小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

内閣広報室活動について、

2012年06月30日 | 社会戯評
内閣広報室活動について、
辻井伸行ファンサイトを主宰しているアメリカ人から、下記のサイトに、何故、辻井伸行が、出ているのか、又、このサイトを知っているかという問い合わせの質問が突然舞い込んできた。何とも、不思議な感じである。陸前高田の被災したピアノの話は、知っているし、辻井伸行が、復興を願って、オリジナル曲を弾いているのも、知っていたが、こういうサイト自体が、存在していることは、全く、知らなかった。むろん、海外向けのサイトだから、そこには、ターゲットは、日本人向けではないのであろうが、何とも、お粗末な感じが拭えない。高校生向けの英語の教材にでも、活用したら良いのではないだろかとも思う。もっとも、そんなことをしたら、きっと、政府のプロパガンダ・宣伝政策だから、反対されるとでも思っているのであろうか?何とも、お粗末な広報・宣伝活動である。戦前の経験から来る反動的な「あつものに懲りてなますを吹く」典型的な事例であろう。もっと、大手の国際的な広告代理店や民間の力を借りてでも、多いに、日本を、Japan Cool でも、オタク文化でも、併せて、売り込んでいったら良いと思うが、、、、、、。何せ、お隣の国では、海外の大中華圏の華僑向けに、専門チャネルまであるそうであるから、何とも、お寒い情況である。いやはや、何故、日本人に、あまり、知られていないのかという説明に、全く、苦慮してしまう。参考までに、そのサイトを紹介しておきます。考えされられてしまった。お気に入りに、入れておくことにしよう。

http://nettv.gov-online.go.jp/eng/prg/prg2578.html 



おかめ紫陽花の咲き始め

2012年06月29日 | 自然・植物・昆虫
おかめ紫陽花の咲き始め
今年は、余りにも、背が伸びすぎたために、昨年、思い切り、短く、強剪定をしたにも関わらず、狭い庭では、どうしても、日光を求めて、植物は、上に伸びてしまうものである。お陰で、ヒョロヒョロと、背丈が細く、花は、期待できないと諦めていたところ、小さな青い花を咲かせる準備を始めてきたので、写真に、納めてみた。既に、梅雨入り後には、もう、立派に、咲き誇っている家があるが、我が家では、やっと、これから、紫陽花の盛りである。これで、ひと月程は、愉しめようか、、、、、、。春から、咲き始めた花達も、いよいよ、これで、フィナーレを迎えようとする。屋上では、白百合の花が、何もしないのに、ひっそりと、2本咲き誇っていたが、写真を撮ろうと思って登っていったら、既に、萎れていた。やはり、思い立ったときに、写真は、撮らなければいけないらしい。良い教訓であろうか、、、、、、、。



第88回東京電力株主総会に思う

2012年06月28日 | 株主総会
第88回東京電力株主総会に思う
去年同様、基本的に、資本の論理が、最優先され、声なき声の一般個人株主による諸提案は、悉く、否決されることとなった。もっとも、筆頭株主の東京都や、その他自治体、生命保険会社、主要取引銀行で、そのカジョリティーを有しているわけであるから、それらの委任状により、自動的に、議長選任も、議事進行も、会社ペースで、進められても仕方の無いことであることは、重々、分かっていることであるが、、、、、、、。もっとも、今回の実質的な1兆円にも及ぶ資本注入の実質国有化で、株の価値が、希釈されて、更に、一株当たりの価値が、これまでのピーク時の10分の1から、更なる減少へと向かうことになる。東京副知事の猪瀬氏からの経営理念の定款への追加提案、経営の透明性の確保や、スマート・メーターへの国際競争原理の導入、民間事業者を活用した火力発電設備のリプレース促進や、東電病院の資産売却提案とか、他の株主からの配送電の分離、最大限の賠償を誠意をもって、行うとか、地域自治体からの安全協定の承認等、電力の選択権、提案が行われたが、飽くまでも、第5号から、14号まで、「業務執行に関する事項について取締役会に委ねることを基本とする」をもって、全て、いずれの諸案に取締役会は、反対する立場であった。なかなか、どうして、会長の勝俣恒久氏は、やはり、折れないカミソリ実力者と謂われるだけ、議決権行使比率でも、したたかなところがある。隠然たる影響力を有する名誉職(?)の社友に止まり、既得権擁護・最大の抵抗勢力を代表する大きな壁になるであろうことは、間違いなさそうである。新潟や岩手や福島の株主の質疑応答もあったが、確かに、株主も、一種の被害者であるが、それ以上に、原発事故での被災者に対して、これまでも、利益を享受してきたとか、原発を推し進めたとかというヨイショ発言も現れたことには驚く。資本の論理の中での茶番劇に、変わりは無いであろうが、会場を埋め尽くした大多数の個人株主の声なき声は、決して、無視されて良いモノではない。原稿の棒読みばかりで、誠実な答弁が、一向に、伝わってこないという苦言も呈される始末で、「5つのお約束」、「お客様からのニーズに即した新しいサービスをご提供する必要がある」、「危機感と責任感」、「ご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、心からお詫び申し上げます」、「真正面から、取り組んで」、等…、綺麗な響きの良い言葉が、報告書には、空虚に、踊っていたが、、、、、、。折角の意思改革、構造改革の良い機会にも関わらず、依然として、方向性が、はっきりと、未だ、見えてこないのは、極めて、残念である。東京電力は、日本のエネルギー政策は、一体、何処へ、漂っていくのであろうか?漂流する政治と共に、又、来年も又、不毛な議論がされるのであろうか?それとも、変われるのであろうか?「事故賠償・廃炉措置・安定供給」の同時達成というお題目のもと、結局、組織の温存と継続が、最優先されてしまうのか?



