小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

呉善花氏の韓国入国拒否と東アジア杯横断幕掲載を考える:

2013年07月31日 | 社会戯評
呉善花氏の韓国入国拒否と東アジア杯横断幕掲載を考える:
さしずめ、石原慎太郎であれば、「朝鮮人が、、、、、」というところであるが、或いは、呉善花氏に対しても、「第三国人が、、、、」というところであろうが、ここでは、「その民族のDignity」を尊重して、「朝鮮民族」という言葉にしてみたい。あまり、大きな新聞記事では無いものの、小さく、何でも、親族の結婚式列席を目的に訪韓したところ、仁川空港で、入国拒否を受けてしまったそうである。もっとも、それが、二度目のことであるとは、新聞には、書いてなかった。よく、履歴を知らないので、(多少は、著作に関しては、聞いたことがあるものの、詳しくは、読んだことがないので、)これを機会に、読んでみることにしたい。「親日派」とは、実質的に、かの国では、「売国奴」に近い響きがあることも事実であろう、「知日家」という言葉でも、この元韓国籍の日本国籍取得で帰化した評論家の立場は、ハングル文字の漢字表記復帰を巡る議論とか、日帝やら韓国併合評価を巡る歴史認識議論とか、幕末時の攘夷と開国を巡る両国の内実など、歴史認識という問題点からも、なかなか、思い切った勇気ある発言をしていることも事実であろう。もっとも、ある筋からによれば、同氏の裏には、ゴーストライターの影もちらつくとも云われていて、まさに、日韓関係、北朝鮮同様、情報戦さながらの暗闇であるようである。しかしながら、それらを差し引いたとしても、二度に亘る入国拒否が、反韓国的な言辞というだけの理由から、入国拒否したとは、まるで、父親の朴大統領の軍事政権下であれば、まだしも、何とも、かの国の対応は、同じ朝鮮民族、同胞に対して、なかなか、理解しがたいものがある。それとも、日本国籍取得で、帰化した以上、「親日派のレッテル」を貼られてしまったからなのであろうか?何とも、不可思議な、しかも、二度目でもある。一度目は、日本政府は、抗議したらしいが、今回は、抗議するのであろうか?それよりも、何よりも、更に、驚くべきこの「朝鮮民族」のサッカー国際試合に於ける常軌を逸した暴挙(?)である「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕を掲げた行為自体、そして、更に、メディア取材に際して、観客の一部が、スポーツの世界で、主張するのは、朝鮮民族として当然である、等とコメントする姿を見るに付け、これが、本当に、「同じ価値を共有する同盟国」なのかとすら、思ってしまう。オリンピックでのパフォーマンスで、余りに甘いFIFAによる国際試合ルール違反処分だったから、性懲りも無く、又、同じことをするのだというネトウの主張も、まんざら、当を得ていないとは言えなくもなかろう。日本という国は、海外移民政策で、極力、摩擦を起こすことなく、現地化、血も、言語も、習慣も、すべて、when you are in Rome, you must obey Roman Lawという方針であったのであるから、当然、日米開戦時には、当然の如く、英語で、米国籍で、日本と闘った訳であるし、それを今日の日本人は、当時の日系人達を、「親米派」という言葉で、扱うことは、決してないし、ましてや、売国奴扱いなどするはずもない。むしろ、日本人として、よくぞ、米国に、真の命を捧げ給いて、忠誠を誓ってくれて有り難う御座います。むしろ、それこそが、日本人の誇りです、とこんな風に、考えるかも知れません。在日華僑にしても、在日朝鮮民族としても、もっと、祖国の為を思って、大きな声で、独自の意見を、声高に、挙げてもおかしくないのでなかろうか?そういう中立的な立場というか、双方の気持が理解出来る、共感できる立場の人達こそ、華僑、ならぬ、日僑ならぬ、在日ならぬ、朝僑たり得るのではないだろうか?そんな「橋渡しの役割」が、欲しいものである。そういう勇気のある発言が出来る「新しい価値観を有した世代の登場」を、待ち望む次第である。もういい加減に、李朝からの矮小な「小中華主義思想と日本蔑視思考」から、脱却しないと真の価値観の共有などは程遠いのではないだろうか、団塊の世代には、まるで、暗黒の「金芝河の時代」に戻ってしまったような気がしてならないが、、、、、。一寸、考えすぎだろうか?(ハングル名は、ここではやめてみました、悪しからず)、もっとも、日本人も、他人事のように、揶揄していても、始まらないが、、、、、、、。



危うく、鹿とぶつかりそうでした!:

2013年07月30日 | 動物・ペット
危うく、鹿とぶつかりそうでした!:
数年前に、自宅近くの反射鏡の横で、メスの鹿が、車に跳ねられて死んでいたのを、散歩に愛犬と出掛けたときに見たことがある。もともと、獣道の所に、後から、道路を作ったのであるから、何とも、申し訳ないが、、、、。スピードを出せないカーブのところであったから、良いが、2メートルくらいの目の前を、道路を右の崖の方から、ピョンと左の谷側方向へ飛び降りてきて、谷底へと消え去っていった。この付近は、カモシカも出没するところで、居住空間が、人間の居住空間と重なり合っているようである。以前には、未だ、愛犬が元気な頃に、月が余りに、綺麗だったので、散歩がてら、月を愛でるために、歩いていた所、急に、ドドドドッツと大きな崖崩れのような音がしたかと思うと、黒い一団が、一塊となって、崖を飛び降りてきて、目の前をピョンピョンと、谷底へと、飛び降りていったことが想い出される。5-6頭は、いたであろうか?翌朝、実地検証のために、同じ場所に行ってみると、数多くの蹄が、そこには、足跡として、残されていて、成る程、成る程、これが、獣道なのかと、変に、感心したことを覚えている。我が愛犬は、その足跡を、クンクンと嗅ぎ廻っていたことを想い起こすが、、、、、、、。それにしても、北海道では、自動車が、へこんでしまう程の事故も起きていると云うではないか、事故や愛車がへこんでしまうのも嫌であるが、それ以上に、動物を殺してしまうのも、何とも、嫌なものである。畑を荒らされるのも困ったものであるが、何とか、共存する手立てはないものであろうか?鹿注意の看板が欲しいところである。



企画中の絵本のイラスト画を一部、試作印刷する:

2013年07月29日 | 社会戯評
企画中の絵本のイラスト画を一部、試作印刷する:
絵本の創作ノートに基づいて、イラスト画を依頼していたが、その一部が出来上がり、これを実際のページに、スキャンして、試作印刷して、出来具合をチェックすることになった。オン・ディマンド出版だから、かなり、コンピューターによる印刷技術が使用され、簡単に、ビジュアル化が、可能になってきたようである。素人でもこれならば、途中作業中でのチェックも可能である。犬のイラストというものは、どうも、簡単に、描けるものでもなさそうである。とりわけ、犬の表情と、全体的な身体の表現が、難しいようで、やはり、それなりの専門家の手に頼らなければ、簡単には、描けるものではなさそうであることが、実感される。又、ストーリーの流れに沿うように、描かなければならないので、写真とか、イメージとか、逆に、似せて忠実に描く方が良いのか、それとも、似せなくても、イメージとして、イラスト化するのか、なかなか、難しい所である。イラストレーターの森泉さんは、ある人を介して、紹介してもらったので、依頼する側の私は、むしろ、愛犬の子犬時代からの写真をディスクで、渡したものの、その絵本のストーリー性とイメージに基づいて、描いて貰いたいということになり、この線で、進めてもらうことにした。原画は、水彩画をベースに描いて戴くことになった。まるで、物語の中で、亡くなった愛犬が、生き返ったような気がする。チョコチョコと、子犬の時にヨチヨチ歩きをしていた時の感覚である。ほぼ、イラスト画は、全編に亘って出来上がったらしいので、これで、最終確認した上で、最終校正と、狩りISBN番号の準備と定価の設定を、本の帯に印刷する準備に入る。最後に、プロの手によるスキャンと最終校正、データ化の段取りに入ることになる。
OPS出版のオン・ディマンド出版に関するサイト:
http://www.opsco.jp/


参院選の結果に思う:

2013年07月28日 | 社会戯評
参院選の結果に思う:
予想通りと云えば、予想通りであるし、東京選挙区の山本太郎氏の当選には、意外と云えば、意外でもあるし、予想に反して、ネット選挙が、宣伝されたわりには、得票率が、予想されたよりも高くはならなかった。自公に対抗する第三極の対抗軸も自壊してしまいつつある。対局軸なり、所謂、受け皿作りにも、あたかも失敗したかのようである。又、オリーブの木のような広範な小さな勢力の結集も、ある種の泥臭い、互いの人嫌いもあってか、結集には、民意自体が、アレルギー反応を起こしてしまったようである。野党の人事面でも、どこもかしこも、ゴタゴタ続きで、海江田万里君もこれでは、先が思いやられる。結果に対する責任は、リーダーとしては、しっかりと、とらなければならないが、それすらも、後継の人材不足からか、むしろ、貧乏くじを引く勇気が無いのか、消去法では、何処をとっても、意外と、本当の意味での人材不足なのであろうか?ビッグ・データ解析と云われる「政治のマーケティング化手法」も、まるで、それは、ステルス・マーケティングのように、自覚しないうちに、現在進行中であるが、もっとも、「ネット選挙」の成功事例と失敗事例とが、はっきりと、出ている例も、東京や沖縄を例にとっても、ある程度、緑の党の比例区での健闘などに見られる如く、未来予想が、散見もされている。まだ、「ネット選挙の入口に立った段階」であろうか?それにしても、投票率が、依然として、低いことは、困ったものである。浮動票が、結局は、雪崩を打って、1人区では、これまでの民主党への期待票から、嫌悪・憎悪票へと、そして、更に、裏返った形の自民党へと、流れていった訳であるものの、必ずしも、改憲発議の96条の改訂などの如く、3分の2には、獲得ならず、必ずしも、政治課題が、経済回復最優先より、際だって、支持されたわけではないことは、有権者の「微妙なバランス感覚」を物語っていると言えなくもない。「ネガチブ・キャンペーン」も、「落選運動」も、今一、日本の政治風土・文化には、根付いていないと判断するのは、早計なのであろうか?ツィッターやフェースブックを駆使したネット選挙は、ある程度、限られた成功事例をみる限り、「一定程度の有効なツール」になってはいようが、それは、逆風を受けている側には、必ずしも、有利なツールではなく、むしろ、ネガティブな書き込みに、対応を追われる皮肉な結果にもなってしまったし、ネットを観ていない人には、所詮、リアルタイムで、生ビデオを見て書き込むことは無いわけである。それらを差し引いても、ある程度の「未来予想的な変化の萌芽」は、見られるのであろう。何やら、そこでは、まるで、「仮想空間での選挙戦」の様相が垣間見られよう。経済・外交・原発・復興・年金・社会保障・成長戦略・エネルギー・消費税・雇用・TPP・非正規雇用・待機児童・子育て支援、等々、ねじれ解消がなされたら、どのように、政策が具体的に、実施されて行くのであろうか?それにしても、民主党は、何故、経済再建策を、政権時に、有効に出来なかったのか?ミスター円と呼ばれた榊原某は、めっきり、メディアに、露出することはなくなってしまった。そんななか、円安による消費者物価の高騰は、ヒタヒタと進行中で、賃上げ無きデフレの脱却(?)を招くことになるのであろうか?もう、ねじれを言い訳には出来ない状態であるのは確かである、、、、、。




