通して、巧みに描こうとしている。右近の決断、とりわけ、天正6年の信長への恭順と屈服、そして、天正15年の最終決断の違い、棄教と遁世、そして、南坊という雅号を有する右近と利休のわび茶の共通意識という挿話、そして、秀吉とのよしみと親爺様と呼ぶ勝家との対立から、利家の困惑と躊躇、壮年という自分の年齢への焦り、家門と所領と家臣達の処遇との相克と決断、前田家の歴史書には、そんな葛藤、大勢に逆らうことは自殺行為、流石に、裏切りとは書いていないのは、もっともである。
 人間の有する心の弱さ、逃げの心、反逆は、怨念・野望にかられたモノではなく、人間の心がひとつではないこと、嫉み、屈辱、猜疑、怖れが複雑に絡み、絶望と希望の狭間で生じる葛藤、そんなものが、有るときに、窮鼠猫を噛むのかも知れない。京での馬そろえでの神の宣言、他よりも異なる存在であることを示唆するような示威行進の実施、等、この物語の中では、信長以外の人物は、すべて弱虫である。本能寺の変、高松城の水攻め、中国大返し、山崎の戦い、そして、賤ヶ岳の戦い、へと、、、、。
天正14年(1586年)52歳で、村重は、病没する。
 我々は、今日も、(一所懸命)ではないが、一生懸命に家族のために働き、幸せを求めて、ある種の決断を下し、明日も又、生きて行かなければならない。黒田官兵衛というキリシタン軍師のことも、今日、播磨灘物語以外にも、どんな想いで、村重や右近や光秀を見ていたのであろうか、興味深いところである。


絵本、<いつでも会える>を読む:

2020年02月03日 | 書評・絵本

絵本、<いつでも会える>を読む:

1999年に、ボローニャ国際児童図書展児童賞の特別賞を受賞し欧州各国で100万部以上を販売した、イラストレーターでもある、菊田まりこ氏による、絵本を電子書籍で読んでみた。もう愛犬の介護を終えてから、既に、6年余りの時を経過していても、思わず、読みながら、涙が頬を伝って落ちてきてしまう。

犬の寿命がいくら延びたからと謂っても、普通は、どう見ても、人間の寿命の方が長くて、従って、人間の目からみたところの、<ペット・ロス>が、主眼となるのに、この本の主人公である、<みきちゃんという小さな女の子の子犬のシロ>は、ご主人さまというよりも、むしろ、お友達とでも謂う関係性のみきちゃんと、幸せの真っ只中で、<突然の永遠のお別れ>を、逆に、強いられることになる。いつも、一緒に遊んでいた、一緒に並んでお食事をしていたみきちゃんが、いなくなってしまった。幸福の絶頂から、不幸のどん底へ、子犬のシロは突き落とされてしまう。病死なのか、事故死なのか?理由は分からぬが、<突然のお別れ>だけは、間違いない現実であることは、否定しがたい事実である。どこを探しても、いない、いつも一緒にいたのに、隣にはいない、<ずっと、一緒にいられると思っていた>のに、悲しくて、とても、さみしくて、せつなくて、、、、、、、。そして、ある日、子犬のシロは、<目をつむってと、考える>と、みきちゃんのなつかしい声が、聞こえてきて、<今も、これからも、ずっと変わらない>、<まぶたのうちで、僕らは変わらない、あの時のまま>、<とおくて近いところにいたんだね>と、、、、、、、改めて納得するのです。

 一緒に生活していたペット・ロスという視点とは逆に、子犬のシロは、人間の子どもに置き換えても、或いは、家族や長年生活を共にした連れ合いだったり、様々なシーンの中で、突然の別れを受け入れ、そして、立ち直る力を取り戻せるのかを、考えさせられるものがある。我が愛犬は、3ヶ月の保護犬で、口笛の呼びかけに応じて、自分から近寄ってきてから、18歳4ヶ月の齢を全うしたが、考えてみれば、一緒にかわいがってくれていた子供達の成長や成人の日や独立を見送ったし、父や母との別れをも見送ってくれたわけであり、最期は、私が看取ってあげたわけだが、<動物の一生から、人の一生を勉強させて貰った>わけである。ちいさな子供達と共に、一緒に、読み聞かせたい絵本である。

我が家では、部屋中に、亡き愛犬の写真や絵やイラスト画を、飾ってあり、<いつでも会えるように>、<いつも、変わらず、一緒である>。

 

 


<唐牛伝>を読む:

2019年08月15日 | 書評・絵本

<唐牛伝>を読む:

敗者の戦後漂流、60年安保のカリスマが何者でもない死を遂げるまで、、、、

左目の白内障手術の後、視力が戻り、霧が晴れたことで、ハッキリと文字が読めるようになった。これまで、途中で、未読を余儀なくされていた何冊かの大作をサクサクと読めることは、大きな喜びであり、楽しみの一つとなった。

イデオロギーを論じる解説本では無くして、どちらかというと、泥臭い、男女関係も含めた交遊録というか、人脈ネットワークを、その唐牛健太郎の軌跡を忠実に追跡することで、或いは、その交遊録に関わった周辺の人々も含めて、ルポルタージュ風に、纏めたものである。

人生、ところてん風に、時間と共に、押し出されてゆく運命であるとは言いながらも、ここに登場する人物達の関係性は、誠に、ドロッとしていて、既に鬼籍に入ってしまった人達が大半なれども、自死(自決)・病死・事故死も含めて、若くして、或いは、老年でも、確固たる<矜持と信念>を持ち合わせつつ、<転向>とか、<変節>などと言う軽い言葉では、語り尽くせぬ、もっと理解不能な<生き方様>を、それぞれ、見せていることを知り得ただけでも、救われる思いがする。

<言葉は腐るから気をつけろ>という、唐牛の言葉は、確かに、その行動に懸けたことであろうが、寺山修司の<言葉を腐らせるな>と詩に懸けたことと、筆者が説明している如く、対極をなすようであるものの、どこかで、クロスするところがあるのかもしれない。昨年、’18.78歳で、自死した西部邁によれば、出生から来るであろうと想像される<生来からの内在性的な無頼>を、払拭できずに、<無頼になり切るには、知的すぎ、知的になり切るには、無頼に過ぎるという二律背反に挟撃されているそれが、唐牛の実相である>と述べている。<社会の庶子になること>であったのであろうか?

今日、ハンシャ勢力との付き合いが、社会的な、或いは、組織的にも、受け入れられない社会的なコンプライアンス重視の中で、財界の今里広記はじめ、山口組の田岡一雄、内閣調査室とも間違いなく関わっていたであろう中野学校出身の草間孝次なども、含めて、演劇界、女優、文学界など、今日の尺度では、到底読み解けないような、<清濁併せ飲むような人物の器と度量>という言葉だけでは、済まされないそんな何かが、あるような気がしてならない。<稀代の人たらし>では済まされないものがあろう。日本人初のノーベル経済学賞に一番近い候補と称された青木昌彦:(姫岡玲治)とも、後に沖縄で精神科医として働き、今やALSの徳田虎雄を紹介することになる島成郎や、更に、後年、保守論客となる西部遭にしても、ペンシルバニア大で、火事で客死した生田浩二も、ひとそれぞれの<その後の>人生の生き方、苦悩が、あったことを窺わせる。

60年安保世代も、そして、その10年後の60年代後半・70年安保・全共闘世代も含めて、既に、棺桶に脚を半分くらい踏み入れ始めた時代に、改めて、往時の関係者の人生を、振り返るときに、その人生とは、何たるかを、自分に照らし合わせて、考えることは、意義深いし、おおいに、考えさせられる。

 

主だって登場する人物を順不同で列記してみたい:

唐牛健太郎(‘84.47歳)島成郎(’00.69歳)青木昌彦(‘15.77歳):(姫岡玲治)

西部遭(’18.78歳)清水丈夫 北小路敏(‘10.74歳)篠原浩一郎 東原吉伸 小島弘(’66.33歳)藤本敏夫(’02.58歳) 加藤登紀子 桐島洋子 樺俊雄・光子 樺美智子(’60.22歳) 吉行和子 石田早苗 堤清二 安東仁兵衛  徳田虎雄(徳州会)  堀江謙一 渡邊恒雄 氏家齊一郎 堤清二 網野善彦 今里広記 香山健一 森田実 岩見隆夫 吉本隆明(‘12.87歳)清水幾多郎 村上一郎 谷川雁 柄谷行人 寺山修司 福田恒存 大江健三郎 江藤淳 埴生雄高 野坂昭如 丸谷才一 長谷日出雄 式川武大 深沢七郎 井上光晴 大島渚 澁澤龍彦 野間宏 大岡昇平 高橋和己(’71.39歳) 武田泰淳 三島由紀夫(’70.45歳) 石原慎太郎 鶴見俊輔 長崎浩 山本義隆 秋田明大 田村正敏(’98.51歳) 奥浩平(’65.21歳):(青春の墓標)

山口二矢 田中清玄 田岡一雄 児玉誉士夫 一水会:鈴木邦夫 草間孝次 陸軍中野学校 SEALDS ジラード事件57年 コザ暴動70年 内ゲバ 連合赤軍事件 三里塚闘争 宮本顕治 岸 信介 佐藤栄作 三木武夫 河野一郎 池田勇人 田中角栄 二階堂進 橋本登美三郎 赤木宗徳 宇都宮徳馬 川島正次郎 屋良朝苗 安部晋三 八百板正 山口敏夫 保岡興治 加藤紘一 西岡武夫 菅直人 江田五月

 

 


経済評論家と学者とは、両立するのか?:

2016年03月02日 | 書評・絵本

経済評論家と学者とは、両立するのか?:

60年代の後半に、学者の虚妄が、これでもかと、暴かれ、ガッカリさせられたことを想い起こすが、経済理論を、大学で、講義している学者の中には、世間的に、その著作の中でも、その主張が、正論で、的を射ていれば、それなりに、評価はできようが、概して、これまでの経験から言わせて貰えれば、だいたいが、評論は出来ても、せいぜいが、過去の現状分析にとどまり、その範囲から、ある種の将来への経済理論学的な見通しと展望、更には、政策の提言などに到るものは、ほぼ、皆無であると謂っても良さそうである。何気なく、新聞の下半分の本の宣伝広告をみていると、嘗て、何冊か、その著作を読んだことのある女性経済学者、或いは、経済評論家と称される人物の著作が、眼にとまったが、間違いなく、そのタイトルは、時流に乗った今風のタイトルで有り、だいたい、何が、論じられているかが容易に、想像出来うるようなものである。要するに、この種の著作は、単に、時流の成り行きで、どうとでも、面白、可笑しく、評論し、或いは、時に、絶望的な悲観論を述べておくことで、真っ先に、そういう事態に陥らなければ、オッケーと言う具合に、安全パイの範囲以外の何ものでもない。まるで、株価や為替相場が、全く、予測不可能で、当たらないのと同じように、常に、若干、一呼吸遅れた頃になって、実は、こうこうだったのであると、まるで、みてきたことのように、評論するのであって、そこから、決して、何かの画期的な新たな経済理論を、抽出できうるような代物でもない。しかしながら、考えてみれば、この種の著作は、ハウ・ツーもの同様に、一定の読者には、現状の追認と現状分析とある種の心の安らぎを与えるものであって、決して、将来への示唆を含むモノでは決してないものである。確かに、それ以上でも、それ以下でもないのかも知れない。何とも、不可思議な著作である。誰か、牙を剥いて、かみつく勇気のある評論家は、いないのであろうか?それとも、この出版業界という世界自体が、そもそも、出版不況の中で、この種の争いをすることで、一斉に、お互いに、地盤沈下しないための『大人の対応』と、生き残りのための最善の策と決めつけているのであろうか?なかなか、興味深い世界でもある。

