小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

久しぶりの新幹線で実感する日本経済構造の変化:

2013年11月30日 | 社会戯評
久しぶりの新幹線で実感する日本経済構造の変化:
いやはや、賞金稼ぎならぬ、お小遣い稼ぎの仕事だから、致しカネなし(?!)久しぶりに、新幹線に乗車して、もう20年余以上経過する昔なじみの海外サプライヤーに同行しての珍道中である。何せ、昔は、みんな関係者も若かったのに、今や、みんな爺さんになってしまったと大笑いである。それにしても、結構、朝の新幹線は、相変わらず、混んでいるものである。もっとも、東京駅に着くまでの地下鉄の混み具合にも、閉口ですが、、、、。流石に、杖をついている人間ですから、優先席に座れましたが、現役の人達は、全く、ご苦労様です。それにしても、こちら同様、お客様達も、同じように、平等に、もっとも、時間だけは、(神様は、どういう訳か、)不思議なことに、大変平等ですが、、、、、、従って、客先の生産者達も、一様に、後継者難と先行き不安から、廃業やら、引退やら、経済構造の大変革に伴って、先細りです。既に、一部の生産シフトは、東南アジアに、移ってしまっていて、もう後戻りは出来ません。面白いことに、誰でもが、簡単にものつくりができるように開発された商品そのものが、逆に、生産者の差別化が出来なくなるという矛盾を孕み、その為に、技術力ある生産者が、逆に、生き残りにくくなるという産業構造上の矛盾、謂わば、「商品の強みが、逆に、弱みを増幅する」という皮肉な逆転現象をもたらし、更には、そのデフレ傾向下で、値段が、下落してしまい、いつの間にやら、品質本位だったモノが、価格遡及型のモノにとって替わられ始め、更には、賃金が上がらないから、消費も伸びなければ、品質本位の高い価値の商品の需要が伸びないという矛盾。面白いことに、海外サプライヤーからすれば、海外向けの総数量輸出量は、東南アジアも含めれば、増加しているにも拘わらず、対日向けは、徐々に、じり貧になってきて、儲からない構造になっているのは、どういう訳だと、、、、、。要するに、こういうことで、一部の産業構造上での初歩的な労働集約的な工程は、どんどん、東南アジアへ移行して行き、結果、日本での生産工程は、その後工程にしか、ならない以上、労働生産性や効率、ロス率の低いモノが訴求され、その結果、日本の需要・消費減少分が、東南アジア増で相殺されるという皮肉な結果が招かれている事実。従い、総数量では、増加しているにも拘わらず、海外サプライヤー側は、日本向けの収益商品の減少により、収益が落ちてしまうと云う矛盾、しかも、多品種小ロットの生産では、個々の商品の特性に応じた気の配り方から、簡単に、機械化対応が難しく、成る程、これでは、労働集約型の工程は、みんな東南アジアでつくって、これを輸入して、それから後工程は、日本で、、、、という縮図が出来上がるのも無理からぬものであると納得した。確かに、こういうことは、実際に、現地で、客先を訪問して、話を直接に、聴いてみないと分からないのかも知れない。こちらの役目は、そういうことを如何に、論理的に纏めて分析・説明し、今後、どういう対策を戦略的・戦術的に、立てていったら良いかを、アドバイスすることで、お小遣いを戴けるというモノで、有難い話でもある。世に、仕事のネタは、尽きないものであると考えるが、今更、ストレスも抱えたくはないし、、、、、程々に、やはり、ボランティアのほうが、責任がなくて宜しいか???こうした引退する人達のノウハウを纏めて海外へ提供すると言う仕事も面白そうである。さしずめ、中国人なら、日本人引退技術者様!熱烈歓迎!おおいに、安い接待費で、ノウハウを戴くところだが、、、、、実際、、、、、。確かに、廃業やら、リタイヤやリストラされた技術者が、海外へ流出している訳で、誠に皮肉な現象である。国内では、誰でも簡便に、80点程度の品質が、出来るようになった為に、逆に、ノウハウを有する栽培業者・生産者は、差別化が皮肉にも出来なくなり、以前より、儲けが少なくなり、海外のサプライヤーも、結局、輸出量が対日向けには、減少するという大変皮肉な現象が、生じているとは、何とも、困ったことであるが、これが、現実の日本の産業構造の変革が、現に進行中であることを改めて、再認識されました。おそらく、日本の農業も同じで、将来、どのようになって行くのかという戦略的な国家ビジョンを示さない限り、同じ局面に立たされることになるのは、必死でしょうね。久しぶりに、現実の困難さをアテンドしてみて、理解出来ました。


堤清二の死とその時代の終わり:

