小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ガールズ・ポップス最前線に思う:

2014年08月31日 | 社会戯評
ガールズ・ポップス最前線に思う:
午前零時過ぎでは、流石に、眠いので、録画をとることにして、観ることにした。それにしても、ごく僅かのグループしか、名前も知らないし、ましてや、構成メンバーの名前や履歴などは、知るよしもない。競争が激しいものである。一体、このうちから、メジャー・デビューをしていても、何組が、今後、生き残る事ができるのであろうか?そして、それを応援するファンも、どれ程の人数が、いつまで、これから、後を追い続けるのであろうか?ミュージシャンやパーフォーマーと云うよりも、況んや、アーティストと呼べる代物は、この中には、何組・何人いるのであろうか?それでも、観る側、応援する側は、自分の夢や希望や自己実現を、如何にも、その客体の中に、自己投影した形で、仮想世界を作り上げ、その瞬間には、現世の悩みや抑圧を忘却できるのであろうか?昔から、女性アイドルの追っかけはいたが、彼らも、女性アイドルと同様に、同じ時間を重ねて、年をとっていったはずである。AKB48の亜流といってしまえば、それまでかも知れないが、その亜流の内容は、一言では言い尽くせないものがあろう。それ程、色々なカテゴリーの差別化を考え出したものである。もっとも、プロの演歌歌手と異なり、少なくとも、プロのアーティストという感じは微塵もみられない、年若いという意味ではない、謂わば、未完の小さな器、大器とは、言いがたいのが本音ではないだろうか、だからこそ、そこに、無類の近しさや親近感が、一寸、手を伸ばせば、手が届きそうな距離に、実際には、決して、手が届くことは無いのであるが、それは、CDでも、購入すれば、握手が出来るという錯覚以外の何ものでもないのであろうが、、、、、謂わば、自己投影された虚像の自分に、客体たるアイドルを何とか、育成したいという感慨が湧くのかも知れない。秋葉原という場所は、そういう空間で、エンターテイメントという虚構の空間の中で、本当に、彼らの唄は世界を救えるのであろうか?それは、丁度、一流ではないものだからこそ、自分で、育て上げられるという錯覚に陥りがちなのであろうか?それでも、今日、この傾向は、現代の一つのリーディング・カルチャーと云うものなのであろう。吉本隆明の「ハイイメージ論」を読みながら、この特集を観ていると、複雑な感慨を有する。アニメやゲームやダンス等、我々の世代には、良く理解不能であるものの、地下アイドルも含めて、インディー・グループや地方のガールズ・ポップス・アイドルを応援する観客の未知のエネルギーは、一体どのように、理解したら良いのであろう?虚業とは、一言では、かたづけられないような気がする。このエネルギーは、どこから来て、今後、何処へ向かうのであろうか?

盲導犬、オスカーを刺した卑劣漢は誰なのか?:

2014年08月30日 | 社会戯評
盲導犬、オスカーを刺した卑劣漢は誰なのか?:
法律上の器物損壊と言う言葉も、実に違和感がある。法律というものは、面白いものである。それにしても、全盲の人の眼となるべき盲導犬、とりわけ、何の抵抗もせずに、飼い主を職場に我慢して、一緒に歩いて行ったとは、何とも痛々しい限りである。盲導犬だから、盲人にとっては、必要不可欠な道具(器物)であると云う事なのか?法律の解釈とは、何とも、云いようがない。この犯人は、どういう性格の人物なのであろうか?しかも、盲導犬の服をめくってわざわざ刺したとは、、、、、、。誠に、弱者に対して、全盲の人の眼に、ナイフを刺したような行為ではないか!その意味では、一種の「傷害罪」などにも匹敵しようか?只でさえ、野良猫等を殺したり、傷つけたりと、穏やかならぬご時世である。盲導犬は、育成するのに、幼犬の子供の頃から、その一頭一頭の性格を、きちんと見定めた上で、訓練所で、ボランティアも含めて、手間暇お金も掛けて、育成して、目の不自由な人達に、譲渡しているが、それにしても、犬の寿命を勘案すれば、犬の負担も相当なストレスがあるであろう。それ以上に、従って、利用者の飼い主は、自身のパートナーと見なして、自分の身体の一部として、或いは、心の拠り所として、盲導犬と一緒に、暮らしている訳である。とりわけ、忠誠心が強く、我慢強い性格の犬が、盲導犬には、適しているとも云われているが、こうした優れた選ばれし盲導犬に対して、卑劣な犯罪行為を犯す犯人は、まさに、犬畜生にも劣るようなものであろう。社会的な弱者に対するこのような行為は、ヘイト・スピーチにも、優るとも劣らぬ行為であって、決して、社会的に、許されることは無いもので、厳しく、断罪されなければならないであろう。傷害罪並に、処罰されなければならないであろう。

