小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ヨガとティラピスにも、参加してみた=自然な呼吸・有酸素運動の難しさ

2011年08月31日 | 社会戯評
東京では、月会員費が、12,000円であるのに対して、ここでは、天然温泉(露天風呂、泡風呂、サウナ、天然温泉風呂)に、ジムのレッスン、プール(若干狭いが、スチーム・ミスト、泡風呂、サウナ付き)、大広間の食堂、野菜の産直売り場併設で、何と月4,000円である。これは、思い切り使わない手はない。そこで、ヨガ・ストレッチ、ティラピスにも、参加してみた。20人程の参加者は、大半が、ご婦人達で、男性陣は、3-4名であった。柔軟性は、何とかクリア出来るが、ヨガのポーズに、気を取られていると、今度は、呼吸を忘れてしまいます。インストラクターの先生は、「はい、ここで、呼吸を止めないで!」という号令一下、再び、有酸素運動を開始する。スーと息を吸って、ハーと吐きつつ、筋肉を思い切り、伸びきると、今度は、又、息を吸う動作を忘れてします。呼吸を止めてはいけないことは、頭では分かっていても、息が止まってしまうのである。成程、ヨガとは、呼吸法とのマッチングなのであると、変なところで、感心してしまう。自然な有酸素運動か?マシーンの筋トレで鍛えた腹筋の質とは、又、一味も、二味も違った感じが実感出来る。「ティラピス」と「ヨガ」との違いは、前者が、(胸式呼吸を伴う腹筋を中心とした動的なより深層筋の筋トレ、)で、後者は、(腹式呼吸を伴った静的ストレッチ)だそうである。成程、体感される。「ティラピス」も、なかなか、効きますよ。汗びっしょりである。冷や汗が、半分、健全な汗が、半分と言ったところであろうか?呼吸を自然に、意識するようになった。


ネット・ブックに想う=技術発展のスピード

2011年08月30日 | 社会戯評
一昔前までは、2台目のバック・アップ用のPCとして、持ち運びが出来、しかも、無線LANが、ついているネット・ブックと謂われるタイプが、主流になるかと思いきや、案に相違して、スマート・フォーンや、タブレット型PCのアイ・パッドなどのもっと、進化した新手のタイプが、今や、主流となりつつある。私のようなISDNで、煮え湯を飲まされたユーザーは、どうしても、「半歩遅れの技術」しか、信用がおけずに、「洞ヶ峠」を決め込まざるを得ない。そして、そろそろ、もういいかなと判断して、購入すると、又しても、新たな技術開発された機種が、出てきて、いつも、裏切られ、ほぞを噛むことになる。全くどうにかならないものだろうか?フラッシュ・メモリーや、SDカードなどの携帯記録媒体も、同様である。一昔前に購入した外付けHDも、メモリー当たりの単価を換算すると、今や、異常な位の高値に、結局、驚かされる。しかも、もはや、接続自体が、旧式で、出来ないのである。(残念!)技術の進歩は、やむを得ないと思うが、先行投資に、協力した私のようなユーザーは、置き去りにされ、後生大事に、未だに、ネット・ブックを使い続けなければ、ならないのであろうか?何が、「カスタマー・フレンドリー」なのか、疑問に、思いつつ、、、、、、、。「カスタマー・アンフレンドリー」で、我々のようなユーザーを犠牲にして、新しい技術が成り立っているのかとも思えてしまう。今日も、「半歩遅れ」の技術で、ついて行かざるを得ないのか?一人つぶやく日々である。肩掛け携帯電話や、同じく、肩に、乗せて撮影した馬鹿でかいVTRの機器や、ステレオ録音も、再生も可能だった頃のウォークマンが、懐かしい。


水中ウォーキングに初挑戦するの巻=

2011年08月29日 | スポーツ
「水流」というのは、成程、なかなか、手強いものである。水中では、浮力を利用するので、体重も軽くなり、膝の負担も軽くなるであろうと、勝手に、たかをくくっていたら、豈図らんや、右廻りをしていたかと思いきや、インストラクターの号令一下、今度は、左廻りに、右に左に、水流がまるで、壁のように、抵抗を増し、足許も危うい位であった。まるで、洗濯機の中の洗濯物のようである。水中のキックや、後ろに下がるのも、存外、水中では、楽ではないのが、改めて、認識された。結構、水中で、運動している割には、汗をかくものである。(冷や汗だろうか?) 30分と言う時間も、あっと言う間であった。もっとも、プールから、上がるときには、階段の手すりをつかまりながら、足取りも重く、ヘトヘトであったのは、言を俟たない。なかなか、水中ウォーキングも、存外、「手強いもの」である。


