小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

「散るぞ悲しき」を読む=梯久美子著、硫黄島総司令官 栗林忠道

2011年09月03日 | 書評・絵本
信州、長野県は、軍人を多く輩出しているが、永田鉄山や、戦艦大和の艦長だった有賀幸作らと、同様、栗林忠通も、又、同県の出身(栗林は、松代)である。東亜同文書院にも、合格する程で、英語が得意で、将来は、ジャーナリストになることも、考えていたらしい。駐在武官として、米国・カナダにも、勤務し、彼我の国力の差を、まざまざと、体感していたにも関わらず、全く、歴史とは、皮肉なものである。絶対防衛圏の死守から、切り捨てられ、まさに、矢弾尽き果て、徒手空拳でも、祖国への空襲の被害を、一日でも、徹底抗戦を貫徹することにより、遅延させ、あわよくば、終戦交渉にも、米国の世論を味方に付けて、、、、という戦略も、結局、果たせずに、2万余の将兵とともに、生きて帰れぬ限られた洞窟という戦場で、凄惨な「生と死」の道を歩んだ訳である。その合理主義的な死の美学を排除した冷徹な軍事戦術と、人間味溢れる家族に対する手紙の内容は、これまでの官製人物像を破壊しうるに十分である。皮肉にも、期せずして、3月10日のB-29による非戦闘員への無差別な東京大空襲や、その後の「米兵の犠牲者を少しでも少なくする為に」原爆を使用するという口実を与えてしまったのは、さぞかし、無念であったであろうし、歴史の皮肉としか、言いようがない。それは、辞世の句の一つにも、現れているし、又、それ故に、大本営は、その辞世の句までも、「散るぞ口惜し」と改竄したのであろう。或いは、訣別電報の電文にある「徒手空拳を以って、、、」をも、批判的として、歴史公文書から削除してしまったのかも知れない。栗林が、否定した「水際作戦」は、既に、その2年前のマキン・タラワ海戦で、失敗している。(私の叔父は、その時、玉砕したと伝えられているが、、、)。「失敗の本質」の文中にも、述べられている如く、「歴史の教訓」を、学ぼうとしない、事実を隠蔽し、改竄するやり方は、今日でも、原発の事故や、東日本大震災でも、或いは、中国の高速鉄道事故でも、広く、垣間見られる。歴史の忘却の彼方に、再び、これらを、持ち去られては、ならないことを、肝に銘じなければ、戦死した人々に、我々は、どう応えたら良いのであろうか?栗林が、硫黄島で、地下要塞を掘っていたときに、故郷の松代でも、地下に、大本営移転が、掘り進められていたのは、歴史の皮肉であろうか?皮肉にも、クリント・イーストウッドによる「父たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」は、米側からの視点で、この戦いを、画像として、描いているが、渡辺謙は、難しい役周りを好演したのは、少なくとも、救われる思いがする。