小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

「馬鹿やろうカレー」なるものを喰らう!:

2013年07月06日 | インポート
「馬鹿やろうカレー」なるものを喰らう!:
何とも、キャッチ・コピーが、面白いではないか!思わず「馬鹿」野郎!と叫びたくなる「ウマ=馬」さ。食べたものに「シカ=鹿」わからない味わいをお楽しみあれ!。馬肉と鹿肉(エゾ鹿)を使用したカレーです。、、、、、、と。何でも、若い人に人気があるとかで、結構好評発売中であるそうであると。従って、ジビエのファンを自称する私めとしては、一度は、味わってみたくなり、温泉施設の売店(湯ーふる・たなか)で、このレトルト・カレーを購入することにしました。市販価格が、@600円と通常のレトルト・カレーに較べると随分と高いものの、地域興しの意味からは、土産や話題には、面白いかも知れませんね。果たして、味は、どんなものであろうか?馬肉は、当然、輸入物であろうが、エゾシカは、日本原産であろう。獣の食害駆除にも、協力できるのであれば、応援募金したようなものであろうか?何ならいっそのこと、販売されている地ビールに、つまみとして、「鹿肉ジャーキー」でも、是非、販売して貰いところである。何でも東部・湯ノ丸SAで、販売していると聞いているが、残念乍ら、未だ、食したことはないが、、、、、、。一度、味わってみたいものである。この「馬鹿やろうカレー」の方は、まぁまぁ、肉のごろつき感は、舌でも確認出来たものの、残念乍ら、どちらが馬肉で、どちらが、鹿肉なのかが、識別出来ない自分の味覚音痴が何とも情けない。馬刺しとは、味が違うし、多分、そうだろうなぁという情けない結果になってしまいました。「ビジエ料理」を理解するには、もっと、食べないと駄目なのだろうか?全く、情けないトホホである!皆さんもお試しあれ。何と検索したら、楽天にありました。モノ好きな人は、如何でしょうか?スティック・セニュールとヨーグルトを添えて、食してみました。
http://item.rakuten.co.jp/auc-ikiiki-yama/sh0455-1/
何でも、星空ツアーや満蒙開拓団記念館が開館した阿智村では、鹿肉ソーセージで、ホット・ドッグも、販売開始されたそうであるが、こちらも、いずれ、食べてみたいものである。



八重山吹きの花を活けてみる:

2013年05月15日 | インポート
八重山吹きの花を活けてみる:
今を盛りに、黄色の八重の山吹が、徐々にではあるが、ここ数日の気温の上昇と共に、元気を増してきた。そこで、来年の花芽の為にも、咲いている枝先の花を少々、切って、白い壁掛けに、木目が映える壁飾りのうえに、一寸、活けてみることにした。花瓶は、中国で、随分昔にお土産に購入した薄い今にも割れそうな景徳鎮産の花瓶である。(ミニチュアであっても、景徳鎮ではないか?変なところで、ブランドに拘ってしまうが、、、、)もっとも、ミニチュアの花瓶だから、割れてもいいように、確か、色々な形の花瓶を6種類くらいセットで、購入してきて、気まぐれに、花瓶の形を替えたりして、愉しんでいるモノである。季節毎の花を、少々活けてみると、なかなか、味わい深いものである。タンポポの黄色も宜しいが、山吹の八重も、なかなか、宜しいのではないだろうか?ミニチュア花瓶だから、大きな花を活ける必要もない。2輪ほどでも、結構、存在感があるものである。
白い壁と桑の木の茶色の木目と山吹の黄色とが、何とも謂われぬハーモニーとコントラストを醸し出していて、結構、お気に入りになりそうである。



(お知らせ):手術につき、しばらく、お休みします

2012年07月19日 | インポート
(お知らせ):手術につき、しばらく、お休みします
腰部脊柱管狭窄症とすべり症のため、手術を受けることにしましたので、約3週間ほど、リハビリも含めて、入院・療養することになりました。従いまして、しばらく、ブログをお休みし、術後、回復しましたら、再び、リハビリ便りでも、書こうかとも考えていますので、その時には、又、よろしく、「小諸 布引便り」へ、お立ち寄りお願い申し上げます。
http://pub.ne.jp/MX2141688/