秋の足音=朝の散歩にて

2011年08月27日 | 自然・植物・昆虫
あんなに、栄華を誇って、鳴いていた蜩も、今では、夕方、滅多に、聞かれなくなり、ミンミン蝉だけが、往く夏を惜しむかのように、もの悲しく、鳴いている。散歩の途中にも、卵を無事産み終わったのか、蝉の遺骸を数多く見かけるようになった。吹く風もやや、湿ってはいるものの、何気なしに、ひんやりとした秋風を思わせる。キノコ達が、雨上がりの落葉腐葉土を掘り起こしながら、ニョッキリと、顔を出している。その傘は、虫なのだろうか、柔らかい、おいしそうなところが、不規則に、かじられている。桜の葉は、一部、陽の当たるところが、既に、黄色や赤に、色づき始めている。ドングリの実は、未だ、青く、小さいが、既に、立派なドングリの実の体をなしている。夜半の激しい雨に打たれてしまったのか、葉もろともに、地上に、無念にも、落ちて転がっているものもある。空の雲は、未だ、典型的な秋空の雲をみていない。再び、又、夏の残暑が、ぶり返すのであろうか、既に、地上の木々達は、来るべき秋の気配を感じているのであろうか、その準備を始めているようである。誰が弾くのだろうか、どこからか、木々の梢を渡って、クラシックのピアノの音色が、響き渡ってきた。


ロジスティックに思う=そんなに早いのか!

2011年08月26日 | 社会戯評
東日本大震災が、奇しくも、サプライ・チェーン・マネージメントの重要性を再認識させたが、ロジスティック・システムも、一時的な断絶から、今では、素早く、立ち直ったようである。確かに、経済の動脈・静脈と謂われる訳である。かなりの山奥まで、今や、宅急便のネット・ワークが、完備されている。深夜、高速道路を走っていると、大型トラックが、何台も、隊列をなして、走り去っていく。昔は、上野から、仙台へ、出張するときには、3段蚕棚の夜行列車と相場が、決まっていたが、今や、新幹線での日帰り出張も当たり前になったし、又、新幹線の席が取れないときには、その昔、列車食堂に乗り込み、3時間余りも、ビール片手に、車内(社内)ミーティングを、ずっと、上司とやったものである。今や、新大阪までは、N-700系の「のぞみ」で、2時間半余り、ずっと、無線LANで、メールのやりとりをして、時間を無駄にすることは無い。仕事をしているときには、見本を送る際に、一分一秒でも、早く、着くようにと思っていたが、セミ・リタイヤーしてからは、友人・知人に、贈り物をするときに、「時間指定は、如何がされますか?」と問われると、少々、戸惑ってしまう。「そちらの都合で、、、、、」と言ってしまう。贈ったことを連絡しようと、何かの拍子に、2日ばかり、忘れていると、突然、お礼のメールが、先に、舞い込んできてしまうことも度々ある。「そんなに、急いで、どうするの?」、「こちらは、急いでいないのに、、、、、」と、急いでない分、時間が少々掛かっても、料金が、安くならないのかと、、、、、。外食の(早い・安い・うまい)ではないが、逆に、(遅い・安い・時間指定無し)とか、こんなサービスが、ないだろうか?経済的合理性を追求するのを否定する訳ではないが、、、、、、。Quick Response, Just-in-time, Time Management, etc.これらの言葉が、懐かしく響く。


