小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

色々な生き方があるものである:

2015年06月30日 | 社会戯評
色々な生き方があるものである:
小諸の里山にやってくる外国人の観光客やウーファーには、本当に、その人生観と云おうか、生き方と云おうか、実際、感心させられてしまう。何でもシカゴから、やってきた青年は、現在、東京で、英語を日本の会社の従業員へ、教える授業を受け持ち、たまたま、上田のある有名な家電工場へ、出張授業に来たついでに、短い週末の休みを利用して、小諸まで、脚を伸ばして、やってきたそうである。授業は、すべて、母国語の英語のみで、日本語を話しては、生けない規則だそうである。一体、何処で、日本語を勉強したのですかと質問したら、何と、毎日、生活しながら、カラオケも含めて、毎日が勉強で、分からないと、すぐに、携帯にある飜訳アプリの辞書で、日本語の意味を勉強すると、そして、夜は、逆に、スカイプを使用して、香港に在住する日本人の先生から、今度は、日本語を習っているそうである。これでは、昼間に、自国語の英語で、生活費を稼ぎ、今度は、更に、その稼いだお金で、日本語を更にブラシュ・アップして、時間の空いている時間帯には、40件ほどの東京の契約している家やマンションを、海外の観光客向けに、季節により賃料は異なるものの、最低8千円程度から、斡旋するAirbnbのカスタマー・サービスの英語担当を請け負い、これで、手数料を戴いているそうである。何とも、逞しい、元気な青年である。何故、日本人は、こうした生き方が出来ないのであろうか?何が何でも正社員で、何処かの会社に、就職して、ブラック企業紛いの厳しい労働条件と過酷な処遇の中で、精神を病んだり、肉体的に、疲労したり、或いは、派遣社員という地位からずっと、抜け出せない情況では、一体、この違いは、何処にあるのであろうか?説明によれば、全く、ストレスを感じることなく、毎日が、新しいことを学び、楽しく、お金を自ら稼ぎ、更に、キャリアの向上を日々考えていると、、、、。何とも、見習いたいようなタフな考え方であろうか?日本人は、少し、恵まれすぎているのであろうか?ひとつのレールの上に、乗っかり、レールを外れることなく、人生これ安全に、可もなく、不可もなく、過ごしてゆくことが本当に、生きているという実感に繋がるのであろうか?香港からやってきた若い女性ディザイナーのウーファーにしても、父親と共に、雨傘革命に参加したり、慣れない農作業や肉体労働を様々な土地で、見知らぬ異国の人付き合いの中で、体験するということは、彼女のこれからの人生にとっても、かけがえのない経験になることであろう。ひとりぼっちで、見知らぬ土地で、働き、メシを食い、一緒に酒を飲むことは、これ程、ソフト外交に寄与することはなかろう。本来、歴史認識などと云う類のモノは、こうしたことの上に立脚していれば、自然と氷解してしまうモノではなかろうか?今度は、香港で、或いは、彼が過ごしたベトナムのHCMCで、再会して、レ・タン・トン通りの日本食レストランで食事することを誓い合って、別れてきました。それにしても、いつも、人生には、色々な生き方があるものであると、感心させられてしまいます。一体、どこから、こんなエネルギッシュな逞しい人生観は、生まれるのでしょうか?少し、元気を貰ったような気がします。

ギリシャ、デフォルトの現実味が迫りつつあるのか?:

2015年06月29日 | 社会戯評
ギリシャ、デフォルトの現実味が迫りつつあるのか?:
学校の教科書などでは、デフォルトの説明が、頭では、理解出来ていても、実際に、国家的な規模でのデフォルトが、現実味を帯びてくると、一体、個人生活レベルでは、具体的に、どんな不都合が生じてくるのであろうか?個人的な観点からは、既に、銀行の貸し剥がしによる倒産に伴う個人破産を身近にも、体験しているものの、実際、それが、国家規模で生じた場合には、はてさて、どんなパニックに陥ることになるのであろうか?既に、銀行資金の逃避や預貯金の引き出しが、ATMに長い列をなしていることからも、容易に想像が出来ようか?金持ちは、既に、何処か別の国にでも、しっかりと、資産・資金を移転して、自己防衛策を施して、準備万端整えているのであろうが、無垢の国民は、とりわけ、年金に依存して生活している者などは、どんな対策が出来るのであろうか?そして、国債の償還に問題が生じてきたときには、世界経済への影響は、どのように、波及してくるのであろうか?それとも、株式相場は、既に、そんなことは、とうの昔に、折り込み済みであるとでも、静観するのであろうか?教科書や歴史の中で、昭和金融恐慌などという言葉を我々は、頭の中で、知ってはいるが、或いは、銀行預貯金の一定額の保証などと云う法律を漠然と頭の中では、分かっていても、仮に、こういう国家的な規模でのデフォルトが現実味を帯びてきたら、日本人は、どう対応するのであろうか?頭の中で、分かっていることと実際に、どのように、行動すべきなのか、或いは、どう自己防衛したら良いのかということは、全く、別問題であることは、残念乍ら、事実であろう。そして、改めて、国民を守ってくれるはずの国が、実際には、守ってくれないという事が、分かったときに、国民は、どうしたモノであろうか?誠に、他山の石としなければならないであろう。国家存立の危機とは、こういうときに、どう守ってくれるのであろうか?それとも、そんな時には、金持ちは、さっさと、何処か別の国に、真っ先に、資産を逃避させてしまうことだけは、まず、確実であろうが、、、、、、。

蛍鑑賞を愉しむ:

2015年06月28日 | 自然・植物・昆虫
蛍鑑賞を愉しむ:
ボランティアのお陰で、今年も又、蛍の乱舞を鑑賞できる季節になった。その年の天候、気温や雨の量などによって、蛍が舞い始める時期が、異なるが、飛び始めたという情報を元に、シカゴと香港から来た外人観光客と一緒に、蛍の鑑賞することになった。街頭が少ないので、懐中電電灯を持参して、或いは、スマホを活用して、思い思いに、田んぼの用水路沿いを歩くと、既に、田んぼに、スーと、淡い光が、空中に、浮かんでは消え、消えては、又、再び、浮かび上がり、飛び交っているようである。土手の草の上に、静かに、止まったままで、しばし、小休止している蛍もいる。以前、写真を撮ったものの、後から見たら、ポツンと小さな光だけが写っていて、何が何やら、分からない事があってから、やはり、自分の眼に、しっかりと焼き付けるのが良いということに方向転換をした。蛍というのは、存外、フレンドリーだね!とシカゴから来た日本で企業の英語の教師をしている青年が云っていた。確かに、そっと、手を出すと手の平にのり、ジッとしていて、淡い光を発行しながら、一休み語には、又、空中を舞って、木の枝へと移ってゆく。東京からやってきた小さな子供達は、月明かりの下のたんぼ道の散歩と蛍と星を眺めて、ソラの星も、蛍みたいだねと、面白いことを言っていた。充分、蛍狩りを愉しめたことであろう。来年も又、来たいねとも云っていた。大人も、童心に帰って、一緒に、遠い黒い山並みを眺め、月と叢雲を愛で、星を眺め、蛙の鳴き声を聞き、そして、蛍の乱舞を愉しめるのは、実に、有難いことである。

Heart of a SAMURAIを読む:

2015年06月27日 | 書評・絵本
Heart of a SAMURAIを読む:
少年少女向けの英語の本を読みながら、涙を流してしまうのは、どうしたモノであろうか?考えてみれば、英語の文字の一字一句を読むのもそうであるが、この本の主人公である「中浜万次郎」の自伝に関して、ある程度の事前の知識があるから、その時の本人の立場を慮れば、自然と涙が流れでてきてしまうのかも知れない。それにしても、自分が生まれる僅か、約百年前の物語である。14歳になる少年漁師が、鳥島に、遭難して、奇跡的に、米国の捕鯨船に救助され、しかも、その航海の途中で、英語と航海術を学ぶ姿勢をみた船長であるWhitfieldの個人的な厚意によって、米国へ、渡り、しかも、英語を含めた学業と航海術を広く学べるという僥倖に恵まれるということが、本当に、そんな昔に、あったのであろうかとも、驚いてしまう。人間の人生とは、まことに、人との出逢い、或いは、僥倖に恵まれても、それを僥倖であると、その時には、認識できず、結局、無駄にしてしまうことも珍しいことではない。人生の選択とか、岐路とか云うものは、好奇心と努力とある種の未来に対する「何でも見てやろう」式の楽天主義がないと、僥倖自体を生かすことが出来ないのかも知れない。それは、一緒に、救助された仲間達とは、おおいに異なる人生の選択であったことだけはまちがいないであろう。まるで、人生とは、黒潮に乗るが如き航海のようなものであることが、読みながらも、理解出来ようか?米国滞在中にも、様々な二度に亘る教会での人種差別とか、バートレット航海学校での試練とか、困難な試練を乗り越えて行くこの日本人漁師の少年から、青年へと生まれ変わって行く過程は、そして、14年ぶりに帰国を果たしたあとも、スパイ扱いを免れず、故郷の高知の土佐清水に、戻るまでの過程は、国を超えて、青少年に、未来は、自らの力で、その僥倖を生かすべきものである事を、力強く、訴えているようである。Falling down seven times, get up eight という親から教わった心意気を、異国でも、実践し、帰国を果たし、幕末のペルー来航時の時局の中で、通史として、或いは、英会話、航海術、更には、西洋文明に関する生の情報を幕府に、提供したことは、その士という身分に仕立て上げられたこととは、別にしても、生まれた時代背景を考えれば、全く、僥倖であると云うほかはないのかも知れない。米国を離れて、19年後には、約束通り、再び、外交使節団の一因として、再び、43歳で、長い航海を経て、船長夫妻と再会する。そして、1898年、71歳で亡くなるまでに、様々な英語での本を出版したこと。そして、John Mung,こと、ジョン万次郎を記念して、友好都市の締結と互いの友好の印に、交流イベントを開催していること、又、現地の小学校でも、英語の教材として、使用されていることなど、本書に掲載されている本人の手書きのスケッチ画を含めて、興味深いモノがある。最後に、皮肉にも、今日、捕鯨が国際的に孤立しているものの、当時は、鯨の脂が貴重な資源で有り、捕鯨船団の兵站補給基地が、重要な課題であったことも、我々は、おおいに、忘れてはならない。文中に見られるある種のフィクションは、それはそれとしても、充分、青少年には、自分の同じ歳の少年の人生を、我が人生のように、考えられる良い機会になることと思われる。

労働流動化とは?:

2015年06月26日 | 社会戯評
労働流動化とは?:
とうとう、派遣労働者改正法が、通過してしまった!一体、派遣労働者の将来のセイフティー・ネットは、どうなってしまうのであろうか?一定の労働組合の承認がされれば、起業雇用側の3年を期限とした首切りと永遠に、同じ仕事を正社員の同一賃金、同一労働をないがしろにして、取り替え、ひきかえして、安いコストで、賄おうとすることが可能になる。本当の意味での労働の流動化は、何処に行ってしまったのであろうか?全員が全員、起業して、創業できるわけではないものの、労働の良い意味での流動性とは、そうした柔軟な環境が整備されていなければならないのに、今日では、どうやら、別の方向へ行こうとしているようである。この方向性の先には、ホワイトカラー・エグゼンプションが、間違いなく、俎上に登ってくるであろう。既に、一定程度の高年収を稼ぐとされている一部の特殊なプロ集団に対する労働時間の撤廃も可能になろうとしているし、今回の派遣労働者改正法も、3点セットの一部でしかなかろう。どんなに、労働組合が反対しても、所詮現状の力の弱さでは、大衆運動すら、出来るようなことは期待できない。所詮、派遣労働者にとっては、正規社員側に立脚した社内労働組合としての雇用側に立った補完勢力にしか過ぎないであろう。少子化の問題、労働年齢の老齢化、或いは、移民政策、技能研修制度、などとも、密接に関連した国際労働生産性や競争力の問題として、捉えられなければならない。その意味で、政府の狙いとする労働の流動化というモノは、決して、ジョッブ・キャリ獲得とか、個性的な働き方・生き方とかという「美しい言葉」では、到底語られない何ものかが、そこには、潜んでいるとしか、云えないと思われるが、、、、、、。どのように、自己防衛したら良いのであろうか?本当の意味での、自由な個人が生かされるような労働の流動化とは、どのような最低条件が、必要なのであろうか?