2013年11月29日 | 社会戯評
堤清二の死とその時代の終わり:
未だ、学生の頃であったが、確か、何かの非公式の限られた勉強会か、何かで、構造改革派の当時論客であった安東仁兵衛が、友人である堤清二をスピーカーとして、連れてくるとかで、友人と駆けつけた想い出がある。その頃は、西武グループの小売り部門を率いていて、商品を販売するのではなくて、新しい文化的なイメージと、ライフ・スタイルと言う考え方を敢えて、若い世代も含めた世の中に、提起しようとしていたその姿勢に、或いは、辻井喬と言うペンネームでの詩人としての側面も、面白い二重人格のような感じがして、とても、興味深かったことを懐かしく、想い起こす。数十年後に、まさか、西武グループが、鉄道本体も含めて、みんな破綻してしまった時には、一体どうなってしまったのかと、ショックを覚えた程である。糸井による「おいしい生活」などのキャッチ・コピーを採用するだけでなく、当時としては、パルコも、渋谷の文化村やら、モノを販売する上でのコンセプトや先進的な哲学も含めた販売方式も、何か、頭を打たれてしまったものである。「無印」というノン・ブランドを、ブランドとして、育てる手法とか、不動産やデベロッパーも含めて、幅広い分野で、「文化的な臭いがする」コンセプトを提供し続けてきたような気がする。若い時の父親や弟の確執から、政治的な活動への傾注は、ある種、理解出来なくもないが、何か、こういうタイプの経営者は、もはや、時代自身が、生み出す背景がなくなってしまったような気がしてならない。こういう種類の文化的な、或いは、哲学的なオーナー型の経営者は、もう、出てこないのかも知れない。どうも、ユニクロの柳井や楽天の三木谷には、そういう「文化・哲学」は、感じられないように思うが、、、、、、、。況んや、ホリエモンをやである。



冬タイヤへの履き替えも準備完了!:

2013年11月27日 | 自然・植物・昆虫
冬タイヤへの履き替えも準備完了!:
木々が、黄金色から、徐々に、茶色が増すにつれて、何やら、窓から眺める景色も、やや、重い感じになってきたようである。心なしか、木々の葉っぱ達も、少なくなり始めた液多様な気がしないでもない。一雨毎に、何処とはなしに、寒さが身にしみてくるような気がする。天気と気温と心の置き所は、どうやら、何処かで、関連づけられているかのようである。毎年のことであるが、松葉の落ち葉を大きな熊手で掻き集めて、桜の樹の根元に、盛り土のように、寒さしのぎのつもりで、置く。既に紅葉の葉は、落葉していて、一枚も残っていない。地面を真っ赤と云うよりも、モミジの落ち葉の上に、クヌギの黄土色や茶色の落ち葉が、積み重なり、黒褐色に覆い尽くしている。突然の坂道の凍結では、滑ってしまって、手の打ちようもない。手前手間で、車の冬タイヤへの履き替えも行なっておかなければならない。手遅れになると、何もかも、止まってしまう。薪ストーブを使用している家では、薪割りの貯蔵に多忙な毎日である。水抜きもしっかり行ない、不凍液を垂らしておいて、、、、、、、シャワー・ハンドルも、分解してと、、、、、、、。スノー・シューズとスノー・スコップも出してきたし、さぁ、これで、いよいよ、冬の前準備完了!



秘密保護法案についておもう:

2013年11月26日 | 社会戯評
  秘密保護法案についておもう:
元々、この法案というモノは、日米間での軍事情報の共有を前提として、日本版NSCを創出する上で、米国から必要不可欠であると云う意味合いで、論議されていたものが、いつの間にやら、勿論、尖閣諸島での漁船衝突事件のビデオ公開問題も関係しているが、いずれにせよ、情報へのアクセス権やら、情報の公開、或いは、歴史事実や、外交政策過程の歴史的な検証が不可能になるのではないか、更には、治安維持法のような言論の取り締まり、国家機密として処理された沖縄返還のような機密事件など、取材・報道の自由や、国家の安全を決するような軍事機密情報、これまでのスパイ天国の取り締まりや、はては、原発の科学的な情報と原爆テロ対策の情報までもごちゃ混ぜにされたような広範な議論になりつつある。そのなかで、国家の安全・軍事機密も、日米同盟の軍事情報の共有という一点だけならば、自衛隊法や、関係法令で、得意の歴史的な拡大解釈ででも、対応は可能であるにも拘わらず、何故、それ程までに、そんなにも、拙速に、物事を採決まで、推し進めて行くのであろうか?法案の内容が不十分、不明確であると云う世論は、6割以上にも及ぶのは、恣意的な運用の歯止めがどうやら、ハッキリ言って、信用できないという本能的に何かきな臭さを嗅ぎつけているモノなのであるのかも知れない。それにしても、現役の若い人達は、これからの自分たちの人生の中で、将来、どのように影響するのか、不安ではないのか?どうも、我々、年寄りばかりが、心配や危険性やら、一部のジャーナリスト、防衛関係者、外交経験者達が、不十分であると、反対していても、そんな人間は、60年先まで、生きているわけではないし、、、、、、。これまでの「決められなかった政治」から、「何でも決められてしまう政治」に、一挙に、野党からの摺り寄りで、逆転されて、言論の府は、戦前でも、まだ、反軍演説とか、それなりの抵抗があったことを想い出すが、流石に、拡大解釈の危険も、今や、何処かへ消し飛ばされたような感じがなくは無い。そんなことで、今の現役の若い人達は、良しとするのであろうか?それとも、日常の生活に疲れて、消耗しきっているのであろうか?



