小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

HD違法売買と個人情報漏洩におもう:

2019年12月27日 | 社会戯評

HD違法売買と個人情報漏洩におもう:

そもそも、名刺を交換した段階から、或いは、メール・アドレスを一度公開しただけでも、既にこの時点から、個人情報の漏洩が、スタートするといわれているが、それにしても、個人情報の保存されているHDを消去・廃棄する専門の会社の従業員が、小遣い銭稼ぎに、自分の事務所に、窃盗目的で侵入して、その盗んだHDをオークションに販売するとは、一体、管理そのものが、どうなっているのかと全く、首をひねりたくなってしまう。一体全体、どうなっているのであろうか?

 そんなものが、オークション自体に出品されることすら、私は、知らなかったので、全く、驚愕の一言である。購入した人間が善意の購入者だったから、まだしも、これが、反社会的な勢力だったら、どうなっているのかと思うだけでも、ゾクッとしまう。HDデータ消去を専門にしている会社自体の内部監査システムもさることながら、民間の業者で、何の資格も、肝心要のセキュリティ対策も法的にないとは、全く、お粗末な限りである。しかも、オークションにしても基本的に、そもそも、盗品かどうかを、全くスクリーニングすることなく、自由に売買出来ること自体も、オークション主催者という存在も、実に、不可思議な存在である。自分は、ヤフオクとか、オークション自体をこれまで活用してこなかったし、又、その仕組み自体を余り信用していないから、今流行のメルカリなどは、きっと盗品だらけなのかもしれない。いや、もう既に、どこかの反社会組織などは、きっと巧妙に、窃盗団とオークションサイトと資金洗浄を分業として、<一種のビジネスモデルを構築>して、海外窃盗団の組織的なグループ・ネットを構築して、巧みに、名簿業者なども含めて、ある種の詐欺名簿やそれこそ、私は1億円以上の現金や宝石を持っていますよなどと脳天気な人間の名簿も、情報管理しているのかもしれない。

 逆に、こういう状況が全く夢物語ではないとすると、コンビニで、1回500円くらいでも、支払ってPCのHDデータを強力な磁気で、瞬時に、自分の手で消去するというサービスも、成立するかもしれない。自らの安全と個人情報を自らの手で、如何にして守るのか?本当に困ったことである。外付けHDではなくて、サーバー上のクラウドに、MSNのOne Drive やGoogleのGoogle Drive等に、保管されている膨大な写真や文書データなどは、一体全体、個人情報が担保されているのであろうか?そういえば、利用する前に、細かな契約書を、読んだような、読んでいないような記憶が全く不確かな状態で、現在進行形で利用しているように、思えなくもない。尤も、保管されているデータも、何でも、突然気がつくと、<ゴミ箱に移管されていて、データが見当たらない>ことがあるようにも、風聞しているが、、、、本当に、大丈夫なのであろうか?

 昨今、GAFAではないが、FB等でも、広告や宣伝、或いは、お薦め商品も、膨大なデータを情報処理した上で、特定の個人向けに、ピン・ポイントで、あちら側から(?)、一体どこからなのであろうか(?)知らぬ間に、送られてくる。そもそも、御願いもしていないにも関わらず、<あちら側>から、常時、送られてくると謂う手法が、<常態化してきつつ>ある。もうこうなると、ステルス・マーケティングどころか、はっきりと、あちら側は、<ある種の目的意識と明確な意図>の下に、<情報操作と無意識化>を、狙っているのではないかとも、実感してしまう。さすがに、法的な規制を掛けて、個人情報の利用拒否とか、クッキーの規制とかを、選択制にすることを考えているようだが、本当に、そんな規制で、<自己防衛が担保できる>のであろうか?IT技術やAI技術は、遙かに、我々の想像を超えたスピードを以て、凌駕してしまうのではなかろうか?嘗て、スノーデンが、関わっていたように、どこかで、密かに、<情報管理と操作と漏洩>とが、一つのパッケージとなって、売買される危険性がないとも言えない。危険性ではなくして、そういう<事実が既に過去にあった>こと、又、依然として、<現在も進行中である>こと。

