小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

種なし、皮ごと、一口で、、、、、、:

2012年10月31日 | 社会戯評
種なし、皮ごと、一口で、、、、、、:
ズボラな私にとって、種なし、皮ごと食べられる果実は、とても、有難いモノで、多少、値段が、高くても、便利なものである。そう思っていたら、信濃毎日新聞の記事に、長野県では、今年、巨峰の種なしの作付けが、拡大されたり、皮ごと食べられる、種なしのナガノ・パープルやシャイン・マスカット等が、多いに、生産・耕作面積が拡大され、且つ、他県では、知的所有権の関係で、許可無く栽培できないらしいと報じられている記事を見つけた。りんごのシナノ・ゴールドのイタリアでの栽培も、いよいよ、来年には、実現する方向性だそうで、何より、農業部門での品種改良や技術開発が、極めて、重要で、特許取得で、商品差別化や、マーケットの需要開拓が、可能になる訳である。その意味では、米でも野菜でも、果物でも、今や、ips細胞とは、云わないまでも、官民一体となって、地道な技術研究開発とマーケット・ニーズの実証的な開拓助成が、望まれて止まない。単に、栽培するだけではなくて、需要そのもの、新しい市場を創出するだけの心構えと、具体的な方策が、必要であろうことは、疑いのないところである。確かに、トマトも、フルーツ・トマト等は、作りやすく、食べやすく、美味しく、ベビー・キューイ等も、これらのコンセプトの延長線上かもしれない。今後、どんな商品が、新たに、市場に出てくるのか、楽しみである。いよいよ、これからの時代は、「ズボラ」が、キーワードかも知れないなどと、勝手に、自己弁解しながら、ついつい、もう一粒、手が、伸びてしまいます。ここにこそ、日本の生き残り成長戦略の潜在性を、垣間見たような気がするが、、、、、。ふと、食べながら、感じた次第である。



ロマネスコを食する:

2012年10月30日 | 男の手料理・食
ロマネスコを食する:
これまで、東京では、こんな恐竜の甲羅のような風貌(正確には、フラクタル形状というらしいが、私には、恐竜の甲羅のようにしか、見えないが、、、、、)の野菜を見たこともなければ、買って食べたこともない。何でも、説明書きによれば、カリフラワーとブロッコリーの中間のようなもので、山の神曰くでは、結構、そのままでも、長持ちが聞くようである。騙されたと思って、産直売り場で、思い切って購入してみた。味は、確かに、ブロッコリーとカリフラワーの双方を兼ね備えているように、思われます。それにしても、色々な野菜を研究・栽培・マーケティングしているものである。これからの市場は、きっと、様々な種類の野菜が、バイオテクノロジーを駆使して、しかも、遺伝子操作にも頼らずとも、新しい品種が、生み出されてくる可能性に富んでいるように思われてならない。これまでの工業製品の軽・薄・短・小ではないが、農産品も、栽培しやすい・持ち運びが楽である・包装しやすい・日持ちする・食べやすい・栄養価もある・何よりも、美味しいこと等が、重要な消費者のキーワードになってくることが、容易に、想像されよう。商品開発力とは、どんな分野でも、同じことが、望まれているのかもしれない。我が家では、料理する前に、これを頭に乗せて、記念撮影までした人がいました。小さな子供には、結構、受けるかも知れないが、、、、、、、、一度、食べる前に、試してみたら如何でしょうか?こういうジョークも、宜しいのでは、、、、、、、。是非、お試し下さい。(笑)



ベランダのデッキを塗る:

2012年10月29日 | DIY
ベランダのデッキを塗る:
今年の春に、一部、塗り替えた後、手術やら、リハビリで、結局、夏場に、塗り替えられなかった。もっとも、夏場は、結構、予期せぬ雷雨などで、折角、塗り終わった後に、乾かしている最中に、濡らされたりするものではあるが、、、、、、、。秋の晴天が続くうちに、結局、塗ることにしたが、何せ、ズボラな旦那だから、下準備は、実にいい加減で、山の神からは、叱られる。老犬の運動の為に、張り巡らした防護ネットを、めくって、松葉や落ち葉を掃いて除去し、一寸苔の生えた箇所は、デッキ・ブラシとたわしで、ごしごしと、取り除き、(私ではない)、前日には、乾燥させて置いてから、いよいよ、塗りの開始である。屈むのが、一寸、まだ、腰骨がきついので、例によって、刷毛ではなくて、ズボラ専用のローラーを使用することになる。山の神は、端のややこしい部分を刷毛で、ズボラな旦那は、ローラーで、サッサとスイスイと、結局1時間半程で、休み休みで、完了(もっとも、私は、途中から、腰が、きついとか、云いながら、6割程度で、リタイヤー) 。後は、板と板の間を、デッキ下から、山の神が、ご丁寧に、刷毛で、塗ることになる。不織布製のフード付きつなぎ服と使い捨てポリ手袋は、実に、こんな時、便利である。二度塗りは、又、乾いた後で、明日にでも、サッと簡単に、やってみよう!何せ、素人のDIYである。年に1-2回の恒例行事である。翌日、再度、刷毛で、塗ってみたところ、ローラーの泡の後が、綺麗に消えてなくなり、若干、見栄えが良くなったか?来月末頃は、いよいよ、霜よけのブルーシート掛けで、冬の準備が、待っている。本当は、暖炉での薪ストーブが、欲しかったのであるが、家を建てるときに、そうもゆかず、結局、諦めて、薪割りは、しないで済むことになった。子供の時に、電線のケーブルを巻いていた木製の糸巻きの大きなものを、父と、二人で、薪割りをして、風呂を湧かす材料を作ったことを想い起こす。DIYは、色々なことを、想い出させてくれるものである。



