こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

2005-04-14 05:05:31 | 時間
イースター休暇も先週で終わり、ルーヴァンの街にも学生が戻ってきた。学部生は18歳から21歳ぐらいまでだから、見るからに若い。自転車で走っている彼らを見ると、若さの特権みたいなものを感じる。

もう一つ思うのは、年を取った人が、若い人とちょっと違う顔つきをしていること。どちらかと言うと鉤鼻の、いかにも西洋人という顔つきの人が多いのだ。人間の顔は、一生のうちでそんなにも変わるのだろうか。

11年前に在外研究に来たときにも、同じことを感じた。そのとき書いた文章がある。まだ未発表なので、ここで紹介することにしよう。世代によって顔つきが変わっていくということは、人間が歴史的な時間の中で生きている証拠なのかもしれない。


顔は心の窓?

都筑 学(中央大学)

 3月末から、在外研究でベルギーのルーヴァン大学に来ています。ルーヴァン大学は、ブリュッセルの近郊にある人口8万数千人のルーヴァン市にある、学生数2万数千人を誇る大学です。大学創設は1425年。メルカトール、エラスムス、トーマス・モアなどを輩出したヨーロッパでも古い部類に入る大学の一つです。心理学科は教育科学科、社会・文化人類学科と一緒に、心理・教育科学部を構成しています。2年間で基礎課程を終え、それに続く3年間の勉強でLincentiate(修士号)を取得することができます。
 ルーヴァンは大学とビールの町と言われています。ヨーロッパの古い町並みが美しい市内のあちこちには、大学の建物が点在しています。町中がキャンパスだと言ってもよいかもしれません。大学は9月26日から新年度を迎えました。町のあちこちに学生が溢れ、朝早くから夜遅くまでとても賑やかです。
 9月21日には、心理・教育科学部の卒業式があったので、式場に出かけて行ってみました。最初に、黒いガウンを羽織った教授陣が入場し、重々しい雰囲気で式は始まりましたが、中身は日本とたいして違いがなく、1時間半ほどで卒業式は終わりました。その時に気がついたのは、卒業生に混じって父兄の姿が多かったことです。日本では、大学の入学式・卒業式に父兄が来るのはかなり一般的になってきていると思いますが、ルーヴァンでも同じ光景を見るとは思わなかったので、ちょっとびっくりしました。式の後で、私が今お世話になっているレンズ教授に、そのことを話したら、ここ数年、卒業式に父親・母親同伴で来る学生が多くなったと言っていました。
 もう一つ、9月に入って目立ったことがありました。ルーヴァン大学の学生は、その大部分がアパートかカレッジに下宿して大学生活を送ります。そこで、新入生は授業が始まる前に、自分が暮らす部屋を決めたり、大学の登録をしたりしなければなりません。9月になると、市内地図を片手に町中を歩く青年を多く見かけるようになりました。その中には、母親や父親らしき年配の人と一緒の青年が相当の数いました。私が直接見たケースではありませんが、大学の事務所で、登録用紙に母親が記入している傍らで、ただボーッと立っている新入生の男の子がいたそうです。これまた、日本の様子と何やら似ているではありませんか。
 私の頭の中には、ヨーロッパやアメリカは個人主義の国で、小さい時から自立するようにしつけられているというイメージがあります。しかし、現実に自分が見聞きすることがらは、そのイメージとはやや違い、未熟な青年という印象の方が強く感じられます。学生たちの顔つきを見ていると、幼い顔立ちの人が多いような気もします。そう言えば、ルーヴァンに来て間もなくの頃、ベルギー人の顔つきのことで家内と話したことがあります。その時の疑問は、なぜベルギー人は若い時にはやさしい顔つきなにに、年を取るといかつい顔つきになるのかということでした。私は、それを聞いたときに、昨年の大会のシンポジウムで、シンポジストの一人の長野精二さん(日立金属(株)磁性材料研究所)が、新入社員の集合写真を年代別に比べてみると、最近の新入社員は顔つきが幼くなっている、と言っていたことを思い出しました。もし、そのことが普遍的な事実だとすれば、ベルギー人は年を取ると顔つきが変わるのではなく、ベルギー人も世代によって顔つきが違うということになるわけです。「40歳(?)になったら自分の顔に責任を持て」と誰かの有名な言葉があるように、精神のありようは顔つきにも反映するのだろうと思います。顔つきを判断する客観的基準はありませんが、このような面から青年の心に迫るのもおもしろいと考えたりしています。