小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

昔の職場仲間の忘年会に出る:

2012年11月30日 | 社会戯評
昔の職場仲間の忘年会に出る:
今では、その周辺は、既に、再開発の対象となり、高層ビルが林立しているが、その丸の内・旧三菱仲28号館にあった事務所ビルの地番から、年に一回、未だ、現役でバリバリ(かとうかは、分からないが、、、、)働いている人達の都合も考えて、12月では、忙しいだろうから、その一ヶ月前の28日に、旧交を温める意味で、忘年会と称して、昔の職場仲間が、集うことになっている。ついでといっては何であるが、新しく改装された東京駅の駅舎を、お上りさんよろしく、見学したり、丸の内、八重洲の再発された地下街などを、歩行訓練も兼ねて、開催時間前に、一寸、散策してみることにした。それにしても、建物は、一度、取り壊されて、高層ビルになってしまうと、その前には、どんな建物が建っていたのか、思い出せないものである。私の感覚も、里山暮らしに馴染んできたせいなのか、そのスピードの速さと規模の大きさに、改めて、圧倒されてしまいそうである。全く、昔日の面影すらないようである。せいぜい、丸の内郵便局の大きな外壁が、残されているから、「あぁ、そういえば、あれが、昔の本局か」くらいにしか、想い出せないものである。実に、人間の記憶は、いい加減なものである。全く、時の流れの速さに、唖然とせざるを得ない自分が、そこにいる。新入社員時代から、21年間勤め上げた後に、独立したから、もう既に、大きな組織で学んだ時間と独立後の時間が、おおよそ、エーブンになる勘定である。それにしても、色々なことを教えて貰ったし、おまけに、お給料までも戴いてしまった。飛行機の搭乗の仕方、貿易実務、為替実務、実践英会話、タクシーへの乗り込む順番、エレベーターへの乗り方・降り方、宴席・接待の心配り、お酒のつぎ方、社会人・貿易マンとしてのマナー、宴会・旅行の幹事、会議・議事進行のやり方、文章・コレポン・報告書の書き方、等…何から何まで、、、、、、列挙し始めたら、枚挙に暇がない。顔や体型が、やや、福相に変わったり、髪の毛が、白くなったり、後退したり、薄くなったりと、(他人事ではなく、自分も含めて)全てのOB・OGに、時間は、容赦なく、平等に、老いという命題を課し与えている。白内障・黄斑点症という目の病気や、脳梗塞に伴う四肢の不自由、癌などの手術とか、私のような腰の病気や膝痛等、更には、現役で、働いている人の中には、心の風邪という病やストレスから来る神経痛や、インシュリン注射を打っている人まで、様々な問題・難題を抱えていることが、会話の中からも、読み取れる。それにしても、未だ、非正規雇用などの存在しなかった時代で、今から思えば、未だ、組織にも社会にも、余裕が十分残っていた時代だったのかもしれない。当時、怒鳴られたり、叱られたりした上司や同僚、部下などと、年に一度ではあるが、こうして、再会して、昔のしがらみを忘れて、お酒を酌み交わし、近況を語り合う時間が持てることは、決して、悪いことではないとも思うが、、、、、。もっとも、今や、好々爺になったとおぼしき人の眼光は、相変わらず、昔と変わらなかったが、、、、、、。



非正規雇用採用の教師という存在:

2012年11月29日 | 社会戯評
非正規雇用採用の教師という存在:
労働者派遣法の改定に伴い、非正規雇用の教師が、増加していると報じられている。米国に駐在しているとき、子供達が通っていた公立小学校の教師との面談時に、その担当教師が、「米国では、教師の地位が、相対的に低く、その点、日本が羨ましい」と云われたことがあったが、何とも、あれから、既に、30年余りの歳月が過ぎているが、改めて、あの時のアメリカ人公立小学校の教師の言葉を想い出した。別に、どこかの国の文部大臣の問題提起を必ずしも肯んずるつもりはないが、経営の効率化だけの観点から、教師までもが、非正規雇用という不安定な待遇で、人材派遣業者から、採用されなければいけない状況なのであろうか?そんなことで、人を育てる、教え、教えられるということが、キチンと出来るのであろうか?もっとも、衣食足りて、人間は、必ずしも、安定の中で、人間の教育が、可能であるとも思えないが、それにしても、余りにも行き過ぎたる差別的な待遇と労働条件の中で、社会の礎たる人材育成が、将来を担う大切な人間が、本当に創出されるのであろうか、、、、、、、と。工場の熟練工も、医師ですら、更に、教員免許を有する教師ですら、今や、非正規雇用が常態化しているとは、、、、、、、どこもかしこも、スキャナーで、ピッと、判定でもして貰わないと分からない時代になりつつあるのか、、、、、、、、、。長期的に見て、その成否の結果は、何処へ、向かうことになるのであろうか?後の時代、果たして、後悔していないだろうか、、、、、。本来ならば、対抗すべき日教組からも、何の声も聞こえてこないが、情熱を持った教師志望の若い人達は、どう考えているのであろうか?