「風の男、白洲次郎」、「プリンシプルのない日本」を読む

2012年10月28日 | 書評・絵本
「風の男、白洲次郎」、「プリンシプルのない日本」を読む
犬を飼うときに、何故、動物愛護センターから、講習を受けた上で、選んでもらい受けてきたかというと、何故か、血統書付きというものが、犬であれ、人間であっても、どうも、鼻持ちならないという感慨を否定しきれなかったことがある。それにしても、二世とか、血筋がよろしいとか、家柄がよいとか、犬と一緒にしてはいけないが、どうも、そういうモノに、鼻持ちならないモノを感じざるを得ない。白洲次郎なる人物は、写真からしても、端正な顔立ちであり、表題のように、爽やかな「風の男」というさりげなく歴史の表舞台から、去って行きつつも、決して、奢らず、カントリー・ジェントルマンとして、その「矜恃と誇り」を、戦後の歴史の中で、真の国際人として、認められるような人物は、稀ではなかろうか。その意味では、名門という言葉も、その個人の評価が、正当である限りは、悪いことでは無いとも思ってしまうが、、、、、、、。それにしても、血筋と言い、家柄と言い、結婚相手(樺山正子)と言い、或いは、吉田茂との関係、小林秀雄との関係、(吉田満の「戦艦大和ノ最期」の出版許可をGHQに仲介依頼したのをきっかけに)、更には、文人となる幼友達の友人達(今日出海、河上徹太郎、松本重治)との関係と言い、やはり、家柄というモノは、本人が望んで得られるモノでもなければ、意図的に、得られるモノでもないのかも知れないが、、、、。むろん、白洲次郎という「個人のプリンシプルとアイデンティティー」が、確立するのは、9年間に及ぶイギリスへの留学時代とその後の家の没落などで、君子豹変する訳である。戦前から、その米国海軍力の潜在的生産能力の予想や、開戦不可避の可能性ばかりでなく、その敗戦への先見性と言い、戦時中での空襲を予想した鶴川村でのカントリー・ジェントルマンとしての農作業生活も見事であるが、戦後の絶対的な新たな現人神となった占領軍に対しても、臆することなく、そのイギリス仕込みの英語で、ホイットニーに「白洲さんの英語は、大変立派な英語ですね」と言われたときにも、「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますね」とシニカルに切り返したり、GHQに対して媚びを売るような役人の中にあって、最も、手強い、歯に衣着せぬ意見を、正々堂々と、主張したと占領軍に謂われた男は、政治家になることもなく、新憲法の制定交渉、ドッジ・ラインに呼応した経済政策、とりわけ、商工省の改組とその後の通産省への礎、経済・産業政策と輸出・貿易政策、国際通商主義、或いは、電力事業の再編作業、等、今日でも大きな足跡を残した様々な事業に、関わってきた。福島県と東京電力との水利権を巡る電源開発の問題など、皮肉にも、別の形で、今日でも問題化しているが、、、、、、。
どのようなプリンシプルが、確立され、一体、日本という国は、逆に、何故、「戦後は終わった」などと謂われる今日ですら、未だに、プリンシプルを持つことが出来ないのであろうか?キングズ・イングリッシュが、得意だったというだけでなく、その合理的な考え方、戦前の開明的な考え方を身を以て、肌で感じて、人と人との付き合いの中で、学んだのかも知れない。確かに、今や、国際化が、叫ばれて久しく、帰国子女も増えているが、私の経験でも、どんなに、英語が堪能でも、江戸時代の寿司や天ぷらのファースト・フードとしての説明や、醤油の歴史的な普及の説明を全く出来ない多くの若い人達を、知っている。或いは、ゴルフ場でも、アドレスを開始しているのに、公然と、後の組が、声高に、話をしていたり、アイアンで、切り取ったターフを拾って、修復せずに、或いは、バンカーも、キャディー任せにして、平然とプレーを続ける若者など、白洲次郎が、生きていたら、大声出して、怒鳴り散らすような光景が、国際化やグローバル化という波の中でも、見られるのが、現状である。「風の男」とは、ある種、「潔さと筋」を、その人生の生き様の中に、感じざるを得ない。まるで、マッカーサーが、「老兵は、ただ、消え去るのみ、、、、」と言った言葉にも、何か、共通するモノがあるように思われる。もっとも、白洲は、「吉田茂老は、辞め時を、誤ったことである」とも言っているが、、、、、。
辻井喬によれば、「彼が生きた時から日本は、少しも進歩していないということなのか、或いは、正しい見解というものは、いつの時代にあっても通用するという所謂、不易流行というものだろうか?恐らく、その両方のことを教えてくれているように思う」と。英国紳士道を自らのプリンシプルに据える白洲は、当時のパンパンの生き方すら決して批判せずに、むしろ、戦中・戦後の軍部や占領軍にすり寄っていった男性達や小役人に対して、歯に衣着せぬ批判を浴びせている。所謂、評判を気にしたり、八方美人的な生き方や摩擦回避主義の不作為に対して、厳しい言葉を投げかけている。今日の災害復興をみても、これらの終戦後間もない言葉は、全く、現実味を帯びているとは、どうしたものであろうか?税金の使われ方、予算の執行の仕方、国家補助金制度についての見識など、全く、今日のことを言っているかと錯覚するようなくらいである。逆説的に謂えば、今日まで、ずっと、70年近く経過していても、何ら、課題は克服できていないのか?輸出振興策、為替レートの問題から、電力の安定供給、経済界の指導者の小児病への警鐘、果ては、戦争責任まで、その舌鋒は、鋭く、止まるところを知らない。或いは、男女同権を論じる中で、宮内庁の在り方、将来の女性宮家の創設の可能性や、女性天皇の継承に対する独自の見解などは、現代でも、尚、議論がなされて然るべき課題であり、まさに、未だに、まっとうな議論すら十分行われていないのは、何とも、皮肉なことであろう。敗戦の結果として国力の低下と現実の破産状況を前にしても、「抑えつけられることが、分かっていても事実を率直に言うだけのことは言うという勇気はあるべしである。言うことだけは言った上で抑えつけられても何をか況んやである。・・・・・言うことだけは言って、然るべき後に天命を待つと言ったような気持は、占領中に私は嫌と言う程経験した。」とも語っている。外交での事勿れ主義を嫌い、水爆実験による鮪漁船の被災補償に関して、病院側、或いは、外務省の対応を、批判しているが、放射能汚染、原子力の問題は、皮肉にも、今日、福島原発問題とも、重なってくる。読めば読む程、読み進むにつれて、白洲は、今日的な問題、例えば、ナショナル・フラッグとしての政府が大金をつぎ込む会社の具体例として、日本航空の問題を挙げているし、当時、メジャーによって首根っこを押さえられていたイラン原油の輸入についても、更には、国家エネルギー政策、とりわけ、石炭から石油への転換に関して論じているのも、実に、先見性がある。あれ程、占領政策に、GHQとの直接交渉を通じて関わってきた白洲は、それでも、「米国による占領であったことは、最悪中の最善であったとはっきり言える」と、そして、こうも付け加えている。「己の好まざることを人に施すなかれと先祖代々教わってきた我々も、人の好まざることを人に施した挙げ句、人の好まざることはやっぱりおのれも好まざるものであったと気が付いた。因果応報、何をか況んや。」と、鳩山一郎による日ソ交渉の件も、中共との国交の回復に関しても、「いつまでも盲目的にアメリカに追従するのはやめて、、、、、(略)、、、、、中共の存在という事実をよく納得させてやろうくらいの気概を持ったらどうだ。東洋の問題は中共を排除しては考えられない。、、、、、(略)、、、、、ほんとの誠意と熱意を以てアメリカを説得する位の大仕事に掛かったらどうだ。、、、、(略)、、、、、、日ソ国交再開の糸口が開かれたと言うことでに過ぎない。ほんとの日ソ交渉は今から始まるのだ。、、、、、、、」と、今日でも、日ソ間での平和条約交渉、領土問題、中国との尖閣列島の問題など、確かに、戦後の遺産が、そのまま、未解決で、残されていることが、改めて、再認識されるし、白洲の言うところは、当時から、刮目に値する。安保条約の改定に関しても、「アメリカはどんどん主張し、こちら側はおっかなびっくりで、何も云わないようなら、日を経るに従って残るものはただ誤解と悪感情だけだ。、、、、、(略)、、、、、、もっと勇敢に信念を以てアメリカに当たるべし。、、、、、、、、、」と、何とも今日の微妙な日米関係を見通していたかのようなコメントである。政界立腹帳、一寸一言・八つ当たり集に、これでもかと、思いの丈を書きまくっている。
今日、読み返してみても、成る程、その先見性と心意気は、「戦後」という、或いは、「占領中」という時代背景を鑑みても、いつの時代にも通じる普遍性を、感じざるを得ない。今日、生きていたら、どんなことを論評したであろうか?
戦後という時代や占領という言葉すら、知らない若い人にも、今日と較べながら、先人が、どのような思いで、進路を選択し、或いは、決断を余儀なくされたのか、思いながら、是非、読んでもらいたい著作であるとおもうが、、、、、、、。