NTT電話回線の休止手続き検討に考える:

2013年07月27日 | 社会戯評
NTT電話回線の休止手続き検討に考える:
独立して、仕事を始めるときに、事務所用に、個人名義で、電話債券を購入して、固定電話を引き込み、更に、回線を増やす関係で、結局、何本かの電話回線を所有することになったが、それも、リタイヤーに伴い、仕分の対象になってしまった。しかしながら、今日、別に、固定電話の債券無しでも、携帯電話や、ネット回線サービスが実現され、何とも、一体この開通工事代金とか、債券なるものは、どれ程の価値があるものなのであろうか?
ましてや、不要になってしまった休止電話回線は、償還・買取をしてくれるわけでもなく、只、塩漬けだけになるのであろうか?何とも、摩訶不思議、不可解な制度である。ISDNの時も、番号を二つ持てるとかで、工事をしたにもかかわらず、それ以降、ADSLが、普及し始めると、速度の速いダイヤル・アップ回線などは、全く、ものの役に立たずに、結局、再び、アナログ回線に逆戻りで、工事代金も、ユーザー負担で、ISDN工事代金は、相殺されることはなかったことを記憶している。そのことをNTTの光回線販売促進のセールス電話に、クレームすると、それ以降、電話セールスは、掛かってこなくなったものである。ことほど左様に、後発の方が、どういう訳か、必ず、品質が良くて、値段も安いサービスが、提供されるという皮肉な結果になってしまう。まるで、液晶テレビのインチ当たりの単価が、あっという間に、下がってしまって、これでは、2台分購入できてしまうよねという溜息交じりの愚痴が出るのが、せいぜいである。一体全体、誰が得をして、誰が損をしているのであろうか?「カスタマー・フレンドリー」等という言葉は、全く、信用に価しないことは、自明の理であろう。NTT民営化に伴う株の売却で、大もうけした政治家達の顔を忘れないぞ!一体、電話債券なるものは、本当に償還されないものなのであろうか?まるで、戦争中の国債をしっかり握りしめて、終戦を迎えたお年寄りを思い出す。NTTに質問してみることにしよう。



クレジット・カードの返却と我が家の経費削減仕分け:

2013年07月26日 | 社会戯評
クレジット・カードの返却と我が家の経費削減仕分け:
高齢者になると、運転免許証を自主返却することになるものの、これまで、長年、使い続けてきたクレジット・カードも、今や、海外出張にゆかなくなったのに伴い、その頻度、使用額共に、激減してきてしまった。その意味で、我が家の大蔵大臣による経費削減仕分け作業は、いよいよ、我が聖域へとヒタヒタと押し寄せてきた。携帯電話の乗換え、そして、不要な電話回線、余り使用されていなくて、年会費が高いクレジット・カードの退会手続きへと、及んできた。もはや、現役でもないから、必要以上に、身分上のステータスに拘泥する必要は全くない(?!)。もっとも、現役時代には、海外クレジット・カードでは、やはり、信用のおけるところでないと、様々なトラブルに遭遇することも少なくはない。そういう経験もしてきたので、極めて慎重ではあったが、、、、、、、、所詮、大蔵大臣主導の経費削減仕分けには、もはや、大義名分が、立たない。カード会社からは、「何か、手前どもに、不都合でもあったのでしょうか?」と云われて、仕方なく、ことの顛末を説明・了承して貰い、更新前に、返却することに相成りましたが、担当者は、苦笑いをしていました。もっとも、永年勤続表彰ではないが、記念品の一つも期待したものの、何もなく、多少、肩透かしのガッカリでありましたが、、、、、、。素晴らしいふっくらとしたソファーだけで、お茶すらも出てこなかったが、、、、、、もっとも、外資系アメリカの会社だから、仕方ないか(?)、そこは、ドライだから、、、、、、、。溜まっていたポイントを事前に、グルメ・ギフトに交換して、無事、手続きらしい手続きもなく、只、カードの返却だけで、終了でした。よくよく考えてみれば、裁断すべきだったのかな?今後は、電話回線整理、銀行口座の仕分けに移ることになりそうです。事務所の移転に伴い、同じ銀行でも、幾つかの支店に跨がったり、銀行の合併に伴って、支店が、改変されたりと、若い頃に開設した銀行の支店も、統廃合にあったりと、いよいよ、銀行口座の仕分けでありますか、、、、、、、、、。何か、生前葬の準備に、身辺整理をしているみたいな錯覚に襲われますね。全くもって、、、、、、。後見人制度というものは、こんなものなのでしょうか?一種の疑似体験をしているようなモノですね。まぁ、自分で出来るから未だ良しとしましょうか、それにしても、クレジット・カード、ポイント・カードが、多すぎて困ってしまう。整理するのも、大変である。もう口座も、カードも、一つに纏めることにしよう、さもないと、覚えきれませんね。それでも、カードの方は、なかなか、一つには纏められませんね。Out of controlになってしまいそうです。次なる仕分は、不要なFAXに使用されている電話回線の休止手続き申請でしょうかね。無駄な経費の贅肉落としと一斉経費の数字の可視化は、止まるところを知りません。出来なければ、小遣いまでもが、強制執行の対象になるぞというきつーぃ恫喝が、言外に、秘められていて、思わず、ブルッとしてしまいそうです。皆さんは、そんなこと体験はないでしょうか?無ければ、よろしいでしょう。それに越したことはありません。