デング熱やペット経由でのマダニ:

2014年08月29日 | 社会戯評
デング熱やペット経由でのマダニ:
西アフリカのエボラ出血熱などは、未だ、映画の「アウトブレイク」のような何とはなしに、朧気ながら、注意は必要であると思うものの、まだ、正直言って、身近な現実味がないところが実感であろう。しかしながら、国内での海外渡航経験の無い10代の若い女性が、デング熱ウィルスを有するヒトスジまだら蚊に刺された結果、デング熱に罹患したというニュースは、穏やかではない。(戦後間もない頃の反法からの復員兵を媒介にした観戦の脅威によるもの以来らしい)しかも、都心の代々木公園で刺されたということらしい。知り合いの取引先のまだ、若い人が、海外勤務先で、デング熱に罹り、今度、再び、蚊に刺されて再発でもしたら、命取りになるゾと、医者から念を押されていたことを想い起こす。うかうか、蚊に刺されるのも、これからは、考えものである。そんなことを思っていたら、今度は、例のマダニに噛まれる被害が、何と、人里に出没してくる猪などを媒介にして、人里やそこで飼われているペットの犬に、感染していたそうで、必ずしも、すべてのマダニが、ウィルス感染しているとは限らないものの、確かに、有効なワクチンのないウィルスに感染したマダニの汚染拡大も、今や、都市部にも蔓延しつつあるそうである。里山に出没するシカや狸や狐・兎なども、よくよく考えれば、既に、媒介しているのであろう。そう言えば、我が愛犬も、夏場の暑いときなどは、散歩などでもダニがくっついてきたことが良くあったが、今思えば、マダニだったのかも知れない。それにしても、エボラ出血熱ではないが、感染症に対するきちんとした正確な知識を持ち合わせていないと、有効なワクチンのないこうした感染症に対して、自分の身を守る術はない。いやはや、全く、ウカウカしていられない時代になったものである。用心に越したことはない。

代々木ゼミナール閉鎖と日本の人材育成体制:

2014年08月28日 | 社会戯評
代々木ゼミナール閉鎖と日本の人材育成体制:
団塊の世代ならば、等しく、代々木ゼミナールの大量閉鎖の報道には、少なからず、驚いたのではないだろうか?少子化の影響とか、現役優先とか、IT教育方式に、後れをとったとか、様々な理由が喧伝されている。我々が、学生の頃は、小学校から、寿司詰め教育で、一クラスの人数が、55人とか、60人とかも珍しくはなかった時代で、模擬試験なども、代々木の高層ビルのような大教室での実施には、流石に、驚いたものであったが、小田実なども当時は、講師に名を連ねていたりして、なかなか、その大教室での講義自体が、懐かしい想い出のように、今では感じられるが、それでも、大量校の閉鎖となると、社会的な影響も大きいものがあろう。今日、世界に通じる人材を育成する上には、英語やITのスキルの活用が不可欠であると云われているが、本当に、教師や指導者の中に、そうしたスキルを活用して、教えることが出来る人間がどのくらいいるのであろうか?このことは、人材育成もさることながら、教える側にも、謂わば、需要と供給ではないが、同時に、その両方ともを供給出来るサプライチェーン・マネージメントがなければ、なかなか、そうは、うまく行くはずもなかろう。小さな頃から、スマホに接して、テレビ同様に育ってきた世代には、どんな教育が必要なのであろうか?松下村塾ではないが、本当にマンツーマンで、いつでも、どこでも、教師と生徒が対等な立場で、学ぶような場所は、今日、一体全体、家庭教育も含めて、どれ程あるのであろうか?それとも、ハワイ帰りのお馬鹿然な帰国子女タレントが、四字熟語も満足に分からないのに、一人前に、英語で、流暢に、解説しているのが、果たして、グローバリズムに必要な人材なのであろうか?考えてみれば、社会や歴史の中で教わった「鮨や醤油」の歴史を、英語の教科書でも取り上げてみたら如何なものであろうか?天ぷらや鮨や醤油、わさびの歴史なども、外国人相手には、食事をしながらも、解説してあげれば、とても、受けることは間違いないし、私の経験からも、受けあいである。もう、これからの時代は、何処に居ても、ITを活用して、生の講義を「聞き手の心掛け次第」で、無料でも、手に入れることが出来る時代になるやも知れません。何も、英語に限ったことではなくて、お爺さん・お婆さんの野菜つくりとか、伝統お料理つくりとか、工作とか、何でも、電波に乗って自由に、飛び交うことが、学ぶことが可能になるかも知れません。そういうことが自分の力で、考え、生み出せるような人間が、もっと、出てきて貰いたいものですね。そして、そういうことを通じて、育ってくる次世代の人間に、期待したいものであります。

自力更生と中国独禁法摘発を考える:

2014年08月27日 | 社会戯評
自力更生と中国独禁法摘発を考える:
もう、「自力更生」等という言葉を覚えている人々も少なくなってしまったのではないだろうか?中国人の中でも、60代以上でもない限り、この言葉を記憶している人達も少なくなりつつあるのではないだろうか?外資系の車部品メーカーに端を発する独禁法違反の摘発の背景は、何とも、実に奇妙である。同じく、外資系の外食チェーンの食品安全問題も意図的なキャンペーンで、食の安心・安全問題を、国内問題から、そらした如く、この独禁法の問題も又、大衆の有する不当な不満をそらすかの如く、同時に、国内メーカーを育て上げようとする魂胆と意図さえ見え隠れする。法が支配するという幻想の下、所詮は、この経済法ですら、一党独裁の覇権で、勝てる見込みもないし、不服申し立てで、勝ち取れるような代物ではなさそうである。改革・解放の方針後に、積み重ねられた矛盾が、今や、爆発寸前であり、大衆による高嶺の花である商品に対する攻撃は、これからも、ますます、先鋭化されてくることは間違いないであろう。「自力更生」で、成し遂げられなかった時代のツケは、今や、ますます、先鋭に、色濃く自己矛盾という形で、自分で自分の首を絞め始めようとしている。したたかな外資も、それ程、馬鹿ではないだろうし、果たして、どこまで、巨大な市場の魅力に幻惑され続けてくるかは、分からない。そんな微妙なバランスの中で、ことは、現在進行中であることは確かであろう。外資系の外食、マイクロソフトなどのIT企業、海外車メーカー、果ては、空気洗浄機や高級マンション分譲業者や、ありとあらゆる合法・法治国家と称する理屈をつけては、国民の不満の目をそらせる種はつきることはないであろう。

広島同時多発土砂災害のその後:

2014年08月26日 | 社会戯評
広島同時多発土砂災害のその後:
友人のメールによれば、今回は、幸いにも、きわどいところで、何を逃れたそうであるが、避難準備をしたり、広島市安佐北区の太田川の西側と東側で、被害が、著しく、異なったそうである。西側は、相当な被害が出たにも拘わらず、東側は、幸いにも日常そのままであったそうである。もっとも、避難準備までしていたそうであるが、、、、、。天気が多少でも回復すれば、捜索や復少しでも進むのかも知れないが、依然として、天候が不安定であるので、二次災害も含めて心配である。ニュースなどを見ていても、どうみても、停電と真夜中の異常な豪雨と地質学上の問題では、警戒区域指定や特別避難勧告が出るのが遅かったという話どころではなさそうである。既に、避難自体が、命がけの段階だったのかも知れない。それにしても、死者と行方不明者を併せても90人にも達しようとは、凄まじい災害である。「まさか、自分のところだけは、危険は来ない」という心理的な錯覚は、地震や津波や洪水の時に、良く指摘される「人間心理固有の特徴」だそうであるが、いつ何時、危険が自分の身に降りかかってくることを、その場で瞬時に、判断することは余程の常日頃からの危機意識を有していないと難しいのかも知れない。家庭や学校教育の中でも、そうした教育とは、どのように「子供だけではなくて、大人も含めて、」再教育されるべきなのであろう。ツィッターや、SNSも含めて、あらゆるリアル・タイムでの情報収集のみならず、自分の動物としての「本能・五感」を研ぎ澄ましておくことが、普段の日常生活の中でも、訓練されていなければならないのであろう。天気予報を聞くだけではなくて、雲の流れや風の強さや風向きなど、それこそ、鼻もきかせて、身体全体で、天気予報を自分自身で、身につけることも、これからの時代は、必要かも知れない。何でも、岩石のこすれる音や、木の根が切れる音とか、「土臭いこすれる臭い」も、前兆現象には、現れるそうである。もっとも、それらも、豪雨などの音にかき消される可能性はあるそうであるが、、、、。雨蛙の鳴き声や鳥の動きも、雨の気配を先取りする兆候かも知れないし、眼・耳・鼻・口・皮膚感覚も総動員して、「身体を自身のセンサー化」させなければならないかもしれない。それにしても、それぞれ、置かれた環境は各人各様である以上、状況に応じて、判断しなければ、一概には、確かに云えないことかもしれないであろうが、、、、、、。今、グェッ、グェッと雨蛙が一斉に鳴き出したところをみると、雨が降り出す兆候かも知れない。友人は、老体に鞭ながら、ボランティアの手伝いにを出しているそうである。未だ暫くは不安定な天気が続きそうなので、心配である。

「ドキュメント72,動物病院」に愛犬を偲ぶ:

2014年08月25日 | 社会戯評
「ドキュメント72,動物病院」に愛犬を偲ぶ:
何とも、動物病院の3日間を通して、その治療や入院、或いは、緊急入院される犬や猫、或いは、ハムスターなどの小動物を介して、その飼い主・保護者足る人間の様々な人生模様を垣間見るNHKのドキュメント72である。それにしても、ここに登場する動物達は、未だ、幸せなものであろう。人間様でも、こうは、丁寧に、扱われているのかどうか、疑問に思われてしまっても不思議ではない。人間社会に、まだ、これ程のゆとりと余裕が残っているのであろうか?それとも、逆説的に云えば、これは、ごくごく、限られた一部のお金を動物達に使える余裕がある飼い主という人間のエゴなのであろうか?いずれにせよ、これが、今の現実なのかも知れません。私の愛犬の介護の時も、最初から、しっかりとしたポリシー、即ち、如何なる延命措置もとらず、あるがままの自然に任せて、最低限度の治療は行うが、手術などは、高齢でも有り、(18才という、人間で言えば、92才くらいの高齢であった為)行わないという断固たる主張を飼い主である私は、家族の総意として、担当医師に、常に、言い聞かせていたものである。従って、最期の年の狂犬予防注射は、免除申請で、回避もしたくらいであった。出産、病気、手術、生と死との狭間をまるで、人間と同じように、動物達も過ごす以上、口はきけないものの、その表情や仕草には、溢れんばかりの喜びと時には、寂しさと落胆とを表すものである。幸いにして、我が愛犬は、従って、入院することも一度も無く、何とか、18才と4ヶ月という命を全うして、逝ってしまったが、番組の中に出てくる老犬の表情を観るにつけ、介護をしていた晩年の当時を想い起こして、涙が溢れてくる。大人にも子供にも、等しく、彼らは、生命の尊厳を人間のそれと同様に、物言わずに、教えてくれている。今でも、そのぬくもりや仕草は、写真の中や、その家族みんなの記憶の中に、きちんと、生き続けている。齢を重ねて来たせいか、すっかり最近では、涙もろくなってきていけません。この辺で、画面が薄れてきたので、終わります。