旬のものを食する」ということ= 宮古島のマンゴーを戴く

2011年08月25日 | 自然・植物・昆虫
いつの頃からだろうか、日本人が「旬のもの」を、食するようになったのは?サプライ・チェーン・マネージメントが、ロジスティックのインフラ整備とともに、発展してからのことだろうか?それまで、地元でしか、味わえなかったそうした「旬」のものを、遠く離れた大都市や、ネット販売でも、数日にして、味わえる様になったことは、全くの驚きである。高校時代の同級生の友人が、沖縄の更に先の宮古島へ、移住したのがきっかけで、ここ数年、冬場に、ゴルフに行くようになった。マンゴーは、元々、東南アジアに出張したときに、一年分のマンゴーを、胃の中に「喰い溜め」をしていたが、昨年、その旬のものではあるが、訳あり商品を、ネットで購入してから、宮古島のマンゴーを応援しようと思い始めた。やはり、南国の太陽に恵まれたその味は、「美味」である。完熟で、袋に自然に落ちたものを収穫する農法だそうである。果物や野菜でも、イチゴ、サクランボ、西瓜、桃、ぶどう、梨、柿、リンゴ、栗、筍、夏野菜、等、しかも、色々な品種が、季節毎に、時期をずらして、日本では、楽しめるのである。こんなに、贅沢なことはないのではないか?お百姓さんに、感謝し、ロジスティック業者に感謝して、「旬のもの」を、今日も又、贅沢に(?)、戴くことにしよう。お返しは、信州定番の「栗菓子」である。そろそろ、巨峰や、梨、そして、林檎の季節が、近づいてきた。


谷内六郎、週刊新潮表紙絵作品展=♪ふるさとの唄がきこえる

2011年08月24日 | 社会戯評
「週刊新潮は、あした、発売でぇーす!」というテレビ・コマーシャルが、どういうわけか、今でも、子供の頃の耳に、残っている。そして、その後に、音楽とともに、谷内六郎氏の表紙の絵が、映し出されたのを覚えている。それらの作品は、昭和20年代後半のまだ、子供達が、夜の暗闇を怖がったり、心細くさせる時代の日本人の「心の原風景」を様々な情景を介して、1336点もの絵を、描き続けたもののうちの120点の表紙絵の作品を、東御市の梅野記念絵画館で展示したものである。旧北御牧の芸術村の一角にあるとても、景観に恵まれた絵画館で、作品展示に、ふさわしい場所である。今では、忘れられたような情景の中に、私たち、「あの時の子供達」を発見し、「幼き日の記憶」を、呼び覚まされる。タンポポをふく少女、遠い花火、線香花火、海岸の足跡と波の消しゴム、ススキのインディアン遊び、粉雪、初雪、天井の木目模様、船の航跡と海岸の波、漫画の主人公ごっこ、お正月の遊び、幻灯遊び、影絵遊び、人形劇遊び、つむじ風、行商売りのおばさん、お風呂屋さん、川底の記憶、夜の校庭での映写会、祭りと赤い風船、お豆腐やさんのラッパと一番星、お祭りの記憶、夜店の風景、流れ星、水まき、かたつむりと列車の窓、海辺の夕焼け、水上生活者の船、クリスマス、毛糸巻きの手伝い、銀杏の葉、柿に残る残照、教会の坂道、アイロンの蒸気、雪山の村の生活、雪の造形、道草、迷子の恐怖、ローカル線の汽車、霧、北風・木枯らし、寒い朝、風邪熱の晩、餅つきの日、獅子舞、粉雪の中の電灯の明かり、街灯の明かり、寒椿とゴザ帽子、残雪の雨だれの音、等…、四季折々、既に、消え去ってしまったもの、消え去ろうとしつつあるもの、かろうじて、未だ、残っているもの、幼き日の記憶を呼び覚ますような様々な情景が、お下げ髪やおかっぱ頭や、いがぐり頭の少年とともに、描かれていて、そこの空間だけ、ポッカリと、タイム・スリップしたような錯覚に陥ってしまう。絵画のみならず、「谷内六郎の世界を歌う」という催しも今後予定されているので、絵画とは別に、音楽では、どのように、表現されるのかも、大変、興味深いものがある。




ルバーブを食す=新しい信州野菜の発見

2011年08月23日 | 男の手料理・食
東京ではあまり、耳にしない野菜であるが、数年前、信州のスーパーであるツルヤ滋野店で、ふと、フキに似た野菜が、しかも、緑色の茎ではなく、やや赤みがかった色を帯びていた。何気なしに、レシピーの印刷された紙片を、読んでみると、ジャムにすると酸味と甘みとのバランスが、大変良く、上品な味で、欧州などでは、とても人気があるそうである。初めは、蕗の料理と同じように、醤油で、煮るのではないかと、おもわれたが、そうではないらしい。1センチ刻みに、カットして、グラニュー糖とレモンの汁で、じっくり、コトコト煮込んで、ジャムを作るらしい。男の料理だから、まずは、女房殿に、早速指示して、そのコツとノウハウを伝授して貰うことにした。ジャムにすると、成る程、上品な飽きのこない味である。トーストやヨーグルトと一緒に、食するとなかなか、おいしいものである。信州では、一般の家庭の庭にも、植えられているらしい。もっとも、食べ方は、あまり、知られていないらしい。「いいJAん!信州=長野県のおいしい食べ方」のサイトが、参考になる。まだまだ、知らないが、おいしい食材が、眠っているものである。鮮度が命の商品らしく、なかなか、物流が難しいらしいが、、、、、。
http://www.iijan.or.jp/oishii/2009/06/post_1072.php