ドコモの携帯の流出が、止まらない!:

2013年07月25日 | 社会戯評
ドコモの携帯の流出が、止まらない!:
と言う新聞記事を、つい先頃、読んだことがあるが、いよいよ、我が家にも、その大きな波(ビッグ・バン)はやってきた。何せ、17年以上もの長きに亘って、我が家のドコモの牙城を唯一、一人で、守り抜いてきた私であるものの、既に、外堀は、とうの昔に、埋められていて、残りの家族3名共に、AUである。しかも、仲間内は、無料の通話、無料のメールで、私からのメールは、課金対象となり、文字数が多いとか、話が長いとか云われて、「不当な差別」と孤独な闘いを強いられてきていた。もっとも、NTTドコモが、好きなわけではない。散々、ISDNに騙された周回遅れのITユーザーであるが、何せ、地方では、とりわけ、里山では、電波が届かなかったり、繋がりにくいから、仕事には、なかなか、不便であるから、、、、等々、様々な口実を設けては、孤軍奮闘していたが、いよいよ、その牙城が陥落する時が参りました。光回線への変更、スマホ割り引き、番号ポータビリティー利用による0円乗換えサービス、一体、どうなっているのであろうか?今や、一つの電話キャリアーを長いこと使うユーザーには、全く、不利であることは自明の理である。我が愛犬ではないが、おいしいお肉を目の前にぶら下げられて、「待て!」を強いられて、知らず知らずの間に、歯の間から、だらぁーりと、涎が垂れてきたことを想い起こした。何とも、電話の向こうで、「こんなお得なキャンペーンに、何故、あなたは、乗り換えないのですか?おかしいですねぇ??」と言わんばかりのセールスの対応である。しかも、週末、今月末限定での限られたユーザー様限定であると、、、、、、。「てやんでぇ!こちとらは、江戸っ子だぁ。そんな目先の1円やそこいらで、まんまと、そんな手に乗るモンかぁ!」と、啖呵を切りたいところであるものの、情けなや!、この身の悲しさ、我が家の経費削減の仕分の最重要対象である以上、大きな圧力の前には、抗しきれません。(旧い冷蔵庫も、消費電力が多いという理由で、省エネに買いかけられ、太陽光パネルを屋上に設置して、売電して、、、、、と)、空しく落城であります。一応、モバイル・ナンバー・ポータビリティー申請書をもらう手続きをショップに、確認して、いよいよ、週末には、乗換えでしょうか?。もっとも、現役時代には、あんなに、頻繁に、24時間体制で、掛かってきた携帯電話も、海外出張や出先でのメール・チェックも、今や、必要が無くなってしまい、唯一、「命の電話」の役割が、その中心となってしまった以上、これも、時代の流れなのかも知れません。何とも、淋しいやら、一寸、情けないやら、、、、、、、改めて、時代の急激な流れの変化を、実感することになりました。NTTドコモさん、悪く思わないで下さい。アナタには、ISDN工事代金をたっぷり、貢ぎましたので、、、、、、、、。悪しからず、、、、、、、。



術後一年検診にゆく:

2013年07月24日 | 社会戯評
術後一年検診にゆく:
丁度、去年の今頃、脊柱管狭窄症とすべり症の合併症の高度医療手術を東京、五反田のNTT関東病院で、3ヶ月の予約待ちの末に、受けてから、一年の検診である。痛みもなく、長い間、立っていられることも出来るし、跋行歩行する(休み休み、歩く)こともなくなった。ベトナムの旧い友人達を東京都内観光案内したときには、終日、念のために、杖をついたものの、約10キロもの行程を、途中休憩も入れてではあるが、歩行できるようになったことは、嬉しい限りである。これで、ゴルフが出来れば、それに越した喜びはない。流石に、足裏のつっぱり感は、担当医師によれば、まだ、時間が掛かりそうであるが、レントゲンの結果では、別に、老化の兆しも見られず、大きな変化は、見られず、後は、毎日、一生懸命、歩行訓練に努めて下さいという説明であった。下肢の血の巡りは、時々、両足を上に上げたり、足首を回したり、血行をよくするソックスを履いたりして、血の巡りを良くする努力をして下さいと云われた。何はともあれ、まずは、この調子で、痛みもなく、痺れもなくなり、順調に回復してくれればありがたいものであるが、、、、、。
途中痛みや、問題がなければ、次回は、又、1年後に、経過を診るとのことであった。来年の予約も、コンピューターでしてしまうところも、驚きである。それにしても、すごい患者の数である。若い人から、お年寄りまで、現役で働いている患者さんは、さぞや大変であろう。私も、以前、現役時代、痔核の除去手術で、1週間程度、入院したことがあるが、仕事のやりくりや、メールのチェックなど、短い期間、入院している最中でも、大変であったことを記憶している。なかなか、病気と仕事は、皮肉にも、うまく、両立しないものである。それでも、現役の時は、無理することなく、健康を優先すべきであろうし、結局、会社や組織は、自分の健康までは、一切、保障してくれるものではないことは、自明の理である。身近でも、哀しい結果に終わってしまった事例を幾つも知っている。現役の皆さんは、くれぐれも、手遅れにならないうちに、検診、治療することをお勧め致します。我が老犬が亡くなってしまったので、一人で、ノルディック・ウォーキングをするのは、少々、淋しい限りであるし、女房殿と一緒に、ウォーキングするのも、何とも、気恥ずかしい限りである。そうは云っておられず、歩くしかないか、今のところは、、、、、、、。あぁ、早く、ゴルフがしたいものである。


