小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

映画 MINAMATA ミナマタ・水俣を観る:

2021年10月08日 | 映画・テレビ批評

=映画 MINAMATA ミナマタ・水俣を観る:

 

この2年間、コロナ禍で、映画館で前回、どんな映画を愉しんだのか、想い出せないし、そもそも、電車や地下鉄に乗った記憶が、想い出せないほど、遠い昔のような気がする。全く久しぶりに、電車に乗ると、社内の中刷り広告や電子広告ですら、何か新鮮な感じがしてならない。すっかり、アマゾン・プライムのビデオによる映画鑑賞というパターンが、年寄りの行動様式の一部に定着してしまった。

 それにしても、もう、50年も前の記憶が、ジョニ-・デップのメイク・アップによる顔つきそのものが、の時代のユージン・スミスのイメージと重なってくるから、映画という奴は、人間の記憶というものは、面白いものである。それは、50年の時を経て、忘れかけていた記憶が、蘇ってきた。

 ジョニーデップという俳優については、私は、せいぜいが、昔観た、PLATOONやシザーズハンド、エルム街の悪夢や、テレビで観たチャーリーとチョコレート工場、或いは、パイレーツ・オブ・カリビアンの海賊シリーズや、ローンレンジャーのインディアン役、等が、想い出されれるものの、一寸、駄目親父的な何か、仕事に没頭しすぎて、妻や子供・家族を忘却した挙げ句に、相手にされなくなる仕事最優先の高みを極めるアル中寸前の人物像が、プライベートな生活とも相俟って、二重写しに、ユージンスミスとダブって浮き出てくるのは、決して、間違った解釈とも思えない。だからこそ、製作・主演を自ら、やってのけたのにも、何か、内面的な理由が隠されいるように思えてならない。

 60年代から70年代にかけての高度経済成長期での<4大公害>(KOUGAIという恥ずべき日本語自体が、英語でも世界中に、通用することになったことは、誠に、皮肉なことであるが、、、、)とは、熊本県の水俣湾で発生したメチル水銀汚染による「水俣病」、同じくメチル水銀汚染による新潟県の阿賀野川流域での「新潟水俣病」、三重県四日市市で発生した主に硫黄酸化物による大気汚染が原因の「四日市ぜん息」、富山県神通川流域で発生したカドミウム汚染による「イタイイタイ病」も、何か、今日では、人々の記憶の中に、スゥーと想い出されることもなくなりつつあるのが現実で、水・海・地下水・空気・土質・環境汚染が、食物連鎖と相俟って、未だに、50年も60年も経た今日でも、インドの殺虫剤工場、ネシアの火力発電、ダム工事、チェルノブイリ原発事故、福島原発放射能汚染事故、エンドロールに記載されている世界的な規模での環境汚染・山火事や豪雨による気候変動やマイクロ・プラスティックによる海洋汚染も含めれば、脱炭素社会を目指すと言いながらも、この半世紀・1世紀の間では、何ら、問題解決のきっかけすらも、見つかっていないのが現状なのであろうか?

 映画の中で、真田広之演じる住民運動のリーダーの名前が、なかなか、想い出せない、訴訟派に対して、飽くまでも、住民運動を組織して自主交渉派として、22年間の長きに亘って、市議を3期務め、成田闘争で検挙された、川本輝夫を好演していたり、國村肇演じるチッソの社長役、江頭豊と言う名前も、なかなか想い出せない。71年という年は、社会へ出る1年前で、この年の年末には、想像だにしていなかった友人との突然の永遠の別れを経験することになる。そんな個人的な事情もある時代背景を伴って、感慨深く、映画を見つめていた。

