<言葉の軽い時代になったものだ!>:
加齢と共に、眼や指先の衰えがすすみ、大丈夫だと思い込んでいた腎臓機能も油断していたら、一向に数値が改善されず、結局、ドクターから、最後通牒を突きつけられ、やむなく、本格的な管理栄養士の監視下での食餌運動療法と血圧・体重のデータ提出による月一の通院となり、既に、二ヶ月目に突入となりました。めっきり、読書量は激減し、ブログの更新も、遅れ気味で、様々な世間の出来事にも、コメントをしたくても、なかなか、その気になれず、ズルズルと今日に新年が明けても、至ってしまいました。
50年前の怒れる若者(イカレタ馬鹿者)であった私は、当時、大江健三郎や三島由起夫や、吉本隆明や、高橋和巳などから、イヤと言うほど、毎日、<その言葉の重み>と<行動との関係性>を、考えさせられる日々を過ごしてきたモノです。尤も、そんな彼等も、今や、大江のみが、存命中で、皆、鬼籍に入ってしまいました。
それにしても、森元首相や、麻生某の呆れた物言いには、口が塞がることがありませんし、コメントのしようがありません。実際、戦後生まれの男女同権意識を子どもの頃に、すり込まれた戦後民主主義の申し子であり、教え子チルドレン世代の我々には、何とも、奇妙に思えてなりません。ビジネスの世界でも、言葉に出してはならないことを出せば、どうなるかは、分かっていても、本音が、内々の会議の中で、ポロッと出てしまうモノなのでしょうか? アメリカ人なども、Lady Firstなども、本音のところでは、実際どうなのかは分かりませんが、況んや、人前で、ダーリン、愛しているよとしょっちゅう言うのも、実は、離婚訴訟の時に、不利にならないように、普段から、自己防衛のために発言しておくのだよと、極めて、本音に近いジョークとも取れるような旦那だけの酒の席でアメリカ人の模範的な旦那様から、聴いてことがあります。
それでも、場と相手と、TPOをわきまえて、常に、発言することを求められ、訓練されてきた者達は、皇室や貴族ではないが、言葉に対して、一種の制御を課しているのかも知れない。
振り返ってみれば、50年も前には、三島由起夫に、<最後の最後まで>というのは、結局、<最期の最期まで命を賭して>ではなくて、その言葉をただ単に、スローガンのみに使うだけで、結局、君達の行動は、<言葉の遊び>で、勇ましいことを言っていても、<言葉と行動が伴っていないではないか>と、鋭く、喝破されたことを思い起こす。それでも、吉田松陰の言葉を想い出して、<いつでも、この時が死するときであると思い立ったら死ねば良いが、今はその時ではないとすれば、逃げても一向に構わない>とも、だから、その後も、何故かしらぬが、半世紀もの間、生き恥さらしながら、言葉を選びながら、延びてきてしまったのかも知れない。
官僚というものは、主人の意向を忖度して、行動するモノであれば、主人とは、国民であって、人事権を握っている内閣府ではないはずで、よくもまぁ、ロッキードの頃の小佐野の、記憶に御座いませんとか、<言葉遊び>に、終始できたモノある。又、総務省の接待問題でも、昔の大蔵官僚によるノーパンシャブの接待事件をすっかり忘れて、公務員倫理規程を空文化する行動も、全く、理解に苦しむものである。戦後70余年もすれば、戦争の教訓も、忘れっぽくなって来るモノだろうか?