「心の目」と「心の闇」 =信濃毎日新聞 山ろく清談 ピアニスト 辻井伸行

2011年08月23日 | 社会戯評
ご両親が、隅田川の花火大会の実況中継や美術館で絵画の鑑賞までも説明付きで、色々と、小さい頃から体験させてくれたそうで、そうした体験から、様々なものが、「心の目」で、見えると思うようになったそうである。「心の闇」という言葉を、最近では、紙面や、メディアの中で、とりわけ、忌まわしい事件が、報道されるときには、聞くことも珍しくなくなった。生まれたときから、目が見えていたにも関わらず、「心が闇になる」人間がいる一方、生まれたときから、目が見えなくても、「心の目」を持つことで、物事を感じ、想像し、「目に見えないもの」も、「見えてしまう」人間がいる。闇の中にいると勝手に思っているが、「心の目」で、透視しているのであろうか、どうしても、我々は、「盲目の」という枕詞を、つけないと気が済まないが、今や、辻井伸行は、飽くまでも、「一人のピアニスト」として、立派に、認められ始めたのではないだろうか、「音楽には、見えるとか見えないとか、障害の有無には関係無い、、、」と、この若き22歳のピアニストは、主張するのである。東日本大震災の惨状を知り、自分に出来ることは何かを考えて、震災でつらい思いをしたり、亡くなられたりした方々への気持ちを込めて、「それでも生きて行く」という曲を新たに作曲し、「あきらめない」という気持ちを音楽を通して、伝えられたらいいと思っているそうである。この曲も、是非とも、ますます、聴いてみたくなった。カーネギー・ホールでの演奏会も、成功することを祈らずにはいられない。ファンならずとも、応援したくなった。


トリコロールな夕焼け=雷雨の後の贈り物

2011年08月21日 | 自然・植物・昆虫
=トリコロールな夕焼け=雷雨の後の贈り物
樹木が未だ、低く、小さかった頃は、2階の窓越しに、綺麗な夕焼けを眺めるのが、楽しみだった。月日が、経過して、もう四半世紀弱にもなると、樹木は、大いに茂り、背は伸び、四方へと、伸びていき、その風景や眺めることの出来る景観すら、一変させてしまう。日向だったところが、日陰になり、山が見えたところが、見えなくなり、眺望も、それにつれて、変化していった。冬になると、山が、まるで、火事にあったような真っ赤な色に染まり、辺り一面には、その真っ赤な残照が、いつまでも残り、太陽が隠れた後も、それは、ずっと、しばらくの間、続くのである。夏には、とりわけ、雷雨の後には、白い雲と青い空と、夕日のオレンジ色が、時により、赤や、ピンク色に、変化しながら、微妙に、空のキャンバスを背景に、その色模様を変化させて行く。時間が経過しながら、その色模様は、変幻自在に、形と色を変えて、やがて、その色は、徐々に、薄暗闇の中へと吸い取られていってしまう。まるで、それは、「トリコロールな夕焼け」と称しても、大げさではない夕焼けである。嬉しい「雷雨の後の贈り物」では、ないだろうかと、ふと、感じるときがあるが、不思議と、見ていて、実に、飽きないものである。松の梢を翳して見るその景色には、又、「風情」と「余韻」が、十分、堪能出来る。