富の移転と偏在・格差:

2014年08月24日 | 社会戯評
富の移転と偏在・格差:
代理出産によるくらいでも相続税を回避できないくらい、資産を過大に有する何処かの馬鹿げた人間でない限り、所詮は、この日本社会の中で、親等からの資産という富の移転は、なかなか、相続税の絡みもあって、大体、三代くらいで、消滅してしまうのが、世の習いであろう。余程、節税対策などで、海外にも資産を移せる人間などは、別にしてもである。贈与税の非課税枠の活用だけでなく、その贈与目的の中に、孫への教育資金であるとか、子供への住宅資金の支援、子供NISA枠の拡充など、省エネ・耐震住宅なども含めて、その内容・適用範囲の拡充と非課税枠の増枠も、景気対策の鏡の裏・表のような関係で、検討され始めていると報じられている。確かに、相続税のない国などに較べれば、日本のそれは、とても、厳しいものかも知れないが、少なくとも、富の偏在と格差の問題も今日、一方で存在していることは事実であるが、それ以上に、富の安定的な相続と次世代への移転とが、うまく両立しつつ、行われることが肝要であろう。箪笥預金ではないが、使用されていない眠れる預金口座残高なども含めれば、莫大な価値に相当するような富が、まだまだ、無駄にとは云わないが、有効に資産運用されているとは言いがたいのではないだろうか?コツコツと、資産運用や一生懸命に長い間時間を掛けて、汗水流して働いて貯めてきた資産が、空しく、税金として、召し捕りあげられるのではなくて、「公平な富の移転」がスムースに、進むことを願ってやまない。もっと、もっと、知恵を出せば、眠れる富の公平な移転が行われても良いのではないだろうか?もっとも、一方で、しっかりと、相続税の対象拡大も視野に入れられているのも事実であるが、、、、、、、、。増税と節税、資産活用と富の移転・偏在・格差は、永遠の過大なのかも知れない。

ネット中毒、ギャンブル中毒、薬物中毒、○○中毒、○○依存

2014年08月23日 | 社会戯評
ネット中毒、ギャンブル中毒、薬物中毒、○○中毒、○○依存、、、、、:
言葉というものは、ある種の真実を語るものなのか、それとも、実態を隠す、或いは、真実から、目をそらせることに役立つものなのか、表現が一つ違えば、随分と、マイルドになるものである。一昔前に、一種のダイエット法として、デトックスという手法が持てはやされたが、考えてみれば、肉体的な老廃物も含めて、これらを食物で、一掃するという手法は、医食同源のようで、理解出来ないことはない。しかしながら、それにしても、至る所で、日本中、○○中毒の蔓延なのであろうか?もっとも、○○依存症というように、病名風になると、そんなに事は容易ではない。私の世代には、これまでは、何でも「○○中毒」と言ったような表現の方が、より厳しく、麻薬中毒患者のような響きがしてきて、緊迫感が漂うような気がしてならないが、、、、、。それにしても、スマホの普及や何処でも可能なネット接続の簡便さを主たる背景理由にして、「ネット依存」と称せられる人達が、420万人と推定されるそうであるし、「ギャンブル依存」は540万人、「アルコール依存」は、約109万人だそうである。一体全体、「薬物・たばこ依存」や○○依存という範疇を加えてくると、一体全体、総労働人口数のどのくらいの割合の人間が、依存症(中毒)に関わってくるのであろうか?逆説的に言えば、現代社会というものは、肉体的にも、精神的にも、健康である人の方が、謂わば、一種の「絶滅危惧種」のような存在になっているのではなかろうか?そんな気がしてならない。「依存」等というような生ぬるい表現上の如何にも人権に配慮したようなまやかしの言葉ではなくて、もっと、鋭く、現実を直視できるような「中毒」といった方が適切ではないだろうか?その方が、患者も、その家族も、よりはっきりと、現実を直視し、デトックスにはげむようになるのではないだろうか?少なくとも、同世代の人間としては、濡れ落ち葉的な「女房依存症」には少なくとも、なりたくないものである。下着の置き場も、畳み方も、自分で、出来ますよ的な、、、、、、、、、。何とも頼りなく、情けなくなりますが、、、、、、。これも現実かも知れませんね。

