小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

函館・江差・松前の桜10景を訪ねる:

2016年04月30日 | 旅行

何と、函館は、カニ族で北海道を周遊した頃から、もう45年ぶりである。今年は、これで、花見が、3度目である。東京・小諸・函館と、、、、、、、。ブラタモリで見た函館の街並みが、見たくなったので、2泊3日のお手軽な旅に夫婦ふたりで参加した。もっとも、開通したばかりの新幹線ではなくて、往復飛行機の旅である。年寄りには、こちらの方が、楽なのかも知れない。ついでといっては何であるが、江差・松前は、行ったことがなかったので、ぐるりと、観光バスで、廻れたのは、幸いであった。少なくとも、今後、これらの小さな地方都市でも、充分、観光的な価値がおおいにあると、実感した。しかも、景気の反映というものは、やはり、人が来て初めて、そして、お金がそこに落ちなければ、ニシン御殿も、建たないし、ましてや、ニラの栽培で、儲からなければ、ニラ御殿も建つわけがない。その意味でも、地方都市の栄枯盛衰は、その建物にも、皮肉にも、表れていることが伺われて、面白いモノである。それにつけても、歴史とか、文化とかというものは、カネでは、買えないものである以上、今日、遺されたものは、大変貴重な観光資源であることが了解されよう。函館などと云うところは、浦賀に上陸したペルリ提督が、有名であるものの、考えてみれば、当時のことを慮れば、北の海防というものは、既に、当時から、重要であったことがここからも窺える。何も、横浜開港だけが、唯一の開かれた港ではないのである。函館も、そのうちの一つだった訳である。しかも、昔から、『北前船』による海上交通による物流拠点であれば、当然、文化自身も、一緒に、お菓子なども、京風のものが、移転されて独自の発達をみたものであろうことは、成る程と納得される。鰊御殿なというものも、当時の豪商の富と文化と心意気を、今日まで、調度品や部屋の佇まいなど、伝えていて、趣きがある。観光の在り方というものは、何も、有名な京都や東京ばかりに限ったモノではないことが、了解される。それにしても、町の発展の仕方、街並みの歴史的な作られ方、函館戊辰戦争の歴史とか、考えてみれば、コンテンツというものは、そこかしこに、いくらでもあるものであり、バスで、容易く、峠を越えても、戊辰戦争当時は、山道を迂回して、激戦が繰り広げられたことが、実感、理解されよう。それにしても、有名な函館山の夜景には、中国人観光客や外人観光客が数多くて、それこそ、押すな押すなの盛況ぶりには、驚きました。又、それが、そっくりそのまま、翌朝の大沼公園でのホテルの朝食会場にも、反映されているとは、想像だにすら、していませんでしたが、それはそれは、凄まじいものでした。12台のバスの内、10台が、中国人観光客のバスで、わずか、2台が、我々、日本人客のバスだったそうです。そして、函館朝市にも、同じ光景が、反映されているとは、凄まじい勢いである。この人達が、間違いなく、個人旅行で、再び、ゆっくりと、リピートしてくれると、観光の裾野は、今後とも、大きく、拡がることは、間違いないでしょうね!文化・体験型へと、爆買い型から、移行してくることは、必至であり、たからこそ、コンテンツが重要になってくることでしょう。疑いのないところですし、対日感情も、当然、変化してくることでしょうね。まるで、蒙古襲来の如き様相でした。トラピスチヌ修道院では、昔、バター飴が有名だったのに、今日では、平均年齢が高齢化してしまい、クッキーの生産に、移行してしまったと、一寸、淋しい説明がありました。そう言えば、細長い缶のバター飴を昔、お土産に買ったのを、懐かしく想い出しました。45年前に見た五稜郭での『碧血の碑』(義に殉じた人の血は、碧い)という碑が、戊辰戦争の激戦地の峠のダムの横にも、あることを、ガイドの説明で、知りました。石川啄木の記念館が、土方歳三とともに、あるのも、時代を反映しているのでありましょうか?函館市内の坂道や市街路面電車の風景も、各国の基督教会の建物も、なかなか、街並みを保存することで、景観も含めて、観光地というものは、鰊御殿でも、豪商の商家でも、建築遺産というものは、やはり、保存することで、付加価値が高まることが、再認識される。それでも、人口の減少が止まない現実は、おおいに、困ったことである。もっとも、皮肉にも、都市が衰退すればするほど、都市遺産というものが、逆に、価値が上がってくるという現実には、本当に、困ったことである。ヒトが、足を運び、そして、リピーターとして、再び、やってくるようになり、そこに、お金が落ちることで、又、元気になることは、やはり、必要不可欠であり、年寄りは、お金を地元に、落としてあげることくらいしか、出来ないのであろうか?実に考えさせられるものがある。小椋佳の作詞作曲で、美空ひばりが歌った、『函館山から、立待岬、、、、、』という歌を想い出す。