キアゲハ蝶を偶然撮る

2012年06月27日 | 自然・植物・昆虫
屋上で咲いた白百合の花の写真を撮ろうとしていたら、何と、大きなキアゲハが、優雅に、舞いながら蜜を探し求めて、飛んでいた。なかなか、良い角度で、蝶蝶の飛翔している写真は撮れないものである。マクロに、設定して、花に、舞い戻り、蜜を吸っているところを待ち構えることにした。何枚かを撮影して、羽の紋様が、綺麗に、映っているショットを、選んだ。やはり、動きの速い昆虫や動物は、連写設定で、撮らなければうまく、撮れないのであろうか?写真撮影は、とりわけ、昆虫は、動きが読めなくて、大変難しいものである。動かない普通の景色だけでも、苦労するのに、動き回る動物や昆虫では、どう撮れば良いのであろうか?プロの写真家の技術を簡単に、教えてもらいたいものである。御牧ヶ原に在住する高名な昆虫写真家の海野先生にでも、是非、聞いてみたいものである。偶然にしては、まあまあの出来であろうか?毎度、自己満足では、進歩がないが、、、、、、。偶然に、感謝しなければならない。



映画「八日目の蝉」を観る

2012年06月26日 | 映画・テレビ批評
母になるとは、何か?母性とは、何かを問うものであるが、それは、逆説的に、印画紙を裏表に見つめるとき、この映画の中での「父」とは、何とも、対照的に、単なるエゴイスティックな不倫男としてしか、登場してこない。それは、映画で、描こうとする非対象物であるから、仕方の無いことであるが、相似形のように、過去の記憶と大人になり、その誘拐犯の女(育ての母と謂うべきだろうか?)と同じ運命を辿ろうとする主人公の現在の記憶とを、描き出そうとする映画手法が、なかなか、興味深い。子と母の関係、そして、母になってからの母としての自分と妊娠した自分のお腹の中のと子の関係、夫婦の関係、PTSDとは、心のトラウマとは、何か、精神的な虐待とは、等‥、女性陣の演技は、井上未央、永作博美、小池栄子、森口瑤子、風吹ジュン、余貴美子、それぞれ、年齢も異なり、個性が光っていて、面白い。小豆島の写真館店主役の田中泯、劇団ひとりも、良かった。それにしても、産院での赤ん坊の取り違えとか、アメリカでの赤ん坊の誘拐をみるまでもなく、母親になるとは、或いは、父親になるとは、どういうことなのであるかと、改めて、この歳になっても、問いかけられているように、思えてならない。最近は、だからこそ、育爺や、育婆などと呼ばれる人間が、反省も含めて、増殖しているのであろうかとも、思うのは、穿った見方か?