 


辺見庸、『1★9★3★7』(イクミナ)を読む:

2016年02月19日 | 書評・絵本

辺見庸、『1★9★3★7』(イクミナ)を読む:

歳をとるにつれて、段々、目が弱ってきはじめて、最近では、白内障を遅らせる眼薬を点眼するのを、ついうっかり忘れようものなら、鳥目ではないが、視界全体が、何やら、うっすらと、霧が掛かったように、ぼんやりとなってしまい、ページの文字が、ぼやけてしまい、老眼鏡を掛けても、いまいち、うまく読むことが出来ない。しかも、それ以上に、本の文字を追いながら、作者の意図をくみ取ろうとする集中力が、間違いなく、落ちていることに、残念乍ら、気づかざるをえない。そんなこんなで、本来、年末から正月休みかけて、何冊かの本を読破する予定で、購入したものの、結局、2月の終わり頃まで、眼をしょぼしょぼさせながら、やっと、読破し終えたところである。

本の内容に関しては、編集・飜訳の友人である専門家に、任せるとして、詳細は、別途、一連のブログで、下記の如く、参照して貰えれば、助かります。本稿では、主として、読む際の心構えを中心に、論じてみたいと思う。http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2015-11-21

三菱重工連続爆破事件の大道寺が、上梓した句集、『棺、一基』のなかで、確か、辺見は、その情景を、まるで、何処か、茫洋とした霧のような靄に蔽われた中で、棺が、一基、おかれているような感じであると評していたが、この『1★9★3★7』の読後感というものは、更に、謂いようのない、何とも、後味の悪い、まるで、何か、悪いものを見た時のような、或いは、悪いものを食してしまった後味の悪さのようなものを、感じざるをえない。謂わば、『良薬は口に苦し!』といったモノなのかも知れない。初めから、心地良さなるものを期待して、読み始めると、緒から、落胆することは間違いないであろう。極めて、居心地の悪さを感じながら、読み進まなければならない、謂わば、映画で謂えば、Rの数が、大変大きな数字であろうか?

そもそも、『記憶の墓場を暴く』という言葉事体が、もはや、一定の覚悟を読む側に要求するかの如くであろうか、考えてみれば、1937年という年は、私が、生まれた約10年ほど前の出来事で有り、それから、8年後には、戦争が終わり、私の生まれた1948年の2年後には、朝鮮戦争が、勃発している。戦争前の10数年前、或いは、天皇による戦後30年談話、或いは、戦後50年、戦後70年という区切りは、本当に、そんな区切りは、可能なのであろうか?それにしても、加害者と被害者を繋ぐ、歴史認識、様々な文化人・政治学者により分析された日本ファシズムのメカニズム、とりわけ、心理的精神的な超国家主義の分析や、多くの小説家や評論家による戦中・戦後の著作や、コメントを、引用しながら、論評するその鋭さは、まるで、さながら、無制限一本勝負の異種格闘技戦デス・マッチの様相である。本書の中に、登場する数多くの評論対象者の著作は、少なくとも、私にとっては、複数の著作は、既に、読みおわったか、或いは、何らかの形で、影響をこれまで受けていたことは間違いあるまい。それらを悉くと謂っては何であるが、根底から、木っ端微塵に打ち砕かれるというのは、読む側の読者にとっては、とても、耐えられないことではなかろうか。作家では、永井荷風、大岡昇平、野間宏、武田泰淳、火野葦平、堀田善衛、金子光晴、石川達三、富士正晴、阿川弘之、そして、名だたる文化人・評論家・学者達までも、小林秀雄、丸山真男、梯秀明、埴生雄高、林房雄、家永三郎、半藤一利、相馬御風、串田孫一そして、吉本隆明ですら、その呵責のない墓を暴こうとする強い意思には、抗することは出来ない。映画の小津安二郎にしても、その映画の描写には、鋭く、切り込んで、その静けさのありふれた日常の場面描写の心の奥深くに潜むものを暴いてしまう。『海ゆかば』の歌詞やメロディーと早稲田の校歌の底流に潜む共通性や、勇ましい行進曲の旋律などの考察も、何か、改めて、気づかされて愕然とするのは、どうしたものであろうか?超国家主義の二重抑圧構造やら、無責任体系の分析も、或いは、今日的な歴史認識の問題も、『現在が過去に追い抜かれ、未来に過去がやってくる』という強迫観念に強い感情も、決して、ズルズルと、そう、なることとなったり、或いは、そう、『なってしまった、』更には、『なっていた』と気が付く時には、全く、茹で蛙状態で、取り返しがつかない、確かに、時間的な経過となっているのである。嘗て、若い時に、両親の世代に対して、『何故、あんな無謀な戦争を止められなかったのか?あんたは何をしたのか?』と詰問したそのこと自体が、そっくりそのまま、今度は、自らに、鋭く、将来、対峙する可能性はないのだろうか?一体、時間とは、『今』とは、何か?そして、記憶とは何か、忘れてしまうとは、どういう意味なのか?忘れないと言うことは、忘れてよいことと、忘れてしまってはいけないこととは、何なのか?私達の脳細胞は、生まれたその瞬間から、脳科学者によれば、忘れるように、出来ているというではないか?それでは、歴史は、いつまでたっても、過ちを繰り返すであろう。考えてみれば、この8年後には、戦争が終わり、その戦後3年ほど後に、自分は、生まれて、再び、その2年後には、朝鮮半島で、戦争が勃発して、その10年後、第一次安保闘争があり、ベトナム戦争を挟んで、第二次安保闘争があり、天皇による戦後30年談話、更には、戦後50年談話、70年談話へと繋がっているが、確かに、『記憶の墓を暴く』という作業は、自らの手で、行った試しは、なかったのかも知れない。加害者と被害者とが、依然として、その歴史認識において、交わらないように、今日、まるで、虐めの加害者が、いつまでたっても、加害者意識を、その関係性の中で、認識しないように、同じ繰り返しが、裁ち切れないでいる。あんなに、進歩的文化人や戦後民主主義の虚妄を暴かれても、或いは、あれ程、鋭く問われた自己否定も、一体、今日、何だったのであろうかと、思われてしまう。阿川弘之への『化石しろ、醜い骸骨!』と言う罵声も、一定の距離感を敢えて保つことを偶然の出会い頭でのふとした衝突なのか、それとも、仕組まれた老人への宣戦布告だったのだろうか?阿川ではなくて、三島由紀夫だったら、どうだったのだろうか?或いは、吉本隆明だったら、更には、司馬遼太郎だったら、どうだったのであろうか?と、私の頭の中では、妄想が、まるで、無制限一本勝負の何でもありの幻のデス・マッチか、或いは、全員参加でバトル・ロワイヤルを、熱望してしまいそうである。もう、眼の前にある、ただ、茫洋とした視界不良は、実は、初期白内障ではなくて、そんな進行を遅らせる小手先だけの眼薬による治療だけでは、視界が、晴れることはなくて、自らの手で、自らの記憶と過去の時間を、自らの墓を掘り起こすかのように、暴かない限り、そうやら、視界不良のままなのかも知れない。読み終わると、まるで、自分の頭を、ぶっとい棍棒のようなもので、ガツンと殴られたかの如き感覚に襲われる。

 


絵本、「虔十公園林」を読む:

2015年08月31日 | 書評・絵本
絵本、「虔十公園林」を読む:
作、宮沢賢治、絵、末吉陽子、(株) budori企画・発行による絵本である。年に、数冊は、絵本を読むことがある。それは、歯医者の待合室であったり、書店での立ち読みであったり、話題になっている絵本だったり、難しい哲学書を読んでいる間の骨休めだったり、実に、様々である。今回は、小諸の茶房、読書の森で、末吉陽子氏の原画展をやっているときに、既に、見知ってはいた絵本を求められたものである。子供向けと言うよりも、むしろ、賢治の世界観が、大人にも、独特の絵のタッチと共に、じわりじわりと、読中、読後に、心に迫ってくるものがあろう、そういった類の絵本というよりも、軽い哲学書でもあろうか?
日本人は、昨今、余りにも、時代の変遷が早くて、何でもかんでも、短いスパンでしか、物事を考えられなくなり、個人的にも、40有余年も携わってきたビジネスの世界では、もはや、4半期毎でしか、物事の結果を判断すらできない有様であるが、中国人は、昔は、30年先の単位で事をなすと言われている。もっとも、最近の中国では、そうとも言えない位、拝金主義と刹那主義とが、隆盛であろう事は、誰しもが認めることであろうが、それ程までに、30年や50年、況んや、100年単位で物事を考えるということをやであろうか?そう考えていれば、東京の明治神宮の杜も、昔は、全くの野っ原で、これを50年・100年・200年単位で、計画的に、植林をして、下草、野草、花々、広葉樹林、針葉樹林などの生態系更新を自然のサイクルの中で、おこなったことが何かのテレビのドキュメンタリーで報じられていたが、まさに、世代を超えた生きる生態系の継承なのかも知れない。主人公である「虔十」少年は、少々、知恵遅れで、おまけに、年若くして、植林した自分の杉の林が、大きな林に生長するのを見届けることなく、病死してしまう。まるで、そこには、生前から意図して、杜を育てようとする強い意思が、はかなく、敗れ去ってゆくのに対して、仏の御心は、まるで、「十力」と言う言葉に具現化されたような仏性としての主人公の人間性の優しさが、滲み出てくる結果、大きな杉林に育ってゆくことに導いていったのかも知れない。子供達、否、私達は、今日、先人を思う心、「井戸を掘った人」を忘れることなく、想い起こす必要があろう!?それは、まるで、下草を刈らなければ、樹は育たない、又、下枝を適度に払うことで、生長を促し、そして、それが、また、人々の生活へ、薪としての恵みを施し、治水にも役立ち、今日的に言えば、CO2を削減し、環境に優しく、エコ・リサイクルにも寄与するという、杉花粉病などという厄介なモノではなくて、樹木を育てると言うことは、「人間の心」をも、そして、人そのものをも、世代を超えて、育てることになるのかも知れないということが、改めて、認識されよう。その意味で、知恵遅れというこの主人公は、改めて、この絵本の中でも、又、賢治の心の中でも、同時に、重要な位置づけになっているのかもしれない。社長の有村正一が、後記で、語るように、賢治の理想とする人物像にまで、到達するのかも知れない。確かに、「雨ニモマケズ」にも、結びには、「ミンナニ、デクノボーと呼ばれ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、ソウイウモノニ、私はなりたい」と、、、、、、、。
絵本というものは、ストーリーも、重要であることは言を俟たないが、とりわけ、言葉と共に、絵やその平面の絵に表現される空間というか、そこから、「想像される立体的な空間」こそが、そして、そのマッチングこそが、「絵」を、「絵本」たらしめる所以なのかも知れない。そして、この絵には、どうやら、絵の空の部分や、土の部分に、何と、自然な樹の木目というか、年輪のようなものが、透けて見えてくるのである。説明によれば、これは、電熱ペンで、樹の版を焦がしながら絵を描くというウッド・バーニングと呼ばれる技法であるそうで、これにより、天然の木目が絵に、深みを与えることになり、この虔十公園林そのものも、まるで、本物のように、平面の絵から、浮き立ってくるように思われる。本書は又、日本語・英語・エスペラント語の対訳版付き絵本でもあり、言語を異なる人にも、理解出来るようなコスモポリタンの対応がなされていて、これも、何か、賢治の目指す童話の世界観と配慮をさりげなく、著しているような気がしてならない。子供だけでなくして、充分、大人にも愉しめる一冊であることは間違いなかろう。小諸のこの松林も、もう何年経つのであろうか?緑の林に囲まれたベランダで、絵本を一時、読み、その絵を愉しむということは、何とはなしに、この上ない至福の時のような気がしてならない。今後とも、絵と本とを繋ぐ酔い作品を世に出版して貰いたいものである。