 


喫茶店主との会話に学ぶ:

2016年04月28日 | 日記

喫茶店主との会話に学ぶ:

客商売というものは、実に、見かけだけは、自由奔放のようであっても、それが、20数年にも、亘って、生業として、人生を生き抜いてくるとなると、女性週刊誌で、面白、可笑しく、謳われるような気軽な結婚しない独身女性が、簡単に、お手軽に、小資本で、開業独立できるような代物でないことが、判る。その意味からすれば、所詮、仕事などと云うものは、いつの時代でも、隣の庭の芝生は、碧いと同じで、結局、自分でやってみて初めて、そんなものでなかったということが、実感されるのかもしれない。成る程、人生というものは、ひょっとして、或いは、仕事というものは、そんなものなのかも知れない。『私は、選択制難聴何ですよ!』という物言いにも、大変、興味深いものである。確かに、客商売などと云うものは、喫茶代金というカネを支払うのであるから、客の側にすれば、何時間でも、自分の愚痴や憂さを晴らしてくれる聴き手上手であるのかもしれないが、考えてみれば、そんなことを、毎日、毎日、365日、毎年毎年、やっていたら、まるで、こちらの『魂までも抜かれかねない』し、又、『生気がなくなってしまう』ことにもなろうか、昔の人々は、実に、今日で云う所謂、科学的な分析的な表現ではなくても、ある種の症状や現象に対して、実に、当を得た、的確な表現をしたことに、感心してしまう。そして、そうした言葉が、今日にまで、伝承されていると云う事は、如何に、多くの人が、それに、納得していたことかを考えると、実に、面白いではないか?私などは、女房殿の話を、右の耳から、左の耳へと、しょっちゅう、聞き流しているから、ストレスが、溜まらないのであろうか?今日、情報の氾濫ということが、叫ばれて久しいが、これでもか、これでもかと、毎日、毎日、情報の洪水の中で、埋没してしまいそうである。まるで、βアミロイドが、脳の中に、ドロドロになって、蓄積していくように、PCのように、古いデータの定期的な処理や、リセット・消去が、一瞬にして出来れば宜しいが、自分の脳というものは、そういうわけにはゆかないものである以上、どうしたものであろうか?店主には、一言だけ、お願いしておいた。『何度も、私が、同じことを言うようになったときには、必ず、その旨、仰って下さいね!宜しく!』と伝えておいて、店を後にした。

 

 


土筆(つくし)を食す:

2016年04月24日 | 男の手料理・食

土筆(つくし)を食す:

もういつ頃のことだったろうか?前回食べたことを、想い出せない、多分、土筆の天ぷらだったろうか?旬のものを戴くことは、自然の恵みに感謝しなければならない。まさに、戴かせて貰うのであろうか?外国人ベジタリアン観光客のお陰様々で、こうしてご相伴にあずかり、戴くことが久しぶりに叶った。今年は、残念なことに、ふきのとうを戴く機会がなかった。気が付けば、少々、例年よりは、顔を出した数が少ないような気がしないでもない。折角、去年は、花が咲いた後に、種をばらまいたのに、、、、、、、。それにしても、食というものは、実に、食べるのは、簡単である。あっという間に、胃袋に吸い込まれてしまうが、実際、自分で、下処理から、すべて、調理の作業を行うとなると、実に、複雑な工程と人力と時間を膨大に、消費するものであることが実感されよう。だからこそ、みんな、お金を払ってでも、外食やレストランで、うまいものを食べるわけだろうか?少しづつ、土筆の炒め物を戴いて、おおいに、旬のものを味わった後で、帰り際に、テーブルの上に、眼をやるとなんと、摘み取られた原材料と下ごしらえの準備段階の半加工原材料が、眼に飛び込んできた。いやはや、その数の多いこと、そして、袴と称する節の外側の皮が、多数、古新聞に、うず高く摘まれている。ありゃりゃ!とんでもない、途方もない手作業による下ごしらえであることが、判ろう。何と言うことであろうか?フライパンで炒めてしまえば、その量足るや、何分の一かに、ショボンと、縮こまってしまう。しかも、箸で、摘まみ、口に運んで、味を味わった後、飲み込んでしまうまでの時間足るや、如何ばかりであろう。全く恥じ入るばかりである。主人に、この次からは、袴を除去する分だけしか、土筆の料理は、食べてはならないというルールを制定しましょうと、苦笑いであった。因みに、土筆は、英語で、Horse Tail 馬の尻尾とか呼ばれるのに対して、日本では、漢字に当てはめると、土の筆と書くのであるから、国は違えど、表現の方法とは、どこか、似ていて、実に面白いことが、判った。たらの芽の天ぷら、ウドの天ぷら、芹の天ぷらと、旬の味を、贅沢に、味わえたのは、レストランとは、又、一味違った贅沢な時間だったのかも知れない。だから、里山の生活には、堪らない魅力があるのかも知れない。毎度、外人観光客を出汁にしながら、こちらも、あたらしい体験と発見をさせて貰えるのは、実に、有難い話である。