川向正人著、「小布施 まちづくりの奇跡」を読む:

2012年11月28日 | 書評・絵本
川向正人著、「小布施 まちづくりの奇跡」を読む:
確か、記憶に間違いなければ、司馬遼太郎が、「庭の景観というものは、一代や二代で、出来上がるモノでなくて、何世代にも亘って初めて、完成されるのである。」というような趣旨の発言を、「街道をゆく」シリーズか何かで、読んだことがあるが、景観のみならず、街自体を、「まちづくり」として、変貌させて行くことは、言葉で言う程、実際には、時間も金も掛かり、容易なことではない。今日、駅前のけばけばしい景観や、旧何々銀座と称された駅前商店街通りのシャッター化など、或いは、仏作って、魂入れず式の箱物行政、単なる土建屋向けの膨大な公共投資の問題やら、更には、観光客誘致合戦という経済的な採算名目だけの無駄な予算投入など、「まちつくりの課題」は、そこかしこに、散見されて止まない。むしろ、現状では、ますます、その深刻化が進みつつある。たまたま、信州、小布施による「あおい林檎、プライムリー」の取り組みを知り、その官民挙げてのプロジェクトのまちおこしに、興味を持ったので、この本を読んでみた次第である。湯布院のドイツ型の長期滞在、エコ・リゾートとは、一寸、異なるが、日本のまちつくりや再成長戦略を考えるときには、何か、そこには、役に立つノウハウとヒントがあるような気がしてならない。

「街並み保存」とは異なる手法である修景の特性を生かして、空間や空間の持つ雰囲気を、自然な状態を可能な限り、残してゆく。そして、そこに住む人々の生活が、現に在り、ひしひしと感じられる、そういった生き生きとした「景観」を、継続的に作り出す。常に、現在進行形、工事中、継続的にブラッシュ・アップし続けること、街全体と個々の建物の空間・雰囲気との調和を重視する。単なる「歴史文化財」として「保存・凍結」するのではなくて、或いは、古美術品を展示する「箱物的な美術館」ではなくて、その時の状況、状況に応じた成長・変化を許容する「まちづくり」になっている。「外」に対して、オープン・ガーデンのような「内」を作ったり、身の回りの全てのものを修景の素材ともしてしまう手法。
「空間体験」と建物同士の大小の隙間、路地や広場・小径という「外部空間」の重要性、おもちゃ箱をひっくり返したような雑然とした景観ではなくて、「つなぎ」の重要性に着目した設計に着目して、「舗道を歩く」ことによる連続的な空間の体験により、その印象が深まり、リピーターが増えるという手法、等…
黒川紀章のコンパクト・シティーをベースに、五感で愉しむ触覚的な体験の生活が活き付く街、或いは、曳き家、土壁、瓦、等、観光都市化させるものではなくて、日常生活の中で、「歴史文化」を自然に感じられるような環境を整備し、「道空間」、「道の建築」の考え方に基づき、「外」は皆のもの、「内」は自分たちのものという考え方を払拭し、「生きた街」が、同時に、「生活感」が、実感出来るような設計、町並み保存とは異なる(・・・・)手法、内と外の関係性を補う(・・・・)手法によるまちつくり。住民が歴史文化の豊かさを実感できる日常的な生活環境の整備を目指した街つくり、宮本忠長のデザインは、広場的な「たまりの空間」を設け、路地裏や裏通りの必要性を説き、導線を幾何学的に整えないで、且つ、意識的に避け、予期せぬ情景にも遭遇するような迷宮を生みつつ、職も住も、商も芸術・文化・歴史も、人間の多様的な活動が混在する、ゾーニングとは一線を画した、異なる街つくりを目指した。「外と内」との間に固定された境界線はなく、境界は 流動的(・・・・)であり、密接に繋がって(・・・・・・)いる状態、これを「繋げる設計」を採用し、「景観」を「共有財産」と考え、住民総出の外を協力して良くする清掃活動などの地域普請ボランティア活動等を通して、「自発的な内なる自由を有する運動の継続性の必要」をも説いた。空洞化する商店街のシャッター通り化のメカニズムの解明と、内の問題を、生活環境に整備・回復する修景手法で、解決しつつあるが、同時に、巨大化する観光都市化の波と外からの商業主義的な土産物屋の出現圧力など、光と陰も、現実には交錯し始めている。
それにしても、建築家の良きコンセプトの具体的な実施、市村良三町長、市村次夫小布施道社長など、町民を含めた多大な努力、或いは、これまでの豪商に培われてきた高井郡の歴史的、伝統的な良き風土を何世代も掛けて、持続・継続させてきたその粘り強さは、一地方都市のまちつくりのノウハウとして、単に、語られるだけでは、全く、勿体ない話であろう。閉塞した日本の街つくりへのヒントと方向性を、日本人ばかりではなくて、海外から来訪するお客様にも、愉しんで貰えるような街、今後の成長戦略へも繋がって行くようなものにしてゆかなければ、相変わらず、シャッター街や、地方都市の高齢化、過疎地化、不採算ローカル線の廃止に伴う陸の孤島化の問題は、全く解決つかないであろう。子供の頃から、学校などでも、こうしたまちつくりの学習や地域おこしの活動参加を日常化してゆけば、もっと、違った意味での「持続的・継続的な・多世代に亘った」サポーター組織が出来るのではないかと考えるが、、、、、、。そこには、どうやら、歴史に育まれた文化都市とか、街歩きという「商業観光都市用」の言葉や、キャッチ・フレーズは、もはや、必要がないように思われる。自ずと、又、その魅力に、魅入られるように、回帰し、リピーターになるのであろう。そんな気がする。まだ、原石のまま、磨かれていないそんな信州の小京都は、他にも、たくさんあろうが、、、、、、、、、。気が付いていないのは、そこに住んでいる人々だけだろう。



