小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

今後の防衛力の在り方という講演を聴く:

2015年10月31日 | 社会戯評

今後の防衛力の在り方という講演を聴く:

元統合幕僚会議議長の杉山蕃氏による2時間程度に亘る講演である。現状の安全保障環境、肥大化する中国軍、中国の壮大な戦略、日本の置かれた環境、防衛力の在り方、等に関する内容で、米国海軍による南沙諸島への12浬以内への航行事態の以前での講演である。今や、右とか左とかいっていられるような情況ではない。防衛の最前線に携わってきた専門家による忌憚のない分析は、なかなか、マスメディアには、出てこないような内容で、興味深いものがある。灘校から、防衛大学を出て、航空自衛隊へ、そして、米軍との共同作戦立案担当後、統合幕僚会議議長になるコースであるから、一種、昔で謂えば、士官学校出のエリートであろうか?現在の安全保障情況というものは、実は、既に、「紛争」という形で、換言すれば、戦線布告ではなく、知らぬ間に、気が付けば、「現在進行中のハイブリッド型」で、情報操作、テロ、非公然な形での武装勢力や民間人を装った勢力への軍事支援援助・介入で、とりわけ、ウクライナ、ドネツクや、シリア・クルド・ISや、南シナ海での領有権争いという形で、発現していると、とりわけ、戦後処理の法的問題としてのサンフランシスコ平和条約、米西戦争や下関・馬漢条約にまで、歴史的に遡る法的な解釈上の問題点が、実は、そこには、今日に至るも、存在すると云う。成る程、世界は、植民地主義の呪縛から、一見、第二次大戦後、開放されたかの如く、評価されるが、実は、第一次大戦・第二次世界大戦と、或いは、各戦後処理の法的な解釈上の違いから、フランスの植民地だったベトナム領、日本の植民地だった台湾(台湾無帰属論)や、米国の植民地だったフィリピンという形で、更には、旧ソ連のウクライナ、とりわけ、ドネツクを中心とした軍事産業の集積地へのNATOによる編入とか、そして、ソ連崩壊後の中国によるウクライナやソ連からの軍事技術情報の移転に基づく軍事力の増強など、考えてみれば、世界地図を俯瞰しても、我々には、余り、知られていないものの、納得がゆく「現実」が、そこには、厳然として、存在しているものである。

それにしても、非公開での中国の国防費の増大(金額と質とスピードの速さ)は、昭和初期の日本軍の軍拡をも、上廻るような凄い勢いで、陸・海・空、とりわけ、今後継続すると思われる空母の建造計画、2020~2030年代には、確実に、原潜と共に、東太平洋外洋への進出を目論んでいると云う現実がある。それは、欧州へ続く大陸経由での一帯一路構想(新シルクロード)と太平洋二分化構想、PKO微笑外交、或いは、アフリカを中心とした低開発国への低融資での海外援助・AIIB設立や国連での多数派工作戦略とも、密接に、関わっている壮大な構想である。こうしてみてくると、やはり、世界というものは、いつの時代も、ある種の経済圏と貿易ルール・航行の安全・資源確保・安全保障政策・防衛軍事戦略とが、密接に、相互に、関わっていることが、再認識されようか?一体、日本の独自の戦略は、それでは、どうなるのであろうか?少なくとも、中国の突出した軍拡の流れは、様々な幸運に、恵まれていたとも云われている。ひとつには、世界の工場であると云われた経済的な発展、ソ連崩壊に伴う軍事技術の買収・移転、歴代民主党時代の米国の相対的な軍事力・政治力の低下、日本の失われた20年に亘る低迷、等によると、分析される。では、日本の置かれた防衛力環境とは、どういうことなのであろうか?とりわけ、今時の日米同盟・ガイドラインの指針と関連作業では、現場から観て、間違いなく、日米共同作戦による強力な助っ人を得たという反面、日本への怖れから、日本の防衛力への「瓶の蓋」(制約という形)で、同時に、抑制をもする側面があると、分析している。実際、これは、既に、講演者の22年前からの米軍との顔をつきあわせた共同作戦立案作業に、現場で、関わってきた経験からや、共同訓練での実証作業を通じて、肌で感じていると、なかなか、「戦争法案」などと云う、情緒的なキャッチ・フレーズに躍らされて、物事の本質を失ってしまった民主党などの責任政党としての立場には、残念乍ら、ガッカリさせられたとも云っている。確かに、軍事的な専門家としての見地からの見方は、成る程、一般的な国民が感じているものとは、随分隔たりがあるのだと云うことが分かるが、専門家の意見にも、確かに、一理あるかも知れない。政府によるもっと、丁寧な説明も必要不可欠であったのかも知れない。冷静に、合理的に、客観的に、科学的に、現状分析し、我が国の防衛力の在り方を、今後、考えてみることは、重要なことであることに間違いないであろう。ハッピー・ハロウィーンなどと仮装パレードで浮かれている時ではないであろう。今後の防衛力の在り方の中で、様々なキー・ワードが、語られたが、なかなか、興味深いものがあるので、列挙してみたい。まずは、「非核」・「原潜」・「空母」・「長距離・中距離誘導弾」、そして、「中国の泣き所」であろうか?原爆投下被害という被爆国としての「核アレルギー」、とりわけ、原子力船「むつ」の事故以来、或いは、福島の原発事故以来、日本国民中にある一種の「強い核アレルギー反応」による防衛力の中での優れた「原潜」、「原子力空母」性能技術への懐疑という抑制力、これは、基本的には、「非核」という原則的な政策とも、関係していて、通常型の潜水艦に比して、原潜の方が、航行スピードも、潜水時間も、全く、比べものにならないほど、優れているのに、自前の「原潜」を保有できないという抑制力と矛盾。とりわけ、中国海軍による海南島を基地とした「原潜」の外洋進出を如何にして、「追尾」するのかという安全保障上の脅威への対抗策、或いは、技術的なカタパルトも含めた建造可能技術は、充分あるものの、実際には、保有できないという「空母」、これは、艦載機の性能も含めて、長距離での攻撃目的ではなくて、防衛対抗措置としての建造への抑制、ステルス戦闘機の建造、など、様々な「制約と抑制要素」が働いている現状があると、そうした制約の中でも、前述の「瓶の蓋」内部の圧力を高めながら、中距離対艦誘導弾と対潜水艦追尾体制の徹底で、対空海対応力を増強は可能であると、とりわけ、島嶼防衛力は、この上で、充分、可能になると、そして、「中国の泣き所」として、官の腐敗・貧富の格差や人民解放軍内部での派閥抗争、対立、或いは、チベット・ウィグル自治区での宗教差別・少数民族への人権侵害、換言すれば、「モスリム問題」であり、これが、貧富の格差や経済の低迷とも関わりながら、間違いなく、今後、じわじわと、波及してくるし、恐らく、モスリム勢力は世界的にも、中国国内でも優勢になるであろうと予想されると、第一線の現場指揮官の眼から観て、客観的な科学技術に基づく、軍事技術への理解と、共同作戦計画へのより深い理解と、サイバー・宇宙空間での防衛力強化と、補給線の確保など、防衛力の不足分を如何に充実させてゆくのか、そして、瓶の蓋の内部圧力を高められるかと、最期に、軍事最前線の専門家集団内部には、むしろ、こうした「冷静さ」があるものの、一番危険性を孕んでいるのは、科学的な論拠を理解することなく、ヒステリックに、只、アレルギー反応を起こす危険分子が、残念乍ら、民間の中に、或いは、政治家の中に存在していることであると、結んでいた。我々は、今日、様々な情報操作の中で、自分の判断を迷わされてしまうが、客観的な情報を評価するという場が、余りにも、少ないことに、驚いてしまう。その意味で、様々な現場の声を、指揮官も含めて、聴いてみるということは、貴重な時間であろう。現役自衛隊員の自殺の質問に関しても、既に、様々な組織的な真摯な対応がなされていて、なかなか、興味深かった。現実とは、現状とは、何たるかを、改めて、冷静に、考えてみる良い機会であったし、有意義な講演内容であったと思われる。

