こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

357 PCRモニタリング検査

2021-04-09 21:37:58 | 歴史
内閣官房と東京都が実施している新型コロナウィルス感染症モリタニング検査を受けました。
スマホにアプリを登録してから、検査キットを受け取り、自宅で唾液採取。
それを郵便で送って、結果を待ちます。
3日目に届いた結果は、陰性。
取り合えず安心。
でも、明日以降の陰性を保障するものではないことに気づく。

518 スペイン風邪

2020-11-01 21:04:38 | 歴史
ベルギーの在外研究時代に、ICC(International Contact Club)でオランダ語を押してもった先生から、スペイン風邪が流行った当時の写真を送ってもらった。マスク姿の人々やSTAY HOMEの標語は、今と同じ。先生曰く、「歴史は変わらない」。

赤穂浪士討ち入りの日

2011-12-14 22:09:12 | 歴史
今日は赤穂浪士討ち入りの日。先ほどもテレビで関連する番組を放送していた。
四十七士の中で、ただ一人切腹を免れた寺坂吉右衛門の墓は麻布曹溪寺にある。
母方の祖父の墓もそこにあり、小さい頃から何度かお参りに行ったことがある。
曹溪寺には、赤穂藩主の奥方たちのお墓もあり、姫路との関係の深さを感じる。
祖父高浜二郎は、姫路の出身。明治の人として自分の生き方を貫いた人である。

満つれば虧く

2010-02-05 22:41:19 | 歴史
今朝の朝日新聞一面の見出し。

地検、小沢氏を不起訴
「幹事長職 返上せぬ」

朝青龍引退
暴行問題責任取る

出処進退を巡る取り合わせの妙。同じ体質を抱えているようでもあり、違うようでもある。

ここで戯れ歌を二つ。

物言いに人の度量の見え隠れ
本性は常に変わらず一路なり

二人を見ていると、法政大学名誉教授の中川作一先生が、第二次世界大戦中、自分が高校生時代に、国語の教師が授業中に小声で、こんな風に言っていたと話していたことを思い出す。「満つれば虧く。東条も同じじゃないですか?」(注 東条英機)


月(つき)満つれば則(すなわ)ち虧(か)く
《「史記」蔡沢伝から》満月は必ず欠ける。物事は盛りに達すれば必ず衰えはじめるというたとえ。

茗荷谷 魚滝

2009-04-01 20:59:53 | 歴史
学生時代を過ごした茗荷谷。先週、久しぶりに用事で訪ねたら、駅前は再開発ということで、工事の壁で覆われていた。駅の横から、裏の方へ歩いていくと、ほどなく見慣れた店の看板を発見。魚滝。ここでは葱鮪や鯖味噌をよく食べたものだ。懐かしさのあまり、携帯のカメラで撮影。今回は店には寄らなかったけれど、次回は入ってみたいと思った次第。青春の日々を思い出した一時だった。



まずは一献

2006-10-29 17:37:39 | 歴史
川越喜多院の境内にある五百羅漢。全部数えたわけではないが、ものすごい数の羅漢像が…。そのなかには、自分に似た像が一つあるらしいと聞いて、一つずつ見て回る。

そして、発見。二人とも、よい顔をしている。まずは一献、と参りましょうか。


都民の日

2006-10-01 10:22:46 | 歴史
10月1日は、都民の日。

子どもの頃、カッパのバッジが楽しみだった。なぜカッパなのかよく分からなかった。改めて調べてみると、次のようなことだったようだ。ふーん、そうか、と納得。

カッパのバッジが懐かしい。机のなかから、清水昆のバッジが出てきたら面白いのに、などと思ったりする。



かっぱのゆらい(25周年記念セットの説明書から)

むかし隅田川には、たくさんの河童のお家があったそうです。人間が、いくら川に橋をかけても、雨がふるたびに流されてしまうので、河童クンたちは、ふだん住まわせてもらっているお礼に、自分たちの手で橋をかけようと相談し、一晩のうちに見事完成しました。それが合羽橋だという説があり、あわせてカッパは水難よけのお守りになりました。(かっぱのバッジ-ミュージアムより引用)



東京物理学校

2006-02-17 22:37:12 | 歴史
子どもの頃、姫路のおじさんが東京に出てくると、よく遊んでもらった。おじさんが出たのが東京物理学校。今の東京理科大学だ。

飯田橋から市ヶ谷をブラブラと歩いていたら、物理学校の古い校舎を再現した建物があったので、記念に一枚。




この建物は、東京理科大学の近代科学資料館として使われているらしい。


あの頃

2006-02-08 21:01:59 | 歴史
ちょっと前のことになる。映画館で、Always 三丁目の夕日を観た。このブログでも二度ほど紹介した東京タワーが出来上がる頃の話だ。

1958(昭和33)年。東京タワーは建設中だった。子どもだった私も、きっと東京の空を見上げたにちがいない。

その当時、高円寺に住んでいた。飛行機からまかれた広告のビラを追いかけた走った。テレビも、洗濯機も、冷蔵庫もなかった。共同住宅に住み、夜中に廊下を歩いて汲み取り式のトイレまで行くのは怖かった。

映画を観ながら、子どもの頃のことを思い出した。懐かしいあの頃。

曹渓寺

2005-10-16 07:28:54 | 歴史
昨日、祖母の四十四回忌で南麻布の曹渓寺に行ってきた。ここは、姫路のお殿様の江戸屋敷にいた江戸の奥方、その子ども、乳母などの菩提寺。古いお墓がたくさんある。

忠臣蔵四十七士の一人、寺坂吉右衛門の墓もここにある。寺坂吉右衛門は謎の多い人物で、討ち入り前に逃亡したとか、逃亡したのは密命を帯びていたとか、いろいろな説があるようだ。晩年に、曹渓寺に身を寄せていたという。


ドアの後に潜むもの

2005-09-12 00:10:32 | 歴史
このドアの向こうは洗面所とバス、トイレ。年代物のドアだ。




天井の梁には、1649と刻印されている。




最近になって、このドアの裏側にあるものが潜んでいることに気が付いた。

ここには、クマとライオンと片眼のトラ。




ここには、クマが二匹に、シカが一匹。




ここには、小グマが5匹。