 写真というものは、今日、オート・フォーカスで、デジカメにしても、スマホにしても、ある程度の水準で、失敗のない写真が撮影できるが、アメリカ先住民であるインディアンによれば、写真を撮影される被写体になることは、<魂そのものを奪われる>と言われてきたが、同じ先住民の血を引く、ユージン・スミスは、逆に、撮影する立場であるフォトグラファーとして、<写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくということに気づかねばならない>ともいっているし、又、フォト・ジャーナリズムについても、<これは(写真集は)客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解き放たれたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる> 更に、こうも言っている、<ジャーナリズムにおける私の責任はふたつあるというのが私の信念だ。第一の責任は私の写す人たちにたいするもの。第二の責任は読者にたいするもの。このふたつの責任を果たせば自動的に雑誌への責任を果たすことになると私は信じている>(英語版序文から)

 言葉によるジャーナリズムと異なり、<フォト・ジャーナリズムとは、LIFEの如く、写真を通して、リアリズムを追求したのであろうか、それとも、(ユージン・スミスが、主張するように、)徹底的に、リアリズム(写実主義)を排除するところから、成立しているのであろうか?>ファインダーからのぞいた風景とスマホの四角い画面から撮影する構成画面は、同じ風景なのか、それとも、異なる風景なのであろうか? ジャーナリズムの神髄は、人嫌がるところをあぶり出すところにあるとまで、映画の中で、言っているが、この時代には、まだ、文春砲も、パパラッチもいなかった時代だが、、、、、。ユージン・スミスは、1918年生まれだから、サイパン(1944年)、硫黄島・沖縄戦(1945年)に、戦場カメラマンとして、従軍していることも、写真を撮る側と撮られる側の立場の違いは、自ずと若い頃から、ありのままの生と死の違いを見つめざるをえなかったのではないだろうか?

 ジャズや音楽は、私にとっては、門外漢であるから、(サントラなどやエンドロールの音楽については、よく分からないが、坂本龍一が、どのように関わっているのかなどは、わからないので、)割愛するが、確かに、<水の音>という共通キーワードは、映画の全編を通じて、観客の耳の奥に、残っているのは確かである。

 この時代には、やはり、都市工学と言う言葉自身を当時、物珍しく聞いた記憶があり、且つ、公害言論という大学の公開自主講座を開催した万年助手の宇井純や、石牟礼道子の苦海浄土(白い巡礼着と網傘)についても、最後に触れておきたいものである。当時の記憶が、映画を見終わってから、沸々と、記憶が蘇ってきた。

 尚、映画『MINAMATA-ミナマタ-』では「封印」された「入浴する智子と母」が使用されており、アイリーンは映画を見た後で「この写真を大切にするなら今何をするべきかと考えた時、『本物の写真を見せることだ』という結論」に達したと述べ、再刊する写真集で「入浴する智子と母」を含めた、上村智子の写った写真を掲載する意向を示したと言われているが、、、、、。

 

(フォト)・ジャーナリズムとは、何か?表現するとは、どういうことなのか? 写真を撮影する立場と撮影される被写体との違いは、何か? 住民運動とは何か? 資本主義のモラルとは何か? 企業家の倫理観とは? 利潤追求とは、? 労働者として、生活者として、一人の人間・一個人として、どのように、こういう環境破壊と環境汚染と対峙してゆくべきなのか? 半世紀後も、問題解決はなされているのか? 真実を追求する行為とは、公開することは、いかなる意味があるのか? 後世に記録として、残すには、何をなすべきか?

 

日本人による作品がならなかったのは、至極残念だと言う意見もあるが、私は、そんなことは、国籍・人種を問わずに、良いものは、誰が作っても宜しいではないだろうか?そんな時代に、日本のジャーナリズムが力がなかっただけで、半世紀後の今日の現実も、変わっていないのも事実であろう。むしろこちらの方が、より深刻な問題であろう。この当時、同じ頃には、戦場カメラマン、沢田教一は、ロバート・キャパ賞を受賞しているが、、、、、、、。

 

それにしても、良い映画は、平日の朝からでも結構、コロナ禍でも熱気に溢れ、混雑しているものだ!

 

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