小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

食卓に花を飾ってみる

2012年08月31日 | 男の手料理・食
食卓に花を飾ってみる
以前、箸置きのある風景ということを述べたことがあるが、食卓というのは、たまに、非日常性を演出してみると、結構、愉しいものである。例えば、箸置きでもよいし、ランチョン・マットを敷いてみたり、箸を一寸凝ったものにしてみたりと、そんな中で、ミニ花器に、一寸、庭の花を差して、食卓に、飾ってみると、日常の食卓風景が、ガラリと変わることが分かる。日本人だから、大きな花ではなくて、小さなミニチュアの花器で、それも、自然な岩肌のような模様の花器であれば、尚更、宜しい。花でなくても、樹の枝や葉っぱでも良いのではないか?そんな非日常を、毎日の食卓の中で、たまには、エンジョイしてみても悪くはないのでないだろうか?キャンドルも、悪くはないか?料理も、お酒も、少しばかり、美味しいと感じられる。




Japanificationという言葉を考える

2012年08月30日 | 社会戯評
Japanificationという言葉を考える
或いは、Japanizationという言葉が、今や、欧米では、新たな言葉として、使われ始めているそうである。それも、「決められない」、「問題の先送り」というような意味合いで、使用され始めているそうであるが、、、、、、、、、。何とも、困ったことである。今や、「日本化」とは、そういう意味合いなのであろうか?翻って、「中国化」とは、果たして、その対局にして、どういう意味合いになるのであろうか?「和を以て尊し」、「異文化を吸収する」とする調和の精神が、いつの間にか、「玉虫色」、「優柔不断」、「不作為という作意」等に、変質してしまった今日、改めて、海外からの日本に対するこの言葉遣いの意味合いを、考え直して見なければならない。言語化される背景にある意味合いとは、、、、、、、、。そして、その行き着く先にあるものは、、、、、、。昔、「アメリカナイズ」されるという言葉があったが、皮肉にも、「日本化」という言葉を、まさか、失われた10年や20年と同様に、聞くようになるとは、、、、、何と言うことであろうか? 一度、外国の友人にでも、尋ねてみることにしよう、、、、、、、。その本当の意味とは、、、、、、?どのように、日本人は、克服するのか?



草間彌生、「永遠の永遠の永遠」展を体験す

2012年08月29日 | 伝統工芸・展示会
草間彌生、「永遠の永遠の永遠」展を体験す
長野県は、文化については、極めて、積極的な県であるが、とりわけ、松本市は、際だって、音楽・芸術・文化活動に、力を入れているように感じられる。やっと、車で、山の神が、小諸に迎えに来てくれたので、この機会を利用して、見逃していた草間彌生の「永遠の永遠の永遠」展を、「体験し」に松本市美術館へ行って来た。幼少の頃から、統合失調症によるのか、幻聴や幻覚から、逃れるために、素描や絵を描いたりし、とりわけ、自殺の恐怖から自身を守るために、水玉(ドット)を埋め尽くすようになったそうである。それは、幼少時に描かれた母の絵にも、既に、表出されているそうである。生と死を見つめる対局に、永遠を凝視し、「わが永遠の魂」、「信濃の灯」、「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」、等、万華鏡、シャンデリア、ミラーや、光、暗闇、水、閉ざされた空間、ランプ、等を駆使して、変幻自在に、空間を、上に、下に、右に、左に、斜めに、縦横に、無限に、拡がりを作ってみせる。その手法は、場所や、部屋や空間全体を作品として体験させるという不思議な体験、作品の中に、自らの全身全霊を囲ませるという未体験ゾーンのインスタレーション・アート(Installation Art)という手法である。自らを、ピカソやA・ウォルフォードをも超える天才と位置づけるなど、ランド・アートや環境アート、60年代の反戦・平和活動のパフォーマンス・アートにも、その創作意欲は、止まることはない。それにしても、83才にもなるこの小説家でもあり、稀代の芸術家でもある年老いた女性クリエーターのどこに、そんな創作エネルギーと想像力が、潜んでいるのだろうか?長い間、日本を離れ、芸術の可能性を海外に、求めたのは、一体、どのような理由だったのであろうか?作品を眺めていると、何とはなしに、理解出来るようになる。日本という既成の枠には、確かに、はまらないことは、間違いない。ビデオの中に映る草間の創作現場での、四辺からそれぞれ、ぐるりと廻って描き出し、色つけをしては、又再び、塗り替えし、何度となく、上塗り替えしては、最終的に、見るべき上下・左右の方向を決定し、題名を決定してゆく。モノクロの「愛はとこしえ」シリーズや、逆に、極彩色の「わが永遠の魂」シリーズの題名とそこに描かれたデザインは、何度、見較べながら眺めても、なかなか、理解するのは、難しいモノがある。こんな大きなシルクスクリーンやキャンバスに、一体、どのくらいの時間と膨大なエネルギーを費やして、肉体的にも、精神的にも、その持続力を維持して、描けるのであろうか?いきなり、驚かされる玄関受付に展示されている巨大なバルーン・アートの作品や、中庭の大きな南瓜のオブジェ、といい、松本駅からの循環バスの水玉ペインティング、自動販売機、美術館の建物それ自体までも水玉模様に染めてしまうその芸術的な魔術には、度肝を抜かれるとしか言いようがない。この展示は、アートとは、客観的に、観るのではなくて、その身を置いている空間までも一つの作品と化してしまうことを、初めて「体験」する貴重な未体験ゾーンであるように思える。それにしても、これらの作品を展示する人達は、さぞかし、大変だったのではないだろうか、、、、、、、、、と思った。是非、観るのではなくて、「体験」して貰いたいものである。11月4日まで、松本美術館にて、、、、、、、、開催中である。




