小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ブログの衰退?:

2014年06月30日 | 社会戯評
ブログの衰退?:
何でも、最近では、スマホやラインやら、FBに押されてなのか、それとも、プロバイダー事業事態が、苦しいのか、よく分からぬが、ブログ事業を、ぷららのBROACHも、6月末を持って、終了するというではないか?告知があってから、色々とデータを他のブログに移行する作業を行ってきたものの、長い間、やってきたので、ブログ・デザインなどにも愛着があるが、致し方ない。それにしても、頭の体操や読書の備忘録のつもりで開始したブログも、今日まで、なんと多くの人達に、読んでもらったことだろうか?有難いことである。日々の日常生活のこと、映画を見たり、イベントに参加したり、本を読んだ感想とか、CMに関する印象とか、何事につけても、アルツハイマーの予防措置と脳細胞の活性化の為に、コツコツと、短い文章やら、やや長い文章まで、描き纏めてきたものである。しかも、それを面識のない人達にもひろく読んでもらうとは、、、、、又、SNSの活動にも、リンクされて、面識がなくても、何とも考え方が似ている見ず知らずの人達などとの付き合いも、お陰様で可能になりました。「小諸 布引便り」というブログ・タイトルは、そのまま、どこかのブログに、移行するかも知れませんが、変わらず、ブログの更新を日々続けてゆきたいと考えています。各社のブログ・サービスが終了を迎える中で、今後、どのように、ブログという形態は、生き残ってゆくのでありましょうか?興味深いところであります。又、いつの日にか、何処かのブログで、お目にかかれることを期待しながら、ぶららのブローチは、終了することになります。これまで、読んで戴いた延べ人数を考えると、本当に、驚くべきことです。基本的には、Goo ブログ他に移行することを選択することになると思いますが、是非、引き続き、お立ち寄り下さい。アフィリエートなどは、表示しませんが、、、、、、今後ともよろしく、お願い致します。
http://blog.goo.ne.jp/mx2141688

両国の江戸東京博物館を観る:

2014年06月28日 | 社会戯評
両国の江戸東京博物館を観る:
兎に角、女房殿は、クレジットカードについている値引きクーポンやコーヒー割引券を使用するのが好きである。従って、今回もどこからか、見つけてきた2割引のクーポン券を使用するように強く勧められることになりました。窓口で、クーポン券を提示し、学生証も提示したところ、短期の滞在ビザの学生証は無効で、1年間有効のものが必要だという。それはおかしいだろうと、私の何処かに、権力との闘いモードのスイッチが急に入って、ああでもない、こうでもないと、結局、窓口の女性では埒が明かないので、上役の男性職員を呼ぶことになり、パスポートの提示で、米国留学ビザを証明して、結局、OKとなりましたが、何とも、日本人という奴は、コンプライアンスに極端に、弱い民族で、たかだか、60円程度の学生割引に、目くじら立てて、一体どうする気なのであろうか?こちとらは、昔から、大声を立てることに慣れているので、こういうことは、カネの問題ではなくて、ルールに対する問題認識の提起として捉え、結局、OKとはなったが、、、、、、、。それにしても、馬鹿でかい箱物である。内部には、無料の外国語のボランティア・サービスがいるので、入り口で、申し込んで、シニアのボランティアに、館内の説明をお任せすることにした。江戸の街並みをうまく、ミニチュアや、それなりに展示してあって、外国人が結構多かったのには、驚く。江戸という街の当時の世界最先端を行くエコ・シティー、上下水道、ゴミ処理、本作り、本屋、歌舞伎や日常生活、エンタテイメントの様子、道具類の展示など、江戸時代の武士や庶民の生活が分かりやすくて、とても、面白い。火消しの纏を振りかざして、写真を撮るところがあったり、丁度、江戸時代に、タイム・スリップしたような体験を味わえる。又、明治・大正・昭和、戦前・戦中・戦後の街並みや生活用具の展示も、大変興味深い、タクシー、電話機や洗濯機・テレビ・掃除機、又、台所・和室・洋室など、追体験できるモデル・ルームなど、戦後間もなくの生まれた頃の時代に戻ったかの如くの錯覚を覚える。残念乍ら、お隣の相撲博物館は、時間が終了してしまって見られなかったが、両国駅の力士の写真の前で、記念撮影が出来ました。関東大震災の被災地である横綱公園を、本当は見られたら、もっと、良かったのであるが、一寸、時間が足りなかったのが残念です。併設の軍師官兵衛展も、ついでに、見られて、ラッキーでした。これも又、彼女のお陰です。

いよいよ帰国の日である;