アート・ディレクター、北川フラム講演に考える:

2013年11月25日 | イベント 祭 催し
アート・ディレクター、北川フラム講演に考える:
「大地の芸術祭越後妻有アート・トリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」でも、アート・ディレクターを務めた北川フラム氏の講演会を、NPO法人の「虔十公園林の會」主宰で、開催するというので、参加することにした。毛沢東による「農村が都市を包囲する」戦略ではないが、アートを大いなる武器として、現代アートでも、音楽でも絵画でも、舞踏でも、或いは、芸術・美術が、本来的に有する自然との関係性を大切にして、そこに住む人々が、笑顔で、幸せと感じられるようなそんなアートを国内外のアーティスト達と「協働」で、根付かせる活動を、演出している立役者である。まるで、それは、越後妻有の廃校のアートや過疎・離島のアートが、都市に訴えているかのようである。もう、これまでの都市が、地方の街や村に、埋蔵・貯蓄されていた富を分配・伝播させるという、「都市の論理」:「極端な効率化・情報の集中化・一極集中化」等では、今日、もはや、立ち至らなくなりつつあるのは、冬季長野オリンピックの時に馬鹿げたくらい創り出された不毛な日常、使用されていない農道の舗装道路化をみても、分かろうというものである。「一強多弱」の現実が、今日のグローバリゼーションの結果である。「文化」というモノは、現代の合併された「行政区」では、語り尽くすことが出来ないのも事実であろう。むしろ、逆に、各地域、各地域毎が、小さいながらも、点の中心となり、それが線に、面へと、推進されなければならないという。アートというか弱いモノを、武器に持ちながら、アートの特性を活用して、文明との関係性を、生活に密着させて、謂わば、今日の院展に象徴されるような「動産的なアート」ではなくて、自然との、土との、或いは、海や、河でも、湖でも、山でも、そこにある息づいている人間そのものの「自然との関係性」に於いて、「人間は自然の一部として、表される」ようなアートの存在を媒介に、試みたいと、、、、、、。そこに住み暮らす人々とアートや美術との関係性とは、「そういうモノ」でありたいと、、、、、、アルタミラ洞窟・ラスコーの洞窟の絵の原点のような、、、、。だからこそ、棚田が、老齢化に伴う耕作放棄を余儀なくされた場所に、先祖代々の農民の受け継がれた想いを、作品として、空間アートとして、残されたわけである。世界的なアーティスト達は、恐らく、そういう志しに、マーリア・ヴィルッカラ、クリスチャン・バスティアンス、ドミニク・ペロー、クリスチャン・ボルダンスキー等、ある種の建築家魂や芸術家魂をくすぐられたのではないだろうか? それにしても、徹底的に、しつこく、これでもか、これでもかと、やり続けること、但し、プロの手により、外部の人間を含めて、行われなければ、到底、成功には覚束ないようである。それにしても、地域の住民を巻き込んでの「運動体」たり得べき条件とは、何なのであろうか?少なくとも、運動を担うべき若い人達が、持続的に、活動できうる条件とは、勿論、運動を担うべき「個の主体」はいざ知らず、ある種の方向性とか、国内外への情報の発信とか、情熱だけではなくて、プロフェッショナルなノウハウが、やはり、そこには、総合的に集約されてこなければ立ちゆかなくなることは必至であろう。来年、2014年3月21日から始まる、「晴れたら市原 行こう」アート・プロジェクトも、一つの方向性を試みるものであるらしい。ほとんど、これまで、右脳細胞が、機能してこなかった元貿易マンの私にとっては、なかなか、刺激的な講演であり、おおいに考えさせられたし、今後、どのように、NPO活動、地域活動に関わっていったら良いかを考えさせられるモノがありました。今度は、市原にも行ってみようかな。



稀勢の里は、そんなに急いで横綱にならなくて良い:

2013年11月24日 | スポーツ
稀勢の里は、そんなに急いで横綱にならなくて良い:
白鳳が、以前、横綱に推挙されるときに、優勝経験がなかったという理由で、推挙されなかったことがあるが、稀勢の里は、何も、急いで、駆け足で、その勢いだけで、駆け上がる必要は無い。毎場所、毎場所、いつも、肝心なときに、負けてばかりで、ファンの期待を大きく裏切り通しであるが、今場所も、格下に、2敗を喫し、又、同じ轍を踏むのかと思いきや、今場所に限り、その悪い期待を裏切るような形で、2横綱に勝ったことは、それなりの地力が、ついている証拠なのであろうか?もっとも、それも、千秋楽での取り組で、帳消しになるのか、ならないのか、又しても、違った意味での千秋楽での優勝とは関係無い大一番(?)であろう。相撲も、人生みたいなモノで、勢いで、時代の寵児になるものもいれば、廻り道をしながらも、自分なりの独自の相撲の型を、追求してもらいたいものである。もっとも、先場所は、綱取り失敗で、大いなる期待をしたにもかかわらず、夢叶わず、期待を大きく裏切り、期待を裏切った今場所の前半戦が、毎場所弱い終盤戦に、俄に、期待を再度、復活させるようなところは、何とも、毎場所、期待を良い意味でも、悪い意味でも裏切ってしまう力士である。もう、そんなに、急がなくても良いのではないだろうか?じっくり、苦労に苦労を重ねた上で、晴れて、優勝してからでも、宜しいのではないだろうか?再度、来場所に、叶うかどうか分からぬ期待をしたいところである。勝つことに、執着した日馬富士のような相撲が、横綱の品格に合致するのかどうかとは、別にして、勝負とは別のモノを、もっと、相撲には、期待したいところであろうか?もっとも、その身になってみないと、横綱という地位の責任の重さは、想像を絶するものであろう。千秋楽の結びの一番の優勝戦よりも、その手前の一番の方が、興味深いというのも、実に、皮肉なものである。



徳州会の蹉跌と猪瀬、5000万円借入の摩訶不思議:

2013年11月22日 | 社会戯評
徳州会の蹉跌と猪瀬、5000万円借入の摩訶不思議:
徳田虎雄が、離島を中心とする地域中核医療を掲げて、日本医師会と真っ向から対決する路線を歩んできたにもかかわらず、いつの頃からか、結局、カネと政治力にものを言わせた力尽くでの医療改革の方向へ、舵を切り始め、やがて、それは、高い志を掲げていたのに、本人の難病の罹患にも重なり、やがて、変節し、大いなる試みも、政治的な蹉跌を踏んでしまう結果になったのは、どうしたものなのであろうか?地域中核医療病院構想自体も、どうなってしまうのであろうか?人は、カネと権力を自分のモノにすると、やがて、間違いなしに、腐敗・堕落すると云うことなのであろうか?その検察の強制捜査が、行われている徳州会から、個人の借り入れとして、巨額の資金を、本来は、政治資金報告書に、記載されなければならないような資金を、単なる個人的な借り入れとして、しかも、無利子・無担保とは、(借用書は、発行したとか云われているが、、、、、当たり前ではないか!)何とも、夢のような話である。一体、あの元気な頃のオリンピック招致の頃の元気な姿勢は、何処へやら、一方的なサンドバック状態での記者会見の有様である。それにしても、個人経営者なら、或いは、住宅ローンでも、土地や家・屋敷といった不動産を担保に入れるか、個人保証書を差し入れ、更には、生命保険も掛けられてと、しかも、しっかり、金利を課せられて、、、、、、、個人の名誉も誇りもズタズタにされて、しかも、しっかりと印鑑証明書付きの実印を捺印させられて、、、、、、、、というのが、実情ではないだろうか?一体、アカウンタビリティーは、何処に行ってしまったのであろうか?穿った見方をすれば、本当は、都知事選用の資金ではなくて、オリンピック招致活動資金にも、実は、「お・も・て・な・し」のために、裏金か何かで、使われていたのではないかと、邪推もしたくなってしまう。ツイッターの発信は、どうしたものだろうか?あんなに、頻繁に、発信していたのに、、、、、、、。一刻も早い、説明責任を果たすべきであろう。こちらからも、ツイッターしてみることにしようか?まだ、これから、他にも、政界の疑獄に、飛び火・発展する可能性は、ないのだろうか?それにしても、大きな金額を、組織の力にせよ、自分自身の力にせよ、動かしていると、自然と、カネの魔力に麻痺してきて、その桁数が分からなくなってしまうものであるが、、、、、、、、。それにしても、淡い期待を抱いていた人達は、さぞかし、ガッカリしているであろうし、そういう人達も含めて、都民にも、日本国民にも、説明責任は、免れないことは間違いないであろう。



「庄司貴和子」展を覗く:

2013年11月22日 | 伝統工芸・展示会
「庄司貴和子」展を覗く:
刻の審判の場へ、「祈り」という題名の展示である。絵画というモノは、とりわけ、自分がよく未だ知らない画家の絵を鑑賞する機会を得ることは、まるで、友達から良い本を薦められた時のような感じに似ているものであろうか?何か、そんな気がする。茶房、読書の森で、コーヒーを飲んでいたら、丁度、ケーナの名匠ご夫妻が、やってきて、梅野記念美術館で、見てきた帰りであると知らされた。39歳という若さで、腸癌で夭逝したこの画家は、見舞いに来た、赤ん坊を身籠もった友人との別れ際の言葉は、どんな思いで、発せられたものであったのであろうか?自らの意思ではなく、時代により、その絵筆を置かざるを得なかった、信州の「無言館」で覧られる戦没学生画家達とは異なるものの、その肉体的な「死」により、創作を続けられなかった無念さは、加山又造が、評するように、「単純極まりないのに、典雅で、えらく洒落た感じ」、「日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、、、、、、」、題名を読みながら、その絵を観ると、成る程、エレガントで、ある程度は、半抽象画のような気がしないでもない。しかしながら、風景そのままの写実ではなくても、題名が、無題、不詳なるものになると、何とも、観る側には、心細い、何か、不安げな感慨が湧いてこないではない。たまたま、居合わせた小学校の低学年の子供達が、担任と美術の先生に引率されてだろうか、絵の前で、何を描いたのであろうかと、想像しながら、素早く手を挙げて、「ここは、ボールに見えます」とか、「あそこは、雲に見えます」とか、一生懸命に、絵の鑑賞の授業をしていたが、何を描いたのではなくて、何を描きたかったのかと謂うことは、まだ、幼い子供にも、大人にも、分からないことかも知れない。いずれにしても、私が、この年で、初めて観た絵に対して、この子供達は、幼いときに、既に、触れることが出来たことは、それ自体、すごいことではないだろうか?又、50年後にでも、この子供達が、同じ絵を、もう一度鑑賞する機会があるとしたら、どんな思いで、その時は、この同じ絵を観ることであろうか?私が子供の頃には、学校でも、家庭でも、物質的にも、文化的にも、貧しかったのか、そんな機会はなかったような気がする。併設展示されている、青木繁・菅野圭介展も、なかなか、興味深い展示である。梅野満雄と青木繁との友人関係とか、代表作、「海の幸」の絵を観ながら、想いを馳せるのもまた、一興である。第13回「私の愛する一点展」も、なかなか、様々なジャンルの展示で、何か、食事にたとえると、それこそ、色々なジャンルのお好み料理が、少しづつ、小出しにされていて、観る側の興味をそそられる。アンケートに答えて、菅野圭介の絵葉書、「海」をゲットしました。来年、1月13日まで、東御市梅野記念絵画館で、開催予定だそうです。館内の喫茶店から、目の前の湖面に、唐松が黄金色に映えて、窓越しに、眺められる浅間山の景色は、まるで、絵画のようでした。帰りには、明神館の温泉も宜しいですよ。



フランス・ウーファーさんの杜氏前修行の目途がつきそうだ:

2013年11月21日 | 社会戯評
フランス・ウーファーさんの杜氏前修行の目途がつきそうだ:
日本へ、日本酒の勉強に行きたいとフランスを出る前に、ガール・フレンドにそうだんしたところ、結局別れることにして、来日したそうである。それにしても、日本文化に、興味を有するといっても、大した確固たる意思である。何もこんな極東の果てに来るなんぞ、日本人の感覚ではなかなか、理解が難しいものである。ある見学させて頂いた蔵元の話では、杜氏というモノは、それこそ、生き物の世話をするのと、同じで、酒つくりは、年がら年中、それこそ、昼も夜も、正月も盆暮れもないくらいに、要するに、休み無しに、家族とも離れて、酒つくりに勤しまねばならないし、仮に、杜氏を目指すとなると、そうした固い覚悟がないと止めた方が良いと言われました。又、コミュニケーション或いは、ある程度の意志疎通が可能な程度の会話力なり、読解力がないと、簡単には、忙しい工程作業の間に、いちいち、説明や教育をしている暇など、どうやら、ないらしいとのことであった。それにしても、米の種類、精米のノウハウ、米の歩留まり、水の性質、ミネラル分や硬水度、軟水度とか、或いは、温度管理、酵母菌や麹菌の管理、等々、手作りのノウハウと言っても、なかなか、これまでの杜氏という匠による技術的なノウハウを科学的な機械的な作業工程に、シフトさせるのは、大変な作業であろう。大きな藏元も小さな蔵元でも、なかなか、生き残りを懸けた闘いは、大変厳しいものがあろう。それにしても、ものつくりというモノは、何でも大変なもので、やはり、食べたり、飲んだりする方が、楽なものであることは間違いないであろう。それにしても、これから、段々寒くなる中で、朝早くから、2-3ヶ月程度、勉強することは、なかなかな心構えである。若い従業員の人が、物珍しそうに、我々を見つめていたが、これから、何年かかるかは、不明であるが、本人の努力とよき人との縁と巡り会いとで、ひょっとすると、面白い展開になるきっかけが出来るかも知れないし、輸出も夢でないかも知れない。何事も、岩を砕くのは、一滴の水からであることを思えば、そのまだ、一滴にもなっていないかも知れないが、これからが、楽しみである。



3Dプリンターと視覚障害者:

2013年11月20日 | 社会戯評
3Dプリンターと視覚障害者:
そもそも、3D プリンターなるものが、モノ創りに於ける画期的な役割を担うことは、ある程度、想像出来る。もっとも、それが、簡単に、拳銃や武器までも、創り出せてしまうことも、又一方で、事実なのであろうが、、、、、、、。それにしても、科学技術の進化とは恐れ入ってしまう。何でも、言葉を発したモノが、音声入力で、コンピューターに認識されて、それが、インターネットを介して、画像検索処理されて、この情報が、即座に、3Dプリンターに、司令されて、具体的な3D立体像として、何分か後には、手に取り触れることが可能になったそうである。確かに目の不自由な人にとっては、モノに触ることで、初めて、そのモノのイメージが認識され、物体として初めて、確認されるものなのであろう。その観点からすると、大きなモノなどは、確かに、スカイツリーとか云われても、模型でも触らない限り、認識できないことも又、事実なのであろう。それから考えれば、この機械は、とてつもなく、すさまじい画期的な機械である。科学の進歩は、一方で、無人の殺人ロボット兵器を生み出すし、福祉用の介護補助ロボット・スーツも、食事が一人で可能になるような食事支援ロボットも生みだし、今や、実用化され始めている。武器輸出三原則も、今や、形骸化しつつある中で、少なくとも、我が国は、誇りと矜恃を持ちつつ、こうした障害者や福祉に具体的に、役に立ち、支援でき、更には、こうした人々の今まで、出来なかった、或いは、しようと思っても、ギブ・アップせざるを得なかった「本来の意思」を回復させ、一人でもやってみようとする「気持」を回復・再生・支援する機械を、「ものつくり日本の礎」にしてもらいたいものである。いつの日にか、目の不自由な人でも、自動走行の自動車を運転して、或いは、歩行困難者の人でも、ロボット・スーツを身につけて、買い物が可能になる日が、きっと来ることであろうし、それが、一日でも早く来ることを祈ってやまないものである。



ヤマガラが餌をおねだりにやってきた:

2013年11月19日 | 自然・植物・昆虫
ヤマガラが餌をおねだりにやってきた:
もう、25余年程前のことになるが、まだ、長男が、小学生の頃だったろうか、ベランダの餌台に、よく、ヤマガラがやってきては、餌の向日葵の種を、それこそ、ひっきりなしに、とっては飛び去り、又、すぐに、やってきては、飛び去りと、大変な騒ぎであった。そんな中、近くの奥さんが、長男に、「手で種を持っているとついばみに来るよ」と教えてくれたので、暫くそのままにしていると、何度目かに、手から餌をとっては飛び去るようになり、その写真を撮影した覚えがある。晩秋も進み、紅葉していた木々も、その黄金色の葉を落としだし、冬の準備を始めると、野鳥たちも、餌の確保に忙しそうである。今朝も、新聞を取りに玄関に出ると、鋭い声で、ピーピーと短く、鳴いて近くの梢まで、飛んで来て、どうやら、餌が欲しいと催促しに来ているようである。本来、野鳥に餌付けをするのは、生態系上、宜しくないという意見もあって、常時、やるわけではないが、今朝は、御要望にお応えして、鉢に、向日葵の種を入れると同時に、それを観ていたのであろうか、早速、真一文字にすっ飛んできた。そして、鉢の縁につかまると、一粒、摘まんで飛び去って、近くの梢で、食べながら待機して、次の一粒の機会を狙っている。少し離れて、デジカメのマクロを設定しておいて、カメラを構えて待っていると、すぐさま、飛んで来た。早速、シャッターを切る。余り、野鳥が人に慣れすぎることは、逆に、非常に、危険なことなので、このヤマガラのピーちゃんも、(勝手に、我が家では、この個体に名前をつけているのであるが、、、)十分、注意をして貰いたいものである。アトリやイカル等の野鳥は、それに比べるととても臆病で、ヤマガラが、3回餌をついばむ間に、せいぜいが、1回ほどで、その臆病さが、際立つ。熟した柿の実や、晩秋には、まだ、食べるものがあるようであるが、本格的な冬には、何を食べて生き抜いているのであろうか?そういえば、以前よく電線の上を器用に、走り回っているのを見かけたリスは、ここ、数年、見かけなくなってしまったが、どうしているのであろうか?カラスにでも、駆逐されてしまったのであろうか?心配なことである。そろそろ、冬タイヤに履き替えないといけない季節になってきたようである。



フランス人杜氏志願者と蔵元を訪れる:

2013年11月18日 | 社会戯評
フランス人杜氏志願者と蔵元を訪れる:
何でも、小諸の茶房、読書の森によれば、滞在しているフランス人の青年ウーファーが、日本酒の勉強に、蔵元を見学したいとのことであった。上田の天然酵母使用のパン屋のルヴァンさんを通じて、お隣の岡崎酒造さんを紹介して貰って、訪問することにした。なかなか、この上田の城下町に残っている旧い街並みは、情緒と趣きがあって、しかも、古い建物の躯体を利用して、内部を見事に、パン屋やら、レストランへと改造して、いかにも、現代風な感じと、旧い趣きとが、見事にバランス良く、調和されているのも、宜しいではないか、それにしても、小さい頃から、父上が、画家であったせいなのかどうかは知らぬが、日本文化や、日本食にも馴染んでいて、おまけに、カラテも初段の腕前で、箸の使い方も、堂に入ったものである。日本酒が好きで、日本酒の作り方を蔵元で滞在しながら、学びたいというでは無いか?岡崎酒造さんの話では、京都の蔵元には、何でもハーバードでの外人の杜氏もいるとのことで、ここまで、日本文化が、浸透してきていることに、流石の私も、驚きましたネ。15年前に、結婚を機にして、実家に戻ったという杜氏でもある若女将に、案内してもらい、旧い酒樽を利用した茶室や、江戸時代から伝わる雛人形飾りや、麹室、タンク設備、古典的な昔風の袋を利用した絞り装置とか、色々、写真も含めてくまなく内部を見せて貰いながら、無事見学できました。勿論、試飲もショップで、彼氏が、各種の日本酒を味わい、土産に、利き酒のお猪口と日本酒を購入しました。何でも、住むところさえ、うまく、手配できれば、岡崎酒造さんでは、1月から2月に、寒仕込み作業を行うとかで、丸子の喜久盛酒造さんのところも、ご紹介頂き、併せて、来週又、立ち寄ることになりました。小さな蔵元でも、こうした海外の杜氏志望者自らが、自分の口で味わい、自分で、EUで、少量であっても、販売できるようになれば、実に、面白いビジネスというよりは、日本食文化の宣伝にも、和食の理解を含めて、面白い文化交流が出来る可能性が拡がると思いました。こんな夢のような話も、まんざら、絵空事ではなくて、現実味を帯びてくるかも知れませんネ。私は、ボランティアですから、こうした貿易や真0ケティングの橋渡しのお手伝いが、少しでも、出来れば、それで良いとも考えています。帰りには、信州蕎麦屋で、さらしな蕎麦と粗蕎麦との食べ較べを、天ぷらの由来も含めて、そして、江戸前鮨の歴史とファースト・フードの共通点を、更には、「日本人は、食べる前に、目で食べる」という文化論を説明し、花器・食器・箸置き・天ぷらの並べ方など、蕎麦茶と蕎麦湯も、薬味と本わさびも、堪能しました。そして、帰りには、東御東町の歌舞伎舞台の前を通り抜け、千曲ワインバレーの一角のワイナリーも訪れて、ワイン栽培研修生ともお話が出来、私にとっても、有意義な一日でした。



一寸気になるCM:

2013年11月17日 | 社会戯評
一寸気になるCM:
CMに出てくる商品と俳優との闘いは、商品よりも、時に、演じる俳優の方が、優ってしまう場合が、多々あるであろう。トヨタのSAIのCMに出てくる女優の真木よう子も、その例に漏れない。洗練された赤い色のハイブリットのSAIは、これまでの車のイメージの家族とか、優しさとか云ったイメージから、全く異なったやや、危険な香りのする大人の夜の色気と与謝野晶子の恋歌を引っ掛けた(?)むしろ、おちょくった感が否定しきれない「柔肌の熱き血汐に触れもみでさびしからずや道を説く君」、「口説きなさいってこと」、、、、、「意地悪しちゃうから、、、」。そして、「いい男には、色がある。、、、、」と、小さく表示される。これはもう、車の宣伝よりも、むしろ、真木よう子の魅力の一つを引き出してしまったかのようである。しかも、車の魅力にやられてしまうよりも、むしろ、女優、真木よう子の新たな魅力に、してやられてしまった感が否めない。車のイメージをやや、異なる局面から、女優の魅力を如何なく利用して、アッピールして見せたことは、どちらの側にとって、メリットがあったのであろうか?もっとも、私には、演じた女優の方が、優っていたのではないかと、きっと、与謝野晶子も、内心、短歌の解釈とは別にしても、実は、そう思っているのではないかと、思えてならないが、、、、、、、、、。ビッグの10億円CMも気になるので、これは、又、後日、、、、、、、、。



長野県建設業厚生年金横領事件の闇:

2013年11月16日 | 社会戯評
長野県建設業厚生年金横領事件の闇:
人間の記憶は実に曖昧である。忘れては又、同じ繰り返しである。タイ、バンコクで、潜伏先で、逮捕されたこの巨額横領事件の容疑者も、あの青森県住宅供給公社の巨額横領事件も、方や、チリ人ホステス、方やタイ人ホステスと、何とも、情けない話であるが、全く、日本という国は、如何にも懲りない面々の多いことか?そう言えば、過日、小諸市の総務部でも、使い込みが発覚した事件があったが、これらに較べれば、何とも、お笑い話程度に過ぎない。もっとも、その後の再発防止対策は、どうなったことやら、、、、、。それにしても、老後の年金を期待して、退職後の年金を期待していた会員の従業員は、たまったモノではない。会社も、年金基金の解散に伴う特別損金であるとか、その処理にも、莫大な金額の損失が見込まれ、どこへ、この損失の賠償を要求してよいものか、困ってしまう。どういう経緯で、AIJや未公開株への投資とか、20数億円とも、更には、60数億円とも云われる使途不明金が、一人の担当者によって、動かされている仕組み自体にも、驚かされる。或いは、資産運用を一人だけに任せていたとは、、、、、、。一族によるワンマン経理ならいざ知らず、よくぞ、一人の人間に、何故、預金通帳と印鑑とを管理させていたものなのであろうか。いくら中小の年金基金組織のチェック体制が脆弱とは云っても、一体全体、これまでの横領事件の轍を全く踏んでいないとは、驚き以外の何ものでもない。それを割り引いても、巨額の資金が、仮に、AIJにしろ、未公開株取引にしても、簡単に、数十億円単位の資金が、あっという間に、実際、消えてしまうとは、、、、、、、、、、。時給800円換算にしてみたら、一体、何年間分に、相当するのであろうか?一日8時間労働で、6400円、月25日としたら、16万円、1年12ヶ月でも、192万円、10年働いても、1920万円、天文学的な数字である。人を殺している訳ではないから、せいぜいが、塀の中で臭い飯を10年くらいなのであろうか?そんな人間のために、老後の生活資金を奪われてしまった人は、どんな気持なのであろうか?長野県では、エプソンの現役・OBの年金減額も予定されているし、もはや、年金自体が、期待すべきものではなくなりつつあるのであろうか?世の中、コンプライアンスとか、何だとか、云われている割には、可笑しなものである。皮肉である。カネは天下の廻りものならば、何処へ、消失してしまったのであろうか?会員は、それを知るに足る権利があるであろう。そして、再発防止策を知ったとしても、残念乍ら、掛け金は、決して、帰らない現実があるのも又、事実である。



クラーク博士とホィット・フィールド船長に思う:

2013年11月15日 | 社会戯評
クラーク博士とホィット・フィールド船長に思う:
何でも、札幌農学校に僅か8ヶ月余りしか、赴任しなかったクラーク博士は、例の「八重の桜」に登場する新島襄が、その留学先であったマサチューセッツ州のアマースト大学の学長で、はるばる日本からやってきた明治新政府の派遣要請団の説得に応えて、50歳のこの老人は、はるばると、太平洋を越えて、札幌まで、やってきた訳である。それにしても、何故、この後、帰国後、9年余で、亡くなってしまう老人が、別れ際に言ったと伝えられている言葉は、実に、興味深い。一説によれば、それは、Boys, Be ambitious like this old man であり、又、一説によれば、Boys, be ambitious in Christ(God) でもあると、、、、、、。要するに、我が教え子の少年達よ!はかなき名声を求め野心を燃やすことなく、この老人の如く、人間の本来の(キリスト教的な)本分を尽くすべく、大志を抱け、元気でな!と、一人一人と握手した後、馬上から、別れの言葉を発して、颯爽として、馬の腹を蹴って走り去ったと、、、、、。それにしても、南北戦争に志願参戦して、戦場で、数多くの教え子が戦死した後で、この老人は、何故、日本の果ても果て、しかも、当時未だ、未開拓な雪深い蝦夷地へと、何が、駆り立てたのであろうか?実に、不可思議なことに、戊辰戦争の時代にも、旧幕府軍と共に、フランスの外国士官なども、一緒に、函館に渡っているが、お雇い外国士官とか、お雇い外人教師とかと言う言葉では、到底、理解し得ないようなモチベーションが、当時、一体、何処にあったのであろうか?今の人間の年齢になぞらえれば、定年退職前頃の人間が、まるで、アフリカの僻地へと赴任を進んで行うかの如きものであろうか?それにしても、奇しくも、同じ年に、高知で生まれた中浜万次郎は、同じマサチューセッツ州のフェァーヘブンで、救助して貰ったウィリアム・ホィットフィールド船長の厚意により、英語のみならず、海洋学、航海術、その他を学ぶ機会を与えられ、その後の日本初の英語通訳者ならぬ、当時の事実上の裏外交官のような役割を、同じ時期に、担うことになったのは、ひとえに、クラーク博士にもホィットフィールド船長にも、キリスト教的な国籍・年齢・境遇を超越した自由・平等の共通意識が、当時の人には、あったのであろうか?それにしても、今日、グローバル化が進行して、何処にでも、自由に、自分の意思で、外国にも行けるにも拘わらず、未だに、自分自身の狭小な世界に閉じこもって、like this old man にせよ、 in Christ(God) にせよ、Be ambitious と、自信を持って、叫ぶことの出来ない老人が、自分を含めて、何と今日でも、多いことか?本当は、この言葉は、今や、少年達にでは無くて、老人達、団塊の世代に対しても、発せられなければならないのではないだろうか、
Old men, Be ambitious !
老人達よ、大志を抱け。
Be ambitious not for money or selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame.
金や利己心を求める大志ではなく、名声というつかの間のものを求める大志でもない。
Be ambitious for that attainment of all that a man ought to be.
人としてあるべき全てのものを求める大志を抱け

、、、、、、、、、とも、解釈すべきだろうか?