桔梗の花を撮る

2012年08月28日 | 自然・植物・昆虫
桔梗の花を撮る
楚々とした蒼紫色の5弁の星形の花は、秋にふさわしく、花言葉も、清楚、貴賓、誠実、従順、変わらぬ愛という意味があるらしい。毎年、冬の前には、尖った種の先が割れて、種子が自然に、こぼれ落ちることになっているが、秋の長雨などにあって、この種が、湿ってしまい、割れないことが多々ある。その時には、尖った先を手で割って、種を、周辺に、ばらまいてやると、翌年には、決まって、綺麗な花を咲かせてくれる。黄色いオミナエシの花も、同じ頃に、周辺に花を咲かせるので、同じように、種を周辺に、ばらまいておくことにしている。確かに、桔梗の清楚な花も、オミナエシの花も、初秋の花として、季節の変わり目に、我が眼を愉しませてくれる。何ともその蒼紫色と黄色の色の取り合わせが、何とはなしに、宜しいではないか?それに、赤紫の萩の花が加わって、愉しげな初秋の庭の風情である。



手塚治虫著 「ぼくのマンガ人生」を読む

2012年08月27日 | 書評・絵本
手塚治虫著 「ぼくのマンガ人生」を読む
病気療養中につき、本を読む持久力が、随分と落ちてしまったことに、気がつく。それとも、歳のせいだろうか?谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」を、手塚は、読んだことがあるのではないかということを、何かの書評で、読んだことがある。それが、鉄腕アトムの主題歌と作品にも、反映されていると、、、、、、。(主題歌の作詞は、彼が自ら依頼した谷川俊太郎である。) 子供の時に、随分と、本人は、その特異な風貌と行動により、「いじめ」にあったと言うが、当時の友人達は、必ずしも、そうではないと否定しているそうであるが、、、、、。そんな天才、手塚も、ウォルト・ディズニー同様、創作家、クリエーターとしては、稀代の天才であっても、必ずしも、実業家、金儲けの世界では、むしろ、敗北者のレッテルを貼られても仕方ないところがある。しかしながら、彼の人一倍すごいところは、それでも、自分の才能が、クリエーターとしては、十分価値があることを自覚し、又、ベビー・カーで、有名な「コンビ」の支援者から、その価値を引き出して貰い、再起したことである。彼の哲学には、一貫として、テクノロジーの対局に位置する「人間らしい生活の見直し」教育を、子供の時から、心掛け、自然界との相互関係を地球的規模の中で、考えさせるという哲学が、様々な作品に、共通している。命の大切さ、暖かい心、子供の幸せ、夢を、冒険心を育む教育の追究の過程でのマンガを、彼の幼児期の孤独と闘争心とが、作品の中に、投影されているような気がしてならない。彼の座右の銘である「一期一会」と言う言葉も、成功と挫折の中で、「肩書きは要らない」という言葉の背景にあるようである。「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝」、「ファウスト」、「火の鳥(復活篇)」、「ブッタ」、「リボンの騎士」、「三ツ目がとおる」、「ブラック・ジャック」、「アドルフに告ぐ」、等、すでに、アニメ文化が、海外にも、影響力を持つ時代であるが、魁として、国境を越えて文化を伝達した功績は大きい。子供向けのマンガというよりも、今や、子供大人と化した大人にこそ、普遍性を持っているような気がしてならない。まだ、読んだことのない題材も、一度、こんな背景を再確認して、手にとって読んでみたくなった。今日の「いじめ」の問題についても、存命していたら、何とコメントしているだろうか?作品の中にしか、答は、今や、見いだせないのが、残念である、、、、、、、、、、。



