小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

はすみふぁーむ&ワイナリーで思う:

2013年03月31日 | 社会戯評
はすみふぁーむ&ワイナリーで思う:
東御市の祢津という地区は、歌舞伎で、有名であるが、何処なのか、新聞では、見聞きしていても、分からず終いだったが、たまたま、フェースブックのご縁から、ここを訪れる途中で、偶然、その場所も初めて認めた。ものの本によれば、どうやら、祢津という地名の由来は、根津の二文字、根と津から、来るらしいが、保元の乱の時に、根津(祢津)神平貞直、滋野道広の子として、海野氏や望月氏らと、源の義朝の支配下で活躍したと、保元物語のなかに、出てくるそうである。もっとも、もともと、子(ね)の神:根の神を祀るという風習があるらしいが、、、、、それは、どうやら、根(麓)の神で、山の神を祀るという一種の民俗信仰のことでもあるらしい。そして、津とは、水の滴るところに、人が集い寄ると場所という意味であるらしい。この辺りは、御牧ヶ原もそうであるが、所謂、勅旨牧という朝廷などの所用とする馬を供給する牧場であったようである。成る程、そうすると、千曲ワイン・バレー構想というものも、この周辺の山岳地帯から、緩やかな起伏に富んだ麓へと連なる根と津が、やがて、(祢津)と言う形で、ブドウ栽培の適地として、構想されてきたのかも知れない。
2005年にiターンで、志高く、この地に、フロンティア・スピリッツでやってきて、ワイン作りに、試行錯誤しつつ、2010年にようやく、念願のワインに結実したようである。この間の経緯は、HPやフェースブック・ページやブログで、詳細、観て貰えれば宜しいが、今日の閉塞したような日本の状況下の中で、一から初めから、こうした事業を起業して、ITツールを駆使して、頑張っている地方都市の起業家を、都市に住む人々は、一体、具体的に、どのように、支援できるのであろうか?況んや、形而上学的なコンセプトへの理解とか、思いやりとか、だけではなくて、具体的に、その主体的な行動で以て、如何に支援してゆけたら、はすみふぁーむ&ワイナリーさんにとって、何が、ベストなのだろうか?年寄りは、労働提供出来ないのだから、一生懸命、その製品を購入して、おいしいワインやジュースや、ジャムを一生懸命、消費し、食べることで、或いは、友人に、宣伝して、動く無償の広告塔訳になることなのであろうか?地産地消運動でも、グリーン・ツーリズムでも体験型・滞在型農園でも、何であれ、本当に、都市住民が、現地のスタッフとともに、地域のコミュニティー・ビジネスを活性化・盛り立ててゆく応援団になるということは、一体、どういうことなのであろうか?そして、具体的に、どういうことを行ってゆけばよいのであろうか?眼下に広がる穏やかな丘陵のブドウ園と遠く春霞が掛かる幾重にも重なる山並みを観ながら、自問自答してしまう。折角だから、購入したビンテージ・ワインのChardonnayと、Cidreでも、ゆっくり、飲みながら、改めて、何が出来るのかを考えてみることにしよう。老犬介護の湯治客には、飲みながら、つい、うたた寝してしまいそうであるが、、、、、、。次回は、Merlot か、Pinor Noirか、赤系で、迷ってしまうが、、、、、。やはり、飲むことが、一番の支援と貢献になるのであろうと、我が儘勝手な自称呑ん兵衛は、そう考える次第です。こりゃ忙しいね!地酒も呑まなければいけないし、、、、、ワインも、、、、、ただ、実に、よい口実が出来たものであることは嬉しい限りです。是非、一度、行かれることをお勧めします。上田柳町にも、直営ワイン・ショップがあるそうです。事前に、営業時間をHPで、確認して下さい。あなたの隠れ家的な御用達のワイナリーにピッタリかも知れませんね。

はすみふぁーむ&ワイナリーHP:フェースブック・ページ、ツィッターもあり
http://hasumifarm.com/


「きくいも」なるものを食する:

2013年03月30日 | 男の手料理・食
「きくいも」なるものを食する:
信州には、ずいぶん、東京ではお目に掛かれない美味しい野菜や果物が、あるものである。金糸瓜(金糸かぼちゃ)やベビー・キーウィー・フルーツとか、ナガノ・パープルという皮ごとポリフェノール豊富なブドウとか、そして、この「きくいも」なるものである。自称、信州農産品の口コミ販売員であるが、たまたま、女房殿が産直売り場で、見つけて、好奇心から購入して、食べたところ、実に、これが、「箸休め」というか、もっとも、箸を休めるのではなくて、逆に、箸が進んでしまうと言うか、「箸が休まない」という皮肉な食べ物である。見た目は、まるで、ショウガに一見似ていてものの、味・食感は、どちらかと言えば、「硬めのジャガイモやレンコンに近いもの」がある。多少、芽の出ている部分は、トリミングしておいて、薄切りに、スライス状にカットして、金平風に、炒めるか、鰹だし汁と醤油で、煮てみると、これが、本当に、おいしいのである。「喜久いも」(その名も由来する菊芋では面白くないので)等と、漢字を当てはめて、売ってみるのも面白いのではないだろうか?地方の産直売り場でしか、入手困難であるような野菜という物も、地元の人にとっては、実際には、大したモノではないのかも知れないが、都会から来た人間には、逆に、それが、とても、新鮮で、何か、価値のある物であるような気がしてならない。そういう一寸した楽しみというか、小さな宝石を見つけたような喜びというものが、「産直売り場」には、あってもよいであろうし、大手スーパーの売り場とは、一味違った差別化も出来うるのかも知れないと思うが、、、、、、、。地酒やその土地のおいしいワインを見つけたときの喜びに、似ていようか、、、、、。
一寸、調べてみると、イヌリンと言う成分が豊富で、結構、糖尿病やアトピーにも薬効があるようである。



「カエル横断中、ご注意!」という看板に思う:

2013年03月29日 | 自然・植物・昆虫
「カエル横断中、ご注意!」という看板に思う:
どこの国だったか、想い出せないが、何かの番組で、蟹の産卵期になると、無数の蟹が、街を横切るようにして、海へ向かうので、車道を横切る蟹を車が無惨にも、轢き殺しながら走る場面が映し出されていたが、軽井沢星野の町道の脇には、こんな黄色い看板が、立っているという。ヤマアカガエルという代表的なカエルの3~5月にかけての産卵期に、とりわけ、雨が降っていて、暖かくなったと感じるような夜には、約150メートルの区間で、この道路を、数十匹が横断するそうである。どうやら、一回に、1~2000粒もの卵を産み落としても、わずか、その中から、2~3匹程度しか、生き残らないらしい。自然の生態系のサイクルの中で、他の動物に食べられてしまうのは、仕方の無いことではあるものの、車による無念の轢死では、蛙も浮かばれず、可哀想であると云う一念から、この注意看板が設けられたらしい。何とも、良い話ではないだろうか!その他にも、「ムササビ(夜間)横断中」という看板も立てているそうである、そう言えば、先日、道路上に、交通事故死した狸が、転がっていたが、これから、夏場にかけて、蛙や蛇や、蜥蜴などが、轢死した死骸に、よく出くわすが、夜間の運転にも、十分注意したいものである。鎌倉では、リスや、江ノ島では、鳶の被害が、問題になっているようであるが、信州では、リスの歩道橋とか、蛙の横断注意看板とか、誠に、エコで、宜しいのではないでしょうか?共存共栄出来る方途を、できる限り、捜すべきでしょうね。後から住み始めた人類としては、、、、、、。なかなか、面白い取り組みですね!自宅の前に、こういう看板を立てないものですね!信濃毎日新聞の記事からでした。



茶房 読書の森、GIGA展by真下道明 を観る:

2013年03月28日 | 伝統工芸・展示会
茶房 読書の森、GIGA展by真下道明 を観る:
なかなか、絵を鑑賞する際には、作者と、直接話が出来ないものであるが、今回は、たまたま、現地にいたこともあって、作者との食事会に、参加するという稀な経験をさせて貰った。作者の説明のパンフレットによれば、「イマジネーションの世界を視覚可能にすることは絵画表現の一つの目的です。GIGAとは、私の中のイメージを出来るだけ忠実に映し出そうと試みた絵画です。それは、ある種の戯画です。」とある。アーティストとは、絵画でも、音楽でも、ダンサーでも、どうやら、身体の中に内在するところのやむにやまれない表現の思いというか、何か、一種、突き動かされるような爆発する力のような物を様々なジャンルで、表現しようとするものであるのかも知れないと思う。この高崎在住の作者の場合、現実とは別の観てみたい、或いは、眺めてみたい世界でそういう世界を絵画で、表現すると言うことであるらしい。一種のシュール・リアリズムの画風であるものの、作者の言によれば、何も、宗教的な、或いは、哲学的なモノではなくて、きらきらと輝くような幻想的な世界を出現させることであると、だから、それは、ある種の「戯画」なのであると、やや控えめに、説明されている。一体何処に、そんなモチベーションが、アーティストというのは、そんなに長い間、持続可能なのであろうかと驚かされる。しかも、写真で見ると、小さな物も、実際には、大変大きな作品で、それらを何ヶ月も掛けて、アトリエで、描くそうである。何故、自分は、絵を描けないかを考えてみるに、どうしても、心の目で、そのイメージを紙の上に、手を使って描くことが出来ないからで、せいぜいが、それは、まずデジカメで撮影し、プリントされた写真を、忠実に写実で、画き写す模写程度である。だから、これでは、「絵ではない」のである。作者の言では、まだまだ、これから、絵を書きたいという尽きぬ泉のような思いが、わき上がってくるそうなので、今後の作品に期待したところであるし、楽しみである。高崎市役所の21階にも大作が、飾られるそうである。3月31日迄、茶房、読書の森で、開かれているので、一種、異次元の世界を、非日常の世界に足を踏み込むのも、宜しいのではないでしょうか?



小諸フィルム・コミッションの講演を聴く:

2013年03月27日 | 社会戯評
小諸フィルム・コミッションの講演を聴く:
KFCと表記されていたので、ケンタッキー・フライド・チキンが、スポンサーになっているのかと思いきや、どうやら、そうではないらしい。Komoro Film Commission (KFC)の略称であるようである。小諸市や佐久市などで映画「家」(文豪島崎藤村の同名小説が原作で、2012年10月に小諸市内では俳人高浜虚子が太平洋戦争時に疎開して住んだ「虚子庵」や、小諸病院で撮影が行われた。)を撮影した秋原北胤監督の「映画ビジネスにおける真の地域活性とは」と題した講演会である。もともと、フィルム・コミッッションとは、映画やCMやドラマなどの撮影場所や撮影支援をする帰還のことで、どうやら、届け出とか交通規制などとも、関わる性格上、地方公共団体や、地元の観光協会の一部署が、その運営事務局を担っているケースが、多いようである。映画撮影などを誘致することによって地域活性化、文化振興、観光振興を図るのが狙いとされているようである。
秋原北胤監督は、なかなか、その経歴からして、面白い人物である。東大文学部ではなくて、東大野球部という肩書きに全面に押し出した異色の映画監督である。異色のという意味は、まさに、叩き上げの助監督やらを、誰それに師事して経験してきた経歴ではなくて、レコード会社を振り出しに、当時、未だ、出来たてほやほやだった、WOOWOOを、そして、博報堂へ転出して、CMなどや、プロデューサー業を経験したその延長線上で、映画つくりをする為に、まさに、垂直統合的に、一人何役もこなす多機能工の究極の形であるところの映画監督という役を担うことになったようである。成る程、CMがついている俳優には、常に、作品が、自動的に、廻ってくる物なのであるのか?CMの多い俳優というランキングも、こうした観点から、もう一度、眺めてみると、確かに、正鵠を射ているわけである。未だ、インターネットのヤフーや楽天などが、黎明期の頃に、おまけに、ブロードバンドが、普及する以前の段階に、メディア作りに関われたという経歴こそが、同監督の後のビジネス・モデルを作り出すヒントになったとは、実に、面白いし、大きな映画会社に、就職していたら、きっと、そうしたきっかけはなかったのかも知れない。そういう意味からすれば、何が、遠回りで、何が、近回りなのか、人生分からない物である。しかも、監督になってからも、むしろ、俳優に、監督業を、カットのタイイングや間の取り方を学んだとは、教えた俳優の方は、余程、頭にきたのであろうが、(もっとも、実は、教えてはくれなかったらしいが、、、、何が、悪いのかを教えてくれなかったらしい。)それを「学ぶ」と言う形で、自分のノウハウにまで、昇華してしまった能力は、並のモノではない神経の図太さである。やはり、体育会系の激しいトレーニングの精神修養のたまものであろう。
CMが、ついてくることの重要性と言い、映画を見る貰う人の側に、すり寄ると言い方は、悪いが、自らを一人一人の観る側に、聴く側に、自らを置いて、制作に当たるようになる。一種の配給する、上映・流通させる革命みたいな物であろう。そうすると、大手も、成功を目の当たりにして、自ずと、すり寄ってくる物であり、地方の映画館にも、儲けを戴けるのであれば、そうした地域の映画を、掛けてみようかという機運も自ずから出てくるという。やがて、ロケの必要性を疑うところから、逆に、ロケの仕組みそのものの改革、エキストラの使い方(飽くまでも、本当は、エキストラその他ではなくて、登場する俳優の一人として)、主演・脇役なども含めた俳優の登用の仕方、所謂、売れている俳優ではなくて、使えそうな本当にやる気のある、切羽詰まった俳優達、具体的に、何人かの俳優を具体名で挙げていたが、、、、監督自身の立ち位置も含めて、ここまで来ると、これまでの製作=配給=宣伝などの別々な分業ではなくて、手売の販売促進活動も含めて、すべて、下から上まで、垂直統合的に、新しいビジネス・モデルを創り出して、映画配給の風穴を開け始めているということではないのか?
どうやら、地域活性化などと言うものは、ロケ場所の誘致とか、如何に、金が落とせる仕組みを作り出すかではなくて、話題性との関係性において、如何に、その地域の人間が、関連づけられるのか、意識が変革されるのか?地域だけで盛り上がっても、大都市では、全く、知られていないなどと言うことが、日常茶飯なことである以上、土地土地のその場所と人の繋がりこそが、重要であると、答は、未だ出ていないが、一つの方向性は、どうやら、展望できそうである。何もエキストラだけではなくて、ボランティアであってもよいが、無償奉仕という形での技術スタッフへのアシスタントとして、映画つくりへ参加することも、又、新しいフィルム・コミッションの在り方でもあるのかもしれない。又、新たな時代劇などの作品つくりで、どういった新たな斬新な映画つくりのビジネス・モデルを提起してくれるのか、楽しみである。なかなか、ユニークな地方都市の活性化、まちづくりへの住民の参加の仕方が、改めて問われている講演であったと思う。俳優で映画を観るタイプか、それとも、監督の作品中心で、観るのか?今回は、どうやら、監督中心で、観てみることにしよう。デジタル化に伴うカメラなどのハード面での研究、音声・照明などのカイゼン、そして、編集などの後工程での合理化などは、やはり、新しい世代でないと、なかなか、出来ないことなのかも知れない。
参考サイト:
http://www.kfcmovie.com/


ウーファーになろう!:現代版住み込み書生か?

2013年03月26日 | 社会戯評
ウーファーになろう!:現代版住み込み書生か?
何とも、新しい形での「食事と宿泊場所」と「力」を交換する仕組みだそうである。ウーファーWWOOFerとは、ホスト・ハウスに往き、力を提供することで、その交換として、
手助けする労働者でもない、学習者、サポーターのことを言うらしくて、海外からの若者が、安い費用で、日本の文化や生活を体験できる仕組みのことらしい。海外旅行者向けのゲスト・ハウスともことなるらしい。実際、茶房、読書の森で、こうした受け入れ体制を、整えることで、その目指すところの地域文化や芸術・音楽・アートなどの活動を一緒に体験して行けるそうである。ホーム・ステイやワーキング・ホリデイのようなシステムとも、一味、違うようである。力というから、労働力化と思いきや、必ずしも、全て、そうでもなさそうである。
参考までに、詳細は、下記サイトを参照してみて下さい:
http://www.wwoofjapan.com/main/index.php?Itemid=31&id=16&lang=ja&option=com_content&task=view
別に、宣伝するわけでも、支援するつもりでもありませんが、(まだ、よく、飲み込めていないので)こうしたシステムも、海外観光ツーリストのインバウンドの増加のツールにも、なるのかも知れません。謂わば、「草の根の労働奉仕を通じた文化交流」の一種で、何も、一流のホテルではなくても、若い人達が、再び、それこそ、結婚してからとか、或いは、孫を連れて、40年後にでも、リピーターで、やってくるかも知れませんね。もう少しばかり、勉強をしてから、再度、論じてみることにしましょう。随分と、世の中には、知恵を絞れば、何も、莫大な費用を使わずとも、草の根で、相互に、文化交流できる手段があるものであると感心します。謂わば、今や、絶滅してしまった昔風の「住み込み書生」に近い雰囲気でもあろうか?3月26日付けの信濃毎日新聞に、「茶房、読書の森」での具体的な体験事例が載っていたので、参照されると宜しいかも知れません。都会でのセイフティー・ネットや、貧困対策などに、税金をたっぷり、つぎ込むのであれば、ハロー・ワークなども、行政側も、観光協会も、こうした活動に、助成した方が、もっと、効果的ではないかと思われますが、如何なものでしょうか?



