小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

やる気というやっかいな陥穽:

2016年08月27日 | 社会戯評

やる気というやっかいな陥穽:

貧困から、逃れるために、人は一生懸命に、資格を取得したり、外国語を学び、少しでも、他人よりも優位に立とうとして、頑張るモノである。とりわけ、何処の国でも、教育への幻想というモノが日増しに、まして、大学進学や、異常なまでの加熱した学歴至上主義やら、海外留学キャリアー信仰へと発展してしまい、逆に、そうした『やる気と向上心』というものが、もたらしてしまう『陥穽』に、当事者は、気が付かないモノである。小諸市の第9回になるという『ディスカバリー小諸』という日本に、留学している留学生の短い期間でのホーム・ステイの受け容れに、参画して貰いたいと云うので、ボランティア活動の延長線上に、協力することにした。何でも、私に割り振られた相手は、昨年の10月に、ベトナムのハノイから、やってきた19歳の青年である。色々と、訪日動機とか、こちらでの滞在生活の内容とか、生活振りとかを質問してみたが、なかなか、厄介なことであるが、基本的な意思疎通のベースである日本語が、覚束ない。昔、ベトナムで暮らしていたときの私のお手伝い向けの生活ベトナム語などは、全く、糞の役にも立たない。もっとも、少しは、会話してくる間で、思いだしてくるものの、南と北では、その発音が異なるから、こちらも戸惑ってしまうものである。ましてや、英語は、残念乍ら、向こうさんは、さっぱり、携帯電話の辞書を引かないと、理解出来ない困った状態である。それでも、何とか、朝08:30から、午前中、日本語の勉強をして、午後は、ずっと、夕方六時頃まで、有名なインスタント・ラーメンの製麺工場でアルバイトをして、夜は、宿題をして、就寝は、二時頃だそうである。アルバイト代は、月額7万円程度、残業をしても、9万円程度で、そこから、家賃3万円(WiFi利用料や、光熱費込みで、3人のアパートの相部屋だそうだ)、食費1万円を負担して、残りを親への訪日費用代の返済に充当しているとかで、コンビニやインスタント・ラーメンの食事らしく、晩ご飯を、ベトナム生春巻きの日本版(具材を刺身やハムに替えて、野菜と一緒に、手巻きで、古いベトナムの友人にお土産で貰った魚醤とチリー・ソース)で、食べながら、来年三月以降、どうするのかとか、将来、何になりたいとか、尋ねてみたが、東京へ出て、語学の勉強をやりながら、マーケティングなども、学びたいとか、、、、、大学は、学費が高いので、専門学校に進学したいと希望を熱く語っていた。それにしても、私の知りうる限りでのこれまでの旧いベトナムの友人達は、皆、奨学金を貰ったり、優秀な成績だったのであろうから、公費で、大学へ、留学に来たりしていたのに、較べて、何とも、悲しくなりそうな境遇である。おまけに、43歳のお父さんは、病気がちで、お母さんも又、医者通いとかで、妹を抱えて、自分が頑張らないといけないという境遇だそうである。何とも、五十年以上も昔、テレビのシャボン玉ホリデーで、ハナ肇や、ザ・ピーナッツが演じていた、貧困家庭のコメディーを彷彿とさせられる内容である。