新型メディアによる統制:

2014年08月22日 | 社会戯評
新型メディアによる統制:
街の美観を損ねるとかという理由で、数多くの新聞のスタンド売りが、当局の強い意向により強制撤去されたそうである。しかも、この日常見慣れた新聞スタンド売りという光景には、その販売に依存して、広告収入に頼っている中小民間新聞社の経営にも直接影響を及ぼす事は必至と云われている。その影響たるや決して、小さなモノではない。そんな記事が目にとまった後から、今度は、新型メディアによる新しい宣伝工作媒体の創出を狙って、当局は、ミニブログや対話型アプリの融合を含んだメディア媒体の新たなる管理策を打ち出してくる構想があるようである。成る程、これでは、海外SNSに対する規制で、ツィッターやフェース・ブックも、規制の対象になるのは、当たり前であることが、改めて、再認識されよう。ゲッベルツによる大衆宣伝・扇動やマス・メディア統制などにも、決して、その数と質の優位では、優れども劣らない新たなメディア・ミックスが、これから、いよいよ、現実的に、始まろうとしている。一方、韓国でも、国家元首に関する報道について、産経新聞の特派員を事情聴取するとか、何とも、メディアに関する自由度・開放度の水準というものを考えさせられる出来事が、多く散見されるのは、一体全体、どのように理解したら良いのであろうか?国内外で、メディアの受難時代なのであろうか?それとも、徹底抗戦に徹するのであろうか、将又、お利口さんな自主規制という1億総翼賛体制と言う形で、絡め取られるのであろうか?新聞を読めば読むほど、先行きが不安になってくるのは、私1人だろうか?これは隣の国の話だけは済まされない。

広島土石流災害に思う:

2014年08月21日 | 社会戯評
広島土石流災害に思う:
それにしても、凄まじい程の集中豪雨である。1ヶ月の間に降る雨量が何と2-3時間程度で、降るのであるから、恐ろしい、しかも、真夜中、停電やその地質も相俟って、甚大な被害である。広島安佐南区と聞いて。どこかで、聞いたような名前だと記憶を辿って行けば、何と、学生時代の友人が、広島安佐北区に住んでいることを想い出した。早速、ショートメールで、連絡したら、「今、家の前の山が大事である。女房が避難準備をしている、、、、」と、どうやら、事は、緊急を要し、メールなどしている場合では無い状態である。考えてみれば、80ミリ程度の雨でもそんなに、滅多には、峠越えなども、交通止めの記憶は、それこそ、10年に1回程度であるとおもわれるが、200-300ミリ近い雨が1時間や数時間の間に、集中して激しい雷も伴って、しかも、真夜中に、停電のなか、集中的に、降ってきたら、どうしたらよいのであろうか?学者先生や防災専門家達が、したり顔で、土壌を分析するのは良いが、それでは、こんな火山国の山が険しく、平野が狭く、住むところが少ない日本で、何処に住んだら良いのであろうか?ハザードマップは、無いよりマシであろうが、マップ自体が、何の役にも立たない事を認識すべきであろう。予測も確かに、システムとして、あれば宜しいが、今回のような事例をみても、予測を遙かに上廻るような集中豪雨であることは確かである。所詮、気象庁や行政頼みではなく、自分の身は、自分の本能で、観て・聞いて・臭いを嗅いで、判断しないと、守れないのかも知れない。(もっとも、では、弱者はどうしたよいのかという問題はあろうが、)所詮は、こういう自然災害というものは、防ぎ切れるものではなさそうであることが改めて、認識されよう。たまたま、友人宅は、幸いにも、今回は、難を免れたけれども、一つ間違えれば、どうなっていたかは、分からぬものである。神戸・淡路大震災でも、身近な親戚が被災したり、東日本大震災でも、知り合いが被災したりと、いつ何時、災害に、自分が見舞われるかどうかは、皆目、分からないものである。何年か前に、東京でも、凄まじいゲリラ豪雨で、家の周辺が、50年かぶりに、浸水したことがあったが、いつのことやら、思い起こせない。まさに、「災害は、忘れた頃にやってくる」と云うが、改めて、その時に備えて、何をなすべきかを常日頃から、考えておかなければならないかも知れない。今晩からは、どの部屋に寝るか、部屋の何処に寝るかも考えなければいけない。被災された方々の一にも早い復興と、亡くなられた方のご冥福を祈りたいものである。