今年も、マクワウリを食す

2012年08月26日 | 男の手料理・食
今年も、マクワウリを食す
管理事務所の野菜産直売り場に、サービス品として、マクワウリが並べられていたので、早速、幾つか、戴いてきた。何とも黄色というか、熟した黄金色が、美しいし、何とも言えない甘い瓜の香りが、漂っている。子供の頃は、まだ、アンデス・メロンが市場に紹介されるまでは、氷水を桶の中に、張って、そこに冷やしたものである。種が多いので、どろっとした綿のようなものを、フォークの先で、はじいて、よく、おやつに、食べたものである。メロンの濃厚な味とは違い、未だ、瓜独特の味が、残っているマクワウリは、当時としては、それなりに、贅沢な果物だったのかも知れない。そんな子供心に、記憶の片隅に、残っている味わいと香りである。今にして思えば、メロンや、アップル・マンゴー等に、較べると、ずっと、味も較べものにならないが、薄味の子供の頃のおやつを想い出すこのマクワウリは、私にとっては、真夏に、一度は食したい果物になっている。今年も、又、食する機会が出来たことに、感謝したいものである。又、夏の一日が、過ぎ去ってゆくようである。



ミンミン蝉の声を聴く

2012年08月25日 | 自然・植物・昆虫
ミンミン蝉の声を聴く
都会では、蝉の声は、何とも、自然が残っている感じで、耳心地が宜しいが、小諸の里山で、聴くミミン蝉の声は、何とも、腹の底から、苦しそうに、逝く夏を惜しむかのように、絞り出すように、これでもか、これでもかという風に、徐々に、そのミーンミーンという声の調子を上げてゆく。ベランダの木陰で、うたた寝でもしていると、突然、鼓膜の底から、大きく振動するようなあの声が、響いてきて、その鼓膜の振動が、耳にこびり付いてしまう。おまけに、アブラ蝉との競演では、堪ったモノではない。夕方や明け方にかけて啼くヒグラシの声に較べると、随分と、情緒が乏しいような感じがしてならない。6月の春蝉に始まり、蝦夷蝉、アブラ蝉、ツクツクホウシ、ヒグラシと3ヶ月余り、泣き続けた蝉の声も、まもなく、今年も、終わりを迎えようとしている。既に、秋茜が、澄み切った青空を高く飛び回り、桜の樹の枝の先端で、羽を休めている。賑やかな蝉の声も、夜は、虫たちの鳴き声に、取って代わられようとしている。何とはなしに、晩夏から、初秋への装いが、漂い始めてきた。



冷製「ガスパチョ」と「枝豆」スープを作ってみる

2012年08月24日 | 男の手料理・食
冷製「ガスパチョ」と「枝豆」スープを作ってみる
東御市の湯らり館のレストランに、家族で、久しぶりに、食事に行ったところ、冷製スープの「ガスパチョ」が、出された。自家製のキュウリやトマト、セロリ、ニンニクなどを使用した夏らしいスタミナも、栄養面でも、なかなか、魅力的な味のスープであった。そこで、自宅でも、トライしてみようかと、スーパーのレシピー・メモが、たまたま、あったので、早速、それなりの原料を使用して、ミキサーを駆使して、作ってみた。トマトを湯むきしてみたが、イタリアントマトの缶詰でも、良いかも知れない。その方が、色目も、もっと、赤い色が、強調されて良かったかも知れない。玉ねぎも、ニンニクも、一寸、多かったかも知れない。しかし、色目は別にしても、味は、まあまあ、思ったよりも、良かった。氷で、ミキサーしているので、それなりに、冷たい冷製スープになった。夏の暑い日には、最適なスープではないか?野菜嫌いの子供にも、簡単に、出来て、これは良いかも知れない。一々、改めて、冷蔵庫で、冷やす必要もない。夏には、大変便利な、身体に優しいスープである。ついでに、毎日、露地物の枝豆を、蒸して、食しているが、これを冷製「枝豆」スープに作ろうと、薄皮まで、取りながら、(これが、一寸、手間ではあるが、、、、、)チキン・コンソメと玉ねぎ、牛乳を加えて、やはり、ミキサーで、一挙に、作り、冷蔵庫で、冷やしてみる。なかなか、こちらは、色目も、緑色が残って、涼しげである。枝豆の味も、しっかり残っていて、実に、美味である。夏には、うってつけの二種類の冷製スープである。この調子ならば、甘いコーン・スープも夢ではなさそうである。一度、改めて、挑戦してみることにしようか、、、、、、、、と、、、、、、、。