春ゼミの羽化を間近に観る

2012年06月14日 | インポート
春ゼミの羽化を間近に観る
我が老犬の幼いお友達が、田植えを終えて帰京するときに、偶然、雨上がりの朝ということもあって、玄関にいると、茶色い春ゼミの幼虫が、ヒョコヒョコと草むらから、歩いて、出てきた。アブラゼミの経験からして、これは、間違いなく、羽化をするとおもい、早速、部屋のレースのカーテンに、登らせると、少し登って、じっと動かなくなった。さては、いよいよ、羽化の準備だろうと身構えると、(もっとも、アブラゼミの時には、3時間余が掛かったが、)この蝉は、小さいから、そんなに、時間は掛からないだろうと思っていたら、小一時間で、すんなりと、背中が割れて、のけ反りながら、羽を伸ばして、出てきて、無事、成功した。なかなか、観ようと思っても、観られるものではないので、幼な子達は、お父さんに、記念写真を撮って貰った。大きくなったら、よい想い出になるのではないだろうか?その後、無事、外の桜の樹に、放してあげた。蛙も、オタマジャクシも、ミズスマシも、蝉も、蝉の幼虫も、観れたし、ロバや、山羊さん達にも出会えたし、きっと、新鮮な空気を吸い、きれいな水を飲み、新しい経験も積んで、精神的にも肉体的にも、疲れて、ぐっすり、その晩は、眠れたのではないだろうか?又、来年も、田植えを体験しに、小諸へ、来て下さい!来月は、いよいよ、自然の中で、蛍鑑賞会だ!愉しみである。




ベランダでの読書中の小さな出来事

2012年05月28日 | インポート
東京では、かなり、暑くなったようであるが、小諸の里山では、まだまだ、夜は、長袖のシャツだけでは、肌寒く、朝まだ、気温が上がらない内は、部屋の中でも、少し、陽にでも当たりたくなる。そこで、デッキ・チェアーを持ち出して、日向ぼっこがてら、読書をすることにした。何とも、緑が濃くなり、梢を渡るそよ風の葉の音色、野鳥のさえずり声や、春蝉の声、おまけに、熊ん蜂の羽音まで、聞こえてくる。流石に、小さなアブ程度ならば、しつこいと、手で払って済むが、大きな蜂の類では、そうは行かない。じっくりと、移動してもらうのを待つ他ない。陽に当たりながら、上を見上げると、何やら、白い霧のようなものが、(実際には、黄色い色である)さらさらと太陽に照らされながら、降り注いでくる。どうやら、これまで、春の黄砂と見間違っていたのは、実は、樹木のおしべの花粉のようである。とりわけ、ドングリの樹の花粉が、多いようである。スギ花粉でないのが、幸いであるが、、、、、、。そうこうしているうちに、一羽の茶色い羽に、白い紋様のある蝶蝶が、どういう訳か、近くを舞っては、近づこうとする。何と、ズボンの太股付近に、止まってしまった。写真は、その時に、待ち構えていて、撮った物である。(後で、昆虫図鑑で、調べたところ、ミスジチョウという名の蝶のようである。) 何とも、不可思議な人なつっこい蝶蝶である。それにしても、都会では味わうことできない屋外での読書である。



コデマリを前衛気取りで、活けてみた!

2012年05月09日 | インポート
折しも、雷雨に打たれて、しな垂れかかったコデマリは、やや、盛りを過ぎてきたのだろうか、多少、真っ白な丸い球状の花が、黄色みがかり始めた。今年は、強剪定をしないと、幹が太くなり、古株になり始め、新しい芽の株が、蘇生、更新されてこない。思い切って、室内の花瓶に、活けてみようかと考えたが、何せ、雪柳もそうであるが、コデマリも、白い小さな花弁が、ポロポロと、時間の経過と共に、机のあちこちに、こぼれ落ちるので、掃除自体が、大問題である。それではと、屋外で、玄関の脇の一寸した空間に、大柄の装飾鉢が、たまたま、空いていたので、山の神に頼んで、前衛風に、活けて貰った。(只、成り行き任せに、鉢に入れただけであるが、、、、、)室内では、これ程の大きな鉢では、手に余ってしまうが、屋外では、なかなか、見栄えが宜しい。一寸したフラワー・アーティストの気分に、浸れるものである。何せ、水分をたっぷり含んでいるので、頭の頂上付近が重くてバランスが悪い。多少、根元から、ばっさりと、強剪定したので、枝が長めに、大きめの鉢の中に、うまく、納まった。たまには、こうした屋外生け花も、悪くはないものである。只、置いただけでも、前衛風とは、これ如何に、、、、?「自然を活ける」とは、、、、?勝手に、自己満足に浸っているが、、、、、、、。後、1週間位は、愉しめるだろうか、、、、、、。