 


雲を眺める:

2016年04月23日 | 自然・植物・昆虫

雲を眺める:

久しぶりのことである。前回は、いつ頃だったのかも、おもし出せないが、恐らく、鱗雲が流れるさまを眺めた秋のことであろうか?そう考えると、もう、7ヶ月ほども前のことだろうか?それにしても、やっと、ベランダに、長いすを出してきて、屋外でも寒さを感じることもなく、日向ぼっこをしながら、ゆっくりと空を流れる雲を眺めることが出来るような陽気になってきたものである。山桜は、やっと、満開になり、最後の八重桜の開花を、今まさに、待ち焦がれているところである。相当、ピンク色の蕾も色濃くなり、大きくなってきたので、来週頃には、GWには、咲き誇ってくれるかも知れない。雲が流れるさまを愉しみながら、耳を凝らすと、谷の方角から、野鳥の甲高い鳴き声とピューと云うような、恐らく、鹿の鳴き声と思われる声を、谷風が、暖かい空気と一緒に、運んできてくれる。紅葉の葉達も、どんぐりのコナラの樹の芽に負けじとばかりに、その葉を精一杯、思い切り、拡げようとしているようである。このころになると、もはや、茶色一色の景色も、徐々に、明るさを増してきて、薄緑から、明るい濃い緑へと、その景色の色を変えて行く。この時期の樹々の芽吹きは、何とも、新しい命の芽吹きのようで、実に、気分も柔らぎ、冬の心の装いを、一挙に、かなぐり捨てさるようで、実に、心まで、気分的に、清々しくなるのは、不思議なものである。松食い虫にやられたのではないかと心配した赤松の大木も、無事、その枝に、緑の尖った葉先を忍ばせて、繁っている。昔は、愛犬と一緒に、春の日を一緒に、愉しんだことを、ふと、想い出す。今晩は、たらふく、春の自然の恵みである、たらの芽の天ぷらを戴くことにするか、それにしても、今日の夕方に眺めた夕焼けは、なかなか、素晴らしいものがある。北アルプスの山々が、真っ赤に、燃えているようであった。そして、夜のお月様も、綺麗である。

 


爆買いしない外国人観光客検索キーワード:

2016年04月22日 | 社会戯評

爆買いしない外国人観光客検索キーワード:

だいたい、日本人というものは、幕末明治期の時もそうであったのであろうが、外国人であるビゲローやフェノロサ等による、日本美術の価値の再発見が、なされる以前には、全く、その価値が理解されずに、貴重な文化遺産が、二束三文で、売り払われていたのが、現実であった。それは、今日でも、全く、同じことが通用しているようで、地方都市の住民というものは、全く、故郷の価値を、外国人によってしか、どうやら理解出来ていないようである。それは、スノー・モンキーでもそうであるし、又、インバウンドを担当する一部の役所の担当者も、全く、同様ではなかろうか?たまたま、1週間ほど、観光滞在しているサンフランシスコから、初来日で、やってきた単独行動の女性アーティストと、ゆっくり、歓談していたら、どうやら、これまでに、やってくる人達と、全く、同じコンセプトに、共鳴して、やってきてくれる旅行者であることが、再発見され、色々な貴重な意見を聞くことが出来た。勿論、東京や京都、日光などを巡る予定になっているのは別にしても、何故、この小諸の、しかも、こんな里山の辺鄙な場所を選択したのかから、質問を敢えて初めてみた。そして、どのように、最終的な場所の選定・決定に至ったかを、逐一、質問してみたところ、次のようなことが判明した。Airbnbの英語サイトで、検索を、まず、目的地、例えばKomoro,  次に、Guest House, ハイフンを入れて、続けて、Quiet,  Peaceful,  Art, Music, etc, 自分の望むところのコンセプトを、打ち込んでは、これを新しいキーワードで、場所の選定を行ってゆく訳である。そして、候補を何軒か、挙げておいて、個別に、今度は、そのサイトのReviewを詳しく、読みながら、部屋の内装や、食事の内容を、写真で、確認した上で、予約へと入ると懇切丁寧に、説明してくれた。成る程、やはり、想像していたとおりだ!Good Reviewは、何もしなくても、情報発信の動く発信拠点になるのだ!広告や宣伝などは、全く、不要で、過剰サービスを、むしろ、究極のサービスの削ぎ落としのほうが、むしろ、爆買いをしない外人観光客は、こんな辺鄙な里山にまで、来てくれるのであろう。幾つかの要望も出てきた。駅からの迎えとか、途中でのコンビニとか、スーパーでの買い物が何処で、可能なのかも、サイトには、表記して貰いたいと、成る程、都会では、100mも歩けば、コンビニが、いくらでもあるが、こちらは、車でないと行けないから、、、、、。そして、何もしないこと、景色を眺め、月や星を眺め、地産地消の安心・安全の野菜料理で、この人は、ベジタリアンであるが、結構、イスラムも含めて、ベジタリアンが多く来てくれるのは、有難い、今夜は、日本酒を飲みながら、たらの芽の天ぷらも、ワイワイガヤガヤ、やるのは、異文化交流の上からも、ホテルにはない全く新しい発見であると、布引観音を散歩で、歩いてきたらしいので、布引観音伝説を、英語で、説明してあげたら、大層、感激された。駅前の観光協会にも、顔を入れて写真撮影できる看板があったが、肝心の英語での説明がなければ、意味がない。地方の民話とか、寓話とかを、今度は、少し、ボランティアで、翻訳してみようかな。結構、喜ばれるかも知れない。真田丸より、ずっと、効果的ではないだろうか?桜を愉しんだようなので、是非、今度は、秋のモミジですねと再訪を希望しておきました。将来、アメリカでも、こんな風な場所を、自分で、作って、運営したいと云っていた。