マクドナルドは、立ち直れるのか?:

2015年06月25日 | 社会戯評
マクドナルドは、立ち直れるのか?:
何とも、カサノバ社長は、日本人受けする感じがしない。メガネをコンタクトにしたり、髪型を変えても、なかなか、業績が改善しないようである。いっそのこと、やはり、髪の毛をヒラリー・クリントンのように、金髪のブロンドに、染めなければ駄目なのではないかとも勘ぐってしまうほどである。それにしても、新しいメニューをみても、何とも、見栄えがしないし、魅力を感じることなく、又、新鮮みが足りないように思えてならない。野菜をふんだんに使用して、差別化をしようとしても、所詮、モスやフレッシュネス・バーガーに先を越されている以上、別に、どうと云うこともない。注文してからの調理にしても、今では、珍しさは殊更にないし、或いは、フレイム・ブロイルにしても、バーガーキングに、差別化されているし、兎にも角にも、これまでの世界の何処に行っても品質基準が同じであると云う驚くべきその安心感の高さが、今や、逆に、地に落ちてしまった以上、為す術を知らないという状態なのであろうか?いずれにせよ、新たな品質基準の確立とその維持と顧客へのアピールは、想像以上に、時間が掛かることは間違いないであろうし、消費者やFCに理解されるのには、長い道のりであろう。タカタにしても、東洋ゴム工業にしても、一度、品質管理に関する信頼を失うと、そのブランド力は、まるで、魔力を失った魔法使いのようになるものであることは、マクドナルドも又、その例外ではなかろう。かつての藤田田のようなカリスマ創業者の魔法も、今や、サラリーマン化して、大きな組織になり、英語を得意とするスキルがないとまるでビジネスが出来ないような社内扱いでは、これから先が、思いやられる。FCの扱いも、誤った方向性と変な組織引責処分で、信頼が揺らいでいると云われているが、、、、。組織というモノは、どんなに、利益を上げていても、或いは、ブランド力があっても、必ずしも、未来永劫、保証されているモノでないことが証明されようか?兎に角、走りながら、品質改善を図り、新規商品開発も行い、消費者からの信頼を回復すると云うことは、なかなか、難しいことであろう。マクドナルドは、こんなことまでもするのか、というような驚きがなければ、日本の消費者を再び、動かすことはないであろうか?今後、どういう、動きが期待されようか?それにしても、トヨタの女性役員の不祥事といい、叩き上げのマクドナルド・ガールのカサノバ女性社長にしても、日本では、なかなか、厳しい逆風状態である。藤田田だったら、どうするであろうか?本当の手腕が問われるところである。そういえば、ここのところ、マックでは、食べていないことを想い起こす。

難民・移民・技能研修生に思う:

2015年06月24日 | 社会戯評
難民・移民・技能研修生に思う:
難民認定が、相変わらず、進んでいないと云われている。国際的にも、政治的な圧力があっても、どうも、我が国の難民・移民政策は、相変わらず、鎖国状態であろうか?ミャンマー難民も、シリア難民も、アフリカ難民も、一事が万事であろうか?少子高齢化の波と、移民政策と難民認定の方針は、一見、別々のように、観られようが、どうやら、我が国では、その底流では、何か、共通するようなものが、ありそうである。長い間、矛盾に富んだ海外技能研修生制度に関しても、実質的な労働力不足を補完するような動きの中で、根本的な改善の目途は、こちらも、一向に立っていない。しかも、労働政策は、明らかに、ホワイトイグゼンプションに向けて、一連の派遣労働者改正法の成立後は、もうまっしぐらであろう。もはや、労働力の流動化どころか、一体、どういう方向性へ、我が国の労働政策は、向かうのであろうか?国の成長にとっては、労働可能人口、労働政策の行方は、最重要課題のひとつでもあり、どういう方向へ向かうのであろうか?これに加えて、女性労働力の活用とか、既に、待ったなしの情況が、続いているのが、現実でもある。労働生産性の向上のために、ロボットの活用とかも、期待されているものの、どうなるのであろうか?これから、少子化、高齢化の中で、どのように、こうした課題が、社会の中で、語られるのであろうか?文化の多様性とか、異文化交流とか云われる割には、どこか、その底流では、まだ、鎖国以下の状況ではなかろうか?所詮、長崎出島のような位置づけなのであろうか?どうしたモノであろうか?派遣労働者の問題だけではなさそうである。

165億円の役員報酬の価値とは如何ほどのものなのか?:

2015年06月23日 | 社会戯評
165億円の役員報酬の価値とは如何ほどのものなのか?:
何でも、ソフトバンクの有価証券報告書の中で、印度出身の役員の僅か半年間の報酬が、165億円と記載されているらしい。一体全体、この世の中というモノは、どうなっているのであろうか?プロ野球の選手の移籍や世界的な著名なサッカー選手の年俸が、報じられる度に、億単位の数字が、二桁くらい並んでもビックリして、腰を抜かすくらいなのに、今度は、三桁なのか?サラリーマンの平均的な生涯年収というものは、一体、どのくらいのものなのであろうか?せいぜい、よくても、数億円止まりなのであろうか?シングルマザーや複数のパートを掛け持ちで必至に働いている労働者は、年収でも200万とか、300万円にも、達しないと云われているが、余りにも、違いすぎる。一体、如何ほどの価値の違いが、そこにあるのであろうか?仮に、働いている実質労働時間とか、この世に生存している時間数で、これらの生涯賃金や役員報酬を単純に割り算してみたら、一秒当たり、どのくらいの金額になるのであろうか?それ程までに、人間の価値が、利益当たりの生産性や価値に於いて、そんなに異なるのであろうか?単に、羨ましいとか、呆れるとか以前の話であろう?別に、こちらは、「清貧の思想」の信奉者でも、we are 99% などと、貧困者セイフティー・ネットを狂信的に、声高に、叫ぶモノではないが、それにしても、どこか、不可思議な構造である。仮に、こういう人物と一緒に、仕事をしてみたら、一体、何処が、違うのであろうか?利益を稼ぎ出す能力、新しいグローバル規模でのビジネス・モデルを創出する優れた能力が、抜群に、卓越しているのであろうか?貧富の差とか、格差是正とか、論議する前に、このうちの一億でも二億円でも、難民救済とか、交通事故で、親を亡くした子供達に、分けても、罰は当たらないだろうにとも、貧乏人は、考えてしまうが、、、、、、。どうしたものなのであろうか?新入社員は、是非、一緒に、仕事をしてもらいたいものである。どう、人生観が変わるか、たのしみである。ピケティー先生は、どうコメントするのであろうか?やはり、云ったとおりだと?!


NHK, きわめびと、「アンガー・コントロール」のこと:

2015年06月22日 | 社会戯評
NHK, きわめびと、「アンガー・コントロール」のこと:
Anger Management のことである。それは、一種のイライラ、怒りを抑制するのではなくて、積極的に、科学的に、分析し、対応して、どのように、上手に付き合って、解決して行くかと云うことらしく、どうやら、最近のキレやすい若者とか、対人関係、例えば、身近なところでは、夫婦、恋人、親子などの間柄、或いは、職場や地域、ご近所付き合い、或いは、拡大すれば、国家間にもなるのであろうか?なかなか、考えさせられる課題である。何でも、人間は、自分の理想とするところの、「べき」、或いは、「○○すべし」と言う形で、常に考えがちで、これに、相反するもの、或いは、違うモノを、謂わば、心の中に、自分を中心に、3層構造の円球のような形で、持っているらしい。つまり、中核となるモノは、(自分と同じ考え)、次に、その外周・外郭に、(少々、違いがあるものの、まぁ、許せるかなと云う範囲の感情)、そして、その外側には、むき出しの(許せない)という思いが、作られているらしい。従って、人間関係に於いては、親子でも夫婦でも恋人でも、上司・部下の関係であれ、すべて、この構造のなかで、捉えられて、爆発寸前に、或いは、爆発・噴火を起こしてしまうらしい。これに対処する方法として、第一に、イライラや怒りの根源を具体的に、言葉で、書き出して、その現象と原因とを解析してみるとよいと言われている。とりわけ、イライラや怒りを数値化してみて、(番組では、温度計を使っていたが)具体的に、イメージ化してみることが、大事であると。これを常に心掛けて、心の中に、この構造を創り出して、具体的に、(多少違いがあるが、まぁ、よいか?許そうではないか?)と言う風に、具体的に、相手を思いやる言葉を使いながら、対応することが肝心であるそうである。そうすると、怒りやイライラを生じせしむる「負の連鎖」を裁ち切り、「歩み寄れる」そうである。そして、言葉の暴力も、霧散して、相手を責めるネガティブな言葉をNGワードとして、認識も出来るそうである。しかも、イラッとするのは、どうやら、僅か6秒程度のことで、このピーク時間を抑制・回避できれば、互いの熾烈なバトルという最悪の事態を解消できるそうである。どうやら、この手法では、イライラや怒りは、他人が生み出すモノではなくて、自分、自らが、上述の思考構造の中から生み出してしまい、そうしたイライラの感情そのものが、他人へも伝染病のように、伝播してしまうそうである。そう言われれば、生物多様性ではないが、或いは、文化の多様性の許容とか、異文化の共生とか、受容とかという課題に関しても、広く、適用されよう。眼に余るヘイト・スピーチも、ヘイト・クライムも、少しは、こうした観点からも分析されてもらいたいものである。もっとも、全体主義やファシズムというモノは、政治的な怒りを、実に巧みに、コントロールして、あるときは、自分に都合良く、排外主義や民族浄化という方向へと、或いは、あるときには、自然災害や天災や、或いは、事故ですら、原因究明を隠蔽したり、不満が当局へ及ばないように、大衆運動を懐柔したりするものであることを、忘れてはならない。その意味では、「怒りの発露」というものも、必要不可欠であり、民衆に、与えられた天賦の権利であることを忘れてはならないでしょうね。