Heart of a SAMURAIを読む:

2015年06月27日 | 書評・絵本
Heart of a SAMURAIを読む:
少年少女向けの英語の本を読みながら、涙を流してしまうのは、どうしたモノであろうか?考えてみれば、英語の文字の一字一句を読むのもそうであるが、この本の主人公である「中浜万次郎」の自伝に関して、ある程度の事前の知識があるから、その時の本人の立場を慮れば、自然と涙が流れでてきてしまうのかも知れない。それにしても、自分が生まれる僅か、約百年前の物語である。14歳になる少年漁師が、鳥島に、遭難して、奇跡的に、米国の捕鯨船に救助され、しかも、その航海の途中で、英語と航海術を学ぶ姿勢をみた船長であるWhitfieldの個人的な厚意によって、米国へ、渡り、しかも、英語を含めた学業と航海術を広く学べるという僥倖に恵まれるということが、本当に、そんな昔に、あったのであろうかとも、驚いてしまう。人間の人生とは、まことに、人との出逢い、或いは、僥倖に恵まれても、それを僥倖であると、その時には、認識できず、結局、無駄にしてしまうことも珍しいことではない。人生の選択とか、岐路とか云うものは、好奇心と努力とある種の未来に対する「何でも見てやろう」式の楽天主義がないと、僥倖自体を生かすことが出来ないのかも知れない。それは、一緒に、救助された仲間達とは、おおいに異なる人生の選択であったことだけはまちがいないであろう。まるで、人生とは、黒潮に乗るが如き航海のようなものであることが、読みながらも、理解出来ようか?米国滞在中にも、様々な二度に亘る教会での人種差別とか、バートレット航海学校での試練とか、困難な試練を乗り越えて行くこの日本人漁師の少年から、青年へと生まれ変わって行く過程は、そして、14年ぶりに帰国を果たしたあとも、スパイ扱いを免れず、故郷の高知の土佐清水に、戻るまでの過程は、国を超えて、青少年に、未来は、自らの力で、その僥倖を生かすべきものである事を、力強く、訴えているようである。Falling down seven times, get up eight という親から教わった心意気を、異国でも、実践し、帰国を果たし、幕末のペルー来航時の時局の中で、通史として、或いは、英会話、航海術、更には、西洋文明に関する生の情報を幕府に、提供したことは、その士という身分に仕立て上げられたこととは、別にしても、生まれた時代背景を考えれば、全く、僥倖であると云うほかはないのかも知れない。米国を離れて、19年後には、約束通り、再び、外交使節団の一因として、再び、43歳で、長い航海を経て、船長夫妻と再会する。そして、1898年、71歳で亡くなるまでに、様々な英語での本を出版したこと。そして、John Mung,こと、ジョン万次郎を記念して、友好都市の締結と互いの友好の印に、交流イベントを開催していること、又、現地の小学校でも、英語の教材として、使用されていることなど、本書に掲載されている本人の手書きのスケッチ画を含めて、興味深いモノがある。最後に、皮肉にも、今日、捕鯨が国際的に孤立しているものの、当時は、鯨の脂が貴重な資源で有り、捕鯨船団の兵站補給基地が、重要な課題であったことも、我々は、おおいに、忘れてはならない。文中に見られるある種のフィクションは、それはそれとしても、充分、青少年には、自分の同じ歳の少年の人生を、我が人生のように、考えられる良い機会になることと思われる。

司馬遼太郎、空海の風景(上・下巻)を読む:

2015年05月31日 | 書評・絵本
司馬遼太郎、空海の風景(上・下巻)を読む:
今日、これだけ、旅が、何処へでも簡単に、出掛けられ、しかも、ネットで、欲しい情報に、簡単にアクセス出来る時代からすれば、8世紀の時代に、航海術ですら、満足に発展していない頃に、命懸けで、当時の世界的文化的な大都市に、海外留学しにゆくが如きことは、おおいに、大変であったことは、容易に、想像されよう。
目的地へ、きちんと、到着した最澄と異なり、福建省の土地に漂着、辿り着いてしまった空海が、皮肉にも、彼の地で、語学の才と当時の文化的知的な教養である書道(五筆和尚という称号)・文章道・漢詩・文才に恵まれ、奇跡的に、これを活かすことになること、誠に、皮肉な廻り道であるものの、長い人生から、見た時には、おおいに、興味深いものがある。
その生い立ち、渡航目的、そして、何より、語学と書道の才に長けた空海の思想的な成り立ちと時代背景、そして、最澄や当時の様々な僧達との交流と政治的な背景を、1200年以上に遡って、考証しながら、構想・想像するという作業は、並大抵なエネルギーではない。
しかも、それを一日本の仏教の歴史だけに止めずに、広く、中央・東アジア・インドなどとの思想的な交流とも、絡めて、当時の密教の伝来を考察する作業は、単に、空海という一人の宗教僧の思考方式だけでなくて、広く、当時の世界文化史的な視点からも、興味深いモノがある。
改めて、そうした視点から、今日の中央アジアの歴史や中近東での出来事を再考察するときに、仏教の伝来とその東の果ての国である日本という国の思想的な在り方に、深く、考えさせられる。

15歳の時に、讃岐の国を出奔して、778年に桓武天皇時代に、平城京へ登った。
釈迦没後56億7千万年後に出現する弥勒菩薩を待つのではなく、弥勒が常住し、説法をし続けていると謂われる兜率天(とそつてん)にこちらから出掛けて救われようとする機能性を作り上げた。
18歳で、仏教・道教・儒教の盛衰を踏まえた優越論を戯曲風に論じた、三教指帰(さんごうしいき)を著し、儒教は、世俗の作法に過ぎないと断じる。
官吏になる途である大学の学生(がくしょう)を捨てて、官僧としてではなく、私度僧として、仮名乞児(かめいこつじ)として、入唐するまでの空白の7年間を旅に出て、「私は仏陀の勅命を奉じて兜率天への旅に登っている者である」と称し、山野を修行して歩く。
7歳年上の初めからエリート官僧たる最澄とは、そもそも、出発点が、異なるのか?
アジア大陸には、生命とは何かという普遍性からのみ考える以上、そこには、時間とか、誰とかという固有名詞もなく、只、抽象的な思考のみで、宇宙を捉え、生命をその原理の回転の中で考え、人間の有する人種やあらゆる属性を外しに外して、ついには、その一個の普遍的な生命という抽象的一点に化せしめることにより、物事を考え始める。従って、漢民族が引き寄せられる歴史とか社会的な思考には、印度的な思考法は、かけらほども、入ることはなく、密教の伝授という観点から、広義のみでの漢語・サンスクリッド・梵字、イラン語にも、当時は、学ばなければならなかったのであろう。
二つの系統の密教というモノがあるという。純密と雑密(没体系的なかけらのような形の密教、巫女、外法の徒、山伏など)、現世を否定する釈迦の仏教と、現世という実在もその諸現象も宇宙の真理の現れであるとする密教の創始者は、宇宙の真理との交信の手段として、魔術に関心を持った。魔術・呪文・まじない・陰陽五行説・陰陽道・陰陽師など、後の純密以外の所謂、雑密である。最澄のそれは、不覚にも、それを拾ってしまったことなのであろうか?
虚空蔵求聞持法、という万巻の経典をたちまちの内に暗誦出来るという秘術、真言とはやはり、人間の言語ではなくて、原理化された存在である法身たる如来達が喋る言語で、虚空蔵菩薩という密教仏にすがり、その菩薩の真言を一定の法則で唱えて、記憶力をつけると謂われている。その秘宝を会得することになる。解脱という釈迦とは、逆の道を選ぶことになる。虚空蔵菩薩という自然の本質は、それへ修法者が参入してゆきたいと希い、且つ、参入する方法を行ずる時に、惜しみなく御利益を与えてくれるという。
術者が、肉体を次第に、形而上化してゆくことにより、諸仏の機能の中に身を競り入れ、ついには、その機能を引き出し、それによって、現世の御利益をうるというところで、初めて、宗教的に完結することになる。
求聞持法を行ずるには、場所を選ばねばならず、とりわけ、宇宙の意思が降りてきやすい自然の一空間であらねばならないと、それが空海にとっては、阿波と土佐の地だったのかも知れない。室戸崎洞窟での明星が、口に入るという超自然的体験も、決して、密教の概念には、無縁ではないのかも知れない。
密教の断片に於いて、科学の機能を感じてしまった空海と後世が知ったつもりでいる科学なり、自然の本質、とりわけ、原子力やら、津波や地震といった自然災害の脅威を間近に体験した我々の考え方は、どちらが、果たして、1200年も経過した今日、本当なのであろうかと司馬遼太郎は、問いかけている。(むろん。著者は、東日本大震災は、経験せずに、他界してしまっているが)のちの世の平安末期の厭世観的な出家ではなくて、むしろ、肉体と生命を肯定する密教に直進し、解脱を目的とする途とは別のものを追求してゆく。
咒(しゅ)という概念を、毒虫を食ってしまう孔雀の悪食を引き合いに出して、司馬は、説明する。それは、古代インドの土俗生活に於いては、生命を維持する不可欠なもので、苛烈な自然と会話する為に、自然の一部と考えられていた一種の言語であっても、人語ではなく、むしろ、密語の一部でもあり、人間がその密語を話すとき、自然界の意思が響きに応ずるが如く動くと謂われている。自然と人間は、対立するモノではなくて、人間の五体そのものが、既に、小宇宙であり、この小宇宙の人間が大宇宙にひたひたと化してゆくことも可能であり、その化する時に媒体として、咒(しゅ)が、あるのであると、孔雀の鳴き声には、それが、含まれていると、人間がこの密語を発すれば、孔雀に化すると、何か、動物の言葉を話すドリトル先生のようでいて、面白い。
インドに於ける咒(しゅ)の歴史から、古代アーリア人、バラモン教、土俗的な雑密・純密の考察を経て、いよいよ、密教的な宇宙に於ける最高の理念である大日如来なる絶対的な虚構の設定に移ってゆく。
無限なる宇宙のすべてであると同時に、存在するすべてのものに、内在し、舞い上がる塵の一つにも、内在し、あらゆる万物に内在しつつしかも、宇宙に普く充ち満ちている超越者でもあると、しかも、宇宙を過酷な悪魔のようなものとは、考えず、絶対の叡智と絶対の慈悲で捉えて、釈迦のように、敗北感を有することなく、絶え間なく万物を育成して、無限に、慈悲心を光被して止まないという思想で、こうした純粋密教こそが釈迦教の一大発展形態ではないかと考えるにいたる。この空海の陽気さというものは、何処から、来るのであるか?