 

 


今年も又、シジュウカラが孵化したようだ:

2016年04月21日 | 自然・植物・昆虫

今年も又、シジュウカラが孵化したようだ:

先日、ツバメが、巣作りを始めたのを偶然、見る機会に接したが、東京の小さな庭の梅の樹に、かけられた巣箱の中から、か弱い声であるが、かすかに、ピーピーという鳴き声と共に、親鳥が、虫を加えては、花桃の樹と梅の樹を往き来しているのを、女房殿が、見つけ出したそうである。確かに、毎年、この頃には、シジュウカラが、毎年、2-3羽づつ、孵化して、巣立ってゆく。もう何年程前になるであろうか?随分と、長い年月が経過した様な気がしてならない。一昨年には、蛇が、梅の樹を登って、巣箱を攻撃しようとしたのも、女房殿は、見かけてもいる。毎年、綺麗に、巣立ちの後には、巣箱の内部を綺麗にお掃除しているから何であろうか?理由はよく分からないが、これまで合計すると、有に10数羽を超えているであろうか?今年も、数週間でもすれば、小鳥達が巣立ってくれると有難いが、、、、、、。小諸の里山にも、やっと、桜の花が、咲き始めてきた。そして、モミジの葉たちが、やっと芽吹き始めてきた。

 


小諸観光協会、電動アシスト自転車レンタルを試乗する:

2016年04月20日 | 社会戯評

=小諸観光協会、電動アシスト自転車レンタルを試乗する:

ブリジストン、STREAMというスポーツタイプを小諸駅内で、3時間(1500円)で、試乗体験してみた。なかなか、優れものの電動アシスト自転車で、急峻な坂道も、スイスイ、それ程、脚に力を加えなくても、漕いで、登ってくれる。今回は、小諸駅前から、御牧ヶ原、山浦にある茶房、読書の森まであぐりの湯経由で、往復試乗することにしてみた。

グーグルマップに寄れば、徒歩では、約Ⅰ時間、車で約15分、距離で、約7キロ程度であると、この自転車は、8段ギア変速で、、バッテリーの残量、距離、消費カロリー、スピード、バッテリー・アシストの選択度(強・標準・エコ)の三段階、で、下りでは、ブレーキと同時に、充電も可能になるという。実際に、今日の試乗では、行きが、30分、帰りが、20分程で、下りの坂道は、30キロ以上、上りの坂道でも、時速、11から15キロ、かなりの急峻な道でも、ほとんど、脚を漕いでいれば、負担なく登ってくれるのは有難い。向かい風のハンディを勘案すると、もっと、スピードがでていたのかも知れない。しかも、消費カロリーが、何と、960キロカロリーという有酸素運動プラスで、これは、糖尿病や運動不足を解消・サポートしてくれそうである。