「キャベツと鶏胸肉の蒸し物」と「手羽元の梅干し煮」

2012年06月25日 | 男の手料理・食
「キャベツと鶏胸肉の蒸し物」と「手羽元の梅干し煮」
ためしてガッテンで、鶏の胸肉が、実は、もも肉と同じように、ジューシーに料理できるということだったので、早速、試してみた。まず、カットの方法は、繊維質に対して、直角に、切るそうである。手を汚さないようにするには、ポリ袋で、うまく、手もみして、一度、出てきた野菜の水分を、冷蔵庫で、保管することで、肉に戻してから、蒸すと、とても、柔らかくなるとのことであった。これならば、ヘルシーで、しかも、野菜がたっぷり取れて、バランスが良く、粒マスタードとオリーブオイルでの味付けならば、便秘の解消にもなり、理想的である。おまけに、野菜のロスもないし、何より、胸肉は、もも肉よりも、安いのは、助かる。更に、料理の手間が、省けること、この上ない。皮は、我が老犬の好物であるし、、、、、、。このレシピーは、又、バンバンジー鶏肉にも、応用が利くものである。更に、他の番組で、女優の木村多江さんが、薦めていた手羽元肉の梅干し煮も、トライしてみた。更に、これは、超簡単である!手羽元や手羽先を、適当な量の日本酒に、浸して、これに、南高梅を、好みで、4-5本に、1個の割で、入れて、煮込むだけである。健康のことを考えれば、黒酢や醤油を垂らしてもよい。実にさっぱり味である。夏の暑い日などで、食欲がないときには、良いかも知れない。しかも、少し、多目に作り溜めしておいて、冷蔵庫で、じっくり、味をしみ込ませても良いかも知れない。食べるのに、夢中で、写真を撮るのを忘れてしまった。実に、「男の料理」の中でも、失敗が、まずない逸品ではなかろうか?お試しあれ!

ためしてガッテン:キャベツと鶏胸肉の蒸し物のレシピー
http://www9.nhk.or.jp/gatten/recipes/R20120613_02.html



沖縄戦終結日に想う

2012年06月24日 | 社会戯評
6月23日は、沖縄戦の終結から、67年、本土復帰から40年を迎える日である。摩文仁の平和記念公園で行われた追悼慰霊祭でスピーチした女子高校生の言葉の中に、「未来があなたには待っていた」と、その祖父の兄が、家族に宛てた手紙を読んだときに、感じた想いを、綴っていた、、、、、。私も、同じように、その昔、祖母が、他界したときに、遺品を整理していたところ、そのアルバムに、ギルバート諸島、タラワ環礁で、戦死した長男(父の兄)から、親族へ宛てた戦地からの軍事郵便の手紙を、綺麗に畳んで、保管していたのを発見したことがある。戦後の土地の強制収容や、本土との差別、苦難に満ちた沖縄の人々の思いは、一体、いつになったら、叶うのであろうか?沖縄に日本語の通訳として従軍したドナルド・キーンは、震災後、日本国籍を取得して、来日した。叔父の戦死したタラワは、米軍の軍事基地として、南太平洋の中で、ポツンと、浮かんでいる。祖国へ、その骨も還ることを許されず、どこで、いつ、戦死したのかも、分からず終いで、70年余りが、経過してしまった。皮肉にも、この高校生のスピーチの後で、隣の席に並んでいた米軍司令官が、何か、声を掛けていたが、何と言っていたのであろうか?Good Speech ! とでも、声を掛けたのであろうか?年々、遺族も高齢化して行く中で、戦争体験を、こうした若い世代に、引き継ぐことは、喫緊の課題でもあるが、、、、、、、、。そう言えば、4.28沖縄反戦デーというのも、あったことを想い起こす。