そんなにしてまでも、日本語を学び、海外で、食事を切り詰めて、お金を貯めて、両親に、尽くしたいというこの青年の思いには、ある種の『生真面目さに隠された陥穽』を、私は、皮肉にも、みてしまう。相手に、『今の幸せとは、何ですか?』と質問してみたが、日本語が、通じなかったので、会話が、途切れてしまったのは、おおいに、残念なことである。それにしても、生活が苦しくて、口減らしの一環で、海外移民に出ざるを得なかったのではなくて、自らの強い意思と向上心を以て、自己責任で、来日するというこの、現状が、世界至る所で、みられるのであろう。それは、不法移民ではなくて、ある種、ギリギリの貧困ビジネスのような物で、恐らく、『出す側と受け容れ側』との阿吽の呼吸の狭間で、この青年のように、彼らは、海外へ、夢と希望を持て、出掛けてくるのであろうが、その行き着く先は、一体、どんな地平なのだろうか?振り返って、自分が19歳の時には、果たして、どんな思いであったのであろうか?この青年のようなそんな大それた大志や野望を抱いていたであろうか?語学留学とか、海外研修制度とか、役人が机の上で、ペンを舐め舐め、企画した事実上の安い労働力の提供というなし崩しの一種の移民政策は、そんあ実態を垣間見たような気がしてならない。これが、本当に、異文化の交流とか、理解とかに、繋がるのであろうか?残念乍ら、この青年は、夕食後に、昼からの咳がひどくなり、携帯の辞書で、胸が痛く、肺炎ではないかと心配し、医者に診て貰えないかと云うので、初めは、夏風邪とタカをくくっていたが、薬を持参しているというので、薬局の処方した薬をみると、気管支喘息の薬であった。どうやら、暑い夜中に、部屋で、クーラーを懸けっぱなしにして、就寝していたために、喉・気管支をやられたらしく、おまけに、雨の中傘を差さずに、濡れてしまい、体調を崩してしまったらしい。そんなこんなで、念の為に、京都にいる私の古いベトナム人の友人へ、夜、ネット電話で、直接状況を話して貰い、どうしたいかを再確認したうえで、最終的に、翌朝、上田のかかりつけの病院へ、診察を受けるべく、急遽、予定をすべて、キャンセルして、レントゲンを撮り、肺炎かどうかを、兎に角、診察して貰うことにした。ネット電話で話をしているときも、咳と痰が止まらず、症状がひどくなってきた。結局、翌朝は、トウモロコシとハム・エッグ・トーストとコーヒーと、スイカ・長野パープルという、朝食で、完食したから、食欲は大丈夫だろうと判断したものの、海外で、病院通いというのは、実に、私の個人的な体験からも、心細いモノである。上田に在住のベトナム人の先生に、急遽、病院で、ドクターへの通訳を依頼して、私は、お役目御免、バトン・タッチ終了とした。何でも、その後の連絡では、レントゲンで、肺炎ではないと確認され、点滴を打って、処置されたとのことで、まずは、一安心であろう。それにしても、こんな生活をしていたら、又再び、体調を悪くして、ぶり返してしまいかねない。一日も早い健康の回復を、願いたいモノである。そして、一日も早く、日本語をもっと、うまく話せるようになってもらいたいものでる。奨学金や、起業という陥穽が、問題視されているが、全く、語学という、或いは、語学留学という、麻薬のようなものが、つきまとっていることを、忘れてはならないし、かといって、事勿れ主義でも、困るが、バランスが、難しい所である。色々な意味で、勉強させて貰えました。