ペーパーレス化とご老人の嘆き:

2012年11月27日 | 社会戯評
ペーパーレス化とご老人の嘆き:
新聞の投書欄を読んでいたら、電話の請求書が、クレジットカード自動引き落としの人に関しては、「地球環境の資源保全」の観点から、ネット・アクセスで、確認出来るペーパーレス化のサービスに、移行するとかで、このご老人は、大層、弱い者が置き去りにされるのではないかと、心配をされていて、ネットが、使えない人間は、結局、差別されてしまうのではないかと、、、、、、こういう趣旨の投書であった。成る程、慇懃無礼に、取って付けたかの如き、誰も反対できないような大義名分、理由付けで、合理化と人員削減を目的化したようなサービスの押しつけは、確かに、目に余るモノがあるのは事実である。(もっとも、社会の趨勢が、そういう合理化・効率化を追求する方向にあることも、又、事実であるが、、、、、、)何とか、こちとらは、最低限、ネットを駆使して時代について行っているものの、この先、セキューリティーも、なりすましやスパイアイではないが、しっかりと担保されないとなると、どのように、自身のセキューリティーを守り、同時に、利便さや合理化に協力していったら良いのであろうか?何とも、受け身であること自体が、歯がゆく思えてならないが、、、、、、、、。ご老人の嘆きも理解出来なくはない。余程、山奥や離れ小島で、貨幣経済と隔絶された自給自足の生活でもしていないと、今日のグローバル社会で、しかも高度に進んだIT社会の中では、到底、それらと隔絶した生活を送ることは、至難の業であろう。このご老人の嘆きではないが、本来、サービスの利便性や操作の優しさの追求が、いつの間にか、「別のもの」に変質してゆき、全く意図せざる何物かに、変質してしまうことは、良くあることである。それは、政治もそうであろうし、社会概念、経済システムもそうであるかも知れない。おおいに、考え直さなければならないであろう、、、、、、。いずれ自分も、(誰しもが、)このご老人のような歳になったときに、果たして、どんな生活を強いられるようになっているのか、それとも、縦横に駆使できる立場になっているのであろうか?それにしても、ウカウカしていると、請求書も来ずに、知らぬ間に、口座から、自動引落しが完了していることにもなろう。だから、自動振替も、ネット・バンキングも、ペーパーレス化も、嫌だと主張するご老人を、身近で、見知っているが、、、、、、、。活字世代のこちとらは、やはり、アナログで、紙の請求書でないとダメかな?電子書籍も、当分、様子眺めだろうか?何せ、ISDN, ネットブックで、散々、騙されてしまったトラウマがあるから、、、、、、、、。相変わらず、周回遅れで、ついて行くとするか?