「浅間自由市場」構想と課題、検討会に参加する:

2013年03月25日 | 社会戯評
「浅間自由市場」構想と課題、検討会に参加する:
東信各地域からの参加者が、総勢、60名余りのうち、4時間余りの説明会と質疑応答も含めて、更に、最後の各参加者による自己紹介まで、残った人が、約3分の1にも達した。基本的なコンセプトなり、理想とするところは、詳細説明するまでもなく、食糧の安心・安全保障の観点から、消費者へ多様な選択肢を与えられるような産直売り場を通じて、顔の見える生産者と消費者を繋げつつ、地方の活性化を図り、食の文化・食育も含めて、地方でも、廻るお金の仕組みつくりを目指そうとするムーブメントの提唱である。丸子町のあさつゆや、伊那のグリーンファームの例を引き合いに出しながら、東信地域での地産地消、直販所の起業への想いと経緯、企業組合方式による出資者の募集構想、障害・社会福祉事業、給食事業とのコラボや、地域固有の技術職人の創出、各地域課題の相互補完の関係性構築とか、いずれにせよ、その湧き出づる想いはよし、その参加者、それぞれ、専業農家の立場、兼業農家、小遣い稼ぎや生きがいの為や、リタイヤー後の活動の一環やら、iターン・Uターンやら(私の場合には、強いて云えばO型回遊ターンかもしれない)、有機栽培や低農薬・無農薬栽培など、農作物だけでなく、果樹栽培、養蜂家、山野草、花き栽培、キノコ栽培、陶芸家、等、広い意味でのCSA運動も含めて、その様々な期待するところの熱き思いを、どのような形に、「運動体として」、具体的に、まさに、顔を見せられるように、「集約させて実現」させてゆくのか?出資者を募る以上、どのような「中核的な組織」、運営母体・事務局的な組織が、どのようなプロによって、構想されるのであろうか?いずれにせよ、既に、様々な可変因数(a,b,c,d,…………)は、議論し尽くされているように、リストアップされ、参加者には、各個人の意識の中に、共有されていようが、それらを、如何にして、「運動体に、繋げる」ように、「地域独自の成功の方程式」を、作り出せるのか?換言すれば、各商品毎に、X= Y= これを各可変因子毎に、+するのか、―するのか、X掛け算するのか、それとも、÷割り算するのか?いやそうではなくて、√なのか、将亦、微分・積分するのか、どのような新たな地域に根ざした独自ビジネス・モデルを、創出・付加できるのか?それを、誰が、どのように、いつまでに、何を、具体的に、提起できるのであろうか?そうしないと、どんなに、熱き思いは、結構だが、EXCELで勝手に計算出来る数字のマジックのような事業企画書やF/Sの数字では、けっして、1口最低2万円、最大、100万円としても出資者・賛同者は、結局、納得が行かないであろうことは、言うまでもないことであろう。QRコードや、ICDシステムの導入は、決して、農薬管理やトレーサビリティー等の観点から、分からないではないが、ビジネスの基本は、「小さく産んで、大きく育てる」のが、鉄則である以上、システムに、数百万円や、上物ハードに、高額な出資金の大半を費やしたり、ましてや、将来の借り入れという含みを持たせるような1stフェーズからのやり方であれば、何人の出資者が、納得するであろうか?無論、2nd, 3rdフェーズ構想であれば、分からなくはないが、、、、、、いずれにせよ、多様な参加者の思いを、その可変因子を、如何にして、その経糸・横糸として、どのような柄に、織り上げてゆくのか?、それが、これから、本当に、問われているような気がしてなりません。熱き思いはよくわかった!では、「どういう組織体で、如何に、」ムーブメントとして、高めて行けるのか、多世代、とりわけ、これからの将来を担う若い人を含めて、どのように、二重三重に、固めてゆくのか?元来、小諸という土地は、小林亜星や永六輔の疎開時代の虐めではないが、排他的な風土があるので、外部のよそ者も含めて、どのように、懐深く、様々な組織・個人の保有する英知・ノウハウを運動体に結実させるのか、そして、それを東信地域まで、横の連携を深められる得るのか?その運動体構築の真価が問われそうである。そして、その具体的な工程表は、如何に(?)と、期待したい。スピード感を持って、次のステップに進むことを期待します。フェース・ブックで、この会合を知りましたが、FB上で、知り合った生産者の方々に、初めて、お目に掛かれたことも、新鮮な出逢いでありました。



一寸、気になるCM:

2013年03月24日 | 映画・テレビ批評
一寸、気になるCM:
どんなCMだったのか、どうしても想い出せない!困ったものである。スポンサーにしてみたら、大問題であるが、コピーライターからすれば、大変結構なことであるかも知れない。そのCMとは、「お料理上手は、片付け上手」と言うフレーズである。実に、耳が痛い。男の料理だから、作るのは自分でも、後片付けと食器洗いは、女房殿というのが、鉄則である。しかしながら、一流の料理人というものは、修行中でも鍋釜をピカピカに、シミ一つ残さずに、綺麗に洗うことも修行であり、食器洗いも、同様である。その観点からすれば、片付け上手でなければ、料理もうまくならないのであろう。うぅ-ん、実に耳が痛い所だ。料理を作りながら、調理している間に、段取りよく、洗うわけである。後からでも良いが、出来れば、同時進行の時間の効率化が、有効であることは事実である。ゴミ屋敷などは、男の料理つくりにも、あり得ないのである。一人暮らしの人は、どうしているのだろうか?結局、やるしかないのであろうか?