釈迦以前のインド思想、から、釈迦以後を経て、華厳経の成立へ、西田幾多郎による絶対矛盾的自己同一ということの祖型であり、禅的な武道の中での「静中動有り・動中静有り」という思考法とも、関連づけられる。万物は、相互にその中に一切の他者を含み、とりつくし、相互に無限に関係し合い、円融無限に旋回し合っていると説かれ、毘盧舎那仏の悟りの表現でもあり内容でもあると、
華厳経では応えてくれなかった答が、大日経には、あるのだろうか?即身成仏の可能性とご利益を引き出してくれる法とは何か?そして、どのようにすれば得られるのか?大日経にあっては、華厳のそれより、更に、より一層宇宙に偏在しきってゆく雄渾な機能として毘盧舎那仏は、登場し、人間に対して、宇宙の塵であることから、脱して、法による即身成仏する可能性も開かれていると説く。
奈良南都六宗にみられたような人間の本然として与えられた欲望を否定する解脱だけをもって、修行の目的とするものとは、異なる方向性、有余涅槃と無余涅槃(=死)をも止揚しうる境地へ、向かう。死よりも煩悩や生をありのままに肯定して、好む体質だったのであろうか?大日経は、文章的にも難解で、サンスクリット語で書かれていて、この不明な部分を解読するためにも、漢語だけでは、不十分で、いよいよ、入唐を決意することになる。

奈良六宗に対する「論であって、宗教ではない」という最澄の痛烈な不満、経典は研究すべきものでなくて、声を上げて読誦すべきもので、その声の中に、呪術的な効果があると、読経と止観という瞑想行の必要性、華厳経の注釈書を読んでいたときに、法華経にぶつかる。体系としては、般若経の空観(くうがん)という原理を基礎にして、数字の零(空)にこそ一切が充実している、宇宙そのもので有り、極大なるものであり、同時に、極小でもあり、全宇宙が含まれていて、そこでは一大統一が矛盾なく存在していると、説かれる。
空海は、天台は、宇宙や人間はこのような仕組みになっているという構造をあきらかにするのみであり、だから、人間は、どうすれば良いかという肝心な宗教性において、濃厚さに欠けているとのちに、やかましく、議論することになる。

六世紀半ばでの仏教の伝来を考えるときに、玄奘三蔵が、インドへ経典収集の大旅行を敢行してから、或いは、それ以前のバラモン教や拝火教でも、現地の言葉(言語)というものを、何らかの形で、輸入言語・飜訳語・造語されることになることを、今日、忘れがちである。その意味で、サンスクリッドだけでなく、イラン語、中央アジアや印度・ネパールなどの言語も、改めて、その当時の造船・航海術、通信網やら交通の発展程度、当時の技術も、よくよく、念頭に入れておかなければならないであろう。
しかしながら、当時の人々の考え方というものが、今日の我々と根本的に、1000年も2000年も経過したところで、おおいに、隔たりがあるとも、思われない。形而上学的な宇宙論も、一神教も多神教も、旅をするという心も、外国語を学ぶということも、どれ程の違いがあるのであろうか?そう考えると、四隻の遣唐船のうち、運良く、辿り着けた二隻の船に乗り合わせた二人の運命は、当時の航海・操船技術を考えると運が良かったということなのであろうか?それとも、幸運だけでは説明しきれない何ものかがあるのかも知れない。

ヒト・モノ・カネ・情報では無いが、人脈と資金、写経ですら、アルバイトや専門の僧侶雇わなければならず、大変なプロジェクトであることが分かる。サンスクリットの原語を朗読する者、唐語・漢語に飜訳する者、それを整えて文章化する者、校正し直したり、議論したりしながら、何百人という専門家や学僧が関わることになる訳である。印刷技術が発達した今日では、いかにも、当たり前に、経典自身が、印刷されていると錯覚しがちであるが、当時の写経という行為を考えれば、或いは、つい100年も前ですら、本自体が、人の手から、手へと、書き写されていったことも又、事実である。それを考えただけでも、文化の伝来、その基礎となるべき本や、経典ですら、コピーをベースに、或いは、飜訳・造語を経て、行われていることに、改めて、思いを巡らさなければならない。それ程までに、多大な時間と人的なエネルギーが必要とされていたことであろうし、それは、換言すれば、お金がかかっていたと言うことにもなりえようか?
20年と云われる留学期間をあっさりと2年ほどで、終えて、帰国することになるわけであるが、長安での漢民族ではない不空から恵果へと伝授される密教の極意との出逢い、イラン、ペルシャ、回教徒、景教(ネストリウス派の基督教徒)、マニ教、インド僧、ラマ僧、中央アジアとの異文化・異教徒、異国のウィグル族の商人達との出逢い、謂わば、大いなるシルクロード経由での文明論・宗教観との激突という風景が、今日からでも、容易に、想像されよう。一体、現地では、どんなものを食べて、どんな言葉で、どんな人物と文化交流していたのであろうか?護摩修行とバラモン教、ゾロアスター教、拝火教との関連性は、どんなところから、影響し合ったのであろうか?
何故、空海は、密教の中に釈迦が嫌悪した護摩を取り込んだのであろうか?印度系の土着宗教であるバラモン教から系譜を引いているといわれるが、単に、バラモンの修法が、高度に思想化されて、火を真理として、薪を煩悩に喩えて、焼却し尽くすという思想的な進化を遂げることになるのであろうか?炎と行者と、その行者の前に佇立する本尊という三者の三位一体性ということが、果たして、身・口・意という三密行を感応せしめるということに繋がるのであろうか?それは、又、後の内護摩・外護摩(観念のなかで、具体的なものを抽象化して清浄にする)という二つの思想に分化してゆくになる。
具体的な世界は、すべて、煩悩の刺激材であるとみて、具体的な世界がなければ即身成仏という飛躍はできず、その抽象的な世界を、一瞬で浄化(抽象化)してしまう思想と能力を身につけることこそ、密教的な作業であると、だからこそ、後年、空海は、護摩をも、思想化してしまって、護摩の火に薪という具体的なもの、即ち、煩悩が、瞬時にして、焼かれて消滅してしまうという(抽象化)を遂げるという、そういう考え方を持つに至るのか?
護摩業とか、雑密に今日でも連綿として、残っているものは、どのように思想化されてきたのであろうか?それとも、思想が何故、風化されて、単なる儀式行為としか、残らなかったのか?
密教には、二つの体系があると云う。一つは、精神原理を説く金剛経系、もう一つは、物質原理を説く大日経系で、前者は、インド僧、金剛智が伝え、後者は、善無良という、これも又、インド僧が伝えたと謂われている。金剛智は、これを不空に、更に、恵果へ、更に、空海へと伝えたわけであるから、成る程、インド僧たる般若三蔵について、空海が、長安ので、サンスクリットを学んだとしても、何の不思議はない。更に云えば、キリスト教の宣教師である景浄とも般若三蔵が深い関わり合いを有するとなると、もはや、大日経の経典を入手するという目的だけではなくて、広い意味での当時の中央アジア・インド・ペルシャ・イラン・唐に至る文化的宗教学的な視点が、実は、密教の誕生には、深く、関わっていたのかも知れない。そう思うと、文化交流というもの、宗教の成り立ちにも、様々な、国籍の錚錚たる異国のメンバーが、広く、深く、何らかの形で、直接的にも、間接的にも、関わっていたことが改めて、再確認されよう。それは、これ程、旅が便利になった今日でも、はるかに、想像を超えるものである。単なる大乗仏教と小乗仏教という二つの流れで、アジアへ、仏教が伝播したという単純な問題ではなさそうである。
しかも、西域人であろう不空:インド僧たる恵果:日本人留学僧である空海という系譜の中で、この二つの異質な流れが、互いに、反撥しあい乍らも、生き身の精神の中に、相克しつつ、この両部を一つに、「両部不二」として、空海の中で、止揚・完結されたという事自体が、驚くべき歴史的な事実なのかもしれない。しかも、その密教は、中国では死滅し、国境を超えて、曼荼羅や経典、秘具も含めて、空海により、日本にもたらされたという事実。その意味でも、精神原理と物質原理との双方からのアプローチとしての密教を考えると、今日の素粒子理論やニュートリノ実験の課題なども、まんざら、素粒子だけの問題ではなくて、宇宙理論、物質とは何から出来ているのかという永遠の課題にも、行き着いてしまうほど、底流に、共通項があるようにも思えてならない。
そう考えると、印を結ぶとか、密語を話すとかも、そういう観点からも、考察する必要があるのかも知れない。

何かの番組で、千日回峰を達成した阿闍梨の様子を見たことがあるが、解脱したような老僧の風貌ではなくて、まるで、極地から生還し立ての冒険家のようなエネルギーに、あふれたような風貌であったことを想い起こす。さすれば、若い時の空海という者も、恐らく、当時は、そんな風貌で、山野を跳び回っていたのであろうか?
話を元に戻すことにしよう。
下巻:
千人もの門弟を有すると云われた、金剛界と胎蔵界の二つの密教の世界観を同時に、修めた恵果和尚、しかも、その人生が終わろうとするまさに最後の僅か7ヶ月前に、空海が現れたというその奇蹟にも近い、偶然性、更には、その後、密教自体が、中国でも、消滅してしまったという事実を考えると、得がたい絶妙のタイミングであろうか。
恵果和尚による法を譲り渡すときに行われる灌頂(結縁灌頂・受明灌頂・伝法灌頂という3種類:)の前での投花の儀式での二度に亘る奇蹟、中央の大日如来の上に、投げた花が落ちる。この二回ともというものも、又、偶然なのか?それとも、必然だったのであろうか?そして、恵果より、大日如来の密号で、本体が永遠不壊で、光明が遍く照らすということを意味する、「遍照金剛」という号を与えられる。
灌頂を受けつつも、僅か三ヶ月で両部の秘密(象徴)を悉く学び、二百余巻もの根本経典も原典・新訳・漢語訳を含めて、これらをすべて、独学で、修得したという離れ業。
天台宗を体系自体を全部、国費で仕入れに渡った最澄とは異なり、空海は、謂わば、私費で、経費も与られずに、密教を一個人として、留学生(るがくしょう)として、請益してしまう。しかも、長安での滞在は、僅か2年に満たないで、本来の20年分の経費をも、惜しげもなく、一挙に、曼荼羅や密具への謝礼や経典写経の経費に充ててしまったのである。そして、帰国のタイミングも、後から考えれば、これを逃していれば、帰国できなかったかも知れないという、奇蹟に近い絶妙なタイミングである。入唐時での偶然の漂着、帰国に際してのタイミングという奇跡的僥倖、幸運の強さ、更に、「異芸、未だ嘗て倫(たぐい)あらず、」と唐僧から謳われた異能は、どこから、培われたのであろうか?生来、その人間が有していた固有の才覚なのであろうか?書道の達人、帰国後の三筆と称せられた嵯峨天皇との関係、或いは、長安での文化人との交流、帰国時での詩文の交換など、入唐に至るまでの現地交渉過程での文章力、漢文作成能力、など、こんな多彩な異能は、どう考えたら良いのであろうか?