出来れば、初回体験は、お試しで、半額サービスとか、期間限定、外人観光客には、無料貸し出しの特典があれば、口コミで、拡がるのではないだろうか?何でも、小諸から、軽井沢まで、この自転車で、往復できるそうである。こうなると、車の渋滞に、駐車場探しに、イライラすることもなさそうである。充電も家庭の電源にバッテリーを1時間挿すだけで、フル充電できるそうである。蛍光塗料の目立つ三角フラッグに安全ポールをつけて貰いたいところである。そうすれば、宣伝にもなると思われるが、、、、、、、。地元企業の広告もつけたりしても、よいのではないだろうか?インバウンドの観光客向けにも、英文で、簡単なパンフをつければ、更によいので、ボランティアで、作ってみよう。

SNSの未だ顔を見たことのない友人から、金沢での電動自転車のサービスの詳細をネットで、連絡して貰ったが、既に、こうしたサービスが、地域の活性化にも、繋がる側面をもっているのかも知れない。エコ・サイクリングとか、何でもよいから、こういうことが、拡散・シェアーされれば、おおいに、よろしいのではないだろうか、今後に、更に、期待したいところである。試乗の感想などをフィードバック出来るところが、ネット上にでもあれば、尚、結構である。皆様も、是非、一度、お試しください。

金沢のサービス: http://www.machi-nori.jp/

 


電動アシスト自転車のサービス開始に期待する:

2016年04月19日 | 社会戯評

電動アシスト自転車のサービス開始に期待する:

もう3年ほど前になるであろうか?小諸の審議委員会で、電動自転車の導入を提言したことを想い起こすが、小諸観光協会が、いよいよ、このサービスを小諸駅内への移転と同時に、サービスを開始するというニュースを知った。何でも、駅から、高峰高原の上の方まで、すいすい、走って登って行けるという触れ込みだそうである。今後、観光ルートの整備とか、バッテリーチャージ・ポストの増設とかを逐次、実施してゆくそうである。一方で、既に、地方での住民の脚は、サービスの低下をきたしていて、主たる観光地への脚は、勝手に、自動車で、云ってくれと言わんばかりのていたらくである。一方、インバウンドの増加が叫ばれて、喧しいが、これとて、脚の確保がなければ、どうしようもない。先日、NZから来たアーティストの海外観光客と話をしていたら、これは、クール!と喜んでいた。私のような若干、歩行に難儀している人間には、サイクリングも、多段ギアーの自転車であっても、坂の町の小諸では、とりわけ、里山などの急峻な坂道・山道は、どうしようもない。早速、実証実験で、体験してみることにしようかな!よければ、独自購入の検討もすることにしよう。観光と地域振興にも、結びつけたいところである。長いポールで、安全も兼ねて、目立つように、宣伝すればよいのに、或いは、SNSでも情報発信すればよいのに、まだ、どうやら、知恵が足りないらしいのは、残念である。まぁ、所詮、官のやることは、この程度しかない以上、民間が、もっと、考えなければならないだろう。それでも、一歩前進だろうか。やらぬよりも、ましであろうか。


地震報道にみるテレビ・メディアの限界:

2016年04月17日 | 社会戯評

地震報道にみるテレビ・メディアの限界:

つい少し前に、ブラタモリでやっていた『熊本城』にみる火と水の都を、みたところだったのに、誠に、無惨にも、天守閣の瓦や石垣が崩れ去ったものである。活断層や断層の上にしか、日本という火山国は、住まいを作れない以上、いつ、何処にでも、同じ災害に見舞われるとは限らない。何も、古い家ばかりでなく、新築でも、ひび割れでも入れば、考えてみれば、そこで、生活するのは、難しいことになることは必至であろう。テレビの報道を観ていると、如何にも、テレビ・メディアというものは、『被災者の立場』に立った『必要な情報』が、提供されず、結局、他人事のような客観的な分析、地震のメカニズムとか、何秒、どんな揺れがありましたかなど、そんなことは、東日本大震災で、嫌と云うほど、その瞬間には、身を守ることが、最優先で、後追い以外の何ものでもない。そんなことよりも、交通手段、道路状況、水や食料・ガソリンの確保、避難場所、安否確認のやり方、携帯電話の電源確保、など、そうした被災者の必要とする情報は、結局、一部のネット・メディアでしか、機能していないことが、はっきりした。一体、どのようにして、災害時に、情報にアクセスするのか、そして、どんな情報が、求められているのか、などは、これまでの阪神淡路・新潟中越・東日本など、いくらでも、あるはずで、これこそ、メディアの役割ではないだろうか?気象庁などと云うところは、余震・本震・予震などや、活断層のずれの説明されても、一体、被災者の現場に、どれ程の効果と助けになるのであろうか?又、地震の予測などは、直下型に関しては、難しい以上、面白、可笑しく、外れたとか、当たったとか、囃し立てても、全く、被災者には、意味がなかろう。そういう意味からすれば、テレビの報道は、如何にも、改めて、その限界性を露呈したことになるが、それでは、どうするのかが、議論されなければならないであろう。