クロッカスの花が咲きました:

2013年03月23日 | 自然・植物・昆虫
クロッカスの花が咲きました:
松の大木の根元に植えたままにしておいたクロッカスの球根が、今年も、小さな花を咲かせました。黄色と白の花で、松葉の枯れ葉に、埋もれた中から、土をかき分けながら、芽を出して、小さな花を今年も咲かせてくれました。朝は、まだ、蕾の状態なのに、陽が当たり始めて、気温が上昇するにつれて、花を開きます。そして、夕方になると、又、花を閉じ始めて、眠りに入るようです。まるで、生きている人間の人生のようです。今年は、肥料を与えて、しっかりと栄養を摂取して貰うことにしようかな、存外、松やドングリの枯れ葉は、肥料になるかと思いきや、土の上に、腐葉土の層を幾重にも作って、雨が、結構、土の中に、染み込まないことが、分かりました。或るとき、気が突然、枯れてしまったので、根元を見ると、土がカラカラで、どうやら、良いと思っていた枯れ葉の腐葉土が、大半の雨水をまるで、スポンジのように、吸い取ってしまい、水が、土の中に、浸透しなかったようです。成る程、余程の大雨でないと、これでは、土の中にまでは、染み込まないわけである。地下水というものは、大したものである。幾層もの腐葉土化した中をじわりじわりと、まるで、濾過されながら、地中へと浸透してゆき、それが、地下水脈として、岩盤を通りながら、知らないところで、生態系の維持に役立っていることを、、、、、。
松林も、落ち葉を掃いて、手を加えないと松茸も採れないことを露天風呂のご老人達の会話から、知ったものである。成る程、赤松が、何本も自生していても、これでは、いつまでたっても、松茸は、出てくる筈がないと、、、、、、。青松の枝を下から見上げて、真っ青な空を仰ぎ見ると、白雲が、ゆっくりと、たなびきながら流れてゆきます。朝晩、未だ肌寒いなかにも、何とはなしに、春の訪れが、この里山にも、やっと、感じられるようになりました。





ふきのとうを戴く:

2013年03月22日 | 自然・植物・昆虫
ふきのとうを戴く:
我が家の敷地内には、どういう訳か、ふきのとうは自生していない。もう四半世紀余りのことだから、諦めている。お隣さんから、幸運にも、取り立てのふきのとうをわけて戴いた。タラの芽とか、山うどとか、行者ニンニクの芽などの旬の山菜の季節である。一寸癖のある、苦みが感じられるようなものは、子供の頃は、敬遠していたが、歳とともに、嗜好も変わるであろうか?とりわけ、結婚してからと云うもの、金平ゴボウとかは、大好物になってしまった。もっとも、今でこそ、笑い話であるが、私は、沢庵が多いに苦手で、その味が、何とも、封建主義の香りと味そのもののような気がして、子供の時から、苦手であった。まあ、今でも、いぶりっこ沢庵程度しか、滅多に、口にはしないし、漬け物は、しいて云えば、不得手である。結婚したての頃、女房殿の実家に行ったときに、義理の母が、美味しい沢庵をてんこ盛りで、勧められて、往生したことを想い出す。味覚のうちでも、とりわけ、少々苦みのきいた野菜や、味に癖があるものは、洋の東西を問わず、身体には、どうやら、よろしいものが多いような気がする。しかも、季節の旬を味わいながら、食することを愉しめることは、贅沢なものであろう。こごみ、ゼンマイ、ワラビ、等、春の訪れと同時に、山菜も、ここ、信州では、秋のきのこと同じように、旬の食采を味わうのも愉しみの一つである。里山の恵みに感謝しつつ、食べることにしよう。




CSA勉強会byヤルダ兄弟舎:

2013年03月21日 | 社会戯評
CSA勉強会ヤルダ兄弟舎:
FBの関連から、少々、CSA(Community Supported Agriculture: 地域で支える農業という意味合いから、むしろ、生産者と連携・支援しつつ、自らも食の生産に積極的に関わろうとするムーブメントになりつつあり、耕作放棄地、棚田の再生、収穫・栽培体験、グリーン・ツーリズムとも、広い意味で、関わりが出てきて、生産者・消費者の連携を通じて、地方の再生を、まちづくりも含めて、目指そうとする新たな方向性も出始めている) の勉強会に、少々、関わることになりました。たまたま、これまで、「こもなみ倶楽部」(小諸と杉並を結びつける活動)を外部からサポーターで応援してきましたが、その延長線上で、小諸での浅間自由市場というこれも、FB絡みであるが、新しい産直売り場のオープンというムーブメントも出始めてき、まもなく、具体化されてくると思います。
いずれにせよ、地産地消でも、地産都消でも、地産外消でも、何であれ、自分で出来なければ、出来る人に手助けして貰う「フレキシブルな運動体」(アメーバーのような組織であっても、核になる細胞がきちんとあるような運動体)を構築すればよいではないでしょうか、むろん、初めからは、無理であれば、それらは、第二フェースでも、第三フェースでも良いが、いずれにせよ、初めから、そういう構想をしっかり、運動体の中で、共有しておかないと、どうやら、こうした運動は、「骨折り損のくたびれ儲け」になりがちでありましょう。それでも、結構というのであれば、それも良いかも知れませんが、、、、、それも又、個人の自由でありましょう。もっとも、全国フォーラムのブログでも、纏めて見たように、成功する事例には、いずれも、きちんと、試行錯誤の上で、「その地域特性に根ざした独自のビジネス・モデル」を確立し、「適切なマーケティングやマーチャンダイジング」を行ない、「人材育成・継承」を怠らず、生産者と消費者の双方を連携させることが、不可欠であり、また、それらが、共通しているように思われます。厳然として、市場主義経済の論理の外では、残念乍ら、やって行けないことは、どうやら、確かなようである。その意味で、これまでの独自の運動を担ってきたような各組織体を、緩くても良いから、包括的に、横断的に連携して、その中で、人材交流を促進しながら、有機的に、生産者・消費者のつながりをひとつのCSAであれ、地産地消であれ、旗を立てながら、賛同する都会の若者でも、iターンやリタイヤーした団塊の世代も含めて、或いは、フリーターの人でも、勿論、専門家も含めて、纏めながら-進めてゆけば、新たなビジネス・モデルの地平が拓けてくるのではないかと思いますが、如何でしょうか?残念乍ら、自然ユートピア世界の中で、暮らせるわけではない以上、こういう勉強会も、所詮は、人材であり、緩い組織体であっても、市場経済という蜘蛛の網の中から、逃れられない現実があるかと思われます。そうした「厳しい現実があること」を肌で感じて理解して貰う中核会員を中心に、外部サポーター、それは、金銭的であれ、無償労働奉仕という形であれ、農作業を愉しんだり、地方の美味しい水や空気、美しい景色を日帰りでも、愉しみたいという人を緩くても、その場その場の役割に応じて、提供可能な資源を提供して貰いながら、柔軟に、纏め上げてゆけば、自ずと、方向性は、見えてくるのではないでしょうか?その中から、農業をやりたいという人が出てきたら、皆の力で、サポートして行けるような運動体の構築が出来れば、それに越したことはありません。そんなイメージを持って、望みたいと思っています。