帰国後から上京までの謎の期間を、必ずしも経典資料の整理の期間とは考えず、むしろ、自分に宗教的、政治的に有利な環境が醸成されるのを意図的に、待ち望んでいた感があると、司馬は解釈する。桓武天皇の死がその後の最澄の政治宗教上の苦境を徐々に、迫ることになる。天台宗が公認されたにもかかわらず、奈良六宗に対する否定的な立場と彼らからの反感を持たれるという相克を生み出すが、空海は、逆に、むしろ、親近感と排撃することをしなかったという政治状況が皮肉にもやがて、醸成されてくる。
最澄は、宮廷に、一定程度の影響力と旧仏教勢力との対決が不可避であったのに対して、無名に近い空海は、むしろ、逆に、それを有していなかった、そのことが、むしろ幸いしたのであろうか?
最澄は、天台過程を止観業と呼び、密教過程を遮那業と呼び、二つを同格視し、伝法公験という証明書紛いまで発行させたことは、密教を飽くまで、仏教の最高地位に位置づけ、これを教学・筆授ではなく、人から人へ秘伝として伝えようと目論んだ空海とは、密教それ自体に対する考え方で、徐々に、相容れなくなる。最澄が、仏教を人間が解脱する方法を道であると考えて、経典を基礎とした教えに、重きを置き、釈迦から自分はこう聞いたということが書かれた経典を中心に、一つの体系として、これを必要とした。むしろ、奈良仏教には、この体系がないとした。

さて、ここで、鎮護国家という考え方:護国思想という罠:について、考えてみよう。
誰一人として、密教伝来の正嫡という、嘗て入唐した日本人僧が得られなかった栄誉を単なる一留学生たる空海が、与えられたという事実。これは、最澄ですら、否定できない事実であろう。空海は、自分が、遠い異国からやってきた異種・異能の者であるという、人種・国境・身分を超えた普遍的な宗教思想家であるという自負、自意識、日本の矮小性を初めから、自覚していたのかもしれない。仮にそうであるとすれば、世俗との関係性において、皇帝とか、貴族とかを認めていたとしても、その宗教上の思想性の展開については、必ずしも、自身の経験と唐での様々な国との、今で謂う外国人との人的文化交流や生活から、そういう類の階層・身分に固執することはなかったのかも知れない。むしろ、異国での異文化交流や様々な宗教に広く触れ、且つ、言語の段階から、直接触れることで、謂わば、当時のコスモポリタン的な視野に、立脚できたのかも知れない。その意味では、国家護持仏教であるにもかかわらず、必ずしも、国という小さな枠では、守れない視点があろう。後の世での高野山の既得権益化と政治支配者化を考えたときに、宗教家の於かれた政治的・社会的な情勢は、権力による庇護なのか、対立・構想へと突き進むのかが、微妙に、別れるところである。
華厳経の世界を具象化した毘廬遮那仏(大仏)が鎮まっているという東大寺の政治的な位置、
新しいものが、旧いものを駆逐するという考えの中では、何故、共に、外国から入ってきた旧来の奈良仏教も、最澄・空海の新しい仏教も、併存する形が可能なのであったのであろうか?純思想的な、或いは、宗教上の純然たる論争による結着ではなくて、むしろ、当時の経済的、政治的、社会的な理由と取り巻く環境の要因が考えられるのであろうか?
平安朝に於ける藤原氏や薬子の乱や道鏡による政争の影響から、或いは、唐での政争を経験することで、安禄山の乱より、如何にして、自身の思想・宗教を守るのか?影響されることなく、如何に守るのかに腐心したのかも知れない。鎮護は、決して、根本的な鎮護国家仏教へと、空海の場合には、繋がるモノではなかったのではないだろうか?
顕教と密教:顕教とは、外側から理解出来る真理で有り、密教とは、真理そのものの内側に入り込み、宇宙に同化するという業法と理論で、空海は、真言宗という体系を樹立することで、密教が顕教をも包含する最高の仏法であるということを、自ら、体現し、明らかにしようとした。顕教を棄教して、宇宙で唯一の真理である密教を、身体と心で、挙げて服することが、本当に、最澄には、出来るのかと疑い始める。書物による伝授法、経典の借用、写経や筆授は、密教に於いては、あり得ないという空海の立場、師承という形以外に、秘事に類する重大なことを含めて、密教は決して相続されないものである。
泰範という最澄の弟子の改宗というエピソード的な出来事についての考察、:
経を読んで、教養を知ることは真言宗では第二のことで、真言密教は、宇宙の気息の中に、自分を同化する法である以上、まず、宇宙の気息の中にいる師につかねばならす、その師の指導の下で、一定の修行期間が与えられ、心身を共に、没入することによってのみ、生身の自分を仏という宇宙に近づけられ得る。宇宙とは、自分の全存在、宇宙としてのあらゆる言語、すべての活動という三密(動作・言語・思惟)を止まることなく、旋回しているが、行者もまた、この宇宙に通じる自己の三密という形で、印を結び、真言(宇宙の言葉)を唱え、そして、本尊を念じ、念じ抜くこと以外に、宇宙に近づくことは出来ないし、筆授では、決して、成し遂げられないと考えられた。最澄は、密教の一部を取り入れようとし、決して、密教そのものの行者になるつもりは決してなかったのではないか?だから、灌頂を受けても、あとは、書物で、密教の体系を知ることが可能であると、考えていたのであろう。最終的には、伝法灌頂を授けずに、程なく、経典を貸すのみで、両者は、その途中の紆余曲折の過程は別にして、結果として、断交状態に近い形になる。

飛白書という奇抜な書体についてである:書というよりも絵に近い、文字によって、筆も変えなければならない。能書は、必ず、好筆を用うと、南帖流の王義之や北魏流の顔真卿らの書風・書聖に話は、移ってゆく:「書とは、自ずから己の心が外界の景色に感動して自ずから書をなすもの」であり、「万象に対する感動が書には、籠もっている」と、更には、「書の極意は、心を万物に散じて心情をほしいままにしつつ万物の形を書の勢いに込める」のであると、「すべからく、心を境物に集中させよ、思いを万物に込めよ」、更には、「書勢を四季の景物にかたどり、形を万物にとることが肝要である」と、何とも、悪筆の自分などは、いつも、PCのタイプの助けを借りなければ、文章を書けないのに対して、誠に、苛烈な容赦ない言葉である。
しかも、その書体自体が、思想的な論理構造にも、何らかの形で、関係しているとまで、云われると、もはや、グーの音も出ないし、おおいに、悪筆を恥じ入らざるを得ない。
空海の書には、「霊気を宿す」とまで云われると、何をや、謂わんであろうか?
自然そのものに、無限の神性を見いだすという考え自体、自然の本質と原理と機能が大日如来そのもので、そのもの自体が、本来、数で謂えば、零で、宇宙のすべてが包含され、その零へ、自己を同一化することこそが、密教に於ける即身成仏徒でも云えるのか?

入定という思想:空海は835年に、紀州高野山にて、62歳でその生涯を閉じる。奥の院の廟所の下の石室において、定にあることを続け、黙然と座っていると信じられている。後年、俗化してしまった高野聖や高野行人や後世の中世半ばの荒廃を思うとき、その思想性の高邁さと孤独性が感じとられる。入定と入滅とは、おおいに異なり、この世に、身を留めて、定に入っているだけであると。一切が零で有り、且つ、零は、一切であると云う立場の空海が、「留身入定」という考え方を、信じながら、なくなっていったとも、考えられず、後世の結局は、言い伝えなのであろうか?「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなむ、」とは!!、「薪尽き、火滅す」と弟子の実慧は、師匠の死を唐のにも、伝えている。
風速計で、風力の速度を知ることが、顕教とすれば、密教は、むしろ、風そのものですら、宇宙の普遍的な原理の一部に過ぎず、認識や近くを飛び越えて、風そのものになる(化ける)ことであり、即身にして、そういう現象になってしまうにしても、それはちっぽけな一目的で、本来は、宇宙の普遍的な原理の胎内に入り、原理そのものに化してしまうことを究極の目的とする。当時の宗教のレベルは、1200年も経った今日でも、誠に、不可思議で有り、「人間の肉体は五蘊(ごうん)という元素が集まっているものである」そうであるが、確かに、般若心経の一句でも、「照見五蘊皆空」(ショウケンゴウンカイクウ)「度一切苦厄」(ドイッサイクヤク)となっている。よくよく、文字の一語一語をしっかりと理解して、読経をしなければならない。まるで、ナノテクか、原子物理学の世界に迷い込んでしまいそうである。それでは、ひとつ、般若心経でも、唱えてみることにするか?さてさて、いよいよ、四国巡礼、阿波足慣らしのまずは、決め打ち準備に、掛かろうとするか!?足許不如意だから、サイクリングで、ゆっくり、ゆくとするか?雨が心配であるが、考えてみれば、雨も又、自然、宇宙の一部に過ぎないのであれば、自分も又、同様なのであろう。そう考えれば、濡れることも当たり前なのであろう。恐るるに足りぬか?でも、やはり、レインコートは、必要かな?一応、リストに入れておこう。


早稲田文学季刊で読む、「炸裂志」:

2015年02月17日 | 書評・絵本
早稲田文学季刊で読む、「炸裂志」:
カフカ賞受賞作家、閻連科(イエンリエンコー)による中国長編小説であるが、いつになったら、出版されるかは、恐らく、その内容からして、分からない。途中で、筆を折らざるを得ないような局面を迎えるやも知れないことは、想像だに易い。既に、著作の一部は、中国エイズ村奇談と称する「丁庄の夢」他は、発禁或いは重版が差し止められている。従って、飜訳連載されている間に、読むに越したことはなさそうである。「志」とは、日本で云うところの志しではなくて、一種の市史・編纂のようなもので、ここでは、中国の一地方都市、「炸裂」に於ける、所謂、「万元戸」、「億元戸」を生み出してゆく過程での内幕を、行政の逆手をとるかたちで、「神実主義」という手法を用いて、「存在しない、眼に見えない真実を探求するもの」だそうである。現代の中国が抱える問題と言うよりも、或いは、その国の成立に関わってきた歴史的な宿命とは別に、もっと、普遍的な世界に通じるような規模での課題を、その影が、光が強ければ強いほど、逆に、濃くなるように、その暗黒の中で、暗黒になればなる程、希望にもなるように、剔抉してみせるのではなかろうか?彼は、自分の作品を、こうも云っていっている。「あの暗黒のなかで、懐中電灯を点けている盲目の人が暗黒の中で歩くときにあの限られた光で暗黒を照らすのとおなじ、出来るだけ人々に暗闇と、避けるべき逃れるべき目標と目的をみせることなのです」と、又、こうも云っています。「私はいつでも混乱した暗黒に包囲され、ただ暗黒の中で世界の輝きと人間のか弱い存在と未来を感じることしか出来ない」とも、、、、、、、、、。更には、「生まれつき暗黒を体験している存在である人間は、彼の前方が明るいことを信じることが出来ます。この明るさによって、人々は、暗黒の存在を見ることが出来、更には、上手に暗黒と苦難を避けることが出来るのです」と、、、、、、、。
一地方都市の「炸裂」が、「万元戸」へと変貌してゆくときに、その鉄道貨物列車が、急峻な坂を登り詰めるとき、速度が落ちる故に、その国有財産であるコークスやら、あるときは、高級な布地であったり、様々な物資を盗んでおきながら、それを卸し(下す)と称して、住民がこぞって、発展の原資として、行なってゆく様の凄まじさは、人間の有する浅ましさを表している。しかも、それが、行政権力と、或いは、国家合法思想としての国家権力と相俟って、事故死した者までもが、革命烈士なるものへと転化してゆく様は、恐ろしい暗黒の現実である。春節で、爆買いに来日する中国人観光客にも、一度、この件を、尋ねてみたら良ろしかろうか?一体、いつまで、この連載は、継続可能なのであろうか? 末尾の(つづく)という小さな文字が、やけに、大きく、意味深長であると思うのは、私一人だけであろうか?

