小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

解雇特区なるものに考える:

2013年09月30日 | 社会戯評
解雇特区なるものに考える:
厚労省までもが反対であるそうである。働き手を守る最低限度のルールは、全国一律であるべきであるという理由かららしい、いかにも、一見、労働者の権利と保護の力強い味方のような気がするものの、本当に、その真意は、そんなところにあるのであろうか?特区なるものは、所詮、今日の閉塞状況を打破するために、試行錯誤を重ねながら、実施するものであり、初めから、マスメディアの主張するごとき解雇権の乱用というものばかりではなかろう、なぜ、いつでも、独断的な予見に基づく、論調になってしまうのであろうか?まことに、残念である。もちろん、そういうことを最終的に、めざしているのではなくても、「力関係」次第では、確かに、そうなるとも限らないことは否定しえないであろう。しかしながら、それが、仮に、初めから、試されていたとしても、「運動」次第では、防げるわけであり、個々人の、それこそ、個人の心持と行動次第ではなかろうかとも思われるが、、、、、、、、、。いずれにせよ、個人的な私的な体験から、言わせてもらえれば、安定した組織の正社員の立場から、ある日、独立して、会社を立ち上げ、事業を起こそうと40数年前に、考えた時には、大きな組織の中には、そういう力を、今でいうところの「子会社」ででも、試してみようかという組織的な意思すらなかったのが、実状である。それにしても、失敗は自己責任であっても、業務委託契約による報酬ベースでの契約は、組織に馴染まないという理由で、結局、選択定年制を志願して、第一期生で、独立してしまった。その時の心情を鑑みると、大きな組織で、21年間働いていたので、気まぐれで辞めたわけではないということくらいは、他人にも理解されようとも考えた次第である。最終的には、自己責任なのであるが、若い人たちに、こういう小さな起業の機会の場すらもないこと自体が、日本の社会の今日的な問題点ではなかろうか?これまで、海外の貿易活動を通じて友人になったベトナム人でもアメリカ人でも、どの国の友人たちも、多かれ少なかれ、独立して、個人での事業を立ち上げて、それなりに、メシが、食えているのは、どうしたものだろうか?一体、何が、その志において、違うのであろうか?税制なのであろうか?起業できない日本固有の雇用システムなのであろうか?本当に、解雇できないからなのであろうか?亡くなってしまった松下幸之助や本田総一郎や井深大にでも、一言、どう考えているのかを尋ねてみたいところである。労働者の権利と保護は、今までの労働協約でも、詳細を煮詰めれば、できないことではなかろうにとも思われるが、、、、、、いつも、何でもかんでも、反対では、一向に、試行錯誤すらできない状況が続きかねないが、、、、、、、、。本当は、解雇したい人間が、解雇できないのではなくて、独立・起業したい若い人たちが、できない何かが、問題なのではないだろうかとも思う。


JR北海道の不祥事に考える:

2013年09月29日 | 社会戯評
=JR北海道の不祥事に考える:
何とも、組織的な品質管理の水準が、劣化してしまったものである。否、日本の組織のそれと言っても、過言ではないかも知れない。これまでの過去の行き過ぎた労使紛争と、その反動とも呼べるような過度の利益至上主義や行き過ぎた合理化やら、組織内部そのものの労働意欲を損なうような風土や
風化が、原因なのであろうか?それにしても、これまでの日本の強みであったところの「個人の責任の高さ」という最後の砦も、あっけなく、バックアップの役割を果たさず、無責任な責任制の放棄と事勿れ主義のために、機能不全に陥ってしまったのであろうか?保安安全監査報告書の発表が待たれるところである。それにしても、JR東海だけの一人勝ちで、地方の利用客の減少に伴う、不採算路線の廃止や、合理化で生じる格差は、何とか、ならないものであろうか?常に、光が当たるところだけで、地方が切り捨てられて、ますます、格差が是正されないような状況では、この先、一体、どうなるのであろうか?公共交通という立場がまだ、存在しうるだけの理由がある以上、貨物も通勤の問題も、地方での対応策を早急に講じなければ、結局、同じような事例が、他の所でも、潜んでいることは、必至であろう。何も、鉄道に限らず、今日、様々な分野で、劣化が進行中であり、これを、如何にして、回復、新たな水準まで、押し上げる方策を、官民一体となって、推し進めない限り、日本の再成長の可能性は、恐らく、ないであろう。鉄道も、航空も、電気も、外交も、政治も、経済もと、全く、気を緩めるところがないのも事実であろうが、、、、、これが、日本の現状なのであろうか?改めて、こうした視点から眺め直すと暗然たる重いがしてくるのは、私1人だろうか?

