こころ模様
人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。
 



映画、アダムスファミリーを観た。出てくる中学校が、「ふつう中学校」という名前だった。
ふつうとは、一体なんだろうか。アダムスファミリーは、ふつうには見えない。
町の子どもたちが通っているいじめがはびこっている学校も、ふつうには思えない。
でも、そうした学校が、広く見られれているのなら、それがふつうなのかもしれない。
ふつうって、何だろう。誰がふつうで、誰がふつうでないのか。
映画、アダムスファミリーは、そんなことを深く考えさせるものだった。


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このところ、急激に秋が深まっている感じがする。Tシャツから、半袖へ、そして、長袖へ。裸足から靴下を履いて。少しずつ、季節の移ろいを感じる。これが季節の移ろい。

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雨の一日。外出は2回。ポストに郵便物を投函。図書館へ借りた図書を返却。

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5が3つも続くと、とてもいい前兆のような気がする。
555
Go Go Go
ただし、あまりいい気になって進むと、どこかで赤信号に遭遇することになるので、要注意。


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自分は、いい加減に歳を取り、若くはないが、若い人を見ていると、いいなと思う。自分が若い頃、そんなふうに見られていたのだろうか。それはわからないが、とにかく若いということは素晴らしい。そんなことを思う機会がある度に、自分に何ができるのかを考え、そして、それを実行していきたいと考える。

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これまでにいくつもの原稿を書いてきた。その中での法則。
それは、締切のない原稿は書けない。というものだ。
今も、そういう原稿を抱え、そして、苦悶する。ああ。


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うつむきがちな毎日。空を見上げてみよう。空は大きく、そして、美しい。そんな空を見上げると、少しだが希望が湧いてくる。
隣にも、空を見上げる人が。みんな、希望を待ち望んでいるのだ。


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そうだなんだ。人生は一度きり。一旦決めて光度したら、元には戻れない。
〜したら、も、〜すれば、はない世界のなのだ。
そう、人生にはタラもレバもない。野球がそうであるように。



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4月以降、オンライン会議を何度も経験してきた。他の人も、それぞれ経験を積んで来ただろう。
遠くにいる人が、一緒に会話できるオンライン会議は、新しい可能性を示している。
同時に、いつも思うことがある。それは、オンライン会議の終わりの時。
それぞれの参加者が、退出のボタンを押して、スッといなくなる。
本当に瞬時に、それまでの会議が嘘のように消え去っていく。
余韻はどこにもない。別れを惜しむ。そんな風情のある別れは、もう期待すべくもないのだろうか。
いや、そうではないと思いたい。新しい習慣を身につけて、会議も、その余韻も楽しむ、そんなことが可能になる日を期待したい。


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いつものように。
でも、それはどんなふう?
今日は昨日のようではないし、明日も今日のようではない。
いつもって、何だろう。
いつもって、どこにあるのだろう。


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何か忘れていないか
どこかに大事なことを
巨人の肩の上に乗って
遠くを眺めた日を
ああ、私はなんと素晴らしい
そんなことを思っていた日を
自分の存在の小さなこと
気づいていなかった日を
ああ、私は今
大きな声で叫びたい
全てが忘却の彼方に飛び去って行っても
私は私であると




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水戸黄門は、いつも安心して見ていることができる。悪者が出てきても、最後は、黄門様の印籠が事態を解決してくれる。
しかし、実際の世の中は、そんなふうにはいかないことも多い。でも、最後は、悪は滅びると信じている。
そうだ、そういう気持ちこそが大切なのだ。正義は勝つ、いつかきっと。


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気温が30度を下回る。秋が近づいてくるのが分かる。秋の虫は情緒があるが、テレビの中で、所構わず鳴いているのは、いかがなものか。ジー、ジー、ミン、ミン。

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大学院時代に、喫茶店で100円を入れてインベーダをやっていた私にとって、今のゲームは何とも理解できないものである。
まず、いつでもどこでもできること。際限が無く、区切りがない。それをどうやって自分で区切ることができるのだろうか。
ゲームは、大人が作り、子どもに遊ばせる。その大人は、子どもの未来を考えているのか。甚だ疑問でる。
とは言っても、世の中は進む。ゲームを通じて、世界が変えられるとしたら、ゲームの可能性があるのかもしれない。


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強くもなく、弱くもなく、ブレるでもなく。
バランスを取って生きることは、容易ではない。
力を誇示して、自分を大きく見せようとするのは、愚の骨頂。
弱さを見せて、助けを求めることができなければ、ダメなのだ。
ああ、この世界に生きていくことは、何と難しいのだろうか。
人は人を求め、人とともに生きる。
そのことを改めて感じる日々。


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