京都観光でも、感激して無事、帰国しました:

2013年07月23日 | 社会戯評
京都観光でも、感激して無事、帰国しました:
どうやら、全員、無事、ベトナムへ、帰国したことが、メール連絡してきた。京都では、小諸からの移動日に、京都の清水寺で、湧き水を呑んで、健康祈願をしたらしい、そして、参道では、日本人形をお土産に買いたかったので、その希望を叶えられたと、そして、祇園の舞子踊りを鑑賞したようで、更には、甘い餅菓子を、食べては、土産に購入したと、更に、最終日には、伝統工芸体験午前半日コースで、自分の手で粘土を捏ねて、これを焼いて、ネックレスを作り、更に、陶器製の写真立てを手作りして、これをお土産に持ち帰ったと、大変、貴重な体験をしたと喜んでいました。最終日の夕食は、しゃぶしゃぶで、流石に、一人4000円のコースは、高すぎて、パスして、結局、2000円のコースにして、とても、満足したそうです。これで、天ぷら以外は、ほとんど、日本食を食べ尽くしたことになります。信州蕎麦、ラーメン、回転寿司、鰻の蒲焼き、牛丼、焼き肉、しゃぶしゃぶ、ファミレス、有機野菜の創作料理、いやはや、それにしても、購入した土産の量たるや、半端なものではない。むろん、その金額も、少なくないものであることは、想像に難くない。これで、10人の親日家が、誕生したことになる。これが、2倍、3倍になれば、自ずと、親日家が、増えることは間違いなさそうである。一種の「草の根の民間外交」ではないだろうか?観光とは、広い意味での「外交」でもあるのかも知れない。早速、今日、写真をDVD-R にコピーして、送附しておいた。きっと、京都で手作りした写真立てに、この日本での記念写真が納まることになるのであろうか?土産と同時に、愉しい日本での想い出と共に、、、、、、、。又、一生懸命働いて、近い将来、日本へ、来たいと言っている。とりわけ、子供達は、日本語を勉強して、今度は、英語でなくて、話をしたいと言っているらしい。日本の若者もしっかりしないと、、、、、、こういう人達と競争しなければいけないのだから、、、、、。



海外イン・バウンド観光客の促進策を考える:

2013年07月22日 | 社会戯評
海外イン・バウンド観光客の促進策を考える:
空港ターミナルや駅は、Wi-Fi無料サービスは、当たり前であるが、地下鉄やレストラン、コンビニ、ホテルの部屋、温泉なども、当然、同様なサービスが行われない限り、海外インバウンドの振興策は、なかなか、難しいと思われる。とにかく、ほとんどの海外からの客は、スマホやi-pad等を常に、持ち歩きながら、リアルタイムで、FBに写真をアップロードしたり、海外の友達に、ツィートしたりするわけである。それこそが、大きな宣伝になるわけであって、この効果は、馬鹿にしてはならない。その意味で、何処に行けば、こうしたサービスが、受けられるところなのかを、告知する必要があろう。又、観光資源としては、歴史・文化もさることながら、自然環境・景観・建物・おもてなしの心・典型的な日本食、それが、蕎麦であったり、おやきであったり、野菜であれ、星であれ、湧き水であれ、何でも、身近な物でも、彼らの国に、存在しない物は、「貴重な観光資源」になるわけである。そして、日本製品を、買い求める傾向が強いものである。とりわけ、食品、お菓子とか、生わさびのチューブとか、麻婆豆腐の素とか、スウィーツ類、信州牛でも、おやきですら、楽しんで、食べていたし、お土産に買い求めていたものである。「食」というものは、とにかく、その国のイメージを第1番目に、好悪を決定してしまう物なのかも知れないし、本物であればある程、自国のそれとの違いを実感して、喜ぶものであることが理解出来る。それにしても、ファッション、何気ない文具、生活用品、何でも、「買い物」の対象になるわけである。東急ハンズなどの商品は、日本人でも喜ぶものであるが、況んや、海外観光客を也であろう。それは、化粧品でも、何も、空港の高級化粧品ブランドでなくても、近場のドラッグ・ストアーでも、同様な類の商品であれば、十分、お金が落ちる機会があるものである。想像する以上に、ありとあらゆるものが、「可能性と潜在性」を秘めていることが、再認識される。それにしても、交通網の予約、切符の買い方、乗り換えの仕方、レストランの予約の仕方などの英語でのサービスの在り方など、本当に、こんな現状で、オリンピックの招致が出来るのであろうかとも感じざるを得ない。意外と、当たり前のもの、例えば、水・空気・果実・米・果物・静けさ・星空・里山の景色など、これらも充分な観光資源になり得るものであることに、もっと、もっと、我々は、気付くべきであろう。ベトナムの旧い友人家族達の来日に際して、そんなことを考えた。今度は、来月、小諸で、海外留学生のホーム・ステイ受け入れを試みたいと考えている。