小諸産ベビー・キューイを食する:

2012年10月27日 | 社会戯評
小諸産ベビー・キューイを食する:
最近の統計では、若者のフルーツの消費量が、何やら、減少しているらしい。その一つの理由が、皮を剥いたり、種を出したりするのが、面倒らしいとも、、、、、、、。もっとも、若者に限らず、年寄りだって、種なしで、そのまま、皮が丸ごと、手を汚さずに、食べられれば、簡便で、栄養価だって、良いに決まっている。そんなことで、今年も又、ナガノ・パープルやシャイン・マスカット等を、そんな理由をつけては、食べたものである。山の神が、あぐりの湯小諸の産直売り場で、ベビー・キューイを買ってきてくれた。ゴールデン・キューイ・フルーツは、知っていたが、何でも、皮ごとそのまま、食べられるという、私みたいなものぐさな旦那には、うってつけのフルーツである。しかも、良くラベルを見れば、小諸産である。これは、間違いなく、将来、ヒットする商品であることは、疑いのない農産品であると思うが、、、、、、。皮も問題なく食べられ、種なども、全く、感じられず、しかも、味も、キューイ・フルーツと全く変わらない。品種改良でも、近い将来なされたらと、思うと、楽しみである。それにしても、色々な農産品が販売されているものである。