 


病室から眺める日本の現実:

2015年10月30日 | 健康

病室から眺める日本の現実:

若い頃、歳をとってからの手術とか、入院というものは、精神的に、ガックリくるだろうかと思って、事前に、経験を積んで、事前に、予行演習のつもりで、50代になってから、未だ、忙しい頃であったが、痔核の除去手術に、2泊3日で、勇躍入院することにしたことを想い出す。そんな時、80代のおばあさんまでもが、車椅子に乗って、入院していたことをも、同時に、記憶したいる。それから、もう、10年程も経過しただろうか?動脈硬化が進行してきて、いよいよ、心臓の冠動脈に、血管の詰まりが生じて来て、動脈硬化から、狭心症の疑い有りへ、更には、心筋梗塞に至る危険性があるとかで、取りあえず、CTスキャンで、精密検査してみることにした。すると、案の定、2箇所の血管の石灰化と詰まりが発見され、結局、循環器内科の専門のドクターからは、二泊三日の検査入院の上に、出来れば、その結果次第で、追加措置、即ち、左心室の冠動脈へと至るように、右手首から、挿入するステントで、石灰化している部分を拡大・開通化する手術を、行うことにした。それにしても、都会の巨大病院とは、凄まじいまでの、まるで、巨大なマシーンのような様相である。極めて、合理的に、運用されていて、ベルトコンベヤーに乗って、運ばれていくような商品のようなものであろうか?右手首の動脈あるところには、紛れもなく、まるで、リストカットのよう(?)ではないが、小さな針跡が、しっかりと残っている。それにしても、径が3ミリ、長さ15ミリのステイン挿入が、画面を観ながら、3人の専門医ドクターが、実施することになる。僅か、1時間程での検査・手術完了である事に驚く。それにしても、患者は、年寄りが多くて、同室のうち二人は、85歳、95歳で、ほとんど、痴呆症ではないかと疑われるほどで、そんな歳になってから、命の延長をもっとリスクの高い手術を受けなければならないという究極の命の選択をやりたくないものである。それにしても、若い看護師さん達の奮闘には、実に頭が下がる思いがする。朝早くから、シフトがあるとはいえ、夜勤も、これ又、大変である。ナース・コールのやり方が分からない高齢の患者や、転倒防止のマットの上を歩けば、夜中でもすぐに、ステーションから、やってきたりと、フロアーの掃除も、病院食の配膳でも、ベッド・リネンの交換も、実に、大変な事であるものの、確かに、極限まで、合理的なシステム化されているのには、改めて、驚かされる。しかも、救急病院に指定されているので、都心部の救急車が、夜中でも、ピーポ、ピーポと、ひっきりなしに、やってくるのが、寝ていても、理解される。医師不足とか、看護師問題とか、差額ベッドとか、様々な課題が、解決されないままではあるものの、アメリカの医療制度に、較べると、恐らく、ずっと、まだ、日本のそれは、マシなのかも知れない。それにしても、病院食のカロリー・コントロールや塩分の計算には、驚かされる、しかも、1食650キロカロリーで、3食、量までも、全く、それに応じて、個食化されているところをみると、毎日、大皿で、食べ過ぎであることが、反省と共に、再確認された。上品な小さな小鉢が必要になろう。或いは、お子様用の小さめの食器が必要になろうか、もはや、血液が、ドロドロであると宣告された次第であるから、これからは、血液サラサラ食品を食べることと、薬の服用が不可欠となろう!さもなくば、コレステロール値も血糖値も下がらずに、糖尿病予備軍から、正規軍へと進んでいてしまうことは必定であろうと、宣告されてしまった。長年、ヘビー・スモーカーだった、小学校の同級生は、同じ頃、心筋梗塞の発作で、救急車で運ばれた上に、3日3晩、生死の淵を彷徨って、やっと、生還したと、その前の週に、メール連絡してきた。改めて、余命と謂うよりも、健康寿命とは、何年くらいが自分には、妥当するのかを考えさせられてしまう。今回は、事前に、点滴と服薬で、ステロイドの投与をおこない、造影剤によるアレルギー反応で、瞼が垂れ下がったり、頬が火照ったりはせずに済んだが、今後も、気を抜くわけにはゆかない。それにしても、短い期間ながら、病床から眺めた景色は、日本の縮図そのものであることに、気づく。短いながらも、非日常性の中の生活から、実は、日本の現実を見つめさせられるようでいて、実に複雑な思いがする。しっかり、高額医療標準負担の削減認定証の申請も、お陰様で、活用出来るのは、有難いことである。それにしても、人生の終焉を病院で迎える高齢者が増えている現実がある限り、次の入院の時は、一体、どうなるのであろうかと思う。


比叡山、延暦寺の千日回峰荒行に思う:

2015年10月23日 | 社会戯評

比叡山、延暦寺の千日回峰荒行に思う:

四国巡礼を17番まで、自転車で、走破したときでも、同宿した歩き遍路の人の言では、一日に3万歩、毎日、約20キロ程度で、脚が悲鳴を上げたと、それでも、全行程を40-50日、毎日歩いてゆくのに、較べると、千日回峰などというものは、想像を絶するものである。自転車でも、1日に、約40-50キロだから、それも、しかも、急峻な山道や谷底から、登ったり、おりたりを繰り返すのでは、並大抵な肉体と強い精神力を有していなければ、そんなに、長い期間を毎日毎日、やれることは難しいことであろう。更に、7年に及ぶ地球1周にも及ぶ距離を、6年目には、毎日60キロも歩行、というよりは、猿のように、走り回る様子は、想像を絶してしまう。戦後13人目の快挙であると云われているが、堂入満行、9日間の不眠・不臥、そして、その間の水汲みとは、ほとんど、拷問同様ではないだろうか?成る程、死に装束に、いつ、首を吊っても良いようにと準備された荒縄の意味も理解出来よう。それにしても、不動明真言を10万回唱えるのも、巡礼時での般若心経を、唱えるのとは、訳が違うであろう。しかも、食を絶ち、不眠・不臥というのは、肉体的にも辛いであろうが、それ以上に、恐らく、精神的に、真っ暗なお堂の中で、僅かに、漏れてくる陽の光と鳥の囀りくらいでしか、時間の感覚が分からなくなる中での読経というものは、一体、人間の精神は、どうなるのであろうか?生・死を超えると良く、言葉の上では、謂われているが、人間は、そんな極限の中で、どのようにバランスが、保たれるのであろうか?お堂のかんぬきを開け放たれて、階段を降りて出てくる足取りも、しっかりとしていて、尋常なものではない。こちらは、普段でも、しっかりとした歩行もままならなくなりつつあるのに、これはどうしたものであろうか?遺されたまだ未完の四国巡礼も、精密検査と手術が済んでから、再度、体調を整えてから、来春にでも、車でもと考えていたが、気持ちの上では、千日回峰荒行にも、負けないような心づもりで、改めて、挑戦しようかとも思う。それにしても、まだ、これからも、数年間、修行が継続されるとは、恐れ入ってしまう。

 


原辞任と伝統の呪縛:

2015年10月22日 | スポーツ

原辞任と伝統の呪縛:

水原・川上・長嶋・王の時代での野球少年達は、今でも、大半が、巨人ファンなのであろうか?金満体質に陥って、FA制度を散々、しゃぶり尽くした挙げ句の果てに、若い前途有望な自前の選手達は、残念乍ら、他球団のようには、期待通りに、誰一人として、成長を遂げて主力の選手には育っていない。いつしか、プロ野球人気自体も、衰え始めて、今や、存亡の危機に立たされていると云っても過言ではないであろう。それにしても、打てない、守りのミスは出る、フィルダース・チョイス等は、これまで、考えられないような失態の数々であろう。12年間もご苦労様であった。長嶋からのバトンタッチも、それと共に、巨人軍という「重たい伝統の呪縛」をも、一緒に、背負ってしまったわけであるから、大変なストレスであった事は、想像に難くないであろう。それでも、選手の商品ライフ・サイクルではないが、登録選手や2軍の選手も含めて、一体、どのような配置と分布が、ナインという限られたポジションで、構想されていたのであろうか?しかも、それを、短期・中期・長期の中で、或いは、育成選手も含めて、どのようなプランニングで、人材教育戦略・戦術を策定して、それを個々の選手に、指導・育成という段階に、落とし込んでいったのであろうか?さっぱり、春のキャンプでも、こうした分析の報道が、解説者からは、聞こえてこないのは、残念なことである。いっそ、全く関係のない野球とは無縁のプロフェッショナルによる野球の戦力分析などを、新しい視点から、やって貰いたいものである。IT系の楽天やソフトバンク、DeNAなどに、期待したいところであるが、ヒョッとして、ラミレス新監督なら、フロントの新しい指導方針をやってくれるであろうか(?)結果だけがすべてであると云うプロの世界では、うまく商品(選手)ライフサイクルを分析しつつ、商品である選手の更新をしてゆくことは、大変、難しいものであろう。それでも、昔は、水原は、役に立たなかった王を使い続けたし、投手で駄目だった柴田をスィッチ・ヒッターに、川上は、改造したものである。安易に、FAを毎年、金満体質の中で、更新しながら、結果を急ぎすぎたツケが、如何ほどの価値で、後任の監督に、廻ってくるのか、これからが、楽しみである。伝統の呪縛から、如何にして、後任の監督は、解き放されるのであろうか?そして、後任監督だけでなくて、コーチ陣は、どんなチーム編成になるのであろうか?PCみたいに、簡単に、リセット・ボタンを押せば完了というわけには、いかないであろうことは、誰の眼にも、分かろう。ドラフト会議での選手選抜は、どうなるのであろうか?

 

 


ジョーンズ・コーチの示唆に富む発言:

2015年10月21日 | スポーツ

ジョーンズ・コーチの示唆に富む発言:

ラグビー・ワールド・カップの出発時には、僅かの身内しか、見送らなかったのに、勝てば官軍並に、俄ラグビー・ファンが、増加して、それこそ、一億総五郎丸化のルーティンの仕草騒ぎで、まるで、前々回のなでしこワールド・カップの優勝のような様相を呈しているのは、日本という国を象徴しているようで、実に、面白い。やはり、スポーツという競技は、勝たなければならないと謂うことを嫌と云うほど、関係者に、知らしめていることであろう。一億総火の玉(?)、次回の2019年の日本での開催に、向けて、一挙に、あらぬ期待が増し始めていることにも、なかなか、興味深い。それ程、最強の敗者と持てはやされたラグビー後進国の日本が、決勝トーナメントに、簡単に進出出来るとも、思わないが、、、、、。考えてみれば、ジョーンズ・コーチの帰国後の会見での発言には、示唆に富んでいて、日本人というものを考えさせられるに足る内容が含まれていて、考えさせられてしまう。よくよく、考えてみれば、監督は、誰だったのであろうか?さっぱり、名前が出てこない。どうしたことであろうか?サッカーは、逆に、監督の名前は知っていても、コーチが、誰なのかは、判らないのも、不可思議なものである。それにしても、明治期のお雇い外国人教師にも、比すべきこの外人コーチは、なかなか、類い稀な指導者である。経営者は、講演を依頼したほうが良さそうである。或いは、相撲の世界などは、真っ先に、その科学的な分析力と選手のフィジカル・メンタルなトレーニングの方法や、選手の活用法などを学ぶべきであろう。それにしても、日本戦で敗れた南アフリカは、その後、この敗戦を糧にして、おおいに、研究をした挙げ句に、修正を施して、準決勝にまで、駒を進めたことは、皮肉な結果であろう。それにしても、練習での「考える選手」創造という方針は、ある意味で、「カイゼン」のThinking Worker創出というコンセプトを彷彿とさせるにたる何ものかがあって、実に、面白いではないか?しかも、科学的な思考と画期的なトレーニング、中でも、ドローンを使った上空から俯瞰するような選手の配置、動作確認、フォーメーションの再確認・反省とか、或いは、体力に勝る外国人選手への低いタックルを、格闘技から、導入した手法、スクラムでも、低い姿勢からの科学的な力学の応用とか、斬新なアイディアと科学的な解析と、異分野からのトレーニング法への応用とか、成る程、弱いチームも、フィジカルな厳しいトレーニングを科学的に、実施すれば、勝利への可能性が、おおいに、開けることが分かるし、まるで、日露戦争時代の日本海軍の特訓のようである。なでしこサッカーも、そうであったのかも知れないが、科学的なトレーニングと指導をするだけでなくて、「個の考える自立したプレーヤー」の育成こそが、大切であること、まるで、今日の民主主義の在り方までもが、問われそうな発言であろう。率直に言って、浮かれているだけではなくて、今回の成果は、すぐに、研究し尽くされて、更に、バージョンアップされて、次回には、ますます、厳しい状況が待ち受けていることは、ジョーンズ・コーチの言を俟たずに、容易に、想像されようが、それにも勝るとも劣らない飛躍と発展を、日本代表チームには、期待したいものであるし、そういう日本人指導者が、続々と輩出されることをおおいに、期待したいものである。皮肉にも、今度は、南アのコーチに就任するのであろうか?自分の仕上げた作品を、今度は、打ち壊すという選択は、なかなか、芸術家のようで、素晴らしいではないだろうか!ジョーンズ・コーチの今後の活躍も見ものである。