「北上広深」そろって、値下がりか?:

2014年08月20日 | 社会戯評
「北上広深」そろって、値下がりか?:
以前、ベトナムに行った折りに、HCMC郊外の新しい新興都市がまだ、建設中で、近くのショッピング・センターの付近の高層マンションが、完成しているにも拘わらず、夜になっても、全く、電気が点っていなかったので、何故かと尋ねたところ、すべて、土地も建物も完売になっているが、みんな投資目的で、まだ、住むような人は、誰もいないと、、、、、成る程、転売目的や将来の値上がり含みで、みんな、総バブル化していることに驚いたものである。いずれ、そんな風潮は、しかしながら、ババ抜き同様、誰かに、ツケが廻されることになるのは必至と、これまでの日本人の経験から、応えたものである。しかしながら、アジアの新興国は、程度の差こそあれ、今日、似たような状況であることは、言を俟たない。もっとも、不動産税とかが、未整備であったり、相続税が課税されなかったりと、どうみても、カネのある持てる人間は、こうした風潮に乗らないはずがない。何とも可笑しな構図である。「北上広深」という北京・上海・広州・深圳、各都市の地価が、揃って、下落傾向にあるという。腐敗汚職キャンペーンで、「裸官」達も、いよいよ、資産処分に、忙しくなるのでなかろうか?それとも、海外逃亡のための資金を至急に捻出するために、手持ち資産を、とりわけ、売れない不動産を、不動産税の導入前に、売却せざるを得ないのであろうか?対中投資が著しく、冷え込みつつあるなか、人件費の高騰と、土地価格の値下がりとが相俟って、永遠に、右肩上がりと信じ込まされてきた改革開放政策の矛盾が、今日、一つ、又一つと顕在化し始めつつある。こうした矛盾を又ぞろ、海外排外主義や国外に敵を作るやり方で、問題解決しようとしても、それ程、人間は、馬鹿ではあるまい。如何に、メディアで、一生懸命に統制監視を深めても、なかなか、この流れを押しとどめる手立ては、出来そうにないであろう。どのように、難問を解決するのか、お手並み拝見である。そして、それは、日本へどのように、影響を及ぼすことになるのであろうか?真剣に、考え直さなければならない。


カメラの眼というセンサー:

2014年08月19日 | 社会戯評
カメラの眼というセンサー:
もう、30年以上も前のことである。アメリカのポテトのフレンチ・フライを生産する工場で、一種の画像処理という当時としては、最先端の技術を活用して、極小の規格外のポテトを空気圧で、除去する工程を、アメリカ人スタッフが、得意げに、説明していたことを想い起こす。その時の驚きと云ったら、口に出せないほど、すごい猛スピードで、人間の目で判断する速さの何百倍者スピードと正確さで、処理されてゆくのを唖然として、見ていたものである。今日、異物混入などにも、X線画像処理技術を活用して、小さな肉眼に見えないような微細な異物までもが、見事に、弾き飛ばされている。何でも、白物家電の不況で泣かされ続けている家電業界も、車に搭載される画像処理のセンサー部品の納品で、今後、一大需要が見込まれているそうである。スマート・フォーンに、スマート・カー、何でも、スマートを冠したスマート・ハウス、スマート・テレビ、姉妹には、間抜けな人間だけを置き去りにして、知らぬ間に、スマートだらけになってしまうのかも知れない。ぐうたら亭主としては、妻だけは、スマート妻であって貰いたいところである。それにしても、何でも自動制御技術が、徹底されると、ぐうたら亭主も、やがては、その餌食に成り下がるのは、時間の問題だろうか?「それでいいのだ!」とは、なって貰いたくない今日この頃である。
PS)
そう言えば、ジェームス・ボンド華やかりし頃に、「それ行け、スマート」というイギリスのパロディー・コメディーがあったが、何とも、主人公演じるところのMr.スマートのスマートさに、笑いを堪えきれずに観ていたことを想い起こした。