2014年06月28日 | 社会戯評
いよいよ帰国の日である;
日本滞在も6週間に及び、しかも、そのうち4週間は、しっかりと日本語研修のカリキュラムがあり、1週間は、京都・広島への旅行やら、東北の被災地の見学だったりと、何軒かのホーム・ステイ先を変えて、様々な家族、色々な人々と接して、現実の日本の家庭生活を味わい、生活を一緒にしながら、日本人の考え方、歴史・文化、食生活を勉強しながら、我が家にも1週間滞在して、大河ドラマのテレビも一緒に観たり、新しい日本の友人も作ったりと、きっと、大変だったであろうことは、想像に難くない。しかしなgら、若い頃は、そうした外国での経験は、自国での恵まれた生活とは別に、他人の飯を喰うことで、色々な経験を積み、今後の彼女の人生にもおおいに役立つことであろうことは間違いないであろう。米国での留学とは、又、異なった体験をできたことであろう。帰国は、米国ではなくて、7-8月末まで、2ヶ月間を、ベトナムに戻って、家族や友人達と夏休みを過ごすことにするそうである。何でも、後2年ほど、米国の大学で、勉強してから、本人としては、大学院まで行きたいそうであるが、父親は、大学が終了したら、早く、ベトナムへ戻って来なさいと言っているそうである。娘を持つ私の父親としての経験から、色々と、父君の心配も話したが、兎に角、父親と話す機会を作ってあげて下さいねと要望したら、ニコッと笑っていた。きっと、帰国したら、父親と話す機会を作ってくれることであろう。母親とは、先日、スカイプで、チャットで、懐かしそうに、笑いながら、話していた。おっとりした長女タイプだから、これから先も、色々な人生の決断を迫られることがきっと、出てくることであろう。結婚式の参加も夢ではないかも知れない。いつになることやら、分からぬが、年寄りの楽しみが出来て宜しいかな?何でも東北大学の日本の親友は、今度会うときには、「私は、もっと英語をペラペラに、貴方は日本語でもっと上手に、、、、、、、」と約束したらしい。もうこれからの時代は、ドンドン、こんなトリ・リンガルな人財が、余に溢れてくるのであろう。日本も本当にウカウカしていられない!若い人には、どんどん、外国へ出て、或いは、国内を旅行して、知らない人に接してもらい、様々な体験を吸収して貰いたいものである。ベトナムへは、成田から、安いチケットで、仁川経由で、飛行機を乗り継いで、大韓航空機で、12時間程度掛けて、帰国するとのことである。本当にお疲れ様でした。来年、又、日本へ戻れるように、アメリカで、大学図書館の時給7ドルの深夜1時までのアルバイトも頑張って下さい。又、来年、逢えるといいね!一杯のお土産と想い出と共に、成田へと旅だって行きました。9月には、今度は、仕事で、母君が来日する予定なので、楽しみです。

川越の藏街を歩く:

2014年06月27日 | 社会戯評
川越の藏街を歩く:
いつもなら、254号線を素通りするか、上信越道の高速道路であっという間に、過ぎ去ってしまうところであるが、今回は、川越の藏の街並みを見に行くことにした。これも又、彼女のお陰である。有難い外人観光客である。それにしても、うまく、街並みを保存したものである。シンボルとして、時計台を再建して、成る程、様々な商家や菓子屋横丁やら、芋羊羹ならぬ芋菓子、煎餅など、鰹節やら、縮緬などの民芸など、陶器や箸や箸置き、等、うまく、改築したり、古い建物を修復したりと、生活に密着した街つくりである。高速道路で素通りしていたのが勿体ないくらいである。そんなことあんなことをしながら、ぶらぶら歩いていたら、何と娘さんの母親が、希望していたこけし煎餅が見つかった。何とも懐かしい煎餅である。こんな所に来ない限り、普通の店には、見当たらないかも知れない。そして、飴細工の店で、鮨の飴や、金平糖弁当など、小さな持ち帰りやすいものを幾つかお土産に購入してから、一寸、小休止の意味も含めて、甘み処で、金時かき氷とフルーツあんみつ他を3人で食して、束の間の旧い藏街の雰囲気を味わい、街を後にしました。実に有難いことに、外人観光客のお陰で、又しても、新しい街の発見を思いがけずに愉しめました。当初、日光江戸村を考えていましたが、なかなか、川越も良い街でした。日本人でも、十分、愉しめる処でした。

秋葉原メイド・カフェに行く:

2014年06月27日 | 社会戯評
秋葉原メイド・カフェに行く:
こんな機会にでも恵まれなければ、一生、メイド・カフェには、行くことはないであろう。実に、有難いことである。外人様々である。何と、外人旅行者の多いことだろうか?彼女の説明では、友人のアメリカ人とタイ人がアキバのメイド・カフェに行ったところ、何でもシステムがよく理解出来ずに、勧められるままに、セットを注文し、写真やら、グッズを貰ったものの、食事は不味くて、大枚2人で、7000円余りを散財したと話してくれたそうである。従って、こちとらは、セットなどは不要、只、一番安いソフト・ドリンクだけを注文して、美味しくなぁーれの「おまじない」を一緒に唱えて、「にゃんにゃん」のポーズを恥ずかしげも無く、とりながら、無事1時間を過ごすことになりましたが、その間、外人の家族とオタク系の人達が、数組、目出度く、セットを注文してくれたので、店のメイド一同、盛り上がって、サービスをしてくれましたので、こちらは、それを観賞する側に廻って、無事、夢の国を出国致しました。まぁ、言ってみれば、一回の体験料金は、1人、席料500円+ソフト・ドリンク代金530円で、済みましたが、、、、、一回体験すれば、それで、十分でしょうね、間違いありません!。もう一つ、携行魔法瓶の蓋を、どのように使うのかという質問を受けて、ヨドバシカメラの係員に説明を聞いたところ、その中国人の係員は、詳しく説明してくれましたが、私の理解は、間違いで、危うく、間違った説明をするところでした。それにしても、今や、様々な魔法瓶があり、飲み口が日々、進化しているものであることに驚きましたね。中国人の店員さん、有り難う御座いました!いやはや、アキバは、何ともワンダーランドですね。昔のラジオ会館や電気街の時代とは、大違いであります。CCD防犯カメラのモニターに映し出された自分の姿を眺めながら、複雑な気分になりました。それでも、一度は、アングラ・アイドルとメイド・カフェを体験しておくだけでも、外人観光客には、話のネタになるかも知れません。今日の晩ご飯には、必ず、食べる前に、覚え立ての呪文を唱えて、女房殿を驚かせなりませんネ、にゃんにゃん!

お土産の事前調査:

2014年06月26日 | 社会戯評
お土産の事前調査:
ベトナムの旧い友人の娘さんがホームステイするというので、昨年の夏、3家族で総勢10人余りで、来日したときに、買って帰ったお土産を又、購入したいという。その母親や友人達からの買い物リストが、メールで送られてきたという。眼薬・ヘヤ染め・ピップエレキバン・美白化粧水・UV紫外線カット・マーボー豆腐の素・いちご大福餅・抹茶キットカット・カステラ・ロイドの生チョコ、等々、考えてみれば、昔、アメリカへ旅行したときの土産は、ステーキやビーフジャーキーと決まっていたが、日本では手に入らないものを安く買ってくるのが上席だったような気がする。当時は、まだ、ウィスキーやブランディーなども、デューティー・フリーで制限本数一杯購入してきたものであることを想い出す。それにしても、今考えると笑ってしまうものである。マーボー豆腐の素などは、我が家で、簡単に作れるので、料理に出したところ、余りに簡単に作れて美味しいので、「これはどこで手に入るのか?」と問われ、スーパーの棚から一瞬、商品が無くなるほど、皆で、お土産に買っていた物である。空港などの免税店にも、食料品スーパーでも併設したら、大変な量の食品が買われてゆくのではないだろうか?確かに、金額は少額かも知れないが、、、、、、、。勿論、何年かしたら、ベトナムでも、そんな商品が現地で生産されることは必至であろうが、、、、、、。リストを見ていて、思わず、ほくそ笑んでしまう。米国留学中で、英語を話し、今回は、仙台の大学での日本語の実地教習で、5週間来日して、ホームステイし、おまけに京都や広島も親善訪問して、最後の1週間の滞在である。津波の被災地を見たり、広島の原爆ドームを見たり、京都など、各地の文化に触れて、同世代の日本人や様々な世代の友人と知り合い、トリ・リンガルで、将来活躍できれば、面白い海外文化交流の仕事が可能になろう。これからは、こうした若い世代の人達が、文化交流をになってゆくのかも知れない。年寄りは、そうした人々の活動を見守りながら、暖かめで援助の手を差し伸べて行きたいものである。さて、来週は、秋葉原のメイド・カフェに連れて行って貰うことになっている。一応、ご本人様の希望もあって、私の希望ではないが、本音を言うと、実に楽しみである、、、、、、。では、又、、、、、オタク文化を実地に、詳しくご報告することに致しましょう。

回転寿司、携帯予約サービスの陥穽とは:

2014年06月21日 | 社会戯評
回転寿司、携帯予約サービスの陥穽とは:
何でも、無添加を売りに高品質の回転寿司で、名高い有名なチェーンが、携帯サイトから、席の予約が可能なサービスを提供したというので、早速、ベトナムの旧い友人の娘さんがホームステイに来るので、歓迎会も兼ねて、このサービスを試してみることにした。まずは、空メールで、会員登録し、自分の行きたいお店の検索をしたうえで、いよいよ、予約の日時をクリックし、確認・予約番号というものが、提示され、更に、確認の為に、登録した携帯メルアドに、メールが、受領されれば、予約時間内の10分に来店すれば、席が、希望人数分予約されるという触れ込みである。成る程、これは、便利である!勇んで、この予約番号を持って、お店に行くと、平日の午後7時だというのに、何と35分-45分待ちである。これなら、このサービスは、おおいに、有効であると判断して、受付に申し出ると、何と驚いたことに、「只今、大変混み合っておりまして、順番で、呼び出しますので、それまで、お待ち下さい」と、慇懃無礼に、平然と応えるではないか!結局、予約時間より早めに到着したものであるから、20分以上も待たされる結果に終わった。そこで、こちらも、原が減って、頭にきているから、そのサイトへメールで、投稿することにしたが、よくよく、投稿されたコメントを読めば、皆すべて、良いことづくしのコメントばかりである。おまけに、すべて、後悔されるのではなくて、ある種のクライテリアに基づき、掲載されるかどうか判断されるとも注意書きが書かれていた。更には、一日一通のコメントに制限されていた。よくよく、冷静になって、考えてみれば、この予約システムなるものは、していたら、別にその必要も無く、混んでいるからこそ、必要とされたにも拘わらず、結局、役立たずの核兵器みたいな「張り子の虎」である。ピザのデリバリーでも、予定通りのデリバリーが出来なければ、某かの返金サービスをうたい文句にしているところがあろうが、何としたことであろうか?少なくとも、HP上には、「混雑時には、待たされることもあります」という告知義務が不可欠であろう。待たされたくないというニーズを逆手にとったサービスなるものの、逆に、結果として、待たされてしまうと言う呪縛に陥って、客を失う羽目になりかねない。おまけに、子供へのサービスを謳っているお店だから、異常なほどに、悪ガキが多くて、大声で、わめき散らすは、母親や店員も注意をしないで、まるで、阿鼻叫喚の中での食事で、鮨を食べるという場ではない。やはり、年寄りは、カウンターで、ゆっくり、握って貰う方が、お金が高くても、棲み分けが必要かも知れない。当分、この店には、行かないことにした。もっとも、きっと、毎日、不必要なメルマガや使いもしないクーポンが、やたら、殺到することは、必至であろうが、、、、、困ったものである。一度、会員登録することにしようか?いやはや、笑ってしまう!

朋に会いにゆく、これも亦楽しからず也:

2014年06月20日 | 社会戯評
朋に会いにゆく、これも亦楽しからず也:
論語の一節に、「有朋自遠方来 不亦楽」とあるが、たまたま、株主優待航空券を無駄にしてしまうのも勿体ないので、これを利用して、広島・四国へと学生時代の友人と元取引先の担当者達に会いにゆくことにした。昔みたいに、飛行機や車があるから、いつでも会いに行こうと思えば、今や、時間が制約されない以上、それは、単に、お金だけの問題ではあるが、、、、、、それにしても、広島の原爆公園は、いつ行っても、厳粛な気持になるものである。ホテルから、徒歩で、川沿いの土手上を歩きながら、相生橋に向かって、右手に原爆ドームを見ながら、ゆっくりと杖をつきながら、歩を進めてゆく。川沿いには、恐らく無数の被爆者が、その時には、地獄絵さながらに、水を求めて、殺到したであろう様が想像される。又、無造作に折り重なる原爆ドームの大きな角張ったコンクリートや石の塊は、その瞬間的な凄まじいばかりの破壊力と高熱を容易に、想像される。爆心地点付近の橋の目標は、確かに、高度1万メートル上空からでも、真夏の雲一つ無い上空からは、容易に、識別出来よう。世界遺産として登録されているのに、何故、東日本大震災の被害モニュメントは、あっけなく、取り壊されたのであろうか?広島も、同じような議論が戦後間もなく、有ったと言われている。後世の人達は、どのように、この対照的な事例を評価するのであろうか?川縁の水を求めて殺到したと言われている石畳や橋脚の下を歩きながら、当時を想像だにすると、実に、胸が痛くなる思いがする。公園内は、10人規模での少人数の小学生のグループが、ボランティアの人達の説明に、熱心にメモをとりながら、聴き入っている。はだしのゲンのモデルになった近くの学校を指さして、その初老のボランティアの人は、同じ頃の年頃の小学生に説明をしていた。そこここには、海外から訪れてきた旅行者が、小さな慰霊碑も見落とさないようにと、一生懸命、カメラに、納めている。それにしても、全国から動員されてきて、遭難した勤労学徒、在日朝鮮人、会社従業員、等等、多いことか、随分と大小取り混ぜても、様々な慰霊碑が在るものである。それにしても、70年あまり前に、この場所で、こういうことが起こったかと思うと、実に、平和の尊さが改めて偲ばれるものである。同い年の友人は、右目が加齢性黄斑点網膜症の進行で、視力を低下させ、その反動で、左目にも、負担が掛かっていると言うではないか、又、腰の痛みと闘いながら、山登りで、筋力の衰えを支えているものの、いつまで、出来るかどうかとも心配している。人生、万事、問題なしという訳にはゆかないものである。会社人生も、健康も、家族も、おカネも、、、、、、、、。しまなみ海道は残念乍ら、夏台風の影響で雨の中で、翌日は、景色を堪能出来なかったのがおおいに残念であった。せいぜいが瀬戸内海の美味しい魚料理を堪能出来たこと、そして、昔の取引先の担当者達と数年ぶりに再会出来たことで、充分である。仕事の環境とは本当に、一夜にして大きく変わってしまうことがあるが、本当に、その通りである。これまでは、順調に推移していたものが、有る時を境にして、一挙に、激変してしまうものである。誠に、時の勢いと潮目のタイミングとは、まるで、人生の巡り合わせのようであろうか?運とかつきとかいう一言で済ませてしまえば、それまでであるが、そんな一言で済まされるモノでもない。誠に、時の流れというものは、時流に弄ばされるものである。まるで大海に浮かぶ小舟の如く、時勢という天候に左右されてしまうことなのであろうか?誠に人生、難しいものである。それでも、現役の人は、働き続けなければならないわけで、ストレス・フリーの我が儘爺さんという訳にはゆかないものである。まぁ、それでも、いがみ合い、憎しみ合いでは、再会も果たせない以上、まぁ、良しとすべきではないでしょうか?名刺の束を見直しては、一体、どれ程の人と巡り会い、その中で、どれ程の人と、未だに、お付き合いして戴いているのかと思うと、成る程、人との付き合いの仕方とは、誠に、難しいものであると感じざるを得ません。それは、親戚も含めて、学校時代の先輩・後輩・同輩、或いは、幼稚園時代の幼友達も含めて、社会に出てからも、色々な人に、支えて貰ったお陰で、今日、こうして、自分があるのかも知れません。そういうことを噛みしめるような、そんな気休めの短い旅でしたが、、、、、、、今度は、又、別の形で、巡り会いたいものです。その時まで、何とか、健康を維持していられたら、現状維持で、おおいに結構ですが、、、、、とお互いに、思った次第です。そして、いつの日か、又の再会を約して、別れてきました。