鈴木邦男氏の朝日新聞記事に考える:

2012年11月26日 | 社会戯評
鈴木邦男氏の朝日新聞記事に考える:
随分昔の事になるが、全共闘、新左翼の対局として、当時、一水会、新右翼の論客と称される頃の物言いとは、随分、憲法観も、フレキシブルになったように感じられるが、もっとも、それは、同氏の説明の如く、所謂、左翼の衰退、対中国・対韓国との国際情勢における排外主義の高揚にも関係することであることは、自明の理である。しかしながら、それらを差し引いても、基本的な民主主義の概念に対する考え方、或いは、天敵がいなくなった右への生態系の破壊への心配、更には、行き過ぎた自主憲法制定依存や過大な期待(万事、自主憲法を制定すれば、解決するという幻想)に対する冷静な懸念は、おおいに、傾聴に値するのではないだろうか?軸が動き右翼を増長させ、「生態系」が、危うくなっていると。これは、まさに、「護憲」に対するアンチテーゼとしての自主憲法制定の構図に対する新たな切り口であろう。余りに威勢の良い言葉だけの、味方に対する敵を常に作り出す劇場型の今日的な政治扇動よりも、同氏の云う、逆説的な「主義主張・論旨、一徹は宜しいが、変われなかった事に対するある種の危惧を感じる」という趣旨の発言は、なかなか、どうして、重いモノがあると思われる。今や、労働組合も衰退し、旧態依然たる所謂、左翼陣営は、むしろ、同氏の主張などにも、耳を傾けるべきではないだろうか?沖縄や、尖閣・竹島・防衛などに関するコメントが、紙面の関係で、あまり詳しく触れられていなかったのは、残念であるが、基本的な考え方、憲法・民主主義に対するスタンスが、読み取れたことは、とても、興味深いことである。依然として、単純な旧いバランス感覚だけで、新保守陣営の中にすら、社民勢力を駆逐してしまったことは、間違いだったなどという論理が出てきているようであるが、まさに、「良きライバルがいて、敵に学び、敵に、自らを映す」という趣旨の同氏の見解は、決して、関係がないように思えてならない。それにしても、久しぶりに、同氏のインタビュー・オピニオンを読んだが、なかなか、ある面で、興味深い考え方でもあろう。「憲法という大きなものに責任を転嫁して、山積している現実の課題をなかなか片付けられないことに国民の目がいかないようにしている感じがする。これでは、尖閣や竹島の問題を、国内政治に対する不満のはけ口として利用した中国や韓国を笑えませんよね」という発言は、極めて、新右翼の論客としては、冷静なバランス感覚に富んだものと云わざるを得ない。是非、何かの企画で、辺見庸や大江健三郎などと、対談してもらいものである。昔は、大学の学園祭などでも、こういう企画が、あったものであるが、、、、、、、。



公園散策で、カワセミに出会う:

2012年11月25日 | 自然・植物・昆虫
公園散策で、カワセミに出会う:
久しぶりに、リハビリの一環で、女房殿と二人で、サイクリングがてら、善福寺公園と太田黒公園の紅葉を眺めに行ったところ、何と、善福寺公園で、カワセミに出会った。杉並の善福寺川には、近所で、カワセミが、小さな魚を狙っているところを、散歩の途中で、偶然見かけたことがあったが、池の杭に止まって、魚を狩るところを実際、間近に見られたのは、初めてである。最近、都会では、下水道の整備に伴って、川の水も、透明度を増して、今や、小鷺や渡り鳥の鴨等が、当たり前に、生息していて、大きなスッポンや蛇が、流れを横切って泳いでいるのを見かけたことすらもある。それにしても、小魚を器用に、杭の上から、ジッと見つめながら、狙いを定めて、捕食するその素早さは、大したモノである。葦らしい茂みも、池の中には、あるので、隠れるのも、都合が良いのかも知れない。それにしても、巣は、土壁の穴や土管らしいが、一体、この公園の何処に、そんな最適な居住空間があるのであろうかと、ふと、疑ってしまう。和田掘公園のカワセミは、有名であるが、善福寺公園のカワセミは、知らなかった。それにしても、都会の中で、よくぞ、頑張って生きているものである。写真は、やはり、一眼レフでなければ、うまく、撮れなかったので、購入の恰好の理由付けになるかも知れない。青とオレンジのコントラストが、綺麗で、くちばしも結構、身体の割には、長いものである。又、いつか会えるかも知れないが、いつのことだろうか?