冷凍パイ生地シートのソーセージ巻き

2012年10月26日 | 男の手料理・食
冷凍パイ生地シートのソーセージ巻き
男の料理だから、確実に失敗のない80点狙いのあわよくばそれ以上というレベルで、袋に裏書きされているレシピーに挑戦である。むろん、見栄えを良くする為ではない自家消費用だから、卵黄の液を一々、刷毛で、表面に塗って、焼き目をもう少し濃くする必要も無い。多少、チーズが、とろけて、滲みだしても、食べるだけである。うまく、端を手で摘まんで、出さないようにして置くだけのことであるが、、、、、、一応、成功したモノもあるし、滲み出たものもある。ソーセージだけでなくて、コロッケを細くカットして、これをチーズと一緒に、巻いてみたが、なかなか、味も宜しい。多少、パイ生地の側面がはじけたものの、まあまあである。何はともあれ、大きな失敗がないのが、一番である。一寸したオードブルや軽食などには、簡単に、準備出来て、調理もオーブンで20分程だけだから、極めて、簡単である。フィリングをグリーンアスパラなどの野菜に、変えてみても、面白いかもしれない。今度は、簡単なアップル・パイにでも、気が向いたら、挑戦してみようかとも思う。子供にも簡単にできるから、これは、お父さん向きでもあると思う。お試しあれ!料理を一緒に作れば、食育にもなろう。とにかく、お手軽で簡単なのが、実に、ズボラ向きである。



マコモタケをいただく

2012年10月25日 | 男の手料理・食
マコモタケをいただく
イネ科に属する植物で、田んぼなどに、もともと、自生する背丈がかなり高い植物だそうで、信州では、根曲がりタケとか、タケノコのように、料理して食するそうである。せっかく、鮮度の良いモノを戴いたので、斜めにカットして、ダシ汁の液体で、筍の料理と同じように、山の神にお願いして、煮て貰うことにした。最期に、味見した上で、鰹節をパラパラと掛けて、食することにした。成る程、筍の煮物に、良く似ている。それ程、えぐみも感じられない。グリーン・アスパラと同じように、炒めても良いらしい。それにしても、こういう繊維質のものを、食事に、ふんだんに、食べていたら、大腸癌などに、罹ることはないであろうと思われる。季節毎に、旬の野菜を食べられることは、本当に、ある意味では、贅沢なことであろうが、理想的なことでもある。産直売り場で、たまたま、渋柿が、売られているのを見かけたが、自分で、干し柿でも作るであろうか?何とも、羨ましいものである。そういう当たり前のことが出来ること自体が、とても、大事なことのように思われてならない。マコモタケも、あっという間に、二人の胃袋に消化されてしまった。
長野県の美味しい食べ方HP:
http://www.iijan.or.jp/oishii/2006/09/post_364.php



秋を活ける

2012年10月24日 | 自然・植物・昆虫
秋を活ける
といっても、花屋で、季節の切り花を購入する訳でもなければ、高価な花器に花を活けるわけではない。無手勝流の流派など、関係無い、只単に、瞬間的なその場しのぎの「美」を愉しむだけのことである。何も、花が萎れていても良いし、多少、盛りを既に過ぎていても、一向に、差し支えない。むしろ、その方が、「一興」があって宜しいのではないだろうか?2-3日で、枯れてしまったら、又、庭先から採ってきて、活けてみたらよいだけのことである。それだけのことであるが、そこに、何らかの季節の刹那的な「美しさと移ろい」を感じたら、良いのではなかろうか?基本的に、それでも、一応、白・黄・薄紫・緑・赤の配色が、少なくとも、調和するような感じで、、、、、、ついでといっては何であるが、緑と赤のグラデーションのツートーンカラーになっている紅葉しかかり始めたモミジの葉と、今年、唯一、収穫できた一粒の栗の実を配置してみた。先日の稲刈りで、刈ってきた稲の穂先とすすきの穂でも、秋の風情は、宜しいかもしれない。それは、又、、、、、、のお愉しみである。