邦画、「許されざる者」を観る:

2013年09月28日 | 映画・テレビ批評
邦画、「許されざる者」を観る:
クリント・イーストウッドの1992年公開の「許されざる者」の李相日監督(フラガール、悪人)による日本版リメイクだというので、あまり、期待せずに、観ることにしてみたものである。人間の記憶というものは、いい加減なもので、イーストウッド作品の方は、確かに、渋谷東急か、新宿だったかは、忘れてしまったが、確かに観た覚えがある。しかしながら、よく、その話の筋が、思い起こせない。但し、どういう訳か、イーストウッド(渡辺謙)とジーン・ハックマン(佐藤浩市)とモーガン・フリーマン(柄本明)の3人は、頭の片隅に残っているのは、不思議である。「(荒野の)用心棒」ではないが、ストーリーを似せただけのリメイクだけではなしに、全く、「新しいオリジナル・ストーリー」として、その時代背景は、皮肉にも、1880年代の南北戦争後のワイオミングと明治初期の蝦夷地の開拓という時代性軸を同じくしながら描くと言う手法は、なかなか、興味深いものがある。上述の主役の3人は、別にしても、オーディションで選ばれた、柳楽(やぎら)優弥、勿那(くっな)汐里、等は、なかなか、将来が嘱望されていて、面白いキャスティングであろうか?脇役陣も、なかなか、くせ者で、個人的には、國村隼(長州の士)、滝藤賢一(ジャーナリスト役)、小池栄子、近藤芳正(酒場の亭主)、小澤征悦、等が、なかなかの好演ではなかったか?それにしても、明治期の蝦夷地開拓とは、言葉で、「開拓」と言えば、響きは宜しいが、所詮、先住民の「アイヌ民族」との言われなき差別と弾圧、「倭人とアイヌ民族」そして、旧幕府軍残党狩りにみられる、「官軍と旧幕府軍」との闘い、或いは、この物語に出てくる「女郎」という底辺で、「法と秩序」というある種、監獄のような世界で、声も上げられずに、底辺で生き抜かなければならない間達の生き様というか、死に様を見せつけられることになる。それは、北海道という大自然のオープン・セットや、過酷な雪の中での撮影シーンと良い、リメイクとはいうものの、それは、むしろ、イーストウッドと渡辺謙・ワーナー日本法人による、「硫黄島からの手紙」の固い絆のコネクションだけではないもの、即ち、「リメイクを超える何ものか」が、「殺し合い」というものを通じて、何か、新しい息吹きを吹き込んだものだったからこそ、作品が許可されたのではないかと思われるが、、、、、、一寸、言いすぎであろうか?所詮は、勝ち残った者、即ち、生き残った者達だけが語れる歴史であり、ここに登場するジャーナリストは、どのように、後世、書き残したのであろうか?奇しくも、1865年には、南北戦争が終結し、その戦後、1880年代のワイオミングと、明治初期の蝦夷地の同時代性は、何とも、被差別先住民族、アイヌ民族・インディアン、北軍・南軍、官軍・旧幕府軍、虐げられし人々と権力者、法と秩序、など、現代に、置き換えると、どんな言葉が、当てはまるのであろうか?なかなか、考えさせられるテーマでもあるが、、、、、、。DVDで、今度は、20年前のオリジナル作品を観てみることにしようか、、、、、、、、。「一粒で、二度美味しい」かも知れない。



都心を走りながら思う:

2013年09月27日 | 社会戯評
都心を走りながら思う:
と言っても、ジョッギングならまだしも、未だ、歩行リハビリ中の身であるから、車での走行中での話である。何せ、小諸の近郊では、まず、渋滞とやらに遭遇することは、せいぜいが、折悪しく、軽井沢からの帰り道に、知らずに、夕方、通勤ラッシュ等と重なってしまった時くらいであるが、ほとんど、渋滞と言えるほどの代物ではない。とにかく、細い道でも、現地の人は、とりわけ、軽自動車が多いせいだろうか、まず、道幅を気にして、すれ違いざまにでもスピードを落とすようなことはせずに、平気で、ビュンビュンすっ飛ばしてくるのが、習わしである。しかも、ナビのせいかどうかは分からぬが、裏道を詳しく熟知していて、まず、赤信号にも、お目に掛からないとは、恐れ入ってします。それに比べて、久しぶりに、未知のルートを、都心で車で走ってみると、やたらと、左側に、駐車している車が多く、しかも、タクシーは、平気で、ウィンカーを出せば許されるのかとばかりに、急停車して割り込んでくる。従って、片側2車線と言っても、実質的には、右側1車線のみの走行になる。又、車線も、右折専用車線や左折専用車線が設けられていても、多数の車が、とりわけ、大型トラック等がいると、とたんに、長い行列となり、1車線は、ふさがってしまい、結果、はみ出すことになる。要するに、たまにしか、運転していないと、どこの交差点では、右側車線とか、ここでは、左側車線を走行していないと、真っ直ぐにも、進めないと言うことが、事前には、分からないわけである。流石に、ナビでも、どの車線を選択したら良いですよとまでは、推薦・指示することはないのである。おまけに、交通情報で、渋滞・混雑情報を知らせてくれるのは良いが、それに対応して、道を迂回しても、結局は、時間的に、体して変わらない結果になったりと、、、、、、運転のストレスは、如何ばかりであろうか?全く、数時間運転していても、疲れること、疲れること、しきりである。高速道路の出口も、左だけでなくて、右側車線から、降りる出口もあったりで、なかなか、一筋縄ではゆかぬものである。いやはや、都心で、車を運転している人達は、大変な精神的・肉体的ハンディキャップを背負って生きているのではないかと、同情してしまいました。本当に、ご苦労様です。やはり、都心での移動は、地下鉄か、電車でしょうかね?非常に、疲れる一日でした。