約40年ぶりに酒を酌み交わす:

2015年06月21日 | 健康
約40年ぶりに酒を酌み交わす:
毎年、年賀状では、曲がりなりにも、やり取りをしているから、おおよその生活ぶりは、想像可能であるものの、やはり、約40年ぶりくらいに、再会して、酒を酌み交わしてみると、人生、色々と、あるものであると感じる。もう3人とも、現役を引退しているから、いつでも、逢えると云えば逢えるようであるが、そうでもなさそうである。何でも、3-4年前から、人工透析を受けていて、週三回、毎回、4時間程をベッドに横たわらずを得ないそうである。現役の人が、人工透析を受けながら、働くと云うことは、如何に大変かという事はある程度、想像できていたものの、やはり、引退しても、それでも、関係無いようである。成る程、健康管理というモノは、とにかく、一番の関心事であることに間違いない。この歳になると、何処かしら、身体に不調をきたしてくる。現役時代の長年の無理が、金属疲労のように、身体をじわじわと、侵し始めるものである。元部下が、くも膜下出血で、植物人間になって、80歳になる母親を残して、独身で、未だに意識が戻らず、ベッドに寝たきりの状態であるとか、何とも、どんなに、一生懸命に、働いて、組織に貢献しても、自分が健康を害して、とりわけ、命に直接関わるクリティカルな突発的な病気に襲われることは、全く、何とも、云いようがない不条理であろう。結局、この友人も、人工透析を受けざるを得なくなり、その結果、仕事と命のどちらかを選択せざるを得なくなり、結局、独立してやっていた事業も、銀行の貸しはがしにより、自己破産、離婚と、何とも、やりきれない人生の転変である。それにしても、人生の節目、ライフ・サイクルの節目とは、自分で、果たして、その瞬間、瞬間で、的確に判断出来るものなのであろうか?少なくとも、云えることは、後から、時間を逆廻しにして初めて、可能なのであって、その瞬間には、案外、分からないものであろうか?それが分かっていたら、あんなに、無理してがむしゃらに、働かなかったものを、、、、、、、とも思われる。病気になって初めて、健康の有り難みが分かり、或いは、家族と別れて、両親や兄弟・姉妹を亡くして初めて、過去の時間の共有を想い起こすものであると、何でも、人工透析を始めるときに、医者から、精神科の受診を義務づけられて、まず、命に対する根本的な人生観の修正をせまられたと、つまり、自分一人、勝手に、自由に仕事に生き、勝手に突然、死んでしまっても構わないと言うこの考え方を究極の選択から、矯正されたそうである。そして、長年の喫煙習慣も辞めて、週三回の人工透析専念と健康管理を約束させられたそうである。何とも、他人事では済まされない。白内障の初期症状を呈し始めている様子だったので、私が、処方されている眼薬の名前と、眼科検診を強く、要請しておいた。話は、結局、健康、家族、仕事、空き家、独居老人、政治談義などへと拡がり、あっという間に、3時間が過ぎてしまった。今後は、時間の許せる範囲、定期的に、集合して、この次は、小諸の温泉で、ゆったりと、血圧を下げながら、信州蕎麦などを食べながら、一杯やりたいものであるという事に決して、又の再会を期して、別れてきました。それにしても、もう、50年余りの付き合いだから、お互い、髪の毛の色と量は、推して知るべしであるが、気持は、昔のままである。こうした付き合いは、長く続けたいものである。

深夜高速を走って気づかされること:

2015年06月20日 | 社会戯評
深夜高速を走って気づかされること:
単に、ETCカードの割引をして貰うために、平日の深夜に高速道路を走るモノで、普段なら、土日の休日に、昼間走るところである。それにしても、午前12時以降に高速道路を出るために、途中、一般道を走っていると、何と、深夜トラック便が多いことかと、改めて、驚かされる。プロのドライバーと云うものは、一体、平均年齢が、何歳くらいで、どのくらいのお給料を貰っているのであろうか?こちらは、たまにしか、走らないから、よいものの、これが、生業で、毎日、毎晩、走るとなれば、大変なことであろう。とりわけ、天気が悪く、途中では、局所的に、横殴りの激しい雨に、ワイパーも、忙しかった。又、山間部の峠では、霧が掛かって、見通しが、悪く、前を行くトラックの赤いテイルランプを頼りに、エンジンブレーキをきかせながら、走らねばならない。まるで、コンボイが、隊列を組んで走っているようである。前方の追突も怖いが、後ろからの追突も怖い。何せ、コンボイの隊列の中に、一台だけ、ひときわ小さな軽自動車が紛れ込んでいるのであるから、、、。途中から、高速へ入るのであるが、こちらも、途中のパーキング・エリアでは、数多くの大型トラックが、仮眠をとっている。思えば、冷凍コンテナの8フィートX8X40のハイ・キューブの背高コンテナで、輸入冷凍食品を扱っていたときには、煮崩れで、カートン内のトレーが破損して、散々、改善・対策に、苦しめられたことを懐かしく、想い起こす。ゆっくりと法定速度で、走っているトラックをみると、丁寧に輸送しているのであるなぁと不思議とそんな感情が湧いてくる。何せ、こちらは、別に、急ぐわけではないから、一番左の車線を迷惑を掛けない程度のスピードで、走行して行く。それにしても、昼間とは違って、深夜でも、日本経済は、休まずに、物流が、機能しているものである。アマゾンや宅配便の輸送途中履歴をみると、全く、日中・深夜を問わず、商品が、こうして、輸送されているのだということを改めて、思い知らされる。そんなに、急いで、運ばなくても良いのにとも、こちらは思うが、システムというモノは、所詮、究極のスピードを、これでもか、これでもかと、更新してゆかなければならないモノなのであろう。そんなことは、頭で、知っていても、現場のドライバー、配送センターのスタッフ・労働者は、大変だろうにとも、思ってしまう。無事、深夜過ぎに、自宅に到着したら、驚いたことに、平日、こんな時間帯にも拘わらず、まだ、住宅街の道路を、自転車や徒歩で、歩いている人達の多いこと、誠に、ビックリである。都会は、眠らないのであろうか?そして、物流も眠ることなく、機能しているのであろうか?改めて、気づかされる。

有料観光ガイド養成への疑問:

2015年06月19日 | 社会戯評
有料観光ガイド養成への疑問:
一体、何人の有料ガイドが、日本には、免許を有して生業としているのであろうか?可笑しな制度である。外国語をある程度、話すことが出来れば、逆に、無償のボランティアで、専門的なガイドとは別に、どしどし、個人で、観光ガイドをやって貰った方が、草の根の外交推進で、宜しいのではないだろうか?全く、世界的な趨勢とは別の代物であろう。もっと、地方での公式観光ガイド・ブックの英文版を発行して、これを広く、一般に、HPでも、スマホでも、観られ、勉強できるようなシステムこそが、求められているのではないだろうか?専門的に、生業で、同時通訳ではないが、こうした人材の育成が、必要であると云う議論は、言を俟たないものの、もっと、広く、広範囲に、ボランティアを広める方が、草の根の外交としての観光を見直すきっかけになるのではないかと思われよう。要するに、英語が出来るかどうかである。何とも、相変わらずのお上による不可思議な方向性である。一日も早い、地方観光ガイドブックの英文版の無償公開を望みたいところである。へんてこな観光ガイドをされたら、困ってしまうと云う逆発想なのであろうか?何とも、困った国である。ボランティアの観光ガイドの育成の方が、より、重要ではないのではなかろうかと思うが、、、、、。

18歳のあの頃の僕から君たちへ、そして、香港:

2015年06月18日 | 社会戯評
18歳のあの頃の僕から君たちへ、そして、香港:
70年ぶりの公職選挙法改正であると云う。振り返れば、自分たちの18歳の頃とは、文化大革命真っ最中で、中国の同世代は、紅衛兵である。そして、ベトナム反戦運動の最中、翌年には、羽田闘争で同世代の京大生が死亡する。その後も、大学入学以来、全国的な学園闘争で、いつも、個の主体的な在り方と、その実存を問われるような日々であったこと、又、権利などと云うものは、決して、間接民主主義や、議会制代議制のもとで、与えられるモノではなく、勝ち取るべきモノであると云う事、更には、こうしたことも又、幻想に過ぎなかったことを、自分の頭と身体で、思い知らされたようなそんな時代であったかも知れない。又、社会に出てからも、現実と理想との狭間に、呻吟して、がむしゃらに、競争という現実世界に、やむを得ず、曝されることになったのも然り。今、20代の投票率が低いとか、若者の声を聴くために、有権者教育とか、選挙権の付与が行われることになったが、誠に、笑止千万、チャンチャラ、可笑しいではないか?若者は、権利付与と同時に、どんな義務も負わされることになるのかを考えねばならないだろう。翻って、当時の紅衛兵達は、今、どうしているのであろうか?或いは、香港の若者は、限定的な選挙権付与をどう考えているのであろうか?雨傘革命は、何処へ行ってしまったのであろうか?自由な普通選挙権ですら、与えられることのない大半の国で、一体全体、18歳選挙権の付与とは、何を意味するのであろうか?じっくりと、若者は、熟考すべきではないだろうか?官製賃上げ、官製選挙権付与、実に、お上からの有難いお国柄という他はないだろう。そんなことで、この国は、果たして、良いのであろうか?

お父さんだけ、一人負けらしい!?:

2015年06月17日 | 社会戯評
お父さんだけ、一人負けらしい!?:
と言っても、パチンコや競馬の馬券のことではない。最近のお小遣い事情のことであるそうである。ストレスにも、或いは、家庭内でのプレッシャーにも負けずに、一生懸命、自分で、身を粉にして稼いできたなけなしの給料も、何と、最近の家系調査によれば、奥さん、子供達、更には、ペットたちに廻るお金が、どうやら、一生懸命に働くお父さんのお小遣いだけが、マイナス傾向が、続いているらしいと、、、、、、。何とも、実に切ない、悲しむべきことであろうか?共稼ぎのお母さんは、しっかり、何処かで、自分のへそくりを貯め込んでいて、化粧品やら、衣類やら、自分の買い物に、しっかりと、お父さんの分を当て込んで、資産形成を秘密裏に、しているのであろうか?それに比べて、お父さんの方は、残業代もサービス残業で、帰りの一杯のチョイ飲み代も、ままならず、しかも、昼飯のワン・コインも、最近では、どうやら、物価目標の2%アップのせいだろうか、雲行きが怪しくなりつつある昨今である。着るものに至っては、クールビズではないが、今や、背広も、ネクタイも、夏場には、不要となり、この部分は、必然的に、削減対象になるのであろうか?いやはや、実質賃金の上昇は、どうやら、お父さんにとっては、当分、夢の又夢なのであろうか?これでもか、これでもかの仕打ちとプレッシャーに違いないだろう。それに引き替えて、家庭のお犬様・お猫ちゃんは、しっかりと、ペットとしての食事代・理容代・病院代などで、しっかりと、上昇気味であるそうである。お父さんのお小遣いよりも、こちらは、しっかりと、着実に、実質お小遣い消費額が、上昇傾向にあると云われている。お父さんよりも、物言わぬペットの方が、癒やし効果(?)で、重要な役回りになっているのであろうか?それにしても、実に、時代を反映しているものである。

膵臓癌検査:

2015年06月16日 | 健康
膵臓癌検査:
学生時代の友人が、何でも、抗がん剤治療に陥っていると手紙で、知らせてきてくれた。あれ程までに、元気で、ゴルフを愉しんでいたのに、、、、、、、。どうしてしまったのであろうか?新聞によれば、味の素が、人間ドックと連携して、血液検査で以て、発見が困難であるとされている膵臓癌の早期発見へ目途をつけられるというではないか!何とも、皮肉な結果である。もう少しでも早く、朗報が得られていれば、友人も早期に膵臓癌が、発見できていたのかも知れない。いずれにせよ、これも又、運命というモノなのであろうか?何とも、コメントがつけようもないくらい、辛い知らせである。味の素に限らず、島津もまた、あの田中フェローなどにより、血液検査から、癌の早期発見の手法が、早く、確立されて、保険適用でも、人間ドックでも、何であれ、具体的に、検査が実施され、普及されることを願ってやまない。大腸癌の内視鏡検査にしても、事前の下剤を飲まなければならないとか、結構、負担が大きいのが実態であろう。その意味で、血液検査で、判明されれば、負担が、少なくなることを期待したいものである。