Asahi English Haiku: referring to Scarecrow (かかし)

2012年10月23日 | 俳句・漢詩
Asahi English Haiku: referring to Scarecrow (かかし)
(My original One):
A Scarecrow
Waiting for alone
Radio-contaminated Field

(Professor David McMurray revised):
Scarecrow In
radio-contaminated field
waits alone

Asahi English Haiku HP:
http://www.asahi.com/english/haiku/
English Haiku is too profound to study. I need to keep on trying utmost best to improve,
In my personal opinion, regarding the picture illustrated on the above HP, both scarecrow and black crow may symbolize something which seems to be Heart or Dummy of Growers or Farmers and crow symbolized the Fukushima Atomic Power Disaster, with great regret, its heart is still waiting for the growers or farmers who are still compelled to be evacuated by force, and good crop of rice is now radio-contaminated in vain. Scarecrow seems to wait alone for the Farmer return back home to restart agricultural work same as done before. I tried to express these in my English Haiku.



こもなみ倶楽部、「秋の稲刈り」

2012年10月22日 | 自然・植物・昆虫
こもなみ倶楽部、「秋の稲刈り」
足許不如意、リハビリ中であるので、いくら、水抜きをしてあるとはいうものの、田んぼは、まだ、ぬかるんでいるので、長靴での作業は流石に、自信が無い。そもそも、細い畦道を歩くのも、危ういくらいである。従い、田植えの時同様、写真班と、手で刈り取った稲を束ねる紐作り係である。もっとも、並行して、稲刈りコンバインが、次々に、稲を刈り取ってゆく。もっとも、結束の紐の具合が、初め、調子が良くなかったので、結構、周りの稲は、手で、刈り取られることになる。成る程、田んぼの外側から、順番に、刈り取って行き、刈り取った稲を、今度は、集めて置いて、天日干し用に、逆さにして干してゆく。隣の田んぼでは、既に、干し終わった稲を、脱穀袋詰めする機械が、作動していて、アッと言う間に、米袋が次々に、出来上がり、藁が、残ってゆく。これも、肥料など、無駄にすることはない。それにしても、刈り取り、結束を機械化した人は、大したモノである。余程、腰を曲げて、くびるのが嫌だったのではなかろうかと想像するが、、、、、、。コシヒカリのお米が、そこかしこで、収穫されている。晴天に恵まれて、本当に、良かった。食育の観点からも、田植え、稲刈り、その他、果樹の手入れとか、野菜作りとか、牛の乳搾りとか、酪農体験とか、年齢を問わず、体験することは、ものつくりの基本中の基本であろう。そんなことを改めて感じる日である。同時に、未だに、放射能の汚染で、収穫する出来ない農民や土壌汚染が深刻で、除染が出来得ていない地域があることを決して忘れてはならないであろう。



野鳥の餌台

2012年10月21日 | 自然・植物・昆虫
野鳥の餌台
夜半の雨があがったのか、朝から、ピーピー、キーキーと野鳥の声が、喧しいこと甚だしい。ベランダの野鳥の餌台には、向日葵の種を、餌が、不足する時期や天気が悪い時に、置くことにしているが、余りに、過保護にすると、生態系を崩しかねないので、用心深く、与えているが、、、、、、。それにしても、一番のご贔屓筋は、山の雀と謂われる、ヤマガラで、一族で、とりわけ、夫婦とおぼしきつがいと、一寸小ぶりの子供達か、或いは、親戚筋か?時としては、図々しく、餌をねだりに、大きな鳴き声で、催促もしてくる。中には、シジュウカラやコジュウカラの群れが、やってきても、横から、すごい勢いで、飛んで来ては、威嚇までする。最近は、めっきり、リスを見かけないが、恐らく、電線を伝って、ひょいと松の枝から、ベランダの手摺へと降りてくる筈である。カワラヒワは、ベランダに落ちこぼれた実をついばみに来る。どういう訳か、ヤマガラは、一粒をついばめば良いのに、二粒、三粒と、何粒かを必ず、餌台の外へ、こぼす。こぼれた種が、ポットの土の上に落ちたのか、知らぬ間に、何と、小さな向日葵の花が、咲いて、しかも、実まで、結実していた。中には、隠した場所を忘れたのか、とんでもない場所に、ひ弱な向日葵の芽がでて、ヒョロヒョロと生えていることもある。昔、子供達が、小さかったときに、手から餌をあげることに成功したが、あまり、人に慣れすぎると捕獲しやすくなる危険があるということで、餌付けは、止めることにした。写真だけが、今では、残っているが、、、、、。愉しい懐かしい想い出である。