ハンセン病患者隔離政策の反省と追悼

2012年06月23日 | 社会戯評
ハンセン病患者隔離政策の反省と追悼
6月22日は、ハンセン病患者の隔離政策で亡くなられた人々の追悼と反省を記念する日であるそうである。高齢化している患者達は、その隔離政策の為に、故郷を追われて、未だに、戻れずにいるそうである。無知からの不当な差別を、考えるときに、想い出すのが、米国駐在から帰国する年、1988年に、ワシントンDCで、行われたエイズ患者差別に抗議するデモに遭遇したときのことである。たまたま、滞在していたホテルで、リボンを結んだデモ参加者の同性愛者達が、エレベーターに、乗り合わせてきて、狭いエレベーターの空間の中に、閉じ込められてしまった。当時は、警官ですら、ゴム手袋をしたり、参加者達は、謂われのない偏見と差別に、或いは、好奇の目に、晒されながらしていたが、当時では、空気感染の疑いもあるとかで、私達は、「真面目」に、エレベーターの中で、まさに、息を潜めて耐えて乗っていたものである。今にして思えば、実に、馬鹿馬鹿しい出来事ではあるが、、、、、、、。問題の本質というモノが、解明されないときには、「偏見と差別」とが、ハンセン病も、水俣病も、更には、今日的な課題である放射能の問題も含めて、罷り通ることは、未だに、変わりがないと言っても過言ではない。我々は、そんな情報への有り余る程のアクセスが可能な時代に、どのようにして、一人一人が、不当な偏見と差別に、立ち向かう武器を有することが、出来るのであろうか、、、、、、。又しても、紋切り型の「お詫びと反省」という言葉が、のし掛かってくる。



未央柳(ビヨウヤナギ)の黄色い花弁

2012年06月22日 | 自然・植物・昆虫
未央柳(ビヨウヤナギ)の黄色い花弁
この植物も、確か、杉並区の緑化事業の配布の一つだったと記憶しているが、夏の初めころになると、黄色い花を、次々に、咲かせてくれる。但し、花弁が、元来、弱々しいので、すぐに、強い風や、雨などで、散り落ちてしまうのが、問題である。土の上などでは、全く、問題がないが、都会のコンクリートの上では、散り落ちた花弁が、へばりついてしまい、おまけに、台風一過では、べっとりと、貼り付いてしまう始末である。花も、観るのは、愉しいが、散り落ちた後の後始末というのは、全く、厄介なものである。早速、箒で、掃除しておかなければならない。花の後の風情を愉しむのも、風流ではあるが、掃除が出来なくなるほど、貼り付いてしまうのも、困ったものである。何とも、悩ましいものである。そう思いながら、結局、掃除することになる。まあ、これも、都会では、楽しい仕事であるが、、、、、、、、。



父との思い出

2012年06月21日 | 社会戯評
父との思い出
父は、幼少の折に、その父親を病死で、亡くした関係で、満足に、学校にも通えず、結局、戦争もあって、母一人をおいて、軍隊での生活が、長かった。戦争中には、痔の手術で、ガダルカナルへの転戦をインドシナで免れ、こうして、私が、今、この世に、生を受けていられたことになった。子供への接し方も、今から思えば、恐らく、自分が、父と過ごした記憶がないこともあってか、女房任せのところがないとも言えなくはない。もっとも、そんな時代だったのかも知れない。みんな、生活に忙しかった時代である。そんな父でも、一部上場企業の創業者を女房の叔父に持つ関係上、自らの独立を志したときに、反対され、これを果たせなかったが、私が、同じように、一部上場企業の一員から、独立を、志したときには、よく、一緒に、風呂場で、背中を流しながら、男同士で、その行く末を話し合い、後ろ姿を押してくれたものである。多分、自分が果たせなかった夢の実現を、自分の息子には、叶えてあげたかったのではないかと、今から思えば、そういう感慨を持たざるを得ない。人生の難しい選択と決断という岐路に立つときに、色々と相談できたことは、とても、大亊なことであったように、思われてならない。亡くなることを予期しつつ、海外出張に出掛ける時に、目に焼き付いた父の寝顔は、全く、そのまま、死に顔に、なってしまった。結局、通夜には、間に合わず、何とか、葬儀には、間に合ったが、男芸者を海外出張先で演じていたその瞬間が、臨終の瞬間と重なり、今でも、あの時の情景を想い出さずにはいられない。父なら、どうしただろうかと、時々、その後の人生の転機の中で、自問自答することがある。まもなく、13回忌を迎えることになる。



狐と狸に遭遇する!