アン・ノン族とカニ族と

2012年04月16日 | インポート
もう、70年代という時代も、程なく、半世紀も前のことになるのであろうか?アン・アン、ノン・ノンという女性雑誌が、流行っていた頃、ディスカバー・ジャパンではないが、「自分探しの旅」と称して、独身の女性達が、雑誌を抱えて、旅をしたものである。それに引き替え、貧乏だった我々、学生は、鈍行夜行列車に揺られながら、北海道や九州周遊券という、今で言うところの格安切符で、鈍行の列車の旅を楽しみ、その適当な出たとこ勝負の宛のない往き先々の駅舎で、大きな幅のあるリュックの上に、積み込んだシュラフを拡げて、(狭い通路を、まるで、蟹のように、大きなリュックを背負って、横に、歩くことから、カニ族という名称がついたものであるが、、、、)まずは、公衆浴場と大衆食堂を見つけては、野宿して歩いたものである。多少、設備に恵まれた大きな観光都市では、所謂、ユース・ホステルに、宿泊して、旅の垢と疲れを、温泉に浸りつつ、癒やすという具合であった。今から想えば、未だ、飛行機にも乗った経験がなかったのには、改めて、驚かざるを得ない。それは、まだ、2-3年先のことになるが、、、、、。確か、釧路から、乗った列車で、前の席の女性陣が、これから、飛行機で、東京へ、帰るとか、話をしていて、何とも羨ましく、思った記憶がある。もっとも、その時に、雫石で、全日空機が、自衛隊機と空中衝突して、多くの犠牲者が出たニュースが、偶然、携帯ラジオから、流れてきて、我々は、鈍行列車で、良かったなあと、貧乏学生の運の強さを、何故か、再確認したものである。セルフ・ディスカバリーという人生の旅は、一体、何処へ、行ってしまったのであろうか?あの時の1ヶ月に亘る周遊旅行は、かけがえのない経験と、それ以降に待ち構えていた社会からの鮮烈、且つ容赦の無い洗礼に対する抵抗力を、身につけさせてくれた。友人には、シベリア横断や、インド無銭旅行など、今から思えば、随分と無茶な冒険とも言えなくはない旅行と経験を積んだ者もいる。長い人生の中では、1ヶ月くらい、こんな旅をしてみても、良いのではないだろうか?若いということの特権であろうから、、、、、、。その後の仕事での海外・国内出張や、海外旅行にも、その時の経験は、生かされているのではないかと思うが、、、、。人生の旅の終着は、まだ、少し、先であろうか?



=「まんが学」の記事に想う=

2011年12月02日 | インポート

谷岡ヤスジの「鼻血ブー」に託した悪ガキの怒りは、メッタメタガキ道講座として、70年代初頭に社会現象化したことを、想い出す。当人は、99年に、惜しまれながら、早世してしまったが、当時は、赤塚不二夫先生の天才バカボンや、おそ松くんのニャロメ人気が、その一方で、ブームを席捲していた。私達の子供の頃は、今から思えば、良く、本を読み、よく勉強もし、よく空き地や、塀の上で、遊び、遊び疲れると、決まって、友達のうちで、(何故か、友達の家だったが、、、、)おやつを頬張りながら、よく漫画も読んだものだ。もっとも、貸本屋も、未だ、一産業として、立派に、残っていたが、、、、。(その貸本屋も、何年か前に、廃業してしまったのは、淋しいが、、、、、)月刊誌の「少年」連載の横山光輝による鉄人28号や、手塚治虫の鉄腕アトム、果ては、月光仮面、等、アニメ化される前の漫画本を、こどもの科学などとともに、実に、よく読んだものである。後の少年サンデーや、マガジンに、更には、今日のアニメーション文化、アキバ・オタク文化へと、広い意味で、繋がっていくのだろうか、「これでいいのだ!」や、植木等の「分かっちゃいるけど、やめられネェー!」等は、今、想い出しても、随分と「深遠な仏教哲学的な思想」が、内在しているようにも、思えてならない。あの頃、「漫画なんかを読んでいたら、頭が、悪くなる」と、良く、母親やPTAから、言われたが、果ては、悪書追放まがいの運動の目標になったことは、「ゲゲゲの女房」の中でも、触れられていたが、子供の心の成長の過程では、今にして、想えば、決して、悪いことではなく、むしろ、友達付き合いや、別に、漫画のみを読んでいた訳ではなく、「一服の清涼剤」のような、或いは、「心のオアシス」、「こどもたちの隠れ家」のようなものだったかも知れない。私の書庫には、その昔の漫画は、残っていないが、子供達の読んでいた昔の漫画は、そのまま、使い古され、傷ついたミニチュア・カーやお人形とともに、残してある。孫でも、持つようになったら、お爺さんの読んだ漫画を、是非、読ませたいものである。復刻本でも出たら、買うとしようか?


「霧氷」を、初めて観る=今年も観られるだろうか?