胡桃の樹に想う

2012年10月20日 | 自然・植物・昆虫
胡桃の樹に想う
信州で見る胡桃の樹は、どういう訳か、巨木で、しかも、枝を大きく、四方に、思い切り伸ばしたような感じさえする。直径3cm程の大きな実をたわわにつけて、時として、道路に、その実が、転がっていることがある。もう四半世紀も前になるだろうか、NZの南島のそれも、更に南の端にある小さな街に長期出張していたときに、週末、一寸、地元のロッジに、観光も兼ねて、泊まりがてらに出掛けていったが、そこで、初めて、庭の真ん中に、どっかりと、太い樹が一本、たくさんの実をつけて、存在感をあらわにして、佇立していた。それが、胡桃の樹であると言うことは、すぐに分かった。小諸の道を車で、走っているときに、似たような大きな樹が、何本か、窓越しに、見かけられたが、それが、胡桃の樹であることは、その実がたわわになっているのを見て初めて、認識された。それにしても、信州という所は、貧しいようであるが、ある種、極めて、食が豊かであると思うが、、、、、。昔の人は、本当に、「知恵が豊富である」ように、思われる。小布施の栗も、更埴の杏も、そして、この胡桃にしても、干し柿やドライフルーツにしても、皆、非常時の食糧にもなり、そんな昔、食糧の自給率等という言葉も無かった時代に、「自らの知恵」で、郷土の土地、土地にあった果樹や野菜を作付け、普及させたことは、誠に、驚くべきことである。果物だけでなくて、銀杏、胡桃、蕎麦、いなご、地蜂の子、鯉、等、名前を耳に、目に、するだけで、今日ですらも、感心せざるを得ない。




「未必の故意」と「不作為」を考える

2012年10月19日 | 社会戯評
「未必の故意」と「不作為」を考える
最近、やたらと、ひき逃げ、酒気帯び運転、危険致死運転や引きずり運転等による事故が多いが、それらの裁判で、果たして、そこに、「未必の故意による殺意」があったのか、どうかという議論が、裁判員裁判でも、問題になっている。「未必の故意」とは、犯罪行為によって結果が発生するかもしれないと認識しながらも、「起きてもやむを得ない」との気持で行動する心理であると謂われている。「確定的故意」、結果の発生を確定的なモノとして積極的に考えて行動する心理とは、対局に、区別される。殺人罪には、殺意の立証が必要であるものの、未必の故意があれば、成立すると、、、、、、。法律的な議論の行方は、定かではないが、命を失った被害者や、当事者の家族にとっては、巻き込みや引きづりについて、「気付かなかった」とか、「認識はなかった」とか、更には、「殺す意思は毛頭なかった」などと、主張されると、その心心理的内部の作意を、一体、どのように、客観的に、証拠立てて、立証するのであろうか?それでも、飲酒のせいにしたり、意識がなかった等と主張されたら、被告の意図を確かに、推量させられるだけのものが、果たして、揃えられるのであろうか?翻って鑑みれば、最近、頻繁に耳にする「不作為」という言葉も、犯罪ではないかも知れないが、著しく、その結果は、犯罪に近いモノがあるような気がしてならない。「たぶん、そうなるであろう」ことを予測し得ても、「そうならないようにする」と言うこともせずに、そのまま、ほったらかにしておいて、責任を回避するような待機主義・回避主義者達である。様々ないじめの問題や、それに対する教育委員会の対応、子供への虐待等、考えてみれば、どれもこれも、この言葉を改めて、自分のこととして、考え直す必要があろうかとも思われるが、、、、、。