排外主義という亡霊達

2012年08月23日 | 社会戯評
排外主義という亡霊達
いつの時代でも、国が危機的な状況に陥るときには、その矛盾をそらすために、民族主義的な排外主義の台頭が、時代を超えて、出てくるものである。ましてや、それが、「反日・愛国無罪」という「国是」と化した場合には、政治的に意図しようが、しまいが、実際に、コントロール不能の様相を呈してしまう可能性を内包しているのが、現実である。幕末のファナティックな常軌を逸した攘夷運動も、後の世から観れば、そのような種類の範疇かも知れないし、義和団事件も、最近の「反日・愛国無罪」教育も、竹島・尖閣の問題も、それらとは、全く、無縁ではないであろう。全く、厄介な問題である。海洋国家であること、貿易立国であるという認識は、普遍性を持つことは、間違いあるまい。しかしながら、戦後、「平和・協調」を旗印に、掲げて、矛盾を内包しながらも、玉虫色に、処理していた事柄が、今や、通用しなくなり、今度は、相手国の政権末期などと、自分のことも、棚に上げて、一方的に、言うだけでは、解決が付かないであろうことは間違いないであろう。「裸官」と言う言葉が、示すように、自国の民衆の富を、自己利益の為のみに、私することは、反日・愛国の排外主義でも、問題解決できないことは、自明の理である。日本の右傾化を促しても、結局は、自国の利益にはならず、権力闘争という名の下に、如何なる得があるのであろうか?強制送還も、ビジネスクラスで、英雄・凱旋帰国気取りで、スポンサーの実業家の中国共産党や、人民解放軍との関係も明らかなのに、又、フェニックスTVなる得体の知れない親中メディアといい、既に、もう、「情報発信戦争」の段階である。又、同じ問題が生じ、徐々に、エスカレートしてゆくのは、ひをみるより明らかである。お互いの軍隊が全面に出ないまでも、実質的な民兵組織や名を替えた形のダミー民間愛国団体VS海上保安庁という図式が、近い将来の行き着く先を示すことになるかも知れない。いつから、互いの人脈・パイプが、詰まってしまったのであろうか?歴史認識の違いだけなのか?それにしても、互いの人脈が、世代交代と共に、あっさりと、パイプが、壊れてしまうのは、一体、どうしたものか?排外主義の暴発的な行き着く先は、歴史が、教えているが、、、、、、、。毅然とした断固たる冷静な態度とは、ポピュリズムに迎合しないことは、日清・日露の戦後外交交渉、戦前の対米英外交交渉でも、歴史が証明している如く、日本・韓国・中国でも、どこの国でも、共通することで有り、互いに、知恵を出し合わない限り、解決がつかないかも知れない。周恩来も鄧小平も、きっと、後世の人達に託した知恵が極めて、お粗末だったことに、今、初めて気がついているのかも知れない。その時代には、それが、最良の選択だったかも知れないが、、、、、、。日本のソフト・パワー、外交交渉、海外情報発信の度量が、改めて、問われることになろう。