湯治客という居心地よいステイタス:

2013年03月20日 | 健康 医療
湯治客という居心地よいステイタス:
何も、山奥の秘湯での湯治である必要は全くない、里山から、一寸、車で山を下りて、駅前の温泉施設で充分である。何せ、月額でも4000円であるから、一日500円とすれば、8日で、ブレイク・イーブンであるから、都会のスポーツ・クラブ会員権よりは、ずっと、価値があろう。杖をなるべく使わずに、歩行できるようにと、リハビリも兼ねて、毎日、温泉三昧である。まずは、肩まで、ゆっくりと暖まりながら、湯床の側壁面から、湧き出る熱い湯を、腰の部分に、じっくりと当てることにする。すると、腰から太腿の裏から、下肢に掛けて、神経ネットワークが、リセットされたのか、それとも、再起動中なのか、ピリピリと足の裏へと、更には、足の指先にまで、やがて、強いシグナルのように、ビリビリと伝わってくる。およそ、3分くらい、肩まで使った後に、額から、汗が、したたり落ち始めると同時に、今度は、半身浴で、2分程度、これを5分セットとして、3セット、その後で、露天風呂で、火照った体を半身浴で、下半身を温めながら、同様に、3セット、合計、30分程度、行なえば、水のシャワーを浴びても、身体から、頭のてっぺんから、汗が、老廃物とともに、体外へ、排出される。まるで、脳内の血管が、すべて、一旦、フィルターを掛けられたように、スッキリとする。毎日、こんなことを繰り返していたら、脳内血管が活性化されることは間違いないであろう。露天風呂の湯床石は、まるで、墨絵に描かれたような山並みのように、キラキラひかり、秋には、モミジの葉が、落ちてきたり、花びらが、ひらひらと風に揺られながら、水面を漂って来たりと、季節毎の情緒を愉しめる。これも又、一興であろう。風に煽られて、壁面を流れるお湯が、バシャと大きな音を立てて、不意に落ちると、ウトウトしていたうたた寝から、現実世界へと覚醒させる。何も、無理矢理に、サウナで、汗を絞り出す必要もない。1時間余りの湯治客である。高めの血圧も下がって、ゴルフの願望的なスコアに、近くなる。もっとも、今は、リハビリ最中だから、ゴルフは、当分お預けであるが、、、、、。つい、関連づけて考えてしまう。どうしたものか、血圧が下がったからだろうか、贅沢な疲労感が、どっと、帰りには出てきてしまう。お勤めに励まれている現役の方々には、申し訳ないが、湯治客という居底地の良いステイタスは、一度、味わってしまうと、堪らなく、贅沢であることがわかる。当分、止められそうにない。



さとり世代浸透中とは!?:

2013年03月19日 | 社会戯評
さとり世代浸透中とは!?:
世田谷市長である保坂展人氏は就任後、ツイッターやフェースブックでの情報発信を毎日の如く、積極的に、行なっていて、大変、エネルギッシュな首長である。社民党の衆議院議員を目指して、小選挙区制の中で、埋もれていてはもったいないと思っていたが、まさに、水を得た魚の如く、電力の小売り自由化の試行錯誤的な実験にしても、前向きに、行おうとしている姿勢には、フォロアーとして、目が離せないものがある。もっとも、私は、残念乍ら、世田谷区民ではなくて、お隣の区民であるが、、、、。
そんな中、一寸、気になる同氏のツイッターでのつぶやきがあった。「さとり世代浸透中--車に乗らない、恋愛は淡白、ブランド服も欲しくない、酒は飲まない、旅行しない…」は、元日経新聞記者だった故山岡拓さんの「欲しがらない若者たち」を紹介している。長期不況・デフレ時代に消費衝動を刺激する成長モデルとは無縁の心象風景だ。という内容である。
確かに、こういう傾向は、うすうす、気が付いていたが、所謂、「ハングリー」精神なるものが、いや、ギラギラした獣みたいな若者が、見られなくなってしまったのか、映画、「天国と地獄」に出てきた犯人役を演じた無名の頃の俳優、山﨑努の若者のような感じが、俳優の世界でも、現実の世界でも、見られなくなったが、どうしたものであろうか?我々、団塊の世代が、未だ、若かった頃には、ノンセクト・ラディカルでも、ノンポリでも、お互いの主義主張を赤裸々に、語り合い、罵りあっては、自己主張を繰り返し、果ては、殴り合い、酒も痛飲したし、若さ故、無分別な、今では、云えないようなこともしでかしたものであるが、、、、、。そういうモチベーションやヶ押すの中から何かが出てくるということが、今の時代では、無くなってしまったのであろうか?これが、本当の成熟化とか、悟り(?)という言葉が、当てはまる物とも思えないが、、、、。飽くまでも、それは、デフレ・スパイラルによる負の経済のなすところの副産物のような気がしてならないものの、昔は、「何でも見てやろう」式に、治安の宜しくないところへも、結構、今で云うところのバックパッカー・スタイルの無銭旅行(i Pad片手の無線旅行ではない)で、放浪の旅に、或いは、「書を棄てて街を出でよ」等、変な分別などとは無縁な、人生の予定も、計画もないような若者の旅に、出たものであるし、それが、若者の唯一、占有する特権であると考えていたものである。そうかといって、成長路線の昔に、復古するようなモチベーションであってはならないであろう。飽くまでも、それは、若者自身が、もっとも、若者といっても、今や、中年にまでも、その幅が拡がっているようにも思えるが、、、「一身独立して、、、、、」では無いが、独自のモチベーションを創造してゆかなければ、全く、意味がないであろうし、九官鳥に、「さとり世代浸透中。そういう時代よねぇ!」と、云われかねないのではないか。及ばずながら、若者を後押しできる年寄り世代に、なりたいものであるし、そういう組織的な後ろ盾が、必要ではなかろうかとも思う。