試合前予想の危うさ:

2014年06月15日 | 社会戯評
試合前予想の危うさ:
何でも、色々な法則を見つけ出してくるものである。先制ゴールをとったチームの方が、勝ち抜く確率が高いそうである。(それは、よく考えれば、確率論に過ぎず、何の保証でもないことを忘れがちである。)しかしながら、ブラジル戦をみても、その他の試合を観ても、必ずしも、そうとも言い切れないのが、現実の試合結果である。それにしても、専門家の予想というものは、視聴者に阿るかのように、必ず、自国の優位や勝利を予想するもので、何故、客観的に、不利であるとか、究極の予想として、敗戦を予想しないのであろうか?スペインのオランダ戦の敗戦にしても、まるで、バルチック艦隊の壊滅のような予想は、果たして、現地でも、試合前になかったのであろうか?新しい戦略と戦術とは、常に、敵に研究され、新たな対抗策が講じられ、或いは、進化された新手の戦略・戦術が編み出される。期待と失望は、勝負事には、つきものである。一喜一憂するその心の振幅は、まるで、限られた時間の中で、見えない勝利の女神という御手に弄ばれるかの如きであろうか?予想というものは、確かに、難しいもので、勇気を持って、敗戦を予想する専門家は、いなかったのであろうか?(もっとも、そんな予想をすれば、視聴率も下がるし、不評を買うことは間違いのかも知れない)スポーツの試合なら、それでも観ている側は財産や命を奪われる訳でもなく、せいぜいが、日常生活の中で、一時的に、落胆する程度であろうが、これが、リアルな現実の戦争であれば、どうなるのであろうか?アメリカの経済力、軍事力を知り尽くしつつ、それでも、敗戦予想を省みずに、戦争に突入せざるを得なかった人々の想いとは、どんなものであったのか?スポーツの試合であれば、それは、良しとしようか?しかし、、、、、、と考えれば、複雑な気持ちになる。

電気小売り自由化に思う:

2014年06月14日 | 社会戯評
電気小売り自由化に思う:
ソーラー・パネルを設置して、売電を始めてから、節電の見える化、消費量の数字の視覚化が、可能になり、節電にも熱が入るようになった。電力の安定的な供給の問題や、再生自然エネルギーや発・送電分離の問題は、あるものの、まずは、ともあれ、通信の自由化ではないが、電力の小売り自由化は、電力の自由化の第一歩であろう。電力会社による地域独占という体制が、崩れて、全国規模での競争が、7兆円規模とも言われている市場を考えれば、こうした競争原理により、起これば、新電力や新規参入業者にも、十分、生き残る可能性がおおいにありそうである。今後、通信や異業種からの参入など、選択の余地が拡がれば、消費者にとっても、一般家庭でも、大口需要者なみに、選択の自由が享受されるかも知れない。それにしても、残念乍ら、福島の原発事故がなければ、こうした流れも形成されたかどうかは、定かではないであろう。いずれにせよ、電力の安定的な供給と言う課題は、原発支持、反原発派の如何を問わず、今や、焦眉の課題であることは間違いないであろう。これから、如何にして、安定供給と同時に競争原理によって価格の引き下げが、可能になるのかどうか、しっかりと見極めてゆかなければならないであろう。まずは、第一歩というところなのであろうか?