2011年10月12日 | インポート
それは、去年の晩秋、11月初め頃に、突然、やってきた。生まれて初めて、偶然にも、「霧氷」を目撃したのである。朝早くに、東京を発ち、八ヶ岳周辺の山の遅い紅葉を愉しみながら、松原湖・蓼科高原経由で、赤岳のトラピス・ロープ・ウェイを登っている途中に、何やら、雪のような、しかし、雪そのものではない情景、「紅葉と雪景色」とが、同時に、混在するような何とも絵も謂われぬ幻想的な情景に、出くわした。それが、「霧氷」だったのである。その昔、子供の頃、橋幸夫が、「霧氷」という唄を歌っていたので、言葉だけは、知識としては、知ってはいたが、実際の「霧氷」を「体感」するのは、初めてであった。スキー場で観る雪の造形美である「樹氷」ともやや違い、何とも、実に、「はかない、危うい」情景であった。色々な気象条件が、偶然にも、重ならないと、観られない情景のようで、実に、幸運であった。今年も何かの拍子に、出くわさないであろうか?何とも、楽しみなことである。



信州国際音楽村にて、「耳濯ぐ」=フレッシュ・アーティスト・コンサートを聴く

2011年08月17日 | インポート
クラシックを専門的に学ぶ高校性・大学生・院生等の公募で、参集した長野県出身者による演奏会で、ピアノ独奏、声楽、金管楽器アンサンブルなどの演奏披露の機会を提供し、同時に、地元の人々にも、音楽演奏を楽しんでもらい、今後の支援もして貰うという趣旨で、入場無料で、行われたものである。四半世紀弱前に、信州産の唐松の樹をふんだんに使用して作られたドーム型の音楽堂は、音響効果も良く、聴衆も、多からず、少なからず、こじんまりとした肩の凝らないアット・ホームな雰囲気のコンサートであった。娘の子供時代のピアノの発表会の延長線上の雰囲気であったが、その音楽的技術水準は、(ド素人の私には、評価する術を持たないが、、、、、大体、演目の順番が変更されたのを演奏者からの説明で、知らされても、分からぬ位であったが、、、、、しかし、)それなりに、高いレベルであろうかと思われる。それよりも、鼓膜の奥底まで、響き渡るそのバリトン、ソプラノの声や、ピアノの音、サクソフォン、クラリネット、ヴァイオリン、トランペット、トロンボーン、チューバ、ホルンの音は、とても、「耳心地よいもの」であった。昔の人は、「耳濯ぐ(そそぐ)」と謂ったが、心地良い音楽を、耳に濯いで、心を清め、洗うのも、年に何度かは、この現代では、必要ではなかろうか?松本も、この上田も、信州では、こうした音楽活動、文化活動が、盛んで、小諸高校の音楽科も、県下、唯一の音楽専門学科で、未来のプロを目指す音楽家の卵達が、学んでいるという。こうしたコンサート活動の機会を生かして、研鑽を積み、今後の活躍を、大いに期待したいところである。是非、たまには、よい音楽を通して、「耳濯ぐ」機会を与えて貰いたいものである。気がつけば、午後2時に、始まった演奏会も7時過ぎであった。屋外では、すさまじい雷雨が、過ぎ去ったところで、眼下には、上田の街の夜景が、うっすらと雲間に、浮かび上がっていた。



稲わら汚染牛に、想う=長女の誕生したその日

2011年08月06日 | インポート
=稲わら汚染牛に、想う=長女の誕生したその日
今から、30数余年も前のことである。女房が、臨月を迎えて、いよいよ、第一子が、誕生と言うときに、どういうわけか、その日は、芝浦の家畜現場の見学が、以前から、日程に入っていた。現場では、1頭のホルスタイン牛が、前足で、踏ん張り、くつわを引っ張っても、頑として、動こうとしない。本能的に、殺されることを、感じていたのだろう、作業員は、それとなく、近づくと、事務的に、間髪を入れずに、アッという間に、牛の眉間に、鉄のハンマーを振り下ろした。その瞬間、牛は、ドドッと、巨体を、前のめりに、四肢を、ヒクヒク、痙攣させながら、少し、もがいたが、すぐに、絶命した。すかさず、分業している他の作業員が、ナイフで、手際よく、腹を割いた。すると、その瞬間、何と、お腹から、1頭の仔牛が、勢いよく出てきたのである。解体作業手順を、その後、見学して、何とか、嘔吐もすること無く、無事、帰宅の途に、ついたのである。帰りに、入院している女房の病院を訪ねると、無地、長女を出産したことを確認出来た。稲わら汚染によって、手塩にかけた肉牛を、図らずも、処分せざるを得ない畜産家の心情も、又、本来、食用に供されるべく命を全うする筈であったとうの肉牛自身も、さぞや、無念であったに違いない。牛の写真を見る度に、長女誕生の日のことを想い起こす。「君は、牛の生まれ変わりなんだよ、きっと」と、物心ついた頃に、「午(うま)」歳生まれの長女に、言ったことがあるのを想い起こす。原爆記念日の前日だった。