 既に、銀行は、フィンテックに押される形で、これまでの長い歴史の中で、蓄積されてきた個人の信用情報の売買、もちろん、個々人の許諾条件という括弧付きではあるものの、志向・趣味・年収・家族構成・資産内容、ありとあらゆる分野の情報も、これからは、銀行だけではなくて、全ての業種や分野を超越して、<膨大な個人情報の売買>が、可能になる時代が、既に、<本人だけが気がつかないだけ>で、密かに、現在進行形で、足許から、揺らぎ始めているのかもしれない。一歩外に出れば、スマホのGPSが、どこに、何時に出かけ、何を購入し、POSデータと共に、紐付けされて、瞬時に、購買理由と履歴が分析され、需要予測から、次回購入時予定日や、お薦め商品の案内が来る仕組みが、何も、歩いてお出かけするだけではなくて、鉄道でもバスでも自動車でも、あらゆる交通手段と紐付きで、きっと、密かに、この人物は、毎週金曜日の夜には、国会デモに参加しているとかも、<あちら側は、合点承知の助>なのかもしれない。マイ・ナンバーで、e-TAX申告をしている以上、もはや、GPS地図情報サービスの常時設定をOFFにしていても、それだけでは済まされない状況なのかもしれない。

 昔は、電話帳に、自分の自宅の電話番号を載せなければ、むやみやたらに、見知らぬ人間から、電話が掛かってこない旧きよき時代が、あったかもしれないが、今日、クーポンはいじめ、<お得な情報>という形で、ありとあらゆる形で、<あちら側から>有無を言わさずにやってくる時代である。確かに、忙しい時代である。そして、便利な反面、<危うい時代>でもある。今般。改めて、このニュース報道に接するに際して、全く、考えさせられた次第である。そう思いつつも、<無人島暮らし>を選択できるほどの勇気も、もはや、ないが、、、、、どうしたものであろうか?どのように、生き残り、どのようにして、もう少し、生きていかねばならないのであろうか?

 

 


M1グランプリを観る:笑いの科学と方程式  

2019年12月25日 | 映画・テレビ批評

=M1グランプリを観る:笑いの科学と方程式

 

何年かぶりかに、M1グランプリをたまたま、テレビで観る機会を得たが、同時に、その優勝者の決定後にネットのGYAOで、配信された<忖度なしの反省会>というものを併せて観た。成る程、テレビというものも、今や、ネットでの裏番組に、押されるわけで、一般的な上っ面だけでの評論とは、別の面白みが、ネット配信にはあることが、容易に理解されよう。つまり、<笑いの科学>というか、<笑いの方程式>というものが、わかりやすく解説されていて、興味深いものがある。漫才とか、コントなども、演者だけではなくて、原作者をもっと、明らかにして、歌手だけでなくて、作詞家・作曲家ではないが、放送作家やコント作家も名前を公表してみたら如何なものであろうか?むしろ、芥川賞などの作家のデビューを手助けするように、<若手のコント作家を広く公募>して、笑いの方程式や笑いの科学の新たな試みを試すような機会を創出するべきではないだろうか?実際、漫才師は、突っ込みやぼけのどちらかが、原作を作る傾向がある以上、笑い飯のネット上での解説には、一定の重みが感じられた。ボケとツッコミとの往復とか、観客との対話とか、或いは、昔のコント55号が初めて使った掟破りと謂われる画面の横へのはみ出し移動と、(身長差による)縦の伸縮などの手法とか、言葉だけでなくて、様々な視覚的なテクニックとか、言葉というツールを使いながら、笑いの方程式を、次々に、緻密に、論じてゆくものである。どうやら、唯単に、浮かれた感じのおちゃらけやブサイクやキモカワイイを売り物にするキャラクターだけでは、笑いの方程式は完成せず、観客の笑いは、とれないらしい。その意味で、優勝した関東では無名に近いミルクボーイよりも、既に実績のあるかまいたちの方が、<玄人受けする複雑な方程式を提示>していたような気がしてならない。尤も、既にキング・オブ・コントでの実績がある以上、業界的には、苦節10数年のテレビでは無名に近い実績の無い、ミルクボーイの方が、コーンフレークや最中というキー・ワードの中での展開の方を、テレビ的には、吉本興行的には、優先されていたのではないだろうか?業界的には、その方が、丸く各方面の関係筋には良かったことであろうし、優勝者も、次点も、3位も、全て美味しいものではないだろうか?尤も、気の毒なのは、敗者復活からのし上がってきた和牛こそが、冷や飯を食わされたようである。おまけに上沼恵美子から、余計なコメントまでもらった挙げ句に、決定戦を準備中に敗退してしまったことは、悔やまれようが、既に、ある程度の実績を残している以上、仕方ないことではなろうか、ここは、<煮え湯を飲むという選択肢>もやむを得ないのではないだろうか?優勝者を決定するというテレビ的な手法の前では、確かに、<くじ運による順番>も、この<笑いの科学>の前には、方程式通りとはゆかないわけで、<松本人志の特異のツッコミ役の持論>は別にして、インディアンズにしても、ナイツの土屋がコメントしていたように、斬新な歌による掛け合い漫才も、所詮は、トップ・バッターによるある種の基準点のような意味合いも有り、本来は、何らかの+加点でも与えてあげなければ、<審査員による好悪という壁>の前では、撃沈されてしまわざるを得ないのかもしれない。それも又、<ある種の不運>なのかもしれない。それにしても、優勝することで、一夜にして、その知名度が上がり、その瞬間から、その人生も一変するわけだから、厳しいといえば、厳しいものがある。尤も、それすらも、実力がなければ、その後の一年後の活動も、持たないわけであるから、余程、実力が無ければ、全く、話にならないことは、この世界では、当たり前なのかもしれない。それにしても、吉本の会社組織を挙げてのバック・アップ支援と漫才を試す機会を劇場ライブも含めて、総力を挙げて実現する手法は、古典的な寄席中心の落語の世界の営業とは異なり、立川志らく当たりには、羨ましい限りではないだろうか?大御所と謂われる居並ぶ審査員の力量も、<様々な眼に見えない思惑>が垣間見られて、面白いが、それもこれも、GYAOのネット配信でのパンクブーブーや麒麟、笑い飯、ナイツ、小薮による司会の<忖度なしの解説コメント>のお陰だったのかもしれない。ツイッターによる同時コメントを観ながら、ネット視聴するのも、テレビの副音声とは違った意味での新しい楽しみ方なのかもしれない。久しぶりに、なかなか、面白い<表と裏、建前と本音のM1グランプリ>であった。