 


サウジアラビアの次は、ベトナムの友人ご一行様か?:

2016年08月18日 | 旅行

サウジアラビアの次は、ベトナムの友人ご一行様か?:

サウジアラビアの留学生を迎えた後は、今度は、古いベトナム人の友人が会社の幹部を連れて、日本へ展示会の見学のついでに、お盆休み期間中にやってきた。全く、この期間中の交通の混雑など、全く、眼中になく、誠に、ベトナム人らしい、脳天気な連中である。しかも、私に、富士山をみたいので、レンタ・カーを借りて、お金を支払うから、6人丸ごと、一日掛けて、観光できないかと、、、、、、、彼らは、ベトナムでは、運転手付きだからよいが、私の経験では、アメリカ駐在の時も層だったが、運転手兼、ツアーコンダクターは、すべて、自分一人で、請け負わざるを得ないのが、宿命である。結局、国民性の生かどうかは、判らないが、案の定、予想はしていたが、各人てんでんばらばらのニーズで、朝八時に、都心のホテルにピックアップに往けば、いきなりWiFi ルーターが借りられないかと、何でも、前の晩、成田空港で店が閉まっていて、駄目で、結局、近くの新橋のヤマダ電機で、ルーターを借りに云ったが、最終的には、親切な店員が対応してくれて亜、SIMカ^ドに、アクティベーションまで、英語でやって貰って、ネット接続が可能になった。すると、我も我もと、結局3人が購入して、1時間ばかり、余計な時間を費やしてしまった。何やかやで、出発は、11時過ぎにずれ込んでしまった。そこから、首都高速経由で、一路、河口湖へ、雲に蔽われた富士山をみながら(?)五合目まで、往きたいとかで、車で、行こうとしたら、この期間は、マイカー規制で、通行禁止になっていて、結局、山中湖へ、そして、混雑を避けて、御殿場のプレミアム・アウトレットへ、何せ、初めての所ばかりで、外人にでも、連れて行って貰わなければ、来ないところばかりである。それにしても、ひどい混み方である。時間をわざとずらしても、何せ、15日では、如何せん、無理である。それにしても、買い物も、スニーカーとか、靴が多いのは、何故だろうか?本物と云えば、本物だが、逆説的云えば、如何に、現地では、偽物が多いかが、判る。困ったものである。それにしても、中国人とか、外国人観光客、とりわけ、アジア系が買い物は、多いのには、驚いてしまう。軽井沢のショッピングセンターも、アジア系が大きな声で闊歩しているそうである。何とも、品格が疑われる。これは、国民性だけなのであろうか?それとも、拝金主義の成せる技なのであろうか?美味しい、お寿司をご馳走になったから、あまり、文句も言えないけれども、、、、、、。更に、お金を落として貰うべく、帰りの時間を午後八時まで、すらしたせいか、帰りの高速道路は、多少、混雑していたが、何とか、夜10時半までには、ホテルに戻ることが出来たのは、幸いであった。結局、富士山は眺められなかったことから、又、次回、春にでも、桜の季節に、富士山を是非見に来たいと、云う事になった。


伯母を伯父と共に、見舞う:

2016年08月17日 | 健康

伯母を伯父と共に、見舞う:

お中元ではないが、季節の便りの梨を伯父から戴いたので、糠地の桃をお礼に持参しながら、久しぶりに、一緒に、介護施設に伯母を見舞うことにした。そう言えば、もう3年も経ってしまったのか、時間が経つのは早いモノである。伯父も、以前、脳梗塞で、大手術を乗り越えて、回復したのに、皮肉にも、あんなに、一生懸命、看病もして、山歩きもしていた元気だった伯母の方が、今度は、自分が、脳梗塞で倒れてしまう、逆に、一命を取り留めながら、右半身が麻痺して、更には、命と引き替えに、胃ろうまでされた上に、曾孫の誕生を待ちかねながら、ニコニコして、見舞い人をどこまで、認識しているのか、どうか、判らないが、出迎えてくれた。もっとも、伯父の方も、脊柱管狭窄症が悪化してきてしまい、看病に、毎日来ていたのに、結局、来られなくなってしまい、見舞い人二人とも、杖をつきながら、車で、来る始末である。もう、伯父伯母も二人づつになってしまったが、二人とも、伯母は、介護施設で、伯父達も、腰が悪くて、一人暮らしを強いられているのが、現状である。何でも、最近では、週二度のヘルパーさんに助けられて、洗濯機や電子レンジの使い方もマスターして、何とか、日常生活を送っていると、後どれくらいの時間が残されているかは、判らないが、思い立ったら、吉日ではないが、気が向いたら、顔を合わせることくらいは、してみることにしようか、そうすれば、亡き母も喜んでくれるかも知れない。それにしても、最近、人生の終末について、色々と考えさせられることが多い様な気がしてならない。

 

 


理想的な顧客ターゲットとは何か?:

2016年08月13日 | 社会戯評

理想的な顧客ターゲットとは何か?:

全く客商売というモノは、辛いものである。それにしても、顧客管理画面のビッグ・データの懐石を詳しく、眺めていると、随分と、様々なことがらが、透けて見えてくるから面白いモノである。私は、ボランティアだから、このビッグデータの解析結果から、見えてくる理想とする『顧客ターゲット層』とは、一体、どんなモノなのであろうか?少なくとも、インバウンドでも、国内顧客でも、共通する様々な点が浮き彫りにされてくるから、面白いモノである。予約をかなり前から、確定してくる顧客は、どういう訳か、客単価が、高くて、当日、宿泊先を捜すような顧客は、どうも、素泊まりが多くて、客反がいずれも極めて低いのは、興味深い。しかも、ほとんどが、食事をとらないし、とっても、夜の八時以降の極めて、オペレーションを妨げる顧客層である。しかも、食事は、残り物でも何でも宜しいという泣けてくるような地産地消のコンセプトも何もあったモノではない。キャンセル料というモノも、高級なホテルや旅館であれば、かなり前からも、しっかりとキャンセル料を取るから、こきゃくがわは、キャンセルをしにくくなるのも事実であろう。それよりも、予約が鳥温井という状況も、確かに、何らかの意味で、公開できる仕組みも必要なのかも知れない。ある種ブランド作りというものも、着実に、必要不可欠ということになってくるであろう。要するに、宿泊料金だけでなくて、食事とか、環境、その他の付加価値を、価格の中に、転嫁できる工夫を整えなければ、なかなか、その場限りでの選択ということになり、他になかったから、要するに『消極的な消去法』で、残ってしまったからと言うことになってしまうのであろう。食事の量と質とコストとのバランスも、又、オペレーションの合理化、工夫、仕込みの合理化、生産性とか、人員配置とか、全く、工場での生産管理と全く同じであるにも拘わらず、以外と、ファミリー・オーナーというモノは、存外、そういう思考回路が、残念乍ら、繋がっていない。だいたい、外食産業界では、シェフ出身などが、成功した試しがないというのは、こういう所からも来ているのかも知れない。これは外食に限ったことではなくて、農業でも同じ事が云えるのかも知れない。意外と、中に入っていると、『怒りのコントロール』ではないが、『自分を客観視』することが、ないのであろうか?酒のPOPを各テーブルへの配布にしても、コンビニのレジ横の商品ではないが、結局置けば置いたで、必ず、注文してみようかなということになり、食事の客単価も、アップに繋がる結果になるというモノである。

話は、元に戻るが、結局、好ましい理想の顧客とは、この宿泊場所のコンセプトと哲学をりかしてくれて、しかも、お金を落としてくれることで、予約も事前に、してくれて、食事もゆったりと、くつろげるなかで、地元のスタッフとも、自由に話が出来るそういうホテルや老舗旅館とは異なるような差別化が、可能になるのかも知れない。その為には、何を、したら良いのかが、総合的に、或いは、各種別々の面からの作戦とカイゼンが必要になってくるのかも知れない。そして、その逆の側面、即ち、足を引っ張ってくるモノは、何で、何故、層なのか、そして、それを如何に、どの時点で、切り捨てるのかを判断することが重要であろう。エアビの方向性も見えてきたので、今度は、個人零細経営の改善事業を、ボランティアで、てこ入れしてみることにするかな。なかなか、こちらも、興味深い活動である。

 


警察からの突然の電話:

2016年08月04日 | 健康

警察からの突然の電話:

突然、携帯電話に見知らぬ番号から、電話があった。いつもなら、そのまま、パスするところであったが、たまたま、電話がかかってくる予定があったので、電話口で対応すると、何と、宮古島警察署からの電話であった。ヒョッとして、宮古島と云う事は、私の友人で、宮古島在住の彼に何かがあったのかと瞬間思った途端に、向こうから、29日に部屋で、ご遺体で見つかったとの由で、たまたま、私の電話番号が電話帳に記載されていて、家族の連絡先を問い合わせる電話であった。要するに、自宅マンションで、『孤独死』であったらしい。2週間程前に、何でも、突然、突発性の難病に罹り、東京の病院に入院していたとかで、食事も、大好きだった蕎麦も、グルテンが含まれない十割蕎麦が、食べたいというので、アマゾンから、送附して、受領確認がされたばかりだったのに、、、、、、。何とも、人生、複雑な思いである。その時にも、電話で、孤独死にならないようにね、などと、軽口を叩いたのに、全く、人生、分からないものである。高校一年の時の同級生だったから、もう、50有余年の付き合いである。結婚式にも出席したし、レストランを開業したときも、時々、顔を出したり、自由が丘にフレンチのレストランを移転・開業した後も、結構利用したものであったが、離婚にも、遭遇したり、その後も、老母の介護に明け暮れて、その果てには、遺産の財産分与を巡って、兄達との骨肉の争いの果てに、結局、店を閉店して、生前財産分与の一部を返済したり、子供がいなかったために、沖縄、宮古島へ、移住することにしたらしい。5年ほど前のことだったろうか?2回ほど、女房殿と一緒に、宮古島へゴルフ旅行に行ったりしたときに、旧交を温めたりしたり、宮古島のマンゴーを、毎夏、送って貰ったりもしたものである。全く、人生とは何で有り、人生の終わりとは、どのように迎え、その前に、どのように準備したらよいのであろうか?全く、考えさせられてしまう。新聞や、報道で、『孤独死』の問題は、遺品の整理や、遺骨の処置も含めて、様々な問題があることは、見聞きしていたものの、一体、葬式の日程は、遺骨は何処に葬られるのであろうか?熱心な仏教徒だったから、お経の一つも、挙げてやりたいところであるが、どうしたものであろうか?早速、別の『孤独死』候補の友人には、メールしておいたら、『他人事ではないね!』と返信があったが、こちらは、長男がいるから、安心だろうか?もっとも、一人暮らしには、変わりはないが、、、、、。人は、子供の頃、虫や小鳥や魚の死などで、或いは、可愛がっていたペットの死を通じて、更には、祖父や祖母や、或いは、親兄弟などの死を通じて、自分の人生を見つめ直しながら、大人になってくるのかも知れない。その意味では、伊集院ではないが、別れることと別れる力というモノが、生きる力にもなるのかも知れないが、歳をとるにつれて、ある種の喪失感というモノも、芽生え始めるモノであろうか?何とも、残りの人生を改めて、感じる契機となったことは間違いないであろうか、冥福を祈りたいモノである。

 


露天の五右衛門風呂を愉しむ:

2016年08月03日 | 社会戯評

露天の五右衛門風呂を愉しむ:

小学校の低学年だったろうか、祖母の実家である静岡県の掛川市の掛塚という田舎の古い大きな家に、夏休みに、泊まりがけで云ったことがある。そこで、大きな、恐らく、子供だったから、大きく感じたのかも知れないが、土間に、立派な五右衛門風呂が有り、丸い板が、真ん中に浮かび上がっていたのを覚えている。又、祖母が、一生懸命に、風呂釜の口から、ふーふーと木をくべながら、ぬるくないかと、訪ねていたことを60年ほどの昔での出来事ながら、想い起こす。何せ、初めての体験だったから、広い土間から、見上げた天井に、青大将が棲んでいると云うことを聞いてせいかどうかは判らぬが、鉄釜の五右衛門風呂どころではなかったことも、併せて、記憶している。それにしても、考えてみれば、60年ぶりくらいだろうか、オーナーの76歳になるお父様と裸の付き合いで、二人で、横に並んで、別々の五右衛門風呂に浸かりながら、ゆっくりと星と月を、そして、対岸の八重原の台地の上に見える明神館のほのかに揺らめく赤い灯を眺めながら、二人のとりとめのない話をしていると、昔、今は亡き父と一緒に、よく、内風呂に入りながら、会社のことや、事業のことや、将来の生き方などを相談したことを懐かしく、想い出される。もう亡くなってから、15年も過ぎるが、懐かしい想い出である。そんな情景が、この露天の五右衛門風呂には存在することが、おおいに宜しいではないか。温いお湯であることが好ましい。昼間であれば、一寸、一杯、ビールか、酒でも、ウッド・デッキの上で、椅子にもたれて、浴衣か、バス・ローブで、身体を冷やしながら、又、ゆったりと、温めのお湯に浸かり直すのも悪くはないだろう。桜の花や、藤の花も、季節によっては、愉しめるかも知れない。それよりも何よりも、並んで、別々の二つの湯船に、横に並んで浸かって、会話が出来ることは、一寸、贅沢ではないだろうか?インバウンドの若いカップルの観光客は、1時間以上も浸かっていたそうで、オーナーは知らずに、灯を消灯してしまったそうである。遠望できる景観と露天風呂の五右衛門風呂は、誠に、優れたコンテンツであるかも知れない。