歩行介助ロボット・スーツ、「クララ」に期待する:

2013年09月26日 | 社会戯評
歩行介助ロボット・スーツ、「クララ」に期待する:
今年、2月28日付けで、HAL(Hybrid Assistive Limb)スーツの世界安全認証の取得に関して、コメントしたが、今度は、信州大学と長野県のメーカー2社による共同開発で、脚が不自由な高齢者や障害者向けに、下半身に装着して、歩行を介助するロボット・スーツが開発されたらしい。それは、膝の関節部分などに取り付けた装置を使って脚を動かすリズムを読み取り、ロボットの動きに反映させるらしいと。こちらは、5年後を目途にして、実用を目指すと謂われている。この原理は、モーターの回転数を落とし、回転力を高める役割があるハーモニック型の減速機を内蔵した装着装置を取り付けて脚を動かすらしく、装着者が動かす脚の力との抵抗を減速機内にあるセンサーが自動的に計測し、装着者が歩行するのに必要なリズムや力を加減して歩行を助ける仕組みであるそうである。これまでのロボット・スーツは、「強制的に動かすタイプ」が多く、装着者が、思い通りに歩行したいとする「自分の意思を、スムースに反映できなかった」ようである。クララは、これを改善して、「歩行者の動き自体を読み取り、自然な動きに導くことが可能」になったそうである。下半身だけでなく、上半身のスーツも完成予定で、実用化が待たれている。介護・福祉の分野でも、「安全基準」の問題が、クリアにならず、結局、実務レベルでの実用・応用が、頓挫してしまっているのが、実情のようである。ベッドから、移動させるのも、何でも、お姫様抱っこの要領で、ハンモックのように、持ち上げて移動させるロボットも、既に、開発されているにもかかわらず、安全基準の規格が、ネックになって、実用に供されていないらしい。日本という国は、又、何とも可笑しな国である。こんな状況が続くと、又、何処かの国に、実用面で先を越されてしまい、折角開発した高度な技術も、安い工賃で作られたロボットに、実用面で、後塵を拝することになりかねないが、、、、、、産・学・国が、三位一体で、何とか、一日も早く、実用・運用されることを期待したいものである。成長戦略の一部ではないだろうか?



ゆうふる田中のレジオネラ感染に思う:

2013年09月25日 | 社会戯評
ゆうふる田中のレジオネラ感染に思う:
1976年に、米国で、在郷軍人会の老人達が、原因不明の細菌により、死亡したことから、別名在郷軍人病と名付けられたが、その後、これが、空調や冷却装置などに繁殖するレジオネラ菌が原因の肺炎であったことが、判明されたが、未だ、父が存命中に、引退後に、自分の家で、24時間風呂に入れるように、あるフィルター装置を購入して24時間、いつでも風呂を愉しんでいたが、この装置を使用した風呂の水から、肺炎の原因となる「レジオネラ菌」が検出したとかで、結局、この装置を廃棄したことを想い起こす。それにしても、東御市振興公社であるから、HPをみても、謝罪だけで、一向に、その「原因と対策」、「再発防止策」が、何のコメントもないのは、何ともいただけない。しかも、同様の施設は、多数あり、とりわけ、露天風呂などには、鳩の糞や、外部からの小動物の侵入も考えられうるのが、実情であろう。謝罪の王様は、阿部サダヲに任せるとして、本格的な原因究明を、そのアカウンタビリティーの名の下に、説明責任を果たすべきではないだろうか?しかも、他の施設との情報の共有も大切であり、東御市の名前が冠されている以上、保健所だけではなく、情報の公開をしっかりと行うべきではないだろうか?逆説的に謂えば、検査を実施していたからこそ、汚染が検出されたわけであるから、検査のシステムが、機能しているということでもあろう。それにしても、日本の組織おは、東京電力もJR北海道も然り、どうも、説明責任(アカウンタビリティ)が、不透明極まりないが、、、、、どうしたものだろうか?