 


ツバメの巣作りに出会う:

2016年04月15日 | 旅行

ツバメの巣作りに出会う:

小諸の北西部にあるとても景色がよい糠地の里山生活体験宿である、青雲館と、今後の地域活性化での緩いネットワーク作りに関して、意見を交換するために、来たところ、庭先に張られた線の上に、尾の長い鳥が、二留まっているのが、眼に入ってきた。ひょっとして、あれは、ツバメかもと、眼を懲らせば、確かに、嘴、赤い色が一寸、見られる長い羽である。宮坂さんの話では、毎年来るので、軒先には、木製の板で、巣を作りやすいように、しているそうである。何でも、150年以上前の古民家であるから、きっと、昔から、毎年、はるばる、海を越えて、やってくるのであろう。暫くすると、一和が、地上に舞い降り、歩き出しては、止まりながら、何やら、雨が降った後の土をつついている。虫にしては、何やら変である。『そうか、巣作りの泥をついばんでは、運ぶのか!』と思いきや、軒先へ、サッと飛んで来て、嘴で、その泥を木の板のうえに、くっつけているようである。やがて、一羽から、二になり、つがいであろうか、交互に、泥を運び始めた。都会では、酢が出来上がったのを見かけるものの、なかなか、貴重な瞬間である。家人によれば、毎日毎日、必死の思いで、泥土を運び込むそうである。多少、軒下が、泥で、汚くなるが、縁起もので、縁起がよいというので、毎年、受け容れていると、成る程、そう言えば、昔、南タイのハジャイという都市部で、海岩ツバメが、民家の窓から、家の中に入り、その家は、燕の巣のお陰で、大金持ちになったという話を現地の人から聞いたことを想い出したが、毎年、燕がやってくるのは、まるで、家族が、増えて、舞い戻ってくるかの如きで、縁起がよいではないだろうか?何も、金持ちにならなくてもよいから、何やら、『招福』ではないが、健康で、安心安全に、毎年毎年、一緒に、無事、暮らせるように、戻ってきてくれるのであれば、それも、宜しいではないか?150年前の家人のご先祖さまも、同じような事を思っていたのかも知れない。そんなことを思いながら、眺めることも、又、日々是好日でもあるのかも知れない。今年、初めて、偶然に、こんな現場に遭遇するとは、面白い巡り合わせである。貴重な瞬間を撮影してみた。軒下は、一寸無理だったが、、、、、、。

http://seiunkan.com/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9-2/

 


自動車保険に考える:

2016年04月13日 | 社会戯評

自動車保険に考える:

従来ならば、車を買ったディーラーから、進められるに任せて、自動車保険も、高い保険料を支払っていたものであるが、最近では、ネット・アプリで、簡単に、同一条件であれば、何処の会社が、自分にとって、一番安いかが、比較して、見られるサイトもあるようである。そんなことで、距離分だけを優先して、少しでも、安くあげようとあの手この手のネット勧誘やCMであるが、何でも、自動運転が部分的にでも、可能になってくると、大分、事情が異なってくるらしい。確かに、自動ブレーキ、車線変更、縦列駐車、バックモニター、自動点灯装置など、或いは、ドライブレコーダーとか、ハイテク化されてくるに連れて、当然事故リスクも、低減してくるのかも知れない。運転履歴や走行中のビッグデータの解析が可能になれば、ここのドライバーに応じた個別の保険料の算定と云う事も夢ではなくなろうとしている。もっとも、GPSで、すべての草稿場所と時間があからさまになると困る人間も間違いなく、出てくることは確かであろう。知らぬ間に、こうしたビッグ・データの解析が、女房殿の手許に送られてくると謂うようなサービスも、まんざら、遠い将来の話ではなくなるであろう。もう、今日では、一定の基準や、決まり切った型どおりのクライテリアでのみ、安全性とか、事故リスクの予見を解析する時代が過ぎ去ろうとしているのかも知れない。こうなってくると、それこそ、生命保険等も、間違いなく、日常生活でのビッグデータが、例えば、何を食べて、どのくらい酒を飲んでいて、煙草を何本喫っていて、家族の病歴データから、Aiを活用して、健康年齢ならぬ余名を、算定して、保険料を弾くとか、、、、、様々な応用が、無限に拡がってくることになるのかも知れない。それに比べて、カントリー・リスクとか、貿易リスクとか、地政学的リスクなどは、まだまだ、アナログなのかも知れない。少々、考えさせられてしまう。

 

 


一寸、気になるCM:

2016年04月11日 | 社会戯評

一寸、気になるCM:

いやはや、誠に、残念至極である!何でも日清食品のCMで、ビートたけしや矢口真理などが、出演した大学講座仕立てのCMが、放送中止になってしまったそうである。一度も見たことがないので、コメントのしようがないけれども、見てみたかったものである。何が、中止に至った原因であったのかに、大変、興味が沸きますね。何が、不適切であったのか?そして、何処に、視聴者からのある一定程度の数に上る苦情が、あったのであろうか?更には、スポンサーである、その企業イメージと、そのCMとは、どういう点で、齟齬が生じてしまったのであろうか?どうやら、ネットでの検索だけでは、事情がよく飲み込めないのも、事実である。そこで、お蔵入りになったこのCMを、検索キーワードで調べると、しっかりと、You Tubeには、アップされていて、再生可能なようである。(既に、削除されてしまったとも、謂われているが) グローバルな世界に通用するおバカ人材を育成する Obaka’s University、Crazy makes the Future (英語を敢えて、使用しているのが、憎い!) 特に、視聴者の顰蹙を買うようなモノではないとも感じられるが、確かに、これまで、不倫やゴースト作曲家とか、事実が異なるとかで、世間を賑わせた人達(矢口真里・新垣隆・ムツゴロウ・小林幸子)が、ビートたけし学長の台詞の中で、登場してくるのであるから、一般的な世間の『常識・倫理観・禊ぎ感』から、確かに、受け容れがたい、考えられない視点なのかも知れない。それでも、ターゲットを若者に据えていたにも拘わらず。こういう結果に納まってしまったと云う事は日本社会の中で、まだまだ、テレビ媒体での、或いは、CMの世界で、『ブラック・ヒューモア』のようなモノが、定着していないことを物語っていることになるのであろうか、いささか、残念な気がしてならない。同じビートたけしのCMでも、ライフ・プランナー保険のほうは、本音を逆手にとっても、こちらは、問題なかったのであろうか?多少、ヒューモア感が、あった方が、やはり、『ブラック・ジョーク』よりは、毒気が薄められるのかも知れないが、そのさじ加減が、難しい所だったのであろうか?スポンサーの一方的な言い分ではなくて、制作側の言い分を聞いてみたいものである。バドミントン選手の出演は、間に合わなかったのが、残念でならないが、、、、、。その前に、放映中止では、致し方ない。『馬鹿にならなければ、世の中を変えられない』というメッセージ性にも、今日の時代を暗示しているのであろうか?こっそりと、もう一度、見直してみることにしよう。私同様、まだ、見られなかった方々には、見られることをお薦めしたい。そう言えば、昔、小指を出して、『私は、これで、会社を辞めました』というCMが、あったことも、想い出した。日清の次のCMに期待したいものである。果たして、時代を切り裂くような衝撃的なCMは、打ち出せるのであろうか?期待できるのであろうか?

 


相乗りバスと人ものバスと:

2016年04月10日 | 社会戯評

相乗りバスと人ものバスと:

30年ほど前には、JRバスが、走っていたものの、廃線となってしまい、スミレ号なる地域路線のバスサービスに、変更され、地域の脚の確保を目指すと言うことで、何とか、存続されていたが、これも、採算の悪化ということで、サービスの時間も、極だって、少なくなり、住民の脚の確保には、全く機能していなかった。そして、とうとう、デマンド・相乗りバスという形で、4月から、朝夕の一部のサービスを存続して、登録制の利用を促すことになってしまった。先日、インバウンドで旅行中のアメリカ人観光客に、小諸の懐古園から、あぐりの湯までのバスの時間と停車場を教えたにも拘わらず、結局、駅の停留所が分からずに、車で、迎えに行く羽目になった。考えてみれば、地域住民の脚ばかりでなく、散々、インバウンドの観光客数の増加を目玉にしているにもかかわらず、全く、観光客の脚や、アクセスを考慮していない地方都市行政の在り方は、一体、如何なものであろうか?これでは、地域住民も観光客も、全く、置き去りでしかない。そんな中、ヤマト運輸が、岩手県で、或いは、宮崎県で、補助金も貰うことなく、地域の民間の知恵を出し合うことで、『人と貨物の相乗りバス』を、採算的にも、成功裏に、運用しているというニュースが、報じられていることを知った。宅配便も過疎地の住人の脚も、更には、その延長線上での福祉・見守りサービスまでも、一挙に実現可能となり、関係者一同、おおいに、メリットを享受していると言うではないか?200万円程度のバスの改造費で、こうした素晴らしいサービスが、実現するのであれば、それこそ、各地域、或いは、広域連携でもって、共同で、運行を検討すべきではなかろうか?何事も、知恵を出し合えば、一挙に、解決がつくこともあるのかも知れない。それにしても、何故、こうした事例の共有化が、進まないのであろうか?