ベトナムご一行様、小諸滞在、最終日:

2013年07月21日 | 社会戯評
ベトナムご一行様、小諸滞在、最終日:
東京、小諸、あっという間の嵐のような7日間である。小諸を発ち、今度は京都への移動である。高速バスで行く方が荷物を持たないで済むし、ゆっくり、長旅で、眠って行けるから、その方が楽だと云ったが、結局、佐久平駅から、東京経由で、長野・東海道新幹線で、京都へのルートとなった。何せ、新幹線は、時間がきっちりとしているから、多いに、心配である。しかも、東京駅での重い荷物を持ちながら、初めての新幹線のホーム乗り換えでは、時間も掛かろうかと思い、機械通過ではなくて、駅員のいる改札口の横からの乗降を結局、安全策として、勧めた。案の定、佐久平駅では、前を行く外人さんは、機械改札で、通過できず、駅員が機械を見る羽目になった。無事、プラットホーム番号を確認して、案内板の列車表示の読み方、切符の座席番号の読み方を教えて、最終集合写真の記念写真を終えて、お見送りである。どうやら、無事、京都へ到着したというショート・メールが、午後には、受領したから、ホテルにも、無事チェック・イン出来たらしい。今度の京都のホテルは、疊の日本式部屋での滞在である。しかも、京都では、英語のボランティアによる無料の観光案内を、半日、する予定になっている。翌日は、伝統クラフト体験コースである。全く、ネットで、何でも事前予約も出来て、本当に、便利である。小諸でも、こういうサービスを考慮してみたら良いであろう。金を掛けずに、もっと、有効的に、人的資源を活用すべきであろう。Wi-Fiとインターネットでの事前予約とか、ボランティア・サービスは、今や、手作り観光には、必須なツールであろう。行政は、馬鹿馬鹿しい箱物へではなく、こういうソフトにこそ、もっと、資金を援助すべきであろう。きっと、新幹線に乗れば、これが、ベトナムでも、後10年もすれば、同じような新幹線のサービスが、実施されることを、きっと、実感することであろう。そして、又、帰国後は、友人達に、新幹線の素晴らしさを、零式戦闘機の車輪の技術が、戦後、公職追放で、職を失った技術者が、新幹線の車輪に、応用・転用された事実を知ることになろう。そうした事実も、新幹線に乗ってこそ初めて、実感、知ることになるのかも知れない。時間通りに来ること、これも、地下鉄や、鉄道を利用して、改めて、自国との差を知ることになる。もっとも、地方都市で、バスが、走っていないことには、相当、驚いていたが、、、、、、。色々なお土産にも、商品だけでなくて、そんな文化や歴史や、哲学や、未知の初めての体験という貴重な土産を持って、想い出とともに、東京・小諸から、京都へと最後の行程へと進んでいった訳である。無事京都へ到着したようで、少々疲れたが、彼らも、異国での旅で、疲れていることであろう。私からの手作りの土産は、ラミネーション・フィルム加工した自家製モミジの紅葉した葉っぱである。涼しい小諸から、今度は、灼熱の京都へと、最終日である。



ベトナムご一行様、小諸観光、第三日目:

2013年07月20日 | 社会戯評
ベトナムご一行様、小諸観光、第三日目:
旦那さんグループは、東京でも、三連休の時に、二日連続で、ゴルフをしたくらいだから、そのゴルフ好きが想像出来よう。そんなこんなで、旦那グループは、事前に小諸高原GCをネット予約しておいたので、早速、GPSカートで、平日だから、1ラウンド・ハーフを交渉希望し、(本当は、2ラウンドがしたかったらしいが)、コースに送り届けて、チェック・インを手伝い、今度は、女性陣を、女房殿の車とレンタカーのミニバンとに分乗して、一路、軽井沢のプリンス・ショッピング・モールへ、結局、女性陣は、終日、旦那が、ゴルフに興じている間中、このアウトレットで、お買い物である。一度、昼食に、集合して、(大体、集合時間通りには、来ないので)、結局、午後4時まで、ずっと、ショッピングで、一日中、歩き詰めである。流石に、ナイキは、ベトナムの方が安いと云っていたが、、、、、そりゃぁ、そうでしょうね!現地生産だから、、、、。見る間に、車は、購買した買い物の袋の山で、座席が一杯になってしまいました。化粧品は、あまり、売っていないので、帰りに、18号線沿いのドラッグ・ストアで、目薬等と一緒に、購入することになった。こちらは、女房殿が、主として面倒をみて、私は、旦那をゴルフ場に、又迎えに行き、帰りに、小諸美術館の飯綱山公園での眺望を楽しむことにした。天気が良かったので、「こんな自然に恵まれた眺望は生まれて初めてだ!日本でも一番眺望が綺麗なところか?」と云われて、しばし、口ごもってしまったが、、、、、、。夕食は、全員で、信州牛の焼き肉を食べたいとかで、信州牛カルビ、ロース、ホタテ、レバー、ハツ、全員で、総計、2キロ余を食べ尽くし、大満足であった。ファミレス、回転寿司、日本蕎麦、焼き肉、オーガニック野菜の創作料理、BBQ 何とも、食べたいものをたらふく食べて、多いに満足したところである。流石に、初日の温泉は、一番年上の女性と子供と男性陣だけが、温泉を気に入ったものの、年頃の娘達は、一寸、気が引けたようである。男性陣には、好評であったが、、、、、。それにしても、子供達や親達も、全員英語が話せるし、そのうち、二人は、米国へ留学中であるから、会話は、英語で問題なく、親達も共働きで、貿易や、石油ガス関係の大手の会社のサラリーマンであるから、自ずと、中国や農業や国際経済、日本文化や歴史に関して、色々な事柄を議論しながら、観光を楽しむことになる。基本的に、食が、大好きになると、その国が、概して好きになるようである。とにかく、自国にないものを欲しがり、食べたがり、本物志向になる。もっとも、回転寿司が、本物の鮨かどうかは、疑問であるが、、、、、、。そんなこんなで、小諸での3日目は、終了し、いよいよ、明日は、新幹線で、東京経由、京都へと移動する。私達は、ここで、お別れです。



小諸観光、二日目:

2013年07月19日 | 社会戯評
小諸観光、二日目:
いよいよ、小諸での観光、二日目である。そもそも、距離感が分からないので、現地での距離を例えに引用して、東京から、約170キロくらいであるから、ホーチミンから、ファンティエットくらいであるものの、現地では、普通のガタガタ道であるから、車でも6時間は、有に掛かってしまうところが、日本では、高速だから、2時間半程度で、バスでも、新宿から、3時間程度である。しかも、途中途中でのSAで、休めるから、これ又、快適であったと、さて、長門牧場では、取りあえず、色々な物を購入して、食べてから、美味しい物を、再度、帰りに大量に購入するという念の入れようである。その意味では、試食の見本を置いておくことが、肝要かも知れない。飲むヨーグルト、ソフト・クリームは、絶品であると感嘆していた。女神湖で、蓼科山を背景に記念写真を撮り、水が透明であることに興味を示し、鯉が居たからと云っては、驚き、これ又、景色が綺麗だと感嘆し、ここは、高原の避暑地、ダラットだと、言い張る。昼食は、長者原のアトリエ・ノマドのオーガニック野菜を栽培する池田さん夫婦のところで、野菜を勉強しているまりさんという将来、佐久で、レストランのオープンを目指している女性による野菜の創作料理を、近くの友人宅を借りて、昼食を食べることになっていたが、生憎、雨が止まないので、野外ではなくて、室内で、戴くことになった。なにせ、ベトナムでは、水が汚染されているから、ほとんど、生野菜は食べることもないし、そもそも、オーガニック野菜の料理などは、食する機会がない。カボチャの形をしたズッキーニをくり貫き、そこに、ブラウン・ライスを味噌と山椒で、味付けして、オーブンで、ベイクして、蓋ごと、食べられる料理、その他、オーガニックの各種野菜料理を十分堪能することができた。是非、佐久で成功したら、ホーチミンでも開いて貰いとも云っていたが、、、、、。帰りに、野菜畑で、各種無農薬野菜を収穫体験もして、長者原の農業体験も、ちょこっと、さわりだけ、体験できたし、日本農業の一端にも、触れることが出来ました。夕食は、読書の森でのBBQで、途中のつるやで、自分達が食べたい食材を、購入するも、刺身、信州牛、地鶏、豚肉、それに、戴いた有機野菜類、ふじりんごの混濁ジュース、日本酒、根付き生わさび、そして、おきまりのお好みデザート、更に、お土産で、麻婆豆腐の素、本わさびのチューブ、いやはや、すさまじいアジアの富裕層の購買力である。棚から商品在庫が一掃されてしまいました。もっとも、自国では、手に入らない物ばかりだから、仕方が無いのかも知れないが、、、、、、。
台湾から来た海外女性ウーファーも合流して、ワイワイ、ガヤガヤ、すさまじい野外でのBBQになってしまった。とりわけ、好きな野菜は、カボチャ、フルーツ・トマト、トウモロコシ、みんな、甘い野菜ばかりである。それにしても、刺身が大好物である。まぐろ、サーモン、生タコ、前日の回転寿司屋での食いっぷりをそのまま、踏襲している。回転寿司のオーダーも若い連中は、教えるとすぐにマスターして、面白いように、注文しては、食べていた。Book Caféのコンセプトにも、感心しきりで、アートと音楽との触れあいにも、大変興味を持ち、東京では、一寸、引いてしまったアングラの文化とは別の地方文化の側面を堪能出来、地方を大変、気に入ってくれた。食文化と観光は、切っても切り離せないものようである。前日の蕎麦も、お店の旧い作りも含めて、堪能できました。寝る間も惜しんで、(呑み・喰い・買い)して、又、一日が終わりました。



ベトナム友人家族ご一行様、都内観光の3日目:

2013年07月16日 | 社会戯評
ベトナム友人家族ご一行様、都内観光の3日目:
基本的に、日本人という人種は、外や、電車では、あまり、人前では、パンやメシを食わないものであることが、改めて、認識される。駅のコンコースで、立ちながら、さすがに、食べることはないので、そもそも、そういう人種は、外国人であると、見られるよと説明して、店内で、食べて貰うことにした。もっとも、時間厳守は、ままならないのは、言を俟たない。東急ハンズは、それにしても、すごい人気である。こういう類の商品は、東南アジアの人間には、垂涎の的なのであろう。とにかく、まずは、自分の欲しい商品が販売されているフロアーをチェックして、しらみつぶしに、撃破してゆく先鋒である。いやはや、大したものである。昼食は、予定の時間も過ぎてしまったので、結局、すき家の「うな牛」丼で、何でも、鰻の蒲焼きが、大好きで、お陰で、日本人が食べる量が減り、値段も高騰し、絶滅危惧種に認定される恐れもあるので、お願いだから、そんなに、食べないでくれと、日本人を代表して、お願いしておいた。更に、食後に、とにかく、日本のデザートが、美味しいとかで、ファミレスでも、欠かさずに堪能しているので、桃のゼリーとか、マンゴー・ゼリー、杏仁豆腐、かき氷アイスクリームとすべての在庫が、見事に、一掃されてしまった。いやはや、恐るべき東南アジア観光客パワーである。どんどん、お金を落として、日本経済を活性化してもらいたいと毎回、云っているので、又、苦笑されてしまった。丸の内のフリー・シャトルバス、渋谷、そして、原宿の明治神宮と竹下通りへと移動してきたが、浮き足だったアダルト女性陣から、早く、新宿のデパートで、真珠、洋服などを購入したいと、ユニクロで見せた購入欲が、メラメラと燃えたぎり、結局、竹下通りは、入口だけで、写真を撮るのみで、早速、新宿へと山の手線へと、急ぐ結果になった。子供達は、又、近い将来、来日できるので、又のお楽しみである。(何と、メモ帳には、ずらりと店の名前が列記されていたには、驚く)。とにかく、日本好きである。何でも、中国・韓国以外の東南アジアの人達は、親日家が、多いというデータがあるそうであるが、この次は、北海道へ行きたいとか、どこそこには、どうしたら行けるのかなど、質問攻めですが、きっと、帰国したら、一生懸命、頑張って、又働くのであろう。そして、お金を貯めて、又、是非、来日して、多いに、お金を落として、日本経済を活性化させて下さいよと、言っておいた。明日は、いよいよ、小諸で、蕎麦と、回転寿司かな?移動日である。やり方一つで、まだまだ、日本は、棄てたモノでないと改めて感じられる。尚、旦那さん二人は、二日間連続で、ゴルフ三昧でした。しかも、ベスト・スコアを記録したとかで、大変ご機嫌でした。



地下サブ・カルチャー観賞は、不評でした:

2013年07月15日 | 社会戯評
地下サブ・カルチャー観賞は、不評でした:
旧いベトナム人3家族、総勢10人の来日アテンドで、都内観光の第二日目である。浅草、銀座、そして、秋葉原の観光で、とりわけ、秋葉原では、日本の地下サブ・カルチャーの観賞を、試みるも、どうやら、不評に終わってしまった。それも、確かに、この異様な雰囲気の中での腹の底まで染み渡るような重低音の音と、ステージからの甲高い金切り声と、それに共鳴するかのような踊りとこだまする呼応では、無理からぬところであろうか、マスクを被ることで、一種独特のエネルギーとカオスが、そこには、派生するもので、それが、まるで、波濤のように、押し迫ってくる。おまけに、ゴムボートに乗っかったジャンヌダルクさながらのアイドルは、まるで、人々の頭の上をスイスイと担がれながら、回遊し始める。自分の贔屓筋のアイドルのシンボル・カラーのライトを右手に、一本、中には、数本握って居るものもして、それが、激しく、シュプレヒコールに呼応するかのように、ステージと会場を往き来する。アリス十番のステージが終了すると、その谷町筋の若者は、引き上げる代わりに、今度は、どっと、新手のスチーム・ガールの応援部隊が入場、交錯する。それにしても、すごいエネルギーである。えぇじゃないか、えぇじゃないかの社会現象とは、こんな感じのエネルギーだったのではないかとも、想像に難くない。文化の光と陰は、まるで、オーセンティックな文化が、光とすれば、こうしたアングラのサブ・カルチャーは、影の部分なのかも知れない。それにしても、秋葉原という電気街は、フィギュアー、メイド・カフェ、コスチューム文化といい、アングラのアイドル応援といい、何とも、不可解なサブ・カルチャーが、次々に、生み出されて行くものである。まだまだ、ある種、日本という国は、エネルギーが、地下水脈のような形で、あるものであると変に、感心してしまう。結局、私だけが、一人だけ、最後まで、観賞させて戴いたのであるが、何とも、皮肉な結果になったものである。田嶋健司の「大津絵の版画展」のほうは、残念乍ら、祝・祭日は、お休みだとかで、折角出掛けて行ったものの、見られず、残念な結果になってしまった。どこかで、観られないものだろうか?それにしても、よくぞ、歩いた物である。約16000歩、10キロキロ歩き、汗もよくかいたものである。リハビリには、最適である。