裁量労働時間制に考える:

2014年06月13日 | 社会戯評
裁量労働時間制に考える:
昔、自分のサラリーマン時代には、朝は、まず会社に出社して、タイム・カードを押してから、取引先に出掛けたり、直切外出、直接帰宅、(略して、直外・直帰と呼ばれたが)することは、なかなか、難しかったものである。兎にも角にも、まずは、会社に出向くことが義務のようなものであったのである。従って、どんなに、遅くまで、取引先で、会議をしていても、そこから、又、1時間以上も掛けて、再び、事務所へ戻り、書類や連絡をしてから、結局残業をしてから、帰宅したり、中には、この残業代目当てに、新入社員の頃には、事務所に、遅く帰ってくる強者もいたものである。特殊な業務である為替ディーラーが、一体、何人、市場関係者の中にいるのであろうか?しかも、そんな人間は、毎日、時差も関係無く、何十年と昼夜分かたず、1000万円以上の年収を貰って、昼夜逆転した労働の中で、一体、どれ程いるのであろうか?確かに、労働生産性を上げる事自体は、決して、間違ったことではないが、それが、正当な成果報酬として、評価されることとは、別問題であろう。数値化という一つの尺度も、これ又、美しい言葉であることに相違はない。研究開発などと言う代物は、そもそも、陽の目をみない方が長いものであって、陽の目を見るときには、大体、基礎研究や車輪を一生懸命に苦労して押した連中は、忘れ去られたり、いないものである。ことほど左様に、物事という物は、後から僥倖に恵まれた一部の人間しか、幸運にも、恵まれないことを数多くの人達は、知っている。子供の頃、どれ程の人達が、郵便番号の導入や切符切りを廃止して、自動発券機や自動切符機械の導入を生産性の向上と考えて、賛成したであろうか?労働者の職場と雇用の機会を奪うなと反対していたのに、今度の裁量労働時間制の導入は、一体、どうしたものなのであろうか?だいたい、年収1000万円以上の労働者が、或いは、管理職と呼べるものが、全体の中で、どのくらいいるのであろうか?これまでのロー・コスト・オペレーションという非正規雇用やパート・タイマーやアルバイトの低賃金を大前提にした仕組みは、今や、人手不足と言う形で、破綻に貧している以上、働く側の人間も、意識の改革の良いチャンスであろう。20余年前に、独立時に、大きな組織に、フリーランスの業務委託契約を提案したものの、結局、労働組合の規約とかに合致せずに、やむなく、選択定年制により、円満に(?)退社、独立したものであるが、今ならば、別会社とか、孫会社と言う形で、実現できたのかも知れない。今後予定される裁量労働時間による法改正をきっかけに、若い現役の人達は、独立自営か、創業の途を選ぶのも、一つのチャンスかも知れない。それよりも、ブラック企業のごとく、過労死や過剰労働時間やサービス残業の合法化や劣悪な合法的な闇労働環境の一層の蔓延の方が、何とも、心配である。労働監督基準局による摘発などというものも、実際、詳細な訴えが基本であり、しかも、それが、証明されない限り、是正はおろか、改善などは、まず望めないのが現状であろう。それにしても、現役の人は、これから、本当に、大変なストレスが溜まりかねない時代になるのであろうか?誰が、一体、労働者、働く者を守ってくれるのであろうか?自己防衛手段は、何なのであろうか?生産性の向上と成果主義という狭間で、どう生き抜いて行ったら良いのであろうか?真剣に考えないと、いつも、受け身で、結局やられてしまいかねないのでは、、、、、、、、、と思われるが、、、、、。

襖を貼り替える:

2014年06月12日 | 社会戯評
襖を貼り替える:
子供の頃は、障子紙の貼り替えも、天気の良い日に、家族で、とりわけ、子供にとっては、その時だけは、思いっきり、障子紙をブスブスとばかりに、破れるので、その手伝いも、とても、楽しく感じられたことを想い起こす。今では、プラ製の紙で、丈夫になってしまったから、それ程、自分で貼り替えなくても済むようになったのであろうか?それに引き替え、襖の方は、壁紙とも異なり、どうしても、掃除が行き届かなくなると、全体的に、薄暗い感じの模様になってしまうので、部屋の衣替えの際には、思い切り、何年に一度かは、どうしても貼り替えなければならない。そうはいっても、いつ頃、貼り替えたのかは、全く記憶の片隅にない以上、少なくとも、自分は、手伝いをしていないことだけはどうやら、間違いなさそうである。旧いベトナムの友人のお嬢さんが東京の拙宅へ滞在したいというので、せめても、部屋の衣替えくらいはしておきたいと、女房殿が言い出した以上、手伝わぬ訳にはゆかぬ。何せ、暇と体は、有り余っているのであるから、合計、10枚もの襖を貼り替える算段である。DIYであるから、事前に、掃除機で、埃を取り去り、スポンジ、カッター、水、タイマー、へら、刷毛、総動員体制で、準備して、何とか、自己評価90点という高得点の出来映えである。これを職人に依頼すれば、相当な日当と材料費を請求されてしまうことは、間違いないであろう。取りあえず、5枚分は、完成したので、同じ要領で、というよりも、スキルが、向上してゆくので、改善を重ねれば、残りも、程よく、成就するであろうことは、疑いの余地の無いところである。壁紙なども、どうやら、この調子であれば、何とか、見様見真似で、出来ないことはなさそうである。問題は、「やる気」次第なのであろうか?今度は、これが終了すれば、夏場のベランダのデッキのDIY保守作業だろうか?そして、スロープへの階段の設置だろうか?実にやろうと思えば、存外、やることは結構あるものであるが、、、、、、そうはゆかぬところが、ぐうたら主人の神髄であろう。それにしても、部屋中が、見違えるほど、明るくなった。どうしたものだろうか?

愛犬の一周忌を前にして:

2014年06月11日 | 動物・ペット
愛犬の一周忌を前にして:
去年の今頃は、空梅雨で、溜め池に水が不足していたのに、今年は何と雨が多いことか?別に、命日を気にするガラでもないが、愛犬が亡くなった頃をふと、想い起こす。この一年間、ペット・ロスにも幸い見舞われず、何とか、無事に、過ごせて来れました。今は、気持ちよさそうに、ぐっすり眠っているラミネート・フィルムに保護された写真が、八重桜の樹の下の盛り土の上に置かれています。亡くなってからすぐに、取り外された一寸古びた赤い首輪が、本棚の棚の上に、ポツンと置かれています。その横には、粘土に、前脚をスタンプのように、押し当てて作られた足形の記念の盾と子犬の頃の懐かしい写真が、立てられています。女性陣の反対もあって、避妊手術は行わず、乳癌や子宮癌のリスクも、「なるがままに任せる」という家族一致の基本方針の下、よく、18歳4ヶ月もの長い寿命を全うしたものです。人間の年齢ならば、92才にも相当しましょうか?両親の介護もさることながら、まさか、愛犬を介護、看取るとは、想像もしていなかったものです。眼も見えなくなり、足腰も立たなくなり、お水も最後には、飲めなくなり、スポイトで、与えようと思っていた矢先に、突然、痙攣を起こして、1時間半後に、さようならも言わずに、逝ってしまいました。亡くなる前日に、膝の上におむつのまま、抱き抱えて、玄関先で、外の風を感じながら、体をさすってあげたら、少し、鼻をクンクンさせて、気持ちよさそうに、薄眼をあけて嬉しそうに反応していましたが、その時の毛並みの感覚を今でも忘れることが出来ません。君だけが、私の口笛に、真っ直ぐにピンと立った小さな耳をピクピクとアンテナのように、振りながら、近づいてきたんだネ。意地悪をするかのように、無視して、反対側から、口笛を吹いても、君は、再びやってきたものです。初めから、口笛に反応してやってきた犬を貰おうと、そう決めていたので、君を貰ってきたんだよ!君は、自分の力で、殺処分を免れたのだね。いつまでも忘れないよ、家族として過ごした日々を、、、、、、、これからも、、、、、ずっとね。ビデオの中の君は、広い野原を耳を後ろになびかせて、颯爽と嬉しそうに、いつまでも疾駆しています。隙を見ては、鼻先で、網戸を器用に開けて、さっと、部屋に入ろうとして、みんなに怒られていたことも又、想い出されます。きっと、君は、外で1人で暮らしていたから、家族と一緒にいたかったのだろうね。あんなに、君が駆け回った近くのりんごの果樹園も、今や、シカ対策の電気防御策が出来てしまい、自由に、通れなくなってしまいました。一緒に通いとおした河沿いの散歩道も、もう、私は、散歩しなくなりました。又、いつか、一緒に散歩しようね!そんな日が来るといいね!君もきっとそう思っているだろうか?盛り土の上の写真は、そんな私の思いを、知ってか知らずか、気持ちよさそうに、寝入っています。ベランダのデッキの上で、風に吹かれて、桜の樹の木陰で、気持ちよさそうに、君は、いつも午睡を愉しんでいたことを想い起こします。好きなだけ、ゆっくりと、お休みなさい、私も同じ場所で、君を偲んでみます。

山浦基惠子、日本画で少女漫画を描く、初個展を覗く:

2014年06月10日 | 社会戯評
山浦基惠子、日本画で少女漫画を描く、初個展を覗く:
ずっと、天気が芳しくなかったので、結局、最終日になってしまった。どうやら、天気は、持ちそうである。何でも、日本画風に、漫画の主人公を描いて貰いたいと云う要望に基づいた作品展だそうである。仕事をこなしながら、たくさんの作品を日本画特有の顔料で描くことは、なかなか、大変だそうで、乾かしながら、その一方で、別の作品を同時並行的に、塗りながら、描き出していったそうで、時間との闘いであったそうである。大小取りそろえて、なかなか、2ヶ月という期限の中での作品つくりは、大変だったことが想像される。漫画というものは、どうも、日本では、サブ・カルチャーと言う位置づけで、どうしても、作品そのものも、まだ、アート作品としての位置づけには、認知度が低いそうである。そう考えると、依頼のあったフランスなどの方が、むしろ、コス・プレ文化や漫画文化という物を日本文化の一ジャンルとして、捉えられていて、そうした日本文化理解という観点から、それらを眺めてみて、接してくれているのかも知れない。もっとも、最近では、サブ・カルチャーとか、地下アイドルではないが、こうした地下文化という物が、正々堂々と地上へ顔を出してきて、陽の目を見る傾向が強くなりつつあるようにも思えないことはないが、、、、、、、、。それでも、一寸、これらの絵を額縁に入れて、部屋に飾るとなると、一寸勇気が必要になるのかも知れない。額に入れると、随分と雰囲気も趣きも異なるとの説明があったが、作品を何点かでも、額縁に入れて飾って貰って観賞しても、宜しかったのかも知れないとも思いました。漫画の人物の眼力と言うものは、随分と、眼の輝きで、違ってくるような気がします。素人が、スケッチで、デッサンしていても、どうしても、この眼の描き方というものには、一番苦労してしまい、画竜点睛ではないが、最後の渾身を込めた描き方が、実に、印象深かったように思います。ブーメラン効果ではないが、何も、日本だけではなくて、直接的に、海外、フランスでもどこでも、理解して貰える場所とチャンスがあれば、もっと、どんどん、描き溜めてもよろしいのではないでしょうか?ひょっとすると、そういう時期が来るやも知れません。芸術は、理解される場所と空間を選ばないことを、改めて感じられました。今後のご活躍を祈りたいものです。

ゴジラ60年、込められたメッセージ性とは:

2014年06月09日 | 社会戯評
ゴジラ60年、込められたメッセージ性とは:
昭和29年(1954年)の公開だから、自身になぞらえるとまだ、6才の頃だったのである。戦争の記憶も未だ生々しい時代、ビキニ環礁での水爆実験の第五福竜丸の被災もあってか、この映画、ゴジラの誕生には、単純な特撮というだけではない、何かが、即ち、原爆・放射能と科学の進歩、人・神習合思想、南太平洋という地理的位置、民俗学の影響、荒ぶる神と戦争による破壊と再生、子供心には、当時は、理解出来ないことが盛り沢山折り込まれていることが、今にして、理解されようか?時代時代に、応じて、公害やら、遺伝子組み換えやら、今にして思えば、ゴジラという怪獣を通じて、人間が創り出したその社会の矛盾を、この映画は、描き出していたのかも知れない。とりわけ、民俗学的な観点から見たこの映画の見方というものは、なかなか、面白いものがある。今や、ゴジラと言っても、映画自身を観たことのない世代が、多くなりつつあるのかもしれないが、海外の映画監督に、引き継がれて、又、別の形で、復活することになったことは、何はともあれ、その原点回帰のようでいて、嬉しいことではないか?監督のこだわりとか、この怪獣誕生に秘められた脚本のメッセージ性こそ、改めて、我々は、子供の頃、せいぜいが、電車を食いちぎる仕草に、驚きと単なる歓声しか上げることが出来なかった子供時代を、振り返って、原点回帰、もう一度、観てみようとする気持が起きることも、映画という代物は、面白いものである。映画というものは、何も、その時の一過性だけではなくて、10年・20年と時代を超えても、何度でも、観てみるだけの価値があるのかもしれない。白髪頭の老人が、子供の頃に観た映画をリバイバルで、上映するシネマ・コンプレックスの映画館があっても良さそうな物であるが、、、、、、、そんなニーズは、ないのであろうか?往年の名作だけを上演するだけの映画館のサービスがあっても良さそうなものである。ビデオとは又、異なる感動が、想い出されて然るべきである。あの頃、亡くなってしまった両親と一緒に観た映画とか、従兄弟達と一緒に観た映画とか、、、、当時を想い起こされて、宜しいのではないだろうか?当時は、子供だったから、理解出来なかった監督や制作者のメッセージ性も改めて、理解出来て、よいのではないではないだろうか?そして、何よりも、その映画を観たことのなかった若い人でも、新鮮さが感じられてよいのではないかと思われるが、、、、、、、。もう一度、観てみたくなってきた。