「思索の土台は言語」におもう:

2013年09月24日 | 社会戯評
「思索の土台は言語」におもう:
「私的十二思考」というコラムの中で、作家であり、医師でもある、夏川草介氏がなかなか、面白いことを書いている。思索と言語とは、不可分な関係にあり、一寸、過激な物言いを許されれば、「分かってはいるが、うまく説明出来ない」ということは、「分かっていない」ことと同義で、「言語こそ第一なのだ。意は二の次である」とまで言い放った小林秀雄は、この事実を痛感していたからこそ、思索の達人たり得たと、、、、、、。「揺るぎない思索」の為には、「揺るぎない言語」が必要なのであるそうだ。その点、今日の英語教育は、日本語の有する固有の特徴である、最期まで読まないと、肯定なのか、否定なのかが判読し難い構文であり、英語のように、まずは、結論ありき、後に、何故ならば、、、、、というものとは、異なるわけで、ヘタをすれば、小さい頃から、英語教育に、染まってしまうと、思索力そのものを低下させてしまう恐れがあるかも知れないと、、、、、、、。若干、この点は、私的な経験から言わせて貰えれば、自分達の子供は、帰国子女であるが、小さい頃から、まずは、家庭で、徹底的に、日本語教育、とりわけ、絵本や、読書を通じて徹底的に、日本語教育を行い、家庭外では、英語での生活であったが、それ程、思索力が低下したようには、思えないが、、、、。いずれにせよ、どうやら、重要なことは、英語力を学んでも、古典を通じて、「揺るぎない日本語力の構築が不可欠」なようである。むろん、ビジネスの世界では、英語が、共通語であるものの、そこでも、やはり、思索は言語化されるものであり、それが前提の行為となり、換言すれば、「言語化されない思索は、あり得ない」と言うことも事実であるようである。社会人になってから、私は、英語を使い始めたわけであるが、もっと、英語教育と日本語教育とを早い時期からでも、勉強或いは、教えて貰っていたら、もっと、苦労しないで済んだであろうにとも、思われるが、英語教育を喧伝されればされる程、逆説的に謂えば、「日本語教育の弱体化」が、あらわになるのかも知れない。もっとも、現役引退後は、言語中枢を司る「左脳」よりも、音楽や踊りや絵画などの芸術系を司る「右脳」も、より重要であることを、再認識しているのが現状である。もっとも、この両方をバランス良く、どのように、子供の頃から、育成する教育をすすめる必要があるのだろうか?家庭でも、学校でも、地域社会でも、、、、、、、、。年取ってからでも、まだ、遅くはないであろうか?どうしたものであろうか?



村の風景カフェ巡りに参加する:

2013年09月23日 | イベント 祭 催し
村の風景カフェ巡りに参加する:
信州こもろ風景遍路のマップのルート2.御牧ヶ原(空と丘と森の詩)を散策する森と丘のコース、1周約3.7キロ、約90分)のコースを、東京からの参加者も含めて、老若男女20余名ほどのグループで、茶房、読書の森を出発点として、大小様々な溜め池や遠く、浅間山や佐久平の景色を眺めながら、細い農道の畦道をテクテク歩き、途中で、別荘地内の佐々木さん宅の林の中で、前日から時間をかけてじっくり煮込んだお手製のビーフ・カレーと各種ハーブ・ティーとピクルスを、昼食で戴き、御牧ヶ原の風景とカ フェ巡りを堪能した。「丘の上のブランコ」を吊した松は、残念乍ら、松食い虫で茶色く枯れ果ててしまい、10月初めには、切り倒されてしまうらしいとのことである。誠に、この浅間山を望む、小さな溜め池のほとりの「丘の上のブランコ」の情景は、まるで、風景という絵画の一部を切り取ったような趣きである。既に、田んぼでは、黄金色に輝き始めた稲穂が、刈り取り始められようとしている。栗の大きな実が、道端に転がっていたり、そして、子ぎつね天文台の脇を通り抜け、白土馬鈴薯に適した粘土質の白土の道を、進んで行く。まるで、拳大の大きさのこぶしの赤い実が、森の小径のなかに、みつけられる。それにしても、丘の上の大きな一本の樹といい、馬鈴薯畑の茶色の肌合いや白い道と謂い、まるで、台地と空が、一体となるかのような北海道の風景を彷彿とさせるような雄大な情景である。四季に応じて、変化する御牧ヶ原の情景を、今後とも、歩きながら、実感してみたいものである。




「加倍奉還!」とは:

2013年09月22日 | 映画・テレビ批評
「加倍奉還!」とは:
成程、うまい具合に、中国語翻訳されたものである。中国でも、海賊版や無料動画サイトから、半沢直樹の人気が、地下水脈のように、この「倍返し」と言う言葉と一緒に、密かに、人気を博しているとか、、、、、。その昔、天安門事件の後で、テレサ・テンが、その政治姿勢を批判していた頃、中国では、「昼は、10億の民を鄧小平が支配し、夜は、鄧麗君が、支配する」と密かに、言われていたことを想い起こす。鄧麗君とは、言うまでもなく、テレサ・テンの中国名であるが、、、、、、。無料動画も、DVDの海賊版も違法なコピーで、著作権料が、払われているわけでは決してない。今日、北朝鮮でも、どこの国でも、簡単に、国境を超えて、「文化や娯楽」が、密かに、浸透して行くのは、抑えられようのない事実であり、世の習いであろう。それにしても、このドラマの堺雅人や香川照之演じる主人公達の演技もさることながら、その「ドラマの有する社会的なテーマ」である、「悪いことをすれば、倍になって還ってくるという倍返し」が、何故、中国の大衆に、そんなに、受け容れられるのかということを一寸思案してみるだけでも、実に面白いものがある。反日愛国教育で、散々、反日デモで、日系企業を破壊し尽くし、しかも、全く、法的な損害賠償保険求償も、実施されていない現状で、彼らは、このドラマが、日本で製作されたことを知っているのであろうか?当然、知っているであろうし、又、その社会テーマが、中国の場合には、どこに向けられるべきなのかは、為政者のみならず、大衆は、十分、知っているはずであろう。そう考えると、「半沢直樹」人気は、何も、日本のみならず、全世界的な共通する課題に、繋がる拡がりを有しているのかも知れない。はてさて、最終回の結末は、どのような筋書きになるのであろうか?中国の為政者のみならず、恐らく、裸官や中国の大衆は、きっと、食い入るように観るのであろうか?