小林秀雄 「美と出会う旅」= モネの「睡蓮」

2011年08月20日 | 書評・絵本

「本物を見なければ、眼が肥えない」と、子供の頃、教えられたが、小林秀雄が「ゴッホの手紙」を執筆するきっかけとなった「泰西名画展」の「鳥のいる麦畑」は、後に、宇野千代が、手に入れてきた「複製画」であり、本物を見た後でも、終生、家で、好んで眺めていたと言われる。(ルオーの絵とは、別に)「複製画」の中にすら、「ゴッホという人間」を見いだせるものなのであろうか?「むしろ、本物の方が、生々しい色使いで、堪え難いものである」とも言っている。
あれは、ボルドー・ワインの輸入をしていた頃のことであろうか?途中下車でのパリのオランジュリー美術館で、モネの「睡蓮」を見たときのことである。日本では、自分勝手に、小さな絵であると思い込んでいたが、当時、改装中の館内の「睡蓮の間」は、想像とは、異なり、楕円形に作られた大広間の四方に、真ん中に、長めのソファーがあり、そこに、腰掛けて、その巨大な絵画を、じっくりと、眺めていると、太陽にきらめいて変化するその「光」と、その水面に反射する微妙な光に癒やされ、感動し、時間の経つのを忘れたものである。しかし、小林秀雄は、こう言う、「真ん中に立って、ぐるりと見廻すと、光の音楽で体が揺らめく様な感じがする。これは、自然の池ではない。誰もこんな池は見たこともないし、これからも見る人はあるまい。私は、モネの眼の中にいる、心の中にいる、そして、彼の告白を聞く。」小林は、明るい光の粒子に満たされた画面に、その「光と格闘する男の烈しさ」を見、心を癒やす柔らかな色彩に、「性急さ」を感じると、、、、、。良く絵画を見るときに、その時代背景や、画家の置かれた思想背景を考えながら、観賞すること、又、逆に、批評家のコメントや、一切の先入主を脇に置いて、無心で、観賞する方が、望ましいとも、、、、、。どちらが、適切なのであろうか?本物を見ること、審美眼を持つこと、そういう見方もあるのか、成る程、ますます、分からなくなってしまう。いつの日か、再び、オランジュリー美術館で、モネの「睡蓮の間」を、訪れる日が来たら、その時は、又、時を超えて、別の観賞の仕方が、あるのであろうか?依然として、壁に掛かった「複製画」を見る度に、悩ましくなる。我が老犬は、傍で、我関せず、爆睡中である。


女神湖花火大会=御泉水和太鼓との競演

2011年08月19日 | 自然・植物・昆虫
東京では、席を予約したり、帰りの混雑が、面倒臭くて、なかなか、隅田川の花火大会などにも、行けないが、母が、未だ、存命の時に、北御牧村の花火大会に、ほとんど、打ち上げの間近で、随分前に、見たきりであった。信州では、色々とお盆の前後に、各町毎に、花火大会が、行われるので、今年は、身近なところで、行くことにした。花火が始まる前には、御泉水和太鼓の催しがあり、久しぶりに聴く和太鼓の腹に、染み入るような低いドーンという音や、お囃子調のトン・ト・ト・トーンというリズム感あふれる軽快な小太鼓の音や、若者の一糸乱れぬ団体演奏、その間違うことの無いチームワークの良さ、筋肉が痙攣しそうになる程の長い見事なばちさばきと、相当練習と研鑽を積まなければ、到底不可能であろうと思われる程の見事な技術力であった。(むろん、筋骨たくましい男衆だけでなく、女性陣も含めた軽妙な中太鼓の踊りのばちさばきも含めて、、、、)実に、耳に心地良い、音色であった。ヒュル・ヒュル・ヒュル、ドーン、ドーンという轟音とともに、4号玉の連弾、5号玉、等、次から次へと、打ち上げられ、さすがに、一番大きな5号玉は、一際、見事であった。まるで、立体3Dメガネのように、何色にも変幻自在に、変化する火薬の色調が、丁度、頭の上から、降り注いでくるようなそんな錯覚に、とらわれる感じである。夜空に、丁度、赤や青の朝顔や、黄色の菊の花のような模様が、くっきりと、色鮮やかに、浮かび上がっては、消え、又、浮かび上がっては、消えと、続き、ほのかな残照は、蛍の光が空中を舞うが如くである。湖面からの水上花火(水中スター・マインというらしい)は、まるで、孔雀が色鮮やかな七色の羽を、大きく、半円形に拡げた如くで、ひときわ、色鮮やかな出来映えであった。その色合いは、又、湖面に、反射し、その反射した色相が、互いの花火の色合いに、再び、ぶつかり合い、言葉では言い尽くせぬような複雑且つ微妙な色合いである。しかも、それは、一瞬の出来事である。家族揃って、一族郎党が集って、食事をしながら、子供の時から、花火見物が、出来ることは、極上の贅沢ではないかと、私には、そう思われた。亡くなった人の供養や、孫の誕生祝いのメッセージ花火も、良かった。来年も、又、是非、見に来たくなった。待っている間に流されていた、ご当地ソングのメロディーが、耳に、こびりついているのは、ご愛嬌であろうか?雷雨に遭遇せずに、ほっとした。うっかり、デジカメを忘れてきたのが、悔やまれる。携帯カメラでは、やはり、駄目ですね!