 


君をふと想い出す:

2015年10月20日 | 動物・ペット

君をふと想い出す:

赤信号待ちで、何気なく、隣の車に眼をやると、左後ろの座席の窓から、一匹の犬が顔を外に出して、何やら、外の空気を嗅いでいる。そういえば、君も、良くしていたことを何気なしに、突然想い出す。もっとも、我が家の場合には、窓を全面的に、開放せず、半分くらいまでとする旨としていたが、、、、、いつも、車で、出掛ける時には、君は、ソワソワし始めて、家族のみんなが荷物などを積み込み始めると、もう、鎖をチャリチャリ云わせて、ジッとしていられずに、犬小屋から、出てきて、盛んに、尻尾をちぎれんばかりに振っては、「誰かを忘れていませんか?」とアピールして、一寸、意地悪をすると、終いには、とうとう、吠え始めましたね。君の席は、左の後ろ窓際と決まっていて、鎖を外して、リードにすると、一目散に、車内にピョンとジャンプして、座席の段ボール箱の毛布の上に、背筋を伸ばして、きちんとお座りをして、みんなが座席に座るのを待っていました。春の桜の開花する頃、夏の湖畔で、喉が渇いて、恐る恐る水辺で、美味しそうに、水を飲んだこと、ベランダでみんなと一緒に、バーベキューを愉しみ、その時だけ、特別に、お肉をお裾分けして貰ったこと、ベランダから、網戸を器用に、鼻先で、開けては、室内に土足で(?)入り込もうとして、いつも、女房殿に、怒られて、引き戻されたこと、辺り一面、紅葉の落ち葉の中を、枯れ枝をくわえて、狂ったように、走り、跳び回ったこと、みんなで、落ち葉焚きをして焼き芋を食べたこと、雪が積もった誰もいない冬の野原を、リードを外して、長い耳を後ろになびかせながら、ハァハァいいながら、力の限り、走り回ったこと、次から次へと愉しかった懐かしい想い出が、走馬燈のように、頭の中を駆け巡ってきます。今年も又、紅葉が赤く色づき始めました。もう、甘い香りの金木犀の花は、散ってしまいましたが、君は、落ち葉の香りも、嗅覚が鋭かったから、いつも、落ち葉に、鼻先を突っ込んでは、クンクンと、嗅いでいましたね。徐々に、景色が、黄色に色づき始め、やがて、真っ赤に、間もなく、染まることでしょう。真っ赤な紅葉の下で、晩年の秋に撮ったお気に入りの写真の中で、君は、こちらをジッと向いています。

 


維新の党の混乱と政治家の格:

2015年10月19日 | 社会戯評

維新の党の混乱と政治家の格:

何とも、お粗末な泥試合の果ての分裂なのであろうか?とにかく、口喧嘩の好きな好戦的な輩と居場所を失った指導者との間の醜いコップの中の嵐のような醜態であろうか?それにしても、野党再編などと云うものは、所詮、政治家の格というものが、或いは、人物の大きさというものが、全く、見えてこない今日は、一体、幕末の坂本龍馬や薩長連合密約を成し遂げた西郷や木戸らの遺恨を遺しても、政治的に対立しても、決して、大局を忘れることなく、龍馬の仲介力というものも忘れてはならないが、双方が合意したという三者三様の「人間力」というか、度量・懐の大きさ、広さというものが、今日、何も、学ばれていないし、全く、歴史の好例が生かされていない。これでは、所詮、力の無いもの同士が、互いの足の引っ張り合いで、自滅してしまう以外に、遺された途はないのはないだろうか?来年の参院選に、向けて、早くも、公明党にエールと、安保法案協力の見返りに、軽減税率の導入を指示した安倍首相のほうが、一枚も二枚も、政治力に長けているとみるのは、穿った見方であろうか?或いは、連合政権設立の暁には、日米安保も許容するという共産党の方が、ずっと、マヌーバーに長けているとも思われよう。岡田・松野の政治的な手腕というものも、如何なものなのであろうか?国会内の数合わせだけに終始して、肝心の民意の結集には、如何ほどの効果があるのであろうか?政治家の本当の人間力こそが、今、試されようとしているような気がしてならない。

 

 


強姦再審無罪に考える:

2015年10月18日 | 社会戯評

強姦再審無罪に考える:

「冤罪」とは、かくも簡単に、人の人生を12年以上に亘る精神的な苦痛とともに、社会的な破滅にまでも、導いてしまうこと、そして、喪失した時間は、一体、誰に、頼んだら、取り返しがつくのであろうか?被害者の女性の嘘を見抜けずに、或いは、手続き上の医者による検診報告が、看過されていたとか、一体、検察当局も、捜査を進めた警察も、更には、裁判所の裁判官も含めて、陳謝ではなくて、今更、彼らに12年の服役をさせるわけにもゆかず、一体、保障や損害賠償などと云うもので、何が解決されるのであろうか?冤罪の原因とか、究明とか、そんな問題で、済まされるべき問題でもあるまいが、何とも、恐ろしい話である。最近、痴漢行為の冤罪が増加しているとも謂われているが、こちらも、他人事で済むことではない。もっとも、最近では、極端に、混んだ電車などには、乗ることもないから、安心ではあろうが、、、、、、、。結局、又、国家賠償などの時間をカネに換算して、これまでの過去の法令に基づいて、処理されるのが、落ちなのであろうか?何とも、司法裁判というものは、実に、人間の個人の人生を、砂を噛むように、考えているものとしか思えない。「ご免なさい」で、一件落着で、後は、カネで解決というそんなものなのであろうか?失われた時間と人生は、一体、何であったのであろうか?いつでも、何処でも、人には、こういう落とし罠の可能性がないわけではないのかも知れない。法律が自分を守ってくれると思っているのは、人間の方だけで、法律というものは、実は、それを執行する側の恣意的なものが、おおいに、左右してしまうものなのであることを改めて、充分、再認識しておかなければならないのかも知れない。

 


マンション杭打ち偽装問題:

2015年10月17日 | 社会戯評

マンション杭打ち偽装問題:

次から次へと、調査が進むに連れて、大規模な偽装の様相を呈し始めてきている。それにしても、最近、組織の中での偽装とか、不正とか、チェック・システムと「個の矜恃」が、大きく問われている。それにしても、以前あった一級建築士による設計偽装もそうであろうが、只単に、個人の問題だけではなくて、こういう問題は、そこに住む住人の生活権にも、更には、大きく云えば、人生の岐路にも、突然、立たされることにもなりかねない。確かに、立替えや改修・修繕や安全性だけではなくて、住宅ローンや、販売・建設・下請け分業の責任分担が、どこまでの範囲で、許容されるのか、されないのか、全く、根本から、問われかねない大きな問題である。又、監督官庁の責任とは、一体、どのようなものなのであろうか、監督・責任とは、何を意味するのであるのか、等々、全く、考えさせられてしまう。第三者でも、驚愕とするのであるから、当事者であれば、如何ばかりかの精神的なショックを受けることになるのであろうか?一個人や担当者の責任とか、それだけではなくて、一連のこうした最近の問題とは、一体、全体、どこに起因するのであろうか?集団的な心理・意識や組織帰属意識への分析もあるようであるが、そもそも、資本主義の倫理的な宗教・精神主義の基は、どのように、変容してしまったのであろうか?「個人の矜恃」のようなものは、今日、全く、化石と化し、消滅してしまったのであろうか?仮に、そうであれば、如何にして、変容・喪失間近な情況に陥ってしまったのかを社会科学的に、解明されなければならない。これは、ヒョッとして、日本独自の問題だけではなくて、昨今のVWのドイツにも、或いは、サムスンの韓国にも、米国のウォール・ストリートにも、中国やアジアや世界的な新興国に於ける拝金主義の伝播にも、共通するような原因と何らかのメカニズムがあるように思えてならない。そんなものは、第三者委員会による解明などに委ねられるべき課題ではなくて、むしろ、社会科学的な現代の学者にも、おおいに、研究・究明されるべき課題ではなかろうか?丸山真男や橋川文三でも、吉本隆明でも、今や、若い学者の中で、こうした一連の流れを、解明してくれる学者は、一体、何処に居るのであろうか?そういう近代人に潜む精神構造を充分解明し得るにたる何ものかが、見えてこないという危惧があろう。「個人の矜恃」にだけ、頼っていたのでは、将来、何度でも、同じ問題は、間違いなく、様々な分野で、起こることは間違いないであろう。安心・安全等というものは、国防・安全保障だけではなくて、住宅や食品・金融・個人情報などのどの分野でも、いつでも、何処でも、日本だけではなくて、その問題が問われかねない時代になっているのかも知れない。そんな思いがするのは、私一人だけであろうか?

 


柘榴の実を食してみる:

2015年10月16日 | 自然・植物・昆虫

柘榴の実を食してみる:

なかなか、庭植えの柘榴の実は、毎年、毎年は、ならないものである。せいぜい、4-5年ぶりくらいだろうか?去年は、大きな実がなったので、期待したのに、残念乍ら、熟することなく、気が付けば、落ちてしまった。今年は、女房殿による前年の剪定が宜しかったのかどうかは、素人目には、判らぬが、新しい枝先に、沢山のオレンジ色の花が咲き乱れ、数多くの柘榴の実がたわわに実ったものである。本来は、摘果でも丁寧にすれば、一つの実が、大きく、立派になるものを、それでは、全滅の危険性があるので、素人だから、そのまま、放っておいたところ、赤く染まり始めて、実が割れて、中から、赤いルビー色の粒がこぼれ落ちんばかりになっていたのに、ふと、気づく。早速、2-3個ほど、手折ってきて、食してみることにした。柘榴の実というものは、本当に、綺麗な色をしているものである。ましてや、中の実の何とも言えないような美しいルビー色は、如何にも、貴賓がありそうな色合いである。僅かに割れたその堅い実を開きながら、ルビー色の実をひとつひとつ、指で摘出しながら、食することにした。柘榴ジュースなどと云うものは、一体、どのようにして、絞り出すのであろうか?一粒一粒は、それぞれ、硬い小石のような形の種が、入っているから、歯では、かみ砕けない。微妙に、種を舌の上で、吐き出すようにして、味わってみることにする。爽やかな酸味と甘味が、口の中に、拡がってくる。一粒一粒、これの繰り返しである。実に、手間隙の掛かること、極まりない。歩留まりが悪すぎる。ジュースなどは、一体、どのくらいの実を搾るのであろうか?それでも、4-5年に一度くらいの柘榴の実を味わうということは、実に、季節を感じて、愉しいことである。まるで、オリンピック並であろうか?幹が、もう直径10cm以上になるところを観ると、確か、区の何かの記念樹に、小梅と一緒に、植えたものだろうから、もう20年くらいには、なるのであろうか?記憶が定かではない。来年も、しっかりと、花を咲かせて、やがて、秋には、又、実を付けてくれるであろうか?小さな楽しみであるが、おおいに、季節を感じる1本である。玄関先のハナミズキの樹の赤い実が。落ちてくる丁度、同じ頃である。

 


映画、「ポプラの秋」を観る:

2015年10月15日 | 映画・テレビ批評

映画、「ポプラの秋」を観る:

一日で、映画を2本観るというのは、学生時代の銀座、並木座で、昭和残侠伝シリーズや新宿の「影の軍隊」、「鷲は舞い降りた」の2本立て映画以来、久しぶり、ほぼ半世紀ぶりであろう。これも、中堀正夫カメラ監督によるものである。そもそも、映画というものは、原作を読んでから、映画を観ると、その違いが判ってしまい、ガッカリしたり、逆に、又、その想像力溢れる映像描写に、感動したりと、なかなか、複雑な思いがするもので、どちらが良いかは、ケース・バイ・ケースで、微妙なものである。もっとも、最近では、新聞ですら、老眼鏡が必要となるくらいで、文庫本などは、ましてや、眼が疲れてしまい、おまけに、歳とともに、集中力が落ちてきて、全く、昔の読書量がすっかり、落ちてしまったものである。誠に、情けない次第である。今回は、映画を見終わってから、湯本香樹実の原作を、後から、読み直してみることにでもしようかな?映画の各シーンは、何かのテレビで俳優が言っていたように、必ずしも、原作の展開通りに、初めから、忠実に撮影されるモノではなくて、季節を跨いだり、或いは、何年にも亘って、展開する時には、時として、後からのシーンが、初めに撮影されたりするらしい。どうやら、この映画でも、主題となるものは、最期の最期になって、大人になった少女の母親が、以前に亡き夫に書いた手紙を、元の住人から、おばあさんの葬式の後で、手渡されて読むシーンで、初めて、観る側は、知らされることになり、すべての方程式が、あらゆるこれまでの数々の場面の背景に潜む、それまで、胸につかえていたような違和感や疑問点が、まるで、スッーと、一挙に「氷解」する様な感じがしてならない。それは、「自死」という形で逝ってしまった本人だけの問題ではなく、むしろ、遺された家族、とりわけ、この映画では、幼い小学生の女の子や母親へ、どのような影響を及ぼすことになるのかを暗示しているのかも知れない。死んでしまった人へ、手紙を届けるという不可思議なポプラ荘というアパートの大屋のおばあさんや住人との心の暖かい何気ない日々の交流や、外部世界へと徐々に開かれてゆく幼い少女の心の移ろいが、様々な風景描写や、さりげない情景描写の中に、非常に、慎重に、しかも、繊細に、丁寧に、象徴的に、映像的に、描かれている事が、映画を見終わってから、理解される。少女の顔にさりげなく舞い落ちる一枚の枯れ葉は、回想を象徴するだけでなくて、ひょっとしたら、交通事故死したと信じさせられていた父が、まるで、一枚の枯れ葉と共に、舞い降りてきて、その少女が、やがて、大人になり、流産のために、恋人とも別れてしまい、生きることに価値を失ってしまい、睡眠薬自殺まで、考えた主人公が、最期には、「生きる」ことを、大屋のお祖母さんという心を開いた人の死をきっかけに、決断することを、暗に、示唆しているかの如くである。高い大きなポプラの樹の葉の「落ち葉」というものは、焼き芋のシーンにも、象徴されるように、誠に、何気ないものであるが、この映画には、象徴的に、重要な場面のようにも、思われてならない。口うるさく、落ち葉を掃き集めるようにいつも云っていたおばあさん、そして、一緒に、その落ち葉で焚いた焼き芋を食べることは、きっと、人間の死を想い出し、落ち葉を掃く度に、落ち葉焚きで焼き芋を食べる度に、亡き人を思い出す象徴なのかも知れない。そういえば亡き母親も、一日に何回も、晩秋から初冬に掛けては、よく自宅前の落ち葉を掃いていたものであることを思わず、想い出す。それにしても、冒頭でのボゥッとしていた母親や、就寝後にも、何度も起きて忘れ物はないかとランドセルを点検したりする少女の日常の動作にも、実は、母親の精神バランスを崩していたこと、或いは、多感な幼い少女の父を突然失った事から来る心の喪失感、そして、必死に働く母への気遣い、安心感への危惧とかによる精神的な強迫観念の表れが表現されていることを、最期に、成る程と、理解される展開になる。もう一つ、象徴的なシーンとして、アパートの住人の運転手の子供が、ひょっとしたら、住むことになるかも知れないと期待していたにも拘わらず、結局、実現せずに、その時に、渡した小さな飛騨一之宮のお守りを、後年、山登りのリュックに、今でも、しっかりと、付けていることを、その父親から見せられた今の大人になって撮られた写真の中に、見いだすことで、再び、その眼には見えない幼い頃の子供心の絆のようなものを、確信して、睡眠薬の袋を屑籠に捨てて、「生きて行く」ことを決断する。それにしても、映像製作とは、四季それぞれのシーンを待たなければならないし、又、早朝や深夜や、自然のその姿が、ベストに、表現される時間に、こちら側を合わせなければならず、誠に、大変な事である。落ち葉焚きで焼き芋をするときは、アルミ・フォイルに包む前に、濡れ新聞紙で、包むとよい、と改めて、中村珠緒に教えられました。それにしても、本田望結という子役は、眼の運びといい、表現力も、大人の俳優顔負けの演技力で、主人公の多感な少女を演じるには、ピッタリの役どころであったのかも知れない。これから、どのように、成長して、大人になる前の少女役を、どんな演技で見せてくれるのかが愉しみである。良い作品を案内して貰って、実に、感謝、有難い話である。原作と読み直して、再び、映画の構成を辿ることにしよう。

 


映画、「Nourin Ten 稲塚権次郎物語」を観る:

2015年10月14日 | 映画・テレビ批評

映画、「Nourin Ten 稲塚権次郎物語」を観る:

何でも、銀座のすばる座で、公開されている仲代達矢主演の映画の案内が、小学校の同級生から、メールで案内があったので、これを見に出掛けることにした。案内によれば、夫君の中堀正夫氏がこの映画を映像監督として、監修関わったので、観て貰いたいと云うものであった。とにかく、映画は、その邦画・洋画を問わず、良い作品を観るのは、元来、好きであるし、又、いつでも、何処でも、シニア割引が効くので、有難く、見に行くものである。もう、仲代達矢の演技する映画も、そんなに、数多く観られるものではないかも知れないので、貴重な映画になるかも知れない。カメラ・ワークに関しては、写真も映画の撮影も門外漢だから、技術的には、良く評価は分からないものの、少なくとも、映像的に、美しいかどうかくらいは、素人の目にも、判ろう。確かに、映画の中には、日本の美しい田んぼや畑の、しかも、四季折々の、或いは、朝晩の景観が、鮮やかに、映画の一シーンとして、取り込まれている。それは時として、真冬の深い雪の中での辛い別れであったり、桜が咲き乱れる春のシーンだったり、秋の稲穂や麦が、黄金色に、染まる風景だったり、初夏の一面、青々とした田園風景でもある。それは、「日本の原風景」でもあるのかも知れないし、稲塚権次郎自身が、抱いていた「強い信念の持続性」の象徴であったのかも知れない。コシヒカリという稲の品種の名前くらいは、皆、日本人は、知っていても、それが、元々、陸羽132号や農林一号や、それ以前の品種改良によって、生み出されたこと、或いは、一つの品種改良にも、5年や10年という歳月が必要であること、更には、映画の中で、知ることになるであろう事実、即ち、年に一度しか開花しない時期に、しかも、開花しているその僅か、1-2時間にしか、受粉作業を、何百、何千という交配種の試作を完了させ、それを種籾から苗に、育て上げ、その後、収穫量のデータをとりながら、更には、気の遠くなるようなデータの精査と整理を行いながら、新品種の実証試験後に、初めて、認定され、世に、送り出すというプロセスが、必要であることが知れよう。昭和初期の恐慌と東北飢饉から、米の新種改良とともに、後に、戦後の食糧難を解決することになる、稲の農林1号の新品種達成に、稲塚権次郎という人物は、おおいに、貢献した。今日のコシヒカリなどの美味しいお米は、それらの延長線上にあることを忘れてはならない。それにも拘わらず、その後の戦争国策の延長線上に、今度は、稲から、「小麦」の品種改良・増産を、新たな課題として、課せられることになる。そして、背丈の低い、倒れにくい小麦の新品種改良を、農林10号という形で、最終的に、結実させるも、戦争という国策による人事異動に伴い、困難な中国北京での海外展開・研究の新たな使命を背負わされることになり、これが、戦後3年間に亘る過酷な中国残留という肉体的・精神的な苦痛と試練を、その妻にも、与えることになる。まるで、それは、満蒙開拓団のような試練と云っても、云えなくはないであろうか?稲垣権次郎という人物は、本当に、ある種の「強い使命感と持続性」を生涯に亘って、持ち続けていたことは、この映画からも判るし、最期のシーンで、亡き両親や妻に対して、お詫びをするところにも、この人物の本当に、私心のない、一国家公務員としての矜恃を観るようである。それは、実は、その心が、そっくりそのまま、稲や小麦の穂の実りとして、或いは、その延長線上の「人々の幸せ」を、あの美しい原風景として、撮らせ、描かせたのかも知れない。私には、そんな風に、思えてならない。それにしても、昔、といっても、私の両親達が生まれる少し前の時代には、お金がなくても、村の当主が、私財を援助しても、優秀な若者に教育を施し、世のため、人々のために、働くというそんな使命感が、援助する側にも、又、受ける側にも、そうした眼には見えない暗黙の互いに共通する「矜恃」のようなものを、感じざるを得ない。やがて、それは、戦後、占領軍によって、持ち出された農林10号が、アメリカから、メキシコへ、渡り、ボーローグ博士が、その収量を従来の2-3倍へも拡大させ、「緑の革命」というその人類への貢献により、ノーベル平和賞を受賞する事になるとは、、、、、、、。同じ、大正年間に、岩手県盛岡の農業学校出身の「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」と謳った宮沢賢治は、その陸羽132号の普及を指導したのも、決して、新品種普及というニーズばかりでなく、むしろ、稲塚権次郎の共に、共有する、「人々の幸せの実現」という大いなる「使命感・矜恃」が、底流には、流れているのではないかとも、思われてならない。美しい風景の映像美には、実は、そんなメッセージ性が、込められているのではないかとも、映画を見終わって初めて、気が付くのは、私一人だけではなかろう。ノーベル賞を受賞しなくても、日本人にも、こんな素晴らしい人物が、いたことを忘れて、パン、うどん、パスタやご飯を食べている自分が、誠に、情けなく思ってしまう。成る程、農林10号ではなくて、「Nourin Ten」 だった理由が、納得される。そして、業績というものは、一個人に委ねられるのではなくて、それは、連綿として、後の人に、継承され、その「信念を持続する精神」は、何らかの形で、永遠に、受け継がれて行くということが、改めて、再認識される。穀物でも果物でも、新しい品種が、市場に出るまでには、こうしたたゆまぬ努力と苦労が、人知れず、行われてきた結果で、まさに、今も、こうしている間にも、現在進行形であることに、我々は、気づき、感謝しなければいけないのかも知れないし、そういう精神を継承しうる「人創り」をしてゆかなければならないのかもしれない。美しい原風景とは、そういうことなのであるのかもしれない。晩年、美しい畑やたんぼ道を、自動小型バイクで、精力的に、走り回っていたという稲塚権次郎先生の姿は、今日、その住民達の眼の中に、しっかりと焼き付いていて、その精神も、未来の大人達にも、継承されていることであろう。映像は、そんなことを物語りたかったのかもしれない。

 


空き屋増税と住宅政策:

2015年10月13日 | 社会戯評

空き屋増税と住宅政策:

もうこの歳になると住宅ローンもほとんどの同世代・友人達も終了している。それにしても、若い頃には、右肩上がりの成長を前提にした長期ローン、20年程度ならまだましで、30年とか35年ローンとかも、間違いなく、建てた家も、住みながら、新たな転売利益で、又、更に、条件の良い新居住宅へ、売却利益で、おつりが来るくらいなどと、セールスに、躍らされていたのに、昨今では、耕作放棄地への課税強化ではないが、空き屋対策の一環として、固定資産税の特例規定の見直しが、始まろうとしている。一体、これまでの住宅政策というものは、何であったのであろうか?当たり前に、きちんと働いて、税金を納めて、家を持てるという時代から、どのように、変容してくるのであろうか?しかも、今度は、相続税の課税強化に伴い、訳の分からない年寄りは、デベロッパーや銀行のいいなりになった相続税対策苦の果てに、サブ・リースという悪魔のような甘い罠に、嵌まってしまう時代ではなかろうか?何が、家賃保証であろうか?何が、相続税対策であろうか?逆に、歳をとってから、同じような新築のアパートが、建てば建つほど、競争が激化して、空き部屋が増え、家賃収入も、結局下がり、ローン返済を下回れば、借金地獄だけが残ることになる。実際、これが、今や、問題化しつつあり、追い打ちをかけるように、今度は、空き屋増税にでもなれば、一体、誰を恨んだら良いのであろうか?全く、中古住宅の市場の活用利用も、ままならぬ間に、どんどん、新築物件だけが、デベロッパーと建設業者だけに、利益が回り回って行き着く現行の仕組みは、いずれ、大きな破綻へと繋がってゆくことになろう。程々の新築と中古市場、並びに、リフォーム市場の活性化を行いつつ、バランスを保ってゆかなければ、これからは、逆に、大きな空き屋が増加して、まるで、廃墟の住宅地が、郊外には、出現する可能性がないわけではない。むしろ、これからは、そういう時代が来る訳だから、今度は、建てたり作るよりも、リフォームや壊す方が、ビジネスの中心になるのかも知れない。それにしても、団塊の世代が、亡くなる頃には、一体、どんな事態になるのであろうか?単に、ゴミ屋敷・廃屋や空き屋対策という対症療法も必要であろうが、それだけでは済まされない課題が、近未来には、間違いなく、残されることになろう。