Dr. Nakamura の突然の訃報

2019年12月16日 | 社会戯評

=Dr. Nakamura の突然の訃報:

自分が未だ子どもの頃には、マハトマ・ガンジーとか、密林の聖者と謂われたシュバイツァー博士とか、或いは、やはり、医師であったチェ・ゲバラとか、様々な同時代の同じ空気を自分も吸っていたであろう先人達が、人道主義者が、現に存在していた事を、ふと思い出した。国連難民高等弁務官を務めていた緒方貞子氏も、つい先頃、亡くなり、そして、突然、中村哲医師が、銃弾に斃れてしまったとの一方が、ネットに流れてきた。

それにしても医師として、人々の命を救おうとする中で、何故、土木作業を伴う、水利事業をアフガニスタンで、しかも、30余年という長きに亘り、取り組むことになったのか?

<不作為>とか、<忖度>という言葉の影で、<品格>とか、<矜持>とかいう言葉が、既に、忘れ去られようとする今の時代の中で、ハッキリと、自衛隊の海外派兵は、全く無意味で、むしろ、中村哲医師が目指すような運動への援助をヒト・モノ・カネの面で、積極的に行うことの方が、ずっと、効果的であるという趣旨の国会での発言にも、おおいに、考えさせられる。

医師として、命を助ける中で、幼い幼児の命も、老人の死も、結局は、死という事実の前では、命の長さに、価値があるのではなくて、弱い者から、犠牲になる事実は変わらず、むしろ、清らかな飲料水を提供することで、そこから、まずは、井戸を掘ることから始め、クナール川の急激な流れを自分の故郷の伝統的な山田堰などによる水の流れの変更と灌漑水利事業へと、更には、農地改革と農業による地域65万人にも及ぶ、砂漠の緑化事業へと、30有余年を掛けて、実現へ向かってゆくわけである。それにしても、医師による医療活動を通じる中で、何故、自らも、工事用重機を運転してまでも、日本人スタッフの殺害をも乗り越えて、、、、<危険な現場での活動>に拘ったのであろうか?