蚊帳の想い出:

2013年09月21日 | 社会戯評
蚊帳の想い出:
信濃毎日新聞の投書欄に、あるご老人がお孫さんに、一夏の想い出に、自宅で、蚊帳を吊って一緒に就寝したそうである。そして、お孫さんが、帰り際に、その蚊帳の想い出と共に、「有り難う、又、来るね」と言って別れたことに、感激して、涙したそうである。そう言えば、今や、家の中で、蚊帳を吊る家は、随分と少なくなってしまったのであろう。それでも、アフリカなどでは、日本製の蚊帳が、その繊維質の中に、殺虫剤を練り込むという特殊な高度な技術で、輸出を伸ばしていて、現地でも非常に好評を博して、マラリアの罹患防止に役立っているというようなことを何かの記事で、読んだことを想い出す。私も、まだ、子供だった頃、父方の祖母に連れられて、静岡の実家で、緑色の大きな蚊帳が、吊られている部屋で、一緒に、寝たことを想い出す。もっとも、その時は、大きな天井の梁が、むき出しで、しかも、そこに、青大将が家の守り神として、棲んでいると聞いたものだから、蚊帳のことや、薪割りをして、焚かれた熱かった五右衛門風呂の想い出よりも、そちらの方が、子供心には、どういう訳か、印象が強かったことを想い出す。海外出張の時には、東南アジアの僻地の現地のホテルに、投宿すると、予期せずに、ベッドの上から吊された白い蚊帳に出くわして、感激することがある。もっとも、ビジネス・ホテルだから、それよりも、蚊に刺されて、デング熱になることのほうが、より心配ではあったが、、、、、。リゾート・ホテルでのおとぎの世界のようなモスキート・ネットも、何か、非日常のような世界で、感激してしまう趣きがある。蚊帳は、そんな想い出に、時を超えて運んでくれるようなものであろうか?蚊帳を吊って、団扇で、扇いでもらいながら、子供達が寝るのも、良い想い出になるのではなかろうかとも思う。



オリジナル創作絵本「だから、わたしは”ラッキー”なの!?」ココデ出版、9月26日発売します:

2013年09月20日 | 書評・絵本
オリジナル創作絵本「だから、わたしは”ラッキー”なの!?」ココデ出版、9月26日発売します:
オン・デマンド出版の形式で、OPS出版(ココデ出版)から、9月26日に、出版する予定で、ネット書籍販売を、アマゾンでも紹介中です。日本語と英語とで、併記してみましたので、海外の古い友人達にも、紹介できるのではないかと、企画してみました。この延長線上で、今度は、古い友人でもあるベトナム人留学生出身のレ・チャウ・アンさんに英語とベトナム語とに翻訳して貰い、ベトナムでも、出版してみようかとも、考えています。果たして、出版の自由の制限がある国ですが、色々と手を尽くして、試行錯誤してみようかと生来の楽天主義で、考えています。これも、年寄りの手慰み、贅沢な「どうらく」と諦めて貰って、トライしてみたいと考えています。どうなることやら、、、、、アニメも面白そうかなとも勝手に思っていますが、こちらは、一寸、予算が大掛かりなので、尻込み、思案中です。夢は、夢で、少し、後に残しておくのも、宜しいのではないでしょうか?後日、途中経過は、又、ブログにアップする予定です。
(アマゾン書籍ネット販売紹介文):
アマゾンのHPから、本:ISBN: 4903703789 で検索可能です。

殺処分を自分の力で、口笛の呼びかけに応えガス室から、生後わずか3ヶ月の死の淵から生還し、18歳4ヶ月まで(人間では92歳の長寿です)生きぬいた犬の一生を通して、子供達に、自らの人生は希望を持って、自分の手で勝ち取ること、どんな別れもものともせずに、一生懸命生き抜くこと、生命の大切さと尊厳、そして、これからの人生への教訓として受け止めて貰いたいと願って書きました。日本語だけでなく、平易な英語版も同時に創ってみました。自分の人生を自分で勝ち得たので、ラッキー(幸運)と名付けられたのだよね!と締めてみました。しかし、本当に、そう思っていたのかどうかを私に答えることなく、逝ってしまいました。私は今、繰り返し自問しています。もし、お子さんに動物を飼いたいと言われたら、決断する前に、必ず、一緒に読んでみて下さい。