2012年06月20日 | 動物・ペット
狐と狸に遭遇する!
これまで、狸は、何度も、夜、側溝の中から、車のライトに照らされて、迷惑そうに、そろり、そろりと道を横断したりして、間近に観たことはあったが、流石に、狐に遭遇したのは、初めてである。しかも、斜め向かいの家の敷地である。この里山には、鹿や、ハクビシン、日本カモシカ、狸、リス、フクロウが、生息していることは、この目で、確認して知っていたが、確かに、狐がいても、おかしくはない。それにしても、夕方に、少しばかり違う場所だったが、狐と狸の両方を観るとは、何か、化かされているのではないだろうかと疑いたくもなる。何年か前には、狸が、ウィルス性の感染症で、絶滅したのではないかと謂われていたが、どっこい、元気に、どうやら、かろうじて、命の系譜を繋いだようである。作物の被害が出るのは、感心しないが、ひっそりと、「共生」するのであれば、宜しいではないだろうか、、、、。又、ヒョッコリ、どこかで、出くわすかもしれない、、、、、、。そんな日が、待ち遠しいと思うが、、、、、、。さて、いつの日だろうか?



自動車運転致死傷罪と約22万人の署名

2012年06月19日 | 社会戯評
自動車運転致死傷罪と約22万人の署名
何とも、法律というモノは、三権分立の中でも、極めて、不可解である。それは、AIJの損失被害に関しても、詐欺罪の適応が、疑問視されたり、ネパール人被告の再審の問題にしても、法律というモノは、杓子定規に、ただ、文言を解釈するだけで、何とも、血の通った民意が反映される解釈が、なかなか、なされないように思われてならない。(もっとも、民意とは、何かという議論は残ろうが、、、、、)誠に、不条理極まりないものである。より有期刑の重い「危険運転致死傷罪」を要望する約22万人にも及ぶ署名・嘆願にも関わらず、結局、無免許運転と居眠り運転と言うことで、一定の運転技能を有するモノと判断されたらしい。もっとも、今後の民事訴訟請求により、加害者側には、それ相応の損害賠償額が、その親家族も含めて、課せられるであろうが、刑事罰の観点からは、とりわけ、被害者の親御さん側に与する一般庶民の感覚からは、誠に、理解出来ないものである。法律の解釈・執行もさることながら、立法府にも、改正する努力が、もっと、然るべきではないだろうか?てんかんの発作による事故といい、最近では、何とも痛ましい交通事故が、引きも切らない。法の上での「正義」とは、一体、何なのであろうかと、改めて、不条理な法の本質が、問われていると言わざるを得ないだろう、、、、、、、。僅か二文字の「危険」という字が、付くのと付かないというこの不条理は、どう解釈したら良いのであろうか、、、、、、。



健康を考える

2012年06月18日 | 社会戯評
健康を考える
これまで、大きな病気や、生活に関わるような重大な手術を受けたことは、痔核の除去手術以外、経験したことがなかったが、今回の2度に亘るMRIの検査の結果、尾骨の少し上にも、脊椎すべり症が、見つかり、結局、脊柱管狭窄症による3ヶ所の脊椎管の断絶と尾骨上のすべり症の合併により、手術をすることを決断した。これ以上は、決して、回復する見込みはなく、むしろ、悪化して、歩けなくなる恐れが強いという結論に達したからである。断絶されている3ヶ所の神経の通りを良くするために、骨の一部を削り、まず、「除圧」し、神経の通りをよくするそうである。次に、すべり症は、骨と骨が滑りやすくなっているので、インストゥルメンテーションと呼ばれる固定器具で、謂わば、ボルトで、支えることになると、、、、。大体、これまで、5年に一度程度の健康の大きな変化が、歳とともに、生じて来ているが、これは、いよいよ、本格的なパーツの補強である。全身麻酔で、3時間半余りの手術とかで、リハビリも入れると3週間程度の入院治療を要するということであった。一応、「間歇性跛行」は、解消されるそうである。ストレッチや、ヨガも、問題なさそうである。体型にあった独自のコルセットを誂えて、貯血を念の為に、2度程、800cc準備して、手術に望むそうである。ついでに、糖尿病数値が、やや、危険水準近くに、達しているので、これも、併せて、病院食の食事療法で、治療することにした。予約が、1ヶ月先まで、埋まっていて、順番待ちである。病室には、PCも、持ち込めるそうで、退屈することはないであろう。