Sow the Flagを、インド洋での自衛隊による補給艦や、米軍のミサイルなどではなくて、全く、別の形で、日本人として、アンチテーゼを樹立したことは、不毛な政治家による対米追従路線とは別の道筋を示したように感じられる。国境なき医師団などとは異なる、<100人の医師の派遣よりも、1本の水路を!>というテーゼの確立と、その事業の実行という方向性、テロとの戦いは、貧困との闘いで、水の確保、治水事業、緑の大地と砂漠の克服、農業の振興を、現地の人への尊厳と敬意、家族の安全と、現地人材育成、専門知識の習得の機会と仕組み作りへの邁進、等などという別の異なる手法の確立。

どうもその辺を考える時、そのルーツには、ファミリー・ヒストリー(?)が、関係しているのかもしれない。中村の叔父は、火野葦平、芥川賞作家であり、その本名は、玉井勝則で、<麦と兵隊>や<花と龍>の著作を著し、同時に、今の北九州市の若松区で沖仲仕だった、玉井金五郎の長男であり、玉井組の2代目でもある。(そんな中で、余談だが、石原裕次郎が主演の映画、<花と龍>、母のまん役は、浅丘ルリ子だった。まぁ、それは、どうでも宜しいが、)火野葦平の妹の息子こそが、Dr. Nakamuraで、甥っ子に当たるわけである。祖父、玉井金五郎の顔写真は、そっくりの顔立ちであることにも改めて驚く。

<社会正義感>というものを初めて感じて成人してゆく課程には、何らかのこうした家族環境というか、ファミリーの血の中に、何らかの形で、色濃く影響されながら、引き継がれてゆくものなのであろうか?それとも、幼少期や少年期で、火野葦平の影響が何らかの形で、その後の医師としての、或いは、アフガンでの活動に、どのような影響があったのかは、今となっては、わからないが、、、、、、。<社会貢献>などという概念は、或いは、<貧しい人の為に尽くす>という概念は、ある種の教育で育てられるものなのであろうか?昔の武士の時代のように、武士道とか、忠義とかを、子どもの頃から、教え込まれてきたならいざしらず、73歳になっても、海外、しかも、命の危険を伴うアフガニスタンで、<人道支援事業>を30有余年も継続し続けるというその基になるものとは、何なのであろうか?そして、年齢的にも今や近くなりつつある現在、翻って自分の過去を振り返るときに、同じように、海外事業で、尤も、こちらは、自らの生業のために、やむなく、海外での事業展開に30数余年同じように関わってきたものの、私心というものと、公の心とも、呼べるものが、果たして、少しでも有り、そして、その<開発途上国への何らかの貢献>が、あったのであろうかと自問自答するとき、<技術の移転とヒト作り>くらいは、現地の幹部スタッフには、足跡の一つも残せたかなくらいの誇りは、心の片隅に、一種の結果としての拝金主義的な成功者を、その後に、残してしまったのではないかという罪悪感とともに、反面、持ち合わせているのが、正直なところであろうか?。<現地への利益の完全還元・寄与>という究極な崇高な高い意思は、どうしたら、培われるのであろうか?私のように、生業として、ビジネスとして、やむなく、洗濯せざるを得なかったものには、何とも、ずしりと重くのしかかってくるDr.Nakamuraの訃報でしかない。主亡き後、現地のスタッフ達は、どのように、今後、この事業を推敲継続し、次の30年後に、どのような国作りをするのであろうか?そして、この日本から、若い人達が、Dr.Nakamuraの遺志を継ぐ形で、輩出してくるのであろうか?

吊るし干し柿作りを愉しみながら、訃報に接するとき、非常に、複雑な思いと共に、今、何が、自分に出来るのであろうかと自問自答せざるを得ない。そろそろ、自分史とファミリー・ヒストリーでも整理し始める時期が、近づいてきたのであろうかとも思える。

合掌と共に、その遺志が、一人一人の各自の行動の中に、永遠に引き継がれることを祈りつつ、


BS 映画<キューポラのあるまち>を観る:

2019年12月02日 | 映画・テレビ批評

BS 映画<キューポラのあるまち>を観る:

1962年(昭和37年)の未だ白黒映画時代の吉永小百合・浜田光夫や、往年の今は亡き俳優達が多数出演している映画で、題名は知っているものの映画をしっかり観たという記憶が定かでなく、たまたま、テレビ欄で眼に飛び込んできたので、観ることにした。

それにしても、当時17歳だった吉永小百合が、ティンネージャーから、女性俳優へと脱皮してゆく時期の過渡期での作品であり、又今村昌平と後の夢千代日記などで有名になる浦山桐郎監督との共同作品で、五十有余年後の今日、改めて、観ても、その映画の中で、追求していこうとした数々の課題は、未だに、解決していないことを考えると、映画の問いかける時代の普遍性とは大変重いことを改めて、思わざるを得ない。

キューポラとは、ラテン語の樽を意味するそうで、そこから、転じて、溶鉱炉を意味するもので、当時の鋳物工場で有名であった川口という一地方都市の物語で、組合活動やオートメ化に伴う産業構造の変化や、労働者階級や職人階級という存在、在日朝鮮人差別と祖国帰還事業により家族が引き裂かれてゆく状況や、中学卒や定時制高校・夜間高校、貧富の格差、頑固親父との親子関係、担任教師との関係性や思春期の性の悩み、集団就職と職場での歌声運動、そして、今では懐かしい言葉となってしまった、<様々な放送禁止・差別用語>が、新聞配達や当時の町並みや風景の中や親子喧嘩の中で、垣間見られるのも、又、<そういう時代だった故>なのだろうか?それにしても、今でも、修学旅行のお小遣いや集金袋の回収など、気がつけば未だに、身近で、解決されていない問題にも、改めて気づかされてしまう。

 私たちが、未だ、幼かった昭和30年から35年頃には、等しく、みんな、貧しかったが故からか、貧乏人も、お手伝いさんのいるお坊ちゃまのお家で、三時のおやつに、ひとしきり、遊びほうけた後で、手も洗わずに、食い散らかしては、帰宅後に、母から、こっぴどく、叱られたことを、今でも、クラス会の時に、当時の仲間と共に、想い出しては、懐かしく語れるものの、賛否はあるものの、帰還事業で、北朝鮮へ、渡った在日朝鮮人達は、まさに、楽園と言われた彼の地で、ダブル・スタンダードの過酷な差別に苦しめられて、どうなっているのであろうか?その後の吉永小百合の信念にしても、影響があった、往年の映画には、それぞれの影響を及ぼしたであろう台詞が、そこここに、散見されている。それにしても、ただ、等しく、皆貧しかった時代には、何故、皆、これ、良しとしてしまうのであろうか?それは、皆、等しく、平等に、程度の差はあれ、皆、生活が豊かになり、物心両面でのほどほどの成功感と達成感という充足を味わえたからなのだろうか?さすれば、毛沢東時代の中国とキム三代の北朝鮮や韓国との比較の中で、相対的に、日本は、上記の幸福度は、達成感と充足度のバランスが、とれていると言うことなのであろうか?そして、何にもまして、当時の日本人の有する、考え方、<一生懸命働けば、明日は、今日よりも良い日が来る>という、一種の<勤勉精神と明日への向上期待信仰>への確信が、現として、存在していたのであろうか?もしそうであるとするなら、今日、何もかも、当時の面影は、無くなってしまった今日、鋳物工場も、海外工場へ移転され、人手不足から、在日外国人移民が増加して、ゴミ問題や言葉の障害による地域社会の対立があったり、労働組合は崩壊して、非正規雇用パート・タイマーで溢れ、既に、右肩上がりの経済モデルは、少子化と高齢化社会の中で、崩壊してしまい、家族関係も分断され、<親リッチ>とは無縁な、ショービニズムに犯された嫌韓、ネト右のはびこる、ギスギスした、<正義と本質の見えずらい社会>に、いつしか、なってしまった。猫の目のように、映画の中で輝いていた当時17歳の吉永小百合の瞳には、何が、一体、今日、見えているのであろうか?キューボラのない街は、今日、もう一度、映画を撮るとしたら、何をテーマに、撮影して、どんな俳優が演じるのであろうか?それにしても、東野英治郎、菅井きん、北村谷栄、殿山泰司、加藤武、小林昭二、小沢昭一、吉行和子、浜田光夫、懐かしい白黒映画時代の俳優たちである。