アクトロイドDER3・ショー=佐久市子ども未来館にて

2011年08月18日 | 社会戯評
無用の長物と批判された「箱物建物」の象徴である佐久市子ども未来館で、HAYABUSA ….back to the earth の映画が、併設されているプラネタリウムで、公開されているというので、(川口教授らの著作は、既に、昨年、帰還時に、読んでいたが、、、)どうしても、一度、この映像が見たくて、出掛けてみた。たまたま、その帰りに、所謂、ヒューマロイドのロボットのデモンストレーション・ショーが行われていたので、興味深く、見学した。テレビで、石黒教授の開発したアンドロイド系のロボットとして、認識していたので、違和感は、無かったが、成程、良く出来ているものである。空気圧縮装置で、50ヶ所も顔の部分の表情を、プログラミングされているとは、、、、。視線と仕草、表情と動作、人間とは「似て非なる」ものという「不気味さ」は、外見から、解決されるものなのであろうか?たしかに、若いその女性モデルを基にして作られた足の静脈の表現の仕方、足の筋肉や膝かしらの関節と肉づきの出し方、皮膚感も含めて、限りなく人間に外見が類似しているのには、驚かされる。これまでのそういう不気味さは全く、感じられない。アザラシ型癒やしロボットや、食事介護ロボット、お掃除ロボット、探査ロボット、介護福祉ロボット、恐竜ロボット等(別の日には、二足歩行のロボットのショーもあった。)の展示もあった。我々、「鉄腕アトム・鉄人28号」世代は、子供の頃から、少年雑誌でロボットに、親しんできたが、これからのロボットは、身近な生活の中で、どう具体的に、発展・進化を遂げて行くのであろうか?やはり、展示テーマなどのソフトの方が、ハードの箱物よりも、重要であることは、言を俟たない。HAYABUSA効果もあってか(?)「80万人入場者突破」という垂れ幕が、私の目には、皮肉に映ったのは考え過ぎだろうか?地道な活動を通じて、子供達には、科学、考古学、宇宙、ロボット、地学、天文学、地球環境、への興味を持つきっかけを作ることが出来れば、「無用の長物の箱物批判」から、脱却出来る日も、間近ではないだろうか?子供だけではなくて、「科学好きの大人達」も、巻き込んだ企画を立てて貰いたいと思った。子供時代の「なぜだろう、なぜかしら」に、タイム・スリップする錯覚に陥った。


信州国際音楽村にて、「耳濯ぐ」=フレッシュ・アーティスト・コンサートを聴く

2011年08月17日 | インポート
クラシックを専門的に学ぶ高校性・大学生・院生等の公募で、参集した長野県出身者による演奏会で、ピアノ独奏、声楽、金管楽器アンサンブルなどの演奏披露の機会を提供し、同時に、地元の人々にも、音楽演奏を楽しんでもらい、今後の支援もして貰うという趣旨で、入場無料で、行われたものである。四半世紀弱前に、信州産の唐松の樹をふんだんに使用して作られたドーム型の音楽堂は、音響効果も良く、聴衆も、多からず、少なからず、こじんまりとした肩の凝らないアット・ホームな雰囲気のコンサートであった。娘の子供時代のピアノの発表会の延長線上の雰囲気であったが、その音楽的技術水準は、(ド素人の私には、評価する術を持たないが、、、、、大体、演目の順番が変更されたのを演奏者からの説明で、知らされても、分からぬ位であったが、、、、、しかし、)それなりに、高いレベルであろうかと思われる。それよりも、鼓膜の奥底まで、響き渡るそのバリトン、ソプラノの声や、ピアノの音、サクソフォン、クラリネット、ヴァイオリン、トランペット、トロンボーン、チューバ、ホルンの音は、とても、「耳心地よいもの」であった。昔の人は、「耳濯ぐ(そそぐ)」と謂ったが、心地良い音楽を、耳に濯いで、心を清め、洗うのも、年に何度かは、この現代では、必要ではなかろうか?松本も、この上田も、信州では、こうした音楽活動、文化活動が、盛んで、小諸高校の音楽科も、県下、唯一の音楽専門学科で、未来のプロを目指す音楽家の卵達が、学んでいるという。こうしたコンサート活動の機会を生かして、研鑽を積み、今後の活躍を、大いに期待したいところである。是非、たまには、よい音楽を通して、「耳濯ぐ」機会を与えて貰いたいものである。気がつけば、午後2時に、始まった演奏会も7時過ぎであった。屋外では、すさまじい雷雨が、過ぎ去ったところで、眼下には、上田の街の夜景が、うっすらと雲間に、浮かび上がっていた。