田植えに思う

2012年06月17日 | 社会戯評
田植えに思う
日本の文化は、米の文化である。天皇が、毎年、自ら、手植えの田植えを行うのも、古来の宗教的な儀式の代表的なモノの一つである。新嘗祭が、いつの間にか、勤労感謝の日に、なってしまったのも、訳が無いわけでは無い。田植えも、食育や農耕的な勤労という観点からは、多いに、教育上、評価されて然るべきである。日本のものつくりの原型も、子供の時から、こうした経験を積んでいれば、むやみやたらに、フード・ロスや、我慢強さを忘れたキレる子供も、少なくなるのではないだろうか、又、蛙や、小動物や水生昆虫との共生、或いは、農薬に対する考え方も、有機や減農薬などの意識も、変わり、自分で、田植えをした稲を育て、刈り取り、食することは、加えて、ものつくりの考え方を、改めて、根本から学ぶよい機会になるのではないだろうか?又、同じ作業を繰り返すことにより、単純労働作業のつらさ、大変さ、モノを作る人への感謝、生産者への連帯、苦労の共有、モノの有り難さをも、体感できるというものである。自ずと、作業しているときに、工夫も自分なりに考えて、マニュアルを読み、学ぶ人から、自分で考えて、創造する姿勢が、作られてくると思う。この作業を小さいときから、お手伝いとか、小遣い稼ぎとか、昔の人は、当たり前に、やってきたものであるが、今の我々には、そうした機会が余りにも、乏しく、だから、若い人達に、キッザニアやしごと発見伝やリアル・スコープのような番組に人気が集まるのであろうかとも思われる。陽に当たり、外の空気を吸い、五体を動かすことこそが、日常的に、現代人には、必要なのかも知れない。それが、ニッポンの再生に、一番、近道ではないかとも、思う次第であるが、、、、、、。如何なものであろうか?



中国一等書記官問題に思う

2012年06月16日 | 社会戯評
中国一等書記官問題に思う
米ソ冷戦時代に、それこそ、何十年に亘って、スパイ活動をしていた両国の大物スパイ網が、双方ともに、互いの面子を潰すことなく、シャンシャンと裏で、政治的に、手打ちして、命を奪われることなく、相互強制送還されたというニュースを、随分昔になるが、想い出す。それに較べると、何とも、日本という国は、戦前も戦後も、所謂、インテリジェンス・諜報活動に対して、寛容であるという認識を、受けがちであるが、本当にそうなのであろうか?本当に、スパイだったか、どうかは、別にして、ある政治的な意図から、意図的に見逃したという見方をすれば、それは、それで、両国とも、面子を保てたのではないだろうか?戦前の特高警察の系譜を継ぐ公安警察や、外事警察が、そんなに、詳しく、初めから、出身部隊の配属先も身分も分かっていながら、ただ単に、泳がせていたとも、思えないが、、、、。考えてみれば、いつも、情報は、ある種の目的を持って流布され、知らぬ間に、その落としどころへと、自らをトラップさせられてしまうものである。むろん、余りに、弛みきった脇の甘さが、目立ち始めている今日であるから、どこかの隣国ばりに、愛国主義を鼓舞すべく、スパイというおぞましい三文字が、景気よく、紙面に、踊るわけでは、まさか、ないだろうが、、、、。外交官の身分を隠して、私的蓄財のために、外国人登録法に違反したのだということになれば、何とも、お粗末限りないスパイでもある。内閣府の機密費の公開の議論は、当然、どこかへ、消えてしまうであろう、、、、、。問題は、我々、一人一人の「情報に接する立ち位置」であろうか?子供の頃、1961年に、イギリス・プロヒューモ事件というのがあったことを想い起こす。ハニー・トラップも、今や、効果が、なくなりつつあると、やはり、自国文化の支持者を増やさなければ、駄目なのだろう、、、、、と、韓流芸能スターも、実は、旧KCIA傘下の大物スパイであるかも知れない、クール・ジャパンも、オタク文化輸出も、などもと、穿った見方までしてしまう。むろん、戦後のコカ・コーラも、例外ではなかったか?大連の北朝鮮系レストランで、舞踊を愉しむのも、バンコクのオカマ・ショーも、ゆめゆめ、油断してはならない!そういえば、北野武監督の映画、アウトレイジには、中南米の領事館員が、賭博場を開くという筋書きが、あったが、、、、、。AKB48も、実は、、、、、妄想は、果てしなく拡がる。日露戦争時の明石元二郎大佐に、今回の件を、どう思うか、尋ねてみたいが、、、、、。一笑に付されてしまうか???!