喪中葉書に想う:

2012年11月24日 | 社会戯評
喪中葉書に想う:
今年も、又、喪中葉書を受け取る時期になった。昨年は、友人の娘さんが、若くして、亡くなった知らせをもらい、言葉を失ったが、、、、、、。今年は、11月初め、義理の兄が、予期せずに、闘病の末、突然、亡くなってしまったが、今回も、友人の弟さんが、病の末に、60歳で、逝ってしまったと、行間には、その無念さが、滲み出ている喪中葉書を、戴いた。最近では、両親とかの喪中葉書よりも、こうした兄弟姉妹、連れ合いを失ったという通知が、増えてきた。赤ん坊の誕生を祝った幸せそうな夫婦揃ったカラー写真の年賀状や、結婚式の若い二人の輝かしい、晴れ晴れとした前途洋々とした嬉しそうな表情のものや、或いは、家族揃って、撮った子供の成長の証しのものや孫が出来たとかという報告の方が、ずっと、良いに決まっている。闘病やら、身体のどこかに不具合が生じて、騙し騙し治療したり、様々な身体的な難題が、生じるこの頃ではあるが、、、、、、、毎年、この時期になると、喪中葉書を戴く度に、複雑な思いがするものである。久しぶりに、電話で、生の声でも聴いてみることにしようか、、、、、、、、。



「褒めること」と「生産性」と「上昇志向」:

2012年11月23日 | 社会戯評
「褒めること」と「生産性」と「上昇志向」:
老子を今更、引用するまでもなく、「無要の要」の重要性を学んで育った自分には、どうも、最近の「褒めることで、人は、タイプが、早く打てるようになる。」、そして、そこから、更に敷衍されて、行き着く先は、「学んだり、進歩することが、早くなり、従い、生産性が向上する、、、、、、、、」と。何とも、まことしやかに、またぞろ、経済観念と生産性向上へと導くような合理的「教育論」へと、新聞までもが、同調・展開されているが、、、、、、、、。現代風な褒めることの重要性を論うことで、体罰や叱ること、個性を潰す事への逆説的な非難は、分からなくはないが、、、、、、、、。随分昔のことになるが、右翼の街頭宣伝車が、「褒め殺し」なるもので、逆に、裏で、金を無心する犯罪行為が、横行した時期があったが、どうも、褒めるとか、褒められるとかという事に関しては、我々世代は、どうも、むずがゆくなり、しっくりと感じられないのが本音であるし、素直には、受け取れない。まして、それが、タイプを早く打てるようになったりするなどという研究結果や、果ては、「生産性向上に繋がる」とまで云われるようになると、(甚だ、失礼な言い方かもしれないが、)大阪弁ではないが、「ホンマでっか?」と思わず、疑わずにはいられない。それにしても、実に、「虐めと褒める」ことは、表裏一体、奇妙なバランスである。最近では、他人から、褒められることを、とても、嬉しく感じる若者が多いそうで、人に、役に立っているとか、自分の存在価値や意義をそこに、見出そうとする、もっとも、年寄りですら、社会との繋がりとか、結びつき、絆とかを、生きがいとする方が大切であるという考え方が、主流であり、社会学者などは、そのように、主張しているそうである。これまでの上昇志向も、今や、縦軸的な上(出世や昇進)や下(確固たる意思によるドロップ・アウト)ではなくて、横方向への拡がりを見せ始めていると、、、、、、。安易に褒めることが、即、長所を伸ばす事に繋がるのだろうか?性格にもよろうが、何でもかんでも、効率やら、生産性に、結びつけられて云々されるのでは、堪らない。「フーテンの寅」さんではないが、どこの親戚にも、組織にも、出来の悪い、決して、仕事は出来ないが、それでも、人間的には、親しみのある、悪い人ではない人が、たくさん居たものである。しかしながら、いつの間にか、数値的な効率やら、生産性やら、成果主義という名の下に、抹殺されてしまい、絶滅危惧種化してしまった。私は、これから、敢えて、この「絶滅危惧種」になることを恐れずに、残りの人生を、生きて行きたいと思うが、、、、、、、。



我が老犬に、強い意思をみる:

2012年11月22日 | 動物・ペット
我が老犬に、強い意思をみる:
我が老犬は、もう人間の年で云えば、92歳になろうとしている。「(犬年齢10歳X6)+(8歳X4)=人間相当討の年齢」 元々は、屋外で飼っていたが、寄る年波を考えて、小諸では、玄関内で、オムツをして飼うことにしていたが、オシッコやウンチをしたときには、「早く、処理してくれぇー!」と吠えて、催促をする。先日も、ウンチを促して、外へ出したのにも関わらず、全くするそぶりを見せないので、再び、家に入れると、今度は、ウンチをしたらしく、催促するのである。そこで、オムツを外して、処理すると、未だ、どういう訳か、吠え続けている。成る程、玄関内に、漂うウンチの臭いが、不快なのであろうか?、当然、犬の臭覚の方が、人間よりも強い訳で、人間でも「少し、臭うかな」と思うのであるから、嗅覚が衰えたといっても、そこは、犬である以上、相当、強い不快な臭いらしく、むろん、人間にも、不快であるのに変わりはないのであるが、、、、、、、そこで、消臭スプレーを頭上の空間に向けて、噴霧したところ、どうやら、解消したらしく、今度は、大人しく、寝床へとソソクサと入ってゆき、寝入ってしまった。何とも、私よりも、ずっと、「きれい好き」かも知れない。その断固とした確固たる「強い意思」には、老犬と云えども、改めて、驚かされた次第である。お腹が空けば、空いたで、或いは、喉が渇けば、渇いたで、言葉が話せなくても、きちんと、その意思を伝えるのには、改めて、驚く。訓練とは云え、盲導犬などの同じ時間帯での排泄訓練などは、大したモノである。何せ、目が見えない人が、面倒をみているのだから、、、、、、、。



太巻き寿司とベトナム春巻き:

2012年11月21日 | 男の手料理・食
太巻き寿司とベトナム春巻き:
以前、太巻き寿司キットを購入して、作ってみたところ、存外、簡単に、失敗なく作れることが分かったので、一寸、お呼ばれの席に、定番の「鳥のさっぱり煮」と共に、持参することにした。多少、3本分のカリフォルニア・ロールの太巻き寿司用のネタが余ったので、これを、ベトナム春巻きにも仕立ててみることにした。昔、長女が、ベトナムに行ったときに、お土産で買ってきた乾燥春巻きの戻し器具、ポリプロピレンで、出来ていて、蜘蛛巣状に、小さな穴が空いていて、円形で、ピタリと春巻きの大きさに合致していて、水に漬けた乾燥春巻きを載せるだけで、何と程よい湿り気に、復元され、そこに、具を載せて、後は、手巻きのロール包みを作るだけである。とても、便利な優れものである。これさえあれば、百人力である。しかも、実に簡単である。料理のレパートリーが、増えることは、必至である。とにかく、中身は、寿司ネタだったら、何でも良いし、焼き肉でも良し、野菜をふんだんに、入れても、カリフォルニア・ロールの具でも、全く、違和感がない。手巻きの食文化は、何とも、ベトナム、韓国、メキシコ、何処でも、共通するものである。今度は、タコスとトルテイヤにも、挑戦してみよう。参考までに、写真を載せておきましょうか。ベトナム旅行の実用的な土産には、最適であろう。



アフリカの夜 vol.8を聴く:

2012年11月20日 | 社会戯評
アフリカの夜 vol.8を聴く:
我々の年代では、太鼓というと、原住民の土人か、アメリカ・インディアンの闘いの前の太鼓程度しか、想い出さないが、ミュージシャンの手に掛かると、不思議なほど、エネルギーとメッセージ性が、付加されるのは、どういうことなのであろうか?それにしても、既に、このコンサートを始めてから、8回目になるという。継続は、これ、力なりとも云われているが、なかなか、色々な民族楽器による面白いサウンドと踊りである。出演者は、オギタカ&星山剛&池野ショウ、相変わらず、3人の息の合ったサウンドで、アフリカンドラム、ブルースハープ、パーカッション・ギターとオープニングには、うってつけの乗りの良さと、世界を股にかけて活躍している杉山左千雄による尺八の音色のハーモニーや、龍が天空を舞う如きかのような独特の尺八のサウンドは、これ又、和と土着のサウンドの融合で、実に、響きが宜しい。いいよいよ、メインのアフリカの太鼓(ジャンベ他)と踊りの集団であるサブニュマの登場である。(富山・金沢・松本・上田等、長野近隣県も含めると、約300人程の愛好家集団にもなるそうである。代表:竹内利彦)、何でも、西アフリカ、マリンケ族の言葉で、「素敵な出会い」、「みんなの幸せ」という意味で、太鼓とダンスで、言葉や年齢を超越したコミュニケーションと心の繋がりを目指すという。男性四名の太鼓と女性四名の踊り手で、構成されているが、その踊りのエネルギッシュなことといったら、何とも、アフリカの踊り手を彷彿とさせるものが感じられた。あんなに踊りまくっていたら、確かに、贅肉がつく暇もないことであろうと驚いてしまう。汗だくになるのも、確かに分かる。笑顔で、踊る農作業(一種の労働唄のような曲)や、お金を超越した生き方・考え方の在り方など、それにしても、太鼓・踊りでのコミュニケーションという事自体にも、驚かされてしまう。鼓膜の奧底に、ズーンと響く低音と、高音の太鼓の音は、原始の魂を呼び覚ますような趣があって、思わず、目頭が熱くなるのは、どうした訳であろうか?観客を巻き込んだ踊りも、ダウン症とおぼしき子供も、一緒に、手拍子・足踏みをしたりと、民族衣装でなくても、十分、観客と一体になるだけの「太鼓の音の持つ力」と「踊り手のエネルギッシュなパワー」を、感じらとれる。和太鼓とは、全く異なる響きがあって、踊りとも相俟って、とても、面白いではないか?ラテンのサンバの音色と踊りも、共通するところがあるように思えてならない。何か、お腹の底から、アフリカの大地のエネルギーみたいなものが、醸し出されてくる、そんな気がする。家族揃って、子供の頃から、お祖母さんやお祖父さんと一緒に、こんな音楽を間近に聴けたら、性格形成にも、素晴らしいものがあるのではないかと思うが、、、、、、。最後は、埼玉からやってきたヤマザキヤマトと、奈良から、今日の演奏のために早朝から電車でやってきた榊原明子(愛称、accoちゃん)とのエジプトのベリーダンスに使用される太鼓やHangと呼ばれる楽器等の珍しい楽器と、ピアノとのセッションである。なかなか、ユニークな癒やし系のサウンドとパフォーマンスで、フィナーレを飾った。雨と深い濃霧の中の小諸ユースホステルで、子供達も、踊り疲れたのか、聴き疲れたのか、キルトの敷物の上で、寝てしまう子供も居たが、それはそれで、又、ローカルの身近な普段着のコンサートで、愉しいものである。何も60過ぎにならずとも、子供の時から、こうしたコンサートに、身近で参加できたら、もっと、違った人生哲学観が、出来ていたのかも知れないと思うと思わずクスッと笑ってしまう。それにしても、各出演者、とりわけ、踊り手は、疲労困憊ではないだろうか?本当に、ご苦労様でした。そして、スタッフや、音響など、裏方含め、ご苦労様でした。次回は、是非、又、「太鼓と踊り」を観たいものであります。それにしても、ミュージシャンやパーフォーマーなる人達の生き方、人生哲学には、圧倒されてしまうものがありますね。自分の日常生活とかけ離れた世界を、非日常として、間近に、体感することは、決して、悪いことではないだろう。又、新しい、自分では気付くことのない感性が、不思議と磨かれて、宜しいのではないだろうか。何とも、奇妙な異次元の別世界へ誘われたような感じである。


参考までに、関係アーティストのHP : 他に、フェースブックやYouTubeでも検索可能で、映像が見られます。雰囲気を味わう意味からも、是非、クリック、立ち寄ってみて下さい。
http://oto-asobi.main.jp/setumei.htm 
http://www.yamazakiyamato.com/ 
http://www17.ocn.ne.jp/~acco/
http://blog.livedoor.jp/uedasabunyuma/



DIY ラミネート押し葉の額を飾る:

2012年11月19日 | DIY
DIY ラミネート押し葉の額を飾る:
気が向いた年にしか、新聞紙で、モミジの押し葉を作らないが、時として、何年か、作ったことを忘れてしまい、とんでもない頃になって、「あっ、そう言えば、押し葉を作ったっけ!」などと、想い出すこともある。当家御用達(?)の100円ショップで、調達した額に、庭の白樺(今では、もう、カミキリムシに喰われて、枯れてしまったが、、、、、)の小さな枝をボンドで、周囲に添えて、外枠を準備しておく。新聞紙の押し葉も悪くはないが、どうも、今一、完成した色は、くすんで、目で見た時の色のあでやかさが劣り、期待したほどではないのが、残念である。そこで、思い切って、気が短い日本人の私には、ラミネートで、即、挑戦してみることにした。こちらの方が、色は、鮮やかに、保存されるように思われるが、、、、、、、微妙なモミジの葉の色づきとグラデーションが、残せて、面白そうである。考えてみれば、落ち葉を選ぶときは、表が上に、偶然現れているときは、分かりやすいが、裏側になっていれば、模様と色が見えずに、結局、拾われることはない。従い、選ばれる紅葉した葉は、「偶然の産物」であるのかもしれない。これなら、友人への記念のお土産にも、額入りで、宜しいかも知れない、、、、、、、。写真よりも、実際、目で見た方が、色は、もっと、鮮やかである。何よりも、安くて、これだけしかない「選ばれし落ち葉」の土産であるのが、笑ってしまうが、、、、、、。白い壁に、掛けてみることにした。