今年も、萩の花を活けてみた

2012年08月22日 | 自然・植物・昆虫
今年も、萩の花を活けてみた!
未だ、暑い夏の終わりだというのに、既に、庭の周りの草花は、秋の準備である。桔梗や黄色いおみなえしの花も咲いている。毎年、種が、出来たときに、そこらへ、さりげなく、播き散らかしておくと、次の年、花を咲かせる。今、萩の花が、真っ盛りに、咲き誇っている。程なく、空の雲も、次第に、その景色を入道雲から、鰯雲へといつの間にか、変えて行くことになるが、、、、、。茶色の小さな茶器に、我流で、今年も活けてみる。毎年同じの進歩がない構図である。それでも、食卓のテーブルの上に、さりげなく、中央に置いてみると、食卓が、ほんの少し、輝き、心が豊かになったような気がするのは不思議である。雑草と思しき花々も、時々、手折っては、活けてみるが、これも又、結構品があってよろしい。春は、黄色いタンポポの花でも綺麗である。草の葉でもよいらしい。2-3日で、枯れてしまうが、枯れたら枯れたで、又、活ければよい。すすきの穂が出るのには、まだ、一寸、早いが、、、、、、お月見をしながら、又、日本酒を飲みたくなるものである。今年は、入院生活とリハビリで、夏の花火大会を観る機会を逸してしまったが、来年は、又、花見同様に、観たいものである。夜になると、虫の声が、ひときわ、甲高く、聞こえ始める今日この頃である。夜は、もう、かなり、涼しくなってきた。



リハビリ歩行から見える違った景色

2012年08月21日 | 社会戯評
リハビリ歩行から見える違った景色
20分間でも片道、杖をつきながら、リハビリ歩行してみると、歩行弱者になる前には、感じられなかった風景が幾つも、見えてくる。存外、道というものは、結構、傾斜しているものである。それは、登り坂になっていたり、下り坂になっているだけではなくて、凸凹だったり、左右に、傾斜していたりと、何とも厄介である。未だ、足許の先しか、見えなくて、100メートル先の風景は、愉しめない。地方で、車が運転できないと、何処へも、行けないと言われているが、実際、運転が、当面、1ヶ月ほど、医者から許可が出ない情況では、何処へも、買い物にすら、出掛けられず、冷蔵庫に、貯蔵された食糧だけが、頼りである。細々と、慎ましく、山の神が、再び、迎えに来るまで、生活しなければならない。頼りのインターネットも、不具合で、管理事務所へ、行かないと、繋がらず、まるで、遠隔地に、ポンと、残置されたような感覚が出てくる。随分、一人暮らしも、リハビリ歩行の中では、これまでと違った風景が見えてきて、笑ってしまう。歳をとって、一人で暮らすとは大変なことであろうと、想像に難くない。



リハビリ歩行から見える違った景色

2012年08月21日 | 社会戯評
リハビリ歩行から見える違った景色
20分間でも片道、杖をつきながら、リハビリ歩行してみると、歩行弱者になる前には、感じられなかった風景が幾つも、見えてくる。存外、道というものは、結構、傾斜しているものである。それは、登り坂になっていたり、下り坂になっているだけではなくて、凸凹だったり、左右に、傾斜していたりと、何とも厄介である。未だ、足許の先しか、見えなくて、100メートル先の風景は、愉しめない。地方で、車が運転できないと、何処へも、行けないと言われているが、実際、運転が、当面、1ヶ月ほど、医者から許可が出ない情況では、何処へも、買い物にすら、出掛けられず、冷蔵庫に、貯蔵された食糧だけが、頼りである。細々と、慎ましく、山の神が、再び、迎えに来るまで、生活しなければならない。頼りのインターネットも、不具合で、管理事務所へ、行かないと、繋がらず、まるで、遠隔地に、ポンと、残置されたような感覚が出てくる。随分、一人暮らしも、リハビリ歩行の中では、これまでと違った風景が見えてきて、笑ってしまう。歳をとって、一人で暮らすとは大変なことであろうと、想像に難くない。



偽アカシカの樹について、

2012年08月20日 | 自然・植物・昆虫
小諸へ久しぶりに来たら、ADSLが、繋がらなくなってしまった。管理事務所から、バックアップ予定。それにしても、夜は、寒いくらいである。

偽アカシカの樹について、



去年の春に、急に大きくなって、花を咲かせたが、その後、友人の奥様の言に従って、外来危惧種であると言うこともあり、早速、伐採したが、今年の春には、切り株から、生命力強く、何本ものひこばえを、これも、全て伐採したが、今年の夏は、手術の関係で、少々、小諸へ、来れなかったら、何と、地下茎で、周囲には、1メートル程の高さの小さな樹木を多数、生やしていた。何と生命力の貪欲な樹であろうか?春先には、綺麗な花を咲かせるが、よく見るとそこら周辺は、全て、この偽アカシアで占領されて、他の樹は育っていることはない。根こそぎ、その地域は、とりわけ、人の手が余り入っていないと思しき地域では、固まって、排他的に、生育している。地下茎で増殖する以上、根を熱湯などで、死滅させない限り、根本的な根絶には、至らないであろう。今後、新たな戦いの開始の始まりであろうか?蜂蜜などは、アカシアの樹というのは、ほとんど、この樹の花から採取するようであるが、、、、、。日本の固有種をも、駆逐、凌駕するこの種の外来危惧種は、本当に、厄介なことである。もう既に、巨木になっている樹もあるくらいだから、綺麗な花だなどと、のんびり、鑑賞してはいられない。


