こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

549 定年まで残り1年半

2020-09-30 21:17:00 | 生き方
このブログ。カウントダウンしながら書いている。この数字は、定年までの日数。
今日で、残り1年半となった。長いようで、短い期間になるのだろうと思う。
そのなかで、何ができるのか。否、何をしようとするのか。それが問題だ。

550 九月尽

2020-09-29 21:22:00 | 時間
まだ1日あるが、9月も終わる。九月尽。
どの月も、いつかは終わるので、九月について特段の思いがあるわけではない。
それでも九月は、格別。という特段の思いはなく、月日が過ぎる。ああ。



551 論文を書く

2020-09-28 22:02:00 | 研究
研究の成果を発表するのは、研究者としての仕事の一つ。
今日は、その論文を書いていた。と言っても、何かが突然降りてきて、乗り移ったように書けるわけではない。
基本的な筋書きを考え、それに基づいて細部を書いていく。
図表を作り、文章を書く。
そんなことの繰り返し。今日は、程々のところで終了。
明日もまた、これが続く。

552 ふつうとは何だろう

2020-09-27 20:15:00 | 映画
映画、アダムスファミリーを観た。出てくる中学校が、「ふつう中学校」という名前だった。
ふつうとは、一体なんだろうか。アダムスファミリーは、ふつうには見えない。
町の子どもたちが通っているいじめがはびこっている学校も、ふつうには思えない。
でも、そうした学校が、広く見られれているのなら、それがふつうなのかもしれない。
ふつうって、何だろう。誰がふつうで、誰がふつうでないのか。
映画、アダムスファミリーは、そんなことを深く考えさせるものだった。

556 若いということ

2020-09-23 22:18:00 | 生き方
自分は、いい加減に歳を取り、若くはないが、若い人を見ていると、いいなと思う。自分が若い頃、そんなふうに見られていたのだろうか。それはわからないが、とにかく若いということは素晴らしい。そんなことを思う機会がある度に、自分に何ができるのかを考え、そして、それを実行していきたいと考える。

560 オンライン会議の寂しさ

2020-09-19 20:32:00 | 文化
4月以降、オンライン会議を何度も経験してきた。他の人も、それぞれ経験を積んで来ただろう。
遠くにいる人が、一緒に会話できるオンライン会議は、新しい可能性を示している。
同時に、いつも思うことがある。それは、オンライン会議の終わりの時。
それぞれの参加者が、退出のボタンを押して、スッといなくなる。
本当に瞬時に、それまでの会議が嘘のように消え去っていく。
余韻はどこにもない。別れを惜しむ。そんな風情のある別れは、もう期待すべくもないのだろうか。
いや、そうではないと思いたい。新しい習慣を身につけて、会議も、その余韻も楽しむ、そんなことが可能になる日を期待したい。

562 何か忘れていないか

2020-09-17 20:48:00 | 研究
何か忘れていないか
どこかに大事なことを
巨人の肩の上に乗って
遠くを眺めた日を
ああ、私はなんと素晴らしい
そんなことを思っていた日を
自分の存在の小さなこと
気づいていなかった日を
ああ、私は今
大きな声で叫びたい
全てが忘却の彼方に飛び去って行っても
私は私であると



563 勧善懲悪

2020-09-16 20:46:00 | 生き方
水戸黄門は、いつも安心して見ていることができる。悪者が出てきても、最後は、黄門様の印籠が事態を解決してくれる。
しかし、実際の世の中は、そんなふうにはいかないことも多い。でも、最後は、悪は滅びると信じている。
そうだ、そういう気持ちこそが大切なのだ。正義は勝つ、いつかきっと。