山間耕作地の放棄に想う=日本の農業政策とは?

2011年08月16日 | 社会戯評
我が老犬との30分の散歩コースには、何種類かあるが、そのうちの一つが、裏山の脇にある田んぼと溜め池の傍の土手を歩き、鬱蒼とした赤松の林を通り抜けて、リンゴ畑か、浅間山が一望できる崖の鉄塔の下へ、抜ける周遊コースである。何年か前の夏、その田んぼの所有者とおぼしき御老人から、田んぼの横で、栽培されたもぎたてのナスを、一杯貰ったのを、覚えている。その後、田起こしや、水張りの時に、遠くから、見かけたが、結局、ゆっくり、お礼の言葉や、お返しをすることなく、時間だけが、経ってしまった。その田んぼは、赤松の林の一角にあって、小さな溜め池が隣接し、ポッカリと、そこだけ、なぜか、ポツンと、田んぼである。空から眺められたら、きっと、ミステリー・サークルのような感じであろうか?信州では、(当時の日本ではそうであろうが、)先祖伝来の土地を長男が、代々、相続して、結局、次男以下、三男・四男坊達は、満蒙青年開拓団へ、応募して、結果的に、国策の犠牲になって、敗戦後、命からがらに、故郷へと戻って来て、一から、土地を開墾したと言われている。ここでは、蕎麦や、白土馬鈴薯などの所謂、「痩せた土地」でしか、出来ない農作物が、特産品として有名だが、確かに、駐車場を作ろうとスコップで、土を掘り返すと、すぐさま、大きな石ころが、スコップの刃先に、土の中で、ぶつかる。それも、尋常な数ではない。ましてや、大きな赤松の樹を切り倒し、(その頃には、恐らく、チェーン・ソーなども無く、重い斧で、切り倒し、更に、切り株を掘り返し、それを手押しの台車で運んだり、水を引いてきて、溜め池を作ったことは想像するに難くない。鹿や猪の食害から、守るために、網を巡らしたり、田んぼの日照時間を計算して、周囲の松の陰が掛からないようにしたことも、成程、頷ける。以前は、ゲンゴロウや、おたまじゃくしや蛙やら、田んぼの水の中で、大いに、はしゃぎ廻っていたのを、今でも、想い起こす。それが、今年の春先には、例年の水張りも、田植えもされずに、草茫々となってしまった。開拓は難く、放棄は、何と、易々であろうことか。聴くところによれば、その田んぼの所有者とおぼしき御老人は、昨年、亡くなられたらしいと、、、、。先人の血と汗と涙で、開墾されたこうした山間の耕作地が、あっけなく、崩壊してしまうのが、今の日本の農業政策と税制の結果なのであろうか?もし、そうだとしたら、どこか、誤っていないだろうか?義理の弟夫婦は、甥の夫婦も含めて、江戸時代から、続く、百姓を、今でも、継承しているが、相続の度に、土地が、少なくなり、これから、後何年、やっていられるだろうか?一部で、大規模集約化や、農業改革の流れが、進みつつあるが、山間耕作地の放棄地を、見るに付け、日本農業の行く末が、心配になる。私に、出来ることは、せいぜい、産直野菜販売処で、規格外の野菜を、毎日、購入、食べ続けることくらいであろうか?結局、正式なお礼も、今となっては、出来ずしまいで心残りではあるが、同じ散歩コースを、我が老犬とトボトボと歩いている。