閻連科(イエンリエンコー)の云う「国家が仕掛ける記憶喪失症」なるものとは?:

2015年02月09日 | 書評・絵本
閻連科(イエンリエンコー)の云う「国家が仕掛ける記憶喪失症」なるものとは?:
中国文学作家に、接することは、せいぜいが、現代でも、「魯迅」止まりであり、中国が抱える現代的な課題に対しては、最近の拝金主義・官僚腐敗汚職・民族主義の弾圧・自然破壊・金権体質、など、数え上げれば、数知れないが、それらを真剣に、現代文学作品の中で、読む機会は、ほとんど、ないのは、残念な限りである。新聞のコラムの中に、閻連科(イエンリエンコー)という1958年生まれの解放軍の出身で、現在、反体制作家として当局の監視下にある魯迅文学賞、カフカ賞受賞作家のコメントが出ていたが、なかなか、興味深いものがある。国内に止まり、とりわけ、文筆でもって、暗黒政治社会に対して、孤高の灯台の灯を守りながら、どれ程の知識人が、中国国内には、いるのであろうか?そして、一体、このような状況下で、文学というものに、或いは、広く、ペンに、言論に、何が出来うるのであろうか?拝金主義が蔓延して、社会を歪めていると分かっていても、マネーという物差しを棄てることが出来ない、更には、枯れた花までも、再び、咲かせてしまうほど、汚れた空すらも、又、綺麗な澄み切った空を蘇らせてしまう国家権力という現実の絶大な力と、どのように、対峙できるのであろうか?そして、天安門事件を「国家が仕掛ける記憶喪失症」と評する彼にとっては、暗黒に順応してしまわないように、社会の闇を照らす懐中電灯のような文学作品を、如何に世に出せるのかという課題は、極めて、大きなものがあろう。それは、中国だけの問題ではなく、日本でも、戦後70周年の記憶の喪失、或いは、これを歪曲して、政治的に利用しようとする旧戦勝国側にしても、同様であろう。彼の手法とする「非リアリズムによるリアル化」とは、どういうことなのか?確かに、言論弾圧の中では、それこそ、別の意味でも、言論の自由や、表現の自由が制限されている最中では、直接的なルポルタージュ的なリアリズムやドキュメンタリーは、余りに、無垢で、文学的ではなく、攻撃と弾圧の対象になりやすい。しかしながら、それを風刺を効かして、いかにも歴史小説風に、或いは、架空の設定の中で、オブラートに包み込んで論じることは、逆に、リアリズムを、一層、進化させるような手法であるといえようか?そこには、巧妙に仕組まれた「無限の創造力」をだからこそ掻き立てるような、そして、事実を一層事実よりもリアルに考えさせられるような工夫が、凝らされていて、言論弾圧との闘争の過程で、その文学が、ぎらぎらと、光輝くようになると評されている。一体、これから、彼の描こうとする課題は、どのようなものになるのであろうか?そして、それは、単に、中国という国だけではなくして、普遍的に、もっと、広い全世界的な課題でもあるのかも知れない。言論と表現の自由や、風刺の自由が逆に、宗教の侮辱とも取られかねない現状、そして、貧困と差別・移民、民族排外主義、異なる文明・宗教同士の衝突など、今日的世界的な課題は、ますます、苛烈に、我々を待ったなしに、襲ってくる。それでも、こんな政治的な厳しい日中間の政治関係の中でも、民間での交流・観光での密接な関係による別次元での交流を評して、中国人は、だんだん、成熟していて、民族主義も、ゆっくりとではあるが、好転していると、飽くまでも、ポジティブである。(村上春樹が評した、「尖閣の狭小なナショナリズムを安酒に酔いしれている状態」に対して)成る程、中国人は、政府を疑っているし、信用していなくて、むしろ、軽蔑しているのかも知れないが、、、、、。その意味で、中国ネトウの動向も、それ程、額面通りには、受け止める必要性はないのかも知れない。むしろ、複雑な現実を真摯に受け止め、単純明快な二分化をむしろ、疑った方が良いのかも知れない。その意味で、不条理なことが日常生じている中国の現状こそ、文学が取り上げる課題が、色々と詰まっている玉手箱なのであるのかもしれない。その意味で、今後、新作「炸裂志」も含めて、どんな作品が発表されるのか、期待したいところである。我々は、中国であれ、日本であれ、アメリカであれ、ロシアであれ、国家というものが画策する、「記憶喪失症」に、しっかりとした対抗軸を、自分自身の中で、持っていなければならないであろう。それは、又、普遍的に、一国だけではなくて、国境を超えて、個々人の心の中に、根付かなければならないであろう。いつの日にか、天安門事件を主題にした文学作品を読んでみたいものである。


ピケティーに考える:

2015年01月30日 | 書評・絵本
ピケティーに考える:
目の具合が、衰えてきたから、随分と読書量が減少してしまい、700頁もあるような今話題の大著を読むのは諦めて、( http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2015-01-16#more 友人のブログ 海神日和1月16日付け、一寸長いが参考にしてみて下さい)に掲載されていた内容やダイジェスト版で、済ませることにしてみたが、今日的な課題としては、なかなか、「格差」というキーワードでは、興味深い、面白い内容である。但し、純粋な新しい経済理論として読み解くと、未だ、問題がありそうである。経済学、或いは、人文科学、社会科学でも、その学問の目的とは、本来、「社会を豊かにして、貧困をなくすこと」というのが、大命題だとすれば、それは、これまでの歴史的な過去の進化を「後付け」という形で、理論付けすることではあっても、その普遍的な理論で、必ずしも、未来を俯瞰出来得ているモノでないことは、経済学のみならず、同じ自己矛盾とその相克は、政治学でも哲学でも、歴史学でも社会学・心理学の分野でも、(地震予知額ですら)同様に、云えるのかも知れない。確かに、歴史を振り返ってみるときにも、大河ドラマを見るときにも、何も、その歴史的な事実を確認するためではなくて、常に、例えば、吉田松陰という、その人物の生身の過ごした歴史を通じて、「自分がどのように生きるべきか」を考えることに、主眼が置かれ、未来をどう生きるかを考えることである訳で、単なる現状分析や検証ではないはずである。それでは、経済理論・経済学という分野でも、そうなのであろうか?その意味で、著者が、提起している税務データによる実証的な分析手法に基づくやり方も、これまでのミクロ経済学・マクロ経済学・計量経済学、実証経済学(無作為比較対照手法の実験経済学や経済心理を研究する行動経済学)という分野で、或いは、今日的な労働価値学説や限界労働力説や利潤定義(絶対・相対・追加余剰利潤)のなかで、どのように、位置づけられるのであろうか?
その意味では、三段論法である、著者の主張する、(1).経済低成長gと高貯蓄率sで資本/所得比βが、増加する (2).資本収益率rは、さほど下がらず、資本所得のシェアーαが増加する (3).資本収益率rが、今後維持されると、資本/所得比βが増加して、資本所得のシェアーαが、上昇し、富の格差が広がる、所謂、資本収益率r>経済成長gというパラメーターである。この不等式は、「常に」、そうなのか、それとも、常にではないのか?
言葉の定義を、初めから、理解していないと、どうやら、迷宮に入り込みそうになる。
「富」とは、「資産」なのであろうか?そうであれば、資産とは、「所得+非相続財産+動産+不動産+負債+その他」というモノなのであろうか?更に云えば、個人の資産と国家の資産、それ以上に、その境すら、今日、曖昧になり、明確な線引きが難しくなりつつある。個人の有する資産は、膨大であっても、その国の政府は、巨額な債務に陥り、中国のように、シャドウー・バンキングではないが、どれ程の含み損が、眼に見えない形での不良資産が存在しているのかも、分からないのが現実で、その一方で、そうした富裕層の使用する買い物のお金が国際的に、廻ることで、他国が潤うようなこうした矛盾した構図など、リーマン・ショックでも起こらなければ、結局誰かが、ババ抜きではないが、見えない形での不良債権というジョーカーが、次から次へと回り続けることになる。それは、先進国だけのことではなくて、むしろ、発展途上国でも顕著に、生じている事象でもあろうが、、、、、。話を戻そう、では、「所得」とは、何か?労働者の場合には、といっても、今日では、労働者であっても、必ずしも、労働所得だけからなる訳でもないが、これを労働者と云わなくて、資本家というわけにも行かぬが、、、、、、、。まぁ、株などの金融資産や相続によって、継承した不動産を持っているサラリーマンや、ワンルーム・マンションを所有している者も含めるかどうかは、別にしても、(混合)「所得」とは、「労働所得+金融所得(貯金・債券・株式)+非相続財産+動産+不動産+負債+その他(△減価償却・各種社会保険・税額控除他)」とでもなるのであろうか?むろん収入ではないことは、もちろんである。誤解を怖れずに、云ってしまうと生まれたときから死ぬまで、一生、労働所得だけでは、(もっとも、公務員は別なのかもしれないが)労働分配率が、向上しない限り、或いは、経済成長率が、増加しない限り、明らかに、一生、増加することはないことが分かろう。しかも、経済成長率の低減と人口減少・労働人口の高齢化・減少化により、労働所得は増加することなく、資産が増加しているという現実があると。だから、資本収益率r>経済成長率gにより、格差が拡大すると、、、、、、。しかも、「資本収益率rが、その分配率を決定する」から、所得が、どのように、資本と労働に分配されるかというと、必ず、成長や総枠のパイが拡大しない限り、労働所得が増加することはないと云うことになる。成る程、確かに、カルロス・ゴーンのような超高給経営者の過剰なまでの報酬は、お手盛りの成功報酬を大きく超えたところのなせるもので、決して、賃金格差が教育や技術レベルや専門性から生ずるモノではないことが、納得されようか。又、純粋な意味での個人独自の起業成功者という例では、我々は、残念乍ら、騙されているようである。その率たるや、僅かなものであることに驚く。こうなると、もはや、今日、年功序列が崩れてしまった以上、黙って、加齢による賃金上昇や富の蓄積は、合理的な説明は出来ないのであろう。今や、一億、総ミセス・ワタナベ化するか、不労所得社会へ、個人事業主や小さな会社経営者へ移行する以外に、生き残る途はないのであろうか?或いは、資産家の家に生まれるか、アゲマンにでもなるしか手はないのであろうか?
「格差」の広がるメカニズムは、こうした原因であるのか?
そもそも、3つの格差(所得格差、所有格差から生まれる格差、そして、労働所得+資産格差の合計から生まれるところの総合所得という格差)の中身とは何なのか?果たして、富とは何であり、富と所得の格差は、経済メカニズムの中で、ある一定程度、生じるものであるもの、何らかの「民主主義的な政策的な調整」で、ミニマイズ可能なのであろうか?さすれば、政治的に、或いは、民主主義による政策による制御可能という理屈も成り立つであろうが、どっこい、合衆国の成立という歴史的な史実からも、そうはいかないことは分かろう。政治的にどんなに、理念としての「自由・平等」を掲げたとしても、実態経済の基礎は、奴隷制と先住民からの土地・労働力の収奪という現実がある以上、、、、、、、。その意味では、マルクスの「労働価値学説」に対抗するような根本的な、今日的にも普遍的な理論的な仮説を期待したくもなるが、「21世紀の資本論」(資本ではなくて)とも云われて然る出来である割には、残念乍ら、今日、複雑化してきている「富」・「資本」の内容の分析や、グローバルな「金融資産」や、眼に見えない「負債」、含み資産・含み損なども含めて、より、理論的な分析が欲しいところである。
経済成長の基本的な要因とは?そもそも、金融資本とか、眼に見えない形で、数式が組み込まれたデリバティブのような、或いは、米国住宅サブ・プライム・ローンのような巧妙な金融工学による数式という罠が隠された金融消費などは、一体、どのように位置づけられているのか?さりながら、格差拡大への処方箋としての「グローバル資本課税」「国境を超えた形での税務内容の把握や国際的な協調機関での連携」とか、或いは、「累進課税の強化」、「相続税や生前贈与」に対する国際的な考察と分析は、おおいに、評価されて然るべきであろう。19世紀以降の産業革命から、主たる資本であった農地が、やがて、技術革新と分業などにより、生産規模や生産性が拡大するにつれて、自由市場・市場経済圏が拡大し、資本蓄積がなされるに従い、産業資本から、金融資産へと或いは、不動産資本・不動産資産へと変貌していく資本の内実、それも、これまでの海外植民地資産とか云う形ではなくて、簡単に、国境を超えてしまったグローバルな拡がりと、その裏にある国際的な通貨・為替政策・金融政策・国際的な関税撤廃による通商貿易枠組みなどが複雑に、グローバルの中で、各国家利害とも対立と協調を孕みながら、変貌を遂げてきているわけである。実物資本の収益の低下とは必ずしも無関係とは言い切れないながらも、金融商品を含めた複雑化してしまった「非実物資本への金融的なアプローチと分析」は、もう少し、あって然るべきであったかもしれないが、今後に、期待するところであろうか?ケインズ以降、確かに、不況の際には、経済政策としての社会資本の拡充や金融緩和政策、公共インフラ投資政策とか、2回の世界大戦を挟んで、累進課税強化や公共財産の民営化も含めて、富の分散や再配分が行われたのであろうが、資本主義が、富の不公正を生み出し、本質的にその内包する金融危機が、やがて、世界恐慌、革命へと繋がるという理論も、(況んや、社会主義社会でも、富の平等な再分配は、全く、非現実であることが分かってしまった以上、)何らかの自由主義一辺倒ではなくて、「ある程度の規制と是正政策」が、一定程度の経済における民主主義制度というものが、やはり、必要であると云うコンセンサスは、今日、世界中から、そういう声が上がっていることは確かであろう。同時に、格差というものと「貧困」、「再分配方法論」に関しても、社会政策論の観点から、詳しく、分析・論じられるべきものなのかも知れない。本当に、そんな「国際的な規模での金融と経済の透明性」というものが、成し遂げられるのであろうかとも思われるが、、、、シャンパン・グラスに上から、順番に、シャンパンを注いでゆく方法が正しいのか?黒い猫も、ネズミを捕獲すれば、それで良いのか?最初に、豊かになれるものは、先に、豊になってからで、果たして良いのかなど、「別の価値観」がでてこよう。さすれば、経済学に、「分配論」という「価値観」を入れて論じることに普遍的な経済学理論の確立が可能なのであろうか?確かに、生産活動の成果である生産物が、「所得」という形を経由して、労働・資本・土地などにどのように分配されるかを明かにすることは経済学の主要な課題の一つである「分配理論」では、そうかも知れないが、政治的なスタンスとして、判断・利用されかねないのでないだろうか、そんな危険性はないのであろうか?だからこそ、今日、「格差」というキーワードに飛びつくように、純粋経済理論として論じられるよりも、中道左派の経済政策として、脚光を浴びてしまうことになりはしないのか?もう一度、スミスの労働価値説や、リカードの投下労働価値説や、マルクスの余剰労働価値説や、限界効用理論などを、再考・再構築し直さないと、今日、複雑化してゆく世界を読み解こうとしたら、資本や労働を改めて見直してみないと分からないのかも知れない。「格差」という一点から見る限りには、確かに、面白い、興味深いことではあろうが、純粋経済理論から見た時には、それは、本当に経済理論から読み解かれた結論であり、且つ、正しい分析であると云えるのであろうか?そこには、何か、分配論という「価値判断」が働いてはいないのであろうか?
では、成長の要因と阻害要因とは何なのであろうか?
産業革命が果たした役割の中で、技術開発、労働人口の増加と拡大、労働生産性の向上と購買力の向上、植民地経済、自由市場経済の創出など、但し、これは、19世紀から、20世紀初頭にかけては、その構図も納得が行くが、2回に亘る大戦を経て、今日、如何に、大きな戦争が出来得ないほど、互いの国家間でのグローバルな経済関係が緊密化してしまい、軍事的な紛争はあっても、大きな戦争にまでは、至らない、或いは、させないような制御システムが、(東ウクライナやISILやボコハラムをどう見るかは別にしても)一定程度、機能している以上、又、インフレによる公的な負債の低減と、緊縮財政政策やデフレ状況からの脱出を目指すところの中央銀行機能の強化と総量規制の緩和策、或いは、国際的な通商政策や通貨・為替施策の必要性が、不可欠な要因となろうが、必ずしも、決して、どれをとっても、安定的なものばかりとは云えないのが現実である。財政の健全化議論も労働人口減も移民議論も福祉国家構想も、子育て政策も成長戦略も日本では、どのように、位置づけられるのか?
格差の拡大阻止に向けての処方箋で、興味深いことは、グローバルな租税回避、タックス・ヘブンへの国際的な監視強化と累進課税政策や、相続資産課税強化や世代に関する生前贈与に関する考察であろうか。所得の中に占める金融所得や資本所得の大半は、実は、相続による者が大半であると云う仮説の衝撃である。遺産の相続と教育・住宅に対する生前贈与が、キーだそうである。圧倒的に、今日、こんなゼロ金利に近い状況の中で、貯蓄による増加は期待できず、それよりも、富は、相続によって、平均余命が延長されても、高齢者の心理マインドは、変わらず、むしろ、世代を飛び越えた形で、相続や贈与という形で、富の継承が行われる可能性があるというものである。アベノミクスでも、こうした文脈の流れで、眺めてみると、相続税の3000万円への引き下げや贈与の住宅や教育への非課税枠の増加も、理解されなくはない。こうしてみてくると、これまでのストックたる資産とフローである所得という図式も、どのように、考えたら良いのであろうか?
最後に、技術移転という課題であるが、産業革命に果たした新たな技術革新と云うものは、一定程度の説得力はあるものの、必ずしも、その技術移転が富の公正な分散と拡散を、先進国から、発展途上国へ行われたかといえば、その産業分野毎で、必ずしも、そうとも云えないのが現状である。むろん、その為の教育の整備・機会均等とか、インフラの整備援助などは、必要不可欠ではあるが、それにも増して、r>gの図式の中で、機械化との競合・競争がより、r>gを高く維持するのか?言い換えれば、資本が労働をどんどん代替・弾力化してゆき、終いには、自動車産業や半導体製造業などにみられるようなIT化やロボットによる完全無人化生産などにより、労働への分配は、ますます、低減していってしまいかねないのか?とすれば、産業や仕事自体も、これからの労働者は、考えて選択しないととんでもないことになるのであろうか?完全ロボット化を可能にする機会のソフトの設計とか、限りなく、付加価値をつけられるような仕事なのか、それとも、限りなく人に接する末端の仕事か、それとも、そういう人を管理する仕事(といえば、体裁が宜しいが)、職業に貴賤はないという理念は、理念としては、正しいのであろうが、実際、r>gの現実の図式の中で、考えたときには、果たして、その通りなのであろうか?しかも、限りなく、それは、使われる身だけでは、一生、富の再分配という恩恵を決して受けることのない身を引き受けるという選択になるのであろうか?一億総非正規労働者か、将又、一億総個人事業主になるか、ミセス・ワタナベにでもならない限り、時代に取り除かれてしまうことになるのか?それとも、幸福の価値観が違うという世界を選択するのか?どちらかになってしまうのであろうか?
どうも、ひとつ、読み解くうちに、納得のゆかないことがある。それは、「実証経済データ」という奴である。例えば、今日、これだけ、グローバル化が進行してしまうと、あらゆる輸出統計も輸入統計も、単純な一国主義だけのデータだけでは解明できない「ある種の数字」が、そこには、隠されているのではないかと、私などは、疑ってしまう。それ程、今日、この問題は、単純ではなさそうである。例えば、純粋に、日本からの輸出が少ないと云っても、大森辺りの町工場で、純粋に、すべて、国産の原料で、国産加工で、国内から単純に、どれ程の製品が輸出されているのであろうか?原材料自身が、コスト・ブレイクダウンしてみたら、エネルギー・コストから、輸送費・人件費・梱包費・原材料費など、どんな基準で、しかも、それが、円で仮に換算されても、その時の為替通貨で、大きく、ドル・ベースでは、異なるであろうし、その変数は、外国通貨に、換算したときには、もっと大きな相当な差異が、生じることは、大企業の利益が、為替レートが一円違えば、数十億円の違いにもなることからも、理解出来よう。ましてや、三国間貿易どころか、今日では、急激な円高対策として、国外工場を建設して、そこから、部品を輸入して、加工したり、第三国で、アッセンブルしたりして、再び、再輸出したり、輸入したりと、ますまず、複雑化していて、それが、自社内の海外子会社間で行われても、決して、日本国内の数字にはならずに、関税・貿易統計上は、他国の数字となっている以上、一体、何処までが、日本独自の数字で、何処から先が、海外の数字になるのか?この中には、当然、土地代金・エネルギーコスト・労働工賃・輸送費・もっと広く云えば、現地インフラ費用も含めて、どのように、資本・労働という形で、ブレイクダウンできるのであろうか?ましてや、国際通貨の為替レートも含めたら、一体全体、どのように、実証データですら、分析可能なのであろうか?所謂、含み利益とか、含み損も、そうであろうし、目に見えない負債、Invisible Debts やサブプライムローンに隠された巧妙な負債の数式化によって組み込まれた金融商品など、一体、統計的に、どのように、分析されているのであろうか?今日、本当に経済学では、そんなことも含めて、所謂、実証データという形で、解析されているのであろうか?ましてや、貿易収支だけではなくて、資本・金融収支やら配当やらに至ると、それも、これも、為替次第で、大幅に、数字が異なってしまうのではないかとも思われるが、そういう国毎の数字データに潜んでいる数字のマジックは、どのように反映されているのであろうか?
更に、通商交渉や多国間貿易交渉による相互関税の撤廃とか、法人税の減税や、関税収入などの税収の減少の中で、発展途上国の国営企業の財務や負債の透明化など、まるで、世界的な規模でのグローバル・ババ抜きゲームの様相を呈している以上、(個人的な体験では、東南アジアの箪笥預金や海外送金の額たるや、中途半端な数字ではなく、実際、世界銀行などの統計数字などは、全く当てにならず、本来は、実体経済に、こうした地下経済に潜む資本が、突然、経済の自由化と同時に、浮上してきたのも事実である。こういう数字は、一体全体、統計実証データの中に何処に位置しているのであろうか?)一体、ピケティーの「21世紀の資本」を読み解く世界観の中で、個々人は、如何にして、生き抜き、どのようにしたら、少なくとも、多少の「富の再分配」に預かることが可能なのであろうか?それとも、それは、幸福度の価値判断が異なるという別次元・別世界の選択肢しか、単純に労働所得しか稼げない者には、残っていないのであろうか?何とも、考えさせられてしまう。何事も、後付けの解説理論付けなのであろうか?まるで、地震学者の近未来の大地震発生予測学問というよりも、たちが悪かろう、40年も経過しても、為替相場の予測理論も、株式相場の理論も、況んや経済理論をやであろうか?こちらには、そんなに、時間が残されていないから、守りでも宜しいが、前途有望な若い人は、多いに、真剣に考えなければならないであろう。純粋経済理論とは、一体、何のために役立てられるのであろうか?ババを引き抜かないためなのであろうか?