梅ちゃん先生、一寸、気になる佐藤光男役の俳優、

2012年08月18日 | 映画・テレビ批評
梅ちゃん先生、一寸、気になる佐藤光男役の俳優、
朝ドラは、大して、好きではないが、朝食時に、山の神に付き合って、何気なく観ていると、ふと、気になる若手俳優を発見することは、一つの楽しみである。無名有名を問わず、随分と、若手俳優はいるものである。安岡製作所に、集団就職で、世話になることになった佐藤光男役の若手俳優が、一寸、最近、気になって仕方ない。ウィキペディアで、調べてみると、野村周平というまだ、18才の若手俳優だそうである。おまけに、中国人の血が、クォーター入っているそうで、中国語も堪能であるらしい。将来、国際的な活躍の場を、アジアにも、拡げて貰いたいものである。若くして、年の割には、存在感がある俳優である。これまで出演した作品をみても、どうも、身近に接するような作品は、見当たらないが、こうした俳優を掘り出してきて、磨き上げ、チャンスを与えるのも、NHKの大切な役目かも知れない。近所のうだつのあがらない居酒屋の夫婦役の俳優と良い、登場する様々な俳優が、やたら、気になって仕方が無い。そういうのも、又、朝ドラの一つの愉しみ方かも知れない。NHKには、是非とも、こうした埋もれた俳優陣の世間への紹介役を、今後とも、担って貰いたいものである。それにしても、脚本一つで、俳優の個性が、生かされるのも、殺されるのも、観ている方は、愉しいが、演じている当の役者さんは、人生を賭けていて、大変だろうと想像に難くない。今後、この俳優は、どうなって行くのであろうか?今後が愉しみである。



NHK特集、「終戦は、何故、早めることができなかったのか?」

2012年08月17日 | 映画・テレビ批評
NHK特集、「終戦は、何故、早めることができなかったのか?」
それにしても、ソ連の参戦情報が、既に、様々な軍部のルートから、6月には、入っていたにも関わらず、又、昭和天皇の召集による最終戦争会議の席でも、結局、講和・終戦処理に向けての対応が、決定されずに、ズルズルと、本土決戦による最終一撃という非現実的な策を持ち出し、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、ソ連参戦を許し、不要な戦死者、抑留者を多数輩出してしまったことは、誠に、遺憾としか言いようがない。何故、縦割りの情報収拾しか出来ず、横断的な情報の共有が出来なかったのか?属人ネット・ワークでしか、機能せず、講和推進派と徹底抗戦派の攻防の果てに、ズルズルと、結論が先送りされ、死なないで済んだであろう多数の民間人達の犠牲を生み出した国家指導者の責任は67年後の今日でも、重い。かつて何度となく読み返した「失敗の本質:日本軍の組織的な研究」の中でも、具体的に、ノモンハン、ミッドウェー海戦、ガダルカナル、インパール、レイテ沖海戦、沖縄戦、等の具体的な軍事的な失敗の検証を通じて、組織としての日本軍の遺産を批判的に継承し、拒否するという同書の狙いは、果たして、この終戦講和に向けての際にも、同じように、機能していなかったことが、分かる。一つの国家が、崩壊するときとは、こんなような情況になるのであろうか?「学習棄却」、即ち、ずっと、学んできた知識を一度捨てて、学び直すという姿勢が、欠如して、積極的な自己革新と軍事的な合理性の追究が、出来なくなってしまったのであるが、、、、、、。今日、67年後の時間を経ても、原発、エネルギー問題、国家戦略の課題、経済の再生戦略の問題、家電の国際競争力の問題でも、果たして、我々は、終戦当時の国家指導者をただ単に、責めるだけの資格を有するのであろうか?今一度、この「今日的課題」を、自問自答してみなければならないのではなかろうか?時は、刻々と、容赦なく、過ぎて行き、我々は、その分、老いゆくことになる。