我が老犬の遠吠えにお叱りを受ける

2012年10月18日 | 動物・ペット
我が老犬の遠吠えにお叱りを受ける
我が老犬は、満年齢で、17歳9ヶ月になるが、若いときは、いざ知らず、最近では、ほとんど、啼くことは稀である。もっとも、大嫌いなシャンプーの時には、風呂場で、我慢しきれなくなると、突然、ビックリするような大きな声で、「早く、止めてくれ!」とばかりに、泣き叫ぶことはあるものの、、、、、、。秋の日差しが、爽やかなので、日向ぼっこも兼ねて、一寸、1時間ばかり、買い物の外出時に、ベランダに、出しておいたら、どうやら、誰もいない気配に、淋しくなったのであろうか、帰ってきたら、情けない声で、フェーン・フギャーンと、遠吠えをしていた。この声が、やや離れたご近所の老女のかんに障ったのか、「お宅の犬が、わが家の方に向かって、吠えてうるさいので、向きを変えてくれませんか?」と慇懃に、お叱りを受けてしまった。若いときには、東京では、お向かいの郵便配達や宅急便の配送にも、自分の縄張りを主張して、お向かいにも知らせて、番犬として、ご褒美まで貰ったことがありましたが、、、、、、流石に、寄る年波には勝てず、玄関では、静かなのに、ベランダでは、自由気儘に出来るのに、どういう訳か、歳とともに、寂しがり屋の犬になってきたようです。よしよしと撫でてやると、一生懸命に、我が手をペロペロと、ずっと、舐め続けていました。余程、淋しかったのかも知れませんね。一緒にいると、どういう訳か、啼かないのですが、、、、、どうしたんでしょうかね?因みに、このお年寄りは、裏の家の犬の鳴き声がうるさいと文句を言って、「処分して下さい」とも、クレームをつけたそうで、なかなか、動物嫌いの隣人は、難しいなぁと思いました。これからは、留守にするときは、ベランダではなく、玄関の所定の場所で、お留守番してもらいましょうかね。





ヤマカガシに遭遇す

2012年10月17日 | 自然・植物・昆虫
ヤマカガシに遭遇す
先日、我が老犬と散歩していたら、小さな体長15cm程度の未だ、赤ん坊のヤマカガシが、車に轢かれて、死んでいたのを発見した。カマキリやら、蛙やら、時々、交通事故の犠牲になっているのは、残念である。今日、たまたま、生ゴミを捨てに、裏のコンポストに行き、ゴミを捨てて、三角コーナーのプラスチック容器を洗おうと蛇口に、近寄ると、ガサガサと1mくらい先で、枯れ葉の上で、音がするので、ふと、目をやると小さな未だ体長50cm足らずの子供とおぼしきヤマカガシが、ペロペロと舌を出しながら、移動している最中であった。ここ何年間かは、蛇に、お目に掛からなかったが、その昔には、ホースのような物が、庭のスロープに横わたっているので、誰が、こんなところに、出しっ放しにしたのかと思って、近寄ると体長1m50cmはあろうかという青大将であったことを想い出す。きっと、たまたま、出くわさなかっただけで、結構、普段から、蛇やら、蜥蜴が、庭先や敷地内を闊歩しているのかも知れない。知らぬは、人間様だけで、考えてみれば、狸も狐もカモシカも鹿も生息しているわけだから、蛇が、いても、決して、驚くべきことではないかも知れないが、、、、、、、、。それにしても、未だ、我が老犬が若いときに、松林の中に、勝手に分け入ってしまい、探しに行ったときに、長靴を履いた足許をにょろっと、蛇が、通っていったことをも想い出す。流石に、猪とか、蛇は、どんなに、里山の自然が恵まれているからと言っても、一寸、ご遠慮を願いたいものである。是非、ひっそりと、生息して戴きたいものである。そこのところを、よろしく、お願いします。早めに、冬眠お願いします。