細い鉄線と錆びた釘でトンボ細工をDIYしてみる:

2014年08月18日 | DIY
細い鉄線と錆びた釘でトンボ細工をDIYしてみる:
先日、小諸高原美術館で、海野和男昆虫写真展の中で、鉄のオブジェで、昆虫を作っていたのを想い出した。たまたま、ベランダの新築に際して、旧い材木の一部がまだ、使えるので、これを活用して階段やウッド・デッキを作ってみたが、その時に、廃材から抜いた錆びた釘が、何とも、「棄てないで貰いたい」と、言いたげに、玄関の手摺りの上で、訴えかけているようであった。どうも、その錆びた釘の形が、3本を一寸、並べ替えて見たところ、何とも、トンボに似ているような気がしてならない。そこで、先日の鉄のオブジェを想い出したもので、それと同じようなものが、出来るはずがないのは分かりきっている。そこで、海野和男さんの本を見ながら、トンボの身体に似たようなものを試行錯誤で、DIYしてみることにした。頭や複眼の形と手足の形を写真を見ながら、ラジオ・ペンチで、細い鉄線を曲げながら、なんとか、さまになったかでしょうか?カマキリもなかなか、面白そうであるが、こちらは、もう少し、研究をしないと難しそうである。気まぐれDIYだから、少々右脳を暫く休ませた上で、トライしてみたいものである。又、不細工な作品を展示するスペースで、部屋が狭まりそうである。どこかから、そんなクレームの声が聞こえてきそうである。

ワインのコルク栓で、写真立てをDIYする:

2014年08月17日 | 社会戯評
ワインのコルク栓で、写真立てをDIYする:
地元の小さな個性的なイタリアン・レストランの棚に、以前、スパークリング・ワインの金属のコルク・キャップを廃物利用して、ミニチュアのチェアーが、綺麗に飾られていたので、見様見真似で、DIYしてみたことがあったが、今回は、テーブルの上に、コルクの栓を二つ束ねて、POPや、写真立てとして、手作りの品が置かれていたので、コルクの栓を数個、会計の際に、もらい受けてきた。何でも、コルクを2個ボンドで、貼り合わせて、カッター・ナイフで、横方向に、軽く切り込みを入れるだけで、簡単に、出来るそうである。そのように、レジの女性スタッフは、説明してくれた。成る程、バランスを考えて、うまく、ボンドで貼り合わせて、ナイフで、横に線を切り込むと出来上がりである。もう、100円ショップで、写真立てを購入しなくても良さそうである。試しに、ラミネート・フィルムを立ててみたが、なかなか、向こう側までも透けて見えて、面白そうな趣きである。これなら、ワインを飲む度に、コルクを記念に取っておいても、嵩張らなくて宜しいかも知れない。気の置けない友人に対する一寸した手作りのお土産にも、最適かも知れない。コルクの下側を水平にカットして、箸置きにしても、面白そうである。子供の工作にも、いいし、マイ・箸置きとして、使用すれば、子供の食育の一貫にも役立つであろう。なかなかの優れものである。外国の友人へのお土産にも、これは、最適かも知れない。作っていて、そんな風にも感じられた。DIYは、なかなか、夢のある工作で、年寄りの右脳を刺激して宜しいかも知れない。