こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

卒業式の貸衣装

2005-09-30 08:02:45 | 教育
大学生協の企画コーナーで、「卒業式貸衣装 早期予約会」が開かれている。卒業式は半年先。ずいぶんと気の早いことだ。もしかして、前期に「卒業式貸衣装 超早期予約会」が開かれていたりして。そんなことはないと思うが…。あまりに早いので、ちょっとビックリした。

去年も同様の企画が、この時期に開かれていたかどうかについての記憶はない。

ヒグラシ

2005-09-29 09:38:03 | 季節
昨日の夕方、ルルの散歩に行ったら、近くの公園でヒグラシが鳴いていた。9月の下旬になって、ようやく土の中から這い出してきたヒグラシ。仲間もすでにいないので、一人で鳴いている。その声に力強さはなく、寂しげな感じがする。

そう言えば、今年の夏はキプロスで蝉の声を聞いた。地中海の照りつけるような太陽の下で、蝉は力強く鳴いていた。季節は移り変わり、もうすでに秋。

しゃべるエレベーター

2005-09-28 08:00:57 | くらし
大学のエレベーターが新しくなった。カメラが備え付けられ、ドアの横のモニターにエレベーターの内部が映し出されている。自分の姿を見るのは、妙な気分だ。

エレベーターが止まるたびに、「ピンポン」というチャイムが鳴り、「○階です。ドアが開きます。ドアが閉まります」という女性の声が流れる。

私の研究室は、エレベーターのすぐ横にある。だから、エレベーターの「声」が気になることがある。なんでエレベーターがしゃべらないといけないのだと思ったりする。過剰なサービスのような気もする。

しかし、晴眼者にとってはうるさいだけかもしれないエレベーターの「声」も、目の見えない人にとってはとても重要な情報になる。目が見えなければ、エレベーターに一人で乗ることは難しい。だが、こうしてエレベーターがしゃべってくれれば、乗り降りするときの助けとなる。

物事には二面性がある。そして、一つのことは、別の視点から見れば、違ったものとして目に映る。しゃべるエレベーターに乗りながら、そんなことを感じた。

忘れている

2005-09-27 10:08:26 | 自己
6ヶ月ぶりの我が家。結構、いろいろなことを忘れている。

自宅と大学の鍵をしまった場所。運転免許証やさまざまなカードをしまった場所。郵便受けのダイヤル式ロックの番号。などなど。

大学の9階の研究室から事務室に行こうとしてエレベーターに乗り、何気なく1階のボタンを押して降りた。ドアが開いたとたんに、事務室は3階だったことに気づいて、階段で上っていった。

市役所に転入届を出しに行ったら、印鑑証明のカードが見つからずに、新しく届けに来ている年配の女性がいた。その人のことを云々できないなと思った。

自分という存在は、毎日の小さな出来事のくり返しから作られていくものなのだろう。

飛行機から見た朝焼け

2005-09-26 08:17:45 | 自然
二つの偶然が重なって、窓際の席に移ることになった。

一つは、ダウングレード。購入していたクラスが満席で一つ下に移動。75ポンド(15400円)を返金してもらえる。一番前の席で、足も伸ばせてラッキーだと思っていた。そうしたら、外国人夫婦が、前の壁にあるベビーベットを使いたいという。双子の赤ちゃんと3歳ぐらいの男の子を連れている。さっき泣き声が聞こえていたのは、たぶんこの子たちだったのだろう。隣りに座っていた外国人は、前のクラスにいる友人の席の近くに移れないかと交渉していた。そんなこともあって、私は、同じ並びの窓際の席に移った。

そうしたら、ロシア上空で、とてもきれいな朝焼けを見ることができた。日本時間の25日6時45分から7時15分の間。実際は、この数十倍はきれいだった。















ベルギーと言えば…

2005-09-22 00:24:41 | 文化
ベルギー、ブリュッセルと来れば、小便小僧を思い浮かべる人は少なくないだろう。世界一の衣装持ちだそうだ。近くの博物館に、その一部が展示してある。

普段は水が出ているが、ときには、ワインやビールが出て、振る舞われることもあるようだ。これまで何度か見に行ったことがあるけれど、残念ながらそれに出くわしたことはない。




小便小僧の隣りには、チョコレート店がある。




名前はもちろん小便小僧。日本だと、本家小便小僧とか、元祖小便小僧というような店がたくさんできそうだが、そういうことはない。ただの一軒だけ。





Nazar

2005-09-20 00:59:41 | 文化
2階に住んでいるトルコ人の若い夫婦オズカンとセジーヌはイスタンブール出身。10日から16日まで故郷に帰っていた。その間、セジーヌが育てている植木鉢の水やりを頼まれた。セントポーリア、シクラメンなど5鉢。無事に仕事は終了。

二人が戻ってきた翌日、お土産にNazarをもらった。「見る」という意味。目をシンボライズしてある。これを身につけると邪悪なものから身を守ることができる。家には、もっと大きなNazarを飾ったりするそうだ。白い紙の上に置いて写真をとったのに、このように青くなっている。これもNazarの持っている不思議な力のせいだろうか?





もうじき帰国するので、二人といっしょに食事をした。ちらし寿司とパプリカの豆腐ステーキを用意した。新婚旅行のときに、ちらし寿司の元をベルギーまで持ってきてくれた伊田さん夫妻に感謝。錦糸玉子や絹さやも乗せたら、ちょっぴり豪華なディナーになった。豆腐ステーキは大根おろしに醬油で食べる日本風。オズカンが最初食べないので不思議に思っていたら、オーブンで温めたパンと一緒に美味しそうに食べていた。

食後は本格的なトルコ紅茶(チャイ)。ナッツやドライ・フルーツ、ひまわりの種をつまみながら、小さなガラスのコップに注がれた濃いめのティーを飲む。そのうちにオズカンがトルコの民族楽器Cazの演奏を披露してくれた。これで2回目。なかなか上手だなと感心しながら聞き入った。

こうして日土(土耳古)交流の夜は暮れていった。


フランダースの小学校

2005-09-19 13:59:41 | 教育
Bokrijkのなかに移築された、ハッセルトにあった小学校。19世紀に建てられた。この建物に先生が住んでいて、その隣りが教室になっている。最後の先生だったMaria Govaerts(1867-1869)は、School Maryと呼ばれていたという。





先生役の女性が、子ども相手に授業の真似事をしているところ。教室の正面には聖人の像。壁には神について書いた文章。カソリックの教えは、学校のなかでも重きを置かれていたに違いない。





こんな小さな小学校で学んだ子どもたちは、どんな大人になっていったのだろうか。