モミジの絨毯:

2012年11月18日 | 自然・植物・昆虫
モミジの絨毯:
山の景色も、すっかり色づいて、まるで、山頂から紅葉の絨毯が、麓へと駆け下りてくるかの如くである。我が里山にある玄関先のモミジ達も、既に、半分くらいは、紅葉が終わり、散り始めている。真っ赤に色づいたモミジもあれば、黄色のままで、赤くならずに、葉がしぼみ始めるものもある。色とりどりの枯れ葉が、地面に落ちこぼれて、或いは、秋雨に濡れて重なり合いながら、地面をキャンバスにして、まるで、見事な自然の絨毯を織りなすようである。樹木の紅葉も決して悪くはないが、何とも、紅葉が一段落した後の「落葉の趣き」も、箒で、掃いて捨ててしまうのは、とても、勿体ないように思われてならない。もっとも、都会のアスファルトでは、そうもゆかないが、、、、、、、。しばらくは、そのままで、モミジの絨毯を心ゆくまで、堪能して、自然に、朽ち果てて土に還るまでのひとときのゆったりした時間を愉しみたいものである。何も、急いで、掃いて捨ててしまう必要は、ここでは、全くないのであるし、誰にも、気兼ねするもないのが、宜しいではないだろうか、、、、、、。



久しぶりに、虹を眺める:

2012年11月17日 | 自然・植物・昆虫
久しぶりに、虹を眺める:
随分昔のことになるが、アメリカでドライブ旅行に出たときに、雄大な景色の中で、峠の下り坂が終わる方角に、大きな虹が、陽に輝きながら、眼前に突然、現れて、その虹の輪の直下へと、下って行き、通り過ぎたことがあったが、なかなか、日本では、雄大な景色の中で、虹を見られるというタイミングが、訪れない。子供達が、小さかった頃、松原湖に通じる道路で、夏の雨上がりの後で、虹を背景にして、写真を撮り、お皿に焼き付けたことがあったが、なかなか、意図して、その場に、遭遇出来るモノではない。それにしても、雄大な景色の、とりわけ、晩秋の紅葉に彩られた山々を背景とした虹は、又、夏とは違った趣があるように思われるが、、、、、。あぐりの湯の露天風呂から、見られたら、もっと、宜しかったかも知れないが、但し、風呂には、カメラは、持ち込めなかったかも知れない。虹を見て、今更、良いことがあるだろうなどと期待するような程、既に、若くはないが、何とはなしに、虹を見ると、清々しい良い気分になるのは何故であろうか?今度、見られるときは、どんな時であろうか?愉しみでもあるが、、、、、、、。



田島征三著・絵、絵本「しばてん」を読む:

2012年11月16日 | 書評・絵本
田島征三著・絵、絵本「しばてん」を読む:
「読書の森」から、「絵の中のぼくの村」という本を、拝借してきた時に、絵本も、一冊、併せて、読むことにした。土佐の民話に出てくる相撲好きの「物の怪」である「しばてん」の生まれ変わりであると信じられていた太朗という子供の物語で、飢饉に苦しむ村の民のために、長者の屋敷に、打ち壊しに入り、その力強さを存分に発揮して、村人に、米を分け与えて、飢えから救ったにもかかわらず、結局、取り締まりの役人に、村人の告発によって、捕縛されてしまうという何とも、民衆の持つ無責任さと太朗という差別され続けてきた人間の無垢の善意が、対比的に、描かれていて、子供と云うよりも、大人に成長した後の子供にこそ、読まれて然るべき絵本かも知れない。著者の田島征三は、「絵の中のぼくの村」という本の一節で、少年期に、過ごした土地である土佐の民話をベースにしているものの、実は、被差別出身であろうと思われる「センジ」という転校生のことを、念頭に置きながら、描いたと、述べているが、家に、遊びに来たこの数少ない友達に対して、大人の世界の「ある理由」から、家に、挙げられず、結局、やがて、センジは、どこかへ、行方知れずに、再び、転校して行ってしまったらしい。その時に、自らの内面に感じた心の傷は、ゆっくりと、癒えてゆくけれど、その時に、負わせた傷は、いつまでも癒えることなく、その傷口からは、真っ赤な血が、今でも、流れ続けているに違いないと、、、、、どんなに、長い時間が経過しようとも、忘れ去ることが出来ないと、、、、、、。
大人には、時々、子供と一緒に、絵本を読み返してみることは、大切なことかもしれない。子供に読み聞かせると云うよりも、自分自身に、問いかける必要があろうかと、そんなことを感じる絵本である。