The Reason I jump を読んでみる:

2015年01月15日 | 書評・絵本
The Reason I jump を読んでみる:
幸か不幸かは、分からぬが、自分の家族や親族の中で、所謂、強度の「自閉症」を患ったものはいないが、何でも、アマゾンで、強度の自閉症を患うNaoki Higashide著による日本語の本を、同じ、自閉症の子供を持つDavid Mitchellが、英語に飜訳した結果、自閉症児を有する親だけでなく、各国の関係者に、大きな反響を与えた書物らしい。そこで、英語に飜訳されたものを、読んでみることにした。それ程、分厚い本ではないので、是非、日本語でも宜しいし、英語でも、一読することをお薦めしたい。従って、ここでは、その内容よりも、むしろ、私が、感じたところのこの本からの印象を中心にして、述べてみたいと思います。
歳とともに、肉体的な機能が衰えてくると、私の場合には、脊柱管狭窄症という腰の障害から、歩行が思うようにゆかず、その後、目が見えづらくなり、初期白内障の様相を呈し始め、読書が、はかばかしくなってしまったこと。こうなると、白内障の進行を遅らせる眼薬を点眼しても、なかなか、集中力が持続されなくなり、自ずと、読書量も、落ちてくるものである。若い人向けに、年寄りの行動が、如何に遅いのかを、アイ・マスクやプロテクターをつけて、人工的に、行動を制御することで、理解しようという体験運動が、行われているのをみたことがあるが、肉体的な「障害」を持つようになって始めて、人間というものは、「異常・アブノーマル」というモノを実感するのであろうか?それでは、精神的な障害を有して、この世に生を受けてしまった人々を我々は、如何にして、理解しようとし、許容しようとするのであろうか? それとも、拒絶と非寛容、或いは、差別・隔離という形でしか、対抗できないのであろうか?ある種、根本的に、脳に、障害がある場合には、薬などによる障害の軽減も考えられようが、それでも尚、自閉種の症状との付き合い方は、なかなか、難しいこと、とりわけ、親ですら、関係する、接する側の問題が、いかに大きいかが本書の指摘からも、理解される。まるで、それは、未知との遭遇のようなものなのかも知れない。小さい時から、大人も含めた、社会の側、接する側の病気に対する理解と啓発が必要であることは言を俟たないようである。
本書の中で、指摘される課題は、成る程、すべてに亘って、自閉症を抱える側に問題があるのではなくて、むしろ、ひとつひとつが、接する我々の側に、問いかけているようである。文章を書くという意味、同じ事を何度も尋ねること、鸚鵡返しに、質問者に対して、尋ねること、何度注意されても、同じ事を繰り返すこと、奇妙なしゃべり方をすること、年齢を問うこと、会話をするという難しさ、コミュニケーションとは?人を見つめて喋らないこと、手を握らないこと、無視すること、顔の表情が乏しいこと、記憶するメカニズムとは?、ミスをしでかすこと、何故、できないのか?させようとすると、嫌がるのか?ノーマルとは、一体何を意味するものなのか?何故、ジャンプするのか?空中で、字を何故書くのか?騒音とは?手足をバタバタさせること、sensitiveであるとは?食べることにうるさいこと、服装に無頓着であること、蝉ぼ譬えと時間の経過という概念について、睡眠、寝るという行為、きちんと、並べること、CMの繰り返し、ダンスを踊り続けること、何かをし続けること、学ぶことを学ぶという気持、成長したいという願望、徒競走をしない理由、自由な時間とは?したいこととは?感動にむせび泣くこと、彷徨する理由とは、道に対する概念、同じ動作の繰り返し、静かにすることの難しさ、パニックに陥るとは、子供っぽい行動とは、泣き叫ぶこと、傍で見守ることの意味、人間性とは、等…、どれをとっても、接する側にとっては、その関係性の中で、おおいに、反省させられるものが含まれている。強迫観念は、どこから来て、どのように、普通は、解消されるのであろうか?アブノーマルとノーマルと称される境界線とは、何なのか?黙ってやさしく、見守ること、その関係性を如何にしたら、うまく構築できるのであろうか?一人でダンスを踊り続ける少女に、やさしく、手を差し伸べて、「私と踊りませんか?」といった途端に、その少女は、踊りを止めたということは、何を意味するのか?この本は、一種の英語の翻訳書というものではなくて、実は、接する者、他者と称する者に対する一種の手話通訳のようなものか、本来、成り立つはずのないコミュニケーションを回復するツールのようなものではないだろうか?それは、ノーマルと考えられがちな我々の側におおいに、反省と再考を促しているようなものなのかも知れない。とりわけ、コミュニケーション・ツールが、今日、何なのかも、分かりづらいものになりつつある以上、愛犬とはうまく、コミュニケーションが出来るのに、自閉症患者やある種の人間とは、うまく行かないという極端な例までもみられるような世の中で、我々は、我々自身を、どのように、見直したら良いというのであろうか?そういう根本的なコミュニケーション論、言語論の範疇にまで、拡げて考え直さなければ、本来の本書の意味は、単なる狭い意味での自閉症患者との接し方の一助や、理解になるというハウ・ツーものという位置にしか、なれないかも知れません。それでも、自閉症に対する理解が進めば宜しいのかも知れませんが、依然として、アブノーマルをアブノーマルとしか考えられない人間との関係性においては、一向に、改善がみられないように思えてならない。もう、肉体的に、脊柱管狭窄症のために、ジャンプですら、出来なくなりつつ私には、改めて、ノーマルとは何か、当たり前とは何か、普通にやれるとは何かを、改めて、考え直させられる良いきっかけになりました。キーボードでも何でも良いから、少しでも、コミュニケーションが可能になるのであれば、そういうトライをもっと、試してみるべきでしょうね。眼に見えない格差や差別も、問題ではありますが、明らかに、同一でないことを隠すことの出来ない人と、どのように、接するかは、おおいに、議論すべき事であろうし、又、多様性とか、異質なものへの理解という社会の雰囲気は、何らかの形で、社会制度システムの中でも、眼に見える形でも、見えない形でも、必要であることが再認識されましょう。

松本健一氏の死を悼む:

2014年11月30日 | 書評・絵本
松本健一氏の死を悼む:
小さな訃報を告げる記事である。あるシンガーの死亡記事の隣であった。歳で云えば、2才ほど、上の世代である。戦後精神史を、或いは、アジア文化史と云われる分野を丁寧に、様々な人物を見直すことにより、右翼とか、左翼とかという範疇ではなくて、現代史的な観点から、日本人の考え方を見直し、且つ、その思考方式や行動様式を、再考させるという地道な著作が多かったように思えてならない。それは、丸山真男や竹内好、橋川文三等の系譜にも連なるであろうし、或いは、俗に言うところの司馬遼太郎とは一寸、系譜を異なるかも知れないが、並行して流れるある種の系譜であったのかも知れない。とりわけ、学生時代、日本ファシズムの源流を勉強していた関係から、橘孝三郎などの農本主義や保田与重郎、蓮田善明らの日本浪漫派の思想や、或いは、2.26事件の黒幕と云われた北一輝の思想系譜を、広く、アジア文化史にまで遡って、三島事件で、精神的にガックリきていた僕たち世代に、「評伝 北一輝論」等は、とりわけ、アンチ・テーゼを示すきっかけにもなった気がする。戦後には、単なる右翼とかいう十把一絡げの範疇に模された大川周明や東山満、或いは、高橋和己の「邪宗門」のモデルになった大本教の教祖、出口和仁三郎などを、幕末から戦中・戦後に掛けての精神史の中で、ある意味、丁寧に、誤解を解く作業は、なかなか、当時の雰囲気の中でも、勇気の要る作業ではなかったかとも思われる。既に、谷川雁も、村上一郎も、司馬遼太郎も、ましてや、吉本龍明も、今はなく、三島由紀夫すら、遠い昔の存在になりつつある今日、又しても、近い世代で、「知の巨人達」の系譜を継ぐ松本健一も逝ってしまった。一体全体、今日の閉塞した日韓・日中の、とりわけ、アジアでの外交的な行き詰まりに対して、草の根のアンチ・テーゼたるべき大きな指針を、若い世代の中で、掲げられるそうした少壮のオピニオン・リーダーが、出てくる可能性があるのであろうか?誠に、我ら「憂鬱な世代」には、心配の種である。又、本棚を引っかき回してみることにしようか?

岡倉天心著、「茶の本」を読む:

2014年07月05日 | 書評・絵本
岡倉天心著、「茶の本」を読む:
東日本大震災の影響で、茨城県五浦(いづち)にある岡倉天心の晩年の幽棲地とした六角堂が、大きな被害を被ったというニュースを耳にしたことがある。日本美術院の縮小が決定的となった失意の中での幽棲だったのであろう。英文で書かれた著作の4部昨、即ち、東洋の理想、日本の覚醒、東洋の覚醒、そして、茶の本、である。それにしても、短い文章であるが、極めて、その漢籍・東洋学・美術額などに、造詣が深いことが、その難解な日本語の言い回しにも、端的に表れていて、文章の短さに較べて、遙かに、難解である。内容構成は、第一章の人情の碗、そして、順番に、茶の流儀、道教と禅道、茶室、芸術鑑賞、花、茶の宗匠達の最後で、千利休の最後の茶の湯の様子で、締めくくられている。殊更、ここで、詳細を述べるよりもご一読戴いた方が、もっとも、英語版の方が、分かりやすいかも知れないが、両方を同時に、併読してみる手もあるが、、、、、。それにしても、文久生まれの武士は、どうも、子供の頃から、その素養が、昭和の戦後民主主義の下で、子供時代を過ごした我々とは、根本的に、その基礎的な素養が、謂わば、ベースから違うのかも知れない。まるで、それは、テレビに出てくる帰国子女上がりの流暢な英語を喋ることの出来るタレントに、英語で、わび、さびを説明してみろと問いかけるかのように、全く愚問であるのかも知れない。英語の著作を表す以前に、既に、フェノロサ、ビゲローや、ボストン美術館中国・日本部門の美術品の発掘・鑑定・再興などの事業に携わってくる上で、すでに、ベースに、漢籍の素養や日本文化、宗教にも、精通している、そうした素養の上に、確かな目で、日本文化を考察し、更には、不当な理解を示す外国人、全世界の無理解な人種に、広く、日本文化を喧伝せしめようとしたのかも知れない。今日、日本として、海外発進力が、今こそ、求められている時代はない。何故、あれ程までに、戦後、世界的な規模で、商社のネットワークが、張り巡らされ、日本の優れた商品が世界中で使用されているにも拘わらず、その文化・伝統・歴史が、一部のフジヤマ・ゲイシャ式にしか、表層でしか、伝えられなかったのであろうか?やたら、松下幸之助や本田宗一郎の名前だけが、知れ渡ったのに対して、茶の湯・活け花等の真の文化的な心が、広く、世界の隅々にまで、行き渡らなかったのであろうか?これひとえに、文化人、知識人の問題だけではなく、一般の我々にも、考えさせられることが大きい。何故か、天心のそれは、明治期の福澤諭吉的な文明論との対局に、位置していないようでもない。60年代後半の戦後民主主義の否定を通じて、止揚しようとした文明論的な主題は、残念乍ら、今日、ひとつとして、遺産としても、残っていないのは残念である。これは、団塊の世代としても、大きな問題である。たわいのないアメリカ人から、天心達が、「おまえ達は、何ニーズなのか、チャイニーズ、ジャパニーズ、ジャワニーズ?」と問われたときに、すかさず、英語で、「We are Japanese gentlemen. But Are you a Yankee, or a Donkey, or a Monkey ?」と切り返したというではないか。そんなウィットに富んだ当意即妙な英語が、ビジネス英語ではなくて、すらすら、やってみたいものである。それにしても、今日、外交交渉でも、貿易交渉でも、況んや、日本文化情報の発信を也であろうか?岡倉天心が生きていたら、今日のCool Japan への取り組みや和食の世界文化遺産認定を、一体、どう、捉えることであろうか?今日の日本で、これらを快刀乱麻に英語や中国語で、海外発信できる何人の知識人がいるのであろうか?何とも、物足りなく感じざるを得ない。一人一人が、天心のようになることは難しいことではあろうが、少なくとも、草の根レベルで、外国人にも自国の文化・歴史などを説明出来るだけの日本語・外国語の素養を持ち合わせたいし、そういう教育を日常生活の中で、意識的に創り出してみたいものである。