牡蠣うち場での惨劇に思う:

2013年03月18日 | 社会戯評
牡蠣うち場での惨劇に思う:
中国人技術研究生による惨劇の報は、何とも、ご遺族には、お悔やみを申し上げる言葉もない。全く、お気の毒であり、恩を仇で返されたようなものである。友人から、毎年、広島の牡蠣を贈られて食べているものの、その裏では、こんな作業場の実態があったということは、なかなか、知られていない。もっとも、東北での震災の時には、今回とは逆に、中国人研修生をまず初めに避難させた上で、自ら、津波にのまれてしまった経営者の話を聞いたことがあったが、多かれ少なかれ、水産業でも、農業でも、酪農でも、「海外技術研修生制度」という、何とも皮肉な入管法をくぐり抜けた非合法紛いの遵法的な人買いの制度が、日本の産業を裏で、日常的に支え続けているのが実態ではなかろうか?そこには、技術移転という名を借りた安い人件費の有効活用と、家族を残して残業代を稼ぎながら、食費を切り詰め、本国の妻や子供に、或いは、年老いた親への毎月の送金を欠かせないという海外出稼ぎ労働者とのミス・マッチングが起きている。結局、少子・高齢化による労働力不足を、非正規雇用という形で、或いは、海外技術研修生制度なるもので、これまで、この矛盾をまやかしで隠してきたのではないだろうか?語学研修、コミュニケーション不足ということは、簡単には云えようが、そういう戦術的な原因ではなく、根本的な戦略的な政策の見直しや、将来の避けて通れない課題である「移民政策」に関して、しっかりとした方向性を打ち出さない限り、又、再び同じような惨劇が、何処かで、生じかねない。単に、中国人による日本人への個人的な怨恨による惨劇というような狭小的な枠組みの中で、排外主義を煽るような風潮・論評では、全く、本質が見えないであろう。「労働力の流動性」を謳われる割には、「非正規雇用労働者の身分」や、「輸入労働力や移民政策」に関しては、どうも、日本は、無得手ではないかと思われる。一刻も早い体系立てられた「労働政策の方向性」を、打ち出して貰いたいものである。そう感じるのは、私一人だけであろうか?



「地産地消の仕事人と学ぶ」全国フォーラムを聞く:

2013年03月17日 | 社会戯評
「地産地消の仕事人と学ぶ」全国フォーラムを聞く:
 所謂、まちむら交流きこう(財団法人、都市農山村漁村交流活性化機構)が、主催する地域に新たな価値と事業を生む地産地消の「仕事人に学ぶ」のではなくて、飽くまでも、「仕事人と学ぶ」のである。要するに、成功事例を単に、学ぶのではなくて、何故、山間僻地にも関わらず、多数の消費者が、そこを目指して、指名するかのように、リピーターとして、又来るのか?その仕組みなり、「マーケティング」や、「マーチャンダイジングの重要性」、「行政も含めた組織内外の公募による人材の募集やヒト作り」、「継続性の不可欠」、次の二手三手を常に試行錯誤する「パイオニア精神」等のキー・ポイントを、成功体験の共有のみならず、今後の進化形態を探ろうとするものである。

 結論から先にいてしまうと、ポイントは、やはり、「ヒト」にあるようである。換言すれば、カイゼンに云われている如く、「Thinking Worker」ならぬ「Thinking Farmer」の創出を初めから、次世代への継承も含めて、考えておかないと、成功はおぼつきそうにないようである。そして、「官との関係」では、つかず離れず、但し、「一心独立して」の気概が初めからなければならない。助成金などは、成功すれば、自然と、「後からついてくるもの」のようである。もっとも、「地域の首長」が、開明でなければならないが、それすら、成功事例を示せば、自ずと、ついてくるようになるようである。やはり、各地域特性に応じた「環システムへの独自の方程式」を、ひとつのビジネスモデルとして確立するそういう人材の供給体制も、内部・外部組織を問わず、必要不可欠なようである。スタッフやサポーターなども、含めて、況んや、出資者をやであろう。そして、「産業化と雇用を生み出す独自の方程式」を、地域の属性に応じて、構築・創出する仕組みを作り出して行かないといけないようである。山に登るのには、様々なルート(方程式)が、あるようであるが、目指すところの最終的なゴールは、「地域の活性化・コミュニティーの再生」であろう。これを、農林水産畜産業を媒介にして、行なえれば、現状の閉塞感を、何もips細胞や再生医療等という成長戦略以外にも、身近なところで、出来るのではないでしょうか? そんな感じが禁じ得ない。年寄りは、年寄りなりの、若者は、若者なりの地域への具体的な何らかの関わりが持てる「場やプラットフォーム」があれば、小さな歩みであっても、それは、10年後の大きな一歩になるのではないだろうか? 以下、細かく、フォーラムの内容を追ってみることにしよう。