This short story was written based upon the real story of deserted dog, who paved its own life by hands out of the Gas chamber when it was 3 months old , and saved her life to find new life and new family to live till 18 years and 4 months(if compared to human age, almost 92 years old). I do wish young children read this story and study how important it is to pave its own life by themselves like this dog. And they can perceive the dignity of Life, Death, Parting、I do hope. I wrote in both Japanese and easy English. And ended this book you are named Lucky as you paved your own life by yourself. She, however, suddenly passed away with No answer to me. question on if she still thought her life was really Lucky or Not. Now I repeatedly question to myself. If you are asked by your children to have animal, please make sure to read this book with them prior to decision .

(アマゾン書籍紹介のURL):
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%81%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AF-%E2%80%9D-%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E2%80%9D-%E3%81%AA%E3%81%AE-%E4%B8%AD%E6%9D%91/dp/4903703789/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1379210747&sr=1-1&keywords=%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%81%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%81%AE
或いは、(OPS出版のHP)から入りますと
http://www.opsco.jp/
最近の新刊・復刊情報でイメージが見られます
http://www.opsco.jp/modules/news/article.php?storyid=48
ご参考まで、



買い物に於けるデフレ心理を考える:

2013年09月19日 | 社会戯評
買い物に於けるデフレ心理を考える:
猪瀬東京都知事が、「デフレ心理からの脱却」という言葉を使っていたが、実に、当を得て妙であろう。女房殿が東京へ戻ってしまうと、自分で、日常の買い物をしなければならず、自ずと、主夫(?)の買い物スタイルが、嫌がうえにも身につくことになる。これまでは、現役の時には、せいぜいが、マーケティング目的か、お昼ご飯の値段か、コンビニでのお握りやサンドイッチか、ソフトドリンクの値段止まりであったが、今や、諸々の食料品の値段が、頭に、自然とインプットされてきた。とりわけ、日帰り湯治客であるから、風呂上がり後での買い物は、時間的には、夕方に買い物をすることは、余程のことがない限り滅多にない。すると、面白いことに、賞味期限が一日でも短い商品は、必ずと行って良いほど、表示価格が、ダウンしていて、赤い表示のラベルが、一寸大きめに、上から、貼られているので、自然とそちらへ、「消費者目線」が、誘導されてしまうのは、困ったことである。まぁ、困るかどうかは、別にしても、消費者心理というものは、恐ろしいもので、これに毎日慣らされていると、もう、正規の価格が、一体、何を意味し、賞味期限とは、一体、何なのであろうかと、思えてくるから不思議である。しかも、現役世代は、可哀想なことに、決して、こうした「訳あり商品」は、余程、別の棚にでも、眼を凝らしていない限り、なかなか、お目に掛かれないものであるから、可哀想である。せいぜいが、夜の8時頃の店じまい寸前か、大雨で、客足が鈍ってきた夜とかでないと、総菜の半値サービスには、出くわすことはないであろう。もっとも、知恵の長けたミセス消費者は、決まって、毎日、そうした時間帯を故意に狙って買い物にゆくということも風聞したことがあるが、、、、、、、。それにしても、この「デフレ心理」というものは厄介であり、如何にしたら、払拭しうるのであろうか?もはや、今日では、一物二価どころか、三価、四価、否、五価、六価も、当たり前になり、販売促進、賞味期限切れ寸前、訳あり商品、他社競合品同一価格対抗値下げ保証など、一体、「商品の価値・バリュー」とは、何から、成り立っているのであろうか?更には、投下労働値、ライセンス料、宣伝広告費、エネルギー・コスト、等々、本当の意味での「賢い消費者」は、どういう買い物心理なのであろうか?それとも、やっぱり、棚の奧に隠れているような赤い大きなラベルの値下げ品を買い求める消費者心理に、喜びを感じ、一円でも節約できたと、思い込み、無駄な買い物をついしてしまうものなのであろうか?一体、「賢い買い物」とは、どういうことで、そのようにしたら、「デフレの心理的な脱却」は、可能なのであろうか?そう言えば、決して、学校では、そういうことを学んだことは、又、教えられたこともなかったような気がする。父や母からは、どうであったのであろうか?何!奥様から、今、再教育されていると?!恐れ入りました!結局、又、賞味期限の一日短い赤い目立つラベルに吸い寄せられるかの如くに、手が、自然とそちらの方に、伸びてしまいました。我が心の内なる「デフレ心理の脱却」は、程遠いようです。



明神館の湯に入る:

2013年09月18日 | 自然・植物・昆虫
明神館の湯に入る:
ゆうふる田中の施設で、レジオネラ菌が検出されたとかで、1週間ほど、休業を強いられることになったと、、、、、、、。従って、月例会員権を有する人は、共通施設を利用できるとかで、久しぶりに、八重原にある明神館ビレッジの湯にゆくことになった。内風呂からの眺めでは、ガラス越しに、左手に、浅間山から、三峯・湯ノ丸へと連なる連山が眺められ、正面には、御牧ヶ原台地を見据え、右手には、遠く、八ヶ岳の山々を、遠望できる。露天風呂では、むろん同じ眺めではあるものの、台風一過、既に、今日は、少々肌寒い風で、秋茜の尾の色も赤い色が一段と赤味を増しているように感じられる。少々、硫黄分が強いような臭いがしないことはないが、やはり、温泉も、ところが変われば、その湯、その湯で、成分も異なり、何とはなしに、面白いものである。景観も、浅間をみる角度も、異なり、普段見れなかったような山並みも、これ又、肩までゆっくりお湯に浸かって眺めていると、実に、飽きずに、新鮮に見えてくるのは、可笑しなものである。色々な日帰り温泉を愉しむのも、実に、贅沢なものである。見ず知らずの一時の地元のお年寄りとのたわいない日常の会話にも、「ごゆっくり、お先に失礼します」と一言、立ち去り際に、告げるのも、なかなか、乙なものである。何でも、今朝、一度、入ったものの、又、今日は、2度目の入浴だそうである。何とも、羨ましい限りである。寿命が延びるわけであると思った。これまでは、朝、顔を洗うときも水が、冷たく感じられたが、今朝は、何とはなしに、暖かく感じられたのも、又、窓を開けたときのやや涼しげな空気の気配も、移ろいゆく自然の秋の手配が、漂い始めたようである。気が付けば、蕎麦の花も、或いは、稲穂の色も、黄金色に変わり、稲刈りの季節が間近であることを告げているようである。やがて、木々の緑も、一面、絵のようなグラデーションに富んだ色合いに、今年も、徐々に、変化して行くのであろうか?簾を干して、そろそろ、しまう準備をするとしようか?



井上井月が俳句にした衝動を踊りで表現するとは?:

2013年09月17日 | 伝統工芸・展示会
井上井月が俳句にした衝動を踊りで表現するとは?:
腰の手術以来、歩行という何気ない動作に、不自由を感じ始めると、リハビリをしている時にも、頭の中では、自由に、歩いている頃のことや、爪先立ちが自由に出来たりしていた頃のことを夢想するようになる。そして、踊りとか、ダンスとか、それは、クラシック・バレー・ダンスでも、コンテンポラリー・ダンスでも、それこそ、最近、上田ねぷた祭りで実際に観て驚かされた創作ヒップ・ホップばりの浴衣を着た盆踊りダンスでも、そこに、肉体による一種の表現力を伴ったコミュニケーション表現に、何とはなしに、憧れてしまう。あんな風に、踊れたら楽しいだろうなぁと、、、、、、。それは、60年代後半の土方巽らの山海塾の「肉体の叛乱」ではないが、どうも、気になってしまう何ものかがそこにはあるようだ。そんな中で、幕末から明治期にかけて、伊那谷を放浪しながら作句した俳人、井上井月に因んで、舞踏家の田中泯(たなか みん)が、330人もの観客の前で、その女性観を1時間に亘って踊りを演じたという記事を見つけた。曲に合わせて、その独特な刺激を受けて、自分の中で何かが動くその「俳句の心的な内面の衝動」を「踊りを通して、表現した」そうである。YOU TUBEとか、何かで、是非観てみたいものである。誰か、アップして貰えないであろうか?ある程度は、田中泯という舞踏家の動きは、想像は出来るものの、それが、どのように、表現されたのは、想像でしかない。新聞の記事の中の小さな写真だけでは、なかなか、その表現を理解するには難しいわけである。それにしても、伊那谷地域は、文化的に、面白そうなところである。大鹿村・下条村の田舎歌舞伎の保存と言い、、、、、。何か、舞踏を理解する文化的な素地でもあるのであろうか?残念乍ら、一度も、脚を踏み入れたことはないが、一度は、訪れてみたいところである。YOU TUBEでみる舞踏家の田中泯や土方巽の表現力とは、今尚、ビデオでみても、その不可解な表現力は、魅力的であることは間違いないであろう。ゾンビみたいな動きだから、自分でもやれそうだろうか?小さな子供でもいれば、一緒に、踊りで、その思いの丈を表現するお遊びも面白いかも知れませんね。例えば。今日の一日あったことを踊りで、子供に、表現して貰うとか、、、、、、。そして、今度は、お父さんに、そして、お母さんに、、、、、と、、、、、、。そして、それを互いに、何を表現していたかを当てっこするのも、ゲーム機よりは、ずっと、面白いかも知れません。



祢津東町歌舞伎、「一谷嫩(いちのたにふたば)軍記、熊谷(くまがい)陣屋の段」を愉しむ:

2013年09月16日 | 伝統工芸・展示会
祢津東町歌舞伎、「一谷嫩(いちのたにふたば)軍記、熊谷(くまがい)陣屋の段」を愉しむ:
今春に、祢津東町歌舞伎舞台で野外での地芝居を満喫したが、更に今秋には、満員札止め盛況の市民会館での公演である。私の家は、行政区域では、小諸市に属するものの、御牧ヶ原の里山だから、行動半径はどうしても、旧北御牧・東部町にお世話になってしまうのは実に皮肉なことである。何でも、開演前の解説によれば、長野県には、地芝居の保存は、大鹿村などの天竜川系が、有名であるものの、千曲川系のそれは、今や、東御市の祢津の東・西町のみになってしまったらしい。その理由としては、徳川家の直轄知行地であったことが関係しているらしく、江戸との連絡の際に、農民やお供のもの達が、江戸歌舞伎を当時から堪能して、この娯楽文化を自分達の故郷にも、根付かせたいという強い思いから、今日まで、伝承されてきたものであるらしい。それにしても、260年以上もの長きに亘って、地道に、地芝居として、田舎歌舞伎の伝統文化が、今日まで、幾世代にも亘って、職業や年齢・世代を超えて、継承されてきたことは、大変な無形文化財であり、確かに、千曲川無形文化遺産というものでもあれば、顕彰されてもよいくらいのものであろう。併設展示されていた歌舞伎史資料展の写真や旧い資料を眺めると、まだ、テレビや映画などの娯楽が無かった時代でも、終戦の翌年の物資が乏しい頃にも、人々は、勇んで、自費で、再興に努力し、喜び勇んで参集している多くの住民達の明るい顔が見られる。江戸時代からのそういう観客や地元の役者の熱情を、今日、想像するだけで、何か、気持が和らいでくる。歌舞伎という伝統芸能野田市ものを通じて、何代も前のご先祖様が、どのような気持で、同じ芝居を観たのかを想像するだけでも、場所を超越して、当時の時間を一緒に共有することは、実に、価値があるのではないだろうか?ずっと、墓参りなどより、身近に、先人を感じることになろうか?それにしても、長い台詞・口上を、素人衆が良く憶えるだけでなくて、うまく芝居をするものである。しかも、舞台装置や大道具や小道具も、役者兼大工さんやイラストレーターさん達が、手仕事で、器用に製作したそうである。これにも、又、驚ろかされてしまう。来年春には、野外の東町歌舞伎舞台が、その観客席の土手一面が芝生に蔽われて、屋根瓦や舞台も改修されるそうである。これ又、楽しみなことである。入口付近で、「祢津煎餅」が、復活、振る舞われたが、これは、同地区出身の著名な画家である丸山晩霞画伯が、磯辺鉱泉煎餅のような味の煎餅に、12名勝風景画のデザインを刻印して大正の頃まで販売されていたものの復刻版であるらしい。こういうものを地元のツルヤ等のスーパーや産直売り場、高速道路のSA、道の駅にでも、PB商品だけでなくて、販売して貰いたいものであるが、、、、、。「祢津歌舞伎煎餅」とか謂うブランドで、しかも、保存協賛支援金込みとかで、観光協会も、もっと、支援すべきではないでしょうか?「祢津歌舞伎揚げ煎餅」というものも、販売してみたら良いのではなかろうか?デザインも、研究してみたら、面白いのではないでしょうか?何も、高いお金を払って、新装なった東京、東銀座の歌舞伎座に行かずとも、年に、2回の公演で、様々な演目を堪能させて貰い、先人との時間を共有できれば、実に、愉快なことである。演目に先立って、舞われた開幕儀式としての「三番叟(さんばそう)」も、なかなか、見事なものであったし、舞台右端に位置した義太夫と三味線も、野外舞台では、顔しか見れなかったが、室内では、身振り手振りまで、しっかり見えて、とても、興味深かった。黒子・貢献・裏方、皆、保存会の皆様、ご苦労様でした。又、次回が、おおいに愉しみになった。入場料が、無料であっても、保存会支援のカンパの募金箱があっても良いくらいの盛況であった。平家物語の敦盛・熊谷直実・義経を題材にした、「闘いの世の無常と人生の儚さ」を描いた、江戸古典歌舞伎の人気作の粗筋などは、下記参照して下さい。舞台に登場する「桜の制札」に書かれている、「桜の花の枝を一本切り取る者がいたら、指を一本切って捨てるぞ」という花をこよなく愛でる愛護する制札に因んで、「一枝を斬らば、一指を斬る」は、「一子を斬る」という意味に、同じ「シ」の音で、敦盛の首の謎かけになっていることも、初めて知りました。

参考までに、豆知識用HP: ご参考まで、
歌舞伎、「一谷嫩(ふたば)軍記、熊谷(くまがい)陣屋の段」のあらすじ:
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/16/http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%B0%B7%E5%AB%A9%E8%BB%8D%E8%A8%98
「祢津煎餅」とは:
http://www.ueda.ne.jp/info/2013/0905-2.html「三番叟」とは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%AA%E5%8F%9F