小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

我がペットのお友達の死に想う

2011年09月07日 | 動物・ペット
人間にも、相性が良い,悪いがある如く、どうやら、犬にも、そのようなものがあるらしいことは、長い間、散歩に一緒に、連れて歩いて貰っていると、朧気ながら、分かってくる。我が老犬は、どちらかというと、吠えられこそすれ、自らは、滅多に、吠えたりはしない。とりわけ、余輩を重ねることにつれて、その傾向は、強まっている。近所に、少し、年上の大型で、耳が、長く垂れたバセット・ハウンド犬種(ハッシュ・パピーの犬)の雑種で、同じ名前の犬が居るが、いつも、大型犬独特のゆったりした、超然とした、何事にも動じない、その立ち居振る舞いが、好きなのか、散歩の途中で、遭遇すると、必ず、どちらからとも無く、お互いに、鼻先で、クンクンと挨拶を交わすようになった。ここ、半年くらいは、お互いに、歳を取ったせいなのか、歩行が、困難になり、よろよろ、立っているのも、辛そうで、フラフラ、トボトボな様子であった。いつも、先方の門前まで行き、臭いを嗅いでは、まるで、今日一日、生きていることを確認しているようであった。玄関前には、変わらず、ステンレス製の水飲み容器が、置かれていたので、未だ、元気であろうと、勝手に、想像していたが、その家人の説明では、約1ヶ月程前に、歩けなくなり、入退院を繰り返した後、お家で、結局、安らかに、逝ってしまったそうである。それとは知らずに、我が老犬は、相変わらず、散歩の途中に、ご挨拶を忘れずに、必ず、やってくる。動物愛護センターから、2日間の研修を受けて、譲り受けた我が老犬も、既に、16歳と半年になった。後どのくらい、生きられるか分からないが、お座りも、待ても、伏せも、お預けも、もう、一切せずともよい、目が不自由になり、耳が聞こえなくなっても、唯、一日でも長く、気儘に、好きなだけ、生きて貰いたいものである。若いときには、お向かいの家の門番までするお利口さんの番犬で、ご褒美に、菓子折も戴いたが、もう、番犬も引退したら、良い。鎖につながれずに、自由に、好きなときに、寝て、好きなときに、散歩に行き、遊び、好きなだけ食べて、(快食・快眠・快便)で、過ごして貰いたい。お友達の冥福を祈りつつ、、、、、、そう想う今日この頃である。見えているのか、いないのか、こちらをじっと、見つめていて、身体を撫でてくれと、トボトボと、近寄ってくる。