「地産地消」だから、地元で作った物を、地元で消費するコンセプトであるものの、今や、産地直売店の「過当競争」や、大型化・複合施設化、互いに、デフレによる「価格競争」や、生産者同士が、「バッティング」し始めるという不毛な競争が、最初のコンセプトから、離れて一人歩き始めているのも現実らしい。地産地消では無くて、大都市で、消費を目指す、「地産都消」構想も出始めているらしい。更には、外国にも輸出するという「地産外消」すらも、聞かれるらしい。どうやら、成功のキー・ワードには、必ず、原料だけではなくて、その加工品、それは、季節の端境期を解決するだけでなく、「付加価値・加工商品」の販売活動の拡がりもあり、原料に由来する延長線上であり、更には、農家の女性陣による伝統郷土料理や商品開発を伴った「農家レストラン」や、「田植え・栽培・収穫体験・料理体験」、「グリーン・ツーリズム」や、「エコ・ツアー」等に、発展して行くのは、当然の帰結であろう。それらの周辺には、例えば、大豆と豆腐とおからとそのバイプロである「肥料・堆肥」への活用という「棄てるもののない環システム」、「リサイクル事業」、或いは、それらを盛りつける地場の窯元による「陶磁器」・食器、小麦の原料から、ピザ製作、等…、食材の加工の延長線上で、農家カフェ・レストランだけでなくて、「冠婚葬祭の場」である法事や葬式、結婚式などのニーズまでも取り込んでいってしまった。確かに、この方程式は、原料:加工品:その消費:体験を通じての教育・コンセプトの普及、考えてみれば、米から、米麹、味噌や醤油、米焼酎、大豆なら、枝豆から、スープ、納豆、果物ならば、ジュース、菓子類、玉ねぎを売るための玉ねぎ・ドレッシングなど、要するに、「環システムのオリジナル方程式を作る」、「潜在成長エンジン化の方程式」を作り出す努力を常にすること。それと同時に、「食育教育」の必要性、重要性を訴えるべく、「学校給食」等への栄養教諭の影響力も、極めて、重要な役割を演じているようである。尚、小諸市も、全国7地区での現地調査の中で、地産地消の給食事業への取り組みが特に進んでいる地域として、挙げられている。小諸厚生病院の栄養科長の活動報告もあるようである。「地方の活性化、農業・水産業・林業の再生」や、「郷土料理・伝統食材」、「地元食材や特産品への再認識」、「有害鳥獣のビジエでの活用」とか、最終的には、やはり、「人材育成」次第のようでもある。とりわけ、行政に関わる担当者の意識改革を行い、教育するような「農業塾」や出向職員研修、そうした人材育成の為の資金援助は、良い意味での補助金でもあり、箱物への投資による「第3セクター等への批判」は、当然であろうし、行政による縛りを嫌う成功者は、異口同音に「第三セクター方式を批判」する。
離島の活性化でも、何処でも、成功のキー・ポイントは、どうやら、「高校生などの若い人達」の「人材開拓、事業の継承」、老齢化を回避する措置として、山形県庄内の「高校生レストラン」とか、「商品開発コンペ」とか、食の甲子園とか、「地域コミュニティーを守る」為には、こうした「次世代への継承の重要性」が再認識されなければならない。更には、「高齢者の知恵と生きがい」の活用、女性や農家の若い嫁さんや都会から嫁いできた女性の新風とか、その意味で、「次世代応援費・農家応援費」として、価格に、その一部を課す方式を採用しているのは、注目に値するのではないだろうか。或いは、出資金の配当替わりに、「地域流通商品券」とか、金が域内で再流通させる仕組みも重要である。確かに、農村の資源とは、「作物の地下水量換算」や「距離計算や時間計算・エネルギー換算価」等も、山や、河も含めて、資源として、見直さなければならない。
「国内外の観光客のインバウンドの誘致」とも、農村再生は、緊密に結びついている。「景観」、「歴史・文化・伝統」も、確かに、「住民の肯定的な意識改革」に結びつくものであろう。農家の蔵に眠っていたほこりだらけの古い漆器や食器の再活用や、着物を再生利用して、インテリアに、座布団にと現代的にアレンジするとか、地域内部の「ヒトの交流」をも、生み出す力が内在しているようである。そして、それを如何にして、「産業」として、「雇用の確保」、「食による職の創出」するということも、大事である。「起業・創業」というと、株式会社とか、考えやすいが、NPO方式でも、堂々と、運営可能であるということも、どうやら、事実でもあるようである。企業誘致ではなくて、これからは、若い人やiターンを考えている人達に「起業誘致」と言う選択肢の提案もあるのかも知れない。
農林水産酪農を巡る環境は、依然として、「限界集落」ではないが、人口の減少、少子高齢化の影響で、マイナス面もあろうが、それを「成熟化・高度化」へと昇華させなければ全く、プラスへとならないであろう。TPPへの反対が、喧しく云われる中で、このフォーラムでは、声高に、反対する声は、聞かれなかったのは、強みを生かせるビジネスモデルを既に、構築させているからこそ、云えるのかも知れないし、既に、前から、その対抗策は、打っているからなのであろう。QRコードから、生産者が、直接、タブレットから注文が、確認出来るようなITシステムとか、ソフト面でも、対応してゆかないと、すぐに、ガラパゴス化してしまうかも知れない危険もあるのは事実であろう。もっとも、B to Bは、現実的な可能性があるものの、B to Cは、なかなか、色々な問題と課題があるようである。この辺も、騙されないようにしないといけないかも知れないが、、、、、。
一度は、大規模店舗に、席巻されてしまった地方の商店街も、この産直販売店の成功に習って、スーパーと同じ土俵ではないところで、対面販売の良さを利用して、再生化に取り組まなければならないであろうし、行政も、考えなければならない。もっとも、「行政に頼るとろくなことがない」ことは、暗黙の了解らしい。どうやら、第三セクター方式では、うまく行かないようであるのは事実のようであるが、、、、、。

講師として、下記の人々が、ファーラムに参加されていたので、関心のある人は、ネットで、検索されてみたら良ろしいかと思われますが、、、、、。

福島県会津若松市、素材広場、(NPO)
三重県多気町、せいわの里
滋賀県東近江市、池田牧場
和歌山県田辺市、秋津野ガルテン
山口県萩市、萩シーマート
長崎県大村市、シュシュ
福島県会津若松市、山際食彩工房
コスモファーム
長野県伊那市、産直新聞
島根県雲南市、JA雲南
奈良県奈良市、シンセニアン
佐賀県武雄市、市立若木小学校、栄養教諭
東京農工大学大学院、野見山教授(農学博士)
食総合プロヂューサー 金丸弘美氏