 


ICIJによる租税回避者リスト(パナマ文書)の公開:

2016年04月09日 | 社会戯評

ICIJによる租税回避者リスト(パナマ文書)の公開:

ハッキングされたかどうかは、分からぬが、パナマ法律事務所の文書を独自に、国際的な国境を超えて、(International Consortium of Investigative Journalists 略称:ICIJ国際調査報道ジャーナリスト連合)ジャーナリスト達が、分析し、一部を公表したもので、その団体数足るや、21万余に及び、文書総数は、1150万点にも達するそうであるが、一体、どれ程の内容なのであろうか?そう言えば、FIFAの賄賂の問題が、表面化した後に、メッシ親子が、ケイマン諸島で、租税回避措置を執っていたとかで、スペインの税務当局から調査されているというニュースを知っているが、考えてみれば、中国共産党の幹部達にも、米国での親族名義の隠し資産などを、公開したら、或いは、金正恩の北朝鮮個人資産を、公表したら、戦争どころではなかろうにと、以前から、謂われていたが、実際、プーチンも、習金平も、所詮、同じ穴の狢の如く、公然と、名前が挙がってくることに、何も、今更、驚きを隠すこともなかろう。それにしても、今日の世界は、国境なる物を、カネは、簡単に、越境してしまうものである。考えてみれば、昔の大航海時代でも、鼠などは、或いは、蟻や蚊なども、容易に、伝染病ですら、簡単に、国境を超えてしまうのであるから、別に、インターネットによる情報の国境越えや、租税回避が公然と行われても、不思議ではなかろう。もっとも、国家という一定の枠組みでしか、富の移転は、制限されるしかない以上、今日的な問題である、富の格差などは、国際的な一定のルールの中で、相互監視制度が、必要になってくることは間違いなかろう。どんなに、言論の統制や情報の遮断を試みようと、例えば、爆買いで来日する中国人観光客に、本件を、直接尋ねてみたらよいであろう。その口から、又、他の口へと、瞬く間に、マスメディアよりも早く、中国国内へ伝播することは間違いないであろう。北朝鮮は、少々難しいかも知れないが、中国は、容易であろう。そう考えてみると、観光というものも、一種の外交戦略の一つとして、機能するのかも知れない。今後の詳細な解明が待たれるものの、ボディー・ブローのように、じわじわと、これから、色々な情報が、明らかにされてくるかも知れない。国境なき医師団や、国境なきジャーナリストではないが、既に、タックス・ヘイブンの地では、マネー・ロンダリングされた国際的な様々な首脳の懐と死の商人やテロリストやマフィアの資金マネーも、糞も味噌も一緒くたに、きっと、共存共栄しているのであろう。一体、全世界の富と謂われるものの何%くらいが溜められているのであろうか?『we are NOT 1%』の人間には、興味深い内容である。果たして、どれ程、週刊文春は、採り上げるのであろうか?!

 


超高速AIトレーダーに果たして、勝てるのか?:

2016年04月08日 | 社会戯評

超高速AIトレーダーに果たして、勝てるのか?:

株高の潮目も大凡、変わり目に来たようで、機関投資家ならいざ知らず、素人の眼には、一休みとゆきたいところであろうが、何でも、米国仕込みの機械による自動株式売買システムなるものが、しかも、驚くべきことに、AIを駆使して、更には、超高速でもって、人間には、出来かねるような経験と学習と予測を、瞬時に、行ってしまうようなシステムを、大手の野村證券が、導入を検討しているとか、報じられている。これでは、素人の投資家などは、ひとたまりもないではないか?電話による旧来の株式売買が、ネット証券や、コンピューター・システムを導入したデイ・トレーダーでも、何台ものスクリーン画面を見較べながら、最終的には、人間が判断していれば、まだしも、もはや、ここに至っては、AIなる人工知能に、熟練トレーダーの役割をも、担われる羽目になるとは、どうしたものなのであろうか?一秒の何百・何千分の一の差で以て、勝負が決まってしまうような高速化と機械化の波に対する、『不平等』は、議論されることはないのであろうか?競争の平等性は、何処かへ、ぶっ飛んでしまったのであろうか?売りと買いを同時に、機械が、超高速でそのタイミングを逃さずに、完了して、一円の利ざやも、負けることなく、勝ち取るそういうシステム自体に、問題はないのであろうか?もう、これまでの直感とか、経験に頼るような手法は、通用しなくなりつつあるようでいて、密かに、不平等、同じ土俵での相撲は、難しくなりつつあるように思われる。それにしても、これでもか、これでもかと、技術の方がどんどん、法律や現状を追い越していってしまうのであろうか?