 

 


日吉杯弁論大会から透けて見える日本の課題:

2015年10月11日 | 社会戯評

日吉杯弁論大会から透けて見える日本の課題:

伝統ある三田演説館で、慶應・東大・拓殖・中央・法政・明治・早稲田の各大学の1-2年生の弁士が、合計11名登壇して、満員の演説館での弁論大会である。私にとっては、ほぼ、半世紀ぶりでの観戦である。各校5名による団体審査と、特別審査員による審査で、残念乍ら、僅差で、東京大学に連覇されてしまったが、現役の各弁士による熱意溢れる弁論の課題と、聴衆からの野次と叱責、弁論終了後での質疑応答の様子を見聞きしていると、そこには、皮肉にも日本の抱えている課題が、あぶり出されてきて、実に面白い。有利子返済の奨学金、年金・社会保障、少子化、子育て・仕事との両立、内なる異文化、医療事故問題、交通インフラの老朽化、虐め問題、パンデミックス問題、等、成る程、各分野で今日の喫緊の課題が、あぶり出されてきている。もっとも、弁論の骨子には、各弁士とも、具体的な政策提言と財政的なバックボーンが示されていないと、すかさず、聴衆から、大きな野次と叱責が飛び交ってしまう。嘗ては、成長や右肩上がりの拡大を何の疑問も有することなく、未来に対して、極めて、楽観的であったのが、確かに、今日、具体的な政策の提言と、財政的な資金の確保が、示されていないと、聴衆には、決して、訴えることがないということが、改めて再認識される。それにしても、昔の過度なイデオロギー対立を強く意識しているせいか、残念乍ら、昔なら、「小市民的だ!」等という野次が飛びそうな身近な問題が、より重要で、大局的な安保法制や、難民の問題などが、弁論されなかったことは、少々、期待外れで、残念ではあった。

質疑・応答というものは、弁士の論旨にある矛盾点を的確に抉り出し、或いは、課題に関する別の角度からの切り口というものを、質すことを旨とするにも拘わらず、質疑自体が、何やら、自己主張だったり、論点がズレていたり、整理されていない場合が、見られたのは、おおいに、残念なことであった。よくよく、考えてみれば、質問をする方も、又、応答する弁士側にも、しっかりとした論拠を有していなければならないことが、改めて、判ろう。その意味では、弁士と聴衆という関係は、話者と聴衆という関係性ではなくて、じつは、眼に視えない格闘技のような闘争が、行われて居なければならないのかもし得ない。そんな風にも、感じられる何かがあろうが、残念乍ら、国会論戦などは、その意味では、全く、不毛なすれ違いの異なる土俵での一種の異種格闘技のようなものなのかもしれない。弁論というものは、考えてみれば、常に、官憲の言論統制をはね除けながら、その場所ですら、命懸けで確保し、主張を発露し、情報・意見発信する場でもあった訳であるから、今日、どんなに、SNSなどが発展進歩したとしても、そういう「場の提供」という事自体、おおいに、存在意義が、注目されなければならないであろう。こういう弁論大会のネット生中継とかも、今後は、考えてゆかなければならないかも知れない。それにしても、内向きな大会を脱皮して、外部社会へ、開かれた大学の弁論大会というものを、大学を越えて、オーガナイズするという仕事も、現役部員には、将来、おおいに役立つものと確信して止まない。まだまだ、日本の若者は、捨てたモノではないのかも知れない。もっとも、社会に出てからは、なかなか、思い切った「野次」ならぬ、矛盾点の指摘などは、会社の会議では、上司には、しづらい環境が待ち構えて居るわけで、そこをどのように、乗り越えて行けるかが、ひとつの人生の乗り越えなければならない高いハードルであろう。その為には、今からでも、しっかり自分という「個の独立軸」を確立することを願ってやまないものである。


大村智博士のノーベル医学賞受賞に思う:

2015年10月09日 | 社会戯評

大村智博士のノーベル医学賞受賞に思う:

確か、小学生の頃には、甘いチョコレート・タイプの寄生虫駆除剤を、必ず、貰って、舐めた記憶がある。考えてみれば、野菜にも、良く寄生虫がついていたから、洗浄剤が普及する前には、良く洗って食べなさいなどと、注意を促されたものである。もっとも、アフリカ等で、土中に潜む寄生虫とか、フィラリヤなどと云う病気や風土病の名前を聞くと、成る程、3億人もの多数の人達を、この新薬が、救済したことを想い起こすと、凄い偉大な業績であるなと思う。しかも、大学を出てから、夜間高校での教師の経験から、改めて、学問の重要性を再認識して、研究者として、再出発したというエピソードや、祖母から、「人の役に立つような研究をすること」を聴かされたことや、スキーから学んだ、「人の真似をしない練習」とか、美術館の開館でも、専門研究分野とは別の、人としての側面を重視する人間味は、世界的な研究者としても、実に異色である。しかも、フィールド・ワークで、収集した微生物菌を、ゴルフ場から収集したり、その後の留学できっかけとなった製薬会社のメルクとの共同研究で、創薬の開発に携わり、この延長戦で、延べ10億人にも登る数の人達に、「無償」で、提供することになった背景は、一体、何処にあったのであろうか?それにしても、無償提供などと云うことは、ノーベル医学賞よりも、むしろ、ノーベル平和賞にもおおいに価する業績であろう。ノーベルが、ダイナマイトの発明から得た巨額の利益を人類に、還元すべく、設立された賞ではないが、無償提供なる形で、数多くの人々の救済に貢献したことは、一日本人としても、おおいに、誇りに思うところであろう。こういうことは、野口秀雄博士の黄熱病の研究とか、「密林の聖者」として称えられたシュバイツァー博士の物語を子供時代に危機ながら育った世代には、是非、大村博士の物語を、小さな子供達にも、聴かせて揚げたいモノである。如何せん、